連載小説
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1.出会い
時計を見ると夜の9時30分。小さな駅構内は人が閑散としている。降りた人は俺だけ。 改札口を抜け帰路につく。
世間では残業しない方針とか言うけど現実はこんなもんだ。
駅から自宅へと帰るいつもの道。赤と黄色に染まる街路樹、通りすぎる家からは笑い声とかが聞こえて……虚しい。
「明日も早いし……さっさと飯食べて寝るか……」
小汚ない外見のアパート。その一室。電気がついている時間はほとんど無い。寝るための部屋に成り下がった暗い場所。独り暮らしの男なんて皆こうだからと思わないと惨めで嫌になる。
……そんな下らない事を考えていたからだろうか、疲れからか道路の段差に足を取られてしまった。
気が付いたときには手遅れで、カクンッとバランスを崩し前につんのめる。
ああ、今日はついてねぇ……と悪態を思いながら黒い地面に…………転ぶことはなかった。
とっさに出た右手は引き上げられ、後ろから腰を支えられ前に押される。
自然と歩くようにして転倒を免れた。
ふわりと衝撃は無くなり、甘い香りが鼻についた。
「大丈夫かい? ひねったりしてないかな?」
街灯の明かりに照らされ、茶色の燕尾服が眼に映った。もちろん声の主でもあるだろう。
大丈夫です、と返そうとしたが、声は出なかった。目の前にいる人の美しさに思わず、息を飲んでしまったからだ。
中性的な顔立ちと茶色の切れ目。美しいと思った。その言葉以外浮かばないし、それ以外は必要ない。そう思えるほど。
「ふふ、そんなに見つめられると照れてしまうよ?」
「あっ……と、すみません」
「謝る必要はないよ。怪我はない?」
「はい。だ、大丈夫です」
「そうかそうか。それは良かった。君、ふらふらしていたから心配で声をかけようと思ってたんだよ」
「あぁ、まぁ。ちょっと疲れてるので……」
「おや、それはいけないな。立ち話も野暮だ。そこの公園で休憩しよう。」
「は? いやいや、家で寝れば大丈夫なんで……」
「体の疲れも心の疲れも自分ではなかなか気づかないものさ。ちょっとお茶を飲んでいこう。さぁ、いこう?」
支えられた手をそのまま引かれ、目の前の公園へ。
もちろん、こんな強引な人にホイホイついていくなんておかしい話だとは思うものだろう。けれど、その時は疲れなのか何かなのか、もっと話したいなと思わずにはいられなかった。
いつもは素通りで見向きもしない公園の敷地内。街灯で照らされた広場の隣にある木でできた三角の屋寝付きの場所。石のテーブルを中心に円柱型の丸椅子。
「なかなか素敵な場所じゃないか。君もそう思わない?」
「まぁ……そうですね。いつも通ってるんだけなんで、気づきませんでした」
いつもの景色、ただの公園。彼女の言葉を聞いていると、不思議と素敵見える気がした。
……あぁ、ほんとに疲れているかもな。変なことを考えてしまう。
「まずは自己紹介といこう。私は笠浦 紅。帽子屋さ。べにさんとでも呼んでくれ」
「僕は、土本 悠平です。しがないサラリーマンです」
「しゅーへー君か。良い名前だ。心に染み入るよ。出会いの日はお祝いの日。楽しいティータイムにしよう?」
紅さんは一言で表すと茶色の人だ。
目を引く大きな茶色の山高帽子。茶色の燕尾服。茶色のブーツ。茶色の瞳と肩まで延びた髪。
隠しきれない胸部の膨らみから女性だと分かる。良く見れば、肌艶はキメ細やかで唇も艶やか。肩は細身でおしりがふっくらしている。
こちらの視線と合うとニヤリと彼女が笑うので慌てて視線を落とす。
そうしている間に彼女は手提げのバックからテキパキと物を並べていく。
手のひらサイズのランプをテーブルの中央へ、飾り気のない銀色のタンブラー、白い紙コップ、赤色の小ビンと市販のクッキー(森○のムーン○イト)
急ぎの席だから、簡単なものしか用意できてないんだ。
と、苦笑しながらタンブラーから紙コップに茶色の液体を注ぐと同時に、薄く湯気が上がりふわりと柑橘類の匂いがした。
「レモンティだよ。少し温くなってるけど……。さぁ、飲んで。落ち着くから」
紙コップを受けとる。
口を近づけると仄かな温かさと柔らかい香りを感じる。
一口含んで嚥下する。ほどよい苦味酸味と広がる風味。
さて、と紅が切り出す
「多少強引だったことはすまなかったね。ただ、純粋に放っておけなかったんだよ。やじろべえみたいにフラフラしてたからね」
「いや、本当に倒れかけたんですけど、べにさんのお陰で助かりました。」
「嬉しいことを言ってくれるじゃないか。ただ、もっと砕けて話してくれた方が僕は嬉しいな。なんだか君と距離を感じちゃうよ?」
「あはは、初対面で馴れ馴れしいのは落ち着かなくて……」
初対面云々ではなく、人と話すことが得意ではないだけなのは言わなくて良いだろう。どうしても丁寧語みたいに話してしまうのは癖みたいなものだし……。
「君が自然体でいてくれたらそれで良いのだけどね、ティータイムはリラックスしないとね。硬い心もきっとクッキーみたいにサクサクに砕けるものさ。」
どうぞ? と、差し出された一枚を受け取ろうとして、ついっと引かれてしまった。
「ちがうよ、そうじゃない。口で受け取って欲しいな?」
「いやいや、恥ずかしいです。普通にとらせてください。」
いたずら? と思いきや唐突に宣う紅さん。口調は軽いし微笑んでいるものの、目が真剣だ。
俺は手を引っ込めて取り敢えず一口紅茶を飲む。
「あーん。 ……って言うのを異性にやってみたかったんだ。僕も、少し、ドキドキしてる。」
「でしたらなおさら、普通にしましょう?ティータイムはリラックスですよね?」
「多少のドキドキはスパイスになるはずだよ? 蜂蜜には生姜。何もおかしくはない……ね?」
「おかしくはなくても無理はありそうですけど。」
そうか、そうか……と、紅さんは手持無沙汰にゆらゆらとクッキーを揺らしながら逆の手で顎を触りながら考え始めた。
むむぅ……とか言っている姿がなんだか可愛らしくて、先程の緊張もほぐれた気がする。
……あと、紅さんの耳がほんのり赤くなっている様子からやっぱり恥ずかしいんじゃないのか?と思うんだが……
「……よし! 修平くん、こうしよう。取引だ。」
取引ですか? と答える俺に、紅さんはクッキーを差し向けながら続ける。
「そう、取引だよ。僕のお願いを一つ叶えてくれたら、僕は君のお願いを一つなんでも叶えあげるよ。」
「……紅さんのお願いはなんでしょう?」
「もちろん、あーん。を」
さいですか、そうですか。
ただ、ニヤリと笑いながらも耳の先や頬がほんのり赤くなっているの紅さんを見ると、ここで引いたら男として甲斐性0じゃん? となると選択肢とか無いわけ。
「わかりました。頂きましょう。」
「そう言ってくれると信じていたよ。修平くん」

「では、あーん🖤」

口元に差し出されたクッキー。期待に満ちた目をする紅さん。
目の前のそれを歯ではさんで受けとる、そのまま引っ込めて椅子に座ろうとしたものの、クッキーからは紅さんの手が離れない。
前のめりの少し苦しい体勢、そのまま噛っていく。
サクサクと口のなかで砕けていくクッキー。市販の物でもシチュエーションがこうだと味も甘ったるく感じてしまう。
ついに、彼女の摘まむ手前までたどり着く。さすがにそこは食べに行けない、手前で噛みきろうと考えた……。
その瞬間、一欠片を押し込むように細い指が口に添えられる。
つかの間に指は唇から離れ、彼女の元へ引いていく。
「ごめんね、食べている仕草がかわいくてイタズラをしてしまったよ」
ぺろりと指に付いていたのであろうクッキーの欠片を舐めとる。

その赤い舌の艶かしさと紅い唇の光沢に思わず目が離せなかった。
親指の先をチロッと軽く舐めた後、俺の唇が当たった人差し指を自らの唇にそっと当て、薄く開いたそこからぬらりと舌の先端がくるりと確かめるように嘗めとる。
一瞬。だがあまりにも完成された仕草が脳裏に残る。

「さぁ、修平くん。君のお願いを な ん で も 聴こうじゃぁないか?」
指を組み、小首を傾げて俺に語りかけてくる。
ほんのりと赤く染まる彼女の顔を見ると、茶色の眼に吸い込まれそうになる……
21/10/03 10:46更新 / シクロ
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■作者メッセージ
拙い文章ですが、読んでいただけると幸いです。
誤字脱字等のご指導ご鞭撻宜しくです。

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