連載小説
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プロローグ
雨降るある日のことだった。
並び立つのは無機質な十字架。文字が刻まれ、花が添えられ、雨粒に晒される寂れた墓地の奥の奥。そんな場所で私は一つの十字架の前にいた。
刻まれている名前は二つ。かつて私が仕えていた御主人様と追うようにして亡くなられた奥方様。どちらも私をメイドとして大切にして下さった方々だ。
だが、二人には子供がいなかった。本来お二人が亡くなった以上二人の代わりとして傍で支えるべき相手はいない。



―私が仕えるべき相手はもう存在しない。



私はメイド。
生まれた時から今までずっと御主人様に仕えてきた人間だ。
仕える御主人様がいてこそ、価値のある人間。
従う相手がいてこそ、生きる意味のある存在。
しかし、今となっては誰もいない。これではメイドとして生きる私の意味がない。既に他界してしまった御主人様と奥方様を追って私も命を絶とうか、などと考えてしまう。
実際この世界に未練などと言うものはない。メイドにあるべきなのは仕えるべき御主人様とその生活を円満に過ごせるように尽くす忠誠心。御主人様がいてこそのメイドであり、メイドであるからこそ存在価値が見いだせる。
メイドとして生きてきた私にとってメイド以外の私など存在しない。
普通の人としての生き方すら、わからない。

…どうすればいいのだろう。

そう考えていても雨は容赦なく降り注いでいた。普段から着ているメイド服がずぶ濡れになっても止む気配はない。
体が冷たい。空腹が辛い。だけどそれ以上の無気力が力を奪い意志を沈めていく。

…このまま死んでしまおうか。

どう考えても行きつく先は同じこと。だが生きる意味がないのではそれもまたいいだろう。
十字架に寄りかかり瞼を閉じた。





「何してんの?」



そんな中で雨音とは違う柔らかな声に閉じた瞼を開く。目を向ければ雨粒の中でもはっきりとわかる人影がそこに立っていた。
薄暗い雲よりもずっと暗くて黒い姿。傘を差さず雨に晒され、雫を滴らせる艶やかな黒髪。防水魔法でもかかっているのか雨粒を弾く、金色のボタンのついた高級そうな黒い服。それから夜の闇よりもずっと濃い黒い瞳。
そのお方は私が今まで見たことも出会ったこともない人間だった。

「そんなところで雨に当たってたら風邪引くよ?」

埋葬された相手へ会いに来たのだろうか。それにしては傘も花もない。この雨は一日中降り続いているというのに。
それでも気遣いに感謝ぐらいはすべきだろうか。だが私は彼を突き放すように言った。

「…お構いなく。私はこうしていたいのです」

メイドとしての存在意義のない私にとって生きる意味はない。仕えるべき御主人様のいないメイドにとって生などない。私が私である意義は既に失ってしまった。
ならば、生きる意味はない。
つまり、死んだも同然である。

「そんなことしてたら体壊すよ」
「…壊したいのです」
「壊したいって…そりゃまた何で」
「…死にたいからです」

彼の言葉に私は淡々と答え続ける。

「…私には帰る場所はもうないのですから」

ここまで言えば彼も引き下がってくれるに違いない。そう思っての言葉であり、私の本心だった。
だが彼はどことなく切ない表情を浮かべる。笑っているのだけど形だけの笑みだ。

「…そっか」

生ぬるい言葉だった。そうとしか形容できない、優しくも冷たくもない微妙な声色だった。
だがそれ以上何も言わずに私を見下ろしている。しばらくすれば興味も失せて立ち去るだろう。
私は再び瞼を閉じて体重を十字架へと預けた。

「よっと…」

しかし突然体が軽くなる。驚き、瞼を開ければ私は彼の腕に抱かれていた。

「…何、を?」
「いや、このまま放って置くわけにはいかないからさ」
「…離してください。私はもう死にたいのです」
「なら助かってから改めて死ねばいいじゃん」
「…それでは助ける意味がないのでは?」
「あるでしょ。少なくともオレの寝覚めが悪くならない」
「…勝手、ですね」
「お互いにね」
「…」

どういっても私を下ろそうとはしない。それどころか歩き出し墓地から出て行こうとする。
どうやら私の言葉を一切に聞く気がないらしい。

「とにかくさ。一度考え直してみればいいじゃん。もしかしたら死ぬ気が起きなくなるかもしれないよ?」
「…ですが、私は既に生きる意味がないのです。私にとっての存在意義はもうありませんので…」
「あっはっは」

私の言葉に彼は軽快に笑った。
今の言葉が笑えるものではないはずだ。だが彼は笑う。面白おかしくではなく、どこか馬鹿にしたような軽さで。

「何言ってんだか。実家に帰って親にでも泣き付けばいいじゃん」
「…既に両親もいません」
「ならどっか新しい所で働けば?」
「…私はメイドです。御主人様がいてこそ成り立つメイドです。御主人様のいない私にはメイドとして生きる価値はありません」
「じゃ、メイド以外で生きればいいのに」
「…生まれてからずっとメイドとして生きてきたのです。今更生き方を変えるつもりはありません」

ずっとメイドとして生きてきた私にとってメイドとは給金目当ての仕事ではない。
人生であり命を懸けるに十分な理由である。
生きざまであり私全てを表す職業だ。
誇りを捨てて過ごすなど、私にとっては死同然。

「じゃ、その御主人様探せばいいじゃん」
「…私は、誰構わず仕えるほど無節操ではありません。メイドと生きることは自身の信条に従える相手に仕えること。それは命すら投げ出せる価値あるお方でないといけません」
「んじゃ、紹介しようか?」
「…はい?」

見上げた顔はにっこりと優しげな笑みを浮かべている。
ただ、どうしてか。雨の下で日も差さぬせいか、あまりにも無機質で冷たく感じる。だがその言葉は嘘ではない確証を感じ取れた。

「一応オレの上司…なのかな?まぁ、護衛してる人だけど人の上に立つタイプっていうか、偉ぶるだけの威厳も備えてるちゃんとした人だよ。オレから口添えすればすぐとはいかずとも働くぐらいの事はできると思う」
「…もし、見合わなければ?」
「自由にすればいいさ。旅立つもよし、御主人様を探すもよし」
「…変わらず死ぬつもりだったら、どうしますか?」
「じゃ、死ね」

とても単純明快な一言だった。
私の命を必死になって救いたいと思えない程短い言葉だった。
ただ、どこか切なくて、どこか寂しさを感じさせるものだった。見上げた顔は笑みを消し何も抱いてないように表情を消している。

「その時には介錯手伝ってあげる。首切ろうが毒飲もうが好きにすればいいさ。後始末としてさっきのお墓に埋めてあげる」
「…貴方は、私を助けるつもりはないのですか?」
「助けた責任はとるよ。出来る限りはさ。でも、その後を決めるのはそっちだから勝手にやって」

私に対して興味がない、というわけではないらしい。
少なくともこの時だけの気まぐれだろう。言葉通り寝覚めが悪くならないためのその場しのぎかもしれない。

だけど、どうして引っかかるのだろうか。

雨水を滴らせるその顔が、無機質な笑みを浮かべる口元が、並べられた冷たくも優しい言葉が私の信条を揺らがせる。
今更制に執着してはいない。だが、目の前の彼は決して私を生かしたいわけでもない。
だけども闇色の瞳はただ真っ直ぐと前を向き。
濡れた黒髪が雨水に揺れ動き。
冷えた体でもしっかり地面を踏みしめ進んでいく。
既に私をここで死なせるつもりがない。それだけは確かに感じ取れる足取りだった。

「…そう、ですね」

なら、後は諦めるしかないだろう。
どうしたところで今の私では振りほどけもしない。もし彼が悪い人でも抵抗もできない。
慰み者として辱められても逃げることすらできやしない。
どうせ死を望んだ今更、何が起きたところで怖くもないのだから。あとは行くところまで行けばいい。

「…なら、私は勝手にさせて頂きます」
「どうぞご随意に」

私は静かに頭を下げた。
16/01/05 12:16更新 / ノワール・B・シュヴァルツ
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