読切小説
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Story writer
 劇作家エメリーは行き詰まっていた。次の「舞台」に使用する脚本が上手く書けず、煩悶していたのだ。
 
「はあ……」

 木拵えの椅子に腰かけ、テーブルの上に肘を置いて頬杖をつきながら、大きくため息をつく。目の前に置かれたカップの中の紅茶はすっかり冷めきり、思いついたことを書こうと思い用意した羊皮紙は白紙のままだった。ペンは乾き、インクは微塵も消費されず、蓋すら開かれていない。
 全く何も手につかないまま、エメリーは再びため息をついた。これで何度目のため息だろう。彼女はそんなことを考え、そしてまたため息をついた。
 
「駄目ですわ……何が最良か、さっぱりわかりませんわ……」

 まさか自分が、脚本制作にここまで手こずるとは思わなかった。エメリーはそう思い、己の引き出しの無さに落胆した。しかし、だからと言って、彼女はそこで妥協する気にはなれなかった。今作っている脚本は、今まで以上に手抜きの許されない、最高傑作である必要があった。
 なぜならこの脚本は、自分自身が主演を務める「愛の告白」の筋書きであったからだ。ファントムのエメリーはこの時一人の男性に恋をしていた。そしてこれは、自分の気持ちをその相手に伝え両想いとなるための、己の人生を懸けた一世一代のリブレットなのである。
 
「ですが手は抜けませんわ。あの方にわたくしの真心を伝えるため、生半可な物にはできませんもの」

 職人気質のファントムはそう言って、萎えかけていた心に喝を入れる。しかし気を取り直した直後、それまで頭の中を支配していた迷いと葛藤が再び鎌首をもたげる。失敗は許されない。その自負が、却って彼女の心を翳らせていた。
 実の所、告白から初夜までの具体的な流れに関しては、既にいくつか候補が出来上がっていた。どれも渾身の出来であり、人前に出しても恥ずかしくないクオリティであることは自負していた。しかしそれであの人を悦ばせることが出来るのかと言われると、エメリー自身「まったくその通り」と断言することは出来ずにいた。
 無論ファントムの能力をもってすれば、人間一人を自分の妄想、もとい脚本通りに動かすことなど容易である。その男を自分の世界に引きずり込み、その中で自分に惚れるよう仕向けることも朝飯前だ。だからこそ、その魅了の世界をありきたりでチープな舞台に仕上げてしまうのは、彼女の作家としてのプライドが許さなかったのである。
 
「……ああ、駄目。このまま考え込んでいても埒が明きませんわ」

 しかしエメリーの頭は、結局それに対する最適解を求め出すことが出来なかった。思考が煮詰まり、それ以上思案することが不可能になってしまった。しかしこうなるのは別に一度や二度ではない。これまで脚本を書いていく中で、思考のどん詰まりに陥ることは珍しくなかった。
 故にそうなった場合の解決法も、過去の経験から構築済みであった。そしてメアリーはそうなった直後にいつも行うように、頭を振って無駄な思考を全て振り払い、勢いをつけて椅子から立ち上がった。
 
「こうなったら、どれが一番良いか、直接判断するまでですわ」

 自分が生み出したプロット、言い換えれば妄想の世界を脳内で繰り広げ、そこにトリップしてその世界の味を直接味わい判断する。それが彼女のプランBであった。どれだけ推測や想像を基に世界を作り上げても、最後に物を言うのは実践なのだ。
 
「ではまず、これから調べてみましょうか♪」

 ウキウキ気分で脳内の引き出しから草案の一つを抜き出し、それを頭の中で展開していく。そして体の力を抜いて目を閉じ、自分が作り出した妄想の世界へと飛び込んでいく。
 そこは自分の理想そのものが広がる世界。楽しくないわけが無かった。
 
「すう……」

 意識を心の奥へ沈めたエメリーが力なく項垂れる。その姿は椅子に座ったまま眠りこけているようにも見えた。しかしこれが、芯まで妄想に浸かる際の彼女のスタイルであった――他のファントム全員がこうとは限らない。
 こうして告白用に用意したプロットの世界へ、彼女の精神は飛翔していったのだった。
 
 
 

 そこは薄暗く、細長い通路であった。床も壁も天井も全て石で作られ、壁に掛けられた松明が唯一の光源であった。通路の左右には牢屋が連なり、牢と通路の間に嵌め込まれた鉄格子は固く閉ざされていた。鉄格子の向かい側にある壁には四角く切り取られた明り取り用の窓があり、そこにも格子がはめ込まれていた。
 そんな冷たい石造りの牢屋の一つに、一人の女性が収められていた。石畳の上で力なく倒れていたその女性は足が無く、顔の上半分を仮面で隠していた。身に着けていたのは薄手の寝間着一枚だけであり、いかにも寒そうであった。実際彼女は体を震わせていた。
 他の牢屋には誰も入れられておらず、ここには彼女しか入っていなかった。それが彼女の物寂しさ、心寒さを助長していた。
 
「姫!」

 そんな時、唐突に通路の奥から声が聞こえてきた。その声は狭い通路の中で縦横に跳ね返り、その残響を伴う声は女性の耳にも届いてきた。
 
「姫様! どちらですか!」

 声に続いて、金属の擦れる音と足音が聞こえてくる。牢屋の女性が顔を上げるとその音と声の主が足早にこちらに近づいてきた。
 
「ああ、姫様! ここにおられましたか!」

 そしてその声の主は彼女の牢の前で立ち止まり、彼女の存在を見て取ると同時に笑顔を浮かべた。白銀に輝く立派な甲冑を身に纏い、腰に剣を提げ左手に盾を持った細身の男だった。兜は着けておらず頭部は剥き出しであり、そうして露わになっていたその顔は、囚われの女性がこの世で最も愛する男の顔を象っていた。
 
「ジーク様! 来てくださったのですね!」

 その男の姿を見た女性が、顔を輝かせて声を上げる。まるで闇の中で太陽を見出したように、その顔は希望に満ちていた。
 そんな囚われの女性、もといファントムのエメリーを見た騎士は、その女性が無事であることを確認してまず安堵した。次に彼は剣の反対側に提げていた布袋から鍵束を取り出し、その中から鍵の一つを選び、それを鉄格子の鍵穴に差し込んだ。
 
「姫様、今助けに参りました。さ、はやくここから脱出しましょう!」
「はい! ジーク様の仰せのままに……!」

 開けた鉄格子を潜って牢屋の中に入ってきた男が手を差し伸べ、エメリーがその手を取りながら笑顔で答える。先程からジークと呼ばれていたその男はエメリーの手を硬く握りしめ、彼女を優しく立ち上がらせてからその手を引いて牢屋を飛び出す。エメリーはそうして手を引かれながら、その頼もしい騎士の背中を陶然と見つめていた。
 敵国の隠密部隊に私室を夜襲され、誘拐されてしまった王女エメリー。それを知った一人の騎士が、単身敵国の王城に忍び込んで姫を助け出し、大立ち回りを演じて無事脱出。自国に戻った二人はそのまま結ばれ、仲の良い夫婦として末永く幸せに暮らしたのであった。
 それが劇作家エメリーが、本番に備えて生み出したプロットの一つであった。陳腐ではない。王道こそが最も強く人の心を打つのだ。そしてエメリーが愛した男ジークは、この妄想の中では王城直属のエリート護衛騎士という設定になっていた。本来の彼はエメリーの住む廃屋敷のある町で八百屋を営む、取り立てて特徴のないごく平凡な男であった。
 大した出世である。
 
「ああ、ジーク様。必ず来てくださると信じておりました。私の手紙が、あなたの元に届いたのですね」
「はい。あなたの決死のお手紙、しかと私の元に届きました。ですからこうして、あなたの元に馳せ参じることが出来たのです」
「ありがとうございます。本当に、なんとお礼を申せばよいか……」
「お礼には及びません。さ、はやく逃げましょう。いずれこのこともバレます。お早く!」

 なおジークがここに来たのは、前もって自分がどこに囚われているのかを記した手紙を、ジークや自分がいた城に寄越したからであった。手紙はエメリーが寝間着の一部を引き裂き、そこに自分の血で文字を書いて作った代物である。彼女はそうして作った手紙を、その時偶然窓に止まっていた鳩の足に括りつけ、それを自分の故郷に向かわせたのだ。ちなみにここでのエメリーは動物と話すことが出来、ジークもまたその特殊能力を把握していた。
 ここだけ見ると酷いご都合主義の産物のように見えるが、これは単に彼女の妄想の一部分にスポットライトを当てているからそう見えているだけである。エメリーはこうなるまでの背景や伏線もしっかり設定しており、そしてここでのエメリーとジークは、その設定の全てを最初から理解している体で役割を演じているのだ。
 もしその「下積み」の部分を最初から全て表現しようとすると、軽く三時間はかかる。そしてこれはあくまでもエメリーとジークだけの舞台であるから、その二人にとって既知の設定を一々描写する必要はないのだ。
 エメリーにとって、一番大事なのは今この瞬間であった。
 
「ジーク様、待ってください」

 脚本通り、エメリーがジークを呼び止める。そして脚本通り、ジークがその場で足を止めてエメリーの方に振り返る。
 そのジークの頬に、エメリーが軽く口づけをする。唇をそっと触れ合わせるだけの、至極ソフトなキス。
 
「……!」

 すぐに顔を離したエメリーを、ぎょっとした顔でジークが見つめる。エメリーは口元を隠しつつ、白い頬を赤らめながら控え目な口調でジークに告げる。
 
「つ、続きは……お城に帰ってからに、いたしましょう……?」
「姫様……」

 突然の告白に、ジークが目を白黒させる。エメリーは恥じらいの笑みを見せつつ、僅かに視線を逸らしながら流し目でジークを見つめる。
 その仕草だけで、純情なジークの心臓は大きく跳ね上がった。
 
「さ、早く帰りましょう。きっとお父様たちも待っています」
「そ、そうですね。はやく帰りましょう」

 にこやかに話しかけるエメリーに、ジークがしゃちほこばった態度で応える。そのまま二人は固く手を繋ぎ合いながら、牢獄地帯を抜けて王城から脱出することに成功したのである。
 
 
 
 
「そして命からがら逃げおおせた二人は、その逃避行の中で互いの心を通わせ合う。いつもは鈍感な青年騎士が、意を決して姫君に心中を告白し、姫もまたそれを涙ながらに受け入れる。互いの気持ちを受け入れあった二人は、そのまま夜の森の中でしっとり……」

 目を覚ましたエメリーが立ち上がり、叙情たっぷりにその後の顛末を朗読する。右手を胸に当て、左手を前に伸ばし、堂に入った口調で台詞を吐く。
 
「姫様。一夜限りのご無礼、どうかお許しください……」

 直後、その場で百八十度回転し、反対側を向きつつ声色を高くして言葉を続ける。

「嫌よ、ジーク。一夜限りだなんて言わないで。私を永遠に、あなたのものにしてください。私はもう、あなた無しでは生きていけないのです」

 姫の真似をしたエメリーが、間髪入れずに百八十度回転して役を変える。

「姫様……本当に私如きでいいのでしょうか? 貴族でもなんでもない、ただの平民上がりの騎士が……」
「あなたがいいのよ、ジーク。私にはあなたが必要なのです。地位なんて関係ない。どうかお願いです。私と契りを交わしてください」
「ああ、姫様、そんな……」
「ジーク……」

 立ち位置を変え、声色を変え、一人二役を器用にこなす。そしてエメリーはそこまで言った後、妄想の世界から完全に抜け出し、元の世界に立ち戻りながら大きく声を放った。
 
「――完璧ですわ!」

 その顔は達成感に満ちていた。やり切った笑みを浮かべながら、エミリーはルンルン気分で口を開いた。
 
「これこれ、これですわ! やはり王道とはこうでなければ! 前提が長すぎる気もしますが、それだけ重厚な世界観を持たせた方が、没入感もかえって高まるというもの!」

 口角を吊り上げ、会心の笑みを浮かべてエメリーが叫ぶ。しかし高揚のままにひとしきり叫んだ後、エメリーはすぐさま我に返って冷静な分析を始めた。
 
「しかしいくらなんでも、長すぎな気もしますわね。告白があっさりすぎるのもあれですが、濃密すぎるのも考え物……?」

 腕を組み、深刻な顔つきでエメリーが考察する。しかし彼女は、そこまで考えたところで思考を打ち切った。候補はまだまだ残っている。深く比較検討するのは、それら全てを一旦体験してからにしよう。彼女はそう判断したのだ。
 
「では、さっそく次のシチュエーションに参るとしましょう」

 楽しそうに呟きながら、エメリーが再び目を閉じる。そして前と同じように脳内の引き出しから次の世界を抜き出し、それを頭の中で展開させていったのであった。
 
 
 
 
 とある夕暮れの教室。既に放課後を迎え、生徒の大半がそこからいなくなっていた。教師もおらず、騒ぐ者は一人もいなかった。
 そんな静寂に包まれた教室の中で、一人の女生徒が静かに佇んでいた。窓から差し込む夕陽を背に、仮面をつけたその女生徒は静かにそこに立ち尽くしていた。
 そんな時、不意に教室の扉が開かれる。それに気づいた女生徒が顔を上げると、開かれた扉の向こうに一人の男子生徒が立っていたのが見えた。
 
「先輩、その、来ましたけど……」

 その男子生徒は扉を開けたまま教室には入らず、その場で躊躇いがちに仮面の女生徒に声をかけてきた。彼は上級生の教室に足を踏み入れることに、ある種の恐れを抱いていた。
 女生徒はそんな男子生徒に向かって優しく微笑み、そっと手招きしながら声をかけた。
 
「大丈夫よ。誰も怒ったりしないから。さ、入ってらっしゃい」
「は、はい……」

 先輩の女生徒に促されるまま、男子生徒がおずおずと教室に入っていく。女生徒の方も男子生徒に向かって歩き始め、やがて教室の真ん中で二人は向かい合う形となった。
 
「ちゃんと来てくれたのね、ジーク君。先輩嬉しいわ」
「エメリー先輩……」

 二人揃って互いの目を見つめ合い、どこかはにかみながら言葉を交わす。夕陽で橙に染まる教室の中、二人は無言で視線を交錯させた。
 これが二つ目のシナリオであった。二人は共に生徒会に在籍しており、エメリーがジークの一つ上の先輩という設定である。二人は共に生徒会で活動をする中で惹かれ合い、そしてこの日、エメリーは意を決してジークに告白をする。そういう流れである。
 
「それで先輩、今日はどうしたんですか? 何か急な用事でも出来たんですか?」
「ううん、そうじゃないのよ。今日はね、ジーク君。あなたに用があって呼んだのよ」
「えっ?」

 脚本通り、ジークが僅かに驚く。そして脚本通りにエメリーはジークの肩に手を置き、一度深呼吸してから口を開く。
 
「私ね、あなたのことが好きなの」
「え」

 ジークが驚愕に目を見開く。頬を赤く染めながら、エメリーが言葉を続ける。
 
「いきなりでごめんなさい。でももう私、我慢できないの。あなたが好きで好きで、もう抑えていられないの」
「先輩……それ、本当なんですか?」
「本当よ。この気持ちは嘘じゃないわ。私はあなたが好き。どうしようもないくらい、あなたが好きなの」

 凛とした表情で、エメリーがジークを見つめる。ジークは生唾を飲み込み、その先輩の大人びた顔をじっと見つめ返す。
 
「今すぐ返事を寄越してほしいって訳じゃないわ。自分の気持ちの整理がついたら、その時にあなたの答えを聞かせてほしい。私はいつまでも待ってるから」
「先輩……」

 エメリーが優しく告げる。ジークは一瞬彼女から目線を外し、そしてすぐに彼女を見つめ直して口を開く。
 
「ぼ、僕も、その、あなたが」
「?」
「あなたのことが……好きです」

 今度はエメリーの方が驚く番だった。心臓が大きく跳ねあがり、白い顔が一気に真っ赤に染まる。
 そんなエメリーを見つめながら、ジークが決意に満ちた顔で想いの丈をぶつける。
 
「ぼくもあなたと一緒に生徒会で活動してるうちに、先輩が好きになっていったんです。いつの間にか先輩のことが頭から離れなくなって、自分でもどうしていいかわからなくて……」
「ジーク君……」
「でもある時、気づいたんです。これって、恋……って、言うんですよね。それに先輩も、僕のことが好きだった……」

 そう呟くジークの目には涙が溜められていた。それでもなお真っ直ぐに、ジークはエメリーを見つめながら言った。
 
「ここまで来たら、僕はもう迷いません。何度でも言います。僕は先輩が好きです。もう離れたくありません」
「ジーク君!」

 感極まったエメリーがジークを抱き締める。己の感情を言葉で表現できず、ただ行動で示す。そしてジークも驚きこそしたものの、彼もまた自分の両手をエメリーの背中に回し、彼女の体をそっと抱き返した。
 
「ふふっ、まさか両想いだったなんて思わなかったわ」
「僕もです。これって奇跡ですよね」
「こんな奇跡を用意してくれるなんて、神様も結構粋なことをしてくれるのね」

 互いの体温を感じつつ、惚気話に花を咲かせる。そしてひとしきり話した後、エメリーとジークは無言で顔を見合わせる。
 
「先輩……」
「ジーク君……」

 橙の光に照らされながら、二人がそっと顔を近づける。唇が重なり、影が一つに溶け合っていく――。
 
 
 
 
「きゃーっ! きゃーっ!」

 そこまで夢想した後、我に戻ったエメリーが叫びながら飛び跳ねる。貴族階級の彼女も、根はゴーストと同じであった。
 それからエメリーは火照った頬を両手で包みつつ、興奮した調子で口を開いた。
 
「青春ッ! 甘酸っぱい青春ですわッ! これも有りですわぁ!」

 自分の妄想の甘さに悶絶する。エメリーはその後頬を手で挟んだまま首をぶんぶんと左右に振り、続けて感想を吐き出し続ける。
 
「これもまた一つの王道、たまりませんわ! 奇をてらったものも確かに面白味がありますけれど、やはりこのような直球展開こそ万人が望むもの! 妄想がいくらでも膨らんできますわ!」

 エメリーの精神は高揚の極みにあった。妄想を糧に彼女の脳味噌は完全復活し、想像力がエンジン全開で回り始める。
 
「でもどうせですから、もっと糖度マシマシな方がよろしいかしら? せっかくですもの、イチャイチャしたものを作ってもバチは当たりませんわよね? そうですわ、むしろもっともっと愛を交わし合うものにするべきですわ!」

 一人で疑問を生み出し、一人で解決する。そしてその結論に至った彼女は、己の欲望のままに想像の翼を広げていく。
 
「もっとイチャイチャ、ということは、もっとベタベタするべきですわね。呼び方とかも変えませんと……ダーリン?」

 瞬間、頭の中で何かが弾ける。
 
「ダーリン! ハニー!」
 
 天啓!
 閃光が迸り、新たな脚本が頭の中で生み出されていく。そしてエメリーは本能のまま、己の妄想を口から吐き出して形にしていく。

「ダーリン、だーいすきっ♪」
「ああ、僕もだよハニー。ハニー無しじゃ僕の残りの人生なんて、セミの抜け殻のようなものだよ」
「ああん! もうダーリンってば、素敵っ♪ 素敵すぎて食べちゃいたい!」
「おいおい、勘弁してくれよ。君を食べるのは、僕の仕事なんだからさ」
「うそ! 私ダーリンに食べられちゃうの!? でもダーリンにだったら、食べられてもいいかな……なんて……」

 そこで一人二役を中断する。三度我に返ったエメリーの顔は喜悦に満ちていた。
 
「――素晴らしい! 素晴らしすぎて鼻血が出そうですわ!」

 ハイボルテージ。エメリーの妄想力は天元突破していた。次から次へとアイデアが溢れ出していく。自分はゴーストなので血は出ないが。
 
「あっ、面白い! アイデアは出るけど血は出ない! ははははっ! これもどこかでネタとして入れましょう! 素晴らしいネタですわ!」
 
 もう誰も彼女を止められない。
 
「ノってきた、ノってきましたわ! 次々アイデアが生まれていく! 自分の才能が恐ろしいですわ! このままじゃんじゃんシナリオを作って、その中から一番良いものを選ぶとしましょう!」
「あの、すいません」

 部屋の奥から声が聞こえてきたのは、その時だった。正気に戻ったエメリーが咄嗟に顔をそちらに向けると、そこに一人の男が立っていた。その青年は野菜の入った木箱を両手で抱え、こちらに怪訝な眼差しを向けていた。
 
「八百屋のジークですが、いつものように野菜をお持ちしました……」
「あ……」
「こ、これ、置いておきますね……」

 ジークが躊躇いがちに木箱をテーブルに置く。その動きは無駄に素早く、明らかにこちらに遠慮しているようであった。
 刹那、エメリーはなぜ彼がここにいるのかを思い出した。幽霊が無暗に外に出ても人を怖がらせるだけだからと理由をつけて、ジークに頼んで定期的に野菜を運んできてもらうようにしていたのだ。ちなみにゴースト属の彼女が野菜を要求していたのは、ジークに振舞う料理の修行に使うためである。またそれをジークに頼んでいたのも、彼と二人きりになれる時間を作るためであった。
 もちろんジークはそんなこと知らなかった。鈍感で職務に真面目な彼は、エメリーの本心には気づかないままそれを従順にこなしてきていたのであった。
 
「……」

 そんなジークが、あからさまに唖然呆然とした顔を見せている。聡いエメリーはそれだけで、彼がここで何を体験したのかを理解した。
 
「まさかあなた、わたくしの妄想をお聞きになって……?」
「……はい」

 青年が小声で頷く。再度エメリーが確認を取る。
 
「最初から、ですの?」
「は、はい……」
「最初から、今まで? 全部?」
「はい……」

 ジークは正直だった。生真面目な想い人に奇襲じみた方法で――ただ迂闊なだけである――心の一端を覗かれたエメリーは、全身から血の気が一気に引いて行くのを感じた。幽霊なんだから血の気なんて最初からないだろ、などという気の利いたジョークを飛ばす余裕も無かった。
 エメリーの体と脳味噌は一瞬で石と化した。思考回路が完全停止し、その場に立ち尽くしたままじっとジークを見つめる。
 
「あ、あの、エメリーさん?」

 そんなファントムを心配するかのように、ジークが声をかける。青年は額から冷や汗を流しつつ、一歩ずつ彼女の元へ近づいていく。
 じりじりと互いの距離が縮まっていく。心臓だけがバクバクと鼓動を速めていく。
 
「エメリーさん、僕は別にあれくらいであなたのこと――」
「げふうッ!」

 そして彼が次に声をかけた瞬間、ファントムは白い魔力の塊を血反吐のように吐き出しながらダウンした。
 
 
 
 
 なお二人は結婚し、末永く幸せに暮らした模様。
16/11/06 23:14更新 / 黒尻尾

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