連載小説
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上章
 『近隣の山、森においてヘルハウンド種という凶悪な魔物が出没する事案が発生。かの魔物は黒き肌と体毛に覆われ、燃えるような瞳をもつ犬の魔物であり、ワーウルフ以上の凶悪な魔物である……』
このような警告文章が麓の町から送られてきた。これを見た村の教会に駐在する司祭はすぐさま村人たちを集め、警戒態勢を発令する。

 しかし、山奥にあるこの村にとって、森や山は生活を糧を得る重要な場所なので入るなと言われても困るだけである。
 司祭は言う。森や山へ入る際は必ず槍や武器を所持し、大人数人で入るように、と。
 一見すれば最もらしい指示であるが、述べたようにここは山奥の村。
 麓の町のように番所に詰める兵士や腕の立つ者はもちろん、旅人はおろか職に炙れた者すらいない小さな村である。
 男たちは皆畑なり酪農、伐採なりの仕事に従事し、女性も洗濯や水汲み、料理等の仕事に従事しており、いわば余剰労働力がないのである。
そんな中、その警戒態勢を只ならぬ思いで聞いていた一人の男が声をあげる。
 いわく「今うちの息子が森に山菜を取りに行っている」と。

 すぐさま捜索隊が組織される事となるが、それは遅かった…。


 大人たちが司祭の警告に戸惑っている中、山では一人の少年が薬草や山菜取りを行っていた。

 少年の名はキオ、キオ・ベルネットである。
 本来、王侯貴族や騎士ではない者に名字はなく、もっぱら村の名前を付けて区別をしているが、キオの家系はいささか勝手が違う。
 彼の兄は勇者として認められ、村の司祭の推薦で『教団』のある中央国へと向かった。
 その関係で名字を手にすることができたが、7歳であるキオにとっては強く頼もしい兄がいなくなって寂しい。と思っている。しかし、それは立派で名誉な事で、悪い魔物を懲らしめるためであるので仕方のない事だと割り切っている。

 「えーっと…あぁ、これだな」
 そんな訳で今キオは薬草や山菜の収集に忙しい。
 兄が残していった物として、山菜や薬草が取れる絶好のポイントを伝授されており、キオはそれを忠実に守っていた。幸い、この山には魔物はおらず、また熊やオオカミ等の危険な野生生物の危険も少ないので、こうやって10にも満たぬ少年が山へ入る事ができた。
 こと中世の農村にとって子供は馬・牛に代わる大事な労働力であり生活の要である。都市部や生産力・労働力に余裕のある平野部の村では教会指導の教育を受けるチャンスはあるが、山奥の村ではそれも叶わない。
 村最大の『お金持ち』である司祭ですら自らクワを持ち畑を耕している程の田舎ぶりなので仕方ないとも言える。

 そんな山菜収集をしているキオを、遥か遠方の高い木より見下ろす黒い影が一つ。
 「……」
 黒き肌と体毛に覆われ、燃えるような瞳をもち、腕や足はオオカミの毛が生え、頭には犬のような耳がピンとたっており、豊満な胸には金属製の鉤をブラ替わりしている…知っている者が見ればそれは紛れもなくヘルハウンドという魔物であると断言できた。
 ヘルハウンドは、神々が作りたもうた冥府の番犬であったが、その獰猛さにより、ついに飼い馴らす事ができなかったと伝えられており、そして魔物は人を攫い食うと言われている。
 彼女は鋭く獲物を捉えていた。その眼中にはしっかりとキオが映っている。

 「……うわぁ、苦そう…だけどこれも必要か」
 自分がそんな魔物に狙われているとも露にも思わず、薬草を採集する。
 腰には短剣があり、使い方も兄から教わったが、それでも飾り以上の役割はないとされている。
ふいに強い風が吹く。ここに住む者ならば気にも留めない。この時期は珍しくもない風である。

 「……じゅるり」
 ヘルハウンドはその風に運ばれた少年の匂いを嗅ぎ、口を歪ませて思わず唾が垂れる。彼女は今、只ならぬ高揚を覚えていた。

 「…うん?」
 キオは、兄譲りの勇者としての素質により、嫌な予感を感じ取るも、まさか遠方の高い木より監視されているとは夢にも思わないだろう。
 再び強い風が吹く。ここで初めてキオは危険地帯にいるのではないか。という疑惑をもつようになるが、既に遅かった。
 ガサッ。と遠方の木が揺れる。風ではない。何か重い物が落ちた音だ。
 「っ!」
 短刀を抜刀して構える。しかしその方角は既に誰もいない遠方の木の方角であった。
 既に<それ>は高速で移動しており、そこには何もない方角だったのである。
 「どこだ…どこにいる!?」
 しばらく経過するも、キオは警戒を緩めない。彼の勇者としての素質が未だ危険であると言っているからだ。
 だが、その危機は、既に自分の背後に廻り、一息で飛びかかれる距離まで来ていた。
 「―――ッッ!?」
 ふと目線をそらした時に、偶然にその気配に気づき、慌てて剣をそちらに向ける…も遅かった。
 彼女はそれよりも素早かった。
 刹那の出来事。キオにとっては黒い塊がすばやく自分に飛びかかる恐怖の出来事。彼女にとっては運命の出会いの瞬間であった。
 「ふふふ…。捕まえた!」
彼女は下品な笑みを浮かべ、涎を垂らす。キオに覆いかぶさるようにしている為、その涎がキオの顔にかかる。

 「ひ、人型の魔物…?どうしてこんなところに!」
キオは突然の魔物の襲撃に混乱していた。
 人型…いや、オオカミのような毛でなければ普通の女性と変わらぬ容貌。しかし肌は炭のように黒く、目は炎のように紅い。<野性>を体現したその風貌に、言葉を失う。
 そして頭をよぎる司祭の説法の言葉。その言葉の通りならば自分はこれから食い殺される事だろう。と。
 だが、次の瞬間、司祭の説法が違うのではないかと思う現象が次々と起こる。

 「我、ヘルハウンドのマリス!我、族長の娘。族の掟。運命の男、見つけた!」
 魔物が喋った。マリスと名乗った。
 「え?族?運命?見つけ…え?」
 突然の出来事に再び混乱する。しかし彼女は彼に思考させる隙を与えなかった。
 「ふんふんふん!」
 彼女が突如として鼻をキオの顔や体に近づかせて嗅ぎだしたのだ。
 何とも言えないこそばゆさがキオを襲う。
 「か、嗅ぐなぁ!離せぇ!」
 じたばたと暴れるも、彼女は底知れぬ腕力でもってキオを押さえつける。
 キオは子供とはいえ、兄に負けるとはいえ、勇者の素質を持っている。並の大人程の力を既に持っている。それでも、成す術なく押さえつけられている現実に、キオは直面する。

 「ん?」
 絶望に直面するキオをよそに、彼女はその匂いに違和感を感じる。そして再びふんふんと念入りに嗅ぎ続ける。
 再びこそばゆさが来る…が、それよりも、彼女の体臭が鼻につき始める。
 永らく風呂や水浴びをしていなかったのか。その刺激臭がキオの鼻に入り始めている。
 「に、におう…離して!臭いよ!」
その刺激臭に嫌悪感を隠せないキオ。しかし彼女は聞き耳を持たない。
 「お前、いい匂いだな。ふんふん」
まるでじゃれつく犬のように鼻を擦り付けるのをやめない彼女。
 「やめろぉ!こんなことをして、た、ただで済むと思うなよ!」
 キオは叫ぶ。ありったけの勇気を総動員して、叫ぶ。しかしその瞳には涙まじりであった。

 だが彼女にとってそれが堪らないものである事を、キオは知らなかったのだ。

 その涙目を、彼女は見てしまう。
 ほんの一瞬でしかなかったが、瞬きもせずに見つめ合った。

 「お前、かわいい!」
 「んっ!?」
 永い時間見つめ合っていた、と誤認する程の意味のある間をはさみ、彼女はキオに接吻をする。

 その行為に、キオの頭はさらなる混乱に叩きのめされる。
 いや、既に思考は状況把握のみで詳しい思考は働かない状態だった。
 「んぐ…!」
 彼女、マリスの舌は、まさしく犬のように大きく、ザラついており、対してキオの舌は小さく、蹂躙するようにマリスの舌が暴れる。


 蹂躙される舌、鼻を衝く激臭の体臭、そして自分の力ではどうしようもない圧倒的な力。

 この三点を持ち合わせた魔物娘の前に、キオにある小さな勇者の心が、溶かされていく。



 頼みの捜索隊は、まだ来ない。来るのは時折吹く強い風のみ。

 二人の行為は、まだ始まったばかりだ。
15/06/07 19:33更新 / テト式
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■作者メッセージ
そういや初対面の優しい犬ってどうして執拗にケツの匂い嗅いでくるんですかね。一通り嗅ぎ終わったら急に興味なくしたみたいに過ぎ去るから悲しいです。

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