連載小説
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前編
この世界において人間というのはあまりにも劣っている。
事実を見抜くための目はなく、逆に偽りに長けた妖怪が沢山いる。
物事の奥や陰を知る術はなく、逆に化かされ騙される。
事実は見えず。
偽りは見抜けず。
嘘は暴けず。
真はわからず。



何が言いたいかというと―やっぱり人間にはできないことが多すぎるということだ。



だから今日も今日とてオレこと黒崎ゆうたは―




「―あの、ゆうたさん?最近眠れているのですか?」
「はぇ?」

突然かけられた声にオレは顔を上げ隣の女性を見た。
薄紫色の着物を着こんだ長い金髪。おっとりとした目尻に艶やかな唇と滑らかな肌。整った顔立ちは人には出せない蠱惑的な魅力を備えていた。二つの瞳は心配そうにこちらを覗き込んでくる。
時折揺れる頭の上の二つの耳。髪と同じ色をした三角形のそれは可愛らしくぴくぴく動く。同じように背後では九本生えた尻尾が揺れ、そのうち数本がオレの体に纏わりついてくる。
人にはない狐の耳と、見惚れてしまう美女の顔。それから着物でも隠せない大きな膨らみと滲みだした甘えたくなる母性に隠しきれない格上の存在感。

それがこのジパングという国の、ある町の山の神社に住まう稲荷―いづなさんだった。

「あっっと…大丈夫ですか」
「あ、ぁすいません。しかし、いきなりなぜ?」

倒れかけた体を細腕に支えられる。だがするりと水が抜け落ちるように体がよその方へと揺れ動く。再び倒れかけたところを今度はふわふわと柔らかな尻尾に巻きつかれ引っ張られた。

「目の下にすごい隈がありますよ。何か困りごとでもあるのですか?」
「こま、りごと……こまりごと………あ、困りごと、ですか」

いづなさんの言葉を繰り返してようやく意味を理解する。
意識が揺らぐ。視界が霞む。瞼が重く思考が回らない。たった一言すら理解できないほどに集中力は乱れていた。
そして彼女の言うとおり困り事があった。

「ちょっとですけど、まぁ……平気ですよ」
「全然平気に見えませんよ」

だからと言って相談するつもりはなかった。
この程度どうにかすればオレ一人で解決できると思っているし、何より彼女に心配を掛けたくない。多少我慢すればすぐに終わる様な事だし命に係わる程危なくもないのだから。
だが、いづなさんの指先がオレの顎に添えられた。優しく頬をなぞって瞳を覗きこんでくる。そんな些細な仕草がいつもは嬉しいのだが今は眠りへ引きずり込む柔らかな刺激でしかない。

「んぅ」
「あ、ゆうたさんったら」

瞼が落ちかけ下唇を噛み締める。痛い。だがそんなのは一時的なものにしかならなかった。
いつものように縁側で並んで座っている。柔らかな日差しと心地よい声。時折擽ってくる狐の尻尾を抱きしめながらのほほんとしているとどうしても眠くなってくるのだから仕方ない。

「ね、むい、です……」
「もう、それならそうと言ってくださいよ。どうぞ、こちらへ」

奥の部屋へと移動していづなさんは体と共に尻尾を横たえた。
五本を布団に、四本を掛け布団に。そして隣に寄り添ってくれる絶世の美女。これ以上の贅沢はない寝具の完成だ。
初めてではないので遠慮せずにその中へと体を転がす。途端に感じるふわりとした柔らかな感触に体の力が抜けていく。
ぐしぐしと顔を擦りつけて抱きしめる。くすぐったいのかいづなさんが小さく声を漏らした。
ああ、なんと心地良いことか。手触り感触は最高の尻尾に包まれ隣では優しく見守ってくれるいづなさんがいる。柔らかな掌が頭を撫でてオレはされるがままに目を細めた。

「話してくれないのなら仕方ありませんが、それでも困っているならこちらだって助けられるかもしれません。だから、もっと頼っていいんですよ?」
「んー…」
「ふふ、眠くてそれどころではありませんでしたね。それじゃあおやすみなさい。ゆうたさん」
「んん……おやすみなさ、い……」

言い切る前に瞼が閉じる。金色の尻尾に意識が溶け込むように沈んでいき、そして気づかぬうちに眠りへと落ちて行った。










正直困り事はあった。というのも街から離れた山にある自宅の神社のことだ。
同心として勤める詰所への距離が長すぎるとか、山頂に至るまでの石段が長いとかそんなちゃちなものではない。

「……あー…もうまったく」

いづなさんの家から自宅へ戻り今日の分の掃除をしようとした矢先の事。庭先に出しておいたちりとりが飛んでいた。まるで空を舞う蝶の如く。二つももってないのだが翅の様にパタパタと飛んでいた。
片付けようと手を伸ばすがするりと逃げていく。一気に距離を詰めて掴み取ると柄の部分が折れ曲がり殴りかかってくる。寸前のところで手を離して距離を取るとそのままどこかへ消えて行った。
またか、と大きくため息をついた。



ここ最近こんなのばかりだ。

野菜を切ろうとまな板を掴むと風船のように膨れ上がったり、明かり用の蝋燭が突然火を吹いたり。寝転がった布団が波打ちオレを弾き飛ばした際には殺意が湧いた。
何かがオレを化かしている。その正体はもうわかっていた。



『化け狐』


野生か、はたまたそれ自体も化けた姿か。詳しくは知らないが追い出しても次の日には戻って何かに化けている。見せつけるように化ける時もあれば隙をつこうと日用品に潜むこともある。逃げ去る際に見える可愛らしい面がまた腹立たしい。
そんな環境での生活は困難極まりない。睡眠時間は削られ意識がおぼつかなく、このままでは近いうちに死ぬ。割と本当に。



なら帰らなければいい―というわけではない。



同心として働く際オレはこの神社を住宅として宛がわれているがその反面管理も任されていた。頼まれた以上そう軽々と手放せるわけではない。
だが帰ってみれば狐たちの嫌がらせ。気の休まる暇などありはしない。

「…まったく仕方ないか」

そんな狐達をさっさと追い出すには好物をやるのが一番。
オレは買ってきた油揚げを数枚掴んで居間や庭先を闊歩する。獣の鼻はそれだけでも感じ取れるらしく三匹の狐が後ろをついてきた。
足を止めるともの欲しそうにこちらを見上げてくる。揺らせば視線は同じく揺れ、ぱたぱたと尻尾が地面を叩いた。
こうして見れば可愛いものだ。見ているだけならば、だが。

「ほら、よっ!」

放り投げるのは神社の奥の奥の方。様々な木々が鬱蒼と生い茂る木々の中だ。
狐たちは油揚げが手から離れるのと同時に飛び出すと森の中へと駆けこんでいく。しばらく夢中になっているだろうから今のうちに戸締りだ。
だがこれでしのげるのは一時のみ。明日になればまた化けて待っている。狐なのにいたちごっこだ。

「嫉妬されてるんかな」

この街で珍しい、九尾の稲荷であるいづなさん。
人からは敬われる反面恐れられもする彼女だが狐たち相手には人気があるのかもしれない。
そんな女性を独り占めしている人間を快く思うはずもないだろう。故の嫌がらせと考えるのが今のところ筋が通っているし他の理由も見当たらない。

「…後で頼るしかない、か」

生粋の人間であるオレにとって狐相手は分が悪い。
言葉は通じず、意志はわからず、打つ手は油揚げのみときた。
仕事先の先輩を頼るのもありだが彼女はカラス天狗だ。流石に狐との対話までできるとは思えない。
他にも妖怪の知り合いを探すがやはり狐には狐が一番だろう。

「まったく、仕方ないか」

ちょっとした休憩として縁側に寝転がり瞼を閉じる。のんびりしていると狐がまた戻ってくるが少しぐらいはいいだろう。
大きく息を吐き出すと頭上から尻尾の生えた釜が落ちてきた。









「狐たちが悪戯しにくるから満足に眠れない、と。だから最近眠そうだったんですね」
「ええ、そうなんですよ。数日前は油揚げで退散させてたんですが…味を占めたのか最近すぐに戻ってきてまた化けてを繰り返されるんです」

前回から数日たったある日の事、オレはまたいづなさんのいる神社の縁側に座っていた。手にはいつも通り彼女の尻尾を抱きしめながら。

「相当ひどいんですね…また隈ができてますよ」
「あぅっ」

目元をなぞっていく指先がくすぐったい。その感触に身を捩るといづなさんはくすりと笑い髪の毛へ移る。固い癖を直すように何度も撫でる感触がまた、堪らない。
日の下に干した布団よりも柔らかく人肌の様に温かい尻尾に包まれながら体をいづなさんの方へと傾ける。応じるように尻尾が絡み、腰に手が回された。

「ねぇ、ゆうたさん」
「んぅ?」

落ちかけた瞼を擦りながら顔をあげると突然手が握られた。白魚のように細く温かな指先が絡みついてくる。自分のものではない体温に眠気が一瞬吹き飛んだ。

「い、いづなさん?」
「…えっと、ですね」

頬を朱に染めながらにこりと笑ういづなさん。
色っぽい女の顔、というより恥ずかしげに告白する少女の顔だ。頭の上の耳もせわしなく動く姿が愛らしい。

「提案があるのですがどうでしょうか」
「提案?」
「ええ、狐たちに困っているから私に頼るんですよね」
「…?ええ、そうですが…もしかして無理だったり?」
「いえ!そんな!私に任せてください。ですが…その、ね?」

回りくどい言葉と焦りの混じった口調。揺れ動く瞳と噛み締められた唇。
何か大切なことを言おうとしている。悟ったオレは次の言葉を静かに待った。

「ゆうたさんも毎回ここの石段を登ったり自宅へ戻るために街中を通ったりと大変でしょう?それに相手が狐というのならいくらか力になれますし、それに…」

頭の上に生えた耳がぴくぴく動く。見目麗しき美女と愛らしい狐耳。そして嬉しくも恥ずかしげな表情でいづなさんは言葉を紡ぐ。

「私もう―」
「―ああ、やっと見つけたぞ」

突然響いた鳥が羽ばたく音に声がかき消される。二人してそちらを向くと呆れ顔で着地するカラス天狗がいた。
街の同心であるオレにとっての先輩であり、人知の及ばぬ厄介ごとに対して頼れる女性である。

「あれ?先輩?」
「わざわざお前の自宅まで行ったんだが随分と無駄足を踏まされたぞ」
「それは申し訳ないです。ですがどうかしたんで?」
「なに、いつもの事だ。お前の手を借りたい用事ができてな。あぁ、いづな。ちょっとこれを借りるぞ」
「え、あぁ…はい」

突然の事にきょとんとしたまま返事を返すいづなさん。つかつかと歩み寄ってきた先輩は翼でオレの腕を掴むと絡まった尻尾から引っぺがしさっさと歩きだす。

「あっ」

離れた九本の尻尾が力なく崩れ重なる。頭の上の耳がぺたりと垂れた。表情は和やかな笑みを浮かべているが、それでも力の籠った唇が切なく向けられた瞳は寂しげに潤んでいた。
目は口ほどに物を言う、とはよく言ったものである。

「行ってきます」
「あっ」

一端戻って金色の耳を撫でてにっこり笑いかけた。
本当ならもう少し近づきたいが他人の目の前でべたつけるほど肝は据わってない。
だがそれでも立ち直ってくれたらしく耳も尻尾も元気を取り戻したようにぴんと張った。

「はい、行ってらっしゃい、ゆうたさん」

いづなさんは小さく手を振ってくれる。オレもまた手を振りながら先輩の方へと駆けていった。

「…はぁ」

見えなくなったところでふとため息が出る。陰湿なものではなく力の抜ける、ふとしたものだ。
…なんだかいいな、こういうの。
この街でオレは一人暮らし。それも山の上の元龍神の神社だ。帰ったところで冷たい床と人気ないただ広いだけの室内はあまりにも寂しい。元々龍を奉っていたからか風呂も廊下も室内も人が暮らすには広すぎる。
おかえり、と言ってくれる相手がいれば少しは変わるだろうか。

「随分と垢抜けた顔をするようになったな」
「え?そうですか?」
「にやけっぱなしで正直気持ち悪いぞ」
「…それはすいませんでしたね」
「目の下は相変わらず酷いしな。最近眠れていると言っていたはずだぞ?」
「いえ、狐たちが味を占めちゃったようで一段と酷くなりまして…」
「だから食い物ごときで済ますなと言ったんだ」

石段を転ばぬように気を付けながら駆け足で降りていく。隣で話す先輩は滑空しながら降りてくるので気楽なものだ。

「しばらく詰所で寝泊まりでもすればいいだろう」
「そうは言われても管理も任されてる以上易々と空けられませんよ」
「無駄に律儀というか、義理堅いというか、損する性格だなお前は」
「獣如きに人間が根負けしてられないですからね」

原因がわからないのでは手の打ちようもない。あとは狐とオレの根競べ。どちらが音を上げ逃げ去るかだ。
さっさと放って詰所へ移るなりした方が楽なのだろうけどそれができないのでは先輩の言うとおりに損をするだけだろう。

「だが…ふふっ。ゆうたはしばらくそうされるべきだろうな」
「はい?」
「もう少し肩の力を抜け。できないならもうしばらく狐につままれているんだな」
「……はい?」

くすくすと可笑しそうに笑いながら先輩は一足先に空へと飛び立っていく。後に残されたオレは首をかしげるのだった。
15/09/27 22:35更新 / ノワール・B・シュヴァルツ
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■作者メッセージ
ということで今回は以前あったジパング、稲荷編で登場した九尾の稲荷、いづなさん再登場です
九尾の稲荷、ということでその隣を独占している故に狐から嫌がらせを受けている彼ですが
次回は荒れることになりそうです
ちなみに後編エロ、今回は珍しく主人公攻めで行く予定です

ここまで読んでくださってありがとうございます!!
それでは次回もよろしくお願いします!!

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