読切小説
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日だまりの中で
「ここでよいかの?」

ここは辺境の集落の一軒家。その南側の部屋の大きな窓のそばで、バフォメットが背後の老婆に尋ねた。

「ええ。ありがとうね」

老婆が礼を言うと、バフォメットが指を鳴らした。すると、バフォメットの傍らで空中に浮かんでいたクロッキングチェアが音も無く絨毯の上に置かれた。

老婆は突いていた杖を椅子の肘掛けに引っ掛けると、ゆっくりと腰を下ろす。
すると、まるで老婆が椅子に座るのを見計らっていたかのように、それまで雲に隠れていた太陽が姿を現した。

「誂え向きな天気じゃのう」

バフォメットはそう言うと窓枠のスペースに腰掛ける。

「しかし、珍しいのう。お主が自分から儂と二人で話がしたいと言い出すとは」

「年寄りのちょっとした気まぐれだよ」

「お主、この儂を前にして己を年寄りと称するか」

バフォメットと老婆。二人の会話以外の音が存在しないゆったりとした時間が過ぎてゆく。

「それで、話とはなんじゃ。ようやく魔女に生まれ変わる決心がついたのか?」

バフォメットは既に何度も繰り返してきたような口振りで尋ねる。

「まるで私が魔女になるか否かで迷っているかのような聞き方だね」

「おや、違ったかのう?」

バフォメットが悪戯っぽい笑みと共にとぼけてみせる。

「お前さんが最初にその話をしてきた時から言っているように、私は魔女にはならないよ」

老婆はそれまでバフォメットに向けていた目線を外すと窓の外へと移す。窓の向こうは庭が広がっており、ちょうど庭では老婆の息子夫婦とその一人息子が庭の一角を耕して拓いた家庭菜園で野菜を収穫していた。

「私はねぇ…。お前さんに孫を託して家族の将来の安泰を確信して、安心して爺さんに逢いに逝くのが夢なのさ」

そう言って老婆は先立って逝った伴侶が居るであろう空を眺める。

「お主の孫については心配しなくてもよいぞ。儂が責任を持って守ってみせる」

バフォメットは老婆の眼を真っ直ぐに見据えると宣言してみせた。

老婆とその家族がこうしてバフォメットと関わるようになったのには複雑な事情がある。それは、今老婆がバフォメットに託すと言い、バフォメットが守ると言った孫が特別な存在であるからだ。

きっかけは、十数年前に一人のファミリアがサバトの布教と勧誘の為にこの家族を訪ねた事だった。
普段ならサバトの勧誘と聞けば大抵の人々は困惑と苦笑いを返すのだが、この家族は違った。彼女がサバトの者だと知ると助けを求めたのである。

いつもと違う反応に戸惑うファミリアが家の中へ案内されて目にしたのは、ベビーベッドの上で糸の切れた操り人形のようにぐったりとしている赤ん坊と、どうする事も出来ずに手をさすり続ける母親。その母親の肩を抱く祖母の姿だった。

村の医者も隣街の医者もみんな匙を投げて途方に暮れていた所だと赤ん坊の父親が言う。もう頼れるのはサバトの作る霊薬しか無いという事をファミリアは悟った。

ファミリアは布教も勧誘も後回しにしてサバトの本拠地へと舞い戻った。いくらサバトに属する者とはいえ彼女には医学や薬学等の知識が乏しかった為、仲間の力を借りようと考えたのである。

ファミリアの話は瞬く間にサバトの者全員の耳に入った。もちろんサバトという組織の頂点に位置しているバフォメットの耳にもだ。

慌てふためくファミリアに、どんなに強力な薬でも症状に合った種類の物を使わなければ意味を成さないと諭したバフォメットは彼女にその赤ん坊の下へ案内するように言った。

まさかサバトの長が自ら出向いて来るとは思わなかったのか、家族の間には緊張が走っていた。様々な霊薬とその場で調合を行う為の道具や材料が入った身体に不釣り合いな大きさの鞄を肩に掛けたファミリアが、ベッドで眠る赤ん坊の額に掌をかざすバフォメットを見守る。彼女は今、解析の呪文で赤ん坊の身に何が起こっているのか調べているのだ。

眉間に皺を寄せながら赤ん坊を調べる事十数分。突然バフォメットが何かに驚いてかざしていた手を離した。

バフォメットは家族の方向へと向き直ると、沈痛な面持ちで口を開いた。結果から言うと、赤ん坊は疾病や障害を患っているわけではない。だが、この赤ん坊は病気や障害よりも恐ろしい物を持っている事が解った。と、告げた。

この子は様々な意味で奇跡の子である。とバフォメットは続ける。

地理、暦、大陽の活動、地球の活動、宇宙を漂う惑星の位置関係。これらの要素が、文字通り天文学的な確率で合致。そして相乗効果を起こし、その相乗効果がピークに達した瞬間に産まれた子供へ、普通の人間ではありえない程の魔力を与えてしまいまだ乳歯も生え揃っていないような赤ん坊はその膨大過ぎる魔力の負担に耐えられず意識を失ったのだろうとバフォメットは述べた。

想像の範疇を超えた、スケールの大き過ぎる話に唖然とする両親と祖母。予想済みといった様子でバフォメットは苦笑すると、薬では直せないが魔法を使って赤ん坊の魔力を抑えれば回復すると告げ、呪文を唱えると赤ん坊の治療に当たった。

それから、バフォメットは赤ん坊に掛けた魔法が時間の経過と共に弱まるのを防ぐ為に魔法を掛け直しにこの家族の下へ訪れるようになり、現在に至るのである。

「あの子を見つけたのがサバトで良かったよ。サバトになら、安心して孫を頼める」

老婆は反魔物勢力である主神教団を信用していなかった。教団は古い固定観念に囚われ、主張と拒絶ばかりで会話をする事を止めたモノであると言って良しとしていないのである。

現に近頃の主神教団は魔物娘との戦いで一向に優勢を獲れず、それどころか敗北を重ね続けている現状を打開する為に禁断の魔術の研究に着手しているという噂が流れ、徐々に人の道を踏み外しつつあるのを老婆は知っていた。そんな組織に強大なチカラを持った孫が見つかれば、きっと拐われて悪用されると老婆は考えている。

「そう言ってもらえると光栄じゃ」

バフォメットは少し照れた笑みを浮かべる。

それから二人は、会話をする事無く庭の親子を眺める。穏やかな時間が過ぎてゆく。

二人の視線に気付いたのか、孫が収穫していた野菜を振って笑い掛けた。二人は微笑んで手を振り返す。

「のう…。本当に、魔女になる気は無いのか?」

バフォメットはどこか懇願するかのような口調で再び尋ねた。

「爺さんは寂しがりやだからねぇ。あまり待たせていると拗ねてしまうのよ」

老婆はバフォメットが何を言いたいのか悟っているのか微笑んで答える。

「それに、あの子には両親が居る。あの二人が居れば私がわざわざ魔女になる必要なんて無いわ」

バフォメットの提案と老婆の勧めで、孫と両親はサバトの本拠地に匿われる事になっている。孫が成長し、その身に宿る魔力の負荷にも耐えられるようになった時バフォメットがそのチカラの使い方を教え導きながら主神教団からその存在を隠す為である。既に母親は達ての希望によりバフォメットの手で魔女となっている。

「じゃが儂は、まだお主から教えてもらわねばならぬ事が沢山ある…!」

バフォメットは孫をサバトに迎え入れると決まった時から老婆に頼んで料理や掃除、洗濯等の家事を教えてもらっていた。人間が人間の子供を引き取るのは養子縁組と言えるが、魔物娘と人間の場合では違う。

バフォメットは孫を伴侶として引き取るつもりであり、その花嫁修業として老婆から教えを受けていた。たとえ悠久を生き、無限の知識を持っていたとしても、全く経験の無い家事に関して言えば人間の未婚女性と変わらぬ程度だったからである。

「お前さんはもう充分出来ているよ」

老婆の言う通り、かつては老婆が付きっきりで見守っていないと洋服の一枚も畳めないような素人だったバフォメットは、現在では老婆が見ていなくても家の事を全てこなせる程に成長していた。

不意に部屋に射し込んでした太陽の光が弱まる。太陽が雲に隠れたのだ。

バフォメットが空を仰いでいると、老婆の声が耳に入った。

「みんなを、頼んだよ…」

クロッキングチェアが傾いて軋む。杖が肘掛けから滑り落ちて絨毯に転がる音を発てた。

バフォメットが振り返ると、そこには穏やかな笑顔を浮かべた老婆が眠っていた。

「まったく…。どこが充分出来ていると言うのじゃ」

バフォメットは窓枠から降りると老婆の手に自分の手を重ねる。

「まだ儂が淹れた紅茶でお主に合格と言わせた事が無いではないか。儂とお主が作ったパンケーキを孫に食べ比べてもらった時は毎度お主の方が美味いと言われていたではないか。掃除だってまだ詰めが甘いと言っていたではないか」

だんだんとバフォメットの言葉が震えてゆく。

「それなのに、教え子を置いて逝こうと言うのか」

涙が零れ落ちて絨毯に沁みてゆく。

「まだお主に敵わぬ事が幾つもあるというのに、勝ち逃げしよって…」

バフォメットはこの家族と交流を深めてゆく中で知った。魔術や霊薬の知識だけでは真に人を笑顔に出来ない事を。自分が知らない物事がまだ沢山存在することを。

「のう…。儂はお主が居なくてもあの子を幸せに出来るかのう?」

バフォメットの問いに老婆が答える事は無い。だが、雲に隠れていた太陽が再び二人を照らした時、バフォメットは微笑むと杖を拾い上げる。

「大丈夫じゃ。だから安心して眠るがよい」

そう呟くと彼女は、庭の家族の下へと歩き出した。

-END-
20/09/10 20:13更新 / ヴィダルサスーンモンスーン

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