読切小説
[TOP]
必ず伝わる
また彼が脱走した。
これで何度目だろう。いくら言って聞かせても彼は城から逃げ出す。
ある時は窓を叩き割って、またある時はトイレに行くフリをして正門から堂々と。この前は逃げようとして城壁から落ちそうになっているのをギリギリのところで助けた。
とにかく彼はあの手この手で逃げようとする。


「どうして逃げる?」
私は椅子に腰掛け足を組む。彼は何も言わずにこちらを見つめていた。なんの感情も読み取る事の出来ない様な無表情で。
私は溜息をつきながら彼に椅子を勧めた。彼は無言のまま近くにあった椅子を引き寄せて座る。
「どうしていつも逃げる?何かここの暮らしに不満があるのか?それとも…」
「…」
彼は無言のまま私を見つめていた。いつもなら呆れて、注意して終わりだが、今回は違った。
「いつもそうやって黙っていれば済むと思うなよ!私は疲れているんだ!わかるか!?お前の事ばかり構っていられないだぞ!?」
私が怒鳴っても彼は別段驚く様子もなくただただ黙っていた。それが私をさらに苛立たせる。
「もう知らん!」
私は勢いよく立ち上がりドアへ向けて歩いて行こうすると彼はボソリと呟いた。
「…だったら、放っておけばいい」


「あやつが逃げたようじゃぞ」
私が大量の書類と格闘している横でクルクルとのんきそうに椅子を回し、水晶を覗いていたバフォメットが誰に言うでもなく呟いた。
私はそれを無視した。まだ、彼の事が許せずにいた。
「おおー、大胆にも正門から出ていくつもりじゃ」
「…」
「良いのか?」
「別に、彼が望んだことだ」
「…何かあったのか?」
「…」
特に何かあった訳ではない。ただ、私が疲れているだけなのだ。いつもなら許せることも許せない程に。
「…人間界へ行ってしまったぞ」


電気を点けると部屋には誰もいない事が分かった。いつもなら彼が寝ているベッドも空、何度も持ち掛けている契約書もテーブルの上に綺麗に置かれたまま。
重い足取りで脱衣所へと向かうが服を脱ぐ気力もなく、シャワーのコックを捻り何も入っていない浴槽に服のまま身を投げた。
なかなか温まらないシャワーの冷水が逆に心地よかった。
どうして彼は分かってくれないのだろう。こんなにも彼の身を案じ、彼の為に尽くしているのに。
こんなにも愛しているのに。
あぁ、馬鹿だな、私は。小さく苦笑する。
見返りをばかり求めて、本当は彼の為になっている事なんかないのだろう。ありがた迷惑、あるいは余計なお世話なのだろう、彼からしたら。
それ故に彼は逃げるのだ、私という檻から。
涙が溢れる、悲しくて、寂しくて、身勝手な自分に嫌気がさして。
自分で自分を抱きしめて声を殺して泣いた。


「顔色が悪いぞ」
私の顔を横から覗き込んだバフォメットが言った。
「そんなにか?」
「ああ、真っ青だ」
ゴチン
「元々こういう色だ、バカ」
「殴らなくたっていいじゃないか…」
頭を押さえ涙を堪えながら抗議の声をあげる。
「まぁ、色はともかく、仕事態度は悪いぞ」
「そうか?」
ただ、机に彼の写真を広げて一枚一枚視姦しているだけなのだが。
「たった1日いないだけでこのざまか。はぁ、仕事のほうは私がやっておいてやるから、早くあいつを連れ戻してこい」
「わかった!」
広げていた写真をまとめ、すぐに窓から飛び出し人間界へ向かった。


人間の街へ来るのはいつ以来だろうか。それにしても、こう人が多いと彼が何処にいるかわからない。近くにこれ以外の街はない。この街いるのは確かなのだが。
「仕方ない、地道にいくか」

「見てないな」
「知らない」
「カッコいい子ね、紹か…」
迂闊だった、確かに大きい街ではあるが、1日あれば十分だと思っていた。こうも彼が見つからないとは。はぁ、一度魔界に戻るか、宿でも探しに行こう。私が席を立とうとすると楽しそうに会話する家族連れが喫茶店に入ってきた。小さな男の子とその姉であろう女の子、そして若い夫婦だった。仲睦まじい風景に心がほっこりするはずだが、私の顔は険しくなった、自分でも分かる程に。
私はその夫婦の母親の方を知っていた、そして彼女も私を知っていた。
彼女も私に気がつくと笑みが消えた。
「パパ、どれを食べてもいいの?」
「もちろん、いいよ!」
やったーと嬉しそうにメニューを見つめる子供達と父親、しかし、母親は私の方を見ていた。
「ごめんなさい、ちょっとトイレに行ってくるわね」
「うん、分かった」
彼女は頷くと私の方へと歩いてきた。
「トイレに来て」
私の横を通る時に彼女は囁いた。私はだまって頷くと、彼女がトイレに入るのを確認してから遅れてトイレに入った。
「どういうつもりですか?ここにはもう来ない約束でしょ!?」
「そうも言っていられない。彼がこの街に来た可能性があるんだ。あなたを探しているかは分からないが」
私の言葉に彼女の顔はどんどんと青ざめていった。
「ふざけないでください!約束したじゃないですか!彼はあなたがしっかりと育てると!」
「それは…」
私が口ごもっていると、扉を開け一枚を隔てた先の店内から悲鳴がこだました。
「…!?」
私はそっと少しだけ扉を開けた、そこには今まで食事をしていた人々の楽しそうな笑顔は無く、あったのは恐怖によって引きつった顔だった。
「オラオラ!大人しくしてねぇとこいつらみたいになっちまうぞ!」
「さっさとあり金全部寄越しやがれ!」
汚い声を張り上げ、質の悪そうな剣を振り回して、店員や客を脅していたのは五人の山賊たちだった。そんな彼らの近くには数人の男たちが倒れていた。話から察するに恐らく抵抗したのだろう。
「アニキ!金の回収は終わりやしたぜ!」
「よ〜し、ずらかるぞ!っと、その前に…」
山賊の親分らしい男は、彼女の子供たちを抱き上げた。
「このガキ共を返して欲しければ、この街にある全ての金を集めて、裏山の俺たちのアジトまで届けに来い!さもないと…」
泣き叫ぶ子供たちの首に剣を突きつけた。男の言いたいことは、その場にいた全員が察した。
山賊たちが店から出て行くのを確認すると、彼女は私を突き飛ばして夫と思われる男の元へ走って行った。
「あなた!子供たちが!子供たちが!」
「どうしよう!?」
慌てふためく二人を横目に、私は山賊たちの逃げた方向の窓を見た。やはり、手慣れているのだろうか、山賊たちの姿はすでになかった。しかし、すぐに私のよく見知った横顔が映った。
「あっ…」
そんな私の声が聞こえたのか、彼はちらりと私の方へと目を向けたが、すぐに走って行ってしまった。
私もすぐに店を飛び出し彼の後を追う。しかし、どこで覚えたのか、家の壁を蹴って屋根へと登って行き、見えなくなってしまった。
唖然としていると、後ろの方から誰かが走って来る音に気づいた。振り返ると、真っ黒なエプロンと厚手の手袋をした、恐らく鍛冶屋であろう焦げ臭い男が息も絶え絶えに走って来ていた。
「はぁ、はぁ、くそ。あの野郎どこに行きやがった?」
「どうかしたのか?」
「ああ、悲鳴が聞こえたと思ってたら、急に変な男が来て、借りるの一言だけでお代も払わずに剣を持って行っちまってよ。ここまで追いかけ来たんだが、どこに行ったのやら…」
「待ってくれ、その男、かなりの仏頂面だったんじゃないか!?」
「えっ?ああ、確かに陽気そうな感じじゃなかったな」
やはり。彼は恐らく山賊たちと戦うつもりだ。
私はすぐさま飛び、暗くよく見えない屋根の上を見渡した。
…いた。
かなり先に行ってしまっているが、彼はいまだ屋根の上を走って山賊たちを追っていた。私も全速力で彼を追いかけた。

「何をやっているんだ!」
「…やはり、あんただったか」
「何がやはりだ!それにそんな物騒な物まで持って何をするつもりだ!」
「…」
彼は一度手に持っていた剣に目をやったが、再び眼下に迫る山賊たちの方を見つめた。
私はそんな彼の反応が今回も例に漏れず不満で、声を荒げた。
「何とか言え!そうやって黙って…「巻き込まれたくなければ下がっていろ」」
私の言葉を遮る様に彼は言うと、眼下に目をやり、飛び降りると同時に最後尾を走っていた山賊の背中を斬り下ろした。
私はその光景に顔を覆った。
魔物娘になってから、人間を傷つけることも、人間が傷つくことも酷く嫌うようになっていた。しかし、それ以上に彼がそんなことをするところを見たくはなかった。
私が顔を覆っている間も数人の断末魔が聞こえた。覆った手を退けた頃には子供たちを抱えた長らしい男だけが残っていた。
「来るじゃねぇ!このガキ共がどうなってもいいのか!?」
男が子供たちの首に剣を当てがうと、彼の動きは止まった。
「そのままだぞ!そのまま動くな!」
「…」
「よし、持ってる剣をこっちよこせ!」
彼は言われた通りに剣を男の方へと投げた。そんな彼の素直な対応に気を良くした男はいやらしい笑みを浮かべながら、彼の元へとじりじりと近寄る。
「惜しかったなぁ。俺にはこいつらがいんだよ。おら!何とか言ってみろ!」
そう言うと男は素早く彼の右肩へ剣を突き刺した。
「ぐっ…」
「いてぇだろ?いてぇよな!?俺の仲間はもっと痛い思いしたんだよ!」
先ほどまでの笑みは消え、男は顔を真っ赤にさせて彼の左肩や、太ももなどの致命傷にはならない部位を突き刺していく。吹き出る彼の鮮血に私の目の前は次第に真っ暗になりそうだった。
「やめろ…やめろー!」
気がつくと、私は彼の前に両手を広げて立ち塞がっていた。
「ああ?何だぁ?」
「やめろ!これ以上しても何もならないだろうが!大人しく子供たちを返せ!」
「ふざけんじゃねぇ!こいつは俺の仲間を何人も殺したんだぞ!こいつの味方するんならお前から殺してやる!」
男は私を突き刺そうと腕を引く、私は再び目を瞑り、痛みに備える。しかし、突き刺すような痛みは来ず、体を横へ突き飛ばされた。咄嗟に眼を開くと、彼が私を突き飛ばしたのがわかった。それにして加え、男の剣が彼の脇腹を刺していることも。
「クソ野郎!そんなに死にてぇか!」
男が彼から剣を引き抜こうとするが、彼は両手で剣の刃を掴んでそれを封じる。
「くそ!離しやがれ!離、いってぇ!」
剣を抜こうと躍起になっていた男の顔が歪む、なぜなら、片手に抱いていた子供たちが男の腕に噛み付いたからだ。
一瞬、男の注意と、子供たちを抱く力が弱まった瞬間、彼は回し蹴りを男の顔面に放った。
男は子供たちを抱いたまま倒れこんだ。彼は剣の刃掴んで引き抜き、そのまま男へ覆い被さる。
「わ、悪かった!だ、だからっ!」
男は必死になって喚くも彼は何の躊躇もなくその喉元に剣を突き刺した。
男がピクリとも動かなくなるのを確認すると、彼は男の体から崩れる様に落ちた。
「大丈夫か!?」
私は子供たちを男の腕から解放すると、すぐに彼を抱き起こした。
息も絶え絶えになる彼、私はすぐに傷の場所に手をかざし、魔力によって傷を塞いでいく。しかし、それでも一時的なもの早く彼を連れて帰らなければならない。
「すぐに魔界へ戻って手当てしてやる!だからそれまで…」
「いや、大丈夫だ。それよりも二人を届けないと」
「このっ…!馬鹿野郎!好き勝手ばかり言うな!私がどれだけお前のことを心配していると思っているんだ!どれだけお前を愛していると思っているんだ!お前が死んだら私は…私は…!」
「…すまない」
「謝るな、馬鹿…!」
私のとめどなく溢れてくる涙を彼は優しく拭ってくれた。そんな優しさに涙がまた溢れた。
「おーい!こっちだ!こそ泥はこっち…。どうなってんだ、こりゃ!?」

その後、私の後を追って来た鍛冶屋と自警団によって私たちは保護された。子供たちは無事に彼女たちの元へ帰った。彼は子供たちを救ったということによって窃盗の罪を何とか逃れ、私と二人で近くの宿屋の一室を借りることができた。


「やはり人間界の薬ではあまり効果は期待できないか」
規則正しい寝息が立てるばかりで、全く目を覚まさない彼を見つめながら、私はため息を吐いた。
すっかり日は昇り、街はいつも通り活気づいてきているのが、開いた窓からわかった。
賑やかだな、そんなことを考えていると、コンコンと扉をノックする音が聞こえた。
「どうぞ」
「失礼します」
そっと入ってきたのは彼女だった。
「昨日はありがとうございました。子供たちを助けてくれて」
「私がやったことじゃない。全て彼一人の功績だ」
「そうですか…。彼は私が母親だと知っていますか?」
「…知っている」
彼女の質問に答えたのは私ではなかった。私は捻った体を元に戻す、すると、今まで寝息を立てていたはずの彼と目が合った。
「お前、いつから目が覚めていたんだ!?」
「ほんのすこし前だ。それより、その女に聞きたいことがある」
彼は身体を起こすと、彼女の方へと顔を向けた。そんな彼に怯える様に彼女は一歩後ずさった。
「…何ですか?」
「あんたが幸せになるのに、俺は必要か?」
「…!」
彼の質問に彼女は泣きそうな顔になって俯いた。そして、震える声で答えた。
「必要、ありません…!」
「そうか…。それだけ聞ければ十分だ」
彼は特に悲しがる様子もなくベッドから降りた。
「お、おい、いいのか?お前の、本当の母親だぞ?」
「…」
私の言葉を無視して、彼は椅子にかけてあった上着を着ると、一人部屋を出て行こうとした。しかし、ふと、彼のドアノブに手をかけるとそのまま振り返ることもなく口を開け開いた。
「俺はあんたを恨んでなどいない。むしろ、感謝している。俺を生み、短くとも育ててくれたことを。ありがとう、母さん」
彼はそれだけを告げると部屋を出て行った。扉が閉まると、彼女はその場にへたり込み大声で泣き出した。ごめんなさい、そう呟きながら。


「本当に良かったのか?私の力でなら記憶の改ざんも出来なくはないんだぞ?」
「…いや、いいんだ」
街を出て、魔界へと繋がる魔法陣へと歩く最中、私は初めてしょんぼりしていた彼を見た。
「だが、ならどうして彼女に会いに行ったんだ?彼女とまた共に暮らす為ではないのか?」
「いや、俺はあの人の今が知りたかっただけだ。そして、もし、俺のせいで悲しい思いをしているのなら、それを解消してやりたかった」
「そうだったのか…。彼女は幸せそうだったよ、とても、とてもね」
「ああ」
彼は小さく頷いた。
ああ、そうか、彼は誰よりも生みの母親を心配し、愛していたのだ。捨てられたことなどでは恨めないほどに。
一人納得する私がだったが、ふと、そこである疑問が湧いた。
「そういえば、なぜお前は彼女のことを思い出せたんだ?私のプロテクトは完璧だったはずだが…?」
「何度かあんたの部屋を掃除していた時に写真を見つけた。その後はバフォメットに頼んだ」
あの野郎!私の頭の中で可愛げにテヘペロをするバフォメットが浮かんだ。帰ったら、ただじゃおかない!
「ま、まぁ、そうしてお前は彼女を思い出した、というわけだな。その写真、見せてはくれないか?」
私が頼むと彼は黙ってポケットから一枚の写真を渡してくれた。
写真には、小さな彼と、困った様な笑顔を浮かべる彼女が映っていた。
そんな微笑ましい写真を見て、自然と涙が流れた。
情けなく涙を地面にこぼす私に彼は話しかけた。
「短くとも俺を愛してくれたあの人のことは好きだ。だが、それ以上に、こんな身勝手な俺を追いかけて、いつも助けてくれるあんたのことはもっと好きだ」
「えっ?」
彼のあまりに突然の告白に私はもっと情けなく素っ頓狂な声を出してしまった。
「す、すまん。もう一回言ってくれ!よく聞こえなかったんだ!」
「…」
私が涙を拭きながら頼むも、彼は私の手から写真を奪い、ビリビリに引き裂くと一人歩いて行ってしまった。私も急いで彼を追いかけた。

割かれた写真はひらりひらりと、風に乗って二人の元を去っていった。
16/09/10 10:14更新 / フーリーレェーヴ

■作者メッセージ
駄文&穴だらけ設定です
それでもよければ見ていってくださると嬉しいです

TOP | 感想 | RSS | メール登録

まろやか投稿小説ぐれーと Ver2.33