読切小説
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竜話-完
 都から離れた辺境の村。
既に夜の帳が下りているこの村に一人の来訪者がいた。

その人物は細かい傷や凹みだらけの甲冑を身に纏っていて、頭部にもこれまた傷だらけの兜を着用しており、顔は分からない。

身長や体格から二十歳くらいの青年だと言う事が窺える。腰には遣い込まれ、柄の擦り減った幅広の剣を差し、背には大きい革袋を二つ、背負っていた。

その甲冑の青年は村へ向かう街道を真っ直ぐ進んでくる。一見、騎士を思わせる風貌だったが、騎士としては身に纏う甲冑が軽く見え、更に盾も無く、どちらかと言えば傭兵ような実戦的な軽装をしている。その為足取りは思いの外軽く、直ぐに街道の途中から村の入り口を守る門の前まで辿り着いた。

眠気眼の門番が近付いてくる甲冑の青年に気が付き、声を掛け呼び止め、横に置いてあった松明を掴み、甲冑の青年へ歩み寄った。

甲冑の青年は立ち止まり、門番にその顔を向けると静かに右手で兜の隠しを上げ、兜の中の顔を見せる。門番は松明を男の顔に近付け、何者か見極めようと眼を凝らした。

門番は直ぐにその甲冑の青年が誰なのか気が付いたらしく、先ほどまでの警戒した表情を緩めて、今度は嬉しそうな表情になる。打って変って上機嫌になった門番は松明を置き、急いで門の錠を外し、甲冑の青年を村に招き入れる。甲冑の青年は門番に軽く礼を言いながら門を潜って村の中へと入って行った。

村の中は今の時刻も相まって静まり返り、どの家にも明かりは無い。甲冑の男は寝静まっている村民に配慮し、あまり音を立てないように村の外れへ向かって進んでいく。村の外れには唯一、明かりの灯っている建物が見えてきた。

村にある他の家々と違ってその建物だけは石造りになっている。建物自体も幾本もの石柱に支えられ、何本もの松明が際限なくその雄姿を照らすという派手な造形になっていた。

甲冑の青年はその建物の前に辿り着き、内部へ入る為の緩い石段を登り始める。この建物は所謂、神殿や祭殿の役割を持ち、建立されたのは近年だが、今では村の観光名所として有名になり、村の収益の大部分を担っている。石段の途中では参拝者の物と思しき、貢物が置かれたままになっており、甲冑の青年はその貢物を踏み付けない様、慎重に足を進めた。

やがて石段を登った先には本尊とも言うべき巨大な石像が見えてくる。その巨像は巨大な翼に長い尻尾、竜……ドラゴンをモチーフにした物だった。
その巨像の足元の祭壇には美しい深緑色の剣が祀られており、松明に照らされて昔と変わらずに煌々と輝いていた。

甲冑の青年はその巨像の前に進み、ドサッと背の革袋を床に降ろす。そしてゆっくり両手で兜を外した。

「ふぅ……」

少年時代、腕白だった面影を残しつつも立派な青年へと成長したクラウがそこにいた。クラウは軽く頭を振るってから兜も床に置き、改めて巨像の元へ傅く。そして一度祀られた剣へ視線を送ってから、眼を閉じると静かに祈りを捧げ始めた。

「遅かったな……我を待たせるとは、生意気になったものだな、小童」

 祈りを捧げていたクラウに突如、巨像から声が届く。クラウは傅き、眼を瞑ったままの姿勢でその声に応じて答えた。

「悪かったよ、師匠。街道が整備中で遠回りさせられたんだ」

「フンッ……どうせ、要領の悪い貴様の事だ。そのような理由だと薄々感づいていたわ」

 クラウが立ち上がるのと同時に巨像の後からあのドラゴン娘のファムが現れた。腕組みをして相も変わらず不遜な態度をしている。成長したクラウとは対照的にファムの姿は殆ど変化が無く、昔と違う所は黒いローブを羽織っている位の物だった。

クラウは床に置いてあった革袋の一つの封を解き、その中身を取り出す。そしてファムに向かって投げ付ける。ファムは腕を崩さず、尻尾で投げ付けられた物を受け取った。ファムは尻尾で掴んだ物を自分の顔に近づけ、観察する。その表情に軽い笑みが見えた。

「……ほう。やっと手に入れたのか」

 クラウが投げ付けた物はトロフィーだった。金色をしたそれには王都武闘大会優勝≠ニ赤文字で印字されている。ファムはそのトロフィーを持ったまま、神殿の壁際へ向かう。壁には棚が掛けられており、そこには先客とも言うべき王都武闘大会準優勝≠ニ印字された銀色のトロフィーが置かれている。ファムはその隣にトロフィーをそっと置く。金色のトロフィーが松明の明かりをキラキラと反射した

「へへっ……これで師匠も俺を少しは認めてくれるかな?」

「……我が鍛え上げた貴様ならばこれくらいの戦功は当然だろう。全く……本当なら去年に手に入っていたモノを……」

「うッ!? それは……まあ俺にも思う所が無い訳じゃないけど……」

「……貴様の詰めが甘いところは鍛え直しが必要だな。後で覚悟しておけ」

「わ、分かりましたよ……」

 ファムに睨まれ狼狽したクラウはそそくさと床に置いた兜を右手で持ち、他の荷物を左手に持つ。そして改めてファムへ向き直った。

「あー……これから母さんに優勝を伝えてきます。それじゃまた」

 そう言ってクラウは逃げるように神殿から素早く出て行く。その姿をファムは呆れながら見送った。

「全く……あれでは小童のままだな」

 一人残されたファムはそうぼやきながらもまた壁に陳列されたトロフィーに視線を送る。金色に輝く優勝杯。このトロフィーを手に入れる為に何人の強者が散って行ったのか? 王都武闘大会に優勝するという事は勇者の資格を持っている事と同じ。今のクラウは勇者並みの力量を持っているという事だった。

ファムはトロフィーから視線を外し、神殿の祭壇に祀られている竜麟の剣≠見る。剣はファムの鱗と同じ深緑色に輝いており、その美しさは失われる事は無い。ファムはその剣を見据え、何処となく寂しげに呟いた。

「遂に……離別の時が来たようだな……母上」



「ただいま! 母さん!」

 神殿から真っ直ぐ自分の家に向かったクラウが玄関の扉を勢い良く開け放つ。そして大声で帰宅を告げた。

「あら……御帰りなさい、クラウ」

家の中では誰かが何か作業をしており、その人物は直ぐにクラウへ向き直る。その人物はクラウの母親だった。

こんな夜更けにも関わらず、クラウの母親は起きていたようであり、母親はその両手で湯気の洩れている鍋を持ち、それをテーブルへと運ぼうとしていた。クラウは母親に近付くと持っている鍋を覗き込んだ。

「おぉッ! シチューか?」

「えぇ、そうよ。クラウ、好きだったでしょ、シチュー。やっぱりお祝いだから、クラウの好物を作ってあげなきゃと思って用意しておいたの」」

 母親はクラウの問い掛けに答えながらそのシチューが入った鍋をテーブルに置いた。

「ああ! 大好きだよ、母さん――あれ? でも何で今日帰ってくるって知ってたの?」

 母親は黙って部屋の窓の方を指差す。クラウが視線を移すとそこには鳥籠に入った白鳩が餌を一心不乱に啄んでいた。

「二日前に早鳩でクラウが何時頃帰ってくるのか書かれた手紙が来たの。多分村長が確認で送ってたんだと思うわ。それであなたが今日帰ってくる事を知ったの」

「はぁ……なるほどね――痛ッ!?」

 クラウは納得しながらシチューの鍋に指を伸ばし、つまみ食いしようとする。しかし母親がそれを制して、クラウの手を右手で叩いた。

「さっさとその汚れた服と荷物を置いてきなさい。食事はそれから!」

「分かったよ。全く、叩く事無いだろうに……」

 クラウは仕方なしと言った様子で頷くと踵を返し、自分の部屋へと向かった。

数分後、クラウが再び母親の元へ戻ると母親は鍋からシチューを掬って木の皿に満たしているところだった。

クラウがテーブルに備え付けられた椅子を引き出し、座る。母親が皿をクラウの前に置き、今度は自分の分も掬ってその皿をクラウの向かい側の席に置き、母親も椅子に座った。

クラウと母親は静かに両手を合わせ、祈りを捧げた。

「いただきます」

 二人の声が重なり、食事が始まる。クラウは一気にスプーンをクリーム色のシチューへ突っ込み、間髪入れずに口へ運んだ。

「……ん〜まい! やっぱり母さんのシチューは最高だよ! 王都のレストランで食べたシチューより美味しいかも?」

「ふふ、ありがとう」

 そのまましばらく親子の食事が続いた。クラウは王都での出来事を話し、母親はクラウが村に居なかった期間の出来事を話す。そうして交互に話題を交換し合った。

「あら……そういえば……」

「ん?」

 クラウが三杯目のシチューの御代わりを自分の皿に満たし始めていた時、不意に母親が思い出したように呟く。クラウはシチューを盛る手を停めて母親に訊ねた。

「そういえば……何?」

「……クラウの御師匠様がこの村に来てから、ちょうど今年が十年だったかしら。時間というのは早いものね」

「もうそんなに立つのか……」

「あの時、クラウが空からドラゴンに掴まれて降りて来た時、お母さん心臓が止まりそうだったなぁ……」

 母親の言葉でクラウはファムと初めて出会った時の事を思い出す。ドラゴンの宝を手に入れようとした事、ファムに空から世界を見せられた事、そしてその世界の端を目指してみたいと思った事を。ファムにお願いして強くして貰ったのもその為だった。後、戦争で死んだ父親の代わりに母親を自分の手で守る為もあった。当面は此方が優先だろう。クラウが過去の事を思い起こしている間に母親は言葉を続けた。

「でもあれから……村長が竜神様を祀るんじゃ〜とか言い出して……神殿を作ったらあっという間に観光名所になっちゃったもんね。あれの御蔭で村も豊かになったし、クラウの御師匠様万々歳だね」

「ま、まあ……確かに」

「その後は近場で起きてた戦争も終わって……平和になった。だから――」

 母親はそこで言葉を一旦区切る。しばし親子の間に沈黙が訪れた。

「…………だからもう母さんは大丈夫、クラウは好きに生きなさい」

 静寂を破って放たれた母親のその言葉にクラウは驚愕し、手からスプーンを落としそうになる。動揺するクラウに構わず、母親は言葉を続けた。

「世界を見に行きたいんでしょう? ならさっさと行ってきなさい。お母さんが許します」

 クラウは思わずテーブルから身を乗り出して母親に食って掛かった。

「で、でも! 父さんの代わりに母さんを守るのが俺のやく――」

「クラウ」

「は、はい!?」

「お母さんが良いと言ってるんですよ」

「……はい」

 母親の有無を言わさぬ物言いにクラウは気押され、ゆっくり乗り出した身体を元に戻した。

「でも……本当に良いのか?」

 クラウが尋ねると母親は穏やかに笑い、クラウの言葉を肯定する。クラウは母親に向かって深く頭を下げた。

「ありがとう……母さ――」

 その時、クラウの言葉を遮るように玄関の扉がノックされる。立ち上がろうとしたクラウを母親が制し、席を立って母親は玄関へと向かった。

直ぐに玄関の扉が開かれる音がして母親と誰かが何やら話している声が聞こえる。そして戻って来た母親は何やら手紙のような物を持っていた。

「これをクラウにって……」

「俺に……?」

 クラウは母親から手紙を受け取ると直ぐに封を解き、中の文面を確かめた。

「……これは!?」

「一体何だったの、クラウ?」

 手紙の文面を読んだクラウの驚き方に母親は不安げな様子で内容を尋ねる。しかしクラウは直ぐに表情を取り繕って母親に心配ないと告げた。

「大丈夫……師匠からの手紙だったよ」

「そうなの……?」

 クラウは母親に文面が見えないようにしながら再び手紙に視線を移す。そこにはファムの字でこう記されていた。

明日の夜、洞窟で待つ
 



次の日、村に再び夜の帳が下りた頃、クラウは村外れの洞窟へ通じる道を進んでいた。

愛用の甲冑を身に纏い、腰には長年使用してきた幅広の剣を差している。夜と言う事で周囲の温度が下がっており、兜の隙間から時折、白い息が漏れていた。

しかしその冷気もクラウの歩みを淀ませるほどでは無く。クラウは直ぐに洞窟の入り口の前へと辿り着いた。クラウは足を停めて洞窟を見る。

「入り口が……開いてる」

 昔、ファムとクラウが出会った時と違い、洞窟の入り口は子供がこれ以上迷い込むと危険という理由で何本もの丸太によって封鎖されている筈だった。しかしその丸太は今や無残に引き裂かれ、洞窟の入り口付近に転がっている。丸太はどれも凄まじい力で圧し折られており、この行為を行った者が尋常ではない力を持つ事を窺わせた。

「……行こう」

クラウは一度腰へ差した剣に触れてから、強引に開かれた入り口の隙間を潜り、洞窟へと入って行った。

洞窟内は夜だというのに何故か淡く明るい。その理由は直ぐに分かる。洞窟の至る所に松明が置かれ、それが周囲をオレンジ色に照らしている。その松明たちは道の標識のように設置されており、その明かりは洞窟の最奥へと続いていた。

クラウが洞窟の最奥へと目を凝らす。奥には少し狭まった空間があり、そこだけ岩が盛り上がっている。そしてその岩の前に何かを守るかのように腕組みをしたファムの姿があった。

ファムは何時もと同じように不遜な態度でクラウを見ている。不意にファムの背後で何かが煌めく。クラウはその輝きを見て引き寄せられるようにファムの元へ、その煌めきの元へ歩き始める。まるで少年の時にドラゴンの宝へ引き寄せられたように。

「……小童か……我のねぐらに迷い込んだか?」

ファムは過去を再現するかのようにそうクラウへ話し掛ける。クラウはその問い掛けに答えずそっとファムの前に立つ。ファムの背に隠されていたモノが見える。あの日、ファムと初めて出会った日と同じく深緑色の剣があった。

「……約束覚えてるんだろ?」

 クラウはファムにそう問い掛け、腰の剣に手を掛けると静かに引き抜く。ファムとの約束、それは武闘会で優勝したら自分と本気で戦ってくれるという約束だった。ファムはその金色の瞳でクラウを真っ直ぐ見据えた後、一度目を閉じ、頷いた。

「当然だ……竜が約束を違える筈も……無かろうッ!」

 ファムは答えると目を見開き、背の翼を大きく広げる。そして威嚇するかのように尻尾を軽く地面に打ち付けた。それだけ洞窟は軽く振動し、壁からは土埃が落ちる。それを合図にクラウは剣を両手に構え、戦闘態勢を取った。

ファムはそんなクラウを見て心底楽しそうな笑みを浮かべる。その笑みには自分の育てたクラウへの愛情、ドラゴンとして強者と戦う事への喜びなどが混ざっており、それらが混ざりあって相乗効果を呼び、余計にファムを歓喜させる。ファムは姿勢を屈め、今にもクラウへ飛び掛からんとしつつ、クラウへ改めて問い掛けた。

「貴様の……目的は何だ?」

 ファムの問い掛けにクラウも兜の内で笑みを浮かべる。おそらく何百年も前から繰り返されてきたであろう竜と人の問答。今それを自分が行える事にクラウは歓喜し、そして此方も使い古された言葉でその問い掛けに応じた。

「……ドラゴンの宝を手に入れに来た

 クラウの言葉にファムは愉快そうに笑い声を上げる。そして竜の咆哮とも言うべき叫び声を上げてクラウへ向かって飛び掛かった。

「ならば!! 我を打ち倒してッ! 手に入れるんだなッ!!」

「望むところ!!」

 クラウも剣の切っ先をファムへ向け、突進する。両者が交差し、竜と人の戦いは始まった。



「俺の……勝ちだ……!!」

 クラウは荒い息を漏らしながらそう言って、仰向けに倒れたファムへ覆い被さり、その喉元へ剣の切っ先を突き立てる。ファムは力尽きたように大の字になって伸びており、荒く息をしながらその金色の瞳で突き立てられた切っ先を見詰めている。その瞳からは既に獰猛さは消え去り、何処か達観した何かを感じさせた。

「はぁ……はぁ……」

クラウ自身も既に息も絶え絶えだったが、ファムの口から降参の言葉を聞くまでは力を抜くつもりはない。クラウは兜を脱ぎ棄てており、甲冑の一部がドラゴンの鋭い爪によって引き剥がされ、地面に転がっている。ファムへ突き立てる剣にも何カ所か刃毀れが見えた。

 ファムは呆けたようにクラウの姿を見ていてが、しばらくしてその目を閉じ、何処か満足そうに呟いた。

「……ああ、我の敗北だ」

「……!」

 クラウは剣の切っ先をファムの喉元からゆっくりと外す。そしてファムの身体から離れると未だに戦闘の影響で震えている手で剣を鞘へ納めようとした。

「あッ!?」

 ピシリという音と共に剣の腹へ亀裂が走る。ファムの苛烈な攻撃によって剣の限界が来ていたらしい。後少しファムの攻撃を受けていたら、剣は限界を迎えて破壊され、クラウは敗北していただろう。クラウは改めてこの戦いが紙一重であった事を自覚する。剣をそっと鞘に戻したクラウは緊張の糸が切れたように地面へ座り込み胡坐をかいた。

洞窟内は先ほどのファムとの激闘で所々崩壊している。地面は抉れ、設置されていた松明は吹き飛び、その数を減らしていた。

両者とも全力を尽くし、満身創痍の様相なファムとクラウはしばらくどちらも無言であり、その場から微動だにしない。しかしその静寂を破るようにファムが口を開き、クラウへ命令するように言った。

「……ドラゴンを打ち倒した者の権利だ。さっさと宝を奪え」

「……宝」

 ファムの言葉でクラウは改めて祀られている剣を見る。剣は相も変わらず深緑色に輝いており、激しい戦いの後でもその美しさは損なわれていない。クラウは疲労感で重い身体を何とか動かし、地面から立ち上がる。そして身体を少しふらつかせながら、あの竜麟の剣の元へと向かった。

 剣は抜き身で盛り上がった土に刺さっている。クラウは壊れ物に触れるかのようにそっと右手を伸ばし、剣の柄へ触れる。剣の柄は刀身よりも濃い緑色をしており、触感は革製品のようであった。

 クラウはゆっくりと剣の柄を握る。不意に掌に仄かな暖かさを感じ、少し驚く。竜の鱗で出来た剣からは未だに強い生命の息吹を実感させられた。

「くッ……」

クラウは意を決して右手をしっかり握り込むと一気に力を込めて、剣を土から引き抜く。耳に心地よい軽い金属音が聞こえる。クラウはそのまま剣を頭上に掲げた。

剣の刀身に周囲の松明の明かりが一斉に反射し、煌めく。クラウはそのまま剣によって導かれるように近場の岩に向かって剣を振り下ろし、一閃した。まるで紙でも切るように岩が中心から両断され、地面に落ちた。

「凄い……」

 思わず感嘆の声を漏らすクラウ。剣を手元に戻して、刀身を見てもそこには傷一つ無い。確かにこれは伝説の勇者が持つに相応しい剣だった。

クラウは剣を持ってファムの元へ戻る。ファムは未だに仰向けになって転がっており、クラウが近付いても気が付いていないように、洞窟の天井を眺めていた。

「師匠……剣持ってき――うぇッ!?」

 突然、ファムのの尻尾がクラウの身体に巻き付き、クラウを地面へと引き倒す。地面の土を軽く巻き上げてクラウがファムの隣へ仰向けに寝転がらされた。

「何すんだ!? 痛いだろッ!!」

 引き倒されたクラウは文句をファムへ言う。しかしファムはその抗議も無視して、首を横に向けてクラウの胸抱えられた竜麟の剣を見詰める。そして不意に呟いた。

「その剣は……母上の形見だ」

「えッ!?」

 予想だにしないファムの発言に驚くクラウ。そんなクラウを余所にファムは続けた。

「母上が自らの竜麟を削ってドワーフに作成させた……それがその竜麟の剣。母上が我の守護するドラゴンの宝として……我に与えてくれたモノだ」

「そうだったのか……」

 クラウは改めて剣を見る。言われてみればこの剣に使われている竜麟の色はファムの鱗と同じ色をしている。そこまで考えてクラウは先ほどファムが言った形見という言葉を思い出す。形見という事はこの剣を作ったファムの母竜は亡くなっている筈。亡くなった原因は……。

「まさか……師匠のお母さんは……人間に!?」

 クラウの言葉をファムは鼻で笑い、首を横に振った。

「フンッ。我の母上ともあろう御方が人間なんぞに殺される訳が無かろう――病だったのだ。母上は千を超える齢だったからな。仕方のない事だった。我にはどうする事も出来――」

 そこまで言ってファムは身体を起こし、クラウに顔が見えないよう洞窟の出口の方へ視線を移す。クラウにはファムがどんな表情をしているのか大体想像が付く。自分が亡くなった父親の事を考えている時と同じ表情。愛する者を失った時の表情だろう。ファムはクラウから顔を背けながらまた語りだした。

「……いっその事人間の手に掛かった方が良かったのかもしれぬ。そうすれば人間を皆殺しにでもすれば心が晴れるだろう。しかし……病では……天命には逆らえぬ」

 普段は気丈で不遜なファム。しかし今は言葉の端々から、はっきりとした狼狽や後悔、そして悲しみをクラウは感じた。そこには気高い竜は居なかった。ただ母を失って嘆き悲しむ娘の姿があった。

「あの日、貴様と我が初めて出会った日……我は弱り切った自らを見せぬ為に……あの洞窟へ籠っていた」

「だから……洞窟に師匠は居たのか」

 竜は気高い。竜が弱り悲しんでいる姿を誰かに見られる事は竜にとっては許されない事だ。だからこそファムはあの日、独りで洞窟にいた訳だ。クラウが一人で納得していると先ほどまで沈んだ雰囲気をしていたファムが突然軽く笑い始める。その笑い方は思い出し笑いのような笑い方だった。

「……フフッ。そんな時、貴様がノコノコ、我がねぐらへ侵入してきたという訳だ。全く……あの時はちょうどいい憂さ晴らしが来たと思ったものだ」

 クラウも当時の事を思い出し、ばつが悪くなる。確かにその頃のクラウは憧れと好奇心だけで動いており、向こう見ずだった。

「まだガキだったんだから……しょうがなかっただろ」

「そうだな……クククッ。あの時の貴様は傑作だったぞ。我の腕の中で震えておったわ」

 ファムは底意地の悪い笑い声を上げて、クラウへ挑発するように言う。クラウは反論しようと身を起こす。しかしその前にファムがまた地面へ寝転がり、呟いた。

「だが……貴様は遂に我を打倒した。貴様の事をもう小童とは言えんな……」

「止めてくれよ、師匠。俺はまだ小童のままだよ――それより本当にこの剣は貰って良いのかよ? その……師匠の母さんの形見なんだろ?」

「貴様は我を打ち倒したのだ。盟約に従わず約束を違える事は竜を侮辱し、名を汚す事。躊躇なく受取れ」

 クラウは立ち上がり、姿勢を正して跪くと剣をファムへ捧げた。

「感謝します、師匠」

 クラウの言葉を聞いて感極まったのかファムは少し恥ずかしそうに鼻を鳴らした。

「……フンッ――それに今は貴様の方が我にとって……」

「え? 何か言ったか、師匠?」

 ファムが何かぼそぼそ言ったがクラウは聞き取れず、聞き返した。

「何でもない。気にするな……それよりもだ」

 ファムは何やら誤魔化しつつも、今度は調子を変えてクラウへ尋ねた。

「行くのか?」

 クラウは直ぐにファムの言葉の意味を察してはっきり頷いた。

「ああ……あの時、師匠に見せて貰った世界を……確かめに行ってくるよ。やっと強くなったからさ」

「そうか……ならば――」

 ファムは少し寂しげに頷き、突然立ち上がる。そしてクラウの側に素早く近付くとクラウの身体を尻尾で拘束し引き寄せる。ちょうどクラウとファムが正面から見詰め会う形になった。

「え? え!?」

「……餞別だ」

 動揺しているクラウにファムはそう言って軽い口づけをした。

「あ……」

ファムの想像以上に柔らかい唇の感触に翻弄され、固まるクラウ。そんなクラウを余所にファムは素早くクラウから離れ、そっぽを返して洞窟から出て行ってしまった。

洞窟内には完全に硬直したままのクラウだけが残された。

「マジかよ……」

クラウは先ほど感じた唇の感触を忘れる事が出来ず、ただ固まって動けずにおり、そのまま夜は更けていった。




一週間後。

村の出口に数人の村人が集まっている。これから旅立つある人物を見送る為に集まった人々だった。

「それじゃあ、行ってくるよ、母さん」

「行ってらっしゃい、クラウ」

 その村人たちの中心で再び旅支度を整えたクラウとクラウの母親が別れの抱擁をしている。他の村人たちも口ぐちに騎士団にも入れたのに、勇者にもなれそうだったのにと口惜しそうに言っていた。

「……クラウ」

 そんな中、ファムは見送りの村人たちから離れてクラウを見ていた。

クラウの背にはファムの母親の形見の竜麟の剣が収まっている。それは別にいい。あれはもうクラウのモノだった。

しかし自分が手塩にかけて育て上げたクラウは既にファムにとって宝と言えるほどだった。

(ヤツは……クラウは我にとっての宝だったのやもしれぬ。出来る事なら手元に置いて……いや駄目だ。それはヤツの夢を阻害する事になってしまう。それは嫌だ!)

 そもそもの切欠はファム自身にある。あの日、まだ幼いクラウに世界を見せたのはファムなのだ。

「……あ」

 そうこうしている内にクラウは村の出口へと向かって行く。クラウは一度ファムの方へ視線を送り、手を振って来た。

ファムはクラウが完全に姿を消すまでその姿を目で追っていた。

クラウが消え、ファムは喪失感を覚えつつ、神殿に戻ろうとした。

「あら……良いんですか?」

 誰がかファムの背に声を掛けてくる。ファムが振り返るとそこにはクラウの母親が居り、ニコニコと微笑んでいる。クラウの母親はファムへまた問い掛けてきた。

「良いんですか?」

「……何がだ?」

 ファムが聞き返すとクラウの母親は殊更に頬笑み言った。

「宝物≠ェ行ってしまいますよ? 次は奪われないようにしなきゃ」

 ファムはその言葉を聞いてタガが外れたように一気に翼を広げる。周囲の家が風圧によって揺れ動き、何人かの村人が吹き飛ばされないよう家にしがみ付いた。

ファムは広げた翼で自らを包む。そしてまた翼を広げるとそこには巨大な竜本来の姿へと変化したファムがいた。

ファムは翼を大きくはためかせ、飛翔する。あっという間に村の上空まで上昇した。

「暮れには毎年戻ってきて下さいね〜」

 飛び去ろうとするファムにクラウの母親が言葉を掛ける。ファムは了承したかのように村の上空を一周し、そのままクラウの進んでいった方角へ飛び去った。


「さて、と……どっちから行くか」

 村から少し離れ、街道の分岐点に差し掛かったクラウは地図を広げて次に向かうべき場所を確認していた。時間はたっぷりある。幾らでも悩めるというのは中々に贅沢だった。

「……ん?」

 不意に上空から風を切る音が耳に入る。地図から目を離し、空を見上げると凄まじい速度で何かがクラウの頭上から落ちてくるのが見えた。

「うわッ!?」

 クラウは咄嗟に後退して、落下物から身を避ける。衝撃と共に目の前へ村に居るはずのファムが現れた。

「まだこんな所にいたのか」

 驚愕するクラウを余所にファムは不遜な態度でそう言う。クラウが何事かと尋ねようとするがそれを制してファムが捲し立てた。

「やはり貴様に我が母上の剣を任せるのは我慢ならん。抜けている貴様の事だ。何かの拍子でその剣を奪われたりしたらと考えると夜も眠れん!」

 ファムは面食らっているクラウの胸に爪を突き立て、脅すように宣言した。

「そこでだ……我が直に側で貴様と母上の剣を監視するッ!」

「え……? それって……!」

 クラウは直ぐにはファムの言葉の意味が分からなかったが、しばらくしてファムが自分の旅に着いて行ってくれると言っている事に気が付き、喜びの声を上げた。

「ホントか!? 俺の旅に着いて行ってくれるのか!?」

「……我は監視するだけだ」

 ファムはクラウから目を逸らしながらそう言い張る。それでもクラウは上機嫌になり、ファムへ向けて右手を差し出した。

「俺と一緒に行こう、ファム!」

 ファムは不遜そうにその手を取った。

そして一人と一竜は歩き出す。



二人はこれから嫌と言うほど、誰かと出会い、その度旅への障害に遭遇する。


「そろそろ暮れだから、母さんの所に戻ろうか」


酸いも甘いも経験し、世界の果てを目指す。


「そうだな、クラウ……貴様の母上にも御報告せねばならん事もあるしな」


 二人が一緒に歩んだ道程は道すがらの人々の記憶に残り。


「ああ……母さんなら良い名前を付けてくれる筈だよ」


 やがて初めて徒歩で世界一周を成し遂げた竜と人間として語り継がれる伝説となる。


「我も……遂に母親か。感慨深いな」


 人と竜の伝説……竜話として。


「さあ、行こう。俺たちの故郷へ!」

     完
13/01/07 20:23更新 / 雲母星人

■作者メッセージ
ザズ オグボグ デザ アリラセン

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