読切小説
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旅芸人と帽子の人魚
「――かくして、彼らの勘違いから始まった珍事件は幕を閉じたのでした」

 そう話を締めくくった旅芸人の男は、被っていた山高帽を脱いで、一礼をした。
 たちまち、夕暮れの砂浜には拍手と笑い声が響き渡り、男が砂の上に置いた帽子には無数のおひねりが投げ込まれる。

「感謝感謝。お楽しみいただけて何よりです」

 笑い話を聞き終えた人々は、ある者は男の語り口調を真似ながら笑い、またある者はこんな話はどうだろうかと友人知人に即興で語る。
 予想以上の手ごたえに、男は満足げに微笑む。
 出し物が終わった後に残る、客席の熱。
 それが引くまでの時間は、男が好むものの一つだった。

 やがて、銀貨銅貨が帽子に投げ込まれなくなり、客もすっかりいなくなってしまうと、今度は男の口から小さなため息がこぼれた。
 立ったまま、身振り手振りを交え、声色を変えながら話を語るということ。
 ただ話すだけではないか、と言う人もいるが、これが中々大変なのである。
 特に、日差しの強い海辺の町ともなれば、渇きは他所の比ではない。
 背負っていた荷袋から取り出した水筒は、振っても音がしない。
 そういえば話を始める前に飲みきってしまっていたと思い出し、顔を歪める。
 稼ぎを纏めて、まずは水を買いに行かなければ。
 次に、食事。宿はまあ、どうにかなるだろう。
 頭の中で予定を立てつつ、帽子に入らなかった投げ銭を拾い集めていると、ちゃりんと帽子に銀貨が投げ込まれる音がした。
 驚いて振り向けば、背後の岩の陰から、健康的な小麦肌の少女が顔を出していた。
 桃色のふわふわとした髪に、ちょこんと乗せた赤い帽子が可愛らしい。

「とても楽しいお話だったわ」

 その少女の無垢な笑顔と真っ直ぐな賞賛に、男は照れを隠すように仰々しく頭を下げて、「お気に召したのならば何よりです」と答えた。

「恋のお話は、無いのかしら?」

 続いて投げかけられたリクエストには、男は肩をすくめて答える。

「恋物語は、俺には難しいんですよ」
「さっきのお話でも、想い合う恋人たちが出ていたのに?」
「あれはあくまでも笑い話であって、恋人たちの想いは重要じゃない。でも、それが主題となれば、話は別でしょう」

 つまりは無理ですね、と締めくくり、男は帽子の中の金を、擦り切れた麻袋へと流し込んだ。
 この町には広場が無く、話を語る舞台にできそうなのは、砂浜しか無かった。
 だが、それに合わせて選んでみた港町を題材にした笑い話は、思った以上に受けが良かった。
 今日は、少し良いものを食べられるかもしれない。麻袋の口を紐で括って、男はほくそ笑んだ。

 その背を見ながら、少女は「ねえ」と声をかけた。

「明日も、ここでお話をしてくれる?」
「どうでしょうね。まあ、飽きられるまでは」

 口ではそう言ったが、話芸しかできないような木っ端旅芸人が一つの町に滞在できるのは長くても三日程度だと、男は知っていた。
 語りに限らず、芸は飽きられたら終わりだ。
 同じ場所で同じ話を二度することはないが、「話を聞くこと自体に飽きる」という事もある。
 そして、人が飽きるのは、だいたい三度目、つまり三日目からだ。
 だから、まだ飽きていない観客を求めて旅をする必要がある。
 そんな事も分かっていなかった頃に見た、日に日に聞き手が減っていく光景は、今でもはっきり覚えている。
 それを「良い経験になった」と割り切るには、旅芸人はまだ若かった。

「じゃあ、私が毎日あなたの話を聞きに来たら、あなたは毎日お話をしてくれる?」

 男は、今までにも数度、この少女の言葉と似たようなものを聞いていた。
 とても面白い。毎日でも聞きに来る。ずっとここに居てくれ。
 旅芸人にとって、その言葉は名誉である。
 だが、同時に、信じてはいけない言葉でもあると知っていた。

「そうですね。お嬢さんが望むのならば、俺も応えましょう」

 だから、去り際に残したそんな返事も、単なる社交辞令でしかなかった。




 翌日。
 旅芸人の男は、あらかじめ考えておいた笑い話を一つと、客にねだられた英雄譚を一つ語った。二回分を合わせても、帽子に投げ込まれたチップは初日よりも少なかった。
 明日の出立も考慮に入れる必要があるだろうか。
 必要になりそうな路銀と麻袋の重さを天秤にかけながら、砂浜の向こうで木の棒を振り回す子どもたちへと目を向ける。
 昨日来ていた少女は、彼らよりももう少し年上に見えた。今日は来ていなかったようだが――。
 旅芸人が、どこか諦めにも似た感情を消化しようとしていると、ぽと、と小さく音を立てて、空っぽになった帽子に何かが投げ込まれた。
 覗いてみれば、中には銀貨が一枚。
 もしや、と思い振り向けば、やはり、岩場の陰から少女が顔を出していた。

「来ていないのかと思ったのですが」

 そう言ってから、男は自分の声色の明るさに驚いた。
 しかし、少女はそれとは対照的に、不機嫌そうに頬を膨らませた。

「あなたがここでお客さんを集める前から、私はこの岩陰にずっと居たのに。気付いてくれていなかったのね?」
「奇術師ではありませんから。背後には気を配らないんです」

 言い訳とともに、帽子から取り出した銀貨をぴいんと指で高く弾く。
 夕日に煌めきながらコインはそよ風に僅かに揺れ、しかしそれでも男が伸ばした手に綺麗に収まった。
 誰にでもできそうな、それこそ練習すら必要ないであろう見世物だったが、それでも、少女はぱちぱちと拍手を一つ。

「素敵。曲芸もできるのね」
「こんなもの、曲芸と呼ぶのもはばかられるような子供だましでしかありませんよ」
「あら、じゃあ、私は子供だましで喜んでしまったのかしら?」
「む……」

 そんなつもりは無かったのだが、と、男は決まりが悪そうに頬を掻く。
 だが、少女がくすくすと笑うと、釣られるように肩を揺らして笑った。
 そして、首を軽く横に振りながら「いや、失礼」と呟いてから、帽子で口元を隠して言った。

「では……お詫びに、お望みだった恋物語を一つ語ってみせましょうか」
「まあ、本当に?」
「ええ。もっとも、私の得意分野ではありませんので、誰もが知ってるお話になりますが――」

 幼い頃に母親から語ってもらった記憶を頼りに、夕暮れの海を背景にして話を紡ぐ。
 昔々、ある所に。
 お決まりの導入から語るのは、ある人魚の童話。
 しかし、時が経ち記憶が薄れていた箇所は即興で繋ぐため、誰もが知っているであろう童話は、少しだけまだらに色を変えながら紡がれていく。
 そこまでして慣れぬ恋の話を語りながら、ふと、男は「何故、この少女の願いに応えようとしているのか」と、自分の行動を疑問視した。
 先程も、子どもにねだられて英雄譚を語りはしたが、それはあくまでも稼ぎのためだ。
 これは、違う。この少女一人のために語った所で、得られるのは自己満足だけだ。

「――そして、人魚は泡となって消えてしまいました」

 だが、男が自問の答えを得るより先に、手繰っていた記憶の糸は途切れてしまった。
 自らの声と引き換えに想い人に会う手段を手に入れながらも、添い遂げることは叶わず、とうとう泡となって消えてしまった、ある人魚の悲恋。
 ここで終わっていたようにも、続きがあったようにも思える。
 しかし、曖昧なまま語るくらいならば、ここで切ってしまったほうが良いだろう。
 僅かな逡巡の後、男は帽子を手に一礼し、話を終えた。

「……それで、おしまいなの?」

 案の定不満そうな少女に、男は苦笑する。

「恥ずかしいことですが、続きを忘れてしまったのですよ」
「あら、やっぱりそうなのね?」

 またもや頬を膨らませるのかと思いきや、朗らかな笑顔を浮かべて少女は言いきった。

「想い合う二人が結ばれないなんて、おかしいもの」

 その笑顔は、悲恋などこの世にあるはずがないと信じる、穢れない強さを秘めていた。
 無垢ゆえに脆い信念ではない。
 決して揺るがない、世界は幸福なものに満ちているという信仰。

「ね、あなたもそう思うでしょう?」

 声色は柔らかく、笑みは可憐に。
 なるほど、この少女には悲恋など訪れはしないだろうと思わせる振る舞いに、男も思わず頷いていた。
 同意を得られた喜びから、少女はぱあっと花咲いたように満面の笑みで続ける。

「やっぱりそうよね!そうだわ、私が続きを考えてあげる!」

 赤い帽子を手で押さえて、少女は今まで岩に隠れていた、華やかな色をした魚の尾を揺らした。
 それは意図的に見せたのか、偶然見えてしまったのか、男には判別が付かなかった。

「だから、明日もここに来てね?今度は、私がお話をしてあげるから!」

 すっかりその気になった少女は、もはや男の返事も待たず、ぱしゃんと水を跳ねて海へと消えていった。
 男はしばらく微笑ましいものを見守るような気分でその場に立ち尽くしていたが、やがて、慌てた様子できょろきょろと周囲を見回した。
 そして、誰にも見られていなかったことを確かめてから、ほっと胸をなでおろした。



 海辺の町に来て、三日目。
 観客は、予想通りの減り方をしている。
 先日英雄譚をねだった少年は今日も来て、他の客が帰った後に、今度は「悪い魔物をやっつける話」をねだってきた。
 少し悩み、「悪くない魔物と友だちになる話」をした所、つまらなくはないが納得もしていない複雑そうな表情で帰っていった。

 その少年が、友人らしい少女と何かを話しているのを眺めてから、男は「さて」と帽子を拾った。
 くたびれたブーツの底が細かな砂の粒を踏んで、じゃりじゃりと音を立てる。
 舞台の背景にしていた岩の裏は、ちょうど陸が切れて海水が流れ込む入り江となっていた。

「お待たせしました」

 帽子をかぶり直して声をかけると、岩に腰掛けていた少女が顔を上げた。
 その表情は、驚いているようにも、喜んでいるようにも見えた。

「今日は、気付いてくれたのね?」
「いいえ、当てずっぽうですよ。まだ来ていなかったら、一人で恥ずかしい思いをしたでしょう」
「あら、正直なのね」

 無論、それは笑いを誘うための冗談だった。
 実際には、水が跳ね、尾が岩を叩く音を、少年に話を語っている最中に捉えていた。
 冗談であると伝わったかどうかは別として、とりあえず、少女を笑わせることには成功していた。

「普段からお話をしている人に聞いてもらうなんて、少し緊張するけれど……」
「今の俺は、単なる聴客に過ぎませんよ。どうぞ、存分に続きを披露してください」

 潮汐にえぐられた岩は、二人で隣り合って座るにはちょうど良い形となっていた。
 ぬるい海水に足を浸しながら、男は笑みを浮かべる。聞き手に回るなど、久しぶりだった。
 自分の飯の糧に変えるためではなく、純粋に楽しむために話を聞く。
 幼年期以来の高揚に従って、無邪気に「さあ、どうぞ」と急かした。

「そうね、それじゃあ……始めましょうか」

 旅芸人を真似て、少女は帽子を手に礼を一つ。
 それから、目を閉じて、深呼吸を一つ。
 そして、波音よりも小さく、しかし不思議と通る声で、語った。

「――人魚は、海に帰る前に、お母さんの言葉を思い出しました。『その帽子は、あなたが本当に愛した人に渡しなさい』という言葉です」

 はて、と男は首を傾げた。
 あの童話で、人魚は帽子などかぶっていただろうか。
 続きを語ると言っていたが、話の根本から変わっていないか。
 疑問は、隣へ目を向けるだけで氷解した。

 熱っぽく瞳を潤ませながら、「帽子をかぶった人魚」は、楽しげに言葉を紡ぐ。

「おかしなことに、その人魚は帽子無しでは泳ぐことすらできません。帽子にかかった魔法のおかげで他の人魚と同じように海で暮らせるのです。でも、もう一つだけ、人魚が海で生きていく方法がありました」

 少女は、語りに合わせるように、かぶっていた帽子をそっと旅芸人の男に手渡す。
 夕焼けの色とは別に、少女の頬には朱が差していた。

「帽子を渡した相手と結ばれて、二人で永遠の愛を誓えば、それが人魚に新しい魔法をかけてくれるのです。でも、誰にも愛されないまま帽子を失えば、海に帰った人魚はたちまち泡となって消えてしまうでしょう」

 思わぬ展開に、男はぎょっとして手元の帽子と人魚の少女を見比べた。
 既に、彼女がどのような意図を持って童話の続きを語っているのかは、薄々勘付いていた。
 誰もがよく知る物語からは逸脱したまま、少女は続ける。

「ですが、人魚は信じていました。きっと、この想いはあの人に伝わるはず。私が愛しているように、あの人も私を愛してくれる……そして、共に海で生きてくれるはずだ、と――」

 語り口調というには強く感情を滲ませた声で言い切ると、少女は男に向かって微笑みかけた。
 さあ、続きをどうぞ。
 饒舌な「声を失った人魚」による、無言の催促。
 それを受けて、男はしばらく手元の赤い帽子を見つめていたが、やがて何かに気付いたように顔を上げて、それまで自分が被っていた山高帽を少女の頭にかぶせた。

「――思わぬ愛の告白に、彼は困ってしまいました。と言うのも、彼は海を泳いだことがなかったのです。このまま海へ入ろうものならば、魔法など関係なく溺れてしまいます」

 この町に来て最初に語った笑い話と同じ調子で、男は答える。
 受け取った赤い帽子を左手に持ったまま、右手はそっと人魚の手へ。

「さあ、綺麗な人魚さん。どうか、泳ぎ方を教えてください。そうすれば、私もきっと、あなたを永遠に愛せましょう」

 どこか冗談めかした台詞に、少女は小さく笑ってから、手を握り返した。

「それじゃあ、行きましょう。
 大丈夫、その帽子がある限り、溺れる心配なんていらないわ」

 ばしゃん、と音を立てて少女が先に入り江に飛び込む。
 男もそれにならって服を着たまま飛び込み、手を引かれるまま海中へと潜った。
 水面に上る僅かな泡だけが、二人が沖へ向かっていく足跡となっていたが、それもいずれ、さざなみに混じって消えてしまった。
 そして、やや遅れてから打ち寄せた波が、砂浜に残っていた一枚のコインをさらうと、後にはもう何も残らなかった。
17/03/26 17:48更新 / みなと

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