連載小説
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暑さは収まりを見せず


 風すら入らない蒸し暑さの中で目を覚ます。
 時刻は午前二時、睡眠を取ってから約三時間という非常に早い時間に
目を覚ましたのは、前述の通り風すら入らず室温が上昇し比較的温度の
高い層が自分の位置まで侵攻を果たしたからだろう。

 「残暑が厳しいな……」

 うんざりとした口調で起き上がる。
 喉の渇きで水分が不足していた事を確認し、寝起きで意識が半覚醒している状態で水分補給を行う為冷蔵庫へと向かう。
 気怠けに見える緩慢とした動作は、意識の状態もあるのだろうが事実身体が怠い分もあるのか普段の自分とは比較にならない覚束ない足取りで家庭内のオアシスに向かう。

 「エアコンは点けたくないし…かといって扇風機を一晩中部屋で動かすのも身体に悪いしなー…」

 安アパートの二階に住む自分にエアコンを購入できる懐事情はないのだが、元々据え付けられていたので入居当初はいつか使おうと思ってはいたのだ。
 ただ、外から一見すると築ウン十年の年季の入った外観なのに部屋に取り付けられたエアコンが最新式の音声入力や温度センサーで適温を維持してくれる製品だった為、自分のイメージに合わない・単純に扇風機を引っ張り出して何とかなってしまったという理由から使う機会が無かった。


 それはさて置き冷たいものを身体に入れた為、目論見通り水分補給と体温の冷却に成功したものの予想以上の暑さと冷やした身体に釣られて覚醒した意識が暑さとは別の理由で睡眠を阻害する。
 仕方ない、とばかりに冷蔵庫からペットボトルのミネラルウォーターを取り出すと氷を入れたグラスに注ぎ自室に向かった。
 自室に戻り、まず『魔物コナーズ』を窓に吊るす。

 これは以前、自分が管理人の天音 千代(あまね ちよ)さんから入居時に渡されてたものだった。
 デフォルメされたバフォメットを模したプラスチック製のケース内部に濃い桃色の厚手のシートが入っている構造となっている。
 近隣のスーパーや薬局で購入出来る品物で、効果は魔界ハーブのストイック・ラヴの効果を高めたものらしくサバト製薬が夏にレイプ紛いな暴走をする魔物娘によって引き起こされた軽犯罪の数々が見過ごせる範囲を超えてきた事を危惧し

『魔物娘全体が人間にとって悪いイメージを持たれないように、魔物娘自身が抑止力を作り魔物娘の人間社会における社会的立場を守ろう』

 という目的で製造・販売された経緯がある。
 使い方は単純で、箱から出して包装を外し吊るすだけ。
 効果時間は包装を外した時から発光を始めるので、消えれば効果が無くなった。と分かる仕掛けになっている。
 夜間そこらで青姦に興じるカップルや、夫婦の淫気と夏の暑さに当てられた魔物娘が何となしに童貞の匂いがする、と部屋に不法侵入する直前にこの匂いを嗅ぐとそれまで発情していたのが嘘のように大人しくなり引き返す、というのがこの製品の画期的な点であると謳われている。
 
 とはいえ、それ程強い強制力も無く大体は
 『誰でも良いから突き合いたい』を『慌てるな、まだ(処女を捨てるのに)焦る時間じゃない』位に情欲を抑えるだけである為、しっかりとした目的を持っている魔物娘には然して効果が無い事が包装の注意書きにあるのはご愛嬌といえるだろう。
 
 好きな男性に夜這いを掛ける邪魔にならず、余計なお邪魔虫を避けてくれるこの製品は人間側・魔物娘側の両方から大きなクレームも無く、現在も広く愛用されている理由となっている。
 
 余談とはなるが【赤】【黄】【青】【紫】のカラーバリエーションがあり、効き目も色によって異なる、とある。
 また、ご当地毎・シーズン毎にパッケージや中のバフォメットの表情や髪型、顔の造作が微妙に異なるのでコレクション目的で収集する者も少数存在する。

 今回吊るしたのは管理人さんから貰った【紫】で、管理人さんからは

 「すっごく効きますので、是非使ってくださいね♪」

 と太鼓判を貰っている品物だった。

 吊るして30分ほどだろうか。窓から入る風に混じって薄っすらと清涼感のある香りが室内に入ってくる。
 夜風は生温いが幾分気温が下がったような錯覚を覚えつつ明日―――――というか今日なのだが、折角会社が休みなのだ。
何をしようか考え、ふとここに入居した時の経緯を振り返る。
 
 人間が住めるのか怪しい築ウン十年にもなりそうな今時珍しい木造の外観。
 立地条件も独特で、アパートの裏手が寺の墓地だった。
 
 これはまだ分かる。そんな所もあるだろう。
 しかし故意なのか意図せずなのか、その裏手の寺の左隣は教会の外人墓地であり、右には解体を待つばかりの廃校舎がある。
 普通に考えれば完全にアンデッド包囲網が完成しているのだが、自分はアンデッド系どころか普通の魔物娘に襲われる事も無く過ごせていた。
 
 昔からそうなのだ。
 何故か自分は幼い頃から魔物娘に恋愛対象として見られない。
 確かに外見は普通。成績も平凡で運動も可もなく不可もなくと、目立った所はないので人間の女性に恋愛対象とは見られなかった。
 だが、自分と同じような境遇の友人達が次々と人外美少女達に告白されては恋人になっていく姿を何度も見せつけられると理不尽を感じずには居られない。
 会えば男同士でしか出来ないような馬鹿話で盛り上がっていた友人達は、いつしか自分の付き合っている彼女達の惚気合戦を始める。
 蚊帳の外の自分に、勝ち組となった友人達はこぞって自分がモテない理由を並べては結論の見えない、議論とも呼べないような事実確認をして話を打ち切る。
 
 そんな環境が嫌で、高校を出てからは就職し誰よりも早く社会に溶け込もうと躍起になった。
 ……結論から言えば高校と同じどころかそれ以上の辛酸を味わった訳だが。
 社会の縮図である学び舎から飛び出せば、当然その先は縮図ではない社会そのもの。
 自分が今まで経験してきた事を、より濃密に焼き直される。
 
 何もかもが嫌になって、機械的に笑い事務的に仕事をこなす毎日。
 
 このまま自分は磨り減りながら生きていくのか、と他人事のように考えていたある時、上司のアヌビスから呼び出された。
 当初は仕事で何かミスでもしたのかと戦々恐々していたが、どうやらそうでは無いらしい。
 
 上司曰く、嫁自慢の輪の中に居た自分の顔は目に光が全く無く、そのまま首でも吊りそうだったから放っておけなかったとの事だ。
 輪の中から仕事の件で相談がある。と連れ出され二人きりになった後、私生活で悩みがないか真摯に問われた。
 あまりの真剣さに、つい今までの人生を振り返った悩みを吐き出すと上司は納得した顔でハッキリと告げてきた。
 
 『君からは既に他の魔物娘の匂いがする。ついでに異性を除ける呪いもある』

 衝撃的な発言が飛び出し、我が耳を疑った。
 どこかで魔術や呪術に長けた魔物娘に会わなかったか?と聞かれたが、生憎自分はそもそも魔物娘にも縁が無い。
 頭が真っ白になりながらも心当たりが無い事を話して、その場は納まった。
 
 上司のアヌビスが言うには、自分に掛かっている呪いは上司の解呪できる魔術系統とは異なるらしく下手に手が出せない、との事。
 結局解決には到らなかったが、【自分が原因で付き合えなかった訳ではない】という事実は幾分自分の心を救ってくれた。
 上司は自分の事情を知り、自分に対して伴侶を持つ同僚が無理に付き合いや結婚を促すような発言をする事をそれとなく注意し続けてくれた。
 そのお陰で自分に恋愛話を振られる事は無くなったが、同性異性を問わず気軽に日常会話の出来る、ストレスの少ない職場状況になったのは感謝してもしきれない。

 だが、私生活はそうはいかない。
 自分の住んでいた寮には結婚している家族も多く住んでおり、防音がされているとはいえそれも充分ではなく、夫婦や恋人の営みが絶える事が無い。
 貯えは有ったので、いい加減引っ越そうと思い休日には不動産行脚を繰り返した。
 漸く見つけた物件は、担当者の男性が首を傾げる程記憶に無い物件だったらしい。
 担当者は別の条件の近い物件を紹介してくれたが、自分はその条件を見て何故か懐かしい記憶が脳裏を過ぎったのを感じた。
 上手く言葉に出来ないが、自分は此処に心当たりがある事が分かるのだ。
 結局は自分の熱意に負ける形となり、自分の都合の良い時に案内してくれる事となった。
 
 件の物件に下見に行く際、担当者は近くにも良い物件はあるので自分さえ良ければ紹介したい、と申し出てくれた。
 実際、担当者の申し出なら間違いはないだろうと思う。
 少し割高になるが都市に近い住宅街には防音設備の行き届いた間取りの広く各種交通機関や娯楽施設にアクセスし易い物件はいくつもある。
 
 華やかな生活を求める者は都心部へ、生活と娯楽のバランスを取りたい者はある程度距離を置き、プライベートを静かに過ごしたい者はそれよりも離れた所に住むという具合に住み分けが成されるのは極自然の成り行きである以上、条件の合否は家賃の相場と同じ位大切なものである。

 結局自分はこの安アパートに決めた。理由はいくつかある。
 
 
 
 1・都心部及びその外縁部から少し離れている為非常に閑静な点。
 2・離れていても車で10〜20分程に家電量販店やスーパー等があり生活に困らない点。
 3・駐車場があり料金も安い点が挙げられる点。
 4・曰く付きの物件である点。

 
 
 あとはまぁ……管理人が可愛かった事であろう。
 歳は二十代前半くらいか。
 肌は抜けるように白いのに、ポニーテールにした黒曜石のように輝く黒髪というモノトーンのコントラストが非常に美しかった印象がある。
 服装はジーンズに白い刺繍入りのチュニックとシンプルな物で、大きな鞄を手に挨拶されたのがつい昨日の事のようだ。
 そういえば担当者も管理人さんと遭遇する事は考慮していなかったのか、若干上の空になりながらも物件の大まかな紹介を済ませてくれた。
 その後、他の物件の紹介もしてくれる予定だったが急用が入ってしまったので後日に回させて欲しいと言われた記憶がある。
 自分はこの物件がいたく気に入ったのでここに決め、管理人の天音 千代(あまね ちよ)さんが引き続き詳しく案内や生活ルールの説明をしてくれると申し出てくれたので彼とはそこで別れてしまった。
 
 本契約の際には別の女性担当が対応したので結局会えずじまいだったが、彼にも世話になったと礼を伝えて欲しい、と残し引っ越し今に至る。
 
 
 「あの時の管理人さん、ちょっと面白かったよな……」
 
 
 クックッ、軽く噴出す。
 柔らかい物腰、魅力に溢れた豊満な肢体、女性にしては高めの身長なので普通は美人と評するべきだろう。
 しかし、自分の知らない事に対する反応の良さと仕草が童顔気味の整った造形と糸目に合わさり妙に幼く映るのだ。
 入居時の挨拶をした時もそうだが、明らかな美人が童女よろしく笑顔で元気良く挨拶してきた光景は微笑ましさすら感じたものだ。


 取り留めのない思考を続けながら外を眺め続ける。
 雲の隙間から煌々と照らす月は、閑散として既に明かりの落ちた民家と合わさり窓を額縁とした一枚絵のようである。
 
 まるで幼い記憶に残る影絵の町。
 
 想像か体験か忘れてしまった、描き割りのように現実感のない静かな町並みは記憶を揺さぶり部屋ごと異世界に迷いこんだような錯覚をさせた。
 
 
 (そういえば……静か過ぎないか?いや、あぁそうだった)


 車の音が聞こえないのも無理は無い。
 ここは住んでいる人間の少ない所で深夜遅くに車が通る等殆ど無いのだが、少し前まで裏の寺か墓地か廃校で血の気の多い若者達が肝試しをする為に車やバイクが来ていた事がある。
 
 管理人さんは何とかします!と意気込んでいたが、美しい女性があのような狼共の群れに突貫するのはあまりに危険である事と周囲がこれだけ夏の風物詩満載な環境であれば、現地の魔物娘に一任した方がお互いの為なのでは、という説得をした所管理人さんからの好意で敷地内に特定の音だけを遮蔽する魔術的な防音加工を施して貰っていたのだった。

 以降爆音や騒音は無くなったのだが、友人を部屋に泊まらせたら此処はどんな曰くつき物件なのか、と本気で心配された事がある。
 悲鳴から嬌声へと変わり、彼我の距離によってはそこから粘つくような水音を経て嬌声が響き静かになる、というものは確かに事情を知らない人間であれば恐怖体験だろう。
 
 気持ちは分からないでもない。
 施工後に自分も同じ疑問を持ち管理人さんに相談したのだが、管理人さんの依頼した業者は

 
 『【無機物の一定以上の動作音の遮音】しか依頼として受けていないので、再度施工するのであれば新規に依頼をして貰う必要があります』

 
 と返答してきた、と管理人さんから返ってきた。
 通常であれば噴飯するか再度施工依頼するかだが、残念ながら業者の都合がつかず再施工をするだけの余裕も今は無いとの事で管理人さんに何度も頭を下げられてしまった事がある。 
 自分も今の時期はそんな事も多いだろうし、季節が変われば収まるだろうから気にしないで下さい。と伝えて先送りしたのだった。
 

 ……そういえば管理人さん、彼女はどうしているだろう。
 夜も遅いし当然寝ていると思うのだが、どんな格好で寝ているのだろうか。
 湯上りから想像し、ほんのりと紅ついた白い肌が水滴を弾きつつ自己主張する。
 豊満な乳房を水気を含んだ黒い滝のような髪が覆い隠し、肌の水気を拭き取ったタオルを外し秘所を覆い隠す下着から履いていく
悩ましげな姿を想像した所で、

 カラン、と氷が鳴った。
 
 
 
 …………今、何を考えていた?

 
 
 おかしい。
 普段から自分はこのような破廉恥な想像をしていただろうか。
 確かに管理人さんは魅力的だし彼女の痴態を想像して慰めたのも一度や二度ではない。
 しかしそれは溜まった時やどうしても我慢できない時だけで、このように短い時間で彼女の事だけを考えようとするのは普段はまず無い事だった。
 
 何故こんなに自分の胸の動悸が激しくなるのか。

 何故『今この時』管理人さんが頭を埋め尽くそうとするのか。

 誰かに無理やりイメージを捩じ込まれたような不快感を覚える。
 視界に映る描き割りの町並みが曖昧になっていく。
 輪郭がボヤけ、ポツリ、ポツリと雨が降る。
 降り出した雨は瞬く間に土砂降りとなり、勢い良く水を流す音が辺り一面に響き渡る。


 「やべ、窓閉めないと!」


 部屋が豪雨で濡れる等勘弁して欲しい。
 窓を閉め、さっきまでの雑念を振り払う為頭を振り、昼頃まで寝ていようと床に着く事にした。
 ミネラルウォーターは結露だらけなので手近なタオルで周りを拭き、まだ形の残る氷を残し飲み干す。
 タオルを蓋代わりに適当な所にあった机の上にグラスを置き、布団まで数歩という所でドアがノックされた。

 インターホンを使わないのは周囲への配慮だろうが、こんな時間に来客など迷惑千万でしかない。
 居留守を決めようと思ったのだが、次の瞬間その考えも掻き消えた。

 「夜分遅くにすみません、管理人の天音です」

 雨音が一層、強くなったような気がした。



13/10/01 17:22更新 / 十目一八
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■作者メッセージ

 未熟極まりない駄文/長文お付き合い頂き、真に有難う御座います。
 本来もっと短く書こうと思った所存ですが、どうしても長くなってしまい泣く泣く分割し連載形式を取らせて頂きました。

 本来最終プロットまで書き終えてから後は投稿だけしようと思いましたが、季節の関係上これ以上投稿するまでの時間を延ばすと別のイベントを書きたくなってしまう衝動に駆られる為、投稿を優先致しました。

 皆様からの誤字脱字のご指摘や感想を戦々恐々とお待ちしております。

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