読切小説
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何も知らない
私は思考する。
もし、私が捨て子でなければ。もし私がちゃんとした少女時代を送れていれば。もし私が教会に、教会なんかに拾われなければ。もし私があのまま野垂れ死んでいたら、この手は血に汚れることもなかったかもしれないのに。
もし私が生きていなければ、幸せに暮らせた人間が何人いる?
もし私が死んでいれば、助かった命がいくつある?
もし私が反逆すれば──何人の同類を助けられる?



「……下らない。した所で何になるというんだ。望んでここにいる者もいるというのに」
「何だ?」
訝しんだ神父に対して「独り言だ」と私はかぶりを振った。
「不満があれば受けなくとも良いが?」
「いいや、受けよう。任務の危険はいいスパイスだ」
受けなければ食料も金も支給しない癖に何を言うのだろう。
「相変わらずの狂犬具合に安心したよ。では、いつものように頼んだ」
「今回は町長を殺すだけだな。魔物の打倒は必要ない」
「その通り。それでは、無事を祈る」
暗殺者に無事など祈るのか神父。いつ死んでもいい人間に。お前は将来大物になれるだろう。私の勘は当たらないことで有名だがな。



殺しとは後ろめたい行いである。
突発的な感情に基づいた殺しはまだタチがいい方だ。後悔や自責といった感情が入り込む余地があるからだ。殺した者も裁かれることで安らぐことだってある。
殺しにも様々な種類があるが、その中でも暗殺は特に酷い。
自分の意思で人を殺すからだ。やってしまった、などでは済まされない。依頼されたから仕方ない。では済まされない。
捕まってはいけない。だが、殺さなくてはならない。スリル満点な、人間性の壊れたクズ共の仕事だ。
私に依頼されるのは親魔物派の人間を殺すことが大半だ。
しかも依頼人は教会の人間ときた。清らかでこんな汚い手段とは無縁の奴らが、だ。
奴らにも事情があるのだろうが、私のような身寄りのない捨て子を拾って十数年かけて暗殺者に仕立て上げる徹底ぶりだ。
私を捨て子の段階で拾い、食事を与えられ、私を人間を容易く殺せるだけの能力を与えた。
しかし私は教養を与えられなかった。読みはできても書きが殆どできない。だからこそ、他の仕事などまるでできない。教会に縛られ、命令されるままに殺すことしか、私の存在価値はない。
そうやって過ごしていたら、いつの日か私は狂犬と呼ばれるようになっていた。
ただ殺すことしかしていないのに。



「……ふん、何を考えたところで私の現状が変わることはないというのに」
どうも今日の私は何かおかしい。ついに頭がおかしくなったのだろうか。いや、自分が異常だと気づかないのが異常者だ。ならば、私はまだ狂ってはいない。狂えて、いない。
「狂えたら、どれだけ楽に殺せるのだろうか。いや、あいつもあいつで悩みはあるか」
同僚の一人を思い出して、すぐに思考を切り替える。
もうすぐ町に到着する。頭の中で段取りを思い出す。
対象を殺して、町を出る。町の外で待機している部隊にそれを伝えると“浄化”が始まる。その間に私は逃げる。
それだけだ。いつもと何も変わらない。
待機している部隊を発見し、部隊長と話をする。
いつもと大差ない確認を終え、夜闇を走り出す。
目指すは町長の家。
時間は夜だ。今回も最小の犠牲で終わらせられるだろう。



私が町長の家を発見したのはそれから間もない頃。大きな洋館に住むという情報を部隊長から仕入れておいて良かったと今更に思う。
「部屋は、二階の3つ目の窓……あそこか」
塀に脚を掛け、己の脚力を使って跳ぶ。
侵入者を拒むための塀も、私の前ではただの足場でしかない。
屋根に掴まり、よじ登った──ところで、止まった。
いや止まらざるを得なかった。
「あら、来たのね。ようこそ」
マントを羽織った女が静かな微笑みを浮かべてそこにいたからだ。
対峙しているその威圧感、予測していたような態度、屋根の上にいるという状況。どう足掻いても普通の人間には思えない。
十中八九、魔物だ。
「わざわざ夫との時間を邪魔するなんていい度胸ね。もしかして浮気相手……いえ彼に限ってそれはないわね」
うーんと頭をひねる魔物に、後ろ腰に差していた2本の短剣を抜き放って突きつける。
「……抜いたわね?」
魔物の眼光がギラッと敵意を帯び、私を射抜く。
「へぇ、これくらいじゃ怯みもしないの。……あ、もしかして親魔物派の町を“浄化”してるっていうのは貴女?」
顔色を変えなかった私に感心したのか、楽しげに笑う魔物。
当然質問には答えず、構えも解かない。
「沈黙はイエスと取るわ。なら、逃がすわけにはいかなくなったわね。相手をしてあげるわ」
魔物と戦うなど冗談ではないが、やるしかない。ここで背中を見せれば逆に危ない。第一こいつを倒さない限りはターゲットを殺せない。
「逃げないのはいい判断ね。じゃあ1つだけいい情報をあげるわ。私はエリザ。ヴァンパイアよ。さぁ、対策はしてきたかしら?」
ヴァンパイア。弱点となるものは数あれど、水、ニンニク、ましてや十字架など、持っているわけもない。今は夜だ。日光も降らない。
予定通り、この2振りの短剣で戦うしかない。楽しくなってきた。最高の気分だ。
「ふふ、ヴァンパイアと相対して、私の対策になるうる装備もない。それでも笑顔になるなんて、貴女も大概ね。さぁ来なさい。楽しく踊りましょう?」
くるり、と挑発的にヴァンパイアが回ったと同時、私は標的に向かって駆けていた。



先手は私だった。
喉元へと右手の短剣を振る。
余裕のある動作で後ろへ引き、かわされる。
それに合わせて前へとステップし今度は左手の短剣を喉へと突き出す。
「甘いわね」
それもまた踊るようにステップを踏んでエリザは避ける。
足取りは楽しそうで、私を敵対者というよりダンスの相手として見ているかのようだ。
「それより分かってるかしら?貴女は私の攻撃を受ければ即アウトだって」
私の攻撃を避けながら、エリザは笑う。確かに高い戦闘能力があると聞いたことがあるが、そんなものは魔物と人間の間には当然のことだ。
「攻撃を受ける前に殺せばいい」
「アハハハッ!そうね、その通り。でも夜の私を何も対策してきていないのに殺そうなんて、ナンセンスよ。ナンセンスだわ」
喋りながらも攻撃の手を休めない私と、笑いながら私の攻撃を避け続けるエリザ。
喉元、心臓、頭の三箇所をフェイントも混ぜつつ攻撃してもフェイントには食いつかず、きちんと急所への攻撃は避ける。やはり無理があったか。
「そろそろ一発いこうかしら。上手く避けなさいよ?」
心臓を狙った突きを手首を掴んで止め、エリザはそう言った。
手首を掴んでいない方の腕が引かれ、手首を掴んだ手を振り払おうとしたが万力のごとき力で動かない。そんな私の身体を、エリザの拳が捉えた。
「がはっ、ぐ、ぇっ……!」
エリザの拳は私の腹に叩きつけられ、肺の空気が一瞬で全て抜ける。昼以降は何も食べてなかったのが幸いし、胃から吐瀉物は出なかった。
両膝はついても意識はトバさない。両手に力をしっかりと込めて短剣も落とさない。まだ、やれる。
「へぇ……人間だと思って侮ってた。やるわね、貴女」
エリザは未だ私の手首を持ったままで、倒れることを許可してくれない。だが、それで良かった。
「……ね」
「え?」
「死ね」
手首に短剣を突き刺し、エリザの膝を蹴りつける。
当然、ヴァンパイアと言えど2本の足で立っている。バランスを取っている。ならば、その膝を全力で蹴りつければどうなる?
「なっ……!」
ましてやここは屋根の上。バランスを崩せば──
「くっ、貴女まさかっ!?」
「一緒に落ちようじゃない。ただし、貴方が下よ」
今更エリザが私の手首から手を離す。だがもう遅い。自分の頬が歪むのが分かる。真っ逆さまに、屋根の上から私の体ごとエリザを突き落とす。
「き、やあぁああっ!」
エリザの恐怖の声を聞きながら、私はエリザを下にして石畳の地面に叩きつけられた。



「く、あ……全身痛い、けど……やっと殺しに行ける……」
よろよろと立ち上がって、ふぅーっと長い息を1つ吐く。
何とか魔物、ヴァンパイアを打倒できた。
これでようやく──
「誰を、殺しに行けるのかしら?」
…………は?
「今のは痛かったわ。ええ、凄く痛かった。どれくらいの高さあったかしら、屋根から地面まで」
館の入り口の扉に掛けた手を離し、ぎこちない動きで振り返る。
そこには、先程殺したはずのエリザが、ぴんぴんした様子で埃を払っていた。
「まぁ、いいわ。痛かったと言っても人間にできることにしてはだし」
それで?と、エリザはにこやかに笑った。
「ふふ、まだ何か手があるのかしら?それとももう種切れ?」
「……あの、悲鳴は、どうして」
「ああ、アレ?私、高所恐怖症なの。高いところから下覗けないのよ。落ちるの凄い怖いし。だから悲鳴上げたってわけ」
あっけらかんとそう言うエリザ。死を前にした絶叫ではなく、ただそれだけの悲鳴だった、なんて
「それにしてもよくやるわー……自分の身を顧みず、あれしか手が無かったかもしれないけど、本当に自分ごと落ちるなんて思わなかったわ」
ぬけぬけと私のした行動の評価までしてみせた。
「だ・か・らー敬意を評して私の下僕にしてあげるわ?」
エリザのそんな言葉は、私の目と鼻の先から聞こえた。
一瞬で距離を詰めたエリザが、私を抱きしめるように捕まえていた。
「なっ、何を……!」
じたばたと抵抗してもびくともしない。
抵抗する私をよそに、彼女は口を私の耳元に寄せて、囁いた。
「少し痛いかもしれないけど、すぐ気持ちよくなるわ」
「……っ!」
私の首筋から尖ったものが侵入している。
痛い、わけではない。むしろ、きもちいい……?
「……!?」
びくんっと私の意思に反して身体が跳ねた。こんな、快感、味わったこと……!
「あら、処女だったのね。道理で反応が可愛かったわけねぇ……」
首筋から少し生暖かいものがたれ、エリザが私のこうそくをといて離れる。
頭がぼんやりしてる。
あつくて、腰が上がらない。
ぺたんと、私はすわっていた。
あれ?じゅうようなことがあったような……
きもち、いい……なにも、かんがえられない……



「……!?」
がばっと身体を起こす。
どうやら、ここはベッドの上のようだ。
「……どうして、ベッドの上に」
ふかふかのベッドの上で、何故私は寝ていたのだろう。
服はボロボロなのに、どうして傷も痛みもなくなっているのだろう。
そんな疑問を解消する間もなく、ガチャリとノックもせずに部屋のドアが開けられた。
「あ、気がついたのね。おはよう」
無遠慮な態度で入ってきたのは、マント姿の女──エリザだった。
「お前は……!」
ベッドから飛び降りようとして、しかし力が入らずべたっと地面に這いつくばるかたちになった。
「あーあー寝てなさいって。変わっててもまだ体力は回復してないでしょうに」
「……変わってても?」
ええ、とエリザは微笑みと共に頷く。
「喜びなさい!貴女は汚れた人間を捨て誇り高きヴァンパイアになったのよ!」
……どういうことだろうか。
「ぽかーんと口を開けて状況を理解することができていないようだからこの私が説明してあげるわ。私達ヴァンパイアは人間の女に魔力を注入することで同類にすることができるのよ!」
「……どうしてそんなことをしたのかが気になっている」
「夜の私の言葉聞いていなかったの?」
首を傾げるエリザに、今度は私が頷いた。
「感動したのよ。儚い人間の命を捨てる覚悟をしてまで私を殺して、夫を殺そうとするその姿勢にね。まぁ夫を殺すのはよくないわ。全くもって良くないわ。だけれど、私は貴女の任務への姿勢がとても素晴らしいと思ったのよ!」
実際は殺さないと食料や寝床がかかっているから、ここで殺されるか逃げ帰って野垂れ死ぬかしかなかったわけだが、話がこじれるのも面倒くさいので黙っていることにした。
「でね。同類にしたのは良いものの、町長を狙ったことについては処罰をしないと考えたわけ」
「そうだろうな。殺すのか?」
「殺さないわよ。馬鹿じゃないの。町長の妻として貴女にはこの館のメイドをしてもらうわ!」
…………は?
「呆けた顔をしているけど、これは町長と、つまり夫と相談した結果決まったことよ。この館ね、困ったことにメイドとかいないのよ。で、私が家事、夫が町長としての業務をしてたわけだけど……どうしても眠る時間とかなくなる関係でできないのよ」
「何がだ」
「……貴女、処女なのに羞恥プレイとか身につけてるの?レベル高いわね……」
「本気で何を言ってるのか分からないんだが」
「セックスよ!セックス!」
顔を真っ赤にして叫ぶこの魔物を見ていると、このエリザというヴァンパイアは何というか、貴族らしさがない。そういうものだと聞いていただけに、少し驚いている。
「そりゃあね。だって私家出して夫と出会ったし、ヴァンパイアの貴族っぽさはないんじゃない?だから貴女を簡単に同類にしたんだけど」
感謝しなさいと言わんばかりに胸を張るエリザ。
……別に望んでなったわけじゃないんだが。
「まぁとにかくこれは決定事項だから。体調が良くなるまでそうしてていいけど、明日からは働いてもらうからね?」
「ま、待て。いや待ってくれ」
「へ?なに?」
……改めて言うと何だか恥ずかしいな。
「私は教養を殆ど持ち合わせていない。料理や掃除など知識がない。それでもか?」
「ええ、みっちり教え込んであげるわ。感謝しなさい!」
「あ、ああ……」
出ていこうとエリザが振り返ってドアノブに手を掛けたタイミングで、思い出したように「あー」と言って振り向いた。
「それとこっちからも質問。もうその身体じゃ帰れないけれど、手紙とか、送らなくていいの?」
「何の手紙だ?」
「仕事辞めるって、教会かどこかに」
……ほんの少し考えて、首を振る。
「どうせ死んだと思っているから不要だ。それに、辞める自由もなかった。ここで衣食住が足りてしまうなら、ここにいたい」
それは本心だった。もう手を血に汚さなくていいなら、ここで生きてみたい。
「……そ。なら、今夜からみっちり仕込んであげるわ。その間夜まで寝てなさい!体力をつけておいた方が良いわよ!」
元気にそう言って、エリザは部屋を出ていった。
ここでの生活にも不安が残るが、教会より圧倒的に過ごしやすいだろうと思う。楽しい生活になりそうだ。そう考えると、口から笑みがこぼれた。
15/08/23 00:36更新 / キラウエア

■作者メッセージ
拙作を最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
教会について物凄く酷い書き方をしてしまいましたが、私の中のイメージではこんな部分もあるんじゃ……?と思ったことから派生したものを勢いで書いたのが今回のお話でした。
楽しんでいただけたら良かったです。
では、また縁があったら。

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