連載小説
[TOP][目次]
九話 12月13日
この時期は朝のころから空気が冷たい。
近頃は雨戸を閉めなくては寒波に襲われ夜中にでも目が覚めてしまう。
肌に突き刺すこの寒さが、ひりひりとした痛みが、私を現実へと目覚めさせて
くれる。

「ふう…」

ため息をつきながら私はいつものように起きる。起きて洗面台へ向かう。
子供がお手伝いで井戸から汲んできた水を救い顔を洗う。
そして寝巻の袖からはみ出る入れ墨の模様に私はまたため息をついた。
先月。なぜ私はあの男のために感傷的になってしまったのだろうと
今になって後悔している。
原因は二つあった。
一つはこの入れ墨だ。
先月リリム達とともにエミールを救うために私はやむをえず他の魔物たちと
淫行をしてしまった。
あの時は謎の正義感があった。
いやいやながらも実は楽しんでいた節があった。
しかしその後家に帰り嫁の顔と娘の顔、そしてテーブルに乗った暖かい食事に
迎えられると私はとても後悔した。
結果としてエミールはあの場にいた魔物たちの機転の利いた作業により一気に
ホムンクルスの治癒材料を集めることができた。
だが契約の所為で私の体はいたるところに契約の入れ墨が走ることになった。
迂闊に晒そうものなら教団に一家もろとも弾圧されかねない。
もうこれからは長袖以外の服は着れないだろう。
一応契約が履行されればそれで入れ墨も消えるというのを去り際にリリムに
聞いたがどうやら契約した魔物たちは全員エミール側についてしまったらしく
連絡が取れない。
そしてもう一つは治したエミールが森からアークインプ、召還した魔物たちと
ともに姿を消したということだ。
それだけならまだいい。
私は机の上にある手紙を手に取り内容を読み返す。
復活したと思われるエミールからの手紙だった。
それは近いうちに私の家に来るという内容だった。
私は正直目を丸くした。
騒ぎの張本人がまさか向こうからやってくるとは思わなかった。
相変わらずこの町には教団の警備が厳しい。
エミールが魔物たちを連れて姿を消してからはそれに合わせるように教団の
警備員達の姿も消えつつあったが、それでも十分に目は光らせていた。
そんな中でアークインプがここへ来るとしたなら…。
私はせいぜい姿を消す呪文くらい使ってくれるだろうと祈るしかなかった。
そういえば彼を少年エミールとしてではなくかつての魔術師エミールとして
この家に招き入れたことはない。
それに私にしてみれば自宅は居城のようなもの。
トラブルの種でしかない彼を入れたいとは思わない。
だが彼はここへやってくる。理由は一つだ。
ガランガランと店のドアの開く速度に比例しけたたましい音を立てる。
憂鬱な気持ちを持ちながらも私は下へ降りて行く。

「せーのっ…パンをかいにー!」

「久しぶりじゃないか。」

「そうだな。まずはそこに座っててくれ。飲み物をだそう。」

「…こらー!『きました―!』でしょー!れんしゅうしたでしょー!」

来客はアークインプとエミールだ。
少年エミールのころだったらそれでも良かったんだろうが正体が判明したせい
かエミールは恥ずかしそうに黙っていた。
私の前で強がってはいるもののやはり見えないところではアークインプには
逆らえないようだ。
改めてみると滑稽だ。
私を翻弄し続けたわがままな客が今じゃ少女一人に手も足も出ないなんて。

「やらないのか?来ました―って。」

「そんな悠長なこと言ってられない。」

「むうー!戻ったらお仕置きだからね…おじいちゃん?」

せっかくリリムの手によって治してもらったホムンクルスにあまり負担をかけ
ないであげて。
私は胸中で彼女を制止する。
あれからホムンクルスとしての素材の体を新調したエミールはすっかり
元気な姿を見せている。
うっとうしさは変わっていないが、体を張ったかいがあったというものだ。
だがタイムリミットだけはほぼ限界ぎりぎりまで来ているのかその言動には
焦りが見えていた。
丁度煮立てたミルクをコップに注ぐとアークインプにはココアを、エミールに
はミルクをいれたコーヒーを持っていく。
アークインプが冷ましながら唇を潤す横でエミールはコーヒーに口をつけず
話し始めた。

「さて、単刀直入に言おう。僕は明日教団の魔道書の保管庫に進入するよ。」

「…おまえは来なくていいんじゃないか?嫁さんの方が強いし。」

「おじいちゃん役に立たないけどすぐに直さないといけないから持って帰って
 る時間がないんだよね。到着したらその場で治しちゃうの。」

「原理不明ではあるものの教団の内部にある時間の秘術書はありとあらゆる
 時間の乱れを正すことができるらしい。おそらく僕の体も元の老人の姿
 に戻ることができるだろう。」

「眉唾だな。聞いたこともない。」

「大量に魔法陣のビラを配っていたのは町中のいたるところにこの子を行かせる
 必要があったからな。それにこの間の祭りで分かったが何人魔物を潜り込ませても
 変装すれば一般人に魔物と人間の区別はつかないことがわかった。」

「いやいやいや角とか翼とかどうするんだ。」

「ぼうしちょーかわいい!フードもちょうかわいい!」

「原始的だなぁ。」

「相手が教団の場合魔法を解除してくる場合がある。それに明日は寒い。防寒着だと
 言い張れば折り合いも付く。翼は我慢してしまってもらうさ。」

エミールはガサガサと一枚の紙を取り出す。
かつてアークインプが配っていた召還陣の紙だ。

「これを通じて僕は彼女と保管庫に飛ぶ。君にはこれを教団へ持って行って
 もらいたい。」

「断る…と言いたいところだがもうそうも言っていられないか。」

「気がつかなかったのか?時間がたてば追い詰められるのは君だということを。」

「おじいちゃん?この人命の恩人なんだけど。」

アークインプがエミールを叱る。
静かに怒ることを覚えた女は怖いのは諸兄らの中にもご存じの方がいることだろう。
苦笑いを浮かべながら私はアークインプをなだめた。

「それ中身が割れたら殺されかねないと思わないか?転送呪文をつかったバックドア
 なんて社会問題もいいところだろうに。」

「じゃあ紙飛行機にしてなげたらいいんじゃない!」

「お嬢ちゃん…それじゃ見つかったら捨てられちゃうよ?」

「当日は魔物たちとともにあらかじめまき散らしておいた召還陣を通じて転送
 する。そのまま教団員を町の外まで誘導してその隙に手薄になった保管庫へ
 入るつもりだ。」

「でもそれだとあからさまに誘導しているってばれないか?」

「それで問題ないよ。保管庫には厳重な魔力結界が敷かれている。人がいると
 かえって邪魔になるような代物だ。」

「おいおいその結界はどうやって解くんだ?」

「わたしがやるよ。」

「そうか…って簡単に言うね!勝算はあるのかい?」

「調べたところどうやら時間の秘術書そのものが他人を寄せ付けない時間の
 結界を利用しているらしい。全く大変だったよ魔物たち全員に透明化の呪文
 を利用して教団内を調べさせたのは。」

「道理で最近見ないと思ったらそんなことしていたのか…って待てよ?契約は
 どうしたんだ?使役するなら契約を通さないと…」

多重契約ができるのかどうかは私の知らないところではあるが、あの森で召還
された魔物たちと契約をした痕跡が今もこの体に残っている。
少なくとも契約は何らかの形で取っていないと強制力は働かない。
だが当然だが彼女たちにも意思はあるし、目的が同じならその限りではない。
アークインプとエミールのように中睦まじいのならその必要などまったくない。
(理想的ともいえる。)
ともすればエミール個人の願望のために、それも危険を冒すような内容に好き好んで
賛同する魔物がいるとは思えない。
少なくとも契約者である私が命令を出さない限りはエミールに強制力はない。
そして私はいつも通り、この爺さんがロクでもない奴だと再び思い知らされた。

「これだよー♪」

アークインプが持ってきていたカバンからバサッと書類の山を取り出した。
しかし表紙の一枚が魔法陣の体を取っているのを見ると私は頭が痛くなった。
どう見ても魔物たちとの契約書。
それはただの魔法陣ではなく契約の魔法陣だった。

「おい…おいちょっとまて!なんだこの量は!」

尋常ではない契約書の量だった。
魔物の召還は基本的に呼び出す側が魔力を消費するものだ。
どう見ても3ケタを超えるこの契約書は明らかに周辺の魔力を枯渇させるもの
だった。
そして書いてある内容に私は我が目を疑った。

目覚めしもの、かの地に呼び出されし者の名を告げん

目覚めしもの『エミールグロリアズ』呼び出されし者『(判読不能な字だ。筆
跡がエミールの物でないのでおそらくアークインプが書いたものと思われる。)』

目覚めし者その契約を全うすべし。
呼び出されし者その契約を全うすべし。

その契り、「(私の町だ)」の元に締結する。


「エミール何を考えている!俺たちの町を売ったのか!」

「なに問題ないよ。これから魔物たちと一緒に暮らせるようになるだけさ。」

魔物の召喚には触媒が必要である。
しかしそれは何も私物である必要はない。
対価が妥当だと判断されれば、対価の所有者は策定されない。
この内容は人間たちの住む土地を魔界に住む魔物たちに譲り渡すことで
ひいては、自分たちの住む町が魔界と変わらなくなってしまうという
ことになる。
私が契約した召喚事故の被害者である魔物たちと多重契約するということ。
考えてみれば私は別に魔物に指示を出しているわけではない。
ともすればこの停滞状況こそが私が最も不安にすべきことだった、と今になって
後悔している。
考えてみれば召喚事故とはもともと他者との契約を完了しているにもかかわらず
そこから新たに契約を仕掛けることでもある。
自分があの場で即座に契約できたのもそういった契約の緩さがあったからだった
ということに今になって気づかされた。

「アークインプちゃん的にもちょーおっけー☆」

「成功しようがしまいがこの町に魔物たちがあふれかえることになる!
 お前はこの町を魔界にするつもりか!」

「ならば世界は終わりだな。忘れたか?僕が助からなければ何もかも終わるということを。」

「よくもぬけぬけと!」

「もう引き返せない!あの日私がアークインプにであったあの時から!」

「責任転嫁かいい御身分だな!もし教団たちと魔物たちが本格的にやり合っ
 てみろ…その時俺たちは必ず魔物側か教団側につかないといけなくなる。
 物理的な争いになれば最悪ここを捨てることになる。
 世界が終わらなかったとしても俺たち街の住人は終わりだ!」

「そんなことは…僕が一番わかっている…!もう時間がないんだ…!」

ホムンクルスでなければ泣いていただろう。
私が怒りで我を忘れそうになる頃、エミールの顔がぐしゃぐしゃになっていた
のに気がついた。

「これを見てくれ…」

カバンから取り出したビン。
それはジャムを詰めれるくらいのビンで透き通り、質のいいものだった。
しかしその中に入っているものを見る。
柔らかいシルクの布に覆われ中が遮断されている。
まるで透明であることを否定するように。
私は中を見るとこの布が光を遮断するために存在することを確信した。

「まさか…この赤ん坊…いや…胎児は…!?」

「今はなんとか生きている。奇跡的にだ。決行は明日しかない。」

「俺に何を言おうと俺は何もできない。」

「作戦は伝えたとおり…教団の時間の秘術書を使って永遠に僕の本体の時間を
 止める。そうすれば時間の逆行の副作用と僕の死も同時に止まる。それを実
 行するには少なくとも僕が死ぬ前じゃないといけない。」

もう覚悟を決めるしかなかった。
自分が何をするわけでもない。
自分が参加したところで何かがうまくいくとは思えない。
ただ自分は…今日という日が終わるのが怖かった。
明日が同じようにやってくるわけがなかった。
私はそこからは始終無言だった。
エミールが何から何まで話していた。
それはあまり記憶に残らないことだった。
自分のために自分の都合で自分の想い人のために大勢を巻き込む。
だがそれは決して正義のためでも大義のためでもない。
自己満足。それだけだった。

話し終えたエミールは意を決した顔で店を出た。

「ごめんねおじちゃん。おじいちゃんがまた文句言って。」

「なあ…他に道はなかったのか?」

「おじちゃん…ごめんなさい。わたしがちゃんと時間をとめられたらよかった
 のにね…」

私は黙ってしまった。
誰がこの子を責められるのだろうか。
彼女はただ…ただ愛する人を救っただけなのに。

「…一つだけ教えてあげる。私はね、おじいちゃんと初めて出会ったのが実は
 あの炎の中で召還された時だったんだ。」

「…つまり君は…エミールとはまったくの…!」

「うん。赤の他人。おじいちゃんは召還の術式を間違えちゃってたんだ。」

「そ…そんな馬鹿な。じゃあ君は…」

不憫すぎる。そう思った。
あの男は何も成功していなかった。
ただ他人を巻き込んだだけじゃないか。
アークインプは表情を変えず、話を続ける。

「おじいちゃんが炎で苦しんでたから助けないと!って思って。急いで時間を
 巻き戻したのはいいんだけど…思ったより炎のダメージが酷くてショック死
 寸前だったの。」

「元が老人だから…な…。」

「だから…わたしはおじいちゃんには悪いけど…魅了の呪文を使ったの。時間
 逆行と魅了呪文の相乗効果でリビドーにあふれたおじいちゃんは生への渇望
 を見出して…それでかろうじて生き返ったの。」

魅了呪文。それは人間にとって禁断の呪文だった。
ただ単に繁殖を促すだけの性行為促進の呪文としてならいい。
だが社会的生活を営む人間にしてみれば性とは切っても切れないものであり、
同時に犯罪を生みかねない。
愛はいいことだけじゃない。偏愛、愛憎様々だ。
そして魅了とは感情を操るものだ。
感情を支配出来れば人は支配できる。
憎しみを煽り、喜びを分かち、怒りを増幅させ、平穏は伝搬する。
エミールはおろか…誰の人生でも簡単に狂わせることができる。
俯瞰で見れば恐怖の呪文でもあった。

――つまりエミールは。

あの時まったく関係のないアークインプを召喚したときから
彼女の魅了呪文によって魅了されていただけで
恋愛成就などとはほど遠い魔法によるただの幻想をただ5年以上も
味わっていただけ

そういうことになる。

「最初はそれだけのはずだったんだけど…でもわたし!おじいちゃんのこと好
 きになっちゃったんだ!そそっかしくてあぶなっかしくて…でも優しいとこ
 ろもちゃんとあって…。」

アークインプの声が大きくなっていく。
今までずっと誰にも言えないで溜めこんできた心の奥底を打ち明けるように。
私はそれを聞いているしかできなかった。

「だからおじいちゃんには悪いなって思いながらもこうやって好きなことして
 きたんだ…。魅了の呪文はもう解けてるけど…でも…ほんとうに好きになっ
 ちゃったから…!」

「誰が何と言おうと君は君だ。そしてエミールが愛しているのは君だ。あの
 爺さんは始めから耄碌していたから余り気にしなくていい。」

「おじさん…。」

「さあ…もう行きなさい。私は決してエミールを許しはしないだろう。だが
 必ずエミールを救ってくれ。最後の一回だけあの爺さんのことを見逃して
 やる。嫁の君に免じてだ。」

こうして私の前からアークインプは居なくなった。
ドアの開ける音が今だけは重苦しく聞こえ、締まる音がすると私は一人になる。
椅子に座ったままの私に睡魔が襲ってきたので机に突っ伏した。
絶望が胸を襲う。
明日はどうなのだろうか。
私は生きていられるだろうか。
家族は、友人は、町は。そして…アークインプとエミールは。

「あら?そんなところで寝てるなんて珍しいわね。」

「…マルア…お帰り。」

私の妻が帰ってきた。
エミールのことで頭が回らなかった。

「ごめんなさいね!お夕飯まだだっけ?今作るから…!」

「マルア。今日は精のつくものが食べたい。」

「…あ、あら!?ど、どうしちゃったの!?積極的なのって久しぶりね!?」


この話はもう少しだけ…あともう少しだけ…続く

17/07/30 20:30更新 / にもの
戻る 次へ

TOP | 感想 | RSS | メール登録

まろやか投稿小説ぐれーと Ver2.33