連載小説
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序章.旅立ち
「王子! ジグヴェルト王子はいずこに!?」

贅沢な赤い絨毯の敷かれた廊下を、一人の男が慌てた様子で走る。

順調に円形を描いていっている禿頭に、やや恰幅のいい初老の男。その表情は全体的に柔和で、好々爺と見ることも出来る人物だった。

「大臣。ワルト大臣!」

「おお、ガイルド殿。そちらの方に進展は?」

自分の名前を呼ぶ、儀礼用の鎧を身に纏った男の姿を確認し、ワルトが足を止める。

「そ、それが、申し上げにくいのですが………」

中年の騎士は、真剣な表情で、言い辛そうに唇を引き締める。

「どうやら女中の目撃証言によると、四階の広間の窓を割って脱走したと」

「よ、四階から!?」

「はっ、どうやら真下に池があることは計算済みのようでして、着水によって衝撃を殺し、そのまま逃亡した模様です」

「王子………」

ワルトが頭を抑え、二、三歩とふらつく。王子の奇行はいつものことだったが、とうとう四階からの脱走までしてのけるようになるとは、お目付け役でもある彼をもってしても、完全に予想外だった。

「……その後の行方は?」

「足跡を辿らせてみたのですが、途中で木々を飛び移って移動したようで、足跡が不自然に途切れていました。おそらくはすでに、城下に出ているものかと」

「今すぐ検問を設置してください。私は陛下にその事を」

「はっ、すでに東西の門に勤める衛兵達には、その旨を伝えてあります。後は下水や用水路といったルートですね」

「そちらは私が追って指示をします。あなた方は引き続き、捜索を行ってください」

「了解いたしました」

敬礼をすると、騎士は素早く踵を返す。残った大臣は、先ほどよりも二割増に疲弊した表情で、重い足を引き摺る様にして運ぶ。

向かった先は、国王が家臣達に指示を出す謁見の間。他と比べてやや大きい程度の木製の扉が、今のワルトには、さながら地獄の門のように見えた。

ノックをして扉を開くと、そこには二人の人物が互いに額を寄せ合って、何かを話し合っていた。

玉座と向かい合う形で立っているのは、レムヌ=エヴァンシュタイツァール。現国王の実の弟であり、その優秀な頭脳で兄を補佐する、切れ者の宰相でもあった。

そして玉座に座す、一見豪華でありながらも実用性が垣間見える黒い鎧を身に纏っている人物こそが、エヴァンシュタイツ王国の現国王、ヴェルト=エヴァンシュタイツァールY世である。

「ワルトか。何用だ?」

「はっ、その、ジグヴェルト王子の事で、ご報告が――――」

膝を突いて敬服の態度を取って口を開いたワルトの言葉を遮ったのは、他ならぬ国王だった。

「ああ、ジグのことならば、行方が分かった」

「そ、それは真でございますかっ!?」

一瞬国王の前であることを忘れ、ワルトは立ち上がって身を乗り出してしまう。ヴェルトは特に気にした風もなく、むしろ余裕の態度で深く腰掛けた。

「つい先ほど、石に括り付けられたそれが、ここに飛んできた」

ヴェルトが指差したのは、レムヌが右手に握った、皺だらけの紙切れだった。

よく見れば、周囲には光り輝く破片が無数に散乱していた。それが割れた窓ガラスの破片だと気付いたのは、右手側にある豪勢なガラスに穴が開いていたためだった。

(お、王子……! よりにもよって、陛下に当たったらいかがなさるつもりだったのですか!?)

キリキリと痛む胃を抑えながら、ワルトがレムヌの持った紙切れを覗き込む。

『旅に出ます。三日ぐらい経ってから探し始めてください。多分捕まりません。 ジグヴェルトより』

「あ、あのアホ王子………」

つい国王であり、そのアホ王子の父親の前であることを失念して、ワルトが歯軋りしながらそう漏らす。

「加えて―――」

それまで無言を貫いていたレムヌが、事務的口調で付け加える。

「先ほど入った報告によると、宝物庫が何者かに襲撃され、宝剣が消えていたそうです」

「…………………」

「因みに衛兵は全員昏倒していましたが、鍵は壊されていませんでした。つまり、宝物庫の鍵を所有しており、尚且つ十人の衛兵を応援を呼ばせる暇も与えずに倒せる者が犯人ということになります」

淡々と事実を連ねているその姿は、返って不気味なものがあった。

「さらに言えば、宝物庫の鍵を所有しているのは兄上のみ。スペアの鍵を所持しているのは、私とジグベルト坊ちゃまだけです」

「…………………」

聞いてもいない情報を聞かされ、ワルトの顔色は真っ赤を通り越し、形容しがたい色となっていた。ついでに胃痛のレベルも、当の昔にメーターを振り切っている。

「現在検問を設置していますが、効果は薄いでしょう。いかがしましょうか、兄上?」

「放っておけ」

ワルトにとって、ヴェルトの言葉は予想外に過ぎた。

「へ、陛下!? よろしいのですか!?」

「問題無い。可愛い子には、旅をさせてみるのも一興だろう、それに、既に手は打ってある」

「では、そのように」

事務的口調で、淡々とレムヌが手元の書類にペンを走らせる。

唖然とするワルトと、指示書を製作する弟を横目に眺めながら、ヴェルトは一人楽しげな笑みを浮かべていた。


――――――――――――――


「ここまで来れば、大丈夫か」

木々の生い茂る獣道を、一人の青年が軽い足取りで駆け上る。

簡素なシャツにズボン、上からライトレザーを纏ったその姿は、平民の出で立ちそのものでありながら、唯一右手に握る、意匠の凝らされた鞘に納まった剣が、余りにも不釣合いだった。

だがこの場合、この青年に不釣合いなのは剣ではなく、むしろその服装のほうだろう。なぜならこの青年こそが、ワルト大臣の白髪と脱毛と胃痛の原因である、エヴァンシュタイツ王国第一王子、ジグヴェルト=エヴァンシュタイツァールその人であるからだ。

「ふはっ、まさか親父達も、ここから外に通じてるなんざ知らねえだろうな」

エヴァンシュタイツ王国は盆地に建てられた国のため、周囲を壁で囲ってあり、出入り口は東西の門か、そうでなければ下水道か用水路を使うしか方法はないというのが一般の共通認識だ。だが…………。

「実はこっからでも外に出られたりするんだぜ、とかね」

地元の人間ですら遭難の危険が高いとされている山を、ジグヴェルト―――ジグは、非常に軽い身のこなしで、あたかも平地を掛けるかの如く駆け上る。

「もうすぐ外の世界だ。楽しみだな!」

エヴァンシュタイツ王国の第一王子として生まれ育った彼にとって、国外の世界は未知の領域だった。

王位に然したる興味を見出せずにいた彼が唯一興味を持てたのは、武芸だった。

日常的に衛兵や騎士たちの訓練を見ているうちに、いつしか自分もまた武器を手にしてみたいと思うようになるのは、そう遠くないことだった。

その考えを自覚した彼は町に繰り出し、剣の師を見つけて師事し、着々と腕を磨いていった。だが同時に、この国に留まっている限り、自分の腕を存分に振るうことは出来ないということも悟っていった。

元々エヴァンシュタイツ王国は滅多な事が無い限り、戦争が起こることは無い。仮に起こったとしても、国王の第一王子という人物を進んで前線に出す国は存在しないだろう。

では模擬試合ではというと、やはり王子の肩書きが邪魔をして存分に戦うことが出来ない。それを差し引いても、自分よりも強い武芸者は、国内にはいないと断言できた。だからこそ、彼は国の外に出ようと思った。本当のところ、退屈だからというのが一番の理由だったが。

(とりあえず一番立派な武器をかっぱらってきたし、大丈夫だろ)

何の根拠もない、楽天的な考えで山を走っていた彼が足を止めたのは、その直後の事だった。

山の頂に近い、僅かに開けた空間で木に背を預けていた人物は、彼のよく知る人物だった。

「どこに行くつもりだ、この放蕩王子」

「うぁ…………」

我知らず、全身が震え始める。

太陽の光を受けて柔らかく輝く茶色の長い髪は、動きを阻害しないように後ろで一纏めにされており、尾てい骨のあたりから、緑色の鱗で覆われた尻尾を生やしている。同様に鱗が表面を覆っている軽鎧の下には、女性らしい身体のラインが浮かび上がっており、腰には長剣が提げている。

「エ……エレネーゼ………」

「自分の師を呼び捨てにするな!」

「ぎゃぁぁぁああああああああっ!!」

いきなり抜剣してきた女性の攻撃を、ジグが悲鳴を上げて回避する。

「ちょ、何であんたがここに!?」

「お前の親父さんに頼まれてね。おそらくここをお前が通るだろうから、そのときは頼むって」

「………最悪だ」

なにが最悪かって、それはルートが割り出されていたことではない。よりにもよって、このリザードマンの女性が待ち構えていたことだった。

彼女―――エレネーゼはジグの師であり、同時に彼の肩書きを気にせず暴力を振るう唯一の人物でもあった。

ジグは自分の実力が、彼女に劣ると思ってはいない。それどころか、既に自分の力量は師をも超えているという自負もある。だが、初めて弟子入りした頃から毎日のようにボコボコにされ続けた彼の体は、自然と彼女を前にすると独りでに震えだし、全く動かなくなるのだ。完全にトラウマと化している。

「さてと、それじゃあ手っ取り早くボコボコにして、首根っこ引っ掴んで運ぶとするかね」

「ちょい待ち、エレ……じゃなくて師匠! お願いだから見逃して!」

「問答無用!」

十数歩あった距離を一息で詰め、エレネーゼが剣を振り下ろす。ジグも話し合いは無理だと瞬時に悟り、持っていた剣を鞘から抜き、受け止める。

「ほう、中々良い剣だな」

上段からの振り下ろしの態勢のままで押し込むエレネーゼが、ジグが抜いた剣を一目見て、素直な賞賛の言葉を送る。

柄を含めた全長は、およそ一メートル、幅は十センチ弱と、かなり大振りな部類に入るだろう。

刀身は太陽の光を浴びて、角度によって様々な色に輝いており、あたかも虹を手にしているかのように錯覚してしまうほど。強度もリザードマンの膂力によって放たれる強烈な一撃を受け止めて傷一つついていないあたり、かなりのものだろう。

「確かに、武器は素晴らしい。だが――――」

エレネーゼがさらに一段と力を込めると、ジグの両足が地面に僅かに沈む。

「使い手がそんなへっぴり腰じゃあ、宝の持ち腐れだな!」

強靭な尻尾がしなり、ジグの脇腹を横薙ぎに殴る。吹き飛ばされたジグは、木に衝突して停止。起き上がる暇も無く、勘にしたがってその場で横転。一瞬遅れて、跳躍したエレネーゼがジグがいた場所を踏みつける。

回転の力を殺さずに起き上がったところに、更なる追撃。剣腹を横にして受け止めた直後には翻り、別の角度から再度打ち込まれる。堪らずたたらを踏んだところで、長い足がジグの両足を刈り取ろうと地を這う。それをその場で跳躍してやり過ごした瞬間、エレネーゼの峰打ちが、ジグの咄嗟に構えた剣を捕らえる。

剣腹がジグの胸を叩き、肺の空気を押し出す。そのままベクトルに従って後方に弾き飛ばされ、背中から木に叩き付けられて絶息する。

咳き込みながらも相手から目を逸らさず、常に視界にエレネーゼの姿を捉えておく。その姿が霞んだ、と思った瞬間には間合いに入り込まれていた。

迎撃しようと剣を構えたところで、躊躇ってしまう。長年の間に刷り込まれた上下関係が、ジグの動きをどうしようもないほど鈍らせてしまう。

自分の惰弱さに舌打ちしたくなりながら、繰り出される刺突に対して横薙ぎに剣を叩きつけて軌道を逸らす。頬を僅かに裂いた切っ先が反転した、と思った瞬間には、本能に従って後方に飛びずさる。一瞬遅れて剣が、先ほどまでジグが立っていた空間を薙ぐ。

ほっと息をつく間もなく、次々と繰り出される無数の斬撃を、五感の全てをフルに活用して回避する。それでも躱し切れない斬撃のいくつかが、全身に赤い線を引く。

「どうした、逃げてばっかりか?」

「いや、だから、いくらなんでも、いきなり過ぎる―――ッ!?」

右手だけで振るわれた斬撃を回避した直後、エレネーゼが素早く左手に剣を持ち替えて、斬り返しを繰り出す。

思わず仰け反り、眼前すれすれを透過する攻撃に冷や汗をかいたと感じた直後、身体が不自然な態勢で硬直。見る間でもなく、エレネーゼが足を踏んで固定したのだと悟った時には、開いた右手で顔面を思い切り殴られた後だった。

「が、はっ――――」

鼻から滴る赤い液体が喉の奥に入り込み、噎せる。口の中に広がる鉄の味。どうやら地面を転がっている間に、口内を切ってしまったようだった。

「………その程度なのか?」

「………………」

いきなり攻撃してきてそれは無いだろう、そんな言葉は、エレネーゼの浮かべた、どこか落胆したような表情を見たことで飲み込まれる。

「お前の外の世界を見てみたいという思い、たかだかこのしきの障害で断念してしまう程度のものなのか? もしそうだったのなら、私はお前のことを買い被っていたな」

「なん…………」

一瞬、何を言われているのか分からなかった。

「どの道、お前がそのままなら、外に出たところで犬死にするのがオチだ。そうなるくらいなら、退屈でも平和な城の中で安穏として暮らしていたほうが、遥かにマシだろう」

マシ? 城の中で安穏と過ごすことが? そんな訳が無い。

もし本当にそうならば、そもそも外に出たいなどと考えるはずが無い。

退屈に耐え切れないから、町に繰り出してエレネーゼに師事したのだ。エレネーゼに師事したのは、ただ剣を習うためだけでなく、いずれ国外に出て生きるための力をつけるためだ。

そうまでして外の世界に夢を馳せていたのだ。断じてこんなところで、断念してしまう程度の思いではない。周囲に迷惑ばかり掛けていたかもしれないが、それだけは胸を張って断言できる。

だけど、その思いだけで現状を打破できるほど、世の中も甘くは無い。どうにかするには、まず自分から変わらなければいけないだろう。

ジグが立ち上がり、鋭い目付きでエレネーゼを見据える。

剣をだらりと下段に構えたその姿は一見して隙だらけなのに、何故か相対する者の背筋を凍らせるような何かがあった。

エレネーゼもまたジグの雰囲気の変化を感じ取り、気を引き締める。

(何だ………)
(やれば出来るじゃないか………)

口元に微笑を浮かべて相対する。両者の間に木の葉が舞い降り、束の間の静寂が訪れ、閃光。

片方の人影が掻き消え、木の葉が真っ二つに斬り裂かれる。同時に響き渡る、重い金属音。

裂帛の打ち込みを受けきれずに、後方へと倒れたのはエレネーゼだった。余りの速さに視認不可能となった、ジグの渾身の一撃だった。

撥ね飛ばされたエレネーゼに、ジグが追い打ちを仕掛ける。対するエレネーゼも空中で身を捻り、自分の尻尾で側の木を掴み、強引に着地。十分な溜めを持って、ジグの斬撃に自分の斬撃を当てる。

空気が爆ぜる音が響く。エレネーゼの斬撃は、ジグの斬撃を相殺していた。

「いいぞ、不肖の弟子。卒業試験だ」

「上等っ!!」

鍔迫り合いを続けず、自分から剣を翻す。続け様に第二、第三の攻撃を繰り出す。

それら全てを、エレネーゼは余裕を持って受け止める。ジグもそれを当たり前のものとして、さらに斬撃を重ねる。

剣閃が瞬き、金属音が響き渡るたびに火花が散る。その間隙は徐々にだが狭まっていく。

(まだだ、まだ足りない………!)

受け止められたとしても、鍔迫り合いに持ち込むような愚挙は犯さない。種族的問題で、膂力において勝ち目は無いと割り切る。ならば速さで打ち勝つ。

「おおおおおおおおおおおおおおおおおおっっっ!!」

雄叫びと共に、さらに速く斬り結ぶ。常人には到底視認出来ない、嵐の如き怒涛の剣戟。その腕は達人の域に達していた。

「クク、そうだ、その調子だ!」

そして対峙するエレネーゼもまた、常人にあらず。いつしか縦長の瞳孔が開かれ、獰猛な笑みを浮かべて戦いを楽しんでいた。

ジグの袈裟懸けの斬撃と、エレネーゼの下方から掬い上げる斬撃が交錯する。打ち勝ったのはエレネーゼの方で、ジグの斬撃が弾かれる。

態勢を崩さず、右手だけで器用に逆手に持ち替え、横薙ぎに叩きつける。瞬時に左手に持ち替え、首元に狙いを定めて躊躇いなく振るう。相手の剣が間に入れられるのを見るより早く、軌道を垂直に切り替えて胴体を狙う。流れるような三連撃を、エレネーゼもまた瞬時に対応してくる。

まだ足りなかった。このままでは削りあいが続くだけで、決して勝つことは出来ない。

もっと強く、もっと速く! 身に刷り込まれた上下関係が何だ、刻み込まれたトラウマが何だ! そんなものは書き換えろ。屈辱を闘志に変えろ。震える全身を叱咤しろ。躊躇う惰弱な自分を捨て去れ。変わりたければ前に進め。進みたければ打ち勝て!

「ッ、ちぃっ!!」

半瞬だけ速さで勝ったジグの斬撃が、エレネーゼの頬を掠める。ジグは尚も攻撃の手を緩めない。

さらに追撃を仕掛け、無数の斬撃を重ねる。剣速は斬撃を重ねるごとに、更に速く、更に速く、更に更に更に更に――――。

「確かに速い………が、軽いな!」

上段からの攻撃を受け止められた瞬間、エレネーゼの瞳に危険な光が宿る。直後、彼女の剣がジグの剣に絡みつき、半ば力任せに外側へと流す。

剣速が速くなった分、一撃一撃が軽くなったがゆえの結果。そして剣を流されれば当然の如く、それを握る右腕もまた外側へと受け流される。必然、左半身はがら空きとなる。その隙を逃さず、エレネーゼが刺突を繰り出す。

必殺の刃を、それでも強引に引き戻した刀身で受け止める。だが半端な態勢で受ければ、当然の如く競り負ける事となる。

辛うじて軌道をずらすことが出来ても、態勢を崩されて次の手で詰みだ。ならば、相手に崩されるのではなく、自分から崩せばいい。

競り負けきるよりも一瞬早く、ジグは手に握った刀身を反転。刀身で相手の剣先を滑らせて後方へと受け流す。同時に右足を軸足に、相手の刺突の勢いを利用して水平に反回転。頭をエレネーゼに向け、全身の筋肉を発揮して地面すれすれを仰け反るような態勢をとる。

「なっ――――」

勿論、こんな不安定な姿勢を維持できるわけが無い。だがそれでいい。不安定な姿勢での戦い方は、彼がエレネーゼから習った戦い方の十八番だった。

右手の剣を手放す。相手の懐に入り込んだ状態で、振るうのに一定の間合いを必要とする剣は返って不利と判断。刃を振るうだけが戦いではないと彼に教えたのも、エレネーゼだ。

傍から見れば滑稽極まりない態勢で、右手を持ち上げる。そして刺突を放って伸ばされきった相手の右手首を掴み、引き寄せる。当然倒れないように抗うエレネーゼを支えとして、今度は左足を軸に半回転。上体を起こしつつ、回転の勢いを乗せた左肘を、相手の水月に叩き込む!

「ぐ、はっ………」

堪らず剣を取り落とし、体をくの字に折り曲げる。だがまだ足りない。人と比べて遥かに頑健な肉体を持つ彼女に勝つには、まだまだ足りない。

「あああああああああああああああああああああああっっっ!!」

高らかに吼え、相手の手首を掴んだままの右手を引っ張る。それに合わせて右足を持ち上げ、引き寄せられたエレネーゼの顎に強烈な蹴りを叩き込む!

両足が地を離れ、緩やかな放物線を中に描き始めたエレネーゼに、更なる追撃を掛ける。

「………ああ」

一連の動作を全て把握し、受けたエレネーゼは、どこか嬉しそうな、そして満足気な笑みを浮かべる。

「合格だ、馬鹿弟子………」

「がぁぁああああああああああああああああああああっっっ!!」

刹那、渾身の掌底が彼女の喉元に叩き込まれる。エレネーゼは背中から受身も取れずに地面に叩きつけられる。

「はぁ……はぁ……はぁ……」

肩を上下させて、全身を心地の良い疲労に蝕まれながらも、ジグもまた嬉しそうな笑みを浮かべる。

「……長い間、世話になりました!」

地面に倒れている自分の師に、様々な感情を込めて頭を下げると、落ちていた剣を拾い上げ、脇目も振らずに走り去る。その後ろ姿を、エレネーゼは止めずに見送った―――正確には、脳を揺さぶられて指一本すら動かせないのだが、仮に身動きが取れたとしても、彼女はジグを引き止めようとはしなかっただろう。


――――――――――――――


「………と、いう結果になりましたが?」

しばらく経って、ようやく身動きが取れるようになったエレネーゼは、上体を起こしてそんな事を言う。

「引き止めなくてもよかったのですか?」

「問題無いさ」

エレネーゼの言葉に答えながら茂みから姿を表したのは、黒い鎧を身に纏った精悍な顔立ちの男。つまりは、ジグの父親であり、現国王のヴェルト=エヴァンシュタイツァールY世その人であった。

「可愛い子には旅をさせよと言うだろう。それに、あいつの意志を無視するほど私も非情ではないさ」

「しかし、彼はあなたの跡継ぎでしょう」

「本人が嫌だというなら、無理強いするつもりも無い。私が退位したとしても、弟がいる。そして姪もいる。血は絶えん」

「……………………」

この人も結構な子煩悩だなと、苦笑いしながら考える。

「それに、何だかんだ言ってあいつも私の息子だ。いずれあいつはここに戻ってくる。心配する必要も無いだろう」

「確証は無いでしょう」

「そうだな。だが、断言できる」

「……………………」

不敵な笑みを浮かべてみせるヴェルトに、どこからそんな自信が溢れ出てくるのか、エレネーゼには不思議でならなかった。

「君の目から見て、あいつはどうだ?」

「そうですね…………」

一転して真剣な顔で問いかけられて、エレネーゼも真剣に考える。

「彼は控えめに言っても、天才の類でしょう。剣技に限らず、大概のことならすぐにマスターしてしまいますし、実力で言えば数年前の時点で私を凌駕してました」

身贔屓な評価かもしれないが、それが彼女が客観的にジグを見た評価だった。

「………初めて会ったとき、私は彼に聞いたんですよ。一体何を使えるようになりたいんだって」

「ほう、それは初耳だな。それで、あいつは何て?」

「全部、と」

「……それは、随分と欲張りなことだ」

「私もそう思いました」

因みにその時、脳天に一撃を入れたのは秘密である。

「しかも、その後もう一度聞いたとき、彼は魔法と答えましたよ」

「…………それは頼る相手を間違えていないか?」

「私もそう思いました」

因みにその時、脳天に(ry

「ですが、彼なら或いは、それも可能だったかもしれませんね。実際、私から剣を教わる傍らで、様々な人から色々なことを習っていたみたいですし」

「唯一の懸念だった、女性に対する苦手意識も克服したようだしな」

ジグ自身はエレネーゼにのみだと思っていたが、実のところ、半ば女性恐怖症になりかけていたのだ。総じて雌しかいない魔物が数多いる外の世界に行くにおいて、それは致命的なまでの弱点だ。そこでヴェルトは一計を案じ、ジグの師であるエレネーゼに先回りしてこの場に向かってもらったのだ。

「まあ、次に戻ってきたときには、嫁の一人でも連れてきてくれれば安泰だな」

「………それが魔物だった場合、どうするのです?」

「例えば、君のような?」

「からかわないで下さい」

そう言って顔を背けるエレネーゼの頬は、心なしか赤く染まっていた。その様子を楽しげに見ながら、ヴェルトはおおらかに笑う。

「別に構わぬさ。恋愛は個人の自由だし、弟もそうだからな」

「………は?」

「何だ、知らなかったのか? 割と国内では有名な話だと思っていたが」

「…………過分にして初耳ですが」

因みにそれは、ただ単純に彼女が世間の情報に疎いだけである。

「………まあ何にせよ、無事でいてくれればそれでいいさ」

そう言って、再び笑う。そこには一国の王ではなく、ただ我が子を案ずるだけの普通の父親がいた。


――――――――――――――


「ヴェックシッ!!」

盛大なくしゃみをして、ジグが鼻をすする。

「うー、さむ。さすがに池に落ちたのは、やりすぎか」

後出し論だが、今考えれば他にも方法があったようにも思える。

「んー、どの方角に行こう?」

山を下りきり、祖国の周囲を囲む壁も遥かな遠くに見える辺りで、ジグがもの珍しそうに周囲を見渡しながら、(本人からすれば)贅沢な悩みを抱く。

「………しまったな、今思い返せば、俺全然周囲の地理分かってねーじゃん」

今更そんなことを言う。詰めが甘い云々以前に、馬鹿の所業である。

「まずったなぁ。こんなんだったら、ついでに地図とか方位磁針とかパクっとくんだった」

言いながら、腰から剣を抜き、それを地面から垂直に立てる。

「柄が示した方角に進もう」

そう言って支える手を離す。剣が倒れ、柄が指し示した方角は、今しがた彼が脱出してきたエヴァンシュタイツ王国だった。

「……………よし、こっちだな」

とりあえず見なかった事にして、反対の、切っ先が指し示した方角に進路を定める。

「さーて、どんなのが待ち受けてんのかね」

順風満帆の門出とは言わないが、前途多難というほどでもない放蕩王子の旅は、まだ始まったばかりだ。
11/12/12 16:04更新 / テンテロ
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■作者メッセージ
初めまして、テンテロと申します。
今作が初投稿のため、非常に読むに堪えない文章かと思いますが、生暖かい目で見守っていただけたら幸いです。
感想やコメントなどを戴けたら嬉しいです。合わせて五時・脱字等ありましたら、ご報告戴けたら嬉しいです。初投稿で連載ってどうなのというツッコミはご遠慮ください。
また「ジャンルに魔物娘いろいろとあるのにリザードマンしかでてねえじゃねえか」という方、申し訳ありません。今後順次追加していくつもりですので、広い心でお待ちください。
最後に、ここまで呼んでくださった方、どうもありがとうございました。

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