連載小説
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ダウンタウン
ダウンダウン



ホセとアビゲイルの試合後、記者が新チャンピオンになったホセを取り囲んでいた。

『ワトソン・ポストです!世界ミドル級W.H.and.M.B.C(ワールド・ヒューマンズ・アンド・モンスターズ・ボクシング・カップ) 新チャンプのホセさん、今日の試合の感想は?』

記者の1人がカメラを向け、片手で器用にメモを取っていた。

『なんとか勝てて良かったです。』

別の記者から質問が次々と飛んでくる。

『ニューシャテリア・タイムスです。おめでとうございます。W.H.and.M.B.Cチャンピオンになった感想は?』

『光栄ですね。』

『ジパングから、ヒノモト・マガジンです。新チャンプ、この喜びを伝えたい方はいますか?』

『えーまず、支えてくれたカルロス達、スタッフにありがとう。それから、スラムに居る父と5人の兄弟達、スラムのみんな……ありがとう。そして……天国にいる母に、あなたの息子は強くなりましたと伝えたいです。』

『新チャンプに質問です…………』

ホセがチャンピオンベルトを手に、人々に囲まれてインタビューを受ける中、アビゲイルの姿はどこにもいなかった。特別ルールのマリッジルールもホセが断る以前に対象者が出てこないのでお流れになった。

アビゲイル・マリネリスの控え室

サァァァァァアア…………キュッ……

『だれか……タオルを取ってくれ………』

シャワー室から呼びかけるも、誰も応える者はいない。

『タオルをくれって言ってんだろぉ!!?』

虚しく怒鳴り声の残響が響くだけだった。

濡れた身体で歩き、近くに落ちていたタオルを乱暴に取って身体を拭いて椅子に座り込む。

『よう……誰もいないのか?』

試合前、ここはアビゲイルの取り巻きや記者などでごった返していた。それが今は見る影も無く、静まり返っている。すると、キィ……とドアの音を立てて、薄暗い控え室にアビゲイルのセコンドを務めたアマゾネスのキャサリンが入ってきた。

『アビー……やっと片付けが終わったわ。帰りましょ?』

『他の奴は?』

『……みんな帰ったわ。』

『キャシー、お前は帰んないのか?』

『私はあなたのセコンドだから……』

『見たか?あの試合……』

『えぇ……』

『誰にも負けないと思ってたのに、よりにもよって男に負けちまった……』

『気持ちはわかるわ……また頑張りましょう?だから、ね?』

『お前に私の何がわかるんだよ!!??』

『………………』

『ごめん……今、余裕ねぇんだ私。1人にしてくれ……』

『でも、アビー……』

『1人にしてくれ……』

キャサリンは控え室を後にした。



この試合の勝敗はその後の2人の人生を大きく左右させた。

ホセは、人間初のW.H.and.M.B.Cチャンピオンとして脚光を浴び、一躍時の人に。数々のコマーシャルやTVショーに出演した。

また、ミドル級W.H.and.M.B.Cタイトル防衛戦に勝利。初防衛戦ではヘルハウンドのヘレン・アームストロングを5R 2分32秒で倒し、2度目の防衛戦ではリザードマンのジョディー・マーシャルを6R 1分28秒で倒しその実力を証明。チャンピオンの名を不動のものとした。

ホセの試合は必ずW.H.and.M.B.C特別ルールのマリッジルールが適用されるので、独身魔物娘の挑戦者が殺到した。W.H.and.M.B.Cミドル級はかつてない戦国時代に突入し、結果的にホセの存在そのものがW.H.and.M.B.Cミドル級リーグを活性化させ異例の盛り上がりを見せ、上位ランキング保持者10〜1位までの全てが独身魔物娘で埋め尽くされ、ホセはショートスパンでの防衛戦をこなしていった。連戦連勝を続けている。


一方で、ホセに負けたアビゲイルは栄光から見放されていた。スポンサーはアビゲイルのボクサーとしての価値が彼女から無くなったと判断し、次々と離れていき、彼女を相手にしなくなった。それだけならまだしもプロ復帰戦が決まり、練習を再開した折……

『よぉ、アビゲイル。お前、男に負けたんだって?ククク……』

『元気ないじゃん?キャハハ!』

『…………………』

アビゲイルと同じアマゾネス・スラム地区出身のジムメイト3人が絡んできた。アビゲイルは無視する。

『女が守るべき男に負けるって笑えるよなぁ〜!!だろ?』

『言えてる言えてる!女らしくないね!』

アマゾネスの文化では女尊の文化で男性は守る者であり、男に闘いで負けることはもっとも恥ずべき事の1つである。

『なぁ……てめぇら何が言いてーんだよ?あ?』

すると、その中の1人が

『もう、お前はウチらのボスじゃねーってことだよ。恥かかせやがって。』

『んだとコラァ!?』

『アビー!!……ロードワークの時間よ?行きましょ?』

すかさず、キャサリンがアビゲイルと3人組の間に止めに入る。アビゲイルはため息を1つ吐き、キャサリンに従いロードワークに行こうとしたその時。

『逃げるのか?男の腐った様な奴だなぁ!アマゾネスの恥だよ、キャンキャンうるさいこの負け犬が……ぎゃぁあ!!!』

アビゲイルがキレて3人組の1人に殴りかかった。

『てめぇ!!』 『やりやがったな!!』

『アビー!やめて!!』

『キャシー!さがってろ!!ブチのめしてやる!!!』

アビゲイルはキャサリンの制止を振り切り切り、3人組をのしてしまった。警察沙汰になり、アビゲイルは12ヶ月間のプロボクサーライセンスの停止。ジムのオーナー、アレキサンドリア・ヴラタスキ(アマゾネス)は騒ぎを起こしたアビゲイルを含む4人を謹慎処分にし、アビゲイルは再起戦のチャンスを失った。

ヤケを起こしたアビゲイルは酒やドラッグ・マスターベーション(魔界産のドラッグを使用するオナニー。危険行為)に溺れ、魔界産ドラッグ法に反する量の媚薬の密売、金の洗濯に手を染めた。

ジムをクビになってから数ヶ月後、黒人スラム地区の10歳の少年を猥褻目的での誘拐未遂の折、たまたま居合わせた警官に捕まり、裁判で禁錮3年を言い渡され、シュージャンク魔物娘刑務所に入る事になった。

保釈金の為にボクシングで手に入れた家を売り払い、貯金を殆ど切り崩して6ヶ月で刑務所を出た。

出所する頃にはもう誰もアビゲイルの事を気に止めていなかった。アビゲイルはそれまで築いた栄光、金、プライドの全てを失い、アマゾネス地区のスラム街に戻って来た。


試合から1年後……

摩天楼の片隅。ごった返したバーの店内で白黒テレビが掠れた音を出している。

2人の背広姿のコメンテーターがワイドショーのスポーツチャンネルで喋っている。

“発表します!視聴者による昨年のベスト・バウトは世界W.H.and.M.B.Cミドル級王者決定戦、現在4回防衛中のチャンピオン、ホセ・マリア・ロドリーゴ・サンチェスと元女王、アマゾネスのアビゲイル・マリネリスの試合です!!”

“間違いなく、歴史に残る試合ですね!統一リーグ初の人間のチャンピオン誕生ですから!”

“ええ!現チャンプはその強さもさることながら、チャリティーなどにも積極的に活動しており、紳士的な行動や高いモラルやマナーの意識を持っていることから、『リングの騎士』と呼ばれています。さて、この一戦により、ボクシングにおける戦略、戦術面の重要性が明らかになりました。”

“と、言うと?”

“はい、実戦なら大まかな試合の運び方であったり、効果的な戦術……パンチのコンビネーションやガード、カウンターやそのほかのテクニックが当てはまります。そしてそれらを効果的に活用するために相手のボクシング・スタイルの研究や自己分析、対策など戦略面に表れます。セコンドによる選手のバックアップや選手自身の高度なトレーニング、栄養管理などにも影響されるでしょう。”

“なるほど。”

“今までは、純粋な身体能力や個々の得意技能に頼ったボクシングでしたが、合理的かつ論理的な解釈はされないままでした。この試合が与えた影響は計り知れないでしょう。純粋な身体能力の差を戦術、戦略が打ち破る。実際、身体能力的には魔物娘でありリーチも身長もパワーもスピードも上回っていたアビゲイルの方が有利でした。それは、ホセに挑戦した全ての挑戦者も同じです。しかし、ホセはそこを戦術で打ち破りました。ボクシングが、いや、スポーツが変わった瞬間です。”

“つまり、どういうことですか?”

“つまり、スポーツ = 運動する科学。ということです。いつの日か戦略、戦術を必要とするスポーツにおいて、魔物娘やインキュバスと人間の差が無くなる日が来るということです。”

“それは楽しみですね!……さて、それでは、ワールド・スポーツ・トピックスのコーナーに移ります。西の大陸リーグであるW.C.G.B.C(ウェスト・カントリー・ジェントルマンズ・ボクシング・クラブ)は魔物娘との統一クラブ設立に難色を示しており、人間の男性とインキュバスのみのリーグ保守を……


店内の片隅でアビゲイルがテレビの前で酒に酔っていると。

『あんたはいつまでそこでクダ巻いてる気だい?』

バーのオーナーであるアビゲイルの姉、オリビア・マリネリスが声を掛けてきた。

『うるへぇー』

『ったく、しょうがないわね。……あんたー、あんたー!ちょっと水持ってきてー!』

『おーう!』

すると、店の奥から厳つい片足義足の大男がジョッキに氷と水をついで出てきた。オリビアの伴侶のオットーだ。彼は元教団軍の士官だ。戦争でオリビアに助けられて、捕虜になり、終戦後そのままゴールインした。花柄のエプロン姿が妙に良く似合っている。

『はいよ。ほどほどにな……』

ゴトリ……とジョッキを置くと、オットーはオリビアにキスをしてキッチンへと戻っていった。

『ふん……』

ゴクリと水を飲み干して、ふぅ……とため息を1つついた。

『落ち着いたかい?』

『あぁ……』

『ヤケを起こすのも無理ないと思うけど、これ以上、心配掛けさせないでくれよ。』

『あぁ……悪いな……』

アビゲイルがふと、店内にあるテレビを見る



バン!!!

『頑固な汚れにスマッシュ!!!』

バコン!!!

『コレ1つで頑固な油汚れもノックアウト!』

ババン!!!

クリーニングのチャンピオン!お掃除には我が社の高圧スチームクリーナー!!

『私も使っています!』

私たちは皆さまの

ハルミトン・スチーム・カンパニー!!”


ホセがテレビのコマーシャルに出ていた。

『あんた、ずっと彼を見てる。』

『ふん……私の全部を台無しにした奴だからな……』

『それだけ……?』

『あぁ……』

『……あんたは、それでいいの?ボクシングの事。……あたしにはそうは見えないよ。』

オリビアはキッチンの方へ目を静かに向ける。

『………………』

アビゲイルはオリビアの言葉に押し黙ってしまった。

『まぁ……今日は帰った方がいい。良く考えて、後悔しないようにするんだね。…。何かあったら頼ってくれていい。』

オリビアはアビゲイルのテーブルの上の伝票を握り潰して床に捨てしまった。

『おい、姉さん……』

『いいんだ。家族だろ? 』

『……ありがと、姉さん……またな』

カラン……とドアの鈴を鳴らしてアビゲイルは店を出た。


寒空の下ダウンタウンを歩き、スラム街の冷たいビル風に吹かれながら家入る。

ガランとした部屋にあるベッドにボフリと飛び込み、目を瞑る。


私は……


なんの為にボクシングをやっていたのか?

それは、単純に強さを証明する為で、単純に楽しかった。小さい頃から始めてすぐにのめり込んだ。

スラムの中の喧嘩でも、ほかの地区のチーマーとの抗争でも負け知らずだった。皆んなから一目置かれ、気付いたら周りに取り巻きが出来ていた。

試合で闘えば必ず勝ち、栄光がやってきた。

私はチャンピオンになった。

そんな時に出てきたのがホセだった。

今までに感じた事のない感覚だった。まるであいつの手の上で踊っている様な、得体の知れない気持ち悪い感じ。じっと、ガードの下から冷たい目で私を見ていた。もがいて、もがいて……気づいたら私は天井を見ていた。あいつが青い目で冷ややかに私を見下していた。

そして、私は生まれて初めて負けた。

負けて全てを失った。酒に溺れ、ドラッグや金の洗濯に手を染め、栄光も、金も、プライドも全部台無しになった。

もう、闘うのをやめよう。そう思った。



それなのに……それなのに……



あの青い目が頭から離れない。

目を瞑ってもあいつの顔ばかりが頭に浮かんでくる。

気づけばあいつのことばかり考えてる。

胸が痛い……

私はいったいどうしたいんだ?

また闘いたいのか?

いや、それでは今までと変わらない。また誰かに負ければ惨めな思いをするだけだ……

でも、私にはボクシングしかないんだ。

じゃあ、なんのために……

オリビア姉さんの言葉

………

………

………

………

私は…

………

………

私は…

………

………

………


『そうか……私は……ホセを私のものにしたいんだ………』


それを認めた瞬間、心にかかっていたモヤモヤが晴れた様な気がした。

だから、もう一度闘おう。あいつともう一度闘いたい!!

あいつはそれまでチャンピオンでいてくれるのか?いや……私を打ち負かした男だ。必ずチャンピオンの座にのさばり続ける。

問題は、私の身体がどこまで鈍っていて、カンを早く取り戻せるのか?ってことか……

『ブランク1年か……』

絶対追い付いてみせる!!!


アビゲイルはスラム街の夜明けに、駆け出した。




3ヶ月後


アレキサンドリア・ボクシングジムにて……





『なぁ、お願いだ。またここでトレーニングさせてくれ!!』

アビゲイルはアレキサンドリア・ボクシングジムのオーナーのヴラタスキと話していた。200cmを越える長身に赤毛のショートヘア、戦場帰りを彷彿とさせる眼帯姿はオッパイのついたイケメンと言う表現が良く似合っている。

『……アビゲイル。どういう風の吹きまわしだい?それにお前さん、自分が何でココをクビになったか分かってんだよなぁ?』

『……………』

『なぁ、黙ってたら分かんないだろ?』

『……どうしても、どうしても勝ちたい奴が居るんだ。』

ヴラタスキはアビゲイルの今までにない真剣な眼差しに顔には出さなかったが、驚いた。いつもふざけていたチャランポランなアビゲイルがこんな真剣な表情をしている……

『アビゲイル。お前さんの気持ちはわかるが此処じゃダメだ。周りへのシメシってもんがある。だから帰んな。』

『なぁ!頼むよ!!』

『うちは、おかしな薬でオナニーするジャンキーや頭がパーな飲んだくれはお断りなんだ。キメてんだろお前さん?』

『薬も、酒も、もうやめたよ……悪たれ共とも手を切った。』

『……本当だな?』

ヴラタスキは、はぁ……とため息一つつきアビゲイルを睨みつけると




バコン!!!!


『はがぁ!!』


ガシャーーン!!!!!!




思い切り殴りつけた。アビゲイルの身体が宙に浮き、数メートル先の地面に叩きつけられた。

『……お前さんの仕出かした事はコレで手打ちにしてやる。2度と道を踏み外すんじゃねぇ。……よく戻って来たな、アビゲイル……』

ヴラタスキは後ろを向いてそう言った。殴られた本人は静かに涙を流していた。




その日から、アビゲイルのトレーニングが始まった。

ロードワーク

筋トレ

シャドーボクシング

スパーリング

ロードワーク

ミット打ち

縄跳び

筋トレ

またロードワーク……

激しいトレーニングの末、3ヶ月ほと経った頃には、身体は元の全盛期の体に戻っていた。

『アビー、ちょっと……』

そんなある時、トレーニング中にキャサリンが話しかけてきた。

『キャシー、どうした?』

『チャリティーだけど2週間後に試合が決まった。8回戦……場所はロスト・アンジェロ市の孤児院。相手はW.H.and.M.B.Cミドル級ランカー4位、合衆国連邦海兵隊ブルージャケット所属、オーガのエリザベス・バーネット。軍広報部がチャリティーに関与していて、彼女が出るみたい。オーガは軒並みヘビー級やクルーザー級に出るけど、彼女はオーガとしては小柄だからミドルとスーパーミドル級に出てるわ。だけど……』

『なんだよキャシー。もったいぶるな。』

『………試合はしないけど、チャリティーに出るのよチャンプが。』

ガタン!!

アビゲイルは思わず、持っていたダンベルを落とした。

『本当か!?』

『えぇ……ロスト・アンジェロ市の孤児院の子供達にボクシングを教えに来る。ねぇ、アビー……』

『わかってる。わかってるよ……問題は起こさない。良い子にしてる。』

バン!!

アビゲイルはサンドバッグを思い切り叩いた。

『なぁ……キャシー。ボスは何て言ってるんだ?』

『ランク戦には関係ない試合だけど、復帰するつもりなら試合馴れした方がいいと言ってる。……つまり出ろって。』

『そうか……キャシー……ありがと。ちょい走ってくる。』

『アビー……』

アビゲイルは複雑な想いを抱えてロードワークに出かけた。



そして2週間後……



ロスト・アンジェロ市にてチャリティーの試合。小さな孤児院の中庭に設けられた客席は人でごった返している。皆チャンピオン目当てだ。

粗末な即席ゲストシートには子供達と一緒に微笑むホセの姿があった。

“レディース・アーンド・ジェントルメ〜〜ン!只今よりエキシビションマッチを行います。”

ワァァァァァアアアアアアアアア!!!

“赤コーナー!身長181.3cm……158ポンドジャスト……合衆国海兵隊ブルージャケット所属……W.H.and.M.B.Cミドル級第4位!!種族 オーガ!!エリザベス・バーネット軍曹!!!!!”


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“対する青コーナー!身長180.2cm......157ポンド1/2......アレキサンドリア・ボクシングジム所属……W.H.and.M.B.Cミドル級元チャンピオン!!種族アマゾネス!!アビゲイル・マリネリス!!!!!”

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拍手の中、アビゲイルは客席で子供達と楽しそうに微笑むホセを見た。

“ローブローに気をつけて、手のひらと裏拳は使わない。エルボー、バッティングは減点の対象になる。それから子供達の前だ。フェアプレイを心掛けて。魔王や主神に恥ずかしくない正々堂々クリーンなファイトを期待する。”

リングの上、アビゲイルとオーガのエリザベスはグローブで挨拶を交わして距離をとる。

“ラウンド1!ファイ!!”

カーン!



ノーガードで軽快なフットワークを刻むアビゲイルとは対照的に、エリザベスは左半身になり、右手を鳩尾の前に、左手は顔の前に構え近づいてくる。恐らくは軍式格闘術独自の構えだろう。

『ラァァ!!』

ボッ!!

不意にエリザベスが左のジャブを放った。アビゲイルはスゥエーバックで皮一枚躱す。

『んだよ今のジャブは!音が普通じゃねぇ!!』

観客がどよめく中、アビゲイルは距離を取り、迎撃に備える。エリザベスは明らかに一撃必殺を狙っている。

『シッ!』

パンパン!

『シッ!』

パン!

アビゲイルはエリザベスの周りを時計回りにクルクルと足を使い、チクチクとジャブを刺していく。しかし、彼女の左手に阻まれ思うように攻撃が出来ない。

『くそ、邪魔な左手だ!うわっ!!』

ボッ!

またしても、スゥエーバックで皮一枚避ける。

『逃さない!』

ボッ!

ボッ!

ボボッ!!

『クソッ……避けづらい!シッ!』

切り返す左手。アビゲイルとエリザベスの主導権の奪い合いが始まり、お互い譲らずクリーンヒット無しの拮抗した状態のまま第1ラウンドのゴングが鳴った。

カーン!!

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『お帰り、アビー……』

コーナーに帰ってきたアビゲイルをセコンドのキャシーが出迎える。

『クソ!半身で構えやがって、当て辛いったらねぇ!!やっこさん、厄介な左を持ってやがる!』

ガラガラとうがいをしてバケツに吐き出す。

『考えはあるの?』

『左の差し合いは互角……なら、右を使うさ!』


セコンドアウト!

“ラウンド2!……ファイ!!”

カーン!













7……

8……

9……

10……


カンカンカンカンカンカンカンカンカンカン!!!!!!

“試合終了!見事なKOを決めたのは、青コーナー……アビゲイル・マリネリス!!!”

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アビゲイルは高々と拳を突き上げ、久しぶりの勝利を噛み締めていた。


2ラウンド目から、左の差し合いから徐々に乱打戦に突入。足を止めて右左の打ち合いに一時防戦となるも、試合の感覚を徐々に取り戻したアビゲイルがその第六感と動物的な反射神経によって攻勢に転じ、最後はエリザベスのカウンターに苦しむも、被弾覚悟でカウンターの打ち終わりを叩きにいった。


KO劇は第5ラウンド。アビゲイルの左ストレートをエリザベスがクロスカウンターで返し、その攻撃に対し今度は間髪入れずにアビゲイルが右ショートアッパーをカウンターで叩き込んだ。

カウンターをカウンターで返す荒技をやってのけた。5ラウンド1分42秒、アビゲイルのKO勝利。

結果として、より強いパンチを出した方が勝つという、極めて原始的な幕切れであった。


“素晴らしい試合をした両者に拍手を!”

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『悔しいけど、負けたわ。今度はプロのリングで会いましょう。』


挨拶を交わしてアビゲイルはを後にした。


『アビー、お疲れ様。』


『……………』


『アビー……?』


『なぁ、キャシー……私はチャンピオンに……ホセに勝てると思うか?』


『……たぶん、今は無理ね。』


リングの上ではホセがストロボカメラのフラッシュの中、子供達にボクシングを教えている。

『そう!こうかまえて……よし。さあ、パンチだ。』

パスン…

『こう?』

『よし!うまいぞ!……じゃあ、もっと早く。パパン!って感じで……


ホセが開く小さなボクシング教室を見ながらアビゲイルとキャサリンは話している。

『じゃあ、ホセはチャンピオンの座にのさばり続けると思うか?』

『ええ、ミドル級統一チャンピオンは彼の長期政権になるでしょうね。もう10回もタイトルを防衛してる。ホセは間違い無く歴代最強のチャンピオンだと思う。』

『そうか……ホセは待っててくれるか……』

キャサリンは勝算のない戦いや喧嘩は絶対にしない。故にこの手の彼女の分析は非常にあてになる。それは彼女がセコンドとして、トレーナーとして優秀だという事を表している。もっとも、アビゲイルは彼女のアドバイスを今まで真面目に聞いた事はない。……今までは。

『アビー?』

『あいつに勝ちたい。でも、今のままじゃダメだ。キャシー……優秀なトレーナーが必要だ。力を貸してくれ。お願いだ……!』

キャサリンはアビゲイルと長い付き合いだが、彼女からお願いをされたのはこれが初めてのことだった。驚いたが、同時に喜んだ。彼女はずっとアビゲイルに憧れていたのだから。

『えぇ……ええ!もちろん。』

『ありがとう!!』

『だけど、私の指示を聞いてもらうわよ?……もうボクシングが唯の殴り合いじゃない。みんなその事に気付いたから、今までのやり方じゃホセには勝てない。それに……』

『それに?』

『ホセのセコンドのカルロス……彼、好みなのよね。だから、アビーがホセに挑戦するなら、絶対に勝ってもらわないと私が困るのよ!』











それからキャサリンによるアビゲイルの特訓が始まった。

『アビー……プロ復帰するにあたって、解決しないといけない問題があるの。何かわかる?』

『なんだ??まさかパンチ力が足りないとか?』

解ってはいたが、キャサリンは頭を抱えた。

『はぁ……戦略とディフェンス。単純な身体能力だけならホセよりアビーの方が上。だけど、ホセはボクシングにおいて圧倒的なディフェンス、戦略、戦術能力があるの。』

『つまり?』

『ディフェンスや戦略……つまり作戦を遂行する能力や相手の攻撃を防ぐ能力を鍛えれば、それだけ有利にできるってこと。現に彼が勝利した10回のタイトル防衛戦の内、約半数の4回は判定で勝利している。』

『うーん、なんと無く解った。……で、具体的に何をするんだ?』

アビゲイルはキャサリンの作り笑顔をみて戦慄を覚えた。実は物凄いSなんじゃないかと思った程だ。

『アビゲイル!早く上がってこい!!』

『ボス!?なんでココに?っていうかなんでそんな格好……』

ヴラタスキはタンクトップにホットパンツ、8オンスグローブをつけていた。吹いてくる強者のオーラは半端が無い。

『久しぶりに腕がなるよ。陸軍時代を思い出すなぁ……。』

『なぁ、キャシー……』

『アビー。ディフェンスの練習はひたすらヴラタスキの攻撃を避けて。ガードしても良い。それからアビーからの攻撃はダメ。……頑張ってね?』

『ちょ!?キャシー!ボスは引退して久しいだろ大丈夫か!?』

『大丈夫よ……1932年 ロスト・アンジェロ オリンピア大会ヘビー級ボクシング、ゴールドメダル。その後プロに転向。まだW.H.and.M.B.Cがトーナメントだった1934年にドラゴンのマリー・マルケルとの試合に勝利。初代W.H.and.M.B.Cヘビー級王者に。世界恐慌で大会が開催出来ない期間があるも、1939年の第二次人間大戦勃発まで5年間に2度に渡りトーナメントで優勝。戦時中は合衆国陸軍に志願兵として参戦。クラーヴェから合衆国に亡命した戦場の悪魔と名高いハンナ・エーデルバッハ将軍率いるクラーヴェ解放軍に所属。西の大陸中央戦線で数々の武功をあげ、軍式格闘大会では何度も優勝しているわ。……ボスの旦那さん見たことあるでしょ?彼は勇者でクラーヴェ第三帝国陸軍の魔道武装親衛隊の隊長さんだったのよ?』

『まぁ、もう引退したけどね。心配は要らないよ。むしろ、こっちより自分の心配をしろよお前は。』

『マジか……』

『まぁ、そう言うわけだから頑張ってね♪』

こうして特訓が始まった。

今までは、卓越した身体能力と動物的なカンや闘争本能で闘ってきた。言わばケンカの延長線上でリングに上がっていた。それでもチャンピオンになって5度も防衛出来たのはアビゲイルが天才だからだ。しかし、ここにきてアビゲイルはガードやディフェンスのテクニックの重要性を身を持って知る事になった。

『良い顔になったわね。』

『うるへー……いちち……ボスのやつ、バカスカ殴りやがって……』

『お疲れ様。じゃあ、次はこっち。』

『今度は何すんだよ?』

今度はリングにロープが張られていた。

『ダッキングとフォームの練習。アビーはノーガードスタイルでパンチをほぼスゥエーだけで躱しているわね?』

『ああ。それが?』

『今度はダッキングとウェービングを覚えてもらうわ。構えはオーソドックスで半身に構える。張られているロープを左右交互に潜る。この時絶対フォームを崩さない。初めはゆっくりでいいわ。』

『面倒だな……』

『ホセに勝ちたく無いの?』

『あー……くそっ、わかったよ!』

1.

2.

1.

2...『またフォームが崩れてる!』

1.

2.

『今度は潜った後にワン・ツー!』

1.

2.

『身体を開かない!もっと小さくコンパクトに早く!……もう1回!』

1.

2.

『もう1回!』






『もう1回!』







『もう1回…かーい…かぃ…ぃ(エコー)』

こうして、毎日夜遅くまでアビゲイルの特訓は続いた。

他にも、パンチのフォームを見直す為に鏡の前でゆっくりスローモーションでの練習や相手のパンチを弾き落とすパーリングや頭の位置をずらして避けるヘッドスリップなどを文字通り身体で覚えていった。そのほかの時間はひたすら馬車馬のように走って走って走り倒した(倒れた)』

特訓から、3ヶ月経つ頃にはヴラタスキとのスパーリングで殆どパンチを貰わなくなっていた。

『アビゲイル。お前さんの復帰戦が決まった。ミドル級ランキング8位、ヘルハウンドのヘレン・アームストロングだ。試合は3週間後、ニュー・オレラン市でやる。お前さんなら大丈夫だ。頑張りな!』

とヴラタスキがアビゲイルに告げた2週間後、荷物をまとめてキャサリンと数名のスタッフを連れてアビゲイルは汽車に乗り込んだ。

『いよいよだ……待ってろよ、ホセ・マリア・ロドリーゴ・サンチェス!!』

だんだん遠くなるニューシャテリアの街を尻目にアビゲイルは未来へと出掛けていった。


闘いのゴングがいま正に鳴ろうとしている……


20/06/08 08:47更新 / francois
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■作者メッセージ
お待たせしました。忙しさにかまけて、いつのまにやら真夏になっていました。すみません。

さて、お姉さんやジムのボスのヴラタスキ、幼馴染の親友キャサリンに助けられ、どん底から抜け出したアビゲイル。人生において財産や社会的地位や他の全てを失っても、大切な友人や家族や大切な人がいれば、あなたの人生は豊かであり続ける。……と言う言葉があるように持つべきは友人ではないでしょうか?

アビゲイルの明日はどっちだ?

ではまたU。・x・Uつ

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