連載小説
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砕角のユニコーン
「はい、これで処置は終了です」

 柔らかな日差しが差し込む昼下がり。内装を清潔感のある白で統一された診察室に、優しげな女性の声が反射した。
 
「ありがとー、リエラ先生」

 それに、少年のような声が答える。
 その少年の包帯の巻かれた右手を放しながら、リエラと呼ばれたユニコーンが優しく微笑んだ。ゆるいウェーブのかかった白髪がやわらかく揺れる。
 生まれついてのものだろうその優しげな表情は、見る者を安心させる不思議な魅力を放っている。その表情のまま、彼女は診察室を出ていく少年に手を振る。

「また来るねー、先生」

「また来なくてもいいように遊んでください」

 その言葉に、やんちゃな笑いを返したかと思ったら少年は駆け出し、あっという間に見えなくなった。
 リエラは、こんな時小回りの利かない自分の馬身を少しだけ恨めしく思う。ちょっと表に出て、患者を見送ろうとしてもそれが叶わないから。
 そう。リエラはユニコーンだ。人ならば足があるべき場所から純白の毛並みを持つ馬のそれになっている。そして、同じく純白の長い髪。今は後ろで結ってあるその髪は、解けば馬身にすらかかるほどに長い。
 だが、何よりも雄弁に彼女の種族を証明するはずのもの。額から覗く白銀の角は。
 ――半ばから折れ、硬質な断面を晒していた。

「………」

 無意識のうちに、折れた角をその繊手でなぞる。既に癖になった仕草。

「……いつ見ても、痛々しいです……その、角………」

 目を伏せ、折れた角を触っていたリエラに、急に声がかけられた。いつもなら、こんな場面を他人に見られたりはしないのだが、すこし気が抜けていたようだ。
 声をかけたのは、診察室の入口に立つ少女。背中の大きく開いた真っ白なワンピースを着ているが、そこから覗く肌も異常なほど、白い。もし彼女の瞳が血の色をしていなかったら、この診療所の中で彼女を見つけるのは難しいかもしれない。
 
「アリサ……」

 アリサと呼ばれた少女は患者ではない。それを示すように、リエラと同じ長い白髪を高いところで結い、頭の上に小さめの特殊な形をした帽子をのせている。
 彼女はかわいい顔をしているのだが、今はその美貌に陰りがみられる。言うまでもなく、その原因はリエラの角にあるのだろう。
 そんなアリサの視線を振り払うように、リエラは首を振った。その動きに追従し、結わえた髪も揺れる。

「いえ、これは私の誇りでもありますから」

 その言葉に、アリサの白い面から覗く血色の双眸が疑問を投げかけるように細まる。が、そんな気配はすぐに消え、彼女はくるりと背中を向けた。

「今は聞きません。でも……いつか教えてくれたら嬉しいです」

 それだけ言い残し、彼女は診察室から出ていった。おそらく、薬品の残りやその他の消耗品を確認に行ったのだろう。
 アリサが出ていってから、リエラも診察台の上を片付け始めた。
 白い絹の長手袋に包まれた指先で、机の上のものを所定の位置に戻していく。先ほどの少年のけがや病気などの詳細な履歴を記したカルテはファイルに挟んで棚へ、少しだけ使った包帯とガーゼ、軟膏の入った器は部屋の脇にある棚へ仕舞う。
 本来なら、ユニコーンは他者の治療に薬や包帯など使わない。その傷や病に合わせた魔法式を作り上げ、それを患部で展開するだけである。他の種族にとっては難しい魔術でも、彼女らはその角を介して簡単に医療魔術を使うことが出来るためだ。
 だが、角のないユニコーンは他の魔物と何も変わらない。瞬時に組み立てられるのはせいぜい小規模な医療魔法が精いっぱいだし、たとえ大規模なものを組めたとしてもそれが展開し切るまで維持するだけの魔力が足りない。
 リエラは昔、とある理由で角を失った。だから、もう大規模な陣を自分で維持し切るのは無理だ。でも、構わない。
 そのための医療設備で、そのために学んだ魔術に頼らない医学だ。それに、今は医療魔術のアシストをしてくれるアリサという助手もいる。
 そんなことを考えながら、リエラはふと、古い記憶が浮かび上がってくるのを感じていた。
 遠いようで近く、未だ昨日の出来事のように鮮明に思い出すことのできる、記憶の海の浜辺に打ち上げられた1つの記憶のカケラを。




 やさしい木漏れ日が降り注ぐ、湖のほとり。枝を張り巡らす樹にとまった鳥たちが、綺麗な音色を奏でている。
 鏡のように研ぎ澄まされた、静かな湖面に、湖を覗きこんだリエラの姿が映る。そこで、しばらく湖面を眺める。澄みすぎた湖には、見とおされることを嫌ってか、魚の姿は無い。その代わり、かなり深いはずの湖の底が鮮明に見える。
 きっと、湖底から上を見上げれば、カーテンのように帯状になって差し込む、太陽が生んだ光が見えるのだろう。そして、ゆったりとした流れに身を任せる水草と、その陰に隠れる魚たちの姿をゆっくり楽しむことができるのだろう。
 だが、リエラはユニコーンで、どう足掻いても泳ぐことなど出来はしない。永遠に見る事の叶わぬ景色を、想像することしかできない。
 透明な、だが確かな存在感を持ち体を包み込む水。ひんやりと冷たく、気がつくと早足になるような思考を、ほどよく冷静にしてくれる。なめらかな手触りと共に、かすかに絡みつくようでもあるその感触に包まれながら、ゆっくりと、どこまでも落ちていきたい。
 そこまで考えて、リエラは頭を振ってその想像を頭から締め出した。そして、その水を、手のひらですくって飲もうと手を伸ばした時だった。

「――っはぁ、はぁっ、はぁっ………」

 乱暴に木々をかき分け、その湖のほとりに埃まみれ傷まみれの男が転がりこんできた。男は荒い息を吐き、抜き身の剣を片手に貪るように湖の水を飲んでいる。その行為によって、いままでまるで鏡のように整っていた湖面が、無秩序で無粋な波紋で乱された。
 そんな様など目に入らない様子で、男は水を飲み続ける。口から零れた水が、顎を伝いその襟元を濡らしても、一向に止める気配はない。よほど喉が渇いているのだろう。
 リエラは男に声をかけることも、水を飲むこともせず、ただじっと男を見つめ続ける。その碧眼は、男の何かを見極めようとするかのように、細く、細められる。どこか険しいその表情には、初めから全てを知っているような、老獪な魔女のような空気があった。絶望か、希望か、あるいはその両方を纏った表情で、リエラは男を見つめる。

「……はぁ……んぐっ………」

 そうして、水を飲み終えた男は手の甲で口元をぬぐうと、先ほどからずっと自分の傍に佇むリエラに気がつく。
 交錯は一瞬、リエラと男の視線がぶつかる。だが、男は表情を驚愕へと変えながら、剣を構えて飛び退った。

「うっ、うわっ!?」

 構えた剣の剣先は細かく震え、その構えもとても訓練を受けた者のそれではない。足を不格好に開き、明らかに腰は引けている。それでも、逃げずに敵と相対しているところだけは立派だ。
 だが、剣を向けられても全く怯まず見つめ返すリエラに、なけなしの勇気は早くも底をついたようだ。大きく見開いた瞳を潤ませ、剣先が先ほどよりも大きく振れだす。

「お待ちください。私はあなたに危害を加えるつもりはありません」

 ふっと、先ほどまでは険しかった眼光を緩め、苦笑じみた笑みを浮かべながらリエラが話しかける。同時に、両手を軽く上げ、武器を持っていないことを示す。その仕草に、けれども男は武器を下ろさない。

「だっ、だまされないぞ!! そうやって油断させて――」

「――食べたりはしませんよ」

 リエラは相手の言葉を遮って言う。今までに会ったことのある人間はみなそう言った。恐れと怯えをその瞳に浮かべて。
 唯一の例外は、ゼノンと名乗った灰色の髪を持つ冒険者。あちこち擦り切れた強靭な素材のコートを纏った彼は、その剣を抜くこともせず、挨拶を投げてきた。
 だが、残念ながらそういう人間は少数派だ。大半の人間は、教会の掲げた自分たちに都合のいい“真実”を妄信し、魔物に剣を抜く。

「それでも信じられないというのなら、私はここから去りましょう」

 そして、もうひとつ人間という種族には致命的な欠点があるとリエラは思う。

「な、ちょっと待ってくれ!」

 それは、欲だ。相手が無害だと、安全だと分かると、すぐに自らの欲望を満たすべく行動を始める。
 魔物にも強欲な者はいる。というか、ほとんどがそうだ。だが、彼女らは皆、“力”という欲望を満たすための道具を持っている。そして、自らの分をわきまえている。
 それに比べ、人間はどうか? 力も無いくせに、自らの全てを満たそうとする輩ばかりだ。こちらが寛容になれば、なった分だけずかずかと土足で踏み込んでくる。幸運を決して逃すまいと、他人を平気で食い物にする。

「――角なら、あなたに渡す義理はありません」

 踵を返したリエラに声をかけた男は、リエラの返事にうっと言葉を詰まらせる。やはり、これが狙いだったようだ。
 森の中で、偶然ユニコーンに会える確率は限りなく低い。そして、その確率の網をくぐりぬけた者は、ほぼ必ずこう思う。“あの角を手に入れてやろう――”

「では。ごきげんよう」

 リエラはそれだけ言って、森の中へと歩いて行く。すっぱりと、拒絶を感じさせる動きで。
 そして、幾度も幾度も通り、既に道が出来上がっている木々の間を数歩進んだところで、いきなり振りかえった。振りかえると同時に突き付けられた、まるで相手を指さすような形の指先には、光り輝くコインのような円盤。
 青い光を放つ小さな円盤――魔法陣を突き付けられ、今まさにリエラの首を刈り取ろうと剣を振り上げていた男は、びくりと硬直する。男からは、突きつけられたコインのようなものが、超小型に圧縮された魔法陣であることがわかるだろう。文字も読めないほどに密度の高い式が書き込まれた魔法陣は、リエラの指先で鋭い光を放ち続ける。

「――首も、あなたに渡す義理はありません」

 指先の魔法陣を、展開すれば一撃で目の前の男が消し飛ぶような魔法が書き込まれた魔法陣を突き付けながら、リエラが言った。
 その目はナイフのように細められ、男を睨んでいる。だが、その表情は悲しげだった。

「………俺には、どうしてもその角が要るんだ……」

 だが、魔法陣を突き付けられつつも、男は退かない。その瞳は怯えの光が宿り、細かく震えて恐怖を訴えている。剣先も揺れて、とてもではないがリエラを傷つけることなど出来はしないだろう。
 それでも、男は退かない。激甚な恐怖に晒されながら、命を失う危険を冒しながら、安っぽい剣を構えて精いっぱいの虚勢を張る。
 その姿勢に、リエラは興味を抱いた。細められていた瞳が、再び緩む。

「……理由を聞きましょうか」

 その台詞に、男はホッとしたように、しかし剣は下ろさずに話し始めた。
 男の息子が、どんな名医でも匙を投げるほどの難病であること。それを治すために、一角獣の角を煎じた薬を用いれば望みはあるということ。
 つっかえつっかえの、とても上手とは言えない説明。しかし、それは男が嘘を言っていないことをなによりも証明していた。

「自分勝手な行動だということくらいはわかってる……。だが、俺はあいつが死んで行くのをだまって見ている訳にはいかない」

 そのためなら、自分の命など惜しくは無いと男は言った。はっきりとした怯えを瞳に浮かばせて、それでも顔をそむけずに言いきった。
 そして最後に、一角獣自身の治療を受けられればそれが一番良いが、街に魔物を連れ込んだことが知られれば、自分どころか家族も魔物も命が危ないということを告げた。
 かといって、息子をこの森まで連れてくる訳にもいかない。そもそも、街から出すこともままならない。
 その話を、リエラはだまって聞いていた。そして、静かに指を動かした。

「え?」

 男が疑問の声を上げるが、構わず、

「お話は分かりました」

 にっこりと、指先の魔法陣を展開した。
 圧縮された魔力が、対象を吹き飛ばす。大した音も立てず、とてもあっさりと。




 長い間、古い思い出に浸かっていたいたリエラに、声がかけられる。気がつけば、陽は傾き、室内は紅に染まっていた。

「リエラ先生。お客さんですよ」

 診察室前の廊下から、アリサがそう声をかけた。赤い瞳がこちらを見つめ、入れてもいいか問いかけている。

「あ、どうぞ」

 それにリエラは声を返し、まだ見ぬ客を診察室に招き入れる。
 その声に答えて、アリサの脇を通り抜けた客が、短い髪の若い男が入ってくる。ややくたびれた旅装に、細めだがしっかりした体を持つ、若い男。
 ここで医師を始めて、しばらくになるリエラにも、見覚えのない顔。

「はじめまして、リエラさん。そして、ありがとうございます」

 入ってきてすぐ、男はそんなことを言い、次いで頭を下げた。深く頭を下げられたリエラは、その意味が分からず不思議そうな顔をする。
 すると、頭を上げた男は、懐から包みを取り出し、リエラに渡す。
 受け取った包みは軽く、持っただけでは何が入っているかは分からない。リエラは丁寧にその包みを開けていった。
 幾重にもくるまれていたそれを取りだした瞬間、リエラは絶句する。

「……これは………」

「あなたは、僕の命の恩人です」
11/02/19 15:45更新 /
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■作者メッセージ
こんにちは、湖です。

更新が遅れました。すみません。
なぜか全く筆が進まなかったのです。
ダンテライオンの方は全く書けていませんよ。

今回のお話はあえてすべてを明記していません。
ぼかしてあるところは、作品中の伏線を拾っていただけば多分わかると思います。
そして、ついに「カレイドスコープ」とのリンクキャラが登場しました。
“その後”のアリサです。
しかも、「ゼノン」という名前が既に出ちゃってますね……。
彼はこのシリーズでも一度話題に上がった人物です。その内明らかなるはずですので、気長にお待ちいただければ幸いです。

では、読んでくださった皆様に、この上ない感謝を。

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