連載小説
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その1
「しかし、ほんとに新種の薬草なんてあるんべか?」

天高く伸びる杉並木。植物は鬱蒼と茂り、足を取られそうになる。昼間だというのに薄暗い獣道を、一人の青年が時折躓きながら歩いていた。風が草を揺らしているのだろうか、それとも虫が蠢いているのだろうか、ざわざわと音がする。気味の悪い所だなと青年は思いながら、里の長老が言っていた言葉を思い出した。
―――「禁忌の森」。この森は古くから、そう呼ばれていた。山の麓にある里では、主に狩猟によって生計を立てていたが、熟練の狩人でも足を踏み入れてはならないとされる領域があった。二つの里山を抜けた先に広がる森のことである。何でも大昔村を襲った災厄がこの森に封印されているというのだ。「禁忌の森」に入った者には必ず祟りが降りかかる。生きて森から帰った者はいない。村の人は口を揃えてそう言った。

「まっだぐ、村の人も、いづまでも、迷信ばしんじでっから、進歩がないんず」

清(せい)と呼ばれる青年もその事は承知だった。幼い頃から耳にタコができるくらいに何度も教わったことである。しかし、村医者である彼には、そんな古びた迷信よりも、新種の薬草を採取する事の方が大切だった。民間療法とはいえ、村では希少な医師の家系に育った彼は、いつかこの森に入り、治療に使える薬草を採取しようと思っていた。この森の生態系は里山と違う。それは清が長年禁忌の森の周辺を調査して分かった事である。無論、両親や祖父に話したところで反対されるだろう。そう考えた清は、一人禁忌の森に忍び込む事にしたのである。

「それにしてもまったぐ、なんてじめっとした森だべ」

森の入り口には小さな祠がある。そこから先はいかなる理由があっても入ってはいけない事になっていた。清はそこを越え、森の奥へ奥へと進んできた。一体どれくらい歩いただろうか。生い茂る草が足に絡みつき、所々足場が悪いこともあって、歩き疲れた彼は、近くにあった大きな石に腰を下ろした。持ってきた手拭いで額を拭く。村の人に気が付かれないように朝一番で出発したが、もう、太陽も上ってきたところだろう。だいぶ時間が経ってしまった。これは帰りも一苦労だべ、と彼が思っていると、ヒンヤリとした森の奥から女性の声がした。

「あ、あのぉ。もしかして、に、人間ですか?」

こんな森の奥に人などいないはずである。何かの聞き間違いだ、と思って振り向くと、確かにそこには女性が立っていた。流れるような黒髪をくしゃっとさせた薄幸そうな女性。日に浴びていないせいだろうか、彼女の肌は驚くほど白かった。恐らく清と同じで年は二十代くらいだろう。獣道に場違いな紫の着物を着て立つ彼女は、此方を見ながら、わずかに戸惑っているように見えた。清も彼女の顔を見つめ返すが、村では見ない顔である。もしかしたら、近隣の村民が迷い込んだのかもしれない。清は自分の事は棚にあげて、女性を諭した。

「ありゃ、たまげだなぁ。おめ、なんでこんなどごさいるんだ?こごは、あぶないがら、はやぐ家さ帰れ」
「あ、私ですか?いいんですよ。私はここに住んでいますから。…それにしても、随分久しぶりの客人です」

…住んでいる?清は一瞬彼女が何を言っているか分からなかった。何か腑に落ちないものを感じたが、彼女はゆっくりと清の方に近づいてくる。…ずずず。…ずずず。はて、何の音だろうと清は思った。彼女が動くと草が擦れる音がする。しかもかなりの重さだ。清には、それが、蛇が移動するときの音のように聞こえた。しかし彼に近づくものといえば、先ほどの女しかいない。一人考えを巡らしていると、ひゅっと首の当たりに風を感じた。何か鞭のような物がしなる。瞬間、首に何かが刺さる感覚を味わった。

「…いでっ!…なんだなんだ」

清が指先でちくりとした刺激を受けた個所を触ると、紫色の液体がべっとりと指先についた。もう一度その場所を触る。どうやら首筋に穴が開いているらしい。するとその箇所が、火照るように熱を持っていくのが分かった。気が付かない内に蜂にでもさされたのだろうか。いや、それにしては穴が大きすぎる。この周辺にはこれほどの大きな外傷を与える生物はいないはずだ。


しだいに、清の体が麻痺してくる。どうやら何かの毒に対しての拒絶反応を起こしているようだ。がくっと石にもたれ掛る清。そんな彼が見たのは、ぐるぐると蜷局をまく、黒い甲冑のような螺旋が自分を取り囲む様子だった。ふと、先ほどの女を見上げると、彼女の口元がぐにゃとゆがむ。真っ白な顔を火照らせた彼女の表情は、まるで娼婦のようだった。

「あん。…もう、がまんできない」
12/04/18 19:43更新 / やまなし
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