連載小説
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前編
とある地方に存在する反魔物主義国家、アメジスト国。
その特徴と言えば華やかな城下町と一際目立つ大きなお城だった。
城下町は道路の整備やごみの処理方法を徹底するなどによっていつも清潔に保たれていて、住みやすさは随一だ。
そしてお城は西洋とかでよく見られる真っ白な外壁で城門に見張り塔といった設備は勿論、中に入れば大臣らの居住や騎士隊の宿舎といった施設もあった。
これだけ立派な城と城下町があるのだから、そこに住む王はさぞ立派に国を治めているだろうと思われるが現状は違った。
城下町から北の外れ、そこにはスラムがあった。
スラムとは誰しもが想像できる通り、そこはゴミのたまり場で無法者達の寝床。
その為いつも鼻がひん曲がる様な異臭がするし、薄汚い目つきの無法者らが大勢いる。
大幅な改革にはじき出された事が原因か。
はたまた商業の流通を盛んにさせる為に通行書を一時的に無しとしてしまった事が原因か。兎に角このアメジストにスラムが出来てしまった事実に変わりはない。
勿論治安は最悪で、衛兵隊とスラムの住人達が揉めるのは日常茶飯事。
こんな危険な環境で生きていくためには二つ。
一人の場合は誰にも負けない圧倒的な力を持つ事。
またはグループを作って、外敵から守るかのどちらかだ。
それが暗黙の掟となっていた。



「っはあ・・・! っはあ・・・!!」



息を切らしながら走る男が一人。
歳は20歳前後。
その身なりはみすぼらしく、破れかけのシャツに穴が開いていた青いバンダナを頭に巻いていた。
そしてその両手にはボロ袋を握り、大事そうに抱えていた。


「おいあの男は何処に行った!!」


「ボヤに気取られ過ぎだか!!」


「クソッ!! ここは臭くてたまらんぞ!!」




男達の怒号が辺りに響く。
それを聞いた男はにんまりと笑みを浮かべていた。
男はがれきだらけの道を走り抜け、とある廃屋へと入っていく。
そこで待っていたのは彼の仲間達であった。
その数は二人で年齢は男と同じ20歳前後だった。


「よぉ。守備はどうだイシス?」


仲間の一人がそう尋ね、少し間を置いてから彼―――イシスはその口を開いた。


「バッチリだ。衛兵の奴らボヤ騒ぎに慌てて出動した隙をついて、ほら」

イシスが自身が手に入れた収穫物を見せびらかした。
ボロ袋の中には金貨が数枚、この額ならお菓子程度なら買える事だろう。
「流石コソ泥に関してはプロのイシスだな。素早さじゃお前に敵う奴はいねえな」
「おいおい、イシスの活躍の裏には俺の支えあってこそだろ。ボヤ騒ぎを起こしたのは俺なんだぜ。科学のプロ、フレイズの手柄も忘れないでくれ」
そう言いながら、自身の頭の髪を軽く撫でたのはフレイズ。
ひょろりとした体格で筋肉は余りついていない、如何にも文学系の男だった。
「何が科学のプロだ? ボヤを時間差で起きる細工をしただけだろ? あんなの教われば誰にも出来るぞ」
「だが調整をするのは誰にでも出来る事じゃない。量の調整と延焼時間、きっちり計算しとかなきゃただの爆発になってしまうからな。だからこうやってボヤ程度にとどめたんだから素直に感謝しろよ」
まあ確かにな、とイシスが呟いた。
「感謝はするぜ、ありがとさん。知恵袋はお前担当だからな」
「なに、当然の事だ。そんで、お前はあのボヤに紛れて何を手に入れたんだ。フラック?」
そう言いフレイズがフラックに向けて顔を向けた。
フラックはくせ毛があるセミロングの銀髪と狼の様な鋭い目つきを持っていた。
だが口元はにっこりと笑みを浮かべられそうな柔らかさだった。

「見て驚くなよ、これだぜ!」

フラックが自慢気に見せてきたのは、銀色の剣であった。
柄と鞘の装飾は質素であるが、鞘から抜けばキラリと刀身が光る。
しかも刀身は鏡の様にピカピカでイシスやフレイズの顔を映し出していた。
「これって本物の銀剣か? おほ〜〜!! これは中々の値打ちもんだぜ。何処で売るんだ?」
「いやこれは俺が使うぜ。切れ味は鋭いし、いざって時にこれ抜いて戦えるからな」
「なるほど。自衛の為か、それは良いな。ゴロツキの奴らを蹴散らすには打って付けだ」
そういうことだ、とフラックは付け加えた。
スラムにはルールというものは存在しない。
自分達の身は自分達で守る、それが当たり前の事なのだ。

「お〜い皆〜!! ご飯の準備、出来たよ〜!」

ニコニコと笑みを浮かべながらヘスティは駆け寄ってきた。
くりっとした両目に茶色の髪がトレードマークで、その体つきは13、4歳だった為か平坦で慎ましい。
ボロボロのシャツに短パンという服装、更に『僕』という一人称を使うのだから他人から見れば男だと思われる事だろう。
だがヘスティはれっきとした『女』である。
僕などと使うのは彼女本人の癖であるが、このスラムでは女である事を隠しておいた方が都合良いのだ。
「おう今日の飯はなんだ?」
「カボチャと玉ねぎのシチュー。牛乳と調味料類は前に皆が手に入れた金貨で、それでカボチャと玉ねぎは、その・・・」
窮にヘスティが口を濁らせた。
というのもそのカボチャと玉ねぎはフラックが店に並んでいた品をコッソリ盗んできたものなのだ。
となればそれは泥棒、ヘスティが罪悪感を持つのも当然だった。
それを察したフラックはすかさず口を開いた。
「ああ、お前が悪気を感じるな。手を汚すのは俺がやっから。どうせ俺は薄汚い小物だからな」
明日の食べる飯を得られるのであれば罪悪感など関係ない。
ならば死ぬだけだ。
フラックはそう考えていた。
「う、うん・・・」
「ほら、食事の時間だ。とっとと食べないと冷めるぞ。・・ってもう食べてるのかイシス」
見ればイシスは既にスプーンを持ってシチューを食べ始めていた。 
「おうおう相変わらずうめえじゃねえか。ホクホクしててたまんねえぞ」
「うん。今日も美味しく出来てるな」
イシスとそしてスプーンで味見をしたフレイズは感想を述べた。
「ありがとう。こうして皆のおかげで今日も生きていけるよ・・・」
でも、とヘスティは口足した。

「・・・ごめんね。僕も皆の役に立ちたいんだけど、あいにくこの足が・・・」

そう言いヘスティは己の不甲斐ない両足を両手で叩いた。
ヘスティの足は一見すれば青く腫れ上がっているとかの外傷はないし、歩く分には問題はない。
のだが走るとなるとヘスティはバランスが取れずに転倒してしまうのだ。
つまり先天性の障害、という奴だ。
恐らく骨とか筋肉とかに問題はあるのだろうが、フラックらにとってそんなのは些細な事だ。
それでヘスティを見捨てるなどフラックらは出来るはずがない。
フラックはその手でヘスティの頭を撫でた。

「毎度言っている事だけどな。俺はお前を邪魔者だとか思ってねえよ。寧ろ俺達に上手い食事を届けてくれる大事な仲間だ」
「俺もそうだ。ヘスティは大事な妹分だ。俺達の一員ってもんだろ」
「俺もだ。ヘスティ以外に料理が出来る奴なんていない。料理が出来る、それは誇りを持って言える事だ」

生きる為には泥棒になって物や金品を盗む。
でなければ飢え死にするしかない。
彼らはそうやって生きてきたのだ。

「ほらヘスティも飯食おうぜ。皆で囲った方が上手いからな」
「うん、そうだね。・・ああそうそう、そういえばこの前野良猫に会ってね、試しに『ニャー』って挨拶してみたんだ。そしたら向こうも『ニャー』って言って返事したんだ」
「おいおい、お前いつの間に猫語習得したんだ?」
「そんな訳ないよ。通じるかなって」
「通じるんじゃねえのか。猫は女に好かれるって」
「んな事聞いた事ねえぞ、フラック」

皆で集まってご飯を食べながら雑談をする。
それがフラックらにとってささやかな幸せであった。




♢♢♢♢♢♢♢♢



寝静まった晩。
おんぼろのベッドで眠っていたフラックは、ふと目が覚めた。
何でこんな時間帯に目を覚ますのか分からなかった。
しかし例えられない何かを予感していた。
その途端、冷たい風がフラックの頬を撫でた。
ひんやりとしていて、思わず身震いする程の冷たさだ。

「っ・・・」

このままでは変な気分になってしまう。
気分転換に夜の風に当たろうとフラックは起き上がった。
フラック達の隠れ家となっている廃屋には二階があり、屋根がない吹き抜けの部屋だった。
だから夜空の風に当たる事も出来るし、そして見張りも出来た。
二階へと上がれる梯子を上ると、そこにはイシスが廃屋の周囲を見張っていた。

「おいフラック、寝付けねえのか?」

イシスがフラックの気配を感じ取り、声をかけた。

「まあ早めの交代って所だよ。全員眠ってたらゴロツキ共に襲われるかも知れねえからな」
そうだな、とイシスは答えた。
「どうだ。お前も寝たら」
「ああ。少ししたら寝るとするわ」

吹き抜けの二階からフラックは路地を見下ろした。
夜のスラムは昼と特に変わりはない。
酒に酔った男が通ったり、何かを持って走る男とそれを追う男らが通ったりと。
果てには怒号や物が壊れた音まで聞こえてきた。
こんな薄汚い場所がスラムだなとフラックは愚痴を零したくなる光景だった。
だがマントで体を隠しながら荒れた道を歩く者を見つけた時、フラックは違和感を感じた。

「・・・おい、あれ・・・」

その者はフードを被らずに歩いていた為、その顔を拝む事が出来た。
見れば女性、それも現実離れした美貌の持ち主だ。
さらさらの金の長髪。
端正な顔たちに、すらりとした鼻。
鋭い目つきに蒼白色の瞳。
どれをとっても美人の領域に達していた。
まるで天使か、それとも女神そのものが具現化した風貌。
余りにも場違いな美しさにフラックもイシスも見とれて、ついため息をしてしまった。

「・・・新しく入った騎士の奴か? それともスラムの新入りか? でもすっげえ美人だな」
「・・・ああそうだな、けど・・・」
フラックは首を左右に振った。
「・・・ここがどんな所か分かっちゃいねえな。女が夜中にスラムの中歩けば・・・」



『ガチャン!!』



脇道から猫背の男が出てきて、彼女の道を遮る様に立ちふさがった。
その光景にほらな、とフラックは呆れた様に呟いた。



「ぐひひひ・・・! おい、アンタ。命が惜しければ分かってるよなぁ?」



涎を垂らし、いやらしい目で彼女を睨んでいた猫背の男。
野蛮で下品な奴だなとフラックは思った。
あいつは女に飢えている。
恐らく彼女はあいつによって犯され、純潔を奪われる事だろう。
だが彼女を助ける義理はない。
ここはそういう所なのだ。
だからフラック達はそのまま傍観していた。


「・・・・・・・・」


脅されている当の彼女は黙っていた。
興味がないと言わんばかりの、冷たい視線を男へと送りながら。
沈黙が続いて苛立ちが募った男は奥歯を噛みしめた。


「おい! 聞いてんのかぁ!? 死にたくないだろ!!」


怒声を吐きながら猫背の男は迫る。
だが彼女は動じなかった。
鋭い目つきで男を見つめていた。


「なあ襲うぞ!! あんたを襲うんだぞ!! 悲鳴上げやがれよ!!」


何度もわめく男に対し、彼女はついにその口を動かした。












「警告します。今すぐ私の前から立ち去りなさい」



冷静で、何処か事務的な声だ。
そして恐れなど微塵も感じられない声だった。
それが男の怒りを買ったのは言うまでもない。

「な、舐めやがってっ!!」

男は懐からナイフを取り出すと、女に目掛けて突き刺そうとする。
あの速さでは間に合わない。
次にはその綺麗な顔に切り傷が出来るのかとフラックは考えていた。



『ドスッ!!』



それは一瞬だった。
鈍い音が聞こえたと思ったら、次にはあの猫背の男が地面へと倒れ込んだのだ。
何が起こったのかとフラックは頭の中で映像を巻き戻して見ると・・・。

―――ナイフが突き刺さる寸前、彼女が男のみぞおちに突きを入れた。
それが分かったフラックは思わず呟いた。


「・・・・めっちゃ強えじゃねえか。あの女・・・」


「・・・ああ・・・・」



オウム返しでフラックは呟いた。
あれ程の力量は騎士隊の奴らでも早々見ない。
恐らく彼女は隊長クラスか、それ以上の力を持っているはずだ。


(・・・もしあんな奴がこのスラムを担当するとなれば面倒な事になるだろうな・・・・)



出来ればスラムに住み着いた奴であって欲しい、とそう考えていたフラックはふと気づいた。
彼女の顔が、その鋭い両目がこちらへと向けられていた事に。
その視線を冷たく、獲物を狙っているかの様な鋭い目線だった。
それに気づいた時には、彼女がフラックらの隠れ家へと乗り込もうとしていた時だった。

「っ!?」

すぐにフラックとイシスは二階から降りた。
「おい起きろっ!! 逃げるぞ!!」
「んなな、何ですか?」
「ん、あああっ・・・?」
慌てながらヘスティが飛び起き、寝ぼけた声でフレイズは起き上がった。
「敵が来た!! 良いか、逃げるぞ!!」
「て、敵ですか!? 何で!!」
「説明してる暇はねえ!! 兎に角逃げるぞ!!」


―――自分達では敵わない。


本能的に察したフラックは逃げるという選択肢を取るしかなかった。
でなければしかない。
だが襲い。
ヘスティらを連れて向かおうとした時、既に出口兼入り口に彼女が立っていた。



「っ・・・・!!」



彼女はじっとイシスらを、特にフラックを凝視していた。
相手の力量や思惑といったものを図るかのような眼差しで。
そんな鋭い眼差しで見られては、フラック達は迂闊に動けなかった。


「・・・・・・・・・・」



(・・・・一体なんだってんだよ、クソッ!!・・・・・)


暫くの沈黙の後、彼女は動いた。
スタスタとフラック達の元へ向かい、そして彼女はフラックの前に立つと跪(ひざまず)いた。
そのまま彼女はその口を開いた。


「ベルセティアと申します。貴方を『勇者』として迎えに来ました」


「・・・はぁ?」


すっとんきょうな声を挙げてしまったフラック。
そして口をポカンとさせていたイシスら。
余りにも唐突で訳が分からなかったからだ。

―――『勇者』。
それは教団への忠誠を誓い悪しき者ら、特に魔物娘らを退治し人々を守るというまさに英雄的な存在だ。
更に『勇者』となれば教団からの手厚い保護を受けられ、給料も出るから生活は安泰する。
見方を変えれば、城の大臣並みに付きたい程の高嶺の花だ。
普通であれば手を叩いて喜ぶ者が数多いるが、フラックらは違った。
フラックらは恐る恐る彼女、ベルセティアに問い返した。

「何かの間違いじゃねえのか? こんな薄汚いチンピラを勇者にするなんて馬鹿げてるだろ?」

大抵は腕の立つ騎士かもしくは平民から選出されるのが主なのに、スラム出身の人間が勇者として選出されるなど余りにも違い過ぎる。
それでは世間から汚らわしい目で見られるし、教団としての面目が立たないだろう。
ただしフラックの場合はそれだけが理由ではなかったが。

「いえ。主は貴方を『勇者』にせよ、と命じております。私と一緒に来てもらいます」

そう言いベルセティアは立ち上がると、そのままフラックの手を掴もうとする。
だがそれを遮る様にイシスが前に出た。

「わりいな。フラックをやる訳にはいかねえな。俺達の仲間だからな」
「そうだ。ここは逃げるが勝ちというものだ!!」

イシスの合図と共にフレイズもベルセティア目掛けて襲い掛かる。
彼女の力量は先程の戦いでもう把握している。
ならば卑怯であるが目潰しを使わざる負えない。
油断した所で、彼女に蹴りや突きを与えて気絶させる。
そしてその隙に逃げ去る。
計画性もない突拍子での思いつきだったがこれしかなかった。
だがイシスが持っていた目潰しを投げようとした瞬間、ベルセティアはイシスの腹に拳を入れた。

「おぐっ!?」
「イシスっ!!」

動揺したフレイズ。
その隙にベルセティアはフレイズのうなじに手刀を入れ込む。
二人は一瞬で返り討ちにあい、そのまま床へと倒れてしまった。

「イシスッ!! フレイズッ!!」


ならば、とフラックはヘスティの方へ振り向いた。

「ヘスティ、お前は逃げろっ!!」
「でもフラック!?」
「いいからお前は逃げろっ!!」

そう言いフラックは昼間手に入れた戦利品の銀剣から剣を抜くと、ベルセティア目掛けて振り落とした。
だがベルセティアはその剣をゆらりとかわした。
それでもフラックは何度も斬撃を繰り出すが、ことごとくかわされていく。

「っはあ!! っはあ!! っはあ!!」

次第に息を切らし、体力の疲れを感じ始めたフラック。
このままではやられる。
そう直感したフラックは、一か八か剣を大きく真横へと振りかぶった。
小技で攻めても駄目なら大技で決めるしかない。
だがそうすれば、剣を振り下ろすまで隙が出来るものだ。
当然ベルセティアはその隙を見逃さす、間合いを詰めるとフラックの脛(すね)に蹴りを喰らわした。
蹴りを入れられた事で足から態勢を崩したフラックはそのまま床へと倒れ込んでしまった。

「ぐっ、うっ・・・・・!!」

たまらずうめき声を挙げたフラック。
「フ、フラックッ!!」
ヘスティが駆け寄ろうとするがベルセティアはそれを手で制した。

「心配には及びません。命は取っていませんので、勿論あの者らも」

イシスとフレイズを指さしながらベルセティアはそこでマントを外した。

「・・・・・・・っ!?」





フラックは一瞬、見とれてしまった。
ベルセティアの、その姿は美しかったのだ。
しなやかで麗しい両腕。
引き締まったお腹と両足。
その肌は日に焼けていない乳白色。
そして青銅の甲冑に身を包んでいた。
まるで戦地へと赴く騎士達を鼓舞し、前線に立って奮迅する戦乙女、もしくは聖女の様だ。
特にフラックが一番目についたのは、ベルセティアの腰辺りに生えていた天使の様な羽。その羽が彼女は人間でない事を物語っていた。
それでも、フラックは聞きたかった。
彼女のその口で、答えてほしかった。



「お前は・・・、何だ? 人間なのか・・・?」



フラックの問いかけに、ベルセティアは静かに返した。







「私は『ヴァルキリー』。神の使いです」




『ヴァルキリー』。
その言葉にフラックは聞き覚えがあった。
神の使いとして現れ、人々を守る『勇者』を迎えるのが彼女の役目。
魔物娘であれど、魔物娘とは違う高貴な種族である。
だから反魔物主義を主張している者達、引いてはその国から救済の使者などとして歓迎されていると。
ならばその現実離れした美貌も納得だ。
そして彼女は神の使いとして降臨し、自分を連れ去ろうとしているのだ。
それを悟ったフラックは急に胸元が苦しくなった。


「う、ぐっ・・・・」


それは何故か。
彼女、ベルセティアがフラックのみぞおちに突きを入れたのだ。
当然フラックの意識は遠のき、そのまま暗闇の中へと沈んていった。






♢♢♢♢♢♢♢♢





次にフラックが目を覚ましたのベッドの上だった。
そのベッドはフラックがいつも使っていたオンボロのベッドとは違う。
上質のシーツで覆われたふかふかのベッド。
まるで新品当然のベッドだった。
窓の外を見ればもう既に朝日は昇っていて、新しい1日が始まっている。



「目が覚めましたか?」



その声に振り向くと立っていたのは彼女だった。
イシスやフレイズを倒し、自分を気絶させ、神の使いとやらで現れた『ヴァルキリー』の・・・。

「ベル、・・・セティア・・・」

その名前を口にした時、フラックは思い出した。
自分はあの晩、彼女に勇者になれと言われて抵抗するも即座にやられてしまった事も。

「・・・っち!!」

フラックは頭を掻きむしながら舌打ちをした。
目覚めは最悪。
なんでこんな女に捕まってしまったのかと後悔するが・・・。



「っ!?」



そこでフラックは気づいた。
部屋を見渡せばイシスやフレイズ、ヘスティの姿が何処にもいない。


「あいつらを何処にやった!?」


起き上がったフラックはすぐベルセティアに問いかけた。


「あいつら、とは?」
「とぼけるな!! 俺の仲間の、イシスとフレイズ、ヘスティだ!!」
「彼らなら無事です。皆、才の見込みあれば雇うというのがクレセント・アメジスト王の方針です」

ベルセティアがこの国の王の名を呟いた。
しかも王が自分達を雇うというのは一体どういう事か。
胸騒ぎが収まらないフラックはもう一度部屋の中を見渡す。
眠っていたベッドは上等な物。
机は新品当然。
部屋は真新しく塵一つ存在していない。
そして部屋の外から声が聞こえてくる。
気になったフラックはそのまま耳を澄ませた。




『98!! 99!! 100!!』



『もっと腰を入れろ!! 敵は全力で向かってくるぞ!!』



『構え!! 整列!! 構え!!』




まるで訓練の掛け声だ。
この声から察するに今自分がいるこの部屋は・・・。

「ここは、まさか・・!!」

「ここはアメジストの騎士隊宿舎。団長クラスの者に当てられる一室です」

それを知ったフラックは奥歯を噛みしめた。
今自分はアメジスト国の城内にいる。
平民であっても人生の内で訪れる機会が1回あるかどうか。
傍から見れば羨ましい限りであるがフラックは違う。
城の中にいるという事実を知った時、フラックは怒りにも似た大声を挙げた。

「なんでこんな所に連れて来た!!」

「勇者として励むのであればこの国の権力者らに見せつけ、尚且つ訓練も出来るこの場所が一番適していると考え選びました」

ベルセティアの考えは合理的で妥当だ。
そしてフラックの事も考えていない。

「話は既に通しております。これから王との謁見です。こちらに来てもらいます」

「誰が勇者になるもんかよクソがぁ!!」

やり場のない怒りを爆発させたフラックはベルセティアの顔に向けて拳を振りかざした。
だがベルセティアは涼しい顔でそれをかわした。
その拍子にフラックの腕を掴むと背負い投げの要領でフラックの体を投げ、そのまま床へと叩きつけた。


「うぐっ!?」


背中越しに痛みが走りフラックはうめき声を上げた。


「貴方が嫌でもこれは主が決めた事です。貴方を勇者として迎え入れ、人々を守らせる。そして私はその導き手となります」


それに、とベルセティアは付け足した。


「貴方が『勇者』になれば貴方の仲間もまともな職業へ付ける事になるのです。されどここで辞めればまた薄汚いスラムへ仲間と共に帰る事になります。明日の食べ物も困る毎日を暮らすより、ここで承諾すれば毎日の食事は保証され生活は安泰。どちらが賢明な判断なのか分かりますか?」


それを聞いたフラックはまた奥歯を噛みしめた。
ベルセティアの言い分は善論だ。
フラックが『勇者』となればイシスらは毎日ご飯にありつける。
それに給料も出るし生活は保障されるのだから有難い事だ。
しかしそれはフラックの逃げ場を失くし、仲間を口実にして強要させているに過ぎない。
初めからフラックに選択肢などないのだ。

「聞きましょう。フラック・・・・。『勇者』になりますか?」

その台詞に対し、フラックはポツリと呟いた。







「・・・・なれば、良いんだろ・・・」

「物分かりが良くて助かります」

苦渋の決断を決めたフラックに対してもベルセティアは冷静であった。






♢♢♢♢♢♢♢♢







王と会って何を話したかという記憶はフラックにはなかった。
いや覚えたくもなかった。
辛うじて覚えている事と言えば、王に対し適当な相打ちと民衆の為にこの命を捧げるぞ、といった恥ずかしくて仕方ない台詞を吐いたぐらいだった。
ベルセティアの厳しい目が光る中、無事にその謁見が終わった。
精神的に疲れていたフラックは宿舎へと戻ろうと廊下を歩いていた時だ。



「おいフラック!!」


聞き覚えのある声に思わずフラックは振り向いた。

「イシスか!? イシスなのかっ!!」
「ああそうだ。けどまさか、城の中で出会うとはなぁ・・・」

そう言いイシスは複雑な表情を浮かべていた。

「フレイズは? ヘスティはどうした!?」

そう言いフラックはイシスへと詰め寄った。
それもイシスの両肩を掴みながら。

「落ち着けって。よくわかんねえけどお前の従者という事になったんだ。フレイズも、勇者の手助けをしろって事で従者になったんだ。それでヘスティは・・・・」

そこでイシスは少し間を置いた。

「・・・食事係だってよ。今この城の料理長から手ほどきされているぞ。元々筋は良いからな」
「・・・・・・・そうか」

フラックはそれしか言えなかった。
でなければ何を言えば良いのだろうか。
自分達がスラム生活から脱し、飯にありつけた事に対する喜びの声か。
それとも自分達が王の、引いては反魔物主義を掲げている教団の手駒にされた事に対する嘆きの声か。
はたまたそれらとは全く違う声か。
余りにも釈然としない事が多すぎてフラックの頭には灰色のもやもやが生まれてしまった。
そのもやもやがフラックの言葉を濁し、そしてかき消してしまうのだ。

「フラック。休憩が終わり次第これから訓練を始めます。そちらのイシスという者も騎士隊から訓練を受けてもらいます。それとフレイズという者は、聡明の片鱗ありという事で他の魔術師らにその術を伝授という事に致しましょう」


余りにも空気を読まないベルセティアの発言だ。
灰色のもやもやがかかっていても不愉快だと感じる程であった。





♢♢♢♢♢♢♢♢




それからというものフラックはベルセティアの特訓を受け続けた。
朝から夕暮れまで、いつも汗水垂らしながら剣の構えや、模擬試合といったおおよそ考えられる鍛錬を毎日毎日。
特にベルセティアが与えるフラックへの特別訓練は、それこそ地獄だった。 
地獄と言ってもその特訓内容はいたってシンプル。
フラックは与えられた木刀で何処でも良いから、ベルセティアの体に一撃を与える。
たったそれだけなのだ。
その上ベルセティアは槍や盾といった武器を持っておらず、素手で相手するというのだから楽勝だとフラックは考えていた。
すぐにフラックは全力で我流の剣技を繰り出す。
だがそれらはことごとくかわされ、逆にベルセティアの拳での一撃を受けてしまう。
しかもベルセティアが加減しているとはいえ、頬に一撃、次には胸元に一撃、更にはおでこに一撃。
受ける度に痛みが来るのだからたまったものではない。
何も出来ず一方的にやられ続ける。
これぞまさに地獄の特訓だ。
そもそも考えてみれば、ただの人間であるフラックと『ヴァルキリー』のベルセティアには圧倒的な経験値差がある。
にも関わらず、ベルセティアはその特訓を朝から晩まで続けさせるのだ。
そして今日もまたベルセティアに一撃加えようとフラックは剣を振り下ろすが、その剣を彼女はゆらりとかわし、フラックの手刀でフラックの首に一撃をくらわした。
体制を崩したフラックは背中から地面へと倒れ込むも、すぐに態勢を戻し体をひねる。
そのまま剣での突きをベルセティアへとくらわそうとする。
がベルセティアはそれも後ろへとステップを踏んでかわした。


「っはあ・・・!! っはあ・・・・!!」


額に浮かび上がった汗をぬぐいながらフラックは荒い息を吐いていた。

「基礎体力は出来てきましたね。ですが、まだ未熟です」

いつもと変わらないベルセティアの冷静な口調。
それがフラックの気に障る事だと知らずに。


「ちっ!!」


思わず舌打ちをしたフラック。
そのまま木刀を地面へと叩きつけた。
明らかに不快感を表す行動の一つ。
それを見てもベルセティアは顔色一つ変えなかった。
ただ・・・。


「投げ出したいのですか? 貴方が選んだ道だというのに何故逃げるのですか?」


またベルセティアの善論、そして強要論が始まった。
フラックはそんな台詞を聞きたくなかった。
確かにベルセティアの言い分は善論で正しい。
しかしフラックの事を全く考えてない。
フラックの過去や思想、フラックを思いやろうと言う気持ちが全くないのだ。
これではただの罵倒。
正論を使って相手を非難し、無理やり従わせる太刀の悪い方法だ。
当のベルセティアは無自覚で、だがフラックの事を考えようとしていない。
これではフラックが剣を放り出したくなるのも当然だった。
だがフラックは立ち上がった。
負けん気が強いという訳ではないがここまで言われて黙ってられる訳にはいかないからだ。

「舐めんな、よ・・・!!」


フラックが再び木刀を握ると、ベルセティアは構えた。
再びフラックはベルセティア目掛けて木刀を振り下ろす。
ベルセティアに一泡吹かす。
それがフラックが決めた当面の目標だった。






♢♢♢♢♢♢♢♢





そしてあの時に決めたベルセティアに一泡をという目標が果たせないまま、1ヶ月が過ぎた。
フラックは基礎鍛錬を終え、一応は兵士として戦えるぐらいの力量は付いた。
今のフラックであれば、スラムのごろつき5人程度は倒せる。
最も当のフラックはベルセティアに対して感謝はしていなかった。
フラックからしてみれば、無理やりここへと押し込められ鍛えさせられているのだから感謝しろと言われても感謝など出来るはずもない。
そんなある日、ベルセティアがフラックと別の所で訓練を受けていたイシスとフレイズを一室へと集めさせた。
その理由はずばり、彼らを戦場へと出させる事だ。

「まずは初陣となります。ここで戦果を挙げ、華々しい栄光を刻むと致します」

そう言いベルセティアは淡々と説明していく。


(いつも通りの冷静な口調と抑圧ない声だな・・・)


フラックは軽くため息をついた。
ふとフラックは傍らにいたイシスやフレイズの顔色を伺う。
二人とも緊張した顔でこわばっていた。
かく言うフラックも手の震えが止まらない。
武者震いか、それとも恐怖か。
もしくは逃げたいという気持ちもあるかも知れない。
だがフラックはやるしかない。
でなければただ死ぬだけだ。

「では各自、ご武運を」

そう言うのであればもっと心を込めて言って欲しい、とフラックは危うく口を滑らせそうになった。







♢♢♢♢♢♢♢♢





戦場となった農村の民家からボヤが出て、木材が焼ける様な臭いが鼻を刺激してくる。
心なしか空もどんよりとしていて灰色に見える。
スラムにいつも漂っている臭いとは違う、戦場特有の臭いと空気が場を満たしていた。
初陣となったフラックは手あたり次第、敵とぶつかっていた。
迫りくる敵をさばいては退け、またさばいての繰り返し。
時折飛んでくる矢や、向かってくる槍が自分目掛けてやってきた。
だがその度に傍らにいるベルセティアが盾や槍で防いでくれた。

(もう、勘弁してくれよ・・・!!)

そんな死と隣り合わせの戦場、味わいたくもなかった。

―――離れて戦う事になったイシスやフレイズは無事なのか。

―――戦場に出ていないけれどヘスティは大丈夫なのか。

―――俺は生き残る事が出来るのか。

フラックの頭は常にそれらが渦巻いていた。








♢♢♢♢♢♢♢♢







伝令の兵士がこちらの勝利で終わったという知らせを受けた時、フラックは心底喜んだ。
自分は死なずに生き残れたのだ。
これ程喜ばしい事などありはしない。
「フラック、油断は禁物です。まだ残党兵がいるかも知れません。探しましょう」
そう言いベルセティアは焼け落ちた村の家屋を索敵し始めた。
その姿を見れフラックは深いため息を付いた。


(戦いが終わったんだからもう良いだろ・・・)


だが今のベルセティアにそれを言っても無駄だ。
サボったらベルセティアに小言を言われそうだったから、フラックはベルセティアの後を渋々と追った。
ベルセティアが焼け焦げた廃屋の中へと入ればフラックも続けて入っていく。
先程の戦いの影響ゆえか中はまだ火がくすぶっていてパチパチという音が聞こえてくる。


「フラック。ここはまだ危険です。警戒を怠らずに」
「へいへい、っと・・・」

フラックは黒炭と化したドアを剣先を使って押しながら開いた。


『ギギ、ギッ・・・・・』


「ひっ!?」

扉を開けると同時に聞こえてきたのは女の怯えた声。
扉の先にいたのは成人の男女に、小さな男の子。
男の方は鎧を着こみ、その手には剣が握らている。
男とは対照的に女と男の子の方は無地の服。
その服装からどうやら男は敵兵の一人で、そして女と男の子らを守る様に構えていたから、男の家族の様だ。

「あ、あんたら・・・!! 俺の家族に指一本触れてみろっ!! そ、そしたら・・・!!」

振るえた声で男は剣を構えていた。
服装を見れば察せられるが、その行動だけ見ても男は敵兵だと分かった。

「敵兵となれば容赦は無用です。フラック。この者を返り討ちにし手柄を立てましょう」

ベルセティアがそう助言してくる、がフラックはしたくなかった。
返り討ちにするという事はこの者の命を取るという事だ。
そしたら残された家族は自分を恨むだろうし、自分の命を狙う事だろう。
そうなるのはフラックにとって不利益でしかなかった。




「っ・・・・・・」



暫く考え込んだフラックは、ベルセティアに問いかけた。

「質問して良いか?」
「はい?」


少しだけベルセティアは不思議そうな声色で返答した。


「こいつらは俺の好きにしていいのか?」
「構いません。戦場であれば、情けは無用です」
「・・・・もう一つ質問だ。お前は俺が戦場で怪我をしたら、どうする?」
「貴方の怪我を治療します。その為に戦場から離脱するのも検討します」



『勇者』となるフラックが死んでしまったら元もこうもない。
そうなれば主の命に背いてしまう事になる。
となればフラックが傷を受ければ迷わず治療をする。
戦場から離脱も視野に入れて、だ。




「なら・・・」




するとフラックは急にタックルの姿勢をとると燃え尽きていた木材へと向かって走り、そのまま木材へとぶつかった。

「っ・・・!!」

そのままゆっくりと立ち上がったフラック。
当然、フラックの顔には火傷の跡が残っていた。
怪我をしたのか左肩を右手で抑えていた。


「フラック・・・?」


ベルセティアは呆気に取られた。
彼女からしてみれば、フラックの行動は理解不能。
何をしたいのか分からない愚か者でしかない。
だがフラックの両目は愚か者の目ではなかった。
明確な目的があって実行した、意思ある目だったのだ。

「俺は負傷し、お前はその為に俺を連れて戦場へと離脱した。それで良いな」

「はい・・・」

条件反射の様にベルセティアは答えてしまった。
でなければそれ以外どう反応しろというのだろうか。

「そしてあんたらはその隙を突いて逃げた、って事で頼む」

そう言い、片手でお願いのポーズをしたフラック。
それを見たベルセティアはフラックの考えを悟った。



(わざとあの者らを逃がす為に・・・)



フラックは兵士を、引いてはその家族らを見逃す為にわざと怪我をしたのだ。
怪我をしたのであれば見逃した言い分も立つし、そしてベルセティアとの筋を一応は通す事にもなる。
だからフラックはそうしたのだ。
それに対し、ベルセティアは当然の如く迷った。
武器を持った兵士が自分に対して、剣を向けていればその兵士は敵兵。
にも関わらず、フラックはそれを見逃したのだ。
勇者を目指すものであれば、あってはならない失態。
だがベルセティアは咎めようという気にはなれない。
―――それが正しいのかどうか分からないからだ。
別にベルセティアには人の情や思いやりという感情はない。
でなければフラックにあれだけの特訓をさせてはいないだろう。
その顔は平穏であったが、内心は戸惑っていたベルセティア。



(どうすれば、良いのか・・・)




そこでベルセティアはふと、思いついた。
自分の主、神に尋ねれば良いと。
主であれば絶対。
主のいう事は正しい。
ベルセティアは主を盲目的に信じていた
だからこそベルセティアは小さく囁いた。



『・・・主よ。フラックの行いに対し、貴方様の返答は・・・?』








すると彼女の主は、厳かに答えた。









―――汝、あの者の声を聴くべし――――





「っ!?」

まさかの返答であった。
公平で厳格な主がフラックに肩入れしろと言ってきたのだ。
一体どうなされたのだとベルセティアは思わず詰め寄りたかった。
だがベルセティアは渋々受け入れるしかなかった。

(これも、主の命であれば・・・)

どこまでも真面目に、そして冷静に。
自分の果たすべき使命を全うする。
例え自分が正しいと考えていても、主がそう示すのであればベルセティアは従うだけだ。


「おい、ベルセティア。怪我しちまったから肩を貸してくれ」
「構いません」

そう言いベルセティアはフラックの肩に手を回すとフラックの体を立ち上がらせた。
そのまま撤退しようと足を踏み出した時。

「おい・・・・」

兵士の男が声をかけてきた。
それも殺気が感じられず、戸惑った声で。
何を言うのかフラックは―――そしてベルセティアも少しばかり―――気になった。

「あ、ありがとうな・・・・」

人として真っ当な、感謝の言葉。
それを聞いたフラックは少しだけ笑みを浮かべた。

「感謝する事はしてねえよ。とっとと行ってくれ」


男が軽く一礼をすると女と子供を連れて去っていった。

(本当にこれで良かったのか・・・)

その時、ベルセティアに迷いが生まれた。
その迷いはフラックを連れ、陣地へと戻ってきた時でも渦巻いていた。
生まれて初めてだったのだ、こんな気持ちになるなど。




♢♢♢♢♢♢♢♢





それからまた約1ヶ月の月日が流れた。
その間フラックはメキメキと実力を付け、『勇者』としての頭角を現してきた。
常に前線へと立って、誰よりも戦おうとするフラックの姿は人々が求める勇者像だった。
その姿に騎士隊や町の人々から少しずつ、確実に信頼を得ていた。
順調に行けば時期に貴族や教団にもその名前が届く事だろう。
だがベルセティアはフラックのある行為だけはいただけなかった。
それはフラックが敵兵をわざと見逃す時があるという事だった。
今この場の戦場だってそうだった。


「ひ、ひいいいっ・・・!!」


膝と剣先をガクガクと震わせ恐怖の声色を挙げていた敵兵の一人。
余りにも情けない姿だとベルセティアは呆れていた。
だがそんな敵兵に対してもフラックは情けをかけた。

「逃げたいなら逃げろよ。ここで死んじまったら元もこうもないだろう?」

フラックは彼の顔面目掛けて剣を振った。
その剣は勿論、彼には当たらずその手前辺りで虚空をかすめた。
すると、おじ気づいた男は一目散に逃げ去った。
また逃がしたか、とベルセティアはつい漏らしてしまった。
思わずベルセティアはフラックに詰め寄った。
「何上敵兵を逃がしたのですか? あの臆病者など切る価値ないのは理解出来ますが敵兵は敵兵。剣を向けるのであればこちらも剣を向けるべきです」
「・・・・人殺して勲章得るなんて事出来るかっての。そんなんで恨み買う訳にもいかねえしな」
苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべながらフラックは呟いた。
誰とて人を殺すのに抵抗感や罪悪感が生まれ、人を殺したくないと叫ぶ。
それはフラックとて同じことだ。

「しかし敵兵を倒さなければ勇者としての武功も名誉も得られません。貴方は『勇者』としての自覚が足りません。それでは誰も貴方を真の意味で『勇者』として認めようとはしない事でしょう」

いつもの如くベルセティアの正論が始まろうとした時、フラックはベルセティアへと詰め寄った。
そしてその顔をぐっと、ベルセティアの顔へと近づけるとその口を開いた。

「なあ。・・・倒すだけが勇者の仕事じゃねえだろ? 人を助ける事も勇者にとって大事な事じゃねえのか?」

「・・・っ」

それを聞いたベルセティアは返す言葉を失った。
人を助ける事も勇者にとって大事な役割。
それは当たり前であったがベルセティアはそれを見ようとしなかった。
そもそもベルセティアは、フラックが『勇者』として認められるには戦場に出て武功を挙げるしかないと考えていたからだ。


――――『勇者』フラックの出身はスラム。
そう聞けば家名や出身を重視する教団や貴族の者達はフラックを鼻つまみ者として扱うだろう。
そんな彼らを黙らせ、認めさせる最も簡単な方法は戦場に出て戦う『武功』でしかないと考えていた。
だから人を助ける事など二の次、微々たる勲章だとベルセティアは考えていたのだ。


(・・・・人を、助ける・・・・)



今まで軽視してきてが考えてみればそれもまた勲章ではないか。
何故自分はそれを見てこなかったのかと、ベルセティアは自身を責め立てた。
そんなベルセティアに対し不審に思ったフラックはつい声をかけてしまった。



「おいどうした、何か考え事か?」



フラックとしてはその台詞に深い意味などなかった。
ただふと疑問に思った事を告げただけなのだ。

「いえ、問題ありません・・・。行きましょう」


その台詞を告げた瞬間、ベルセティアは敗北感を味わった。
即ちフラックの主張に反論できなかった。
だからこそベルセティアはその台詞を告げるしかなかったのだ。

「お、おう。置いてくなよ・・・」

そう言いながらフラックはベルセティアの後を追った。

(何か気に障る事でも言ったのか、俺・・・)






♢♢♢♢♢♢♢♢





味方兵士の一人がこちらへと近寄り、『我々の勝利で終わりました』と聞いた時はやっと安堵出来た。
「ふう〜〜。これでまた生き残れたって事か・・・」
深呼吸と背伸びをしながらフラックは呟いた。
そんなフラックに対しベルセティアは声をかけた。
「フラック」
「ん? 何だよ?」
「フラック。貴方が勇者を目指そうがそうでなかろうが、これだけは答えてください。貴方はその剣を振るうのは貴方の為ですか? それとも誰かの為ですか?」
ベルセティアがそれを聞いた訳、フラックの真意を確かめたかったからだ。
勇者になりたくないと叫んでいるにも関わらず、今でも剣を振るっているのは何故か。
それには理由があるはずだ。
そしてその理由は自分の為か、あるいは他人の為か。
ベルセティアは知りたかったのだ、フラックの真意を。
「う〜ん・・・・」
当のフラックは首を傾げていた。
如何にもその質問は難しく、返答に困るといった表情をしながら。
だがやがてフラックはベルセティアを見つめながらぼそりと呟いた。
「それは・・・・、両方だな」
「両、方・・・?」
「そりゃ俺が飯食うためにこうやって戦ってはいるけど、イシス達の為でもあるし。俺が怠けていたら叩かれて、イシス達にも迷惑がかかるしな。・・・・ああでも他の奴の為でもあるよな。例えば見逃したあの家族連れの奴とか、あと・・・」
これでは当てはまる人間が多すぎではないか。
それを知ったフラックは苦笑いをした。

「って無茶苦茶だな、俺・・・」

かっこよく決めたかったな、とフラックは髪の毛を掻きむしった。
そんな姿を見てベルセティアは少しだけ口元をこぼした。
フラックの台詞が面白かったのか、それと滅茶苦茶過ぎて呆れたのか。 
それは定かではないがベルセティアには一つだけ言える事があった。

「変わってますね、貴方は・・・・。誰かの為に剣を振るい、誰かの為に自分の体を張る。それは確かに勇者として最もあるべき姿です」
「お、おう・・・」

突然の事でフラックは困惑した。
今までベルセティアにそう言われた事など一度もなかったのだから。


「ではフラック、戻りましょう。皆待ってます」
「お、おおう。そうだな、イシス達も戻ってるだろうしな」

ベルセティアはこの時、フラックに対し興味を持った。
もう少しだけ話してみたい。
もう少しだけ近寄ってみたい、と。




♢♢♢♢♢♢♢♢




その日の夜。
いつもの様にフラックはイシスとフレイズを連れてヘスティの元へと向かった。
「ヘスティ。帰ったぞ〜」
「お疲れ様。今日もご飯、沢山作ったから♪」
すっかりエプロン姿が板についたヘスティはテーブルの上に料理を置いていく。
どれも美味しそうな見た目と臭いで、思わず涎が出そうな程だった。
その中でも特に目を引いたのはローストビーフだ。
何故か深皿に乗っかっている事に怪しんだイシスがフォークで肉を退かすと、その下にはびっしりと白い粒々があった。
「うほっ!? 何だこれ!! ローストビーフの下に白い粒々があるじゃねえか!!」
子供の様にはしゃぐイシスを手で制しながらヘスティは説明した。
「最近、ジパングから『お米』っていう食材が出回ってきて。それでご飯の上におかず乗せたら美味しいだろうなって。おかわりはいっぱいあるからね♪」
そう言いながらヘスティはイシスらの前に別名、ローストビーフ丼を一つずつ置いていく。
「いつも助かる。では有難くいただくよ」
「おう、がっつり頂くとしようか〜」


『コンコン!!』


急にドア越しからノックの音が聞こえてきた。

「はいはい〜」

ヘスティがドアノブに手をかけ扉を開くとそこにいたのは。



「私も同席しても宜しいですか?」
「べ、ベルセティアさん・・・?」



ベルセティアの突然の来訪にヘスティは驚いた。
何しろこちらへと来るなど一度もなかったのだから。
「おういいぞ、ヘスティ」
フラックは気にする事無くベルセティアを通した。
「え? う、うん。どうぞ・・・」
やや緊張した顔でヘスティはベルセティアを通した。
スタスタと歩きベルセティアはフラックの隣の席に座った。
「フォークとナイフ、それとスプーンです。お皿もこちらで。後、これも良かったら・・」
そう言いながら恐る恐るヘスティはベルセティアの前にローストビーフ丼を出した。
「ありがとうございます」
一礼したベルセティアは早速ヘスティが作った、ローストビーフ丼に手を出した。
右手にナイフを、左手にフォークを持ちローストビーフの肉端を切りフォークにその肉端と少量のご飯を乗せそのまま口へと運びほうばる。
ゆっくりと噛み、肉の味と米の味を味わう。
「・・・・・・・・・」
肉は程よく厚みがあって、噛む度に肉の風味が口の中に広がっていく。
そして初めて食べたあの白い粒々は柔らかぅ、甘みがあって肉との相性は抜群だ。
つまる所。
「・・・美味しい・・・」
素直にベルセティアは呟いた。
レストランとかでそのまま料理として出せそうな美味しさだった。
「ああ、よかったです・・・」
その言葉を聞いた時、ヘスティは心の底から喜んだ。
てっきり不味いとか言って去ってしまうのではないかと思っていたからだ。
「全く上品に食べるな。やっぱり育ちの差かね?」
「いや女性が俺達みたいにバクバク食べるなんてないだろ。これが女性本来の食べ方ってものだろ」
「こうやって皆で囲って食べているのですか?」
ベルセティアは不思議そうな表情でフラックらに問いかけた。
「えっと、ベルセティアさんは皆と一緒にご飯を食べた事はないんですか?」
「食事を皆で食べるという風習は私がいた天界にはありませんでした。常に一人で食べていましたので」
「ああ、そうか。でも楽しいぞ。こうやって皆で集まって食べるのは」
「何故楽しいのですか?」
「それはこう、暖かくなるつうか・・・。俺達は一人じゃないって感じになるだろ」
「僕はこうやって皆が僕の料理を食べて美味しいって言葉が聞きたいからですね。それが何よりの楽しみですし」
「俺は、臭い言葉だが『仲間』という感情が湧くん・・・だな・・・」
『仲間』という単語だけ言いにくそうにフレイズは喋った。
見れば何処か恥ずかしそうな表情をしていた。
「おいおいそんな恥ずかしがんなよ、フレイズ。正直に言っても良いんだぜ〜」
「っうぐ・・・!! うるさい!! こんな古めかしい単語をさも当然の様に使えるかっ!!」
「そう怒んなって、フレイズ〜!」
そう言いフラックとヘスティは笑顔を見せていた。
「楽しい・・・」
分からない。
何故楽しいのだろうか。
フラックらはどうして皆と集い、そして食事をするのが楽しいのだろか。
だが不思議と嫌な気分はしない。
寧ろこうしていた方が暖かくなると言おうか、落ち着ける気分になる。
その時、初めてベルセティアは知った。
この安らぎのひと時を。
そしてもっと感じてみたい、と。




♢♢♢♢♢♢♢♢





あれからベルセティアは少しずつフラックらと関わり始めた。
食事で囲むのは勿論、部屋の掃除や武器の手入れを一緒に行ったりと。
フラックらと一緒にいる事で心の何処かが、暖かくなるのだ。
今まで優しさとか思いやりとか、そういった感情は理解出来なかったのだが今のベルセティアにはそれらが少しだけ理解出来る気がする。
だからなのだろうか。
フラックらと接する内にベルセティアの頭の中に響く主の声が、口調が柔らかくなって諭してくれる様になったのだ。




―――今日は彼に優しくしなさい―――



―――今日はイシスらと一緒にいなさい―――



―――今日はヘスティとお菓子を作ってみなさい―――




とまるで我が子の様に、もしくは彼女を思いやって声を掛けてくるのだ。
主の声が変わってしまった事にベルセティアは戸惑ったが主の声がそう言うのであれば迷う事はない。
素直に聞いて使命を果たそうとベルセティアは迷わなかった。
それに、その主の声に従っていると何故か心が安らかになるのだ。
まるで自由になったかの様な気持ち。
抑圧から解放され、ありのままの自分でいられるかの様な気持ちになるのだ。
だからベルセティアは気兼ねなく従う事が出来た。
そんなある日。

「でぇ・・・!! 疲れたぁ・・・!!」

度重なる遠征からやっとの事で戻ってこれたフラックは鎧を脱がずにベッドへと倒れ込んだ。
「お疲れ様です。フラック」
そんなフラックにもベルセティアは咎めず、労いの言葉を投げた。
以前であればベッドが痛むから鎧は脱げと忠告していたであろう。
「おう・・。にしても骨が折れるな。こうも連戦続きとなると流石に応えるわ・・」
「そうですね。ですがこれで人々を大勢、助け出す事が出来ました。圧制を強いられスラム生活を余儀なくされていた人達もこれで元の生活へと戻る事が出来るでしょう」
ベルセティアは遠征の中でアメジストと同じ様なスラムを見てきた。
そこに住んでいる人達は皆訳ありで、ただ共通している事は王のせいでこんな生活を送る羽目になっていたという。
それをフラックらが正し、最終的に王を改心させ皆が元の生活に戻ったのだから喜ばしい事だ。


(スラム・・・・)



ベルセティアが何気なく呟いたその台詞。
そう言えば、フラックはスラム生活を送っていた。


「・・・・・・・」


暫く考え込んだベルセティアは、ふとフラックに尋ねてみた。
「フラック。聞きたい事があります」
「ん、珍しいな? お前から聞きたい事って」
「・・・何故貴方は、引いてはイシス達はあのスラムに住んでいたのですか?」
アメジストは整備された城下町と立派な城があると聞き、実際に来て見れば聞いた通り立派な城と整備された城下町があった。
だがその外れにスラムが出来上がっていて、治安は最悪。
いつも騎士隊との小競り合いが見られると聞かされた。
まるで光と影。
矛盾を抱いていたこの国にベルセティアは気になっていたし、何よりもフラックが何故スラム生活を送っていたのが気になった。
「ああ・・・・追い出された、って事になるんだろうな。あの王様に・・・」
「追い、出された・・・?」
ベルセティアは首を傾げた。
「近代化だとか改修だとか・・・。兎に角街や施設を整えようってお偉いさんが叫んで立て壊しとか退去とか沢山行われたんだよ。んで俺らもそれに巻き込まれて親もいなくなって、気が付けばスラム生活って所だ・・・」
それを聞いたベルセティアは気まずいとも、申し訳ないとも思える表情を浮かべた。
街を整備し住みよい所にするのは人々の為であるのは分かる。
しかしその為に住み慣れた家を追い出され、居場所を失くすというのは本末転倒ではないだろうか。
特にフラックがその被害者と知れば穏やかではいられない。
「そんで孤児になっていた俺の元にイシスやフレイズ、ヘスティが集まってきたんだよ。でこのままじゃ俺達は野垂れ死ぬから一緒にやって行こうって。今じゃ大事な仲間になったんだよ。・・・まあ、だからだろうな。俺が勇者になりたくないだとかほざいていたのは。勝手に人様の居場所を奪って、勝手に仕事を与えて無理やり働かせるってのが嫌いだな。勇者って奴も結局は仕事みたいなものだろう。だからあの時、なりたくなかったんだよ。まるで奴隷みたいに働かされて命令通りに動くなんて俺はしたくなかったんだよ」
「だからあの時、あんなになりたくないと・・・」
今のベルセティアには分かる。
自分はフラックに対し、酷い仕打ちをしてしまった事に。
「でも、今はそんな後悔とかはしてねえかな・・・?」
「え・・?」
「こうやって人助けに繋がるってのも悪くねえし、お前と一緒にいるのも少しは気に入ってるからよ」
「フラック・・・」
これにはベルセティアは驚いた。
自分はフラックにとって邪険される存在であると思い続けていたが、まさか気に入られるとは。
「・・・あっ! でもな、俺・・・それとは別に叶えてみたい夢があるな」
「叶えたい、夢ですか?」
ベルセティアはフラックの叶えたい夢に興味が湧いた。
一体どんな夢なのだろうとベルセティアはその耳を立てた。
「畑を耕してみたい、って事だ」
「耕、す・・・?」
「畑を耕して、魚を釣ったりとか、そんで皆と雑談し、そのまま寝て・・・。まあ平穏な日々を送りたいって奴だ。まあ、勇者やってる時は無理だけどよ。でも・・・」
平穏な人生を送る。
確かにある意味これ以上ない幸せというものだろう。
フラックは勇者として使命を全うしている。
ならばその権利はあるのではとベルセティアは思ったが・・・。

「っ・・・・・・・・・」

・・・いや、その権利はある。
ベルセティアはフラックの手を取り、そしてフラックの手の甲を優しく撫で始めた。
「お、おいベルセティア?」
「フラック。その願いであれば、皆は許してくれると思いますよ」
「許すのか? 何か勇者って平穏とは無関係でそんなのは許してくれねえかなって思うんだが?」
「許して下さると思います。絶対・・・」
「・・・まあ、そう言うなら・・・な」
一体誰が許してくれるんだとフラックは戸惑っていた。
だが少なくともそれを許してくれる人をベルセティアは一人知っていた。
それはベルセティアの主。
主がこうささやいてきているのだから、許してくれるとベルセティアは確信したのだ。


―――私も許しましょう。フラックが平穏を得たいのを―――


何時か叶って欲しい。
そう思わずにはいられないベルセティアであった。



♢♢♢♢♢♢♢♢




それから数日後の事だ。
いつもの様にフラックらは全員一緒で食事をしていた最中だった。


「皆に、話があるんだ・・・」


ヘスティが真剣な表情と少しだけ重い口調で告げてきた。
その表情と口調で察したフラックらはヘスティをじっと見つめた。
「僕ね、ちょっと前に『リリス』っていう魔物娘さんと出会ったんだ」
「っ!?」
それを聞いたフラックらは身構えた。
ここアメジストは反魔物主義を主張する国家。
魔物娘に出くわしてしまったとなれば落ち着いてられない。
「大丈夫だったか!? どこも怪我とかしてねえよな!!」
ヘスティの両肩を掴みイシスは問いかけてきた。
「大丈夫大丈夫!! 大丈夫だって!! お願いだから落ち着いて話を聞いて」
そう言いヘスティはイシスをなだめると、一つ咳ばらいをする。
「確かに最初は僕、凄い不安だったよ。走って逃げなきゃって思ったんだ。でもやっぱり走るのは駄目ですぐに転んじゃって。そしたらそのリリスさん、僕の事心配してくれたんだ。『大丈夫だった?』って」
これにはフラックとイシスもフレイズも、そしてベルセティアは驚いた。
まさか魔物娘がヘスティを心配してくるとは。
「そこからまあ、色々話してね。僕の境遇だとか、体の事とか。・・・・それでその人から『魔物娘にならないか』って誘われたんだ。僕の足、不自由だから。魔物娘になれば僕の足も治って、走る事も色々出来る様になるって」
「・・・・で、なるのかヘスティ・・・?」
フラックが問いかけに沈黙したヘスティ。
一分程、その口を閉ざしていたヘスティは意を決して告げた。
「・・・・なりたいって、思ってるよ・・・・」
それを聞いたイシスはヘスティへと詰め寄ろうとした。
だが寸前でフラックは手で止めた。
「それはどうしてだ。今のままでもお前は十分だと思ってる。なりたい理由を、教えてくれ」
「・・・僕は、自由になりたいんだ。色んな所行って色んな物見て、色んな事を知りたい。 その為には足が必要なんだ。だから・・」
誰しもが持っている自由になりたいという欲望。
ヘスティの場合は自分の足を治し、色んな場所に行ってみたいという事だった。
その願いは重々分かるが、されどイシスは反対した。
「か、考え直せよ!! フラックの言う通り俺はイシスがそのままでも十分だ!! あんな奴らの仲間になるなんて俺は嫌だぞ!! なあ、フレイズ!!」
「・・・俺は構わんぞ。ヘスティがなりたいならそれで良い」
「何言ってんだよ!! ま、魔物になるなんて正気じゃねえぞ!!」
「イシス・・・魔物が危険な存在という話はもう過去の事だ。俺はもう知っている。魔物は俺達と同じ、他人に対し優しさを施す。今の魔物、いや魔物娘は人と分かり合える、そうだろ?」 
「けどよ・・・。あいつらは無作為に人を襲う時だってあるんだぞ。その、性的な意味で・・」
最後の『性的な』だけ言いにくそうにイシスは訴えた。
決してイシスは根っからの反魔物主義を主張する人間という訳ではないが、妹分であるヘスティが魔物になりたいと聞けば兄貴分であるイシスは落ち着いていられないのだ。
彼女の身に何があったらと心配で心配で仕方ない。
それは兄として当然の反応なのだから。
心配が止まらないイシスの前にフレイズは顔を近づけた。
「イシス。可笑しいと思わないか? ヘスティが無事に戻ってきている事が」
「へっ?」
「その『リリス』という魔物娘はとっくのとうにヘスティを魔物娘へと変えているはずだ。にも関わらずヘスティを見逃し、考える機会を設けてくれた。これはどういう意味か分かるか?」
「う、うぐ・・・」
イシスは口ごもった。
普通に考えればそのリリスはだた純粋に、ヘスティの未来を思って見逃し考える機会を与えたのだろう。
でなければフレイズの指摘通り、もうヘスティは魔物娘となっていたはずだ。


「ただし・・・」

急にフレイズは重苦しい表情へと変えてヘスティの方へ振り向いた。
「お前が魔物娘になるというのであれば俺達は今後、会えることはないかも知れないな・・・」
それを聞いたヘスティはその顔を俯けた。
『勇者』であるフラック、引いてはその従者となるイシスらは魔物娘達と敵対関係。
『勇者』という立場がある以上、もし戦場とか会えば戦うかも知れない。
「お、俺は嫌だぜ!! ヘスティと別れるなんて!! お前は俺にとっちゃ妹分だ!! それにもしお前と戦うなんて事になったら俺は・・・、その・・・!!」
言葉に出来ないもどかしさにイシスは口を詰まらせた。
「ねえ、フラックはどうかな? 僕、魔物娘になろうとしてるんだよ。『勇者』なら、止めるべきじゃないのかな?」
「・・・・お前の好きにして良いと思う。それがお前にとって幸せになるんなら」
「フラック!!」
「ヘスティは自分の意思でなりたいと言ってるんだ。少なくとも俺は止めない」
「俺もフラックの意見に賛同する。個人的な考えとして、ヘスティの幸せを願うのであればこれが一番だと俺は考えてる」
フラックもフレイズもヘスティの願いを後押ししていた。
ここまで言われたら、もうイシスも認めなければならないだろう。
細かい事を気にしてヘスティの幸せを潰すのは兄貴分であるイシスのプライドが許さなかった。

「かぁ〜〜!! もう考えるのは止めだ!! お前が幸せになりたいなら、それで良い!! 以上だ!!」

やけっぱちな台詞であったが、ヘスティの幸せを考えられない程イシスは愚かでない。
だからイシスはヘスティの幸せを思ってそう叫んだのだ。
「ありがとう。皆・・・でも」
これで心置きなく魔物娘に、という訳にはいかなかった。
まだベルセティアが口を閉ざしていたからだ。
「・・・ベルセティアさんはどうなのかな? やっぱり反対するかな?」
「っ・・・・・・・」
ベルセティアは悩んでいた。
魔物は人間達にとって敵であると教えられてきた。
ヘスティが魔物になろうとしている。
だがそれはヘスティが望んでいる事。
ヘスティが自由になりたい為に望んでいる事なのだ。
それを考慮してしまうと余りにも難しすぎるのだ。
だから、仕方なくベルセティアは主に問いかけた。
この場合、自分で結論出すのは一番であるが背に腹は代えられなかった。
それほどまでにベルセティアは悩んでいたのだ。





(・・・・・主よ。貴方様の答えは・・・?)


すると主は優しく告げた。


――――ヘスティの好きにさせなさい―――




それを聞いたベルセティアは耳を疑った。


(・・・っ!? 何上ですか!!)



――――ヘスティは自由になりたい。ならばそれを止めてはいけません――――



(自由に、なりたい・・・)



誰にも縛られる事なく好きな所へ行き、好きな様に生きる。
それをヘスティが望んでいる。
ならば止める事などしては駄目だ。
そう。
ヘスティの幸せを願うのであれば。
そう思えば魔物娘になるなど些細な事だ。
押して挙げるべきなのだ、自分は。
主の言葉によってベルセティアの迷いは晴れた。



(そうでしたよね・・・。ヘスティは・・・)



優しい笑みを浮かべながらベルセティアはその口を開いた。
「・・・ヘスティ、貴方は自由になりたいのですよね?」
「は、はい・・・」
「ならば構いません。貴方の為に、彼女らの仲間になりなさい。・・・ただし、一つ条件があります」
「条件、ですか?」
「魔物になっても、人々に危害を加えない。それだけは守ってください」
何故そんな言葉を言ったのか。
正直な話、ベルセティアは分からなかったがこれだけは伝えておくべきだろう。
優しさを捨ててしまっては魔物も人間も関係ない、それは絶対に守るべきであろうルールなのだから。
「勿論だよ。絶対に人を襲ったりしない!! 絶対に人を傷つけたりしないから!!」
「では、約束守ってくださいね」
ベルセティアとの約束にヘスティは力強く頷いた。
その日の食事は一瞬にしてヘスティのお別れ会へと変わってしまい、皆これが最後と言わんばかりにヘスティの作った料理をほうばった。
そして次の日の朝。
ヘスティは忽然と姿を消してしまった。
机の上には手紙が置かれていて、急に消えた事に対する謝罪と今まで皆に世話になった事への感謝、そしてまた何処かで会おうねという文章が綴られていた。
フラックらは正直寂しかったがジメジメとした別れになるくらいであれば、いっその事こっちの方が清々しくて潔いだろうと考え直した。
もう永遠の別れだと思っていたが、それから数日後の夜の事だ。








フラックらがヘスティの代わりとしてベルセティアが作った食事を食べている際、ノックの音が聞こえきてフラックがドアノブに手をかけ開けてみたら。

「フラック。皆、ただいま・・・」


そこにいたのはヘスティであった。
いつもと変わらないクリっとした両目に茶色の髪の毛のヘスティだ。
「お、おい!? ヘスティなのか!! 俺、夢でも見てるのか」
慌ててイシスがヘスティへと駆け寄ってきた。
「何ならイシスが大事にしてたイシスがどんな内容か皆に教えちゃおうかな〜」
意地悪な笑みを浮かべながらヘスティは言いかけようとしていたのだから、今度は別の意味でイシスは慌てた。
「そ、それを言うなよ!! 俺が一生懸命集めたコレクションなんだぞっ!?」
「間違いないなこりゃ。ヘスティだ」
そう言いフラックは頷いていた。
イシスが『とある物』をコレクションしている事は自分らとヘスティしか知らない。
だから本物のヘスティであると証明出来るのだ。
「それはさておき、ヘスティ・・・・魔物娘になったのだろ? 見た所、変わっていないようだが?」
ヘスティの外見は全くと言っていい程変わっておらず、本当に魔物娘となったのかフレイズは疑った。
「人間の様に見せかけているだけだよ。ほら」
そう言うとヘスティはその顔を少しだけ力むと、ヘスティの背中からコウモリの様な羽が出てきた。
その羽で何の種族になったのかフレイズは察せた。
「『サキュバス』、か・・・。けど何故戻ってきたんだ。ここにいたら危ないのは分かっているだろ」
ここは反魔物国家。
もし魔物であるヘスティがこの国に入ってきたと知れたら一大事だ。
「それは分かってるよ。・・・けどやっぱり、皆と一緒にいたいんだ。だって皆ご飯作るの下手だし、僕がいなきゃ駄目だって気づいてね。自由な旅は逃げないから後でも全然大丈夫だよ。人間に化ける事は出来るしこれなら今まで通り僕が皆と一緒にいてくれる、・・・よね?」
だがヘスティの表情は不安に満ちていた。
それは魔物である事が他の人間に知れたら、といった不安でなくフラック達が受け入れてくれるのかという不安であった。
長年暮らしてきたとはいえフラックは『勇者』。
『勇者』は魔物娘と相容れぬ存在。
だからフラックらは沈黙し、気まずい表情をしていた。
そしてベルセティアもまたフラックらと同じく沈黙していた。
確かに悪しき存在である魔物娘は人々とっての敵であるとベルセティアは認識しているが。
ベルセティアはヘスティを憎めなかった。
何故なら憎む理由など何処にもないのだ。
となればヘスティに対してどうするべきなのだろうか。
ベルセティアはまた深く悩んでしまった。
このままでは何も変わらない。
仕方なくまた、ベルセティアは主に問いかけた。




(・・・主よ。ヘスティは魔物娘となりました。私は受け入れるべきなのでしょうか・・・?)



すると主はまた優しく告げてきた。




――――ヘスティは仲間です。迎え入れるのです―――



(・・・仲間・・・・)



その言葉を聞いたベルセティアは納得した様に頷いた。


(そうでした・・・。・・・・ヘスティは私の仲間。魔物娘になれど私達の仲間である事に変わりはない・・・)


ヘスティはフラック達にご飯を作ってくれた。
フラック達と共に過ごした仲間だ。
仲間であるヘスティに対し拒絶するなど出来ない。
そう考えたベルセティアはヘスティの元へと歩み出た。

「ヘスティ」
「は、はいベルセティアさん」

緊張した表情でヘスティは答えた。
「何も恐れる必要はありません。ヘスティは私達の仲間。少なくとも、私は貴方が魔物娘だとしても受け入れますよ。ヘスティ、これからも一緒にいてくれますか?」
そう言いベルセティアはヘスティの肩に手を置いた。
「は、はい!! 勿論です!! 僕もフラック達の為に頑張ります!!」
ヘスティは満円の笑みを見せ、何度も顔を振っていた。
「ベルセティアがそう言うなら、俺も同じだ。戸惑う事なんてねえよな」
「俺としたことが・・・。そうだったよな、魔物になってもヘスティはヘスティだ。俺達の妹分だ」
「ああ、すまないなヘスティ。・・・・だが警戒はしといてくれ。魔物娘である事が知れたらすぐに騎士達が動き出す。十分注意するんだ」
ベルセティアの誠実さとその優しさを見て、フラックらの迷いの霧は一気に晴れた。
何をためらっていたのだろうか。
魔物娘だろうとヘスティはヘスティ。
何ら変わらないではないか。
にも関わらず魔物娘だとしてヘスティをためらうなど実に恥ずかしい事だ。
だから普通に接すれば良い。
そう考えたフラックらは改めてヘスティに向かって笑顔を見せた。
「これからも美味しい食事頼むぜ、ヘスティ」
「うん、任せといてよ♪」
こうして新しいヘスティはフラック達に受け入れられたのだった。
言うまでもなく、ヘスティが受け入れられたのはベルセティアのおかげであった。





♢♢♢♢♢♢♢♢




夕方の明かりが城下町を照らし、黄昏を演出させていた。
ヘスティに頼まれた買い出しが終わり帰路に着いていたフラックとベルセティア。
「これで全部だな。・・・ったく、今日は豪華な料理にするからってこんなに頼むなんてな」
両手に一杯の紙袋を抱えながらフラックはぼやいでいた。
「でもヘスティはフラックらの為に手を振るうのですから、私達もヘスティの為に用意するのは当然です」
フラックと同じく両手に紙袋を一杯抱えていたベルセティアはそう返してきた。
「そりゃ、な。腕も挙がってきて俺もヘスティの手料理が楽しみになってきたな」
「私もです。今度、ヘスティからもっと美味しい料理を学びたいものです」
そう言い笑みを浮かべていたベルセティア。
その顔は穏やかで、少しだけ楽しそうであった。
今まで見た事が無いその優しい笑みを見たフラックは思わず呟いた。


「・・・・ベルセティア、お前変わったな」
「何がですか?」
「いや。お前、初めて会った頃は氷みたいに冷たくて、正直近寄りたくねえって思っててなあ。でも今は柔らかくなったな」
「体付きが、ですか? 毎日鍛錬はしていますが何処にぜい肉が?」
そう言い、ベルセティアは自身の二の腕を指で摘まんだ。
「別にたるんではいないと思うのですが・・・?」
「・・・・っははは!!」
フラックは思わず笑った。
純粋に、そして無邪気な笑みをベルセティアへと見せながら。
「な、何を笑うのですかフラック・・・?」
自分は笑われる事などしたのだろうか。
思いつかなかったベルセティアはただ困惑していた。
「いや悪い悪い。そうやって真に受けるのが、可笑しくてな。こういうのってアレだよな。仲間だから笑ったんだろうな」
「仲間・・・?」
「ああ、俺達の仲間だ。ベルセティアは間違いなくな」
「仲間、ですか・・・」
そう言われるとベルセティアは胸が暖かくなるのを感じた。
この気持ち、案外悪くない気持ちだ。
むしろこのまま浸っていたい程だ。


(・・・・フレイズは、古めかしいと言ってましたが・・・。仲間という単語、悪くないですね・・・)


そんな事を考えていたベルセティアはふと、ある光景を目にした。



「む・・・?」



それは少年とその飼い犬。
犬の首元には勿論、首輪が取り付けられリールと繋がれていた。
そしてリールは少年が握っていて犬が何処か行かない様にしていた。
犬の散歩という当たり前過ぎる光景であった。
「どうした? あいつらが珍しいのか?」
「いえ。あの犬とその飼い主は、そのどんな気持ちなのだろうと」
「ん? どんな気持ちって・・・? いや別に普通じゃねえのか」
興味がないのかフラックはそう答えたが、ベルセティアは興味があった。
飼い主は喜んでリールを引っ張って犬を散歩させている。
表情から察するに犬も嫌がってはいなかった。
つまり何ともないという事だ。
それがベルセティアの興味を引いていた。
首輪を付けられ飼い主によって自由を奪われる。
何処か興奮してしまいそうで、そして支配欲を感じさせる。
自分が主導権を握り、自分の思いもままに従わせる。
そして可愛がるとなれば、それはもう代えがたい快感ではないだろうか。
例えばもし人間で、それもフラックとかでやろうと思ったら。
だからベルセティアは思い描いた。
首元に首輪を付け、自身が手綱を握りフラックを従わせている姿を。


(ベルセティア・・・! これで、良いのか・・・!!)


そしてこのままフラックを・・・。

「っ!?」

すぐに顔を左右に振ってかき消したベルセティア。


(何上、その様な邪な考えを・・・)


「おいおい。どうしたんだ?」
「いえ、何にも。では行きましょうフラック」
何と恐ろしい事を考えてしまったのだ。
まさかフラックを犬の様にして、自分が可愛がるなどと。
だがしてみたいという気持ちはなくはない。

(いえこれ以上はもう想像してしまっては・・・!!)

必死で邪な気を消そうとベルセティアはいそいそと歩いていった。
なるべくフラックの顔を見ない様に。
その理由は単純明快。
恥ずかしがったからだ。


18/12/30 10:18更新 / リュウカ
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■作者メッセージ
久しぶりの投稿となってしまいました・・・
リアルが色々忙しくて書く暇がなかった・・・(例のSQをプレイやら新しい仕事が決まったとかetc)
見ての通り続きますのでお付き合いの程をよろしくお願いします・・・

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