連載小説
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名前の意味
「はっはっ…」

一人、土砂降りの雨の中を駆ける青年。

「ついてないよな、ホント…」

彼は国境付近の反魔物勢力下の村に生まれ、特に思うところもなく軍に入り、剣の才覚を認められ始めたところで上官の不祥事を押し付けられ、退役した元兵士だ。
職を失い、仕方なしに故郷に帰ってみれば村は戦火に焼かれてなくなっており、疎開した村人たちの行方も分からなくなっている有様である。
さらに、行く宛てもなくトボトボ平原を歩いていたら雨に降られ今に至るといった次第である。

「俺が何したってんだ…」

近くの森で雨宿りできそうな木を見つけ、その根元に腰を下ろした。
恨めしそうにどんよりと淀んだ空を眺めてみるが、雨が止むわけでもない。

「今日中に町に着くはずだったんだけどな…」

止む気配のない雨に野宿を覚悟した彼は野営の準備に取り掛かろうと辺りを見回していた。

「もう少し奥まで行かないと何もないな」

浅いところとはいえ森での野宿だ。火は必要不可欠であり、火を起こすためには薪がいる。
彼は仕方なしに森の奥へと足を進めた。






「うおっ」

何かぐにゃりとしたものを踏んだ感覚に驚き足元を見やった。
薄暗くてよく見えはしなかったが、目を凝らすとどうやらそれは人間の遺体のようだった。
首が落とされ、一目で亡くなっていることは理解できた。

「ひでぇな…」

近くにも蹲ったような体勢で倒れている遺体があると思い、彼は近付いて行った。

「女性にまで惨いことを…」

格好はどう見ても女性。しかし、赤黒いシミだらけのその服から大量の刺し傷があることは容易に想像できる。
血まみれのその体は生きているようには見えなかった。

「うぅ…」
「生きてんのか!?おい、しっかりしろ!」

彼の声に反応した女性のうめき声を聞き、彼は駆け寄った。
そこではたと気付く。

(つ、角!?魔物か!?)

反魔物領での教育の例に漏れず、彼は魔物は危険な存在であるという認識を持っていた。
ぴたりと動きの止まってしまった彼だが、女性が大事そうに抱く布に目が留まった。

「この…子を…」

その布を震える両手で差し出され、彼は思わず受け取ってしまった。

「あ、赤ん坊…?」

布の中には眠る赤子。
小さいが角も生えている。

「ちょっと!こんなん渡されても…」

慌てて声をかけようにも女性は既に事切れていた。

「う、嘘だろ…」

受け取ってしまった赤ん坊を呆然と眺める。
彼は退役したとはいえ軍人である。
危険の種は早めに摘み取らねばならないと思い、退職金代わりにかっぱらってきた剣を抜いた。

「くっ…!」

すやすやと眠っている魔物の赤ん坊は無邪気なものでとても自分に牙を剥くようには見えない。
それ以上に赤ん坊を手にかけることに強烈な抵抗がある。

「どれだけついてないんだよ俺は…」







とりあえず保留として赤ん坊を抱いたまま元の場所に戻った。
集めた薪で起こした火をボーっと眺めつつ今後について考えていると目を覚ましたらしい赤ん坊が烈火のごとく泣き出した。
慌てふためく彼はなぜか空腹という点には気付かずあやし続けた。
「ど、どうしたんでちゅかー?どうして泣いてるんでちゅかー?」
恥も外聞もかなぐり捨てた彼のあやし方はさぞ滑稽であっただろう。
彼が空腹なのではと思い至ったのは彼の腹の虫がなった時だった。
魔物の特性を理解していない彼はとりあえず人間の赤ん坊と同じようにミルクを飲ませようと思ったが、

「ミルクがないじゃねぇか…」

早速問題にさしあたり、悩みに悩んだ彼の結論はこうだ。

「つまりアレか。消化する力が弱いからミルクなのか。このカピカピに乾燥しちまったパンをドロッドロになるまで噛みまくってそれを飲ませよう」

完全に湧いた発想ではあるが今の彼にはそれしか考えることができない。
しかし、男性の唾液には微量ながら『精』が含まれており、魔物である赤ん坊にはとても良い食事だったのかもしれない。

モグモグモグモグモムモムモムモムモニョモニョモニョモニョ…レロー

早速ドロドロになったパンを赤ん坊の口に垂らす。
とてもアレな行動ではあるが彼は必死である。

「どうだっ!?」

赤ん坊、咳き込み、吐き出す。

「あぁっ!?」

最終的には器にドロドロのパンを吐き出し、匙で少しずつ食べさせる方向で収まった。
やっぱりアレな行動だが、彼は本当に必死である。
なんとか食べさせてゲップをさせた後、眠った赤ん坊を見てホッとした彼は憔悴しきっていた。

「赤ん坊を育てるのって大変なんだな…。どっかに疎開しちまったお袋、その節はお世話になりました…」

疲れ切った彼は自分の空腹も忘れ、眠ったのだった。







翌日、雨も上がり移動できるようになったはいいが、彼は自分の身の振り方を考えねばならない。
魔物の赤ん坊を連れて村や町で暮らすのはかなり無理がある。
魔物と友好的に暮らす村も聞いたことがあるが眉唾物だと考えた。
かといってこんな赤ん坊をほっぽり出してどこかに行くのも殺めてしまうのにも抵抗がある。
となれば選択肢は一つしかない。

「どっかでひっそりと暮らしながらコイツ育てるしかないか…」

やることもなく、行く宛てもない彼には難しい生き方ではなかった。
むしろ、何もなくなってしまった彼にとって、父親となり、娘を育てるという目的を得られることは大きかったのだろう。
決断してからの彼の行動は早く、暮らす場所、家、食べていく方法など、次の日には必要な環境を整えてしまった。
赤ん坊を拾った森からさほど遠くない別の森に、使われなくなって久しい小屋があると町で聞きつけ、そこで猟をして生計をたてることに決めた。
兵士として働いていた彼には弓を扱う知識もあったし、剣の腕にも自信があった。
森だから自給自足でもなんとかなるだろうという、極力他人を避けた生き方である。






記念すべき一日目は家の掃除にのめり込んでいるうちに夜になってしまった。

「猟は明日からだな。それはともかく、名前決めないとな。何がいい?」

夕食後、そんなことを話しかけてみるがもちろん赤ん坊は返答はおろか、理解すらできない。

「花の名前とかいいかもなー。人間を襲わない感じの優しそうな名前にしよう。いやでも東方の国では風水という文化があって名前によって運勢が左右されるという。でもそれは東方の国の話であってここら辺で風水に準じると変な名前に…うーんうーん…」

月が沈み、日が昇り始めた翌日。

「結局徹夜してしまった…。まぁ、二人での暮らしに名前の必要性はそんなにないよな。おいおい考えていこう」

眠い目をこすりながら狩りの準備を整える。
護身用の剣を腰に下げ、弓を背負い、矢筒も中を確認してから背負う。

「よしっ。じゃあ、行ってくるな」

声をかけ、家を出ようとすると、夜泣きもほとんどしない赤ん坊が突然泣き出した。

「おいおい、どうしたってんだよ?」

近付いていき、抱き上げてやるとピタリと泣き止む。

「…はぁ?まぁ泣き止んだならいいか」

赤ん坊を揺り籠に戻し、また家を出ようとすると赤ん坊はまたしても泣きだした。

「なんでだ!そんなに俺を行かせたくないか!?」

再度家に入り抱き上げてやるとすぐに泣き止む。
それを何度も繰り返さない内になぜ泣き出すかは見当がついた。

「ったく、しょうがねぇな〜♪」

困ったものだと呆れる反面、自分が置いて行こうとすると泣き出し、抱き上げてやれば泣き止むという事実に顔がにやける。
抱き上げたまま体を揺すってやると赤ん坊は嬉しそうに笑うのだった。

「ヘヘヘっ。かぁわいいなぁ〜」

しかし、現実的な問題として、住処の準備、猟の道具に散財してしまった彼にあまり余裕はない。
猟に行けないとなれば大問題だ。
寝かしつけてから家を出ようとも考えたが、帰ってくる前に起きて泣いてしまったら可哀そうだと思い直し、連れて行くことに決めた。

「うしっ。子連れ狩人の完成っと」

布で赤ん坊の体を自分に括り付ける。
もちろん、ちょっとやそっとの動きでは落ちないくらいに厳重だ。
早速家を出て獲物を探すが、全く見つからない内に日が高くなってしまった。
それもそのはずであり、彼はただ闇雲に歩き回って何かしら動物が目に留まらないかとキョロキョロしているだけだった。
太い木に背中を預け、ヤギの乳を赤ん坊に飲ませながら猟の難しさに辟易とする。

「困ったな。まぁとりあえずもうちっと続けてみるかな」

赤ん坊が眠り、自分も簡単な昼食を摂ってから獲物探しを再開する。
彼なりに動物の痕跡を探そうとはしていたが、まずどんなものを探せばいいのかもよくわかっていない。
結局空が赤みがかって来るまで獲物の一匹も見つけることができなかった。

「いねぇ…。そろそろ帰るかぁ…お?」

彼の視界に動くものが映った。
どうやらウサギのようで、まだこちらには気付いていない。

(ラッキー。いただき…!)

弓をしならせ、ゆっくり引き絞っていく。
矢を放そうとした瞬間、何を察知したのかウサギは走りだした。

「ここまできて逃がしてたまるか!」

丸一日かけて見つけた獲物を追って走り出す。
しかし、しばらく走るとウサギは簡単に彼を撒いたのだった。

「あーくっそ!今日は収穫なしか…」

そこであることに気付く。

「あり?ここどこ…?」

ただ真っ直ぐ走ってきたなら帰ることは容易だったろう。
しかしウサギしか見ずにひたすら走った彼は何回曲がったかも覚えていなかった。

「まいったな…。唯一の救いは一人きりじゃないってことか…」

目を覚まし、もぞもぞ動き始めた赤ん坊に癒されつつ、昼の残りのミルクを飲ませてやった。
すっかり暗くなり、月明かりを頼りに森を歩くのは危険だったため、その場に寝そべって朝まで待つことにした。

「最近野宿ばっかだよ俺…」

赤ん坊が寒い思いをするのはまずかろうと思い、括り付けていた布を赤ん坊に巻きつけた。
さらに、蹲るように丸くなって赤ん坊をしっかり抱いた。

「そういえば、亡くなったコイツの母親も全く同じ格好してたな…」

あの母親も冷たい雨から娘を守ろうと傷だらけの体であんな体勢をしていたのだろうか。
きっと愛されて愛されて生まれたのだろう。
あまり期間は長くはなかっただろうが、愛されて愛されて育ったのだろう。
あの母親に代わって、同じようにこの子を愛してやることができるだろうか。
そんなことを考えながら彼は満天の星空を眺めていた。

「よし、決めた。お前の名前はリーゼ、リーゼだ。とある国では愛のことをリーベって言うんだ。それを捩ってリーゼ。どうだ、いい名前だろ?俺にはお前の母親と同じくらいお前を愛してやれる自信はない。でもな、その名前の通り俺はお前を愛する。俺にとってお前は愛そのものだって言えるくらいに愛してやる。それでどうだ?」

そういって赤ん坊の寝顔でも見ようと腕の中を見ると、寝ていると思っていた赤ん坊は腕の中でじっとこちらを見ていた。
なぜか驚きもせずに見返し、二人はしばらく見つめあっていたがどちらからともなく眠りに落ちたのだった。







翌日、目を覚ました彼は痛みで野宿していたことを思い出した。

「身体中いてぇ…」

昨晩はリーゼに寒い思いをさせないよう、蹲って寝ていたためか彼は体を痛めていた。

「さっさと帰ってリーゼにミルクのませてやんなきゃ…ってアレ?」

周囲を見回すと木々の間に小屋が見える。大体100mほど先だ。

「こんな近くにいたのかよ…。でもまぁ、あの体験があったからいい名前つけられたし、よしとするかぁ。な、リーゼ?」

リーゼは彼の腕の中ですやすやと眠るばかりだった。
12/12/10 13:20更新 / ミンティア
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■作者メッセージ
Auch er liebte Liese.
彼はリーゼを愛し過ぎている。





数か月後...

「あっ!こら、リーゼ!」
「あ〜ぅ」

数か月の月日が経ち、リーゼはハイハイで家の中を動き回るようになった。

「調理場は危ないっつうのに…。動けるようになってからというもの、どこだろうとついてこようとしやがる。今離乳食作ってるからもうちょっと待ってろよ」

そんな彼の言葉にはお構いなしにリーゼは彼のズボンの裾を掴んだ。

「あーもう、しゃーねーなー」

彼は仕方なしに料理を中断してリーゼを抱っこし、あやすことにした。
動き回れるようになってからもリーゼはおんぶや抱っこが好きで、泣いていようが何していようが抱き上げてあげればおとなしくなる子供だった。

「う〜あ〜」
「今日はよく声出すな。そんなに腹減ったのか?」
「あ〜ぷぁ〜」
「…………」

乳呑児のときは食事以外で口を開かなかったリーゼだが、動き回るようになってからは意味を成さない声をだすようになっていた。

(もしかして喋る前触れ…?)

「リーゼ〜?パパって言ってごらん?パーパ」
「だ〜あ〜」
「ちょっと違うなー。パーパ。いいか?パーパ」

愛娘にパパと呼んでほしい一心でゆっくりと口を動かし、『パパ』を連呼する。

「ぱぁ〜ぱぁ〜」
「喋ったぁー!!今パパっつったよ!!も一回行ってごらん?はい、パーパ」
「ぱ〜ぱ」
「うおぉぉ!!やっばいなコレ!!」

初めて喋ったリーゼに興奮を隠し切れない。

「よぉし!今日はお祝いだ!とびっきり美味しい離乳食作ってやるからな!」

リーゼを背に括り付け調理を再開する。
茹でたジャガイモを潰し、そこにみじん切りにした茹でトウモロコシを加え、小判形に丸める。
それを少量の油でこんがり焼きあげれば生後9〜11か月の子供用離乳食の完成である。

「今日はリーゼの好きなコーンも使ったから美味しいぞー。はい、あーん」
「あー」

モムモムと頬張るリーゼ。
それを恵比寿顔で見守る彼。
一口だけ食べさせてからは皿をリーゼの前に置き、自分で食べさせる。
勿論ポロポロこぼすが、彼は嫌な顔一つせずそれを拾ってやり、口周りを拭ってやる。
甲斐甲斐しく世話をしてやっていると、

「ぱーぱ」

と言いながら離乳食を手づかみで握りしめ、彼に突き出している。

「くれる…のか…?」

受け取った彼はリーゼと離乳食を交互に見やっていたが、リーゼはじっとこちらを見つめているのでそれを食べた。
するとリーゼは満足そうに笑って食事を再開するのだった。

「な…なんて優しく賢い良い子なんだ!!この子は天才だ!将来は絶対大物になる!ようし、次はたっちだ!」

彼の親バカっぷりは加速していくのであった。

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