連載小説
[TOP][目次]
はじまり
「お金がない……」

僕は自室で小さく呟いた。
小さく呟くのは、この自室が完全に自分のものではないからだ。

いま僕は宿屋に泊まっている。
隣から元気な眠り声が聞こえる環境下で、それを呟くのは自殺行為に近い。

「ここに入れておいたはずなのに」

確かめるように持ってきていた荷物を探る。
しかし、リュックの中にあるのは簡易的なナイフや簡易的な毛布。
すべて野宿をするための道具だ。
本来ならここにお金の入った袋が入っているはずなのだが、
その姿が一切見当たらない。

(食堂? それとも寝ている間に……?)

思考は原因を探そうと過去を検索し始めるが、出てくるのはじっとりとした汗だけだ。
幸いなことに、日はまだ昇っていない。

"逃げる"

選択肢が頭上に浮かぶ。
この宿は後払い制(その日暮らしの労働者が多いからだろう)なので、いまなら逃げることができる。

(もともとこの町には長くいない予定だったし……)

と正当化しながら、荷物をまとめようとしていると

「あの、旅人さん」

声をかけられた。
同時に何か温かなもので、口を塞がれる。

「ひ……むぐっー!……」

「静かに。他のお客様が起きてしまいます」

耳元で囁かれる声。背中にあたる柔らかな二つの双丘。
こんな状況だというのに心を弾ませてしまうが、そんな場合じゃない。
それに、この声は……

「うーん……少し、移動しましょうか。大人しくしていてくださいね?」

「むぐ……」

僕は抵抗できないまま、宿の外に出る。
女性の力に負けるなんて。
戦士職ではなく、魔法職を選んだあの日の僕を恨む。

「ぷはっ」

「さて、まずは謝りましょうか。乱暴に連れてきてしまってすみません。
 あのままですと、他の人を起こしてしまいますからね。それに……」

形式的に頭を下げる女将さんを目の前に、僕は先ほど閉じられていた口で息をする。
い、いきぐるしかった……。
あんなに口に手を押し付けなくてもいいのに……。
そのせいで、僕の心臓がどくどくとうるさい。

「旅人……いえロゥさん。もしかして、逃げようとしていませんでしたか?」

正直に話せば許しますよ、と言うように表情で女将さんは慈愛の目でこちらを見てくる。
背後に浮かぶ月夜のせいで、神聖さまで感じてしまう。
さすがは、シスターを勤めていたことがあると噂されてるだけはある。
ここで、嘘をつくのは悪手だろう。
しっかり話せば、わかってくれるはずだ。実際自分は悪いことはしていないわけだし。

「……そうです」

「素直ですね。素直なのはいいことです。良ければ、お話聞かせてもらえませんか?」

「実は、お金を盗られてしまって」

「……それは、宿屋の管理が悪い……と?」

「い、いえ!そういうわけではなくて、持ち歩かなかった自分のせいです」

「それならなぜ逃げようと?」

「もちろん、それはお金がないから……」

僕は、当たり前のように答える。
お金がないまま、朝を迎えていたらどのような扱いを受けたかわかったものではない。
こうして聞く耳を持たないまま牢獄にぶち込まれてもおかしくないのだ。

「……ふむ。それもそうですね。しかし、無銭飲食をしたまま相談もなしに逃げるというのは解せません。
 それに、ここから逃げたとしてもそのあとはどうするつもりだったのです?」

「う」

自分の事なかれ主義を見透かれたような気持ちになる。
仮に無銭飲食だとしても、宿屋で働いたり、近くの日雇い仕事をすれば1日の宿代くらいは稼げたはずだ。
女将さん──サキさんはそのことを言っている。

「黙っていてもわかりませんよロゥさん」

「それは、その、すみません。焦ってしまって、こんなことになると思っていなくて」

うんうん、とサキさんは頷いて次の言葉を待っているようだった。

「何かお詫びに手伝えることはありませんか?僕でできることなら、何でもしますので!」

僕はサキさんに向かって答える。

「なんでも……ね」

喋る間にサキさんは僕の処遇を考えていたのだろう。その言葉を聞いた途端、こう、提案してきた。

「実は近くに、魔物が出ているんです。それをロゥさんには討伐してほしいんです」

そのあとに、本来なら、依頼書を出すところなんですが……とサキさんは付け足す。
それは僕を魔法職と見込んでのことだろう。
1人女将とはいえ、女性のサキさんに力負けするような僕が、日雇いの力仕事は無理との判断だ。

でも、僕はなったといっても実力は、見習い-初心者程度。
こなした依頼も、薬草や街での依頼事くらいだ。
その依頼は僕がこなせるものだろうか。

「あぁ、そんなに身構えなくても大丈夫です。討伐はあくまで出来たら、です。まずはロゥさんには調査をお願いしたいのです」

「調査……?」

「そう。調査です。そうすれば、いつか魔物との戦闘になったとき、だいぶ人間が楽になるでしょう?
 最近は討伐ではなくて、捕獲・調査といったように魔物をまず理解するという流れになってきているそうです」

「魔物を……理解」

「教会の教えからしたら大目玉でしょうけど。でも、それくらいならロゥさんもできるでしょう?」

それに、なんでもって言いましたしとサキさんはいじわるそうに笑いかける。

「……はい、任せてください!」

「では契約成立ですね。この話はまた朝に。……今度こそ逃げちゃだめですよ?」

「わ、わかってます……」

「よしっ、それなら大丈夫ですね。では、また朝おはようをしましょう。戻りますよ」

サキさんは宿の扉を開ける。
木製のため、音が出ないようにゆっくりと。
僕が宿に入り、自室の扉の前に立つと、

「おやすみなさい」

というサキさんの優しい声が聞こえた。それに答えるように、おやすみなさいと呟く。

……そういえば、どんな魔物が近くにいるか聞いてなかったな。

「まぁ朝になればわかるか」

とりあえず、牢獄にぶち込まれたり、路頭にさまようことはなくなったのだ。
その安心感を胸に、僕は目を閉じた。
22/03/24 22:00更新 /
戻る 次へ

■作者メッセージ
まずははじまりから。
意外と長くなってしまった……。

TOP | 感想 | RSS | メール登録

まろやか投稿小説ぐれーと Ver2.33