連載小説
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化物小僧と化物大蛇
(寂しいなぁ……)

蚊の鳴くような限りなく小さな呟き声で、今日もぱちりと目が覚めた。
このところ、毎日さっきの声に起こされる。

「…………………」

自分の奥底深くから零れた心の声かと疑うも、それはありえないと思考が潰す。
伊達や酔狂で、子供の頃から独りで生きてきたわけじゃない。
今更、寂しいなんて思うはずがない。
それにそもそも、自分の心の声なんか一度たりとも聞こえたことは無い。

「…………メシ、採ってこよ」

考えていても埒が明かない。
引っ被っていた上着を羽織って、窓一つない家から外へ出る。
幸いにも、村人たちはまだ眠っているのか、声は聞こえない。
早朝に相応しい冴えた空気にぶるりと震え、村人たちが起きない内にと小走りで村はずれの森へ向かう。どことなく不気味な雰囲気だが、すでに行き慣れた森だ。
それに不気味だったとして、この森の奥に魔物が潜んでいるとして、僕にとっては都合がいい。
誰も近寄らないところほど、安心できるところはない。

「っと、椎の実はっけん」

ザクザクと考え事をしながら歩いているうちに、目的の場所までついたようだ。
足元の木の根や雑草に混じって、所どころに熟したドングリが無数に落ちている。
無論、ドングリだけではない。胡桃に落花生、上を見れば山葡萄まで下がっている。

「……………」

持ってきていた麻袋に木の実を放り込み、目を皿にして更なる木の実を探す。
程なくして麻袋の底でジャラジャラと小気味いい音が鳴るほどまでに溜まり、実りの秋という言葉を実感させられる。やはり、秋と春は実りがいい。

「冬までに貯めとかないと……」

その反面、これから迎える冬は地獄だ。動物は眠り、木の実や食用草も育ちが悪い。
もっとも、こんな危なっかしい森でわざわざ食べ物を探すやつなんて僕しかいない分、競争することは無くて大いに助かっているのだが。

(誰か来ないかなぁ……)
「………………?」

今朝聞こえた声よりも、ややはっきりと聞こえた声は、森の奥からだった。
噂の魔物だろうか? それにしても、普通の女の子みたいな声である。
昔から耳にタコができるほど聞いた話では、魔物とは悍ましい容姿で脅かし、むしゃむしゃと人を頭から食べてしまうという恐ろしい存在の筈である。
しかし、洞窟があると言われる森の奥から聞こえる声は、どう聞いても人間の女の子の声だ。

「………………」

行ってみようかなぁ。能天気にも、そんな考えが浮かんだ。
村人が起きる時間になると、村内は僕にとって騒々しいうえに耳障りこの上ない。
そんなところに戻るよりかは、この声の正体を確かめに行く方が楽しそうだ。
もし悍ましい魔物がいたとしても、最悪は死ぬだけの話だ。

「ちょっと、行ってみよ」

改めて口に出して、森の奥へ向き直った。
そのときに、僕が一番きらいな声が、そう遠くないところから聞こえた。

(あの化物、どこに行きやがったんだ?)

まだまだ朝は早いから、なんて油断していたらしい。
木々の隙間から覗いた朝日はすでにそれなりの高さになっていて、集中してみると村の方もそれなりに起き上っているようだった。
そして、いま真っ直ぐに僕のところに向かっている声は、僕を目の敵にする村のガキ大将だ。

「あーあ、めんどくさい……」

ガキ大将はしつこい。
身に染みてそれが分かっているため、自然と口から愚痴が零れた。
畏怖と嫌悪の入り混じったガキ大将の声を聞き取りながら、なるべくその場から離れるように小走りで森の奥へと向かう。
いくら陰険なガキと言えども、魔物が潜むなんて言われている場所まで探そうとは思うまい。

ガラッ

「うぉわっ!?」

ずるりと足が土砂に滑る感触と共に、背筋に何かが這うような悪寒。
考え事が過ぎるのは悪癖と自覚していたが、どうやらまたも失敗したらしい。
そう高くはない崖からバランスを崩し、ガラガラと派手に石ころを巻き込みながら転ぶ。

「いッ……ッ……!」

何度か頭をぶつけて派手に地面に打たれたものの、何とか無事だ。
そろそろこの悪癖をどうにかしないと、次は死んでしまいそうだ。

「くっそ……、厄日……づッ!!」

悪態を吐きながら立ち上がろうとしたところで、右足に鈍い激痛が走る。
見てみると、変な角度には折れてはいないがかなり腫れている。

「ヒビ入ったかな、これ……!」

ズキズキと響く痛みに、額から脂汗が滲む。
だが幸か不幸か、傷を負ったのは片足だけだ。これなら、無理をすれば歩けなくもない。
しかし、不幸とは得てして重なるものらしい。

「お、化物テルミはっけーん!」

背後の崖の上から、かなりうざいトーンでそんな声が聞こえた。
痛みに集中力が欠けていたのか、ガキ大将がここまで来ているのに気付かなかった。

(うっわ、間抜けな奴だな、化物のくせに)

おまけに、助けるつもりは更々ないらしい。
まぁ、もともと期待などしていなかったが、馬鹿にされるのも癪だ。
無視してさっさと家に帰らないと、傷に障る。

「おいおいどこ行くんだよー! 無視すんじゃねーっつの!」
(化物の分際で無視とか、生意気なんだよ!)

ガンッ。
いつも声が聞こえるみたいに、頭に直接そんな音が響いた。
ズキズキとした鈍痛に、一拍してようやく石をぶつけられたのだと把握した。
投げ返してやろうかなんて悪魔が囁くが、そんなことしても意味がない。

「だから、無視すんなっつの!」

ガンッ、ゴヅッ。
意図的なのだろうか、さっきよりも石が大きい。
既に痛いと言うのに、これ以上いたぶられたら情けなさに泣いてしまうかもしれない。
ちっぽけなプライドのために、それだけはできないと左足だけの歩を早めた。

「ッ、逃げんなっつーのっ!」

パシッ。
ガキ大将が振りかぶって投げたであろう石は、体のどこにも当たった感触はなかった。
外した、にしてはそれらしい音もしない。
内心おそるおそる、表情だけは無関心を装って振り返ると、


小さな蛇と目が合った。


「うぉわあ!?」

シュー、と舌を出す蛇に驚いて尻餅をつく。
そしてよくよく見てみると、それは蛇ではなかった。
一言では形容しづらい、あえて形容するなら、それは化物だった。
ずるずると引きずられる巨大な蛇のような尾に、腰から先は露出が多いだけに見せつけられるしなやかな女性の肢体。傷一つない玉の肌は透きとおるように美しい。
そして、何よりも異様を物語ったのは先ほど見た蛇。
彼女の髪と思しき部分で、無数の蛇がシューシューと息づいていた。

「ま……、魔物……?」

これ……が?
あまりの異様さに、意識が遠のきそうだった。
しかし、見れば明らかに人ではないが、髪と下半身を除けば人と言える。
というか、子供の目で見てもかなりの美人で、村の男ならきっと放っておかないだろう。

「ちょっと、そこのアンタ」

凛と。
黙って僕に背を向けていた魔物が、咎めるような声音で口を開いた。

「こんな石投げつけたら痛いでしょうが。止めなさいよ」

……え?
それは、素晴らしいほどに正論だった。一瞬、何を言ったか分からないほどに。

石を投げつける→痛い、嫌がる→止めなさい。

ひょっとすれば僕が産まれて初めて聞いたかもしれない、ちゃんとした正論だった。
そして、それを示したのは邪悪と呼ばれる化物中の化物、魔物だった。

「は…………?」

ガキ大将も、いきなり現れた魔物に反応が追いついていない。
そりゃそうだ。僕だってついていけてない。
しかし、彼女はそんな僕とガキ大将に気付いていたのか、言を荒く続ける。

「は? じゃないでしょ。こんな小さな子に、人の頭に向かって石投げんな!」

毅然と言い放つその姿は、女だったら惚れそうなほどカッコいい。
しかし、それは僕にとってだけだったみたいで、ガキ大将の目はみるみる淀んだ。

(ま、魔物……!? やべ、さっさと逃げねぇと……!)

心を読むまでもなく踵を返すガキ大将。
それを見た彼女の額から、ブチッと聞こえてはいけない音が聞こえた。

「意地でも謝らない? へー、そう……」

口調こそ穏やかなものの、目に見えて苛立っている。
背中を向けられているためその表情までは窺えないが、きっと鬼のような顔になっている。
久しぶりに見た、悪意の欠片もない怒りは割と怖い。

「じゃあこれ、返してあげる……わッ!」

そう言って、ポンポンと掌で器用に弄んでいた石ころを、ノーモーションで投げつける。
弾かれたように飛んでいく石ころは、的確にガキ大将の右肩にぶつかった。

「あだっ!?」

それなりの大きさに、かなりの速度があったせいか、ガキ大将は派手に転んだ。
あからさまに怯えた表情をこちらに向け、キッと彼女の後ろの僕を睨みつける。
その目は、自業自得だと言うのに不遜にも、憎々しげに歪んでいた。

「反省の色なし、ね。……ったく」

ぽつりと、彼女は呟いて面を上げる。
真っ直ぐにガキ大将の方を向き、苛立ちがこもりつつも気丈な声で告げた。

「そこで、反省していなさい」

ぞくり。
その恐ろしい声音のせいか、背筋に走った悪寒に思わず後ろ振り返る。
しかし、背後に広がるのは木漏れ日の少ない木下闇ばかりだ。
無意識に、目の前の彼女の腰布をキュッと掴んでしまった。

「ん?」

腰布を引っ張られ、くるりと振り返る彼女に慌てて手を放す。
思わず頼ってしまったが、頼って良かったのかと一抹の疑念がある。
そんな僕の畏怖を見透かしたのか、彼女はふんっと鼻を鳴らした。

「アンタこそ、礼ぐらい言ったらどうなの? せっかく助けてやったのに失礼なやつね」
(うぅ、やっぱり怖がられてる……。ちょっと可愛かったから助けちゃったけど、そりゃアタシみたいな厳つい魔物に助けられても怖いわよね……)

べっ、別に怖くない…………です!」

咄嗟に声が出て、しまったと思った。
『ありがとうございました』とバカみたいに言っていれば良かったものを。
……なまじ意味もなく恐れられていたから、自分までそう思っている風に捉えられたくなかっただけなのに……、これじゃ意味がない……。

「…………へ?」

素っ頓狂な声を零し、彼女はガツンとハンマーで叩かれたような表情になっている。
しかし、おどおどと自分を見上げる僕に、彼女はガバッと肩を掴んだ。

「ちょっ……、ちょちょちょ、わ、ワンモアプリーズ! いま、アンタ何て言った!?」
「い、いやっ、その、特に何も言ってない! です!」
「嘘つけ! アンタいま怖くないっつったでしょ!? まるでアタシの心を読んだみたいに!!」

ギクゥ!
ストレートに言われた台詞はずばり図星で、どうにも隠し事が苦手な僕はそれが顔に出たらしい。
気味悪がられる、そう思った瞬間に、彼女の顔が茹でダコみたいに真っ赤になった。

う、嘘……! じゃ、じゃあさっき可愛いって思ったのとか……全部……!

ぶつぶつと呟くような独り言は聞こえない。
しかし、彼女の心には気味が悪いなんて感情は、一つもなかった。
というか、言っちゃったとか何とか、嬉し恥ずかしみたいな感情が渦巻いて聞きづらい。

「いつ……っ」

不意に、右足が鈍く痛んだ。
そう言えばと思い出すほどでもなく、右足をケガしていたのだった。

「うぇ……っ? ちょ、アンタめちゃくちゃ怪我してるじゃない!」

僕の声に我に返ったのか、蛇の魔物は頭と右足を見て悲鳴をあげた。
大袈裟なリアクションだが、どうやら素らしい。

「別に、このくらい……っ?」

慣れてる、と言おうとしたところで、ふわりと体が浮いた。

「このくらいとか……! 血が出てるし、さっき痛いって言ってたでしょーが!」

違った、浮いているわけではない。
膝の裏と背中に手を回して、壊れ物でも扱うような優しさで。
彼女が僕を抱えているだけだった。

「アタシの住処で治療したげるから、それまでちょっとだけ我慢してて!」

☆ ★ ☆ ★ ☆

「沁ッみぃぃ……!!」
「ほら、男の子なんだから我慢して!」

ツワブキの葉の汁と、何かの薬を右足の傷口に塗り込まれて声にならない悲鳴をあげる。
ケガをするのには慣れているけど、こういう痛みには全く慣れていない。

「……はい、終わったわよ。動かして痛んだりしない?」

手際よく傷口を布で覆い、魔物は尋ねる。
しかし、いつもみたいに放置するよりかは明らかに具合が良かった。

「大丈夫、痛くない…………です」
「ふふん、こう見えてお薬に関しては一家言持ちなのよ!」

自慢げに腕を組む彼女。頭の蛇も、シューシューと機嫌良さそうに鳴いている。

「あんまり無理して歩かないようにしてれば、三日くらいで治るはずよ!」
「その……、ありがとうございます」

何から何まで丁寧にされて違和感こそあるものの、世話になったのは事実だ。
重ね重ね言うのも変だが、頭を下げるほかなかった。

「あと、ありがとうございます」

助けてもらって、ケガを治療してもらって。
何よりも、普通の人間として見てくれて。
そこまで口にするのは少し憚られて、曖昧に笑って誤魔化した。

「ふ……、ふん。別に、お礼言われるほどのことじゃないし……」
(まともにお礼言ってもらえた……! なんていい子なの……!)
「あは、ははは……」

曖昧に笑って誤魔化すことにした。
どうにも、この人は少し天邪鬼らしい。

「その、本当にお世話になり……ました。その……」
「アイリ」
「へ?」

一瞬、何を言われたのか分からなかった。
それが顔に出ていたのか、彼女は改めて言い直した。

「アタシ、アイリって言うの。アンタは?」
「……て、テルミット・ラプアス。その、テルミでいい……です」

と言ったところで、彼女が無言でじぃっと見つめてきた。
そして、何を思っているのか一発で分かってしまい、少し顔が熱くなった。

(名前よんでくれたりなんて……しないかしら?)

期待される、というのに慣れていなかったせいか、やや不意打ちだった。
同じように、人の名前を呼ぶなんてことも久しぶりで、かなり照れくさい。

「その、よろしくお願いします………………、アイリ……さん」

長い間をおいて、なんとか絞り出した言葉にアイリの顔がパッと明るくなる。
しかし、表情が緩んだのは一瞬のことで、咳払いを一つして彼女はぷいっとそっぽを向いた。
内心、小躍りしている様がよく聞こえて、とても恥ずかしい。

「べ、別にアンタとよろしくしたいわけじゃないけど……、その、無下に断るのもかわいそうだしお願いされてやるわ! よろしく、テルミ!」
「あ、あはは……」

素直じゃない言葉を並べ立てる彼女に差し出された手を握る。
僕の手よりもほんの少し大きな彼女の手は、少し華奢だったけど温かかった。
産まれて初めてか、もしくは久しぶりに感じる、思いやりの温もりだった。
13/10/05 20:31更新 / カタパルト
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■作者メッセージ
一方その頃
「あー、オスだぁ〜♪」
一匹のグリズリーが、涙目の男の子の石像を拾ったのはまた別の話。


俺ァお節介焼きのスネークワゴン、とか言ったやつ出てこいやノ
というわけで処女作ですが、カタパルトと申します。調子乗ってサーセンっした。
小説を書くのは初めてで、至らない箇所が幾つもあると思われます。
その都度、お優しい読者の方々が指摘してくだされば、適宜直すつもりです。
これ以降もちまちまと更新するつもりですので、よろしければ見ていってください。
それでは、ありがとうございました。

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