読切小説
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魔女と男02



「すっかり日が暮れたのう」

「はい」

 右手に握るククリで太い蔦や腰まである草を薙ぎ払いながら、俺と魔女殿は道無き道を進む。
 一応獣道を選んで歩いているが、道などあってないようなものだ。

 獣たちに踏み固められた地面が覗くのは蛇がようやく這える程度で、右に左にと曲がりくねっている。
 両脇からは鬱蒼と草木が生い茂り、俺には腰程度の高さ済むが魔女殿にとっては胸元に近い高さだ。
 念入りに切り落としながら進んでいるため、自然と歩く速度も落ちていた。

 勿論、刃物を使っているので危険がないよう魔女殿とは距離を保っている。
 腰に差した二本のククリ刀の内一本。
 肉厚の平たい刃で、狭い獣道をばさばさと切り開いた。

 見るからに重そうな外見だが、案外そうでもない。
 材質が鉄ではなく何かの骨で、幅が広く湾曲した刀身には魔術文字が刻まれている。

 貰い物に、魔女殿が細工を施したものだ。

 骨から削りだした物だが、魔女殿のおかげか切れ味は抜群だ。
 草だろうが蔦だろうが張り出した木の枝だろうが、何の問題もなくすぱすぱと切り落とせる。

 もう一本にも魔女殿が取っておきの秘術を仕込んでくれたが、林にある獣道で扱うにはいささか不向きな代物だった。

「口が恋しいのう」

 背後からさくさくと切り落とした草木を踏みながら、魔女殿が呟いた。

「残念ですが、ミードは切れました」 

 左右の茂みをすり鉢上に整えて、身体に当たりそうな張り出た枝を落としていく。
 旅を初めた当初、林の木々を切り落とす事に抵抗がない訳ではなかったが、今ではそれも慣れた。

 魔女殿曰く、

「林や森の木々は美しく育ち伸びておるように見えるか? それは一側面だ。
 木々や草花といえども厳然たる生存競争に争いながらそこにある。それは熾烈な食らい合い、日の当たる場所を得るため押

し合いへし合いおしくら饅頭だ。
 わしらが斬り捌き進むも、厳然たるその輪の内ぞ。木々草花にとって、我らと台風、旋風に何の違いがあろうか。
 世界とは互いに理不尽に交錯する面がある」

 だそうだ。

 なるほどと納得して、以降は理不尽を行使した。
 せめてこれから先、切り落とす草木に魔力が宿り魔物と姿を変えた時、理不尽を振る舞った相手が誰なのかを覚えています

ように、と願って。

 俺はばっさばっさと切り開きながら、ふと背後の足音が聞こえなくなっている事に気がついた。

「魔女殿?」

 振り返ると、魔女殿は腕を組んで俺を睨んでいる。
 魔女殿の周囲で瞬く白い光があるので、月明かりを遮られた林の中でも大層ご立腹だという事が理解出来た。

「魔女殿、足が痛みますか?」

 立ち止まっている理由を訊ねてみた。

「そうではない。わしは口が恋しいと言うたのだ。ぬしの頭から出てくるものはミードだけか?」

 魔女殿は恋しいと言うくだりで、妙に唇を尖らせた。
 指につけた蜜を舐めるように、ちゅっぱちゅっぱと音もたてた。

 魔女殿に蜂蜜酒。

 これほどぴたりと符合するものは、他に思いつかなかった。

「……エールですか?」

 まさかと思いながら訊ねてみた。

 酒が切れて、とうとうエールに宗旨替えを?

 魔女殿はにっこりと笑って、足元に落ちていた木の枝を拾った。

「たわけ」

【赤き舌よ】【腐れよ】【委ね散れ】

 三重詠唱。
 魔女殿の手の中にあった木の枝は、握り締めた手から吹き出た炎に焼かれて溶けた。
 一瞬で蒸発してしまい、炭も残らなかった。

 炎の魔術を使うのは怒りのジェスチャーで、魔女殿の怒りが危険域に達しているという目安。
 やはり蜂蜜酒からエールヘの宗旨替えはあり得なかったようだ。

 座った赤い瞳が俺をじっと見据える。
 俺はそれを見つめ返す。

 この状態の魔女殿から、目を逸らしてはいけない。
 視線を外した瞬間に、傷害の魔弾で撃たれる事を経験上理解していた。

 傷害の魔弾は種枯れの呪いのような後遺症もなければ、命を奪うような魔術でもないが、当たればとにかく痛い。
 とてもとても痛い。
 お仕置き用の魔術の一つだ。

「……」

「……」

 優しい眼差しとは異なり静かで冷たい魔女殿の怒りを背筋に感じながら、俺は答えを模索した。

 気まぐれな魔女殿が求める答え。
 恋しいと言う言葉。
 蜂蜜酒でなければ勿論エールでもない、口で求めるもの。

 !

 俺の頭の中で、何かがぴたりとはまった気がした。

 恐らく間違いはない。
 これこそ魔女殿が求める答えだ。

 俺は確信を得ながら、言葉を舌に乗せた。

「ワイン――ですね?」 

 赤葡萄を絞って樽に詰め、長い月日をかけて熟成したワイン。
 魔女殿は基本的にミードを好むが、同時に葡萄酒も嗜む。
 ミードとはまた異なった芳醇な香りが心地良く酔わせるのだと、かつて聞かされた。
 その時は一本でちょっとした街の衛士の装備を丸ごと新調出来る値段の葡萄酒を、ラッパでも吹くように呷っていた。
 どう見ても、香りより味とアルコールそのものに酔っていた。

 それが冗談だったのかどうかは、今となっても定かでなかった。

「ワインか」

「はい。ワインです」

 頷いた俺に、魔女殿はにっこりと愛らしく微笑んだ。

 人差し指を立てて俺に向けた。



「ぬしはわしを! 【気熱よ】【爛れよ】【還れ】 なんと心得ておるのか!? 【気熱よ】【爛れよ】【還れ】
 ミードの次はエールか! 【気熱よ】【爛れよ】【還れ】 そのまた次は! 【気熱よ】【爛れよ】【還れ】 ワインと来

たか!?
 その答えは! 【気熱よ】【爛れよ】【還れ】 予想外であったわ! 【気熱よ】【爛れよ】【還れ】
 面白いではないか! 【気熱よ】【爛れよ】【還れ】 面白いぞ! 【気熱よ】【爛れよ】【還れ】 実に笑える!」

「魔――女ど――のい――たいで――す」

「たわけ! 【気熱よ】【爛れよ】【還れ】 痛いようにして! 【気熱よ】【爛れよ】【還れ】 おるのだ! 【気熱よ】

【爛れよ】【還れ】
 こら待て逃げるなぁーっ!」

「逃げないと撃たれます」

「逃げればもっと撃つぞ!?」

「それは魔女殿の冗談です」

「今ならば冗談で済ませよう! ええいぬしは獣か!? 夜の林を生き生きと逃げ回りおって!」

「俺は半分人間だと言われましたが、残り半分は獣なのですか?」

「もっと性質の悪いものだ! ――そこかっ!?」

「こちらです」

【気熱よ】【爛れよ】【還れ】

「――痛いです」

「平然とした顔で言うな! 仮にもわしの魔術を受けて眉一つ動かさんとは。余計に腹が立つ!」

「眉一つくらいは動いていると思いますが」

「言葉のあやだ!」

【気熱よ】【爛れよ】【還れ】

「痛いです」

「口答えをするな!」

「理不尽です。判りました」

「判ればよい」

【気熱よ】【爛れよ】【還れ】

「……」

「……やはり平然としておるではないか」

「とても痛いです」

「取って付けたように言いおってからに。いや、まさに取ってつけたのか。
 ……はぁ、魔力を無駄にしたわ」

「女性でも無駄撃ちをす」

【気熱よ】【爛れよ】【還れ】

「失礼しました」

「……もう良い。とにかく色々と、良い。
 今日はここで野宿だ。適当な木の枝を揺り籠にして眠るぞ」

「魔女殿」

「なんぞ? 今更野宿が嫌だなどと言うのか? 今宵はほれ、空を覆う天井付きではないか。それに壁もある。
 不揃いの上、隙間風どころか隙間巨人族も通れる壁だがな!」

「魔女殿、あれを」

「ええい、細かい事など――む? 明かりだな」

「明かりですね」

「岩だなに誰かおるの」

「手を振っていますね」

「ふむ。
 今宵は天井に壁、おまけに寝台付きだ。ミードも飲めるやもしれん」

「日常のささやかな贅沢ですね。魔女殿、背に」

「うむ。行けいMBよ。あの光こそ我らが目指す文化の灯火だ!」



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 なんだぁ、ありゃ?

 火を点けた松明片手に、挿した構えた店先からふもとにある林を覗き込む。
 木々がざわめいている。
 風や獣が暴れてるのかと思ったけど、どうやら違うようだ。

 暗闇の中、ぽっと灯った小さな光。
 光は林の中で右へ左へ揺らぎながら、何事かを叫んでいた。

 耳を済ませて聞き取れたのは、王国語の響きだ。

 ふふーん。
 こいつぁ。

 にんまりと笑う。
 獣は光なんつっかわねーし、魔物だったら光になんて頼らないのが殆ど。
 人間の旅人が夜闇に巻かれて、迷い込んできたと見て良さそうだな。

 あちしは背後を振り返ると、子分たちに呼びかける。

『子分ども、客が近くまで来てっよ! 火ぃ焚け! 相手に気ぃ付かせんだ!』

 覚えた王国語よりも馴染み深い言葉が、穴倉の中にこだました。

『へい姉ビンでゲス!』
『合点承知っス!』
「シシシ!」

 穴倉の奥から響く子分たちの声と、どたばたと騒々しい音。
 店の窯に焚き木をぶち込んで慌しく開店準備を始めた。

 あちしの店は年中不定期営業中なのさ。 

 子分たちの声に頷いて、再び岩だなからふもとの林を覗き込む。
 あっちにふらふらこっちにふらふらしていた光は、今は動きを止めている。
 耳に届いていた王国語は聞こえなくなってたけど、光はあちしにだいぶ近づいてきている。

 こっから声が届っかな?

 あちしは松明をぶんぶん振りながら、声を上げて呼んでみる。

「おーい!」

 暗い林にぽっかりと浮かんだ点みたいな光は、皮に出来た虫食い穴みたいだ。

「おーい! おーい!」 

 呼びかけている内に、背後でぽっと火が灯りあちしの影が浮かんだ。
 どたどたと店兼あちしらのねぐらから出てきた子分たちも、あちしの真似をしだした。

『ゲース!』
『ガース!』
「シシシーッ!」

 岩だなで飛び跳ねながら、ぶんぶんと両手を振るノッポとデブとチビの子分たちに、私は呆れてため息をついた。

『あんたら、ちっとは考えな。あちしらの言葉が判る人間なんていやしないよ』

 腰に手を当てるあちしに、子分たちはしゅんとしてしまう。

 子分たちが使ってるのはあちしらの言葉で、王国語はちょびっとしか出来ない。
 子分たちはバカだ。
 バカだから、あちしがしっかり面倒見ないといけない。

 あちしは、なんたって子分たちの姉ビンなんだから。

『ほら、あんたらは窯に火ぃ見てな。酒に食べ物、カウンターだってぴかぴかに磨くんだ。人間はそういうとこうっさいかん

な。
 他にもたっくさん準備すっことあんだろ? しっかり支度すんだ』

『へい姉ビンでゲス!』
『合点承知っス!』
「シシシ!」

 岩肌を登りながらこっちに向かっている光を見つめて、あちしはにんまりと笑った。



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 魔女殿は岩だなの火を指して文化の灯火と言ったが、文化は文化でも異文化の香りを漂わせていた。

「岩の歯亭にようこそ!」

 魔女殿を負ぶって急な斜面をよじ登った俺は、にこにこと笑う少女に出迎えられた。
 幼女に見える魔女殿より若干大きいくらいの年頃だが、あくまで人間を基準にした判断だ。

 短めの赤毛をなめした蔦でおさげに結い、鉱石か何かの首飾りを身に付けている。
 ぱっちりとした大きな赤土色の瞳が、俺を見上げている。
 全体的に露出の激しい格好で、日焼けした赤銅色の腕や腹や脚を夜の空気にさらしていた。

「ゴブリンの宿か」

「ゴブリンですか」

 彼女の赤毛を割って覗く二本の短い角を見つめて、魔女殿の言葉を反復した。

 ゴブリン種、鬼亜人型。
 人間の子供に似た姿であるものの、それでれっきとした成体。
 スライムと並んで世界各地に広く分布している魔物で、人間とも付き合いは長い。
 特に山岳地や洞穴に好んで住居を構え、最近では山で採れる鉱石や貴金属を扱い人間との取引もあるとか。

 種としての基本的な知識を思い返しながら、焚き火に照らされる彼女をじっと見つめる。
 生身のゴブリン種を見るのは初めてだ。

『ゴブリンか。人間はそればっかだ。あちしらを見ると、どいつもこいつもゴブリンゴブリンゴブリン……嫌んなるぜ』

 彼女は腰に手を当てると、小さな肩をすくめて眉をしかめた。
 ゴブリンという単語に嫌悪感がある様子だ。

 魔女殿はしばし思案した様子で目を閉じ、瞑想は二秒と経たずに終わった。

「まあ、この際酒と寝床があればそれで良い。
 おいゴブリン、泊まるぞ。大人一人に子供一人だ。突っ立ってゴブゴブ言っておらんで、早速酒と肴の準備をしろ」

「料金体系は大人子供別制ではなく、部屋数での換算が一般的かと思います」

 魔女殿にそっと付け加え、ひくひくと口元を引きつらせている彼女に視線を移した。

「料金体系はどうなっている?」

「……部屋割り。飯と酒は別料金。毛布はあちしらも使うから、時価だよ」

 意外としっかりとした料金体系が組まれていた。
 薄い唇がひくつく様子を観察しながら、俺は彼女に部屋を一つ用意してもらうように頼んだ。

 食事代は随時加算して行けばいいし、野宿慣れしているので毛布は必要ない。
 その間に、魔女殿は大またで岩の歯亭(どう見ても店と言うより自然の洞窟だった)に足を踏み入れる。

「頼もぉーう! じめじめと黴臭い上にゴブリン臭い掃き溜めの洞穴に、絶世の美少女が現れたぞ! 畏まって侍りわしにミ

ードを献上せい!
 美少女はミードを所望だぞ!」

「……」

 魔女殿の後ろ姿を見送った彼女の手が握り締められ、細かく震えていた。

「すまない」

 俺の侘びに、きりきりと錆びた車輪のようなぎこちない動きで、彼女が振り返ってきた。
 唖然と固まってしまったような、強張った表情を浮かべていた。

「すまない」

 魔女殿の傍若無人振りを、念を押して詫びておいた。

「は、はは。あんた、元気な妻持ってんなあ……」

『ちっくしょう。ムカつく人間のメスだぜ』

 ぎしりと軋み音が聞こえてきそうな引きつった愛想笑いを浮かべた。
 彼女に代金を支払いながら、引っかかった部分を訂正。

「妻ではない」

「……? あんたらつがいじゃないのか。兄妹か?」

 俺は首を左右に振った。

「兄妹でもない」

「だったらなんだ?」

 きょとんと俺を見上げてくる彼女に訊ねられて、考えた。

 俺にとって魔女殿はなんだろうか?

 考えるまでもなかった。

「大切な人」

「つがいでも兄妹もないのにか?」

「ああ。そうだ」

「ふーん」

 彼女は曖昧で気のない声を洩らして、店の奥を覗き込む。
 手にした代金を、腰にぶら下げたポシェットの中に突っ込んだ。

 横に細長く尖った彼女の耳の、その少し上からにょきっと生えた赤茶色の角を見つめながら、忘れかけていた事を思い出し

た。

「俺はMBという」

『んあ?』

 振り向いた彼女に、自らを指差す。

「MB」

 立てた指をそのまま彼女に向けて訊ねる。

「名前を聞いても?」

 彼女は面食らったように、大きな目を一杯に見開いて俺を見た。
 赤と茶色の混じり合った瞳をじっと見つめ返した。

『あ、あちしは――』

 ぽつりと呟いた後、我に返ったようにぱちぱちと瞬きをしてごほんと咳払い。

「あちしは、“枝折り”って呼ばれてんだ」

 “枝折り”。
 それが彼女の名前なのか。

 俺は頷いて、魔女殿が消えた岩の歯亭の奥を指差す。

「今、店に入ったのは――」

「ああ、あれはいい。言わなくていい。あちしも聞く必要ないから」

 俺が答えるよりも早く、“枝折り”はうんざりしたような表情で手を左右に振った。
 魔女殿の態度を見た者が、良く見せる反応だった。

「そうか」

 無理に聞かせる必要もない。
 聞きたくなればその時に答えるし、魔女殿に訊くだろう。

 “枝折り”は切り替わるように明るい笑顔を浮かべて、ぱっと手を広げた。

「んじゃ。二名さま、岩の歯亭にごあんなーい。サービスするよん。
 別料金だけっど」

 彼女の口元から覗いた八重歯を見る。
 綺麗に揃った白い歯の、右側の八重歯だけにゅっと大きく発達していた。

「検討する」

「へへっ。是非とも検討してくれよな」

 背後に回り込んだ彼女に押されるまま、何やらどたばたと騒がしくなり始めていた岩の歯亭に足を踏み入れる。
 中の明かりに照らされ、壁に映った人影(角がついていた)がゆらゆらと揺れていた。

『カモが二匹、っと』

 俺の背中を押す“枝折り”が、ぽつりと呟いた。
 彼女の小さな手の平は、見た目以上に力が強く、ぐいぐいと岩の歯亭の中へと押し込まれた。

 俺の半分は、実はカモだったのかも知れない。
 嘴と翼と水掻きと羽毛は、どこに置き忘れてきたんだろう?

 特徴の行方に思いを馳せながら、岩肌がむき出しになった簡素な入り口を潜った。



 岩の歯亭の中は、じめっと空気が湿り黴の匂いがした。

 大雑把に削った岩の椅子と、やはり適当さが目に付く石造りのカウンター。
 その奥には酒瓶が乱雑に置かれ、火を入れた窯に鍋が乗せられ、ぐつぐつと泡立つ緑色の液体を煮ていた。

 “枝折り”以外にもゴブリンたちの姿があった。

「夜遅くにようこそ。岩の歯亭へ」
「お泊りですか? お食事ですか? それともご休憩ですか?」
「シシシ!」

 丁寧な王国後で出迎えた三人のゴブリンに会釈して、俺は内容を答える。

「泊りと食事」

 ゴブリンたちがにこにこと笑ってそれぞれ頷いた。

「夜遅くにようこそ。岩の歯亭へ」
「お泊りですか? お食事ですか? それともご休憩ですか?」
「シシシ!」

 ゴブリンたちは同じ言葉を繰り返し、俺は首を傾げた。

 伝わらなかったのだろうか。

「泊りと食事」

 こちらも先ほど述べた用件を繰り返した。

 俺の言葉に、三人のゴブリンはにこにこ笑って頷いた。

「夜遅くにようこそ。岩の歯亭へ」
「お泊りですか? お食事ですか? それともご休憩ですか?」
「シシシ!」

「泊りと――」

 三度繰り返そうとした俺の言葉を遮る形で、“枝折り”が小柄な身体を滑り込ませてきた。

「こいつらはあちしの子分。ノッポがゲッパ、デブがドッパ、チビがソッパ。
 こいつら王国語は殆ど知らないから、何度言っても答えは変わんないよ」

「なるほど」

 “枝折り”の説明で納得した。
 彼女は子分たちに向き直り、俺に親指を向けた。

『こいつは……なんだったっけ。
 ああ、MBだってさ。あっちのメスは知らない。あんたらも挨拶しな』

『へい姉ビン!』
『合点承知!』
「シシシ!」

 手下と言うだけあり、同族だからか“枝折り”の態度は横柄ながらも親しみ込められていた。
 彼らも、俺に向けるにこにことした愛想笑いとは違った素の顔を覗かせている。
 気がした。

『人間の癖におらよりチビでゲスなこいつ』
『ちゃんと食ってんのか? 痩せっぽちだ』
「シシシ!」

 俺は紹介された順に彼らと握手を交わした。

 彼らの肌は総じてざらっとしていて硬く、指先には鋭い鍵爪がある。
 頭髪はなく、“枝折り”と比べて体毛はきわめて薄い。
 頭の角が短めなのは共通だが、皮膚がそのまま伸びたような者もあれば、骨が露出したように黒く硬質化しているものもあ

る。
 生えている箇所も、こめかみに頭頂、額と、規則性なくばらばらだった。

 ゴブリン種らしいゴブリンというのは、彼らを指して言うのだろう。
 姿形にそれぞれ差はあるものの、印象は本で見た挿絵そっくりだった。

 それぞれ握手をしてから思い返す。
 “枝折り”の手はどうだったか。

 代金を渡す時に触れた彼女の手の皮は硬かったが、それは手の平にタコが出来ていたからだ。
 武器を扱うもの特有の手で、俺の手とそう変わらなかった。
 姿もずっと人間に近く、皮膚の色も彼ら三人と比べたらずっと色白だ。

 ハッパとドッパとソッパの三人は、感触も見た目も赤錆を思わせた。

「これMB。金は支払ったのだから早く腰を休めんか」

 随分姿形の異なる彼女らを観察していると、魔女殿に呼ばれた。

「はい」

 俺は魔女殿の隣に座る。
 岩の椅子はたっぷりと苔生していて、俺の尻をもっさりと支えた。

「店員ども! ゴブゴブと立ち話は良いから、わしの為にほれ動け動け!」

 ぺたぺたと石のカウンターを叩く魔女殿に、

『人間のメスはおっかないでゲス。というか人間おっかないでゲスよ』
『勝手においらんちに入って来て、お邪魔します! シネ! だもんな』
「シッ!」

 三人のゴブリンたちが、顔を寄せてぼそぼそと呟き合った。

『ほっときな。ムカつくけど、あのままいい気分にさせとくんだよ。
 初めだけさ、初めだけ。あとでたっぷり吠え面かかせてやんぜ』

 “枝折り”の言葉に、三人はしっかりと頷いた。

 その様子を見ていた俺の顎が、横から伸びてきた小さな手に掴まれた。
 ぐいと横を向かされる。
 身を乗り出した魔女殿の顔が、すぐ目の前にあった。

「今回は亜人種だ。しっかりやれよ」

 ふっくらとした唇が動き、じっと赤い瞳に覗き込まれる。

「はい」

「宜しい」

 頷くと、魔女殿は俺を離して再び傍若無人な振る舞いを取り戻す。

「ゴブリン共! 聞こえとらんのか? それとも判らんのか? ゴーブゴブ、ゴブだ!」

『ゴブゴブ言ってりゃおらたちに通じると思ってるな』
『……ふぅ。ゴブリン語の素人はこれだから困る』
「シシシ!」

「はいはい、ゴブゴブ。す〜ぐに用意してやんよ」

 俺は身体を正面に向け、そんな声を背後で聞きながら視線を動かす。
 ゴブリン種の営む店は初めてだ。

 この機会に、じっくり観察しようと思った。
 


「たまにはゴブリン共の宿で一杯やるというのも、おつなものだな」

 魔女殿は石のグラスを傾け、どこかしみじみと呟いた。

「そうですね。新鮮です」

 俺は隣で応じて、石のジョッキからホットエールを一口含む。
 鍋で煮込んでいた緑色の液体が、このエールだった。

 ゴブリンの間で一般的に飲まれるエールで、その名もゴブリンエールというらしい。
 飲み口は癖が強く、鼻の奥から生臭い匂いが伝わる。
 原材料に苔が使われているというのを、“枝折り”から聞いた。

 その彼女はカウンターの向こうで鍋を掻き混ぜ、魔女殿の甲高い笑い声が気になったのか、ちらりとこちらを一瞥した。
 彼女は主に飲み物を担当し、カウンターに配る役立った。
 猪から剥ぎ取ったと思われるエプロンを付けて、ただ鍋を掻き混ぜるだけでなく窯の日を調節している。

 子分の三人は、別室にある厨房へ移動していた。
 一度つまみを運んで来てからは、そのまま姿を見せていない。
 俺たちが泊まる部屋の用意をしているのかもしれない。

 俺は熱いエールを一口ずつ口に含んで味わいながら、岩の歯亭をゆっくりと見回す。

 亭内の明かりは蝋燭や松明。
 ランプもあったが一目で壊れているのが判り、今では蜘蛛の住処になっていた。

 何気なく天井を見上げる。
 基本的には自然に出来た洞窟を利用しているようだが、所々手も加えられている。
 火を扱う為か天井がぽっかりとくり貫かれ、丸く切り取られた夜空が見えた。

「雨の時はどうするんだ?」

 俺は感じた疑問を言葉にして、天井の穴を指差し“枝折り”に訊ねた。

「幕を張るのさ。人間だってそうすっだろ?」

 なるほど。
 疑問が一つ解けた。

「そうか。それもそうだな」

 頷いて見せると、

『何だこいつ……人間の癖にバッカじゃねぇのか?』

 “枝折り”はぼそりと呟いた。

 彼女は人間の店で見る店員の態度より乱雑で横柄だったが、気にならなかった。
 サービス料は支払っていなかった。

 彼女の恐らくは素の態度を肴に、俺は温かいエールを一口含んだ。

 表面はぼこぼこと泡立っているが、液体そのものはエールと同じでさらりとしている。
 粗い雑味にも舌が慣れ、口の中で細かい粒々が泳いでいるのが判る。
 苔の感触だろうか。

 口当たりの生臭さに慣れてしまえば、普通のエールと変わらない。
 人を選ぶ味だが、俺は普通に飲めた。

 煮込まれたエールの熱さが身体にかっかと発汗を促す。
 吹き込んでくる僅かな風の流れを感じ取るには、最適の飲み物だと思った。

「同じものをお代わりだ」

 魔女殿が空になった石のグラスをぐいと突き出す。
 “枝折り”はちらりと俺を見た。

「銀貨四枚」

 要求と共に突き出された手の平に、俺は懐から王国印が押された銀色の硬貨を四枚手渡した。
 彼女は摘んだ銀貨同士をちんちんと鳴らして、その音ににんまりと笑った。

「毎度っ」

 鍋から離れて、棚に置いていた石の瓶を手に取る。
 やはり石製の蓋を開いて、中身を魔女殿のグラスに注いだ。

 ワインだ。
 結構上質らしい。

 山葡萄を醗酵させた物で、あの酒に人一倍うるさい魔女殿が褒めていたのだから、本当に美味しいのだろう。
 ミードが一〇杯以上飲める額を請求されても、文句を言っていたのは口をつけるまでだった。

 “枝折り”が注ぐワインの色は黒に近い赤で、どろりとしている。
 注いでいるとたまにごぼりと耳に響く音は、形を残したまま漬けた山葡萄の実がグラスに流れ込む音だ。
 俺が知っているのは血の色のようなさらさらのワインだけで、変わったワインだなと思った。

「このワインは、どこで手に入る?」

 グラスの三分の二ほどを注ぎ、瓶に蓋をした”枝折り”に訊ねてみた。

「何だお前。人間なのにそんな事も知らないのか? あちしらがワイン飲むようになったのは、ずっと昔に人間から知恵を頂

戴したからなんだぞ?」

 “枝折り”は呆れた様子でため息をついた。

 人間なのにそんな事も知らない。

 その言葉が胸に深く突き刺さり、俺は一瞬言葉に詰まった。

「このゴブリンの言っている事は事実だぞ」

 空白を埋めるように、魔女殿がグラスから俺をちらりと一瞥した。

「まあ。蒸留する為に大掛かりな装置を使う、今の手法とは違うがな。このワインをどうやって手に入れたのか、こやつに教

えてやってくれぬか? ゴブリン」

「金貨一枚」

 “枝折り”はすかさず手の平を突き出してきた。

「情報は金に値す、か。判っているではないか。MB、払ってやれ」

 金貨の要求に魔女殿は怒り出すかと思ったが、それとは全く逆に楽しげにからからと笑った。

「はい」

 俺は提示された通りに、金貨を一枚彼女に支払った。

 彼女は自ら要求していながら何か驚いている様子で、手の平に乗せた金貨をまじまじと見入っていた。

「本物かどうか、噛んで確かめてみるか? ゴブリンなら金程度で歯が欠けたりもせんだろ。金貨が二枚になるがな」

 魔女殿は何がおかしいのか、くつくつと笑っていた。

「……ま、毎度」

 我に返った彼女は、握り締めた金貨をポシェットに押し込んだ。

 “枝折りは”咳払いを一つした後、

「噛むんだよ」

 このどろっとしたワインの手に入れ方を教えてくれた。

「噛む?」

 俺は意外な言葉に首を傾げた。

 魔女殿はくつくつと笑いながら、くいとグラスを傾けた。

「今も昔も、ワインとは王侯貴族のみが味わえる特権の証のようなものであった。民の口には一生入る機会機会などない。
 まず蒸留器がない。その知識もない。装置を整える土地も財もない。持ち合わせていたのは魔術師ばかりで、それも貴族に

飼われて宮廷魔術師だなど呼ばれて悦に浸る者たちばかり。
 そやつらがワインを造る知恵も技術も独占しておった。
 と、言いたいところだがな。民とはあれで中々したたかなものだ。ワインの作り方などとっくに知っておったのだよ」

「それが?」

「そうだ。噛むのだ。噛んで噛んで噛み締めたものを、壷やら樽やらに吐き出して溜める。
 口噛み酒と言うてな、皮のなめし方と同じぞ?
 ワインだけではない。エールも同じ手法で作った。昔は誰もがこの方法で酒を造っていたのだ。
 やれ王だ貴族だ宮廷魔術師たと、豪華な衣を着てふんぞり返っておる者にこの味は楽しめん。楽しめんように自らなったの

だ」

「まるで魔法です」

「ところがこれが魔法でもなんでもない。
 ただ口に入れて噛む。後は貯めて置けば勝手に酒になるというのが、世界の真実だ」

 世界の真実。
 葡萄を噛んで待つだけで、酒になる。

 俺は手元のゴブリンエールを眺め、次に“枝折り”を見た。

「このエールも?」

『あん? ……あ、いけね』

「そっだよ。あちしの子分たちに良く噛ませた苔とか壷にぶち込んで、寝かせたのを煮込むんだ」

「苔だけで出来る?」

「い、いや。あちしが噛んだ麦とか、なんかそん時思いついたの色々壷に入れる。壷がなんか温かくなってきたら、鍋で煮る

んだ。
 造り方なんて皆好き勝手で、自分が一番気に入ったもん造るぞ?」

 味の調整をしながら、自分好みの酒を造るらしい。

「凄いな」

 感嘆した俺に、“枝折り”の口元がむにむにと動く。
 尖った八重歯がちらちらと覗いた。

「……っても、あちしがいないと酒作れないけどな。あいつらに任せっと、酒にならない。噛んだまま飲み込んじまうから。
 だからあいつらに噛ませんのは、苔だけだ」

 “枝折り”は早口にまくし立てて、そう付け加えた。
 視線を逸らして、握り締めた手を何やらぶんぶん振りながら。

 何故手を振るのだろう。

 俺は彼女の手の動きを眼だけで追った。

「仕上げに煮るのはぬしの判断か?」

 珍しく呷る事無くちびちびとワインを舐めていた魔女殿が、どこか楽しげに“枝折り”に訊ねた。

「そ、そっだ。あちしの酒になんか文句あんのか?」

 今一つ相性が悪いのか、魔女殿に話しかけられると“枝折り”は途端に機嫌が悪くなった。

 腕をまくって(もっとも彼女のエプロンに袖はなかったので仕草だけだ)喧嘩腰の態度を取る彼女に、

「文句などない。良い判断だ。及第点をくれてやる」

 魔女殿は指先で中空にくるくると円を描き目を細めただけだ。

 そんな魔女殿の言葉と態度に、“枝折りは”戸惑ったような拍子抜けしたような、握った拳を収まり悪そうに開いたり閉じ

たりしていた。

 俺は改めて手元にあるゴブリンエールに視線を落とした。

 どこかから仕入れていたと思っていた物が、実は自家製だった。
 彼女らが造り、それが当たり前の事であるらしい。

「そうか」

 世界の真実。
 その一つを見つけた。

「“枝折り”。教えてくれてありがとう」
 
 俺は感謝と共に頭を下げた。

 真実が金貨一枚と交換なら、破格の値段だ。

「……べ、べっつにぃ〜」

『変な奴ら』

 “枝折り”はそんな事を呟いて、唇を尖らせて口笛を吹いた。



xxx  xxx



 なんだこいつら。

 あちしは目の前にいる人間たちを、ちょっと不思議に思っていた。

 のこのことあちしの店に入ってきたこいつらは、変な人間だった。

 代金を人間価格で吹っかけてんのに、平気で払う。
 人間相手の商売だと、大抵値段を聞くと高いって言い出して値切ろうとしてくんのに。

 岩の歯亭の人間価格の相場は、あちしらゴブリン価格の三倍と決めてる。
 半額にしたって元値の一.五倍だから、あちしらは満足。
 人間だって半額にしたらお得だって喜ぶ。
 どっちもお得で満足だ。

 あちしの岩の歯亭は、他んとこと比べっとものっそ良心価格だ。
 他所じゃ、人間相手に吹っかけんなら一〇倍二〇倍は当たん前。
 人間が一番数が多くて金だって一杯持ってんだから、あちしらがもぎ取ろうとすんのは当然だ。
 山で採れるもんを勝手に持ってくかんな。

 ただ、あんまりあこぎにすっと逆切れすっから安めにしてんだ。
 あちしだって商売を続けなきゃいけない。
 しっかり稼いで、子分たちにちゃんとした装備買ってやんないといけないかんな。
 いつまでも錆びたナイフとか虫食いの皮鎧だとかのままじゃ、人間やドワ公が来た時困る。
 この先何があっかわっかんないし。

 あちしは人間たちはをちらちらと盗み見る。
 ノッポのオスとチビのメス。

 ノッポっつってもハッパよかチビだっけど。
 あちしらの造ったエールをやりながら、なんかすっげえ姿勢がいい。
 背中の骨を、ドワ公のハンマーでがっちんされたのか?
 たまにじっとあちしの事を見たり、店ん中きょろきょろ見てたりする。
 人間相手にも商売すっから、顔を見てっと大体何考えてっか判るようになってきたけっど、このオスの顔色はぜんぜん読め

なかった。

 後、なんか変な奴だ。
 あちしのことゴブリンゴブリン言わないし。
 それに、その。
 凄いとか、ありがとうとか。
 そういうこと言うし。
 そんなこと言ってくる人間なんて、初めてだ。

 気がついたら、オスはあちしの事をじって見てた。
 髪も目も真っ黒で、山で採れる黒曜石みてぇだった。

「ごほんごほん」

 あちしは咳払いをして、視線を逸らした。

 逸らした先にはチビのメス。
 あちしより背が低いのは、人間もあちしらも含めて全部チビだ。
 こいつはムカつく奴だ。
 あちしらをゴブリンゴブリン言うし、生意気だし、話してっとぶん殴ってやりたくなる。
 ゴブリンって馬鹿にしてて、あちしが知ってる人間らしい人間だった。

 でもやっぱり、どっかちっと変な奴だ。
 ムカつく奴なのに、たまーにすっげえ優しい目であちしを見ることがある。
 酒の造り方を教えたあちしを、そんな目で見た。
 料金に文句をつけたのも初めだけで、あちしの造ったワインを美味そうに飲んでた。

 人間はあちしらの酒を汚いとか言うのにな。

「……どうした、店主。わしが余りにも美少女過ぎて、新たな性癖が芽生えでもしたか?
 残念ながら、わしにそっちのけはない」

 チビのメスはムカつく感じに笑った。

「ふん!」

 あちしは相手にせず、そっぽを向いてやった。

 いけないいけない。
 ちっと優しいような気がするからって、騙されちゃいけない。
 人間は身勝手だ。
 あちしらのことを怖がるくせに、怖いのは人間の方だ。
 あちしらが人間に一匹でもちょっかいかけっと、奴らは群れで仕返しにやってくるかんな。
 平気で虐殺とかもすっから、血も涙も情けもない。
 奴らこそ鬼だと思う。

 ――人間は怖い――

 怖がってばっかじゃ良くないけど、そいつを忘れちゃいけないってあちしは思ってる。
 そう思って口にしたから、臆病だっつって群れから追い出されちったんだけど。
 あちしについてきたのは、群れのはみ出し者だったあいつらだけだ。

 ゴブリンが臆病で悪いかっての。

 ちっとムカムカきて、あちしは覗き込んだ窯の火をふうふうと吹いて焚き付ける。
 火は扱いが怖いけど便利だ。
 あちしは前の仲間たちに、人間の怖さをそういう風に言いたかったんだ。

 それに、火は綺麗だ。
 火の粉を散らしてゆらゆらと揺れる様子を見つめてっと、あちしのムカムカが落ち着いた。

 落ち着いて、いつも通りにやろう。
 こういう時、都会の人間がどういうか知ってる。

「レディ・クール」

 あちしは覚えた王国語をそっと呟いて、頷いた。

 良し。
 落ち着いた。

 あちしが人間に騙されてどうすんだ。
 騙すのいつだって、あちしらの方なんだ。



xxx  xxx



 酒が進んだ。

「いっひっひ! ひっひひひひ! 底に残った山葡萄を、最後にまとめて噛み潰すと後口さっぱりだ。甘露であるぞ!
 いひっ!」

 主に魔女殿の。

「左様ですか」

 すっかり顔を赤くして、陽気且つ邪悪に笑う魔女殿に相槌を打った。
 ワインだけあって度数が強いらしい。
 蜂蜜酒より酔いが進むのが明らかに早かった。

 魔女殿は石のグラスを舐めながら、カウンターを手探りに動かす。
 手に触れる物はすでになくなっていた。

「む、つまみが切れたぞ。やい店主、つまみのお代わりだ!」

「銅貨三枚」

 魔女殿の言葉に、しゃがんで火の様子を見ていた“枝折り”は無愛想に答えた。
 俺は懐から銅貨を三枚、彼女が突き出していた手の平に握らせた。

「毎度」

『誰かつまみ持ってきな!』

「シシシ!」

 彼女の声に、奥の部屋から子分の一人がちょこちょこと姿を見せた。

 三人の内、一番体躯の小さなソッパだ。
 同じゴブリン種の“枝折り”よりも小さく、魔女殿よりも小さい。
 四歳程度の幼児と同じ大きさだった。

 驚く事に、彼の年齢はこれですでに成体に達しているそうだ。
 さらに岩の歯亭の一番の年長者でもあるらしい。
 今年で三六歳。
 俺よりも年上だ。

 岩の歯亭の面々を年齢順に並べると、ソッパを先頭に大きく離れて”枝折り”、ハッパにドッパという順になると、彼女か

ら聞かされた。
 寸胴体系で横に大柄なドッパは、ゴブリン社会でようやく亜成体から成体になったばかりの一四歳。
 ゴブリン種は一四で成人として扱われれるのだが、未だに亜成体気分が抜けずに甘ったれだと、“枝折り”がぼやいている

のを耳にした。

 ゴブリン種を見た目で判断するのは容易ではなく、彼らはとても個性的だった。

「シシシ!」

 ちょこちょこと歩いてきたソッパは、一抱えはある青かびの浮いたチーズを手にしていた。
 岩の歯亭にあるつまみは、この青かびチーズのみであるらしい。

 俺は強烈な匂いを発するチーズから、ソッパに視線を移して彼を観察する。

 それがゴブリン種共通の風俗なのか、彼ら三人の露出度は女性の“枝折り”と比べてさらに激しい。
 男性は上半身裸なのがフォーマルスタイルなのだとか。
 ハッパは腰に布を巻いて垂らし、ドッパは足元まで覆う立派な腹巻を身につけている。
 ソッパに至っては完全に全裸だった。

 彼の全身は全くの無毛で、裸でいても性別を思わせる器官は一切見つからなかった。

 股間にあるはずの生殖器官も見当たらず、それは彼の体質に由来しているらしい。
 彼は完全な成体ではなく、幼体のまま成長が止まってしまったそうだ。
 人間で言うなら小人症に当たる彼に生殖器官もその機能もなく、ゴブリン種の間でたまに発症する病気らしい。

 身体の一部分だけ目立って大きく、全体的に不揃いだった。
 手や足などの部位が部分的に大きく、特に口が際立っていた。
 顔の下半分ほどを占める口は耳元まで裂けて、大きな尖った歯を常に剥き出している。

 その影響で言葉の発音が出来なくなった。
 彼が歯と歯の隙間から空気を洩らすように音を立てるのは、そういう理由があった。

「シ?」

 じっと凝視していた為か、俺の隣に立つソッパが首を傾げた。

「ソッパは個性的だと思った」

「シシシ!」

 見つめていた理由を述べた俺に、ソッパは独特の声で応えた。
 にんまりと笑ったような表情は変わらないので、彼が俺の言葉をどう感じたのかまでは理解出来なかった。

「シ!」

 彼は俺が見ている前で、唐突にがぶりと青かびチーズの塊にかぶりついた。
 大きな口で、三分の一ほどを一気に齧り取る。
 チーズには彼の歯形がくっきりと残った。

 もっちゃくっちゃと咀嚼しながら、青かびチーズを石のカウンターに投げるように置いた。

 彼の行動が何を示すのか判らぬまま、斜めに傾いだ枯れ木色の瞳を見つめていると、

『……ありがとう、って』

 “枝折り”の呆気に取られたような呟き声を耳にした。

 彼女を見ると、声の通りに呆然とした表情で手下の一人を見ている。
 鍋を掻き混ぜていた手が止まっていた。

 俺の視線に気がついたのか、彼女は慌てて視線をあらぬ方向に向けると、素早く鍋を掻き混ぜる。

「“枝折り”。ソッパの行動はどういう意味なんだ?」

 感謝の意味らしいが、それが何故つまみを齧る事になるのだろう。
 感じた疑問を訊ねてみた。

 “枝折り”は咳払いを幾つかしてから、そっぽを向いたまま応える。

「あちしらの流儀だ。なんてっか、嬉しかった時にすんだ。
 自分が持ってる食べ物を、相手と一緒に食う。貰った方はくれた相手の前で食うのが流儀だ」

 俺は彼女の言葉を吟味した。

「俺がチーズを食べると、ソッパと友達になる。そういう事で構わないのか?」

 彼女は視線を逸らしたまま、ごぼごぼと沸き立つ鍋を木の棒で荒っぽく混ぜ返した。

「どうかなー。似たようなもんかなー。あんたは人間で、ソッパはゴブリンだもんなー」

「シシシ!」

 話しの途中で、今まで口を閉じていた魔女殿の目がじとりと据わった。

「いや待て。すでに金を払ったと言うに、何故分け与える事になる? もう、わしらが買い取った物であろう」

「何言ってんだ。金払ったからって、あちしらのもんはあちしらのもんのままだろ。お前らの口に入るまでは」

 “枝折り”はきょとんとした表情で、酒の由来を訊ねた時と似た声音で答えた。
 ゴブリン種は買い手よりも、売り手を尊重する商業観念を持っているのか。

 俺は“枝折り”の言葉を深く吟味してみる事にした。

 王国の流通経路の確立と、浸透した魔術に伴う生産力向上に伴い、今では買い手が売り手を選ぶ時代である。
 大手商会では価格の低下とサービスの過剰による競争が続き、薄利多売競争は第三種職(サービス業)の発達を促進したも

のの、昔ながらの生産を営む農民には大打撃となった。
 結果、行き場を失った小作業者は、土地を持った地主に糾合されて、富を吸い上げられる形が出来上がった。
 富を得た地主は王国に定められた以上の税を支払うか、貴族位を文字通り金で買って、権威からの庇護を得て貧しい小作業

者たちの不満を抑制している。

 同時に、大量生産の下地が出来上がったことで生活必需品の価格は特に抑えられ、貧しい者でも最低限飢える事はない。
 平和が長く続いた事で民のモラルが低下し、一部の者は学を得る事で法の目を潜る方法も覚えた。
 税収が減っていた王国にとっても、地主からの献金は国政をまかなう財力源として無視出来ない。
 国の財力が回復すれば、これまで無駄と切り捨てられていた公共事業が推進され、それはそのまま国民への恩恵となって還

るのだ。
 と、魔女殿から教えてもらった。

 確か、始まりはパンとビスケットの話だったはずだ。
 いつの間にかそういう話になっていた。

 口噛み酒にしてもそうだが、ゴブリン社会はかつての人間社会の名残なのではないかと思う。
 発展が遅いと言ってしまえばそれまでだが、彼らは急速な変化を良しとせず、自分たちの生きる速度を保っているのではな

いか。
 ゴブリンたちにワインの作り方が伝わったように、ただ保守的なだけでなく新たな変化も取り入れ、それを伝え守りながら

自分のたちのぺースで生きている。

 それがゴブリン種。

 彼女らに対する印象に、現在の結論が出た。
 気がした。
 
「シシ」

 物思いにふけっていた所を、尖ったものでつつかれる。
 ソッパの爪だった。

 彼はじっとにんまり顔で見上げてくる。
 俺は彼が給仕を終えても佇んでいる理由に気がついた。

「ああ」

 頷いて、カウンターに投げ出されたチーズにかぶりつく。
 腐ったような独特の匂いは強烈だが、チーズ自体の舌触りは滑らかで濃厚。
 癖になる味だ。
 食べてしまえば匂いなどすぐに気にならなくなった。

 ソッパと向き合う格好でもっちゃくっちゃと咀嚼してから、口の中のチーズを飲み込んだ。

「よろしく、ソッパ」

「シシシ!」

 ソッパはその場でぴょんぴょんと飛び跳ねた。
 言語によるコミュニケーション力が低い彼の、喜びを表現する行動に見えた。
 これで友人としての関係が成立した。

 だとしたら嬉しかった。

『何考えてんだ、ソッパの奴』

 ぼやくように“枝折り”が呟き、魔女殿は俺たちを見てにやにやと笑っていた。

 ――?

 ふと、自然に思いついた事があった。
 何故かそうしたいと思い、俺は足元に置いていた背負い袋をごそごそと探って、中から油脂で包んだ塊を取り出した。

「シ?」

 ぴょんと椅子に飛び乗り覗き込んでくるソッパに頷いて、カウンターに置いた油脂を一枚ずつ剥がしていく。
 ソッパと“枝折り”が覗き込み、魔女殿は相変わらずにやにやしていた。

『……う、美味そう』

「シシシ!」
 
 油脂の中から出て来たのは、見慣れた分厚いベーコンの塊。
 魔女殿曰く乾燥肉だ。
 俺と魔女殿の旅で食事の大部分を占めている二大携行食の内一つで、もう一つはビスケット。
 ちなみに酒類は飲み水に含まれる。

「切るぞ。危ないから離れてくれ」

 ぐっと顔を寄せてきた“枝折り”とソッパに断りを入れ、俺は腰のククリを抜いた。
 刃物を扱うには少し危ない距離だった。
 抜いて見せると分厚い刀身に驚いたのか、じりじりと寄っていた二人の顔は首をすくめて引っ込んだ。

 抜いたのは、林の茂みを切り開いていたククリ。
 骨の刀身を袖で良く拭ってから、ベーコンに刃を入れた。

 油脂で一定の乾燥を免れたベーコンは外がカリカリになっているものの、中は半生のままだ。
 普段食べる一食分の量を切り落として、俺は端っこを齧った。

 スモークに使った香木の香りと、たっぷり塗り込んだ香辛料がぴりぴりと舌に広がった。

 ごくりと、咽喉が鳴る音が三つ聞こえた。
 ソッパと“枝折り”が飲んだのは生唾で、魔女殿はワインだろう。

 そんな事を考えながら、一拍遅れて口の中のベーコンを飲み込んだ。

「どうぞ」
  
 残ったベーコンをソッパに渡す。
 迷いなく受け取った彼は天井を向くと、大きな口をぱかっと空ける。
 ベーコンがぺろりと口の中に消えた。

 くっちゃくっちゃとたっぷり咀嚼してから、細く小さな咽喉をぎょっぐんといった具合に大きく鳴らした。

「シシシ!」

 ソッパはにんまり顔でそう言った。
 彼が何を伝えようとしているのか、今までと変わらず俺には判らなかった。

 ただ、彼の表情を改めて記憶に留めた。

 ベーコンを一口で平らげたソッパは、ちょこちょこと奥の部屋に引っ込んでいった。

 その小さな背中を見送った後、胸の奥に僅かな満足感があった。

 カウンターに直に置かれたチーズを手でむしり、ちびちびと齧っていた魔女殿が言う。

「店主よ。ぬしもゴブリンなら子分の物はあちしのもの、ではないか? ぶんどるどころか、分け前をせしめようともせんと

はな」

 俺と同じようにぼんやりとソッパを見送っていた“枝折り”は、我に返ると魔女殿を睨んだ。

「……うっさいぞ。岩の歯亭じゃあ、ゴブ一倍流儀にうっさいんだ。流儀に関わる事じゃ、子分もあちしも関係ない」

「それが“枝折り”の流儀なのか?」

 俺の言葉に、彼女は何故か驚いたようにぎょっとのけぞった。
 しばらくちらちらと視線を彷徨わせ、やがてエプロンを握り締めて呟く。

「そ、そっだ」

 じっと上目遣いに睨まれた。
 怒りをじっと堪えているような、今にも泣き出しそうな。
 そんな複雑な表情だった。

「そうか」

 頷いた俺に、彼女は短く答えた以外に口を開こうとはせず、亭内に静寂が訪れた。

 静寂の中、俺は彼女の表情を記憶に留め、魔女殿はワインを楽しんだ。
 緩やかな風の音に、焚き木の爆ぜる音が混じった。


 
 どたどたとした足音が聞こえて、静寂が破られた。
 奥からゲッパとドッパの二人が騒然と駆け込んできた。

 二人は俺の前に立つと、

「夜遅くにようこそ! 岩の歯亭へ!」
「お泊りですか! お食事ですか! それともご休憩ですか!?」

 二人揃って絶叫するように叫んで手にした青かびチーズを齧った。

 俺はずずいと差し出された歯形付きの青かびチーズと、彼らの顔を見比べる。
 チーズをもちゃもちゃと咀嚼する彼らの目は、爛々と輝いていた。
 視線をベーコンの塊に向けて。

 彼らが言いたい事が伝わってきた。
 気がした。

 俺は彼らから青かびチーズを受け取り頬張った。

 嚥下してから目を輝かせる彼らの前で、ベーコンの塊に再びククリの刃を入れる。
 一食分ずつ、今度は二枚用意してそれぞれ端っこを齧った。

「どうぞ」

 食べかけのベーコンを一枚ずつ手渡すと、彼らもやはりソッパ同様一口でぺろりと口の中に放り込み、ゆっくりと噛み締め

た。

「ご利用ありがとうございます、旅の人」
「岩の歯亭は、いつでも貴方をお待ちしております」

 彼らの王国語定型文が変わった。
 少し新鮮だった。

『姉ビン、これマジ美味いでゲス! 最高でゲス!』
『この味は合点承知っス! 塩っ気が利いててエールにも合うっス!』

 彼らは香辛料が舌にしみたのか、涙をこぼしそうな表情で何度も頷いた。
 俺は二人の表情を記憶に留めた。

『あ、あんたらなぁ……』

 呆れたように角の根元を掻く“枝折り”。
 俺は彼女に向き直って、じっと見つめた。

「な、なんだよ?」

「流儀」

 新たに切り分けたベーコンの端を齧り、咀嚼しながら彼女に差し出した。
 彼女は差し出したベーコンと俺の顔を何度も見比べる。
 薄い唇がむにむにと動いて八重歯が覗き、少し涎が垂れていた。

 俺も青かびチーズをゲッパとドッパから差し出された時、こういう顔を浮かべていたのだろうか。

 ぼんやりと考えながら彼女の反応を窺っていると、

『……人間が口つけたもんなんか食えっか!』

 ばしっと差し出していた手を払われてしまった。

 見た目に反して彼女の力は強かった。
 払いのけられた手の骨がびりびりと痺れる。

 ベーコンが放物線を描いて空中を舞い、

「岩の歯亭へようこそ!?」
「ご休憩ですね!?」

 ゲッパとドッパがそれに続いた。

 二人の手が空中に舞うベーコンへと伸びる。
 時間が間延びしたような錯覚と共に、俺はその様子を見守った。

 がっちんと歯と歯がぶつかる音がした。

 ベーコンを口の中に入れたのはソッパだった。

 いつ現れたのか、横合いから素早く飛び出したかと思うと、空中でベーコンを一口でぺろり。
 飛び上がった二人の身体を踏み台にしていた。

 したたかに石床に打ちつけられた二人が見ている前で、ソッパはたっぷりと咀嚼した。
 二人の驚きが絶望に変わってきた辺りで、ぎょっぐんと一飲み。

 床に寝そべったままさめざめと泣き出す二人の頭を軽く叩いて、ちょこちょこと奥の部屋に消えて行く。

「シシシ!」

 去り際に観察していた俺に振り返ると、拳を手の平に当ててぱちんと鳴らした。

 俺はどう返していいか判らずに、とりあえず会釈をしておいた。

「酒と肴に余興までつくか。店主、中々洒落た催しであったぞ」

『うっせえ!』

 一部始終を見ていた魔女殿は意地悪に笑い、“枝折り”は彼女らしい元気な剣幕を返した。

『あんたらもだ! 男がめそめそ泣くな!』

『姉ビィ〜ン』
『合点承知ぃ〜』

 “枝折り”は子分たちにも怒鳴り、それでもハッパとドッパは床に伏せたまま泣き止まない。

 ゴブリン種の宿は、とても賑やかだ。

 業を煮やした“枝折り”が二人を蹴り転がす様子を観察しながら、俺は岩の歯亭の様子を観察し続けた。



xxx  xxx



 あちしらは奥の部屋に集まってた。
 変わった人間のオスとメスを部屋に案内した後で。

 メスの方はかなり酔ってたし、オスもエール七杯くらい飲んでる。
 案内してから結構経つし、そろそろ部屋んなかで寝転がってるだろ。

 しめしめ。
 バカな奴らだ。
 目が覚めた時にどんな顔をすっか(特にあのメス!)楽しみだ。 

 あちしは手に唾を吐いて手を擦り合わせる。
 しっかり滑り止めしてから、使い慣れた石の棍棒を握り締めた。
 ごつごつのでっかい棍棒を使うのは、使い慣れてるってのもあっけど、脅しの意味だってある。
 硬くて重たい棍棒をぶんぶか振り回せば、あちしらがほんとは腕っ節が強いってこともバカな人間だって判る。

 あちしらは人間よりずっと力持ちで、身体だって頑丈なんだ。
 人間に負けんのは、やたら数がいんのと弓とかまじないとか使うからだ。

 近づいてぶん殴っちまえば、人間なんてオダブツだ。

『あんたら、準備はいっか?』

『あ、姉ビン。ほんとにやるでゲスか?』
『合点承知っスか?』
「シシシ?」

 車座にあちしを囲んで正座したまま、ゲッパとドッパは弱気にあちしの顔を覗き込んでくる。
 ソッパはあちしらでも何考えてっかまでは判んないけど、あんまり乗り気じゃないってことくらいはフインキで判る。
 あちしはそんな子分たちを、も一度見回してため息をついた。

『何言ってんだ。あいつら金をじゃかじゃか持ってたじゃないか。
 それだけじゃないぞ。他にも色々持ってたぞ。オスが持ってたナイフ、すっげえ斬れてたじゃんか。ドワ公だってナマスに

出来そうだ。
 メスだって、性格はあんなでも髪は上等だ。全部剃ってあんたらのかつらにしちまおう。着てた服だって頑丈そっだし、あ

んたらの穴ぼこだらけの鎧の繋ぎに使えそうだ。
 あんなに美味いカモなんて早々いないだろ』

『そりゃそうなんでゲスけども』
『合点承知ぃ〜?』
「シシシー」

『何のためにここに店構えてると思ってんだ。あちしらのアジトってだけじゃないぞ?
 街道から外れてわざわざここまでやって来て、あちしらの店に泊まるような人間は、どいつもこいつもロクデナシだ。
 人間の群れからはみ出しちまってんだ。身包み剥ぎ取っちまったって、今まで仕返しに来る奴なんていなかったろ』

 あいつらが何を持ってたか、ぶんどったもんをどうすっか、後の仕返しだってありゃしないって説明しても、子分たちは乗

ってこない。
 あちしは棍棒を肩に担いで、子分たちをじとりと睨みつけた。

『あんたら、あいつとの流儀んこと考えてんのか? あんなの無しだ、無し。あいつは人間で、あちしらとは違うんだぞ?』

『そりゃそうでゲスが。あいつ、人間にしちゃ結構いい奴でゲス』
『人間のままにしとくにゃ惜しい奴っスよ、姉ビン』
「シシシ!」

 いい奴。

 子分たちに言われて、あの黒い人間のオスが頭ん中に出てきた。

 あちしの名前(つっても本当の名前じゃねぇけっど)を呼ぶあいつ。
 あちしにものを訊ねてくるあいつ。
 あちしらだって知ってっことを訊いてくる人間のあいつ。
 あちしに金を渡すあいつ。
 あちしの酒をごくごくと飲むあいつ。
 あちしに流儀んことを訊いてくるあいつ。
 あちしに美味そうな干し肉を渡そうとしたあいつ。

 あいつがしたのは、あちしへの――

『うーがー!』

 あちしは頭ん上で棍棒ぶんぶか振って、あいつん顔を追い出した。
 逃げる猪を林ん中ずっと追い回したって、こんなに胸がバクバクいったりしない。
 エールを一口も飲んでねぇのに顔がかっかとしてくる。

『姉ビン……ひょっとしてゲス』
『さっきの、合点承知じゃねっスか?』
「シシシ」

 子分たちが心配そうな顔してあちしを見る。

 そうだ。
 あちしはこいつらの姉ビンだ。
 あちしがこいつらの心配すんのに、あちしが心配されてどうすんだ。

『なななななに言ってやがっだあああああんたら。あちしはなんともねぇんだだだだだからなっ!』

『へい姉ビン! 判ったんでガッチンは勘弁でゲス!』
『合点承知っス! 試して合点っス!』
「シシシー!」

 棍棒を振りかぶったあちしに、子分たちは部屋ん中逃げ回った。

 落ち着け、落ち着けあちし。
 そうだ。
 あちしが言ったばっかじゃねぇか。
 あいつは人間で、あちしとは違うんだ。

 だから、さっきのあれは無しってことだ。

 変なこと言い出した子分どもをどたどたと追い回してっうちに、あちしも少し落ち着いた。

『次変なこと言ったら、あんたらの頭がチーズみてぇになるまでガッチンすんぞ!』

『へい姉ビン!』
『合点承知っス!』
「シシシ!」

 あちしは正座した子分たちに怒鳴りつけて、もっぺん車座になる。

『と、とにかくだ。人間からきっちり頂くもん頂くんもあちしの流儀だ。こっちの方が大事だ。
 別に命まで取ったりしねぇんだから、あいつらだって化けて出たりしねぇだろ』

 別に切った張ったするわけじゃあない。
 寝込みを襲って頂くもん頂いちまうだけだ。

『それにあの干し肉が食えっぞ?』 

『じゃあ襲っちまうでゲス』
『姉ビンの“枝折り”で済むっス』
「シシシ」

 う。

 子分たちの言葉にあちしは痛いところを突かれた。

『そ、そっだなー! “枝折り”で済ませてやっかなー! あちしってばすっげぇかんなー!』

『“枝折り”と呼ばれるのは伊達じゃねぇでゲス! 流石姉ビンでゲス!』
『魔性の女っス! 人間殺しっス! 合点承知の助っス!』
「シシシ」

 子分たちは胸を張ったあちしにがしがしと手を叩いた。
 角の根元がむずむずして、なんか居心地悪かった。

 う〜。
 人間の寝込み襲う時はいっつもこうだ。

 “枝折り”はあちしの必殺技の名前だ。
 子分たちにも内緒の。
 知ってっ奴はあちしの技を食らった奴だけだ。

 子分たちはあちしの“枝折り”を信じてる。
 だからあちしは“枝折り”しなきゃなんねぇ。
 あちしは“枝折り”でなきゃいけねんだ。

 だってあちしは、こいつらの姉ビンなんだから。


09/10/22 02:10更新 / 紺菜

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