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魔界交前酒評説 番外『悪魔の囁き』
魔界交前酒評説 番外『悪魔の囁き』
セオ・クラレット

『悪魔の囁き』。この魔界ワインは、かの堕落と契約の悪魔、デーモン達の住まう異界で生産された銘柄の一つである。これは彼女達がその契約と誓約の一環としていわゆる「盃を交わす」際にも重宝される物である事から、市場には多く流通していない。しかし、今回は幸運にも妻の友人であるヴァレミラ氏の厚意に預かる形で入手することが出来た。本評説はその対価として執筆された物である事を予め示しておく。
 伝統的な王魔界様式にて禍々しい彫刻の施されたワインボトルが、第一に目を引く。保存性と透明度を両立させたガラスの内側には、美しい赤紫の液体が満ちていたが、それ以上に特筆すべきは、半ば物質化した紺色の魔力がボトルの中で揺らめき、妖しく光を反射する様である。一種の「濁り」と形容する事も出来るこの現象を、彼女達デーモンは退廃と背徳を象るものとして尊ぶのだという。最上級の品となれば、封を開ける前からも魔力の放射を感じられる程であり、耐性のない人間がこれと相対したならば、その魔力にあてられ、抗い難く瓶を手に取ってしまう事は想像に難くない。
 妻と共に心して封を開け、グラスに雫を注いでいけば、むせかえる程に濃厚な、甘く芳醇な香りと共に、魔力そのものが部屋に立ち込める。ゆっくりと口に含めば、その香りに違わない極端な甘口。甘美さに舌を支配されるかのような心地。絡みつくような後味が中々消えないのとは裏腹に、すぐさま次の一口を熱烈に欲してしまう。人を際限のない耽溺に誘うその味わいは、まさに悪魔の造った酒であり、魔性と形容するに相応しい逸品であった。
 そして、私と同様にワインを味わった妻はいつしか、普段とは異なる邪な微笑みを浮かべていた。紳士的に導くような手管を好む彼女は、私が感想を手記にしたためるのを待たず、強引に私の唇を奪うようになっていた。悪魔の如き支配欲に駆られた妻は、口移しなど、彼女の身体を介する方法以外でこの酒を味わう事を許してはくれなかった。しかし、愛しい人との口移しで味わうこの酒の味わいは筆舌に尽くし難く、まさに退廃的であった。極上のワインを純に楽しむのではなく、交わりの引き立てに終始させてしまう事自体もまた、どうしようもなく背徳的で興奮を煽るものだったと記憶している。そして彼女の強引な振る舞いと支配欲とは裏腹に、その囁きの甘美さには磨きが掛かっており、いつもより深く心身を委ね、愛と快楽に溺れる事が出来た。急進派とは政治的思想を異にする筆者であるが、愛しい人に全てを明け渡し、服従する事の素晴らしさは理解する事が出来た。学者の身であるからこそ、何も考えず愛と快楽に溺れる退廃的な交わりに惹かれてしまうのかも知れない。また、文字通り三日三晩の間、何もかも忘れて耽溺していたおかげで、凝り固まっていた思考がすっきりとして、充実した気分で執筆に向かう事が出来た事も付記しておく。
総じて、この『悪魔の囁き』は、甘く濃厚で溺れるような退廃的な交わりを求める者、意中の男性を手中に収めたい女性にはこれ以上無いほどの品である。惜しむらくは入手が困難である事と、その耽溺を誘う味わい故に、一口飲めば止まらず、一瓶全てを飲み干してしまう事だろう。
故に、もし本評を読んだ人間の方が『悪魔の囁き』を手に入れたいと望むのであれば、次項に示す儀式にて、直接彼女達と交渉すると良いだろう。筆者は、この酒に悪魔と取引するだけの価値を認める。
19/08/06 00:24更新 / REID
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■作者メッセージ
愚かな人間諸君、御機嫌よう。『悪魔の囁き』のオーナー、悪魔ヴァレミラだ。
 人の身でこの本を読んでいるという事は、魔に堕ちる事を望んでいるも同然。もはや欲望を隠す必要もあるまい。この項に手を当て、己が欲望を強く胸に抱くがよい。さすれば、あまねく存在する我が配下が、諸君を見つけ出すであろう。

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