連載小説
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宣戦布告T
木造の小さな家の庭先で剣を振っている男がいる。
彼の名はアラン。何の変哲も無い農家の息子で、気候の安定した穏やかな土地に似て穏やかな青年だ。さらに、この土地は魔物が少なく、ほぼ純粋な人間の生活がこれまた穏やかに営まれている。
そんな彼が剣を振っているのはただの趣味でしかない。
だが、近所に住んでいる昔名を馳せたという剣士に稽古を付けて貰っている太刀筋は、もはや趣味で振るう域を越えている。
兵卒ぐらいならば、余裕を持って勝つことが出来るだろう。

「アラン、刈り上げは終わったの?」

家の窓が開き、若い女性がアランを呼ぶ。声に活力が溢れ、肌は焼けて小麦色、目はくりくりとして大きい。
幼さは無いが、子供の頃の元気を大人になっても落とさずにいたような人だ。

「あー、忘れてたなぁ」

腰の位置でピタリと剣を止めたアランがのんびりと言う。その言葉には悪怯れている様子が一切感じられない。

「もう!ちゃんとやってよ!これから街に行かなきゃ行けないのよ!?」
「ごめんね」
「剣を振るのは勝手だけど、仕事をさっさと終わらせること!」
「シア、僕は君を愛する騎士なんだよ?騎士として君を護るための訓練を優先させてくれないかい?」

アランがにっこりと窓から身を乗り出す女性、シアに微笑みかけると、彼女は突然の不意打ちに顔をさっと赤く染めて追撃も出来ずに固まってしまった。

「愛するために護らせてよ。護るために愛させて。シア、良いだろう?」
「仕事!!」

面白くなり、ついつい意地悪で追い打ちをかけると、シアはもうこれ以上は耐えきれないと言わんばかりに二文字の言葉を口早に叫んで家の中に逃げてしまった。
強い口調で注意されたアランは意地悪を働いた反省もあり、最後にもう一振り剣を水平に凪いでから鞘に収めると得物を鉈に持ちかえて風に揺れる黄金の麦畑に歩き出した。

「街か…楽しみだな」

遥か遠くを見据えてぼそりと呟く。
彼が楽しみにしているのは街だけではない。
シアとアラン。彼等二人は結婚する。そのためにわざわざ遠くの街へと行くのだ。



***



翌日。
二人は街に来ていた。初めて見る街の賑わいに結婚式を控えた緊張感もあり、浮き足立って商店街を歩いていた。

「はぁ、凄いわね」
「ハハ、人が多すぎて目が回りそうだ」

はぐれないように手をつなぎ、人とぶつかり、段差につまずき、商品を転がしたりしながら不器用な足取りで教会を目指す。式前の下見が目的だ。
田舎者をプッシュして笑いをとろうとは二人とも考えてはいない。
教会は漆喰塗りの白壁で、窓の代わりに神を称え魔を堕とすステンドグラスがはめられ、屋根は淡い空色に塗られている。その様には洗礼された豪華さを感じる。

「ヤハウィラ・アラリオン様とミドウェル・シーフェア様ですか?」

思わずため息をもらして見惚れる二人に老齢の神父が声をかける。
周囲に全く気を張っていなかった二人にとってはこの神父が急に現われたように映り、短い悲鳴をあげてとびず去った。

「あ…えと、済みません。急でびっくりしたもので」

アランが赤面して慌てて頭を下げる。隣にいたシアも深々と何度も身体を折り曲げている。

「ハハハ、構いませんよ。教会を見るのは初めてですか?」
「え、えぇ、まあ、そうですね」
「美しいでしょう」
「ええ、見惚れてしまいました」「此処は天使様も降臨なされる神聖な地なんですよ。わが協会はお出迎えする使命がありましてね。それで職人に意匠の限りを尽くしていただいたのです」
「へぇ」

説明を聞いて、二人は下から教会を仰いだ。天使が来ると聞いて見る教会はさらに威厳と神聖を帯びて輝かしく写った。

「さて、今日は教会の下見という事で良かったですかね?」
「はい」
「では、案内しましょう」

神父に連れられて教会内へと入っていく。入り口に構えられた重厚な金属の門の下の地面には雑草が生えており、緊急時には要塞にもなる教会の防衛機能は久しく使われていないらしい。街の平和の長さが窺える。

「ここで花嫁には着替えていただきます」

そう紹介を受けた部屋は室内であるにも関わらず、沢山の花が咲き誇る美しい部屋だった。

「ここは花婿が」

そう紹介された部屋は机と椅子が具えてあるだけの簡素な部屋だった。

「可哀相なアラン」

シアはそう言って、この格差を笑った。
アランもメイク係の楽しみ度合いを示したような格差を苦笑いで受け入れようとしたが、知りたくないものを知ってしまった落胆は大きく、苦笑いもぎこちなくなっている。

「そして、ここが聖堂。挙式の場です」

外から見えたステンドグラスが日光を受けて輝き、天井は遥か頭上にあり、そこにも神々の物語が描かれている。
長椅子が中央に間隔を開けて対称的に整然と並び、奥には一段高くなっている壇上とグランドピアノ、それらを見守る長剣と水瓶を持った天使の像がある。

「あそこで夫婦になるんだね」

アランがステンドグラスを通して注ぐ光に当てられた壇上を指して、シアの手を強く握る。

「ちょっと行ってみようよ!」
「えっ!?ちょっ、アラン!明日式なのよっ!?」
「良いから良いから」

しり込みするシアを強引に引っ張っていく。先程彼女の手を強く握ったのは感に応えたからではなく、逃げられないようにするためのようだ。

「神父さま!」
「案内は以上です。それでは、ごゆっくり」

ステージに上げられたシアが神父に助けを乞う視線を送った。だが、神父は迷いもせずに花婿の肩を担いで、邪魔者は退散とばかりに庭に消えた。

「…だいたい判るけど」

味方を失い強引な手口に従わざるを得なくなったシアは、ぶすっとした表情でアランを睨み付けた。

「なら、話は早い。誓いの予行演習だ」

アランはシアの鋭い視線に臆することなく彼女の頬に手を添えた。
「もう、キスしたいならそう言えば良いのに」

シアの目付きが緩み、笑顔を覗かせてアランの頬に手を添える。

「神の御前では大義な理由がいるんだよ」

柔らかい光を受け、アランとシア、そして彼等を見守る天使以外に人のいない静寂に包まれた広壮なステージで、二人は優しい口付けを交わした。



***



「あ、財布が無い」

アランが教会から宿へと向かう途中で林檎を買おうとして気付いたことだった。

「摺られたの?」

シアが心配そうに静止しているアランを伺う。金庫の実権は彼女に在り、アランの財布に入っていたのが大した額ではないのは知っているが、結婚で何かと入り用な為にどうにかなるならしたいらしい。
それが摺られたのなら顔も知らない犯人を見付けだすのは至難の技になってしまう。

「いや、多分教会に鞄ごと置いてきちゃったんだろうね。肩が軽いと思ったよ」

アランの回答にシアはため息を漏らした。

「取ってきなさい」
「え…でも宿が」

珍しくアランが心配事を言う。教会でゆっくりし過ぎたせいで宿のチェックイン終了時刻まで余裕が無い。一々教会に戻っていては野宿する羽目になってしまうのだ。

「私がチェックインしとくから行きなさい」
「愛する君を一人に出来ないよ」
「宿そこじゃない!」

シアがびしっと指差すは青果店の反対側の店。民家を改造したような細々とした店だ。

「一瞬の内に世界は目まぐるしく変わ――
「私のお父さんとお母さんに鞄を引き取る情けない姿を見せたいってなら承知しないわよ」
「ッ!」

僅かに殺気を孕んだ口調にアランの顔に冷や汗が伝う。これ以上駄々をこねると明日の式は腕を吊って行くことになりそうな気迫である。

「おぃ、にいちゃん。女に恥をかかせるんじゃねぇよ」

林檎を渡そうとしていた店員にまでけしかけられ、アランは乾いた笑いとため息を吐いた。

「やれ、妻って強いな。周りの人まで味方に付けてくるとは」
「気付くのがちぃと遅いなぁ、にいちゃん。ついでに本気で怒らせちまうと魔王もちびっちまう程怖いからな」
「なんと。それは急がねば」

店員に言われた忠告でアランはシアが第二声を発する前に闇を抱きだした街を風のように駈けていった。



アランが帰ってきた時、街は既に闇に完全に覆われた後だった。所々で揺らめく弱々しいランプの灯りと月明かりでなんとか迷子にはならずに済んだものの視界の不明瞭さが彼の歩みを妨げて、大幅な遅れを生んでしまった。

「へい、御主人。シアの連れのアランです」

夜分遅く。流石にもう客は来ないだろうとカウンターの奥の長椅子に横たわって眠る主人を叩いて起こし、睨まれ罵声を浴びてしまいに頭を叩かれながらも部屋を聞き出して、音を立てないように階段を上がる。
途中でカツンッと段差に鞘がぶつかった音で護身用に持ってきた剣を預け忘れていたことに気付いたが、また主人を起こすのは可哀相であるし面倒な為に明日に渡す予定を入れてシアの下へ急いだ。
自分を心配してまだ起きているであろう女性をあんまり長く待たせるのは騎士のやることではない。

「ただい……」

アランの思考が止まる。
ドアを開けた瞬間濃厚な性の香りと甘い嬌声にアランは包まれた。日頃とは結び付かない程の色気をふくんでいるが、それは間違いなく彼女の…シアの声だ。純粋に行為を楽しんでいる様が言葉の端々から嫌な程分かる。
さらに聞きたくもない男の快楽に悶える声もする。
視界が暗転して世界が回る。体があらゆる平行感覚を失ってその場に崩れ落ちる。吐き気が込み上げて胃酸が逆流する。

部屋を間違えた

真っ先に浮かんだ考えは逃避。自分自身に有り得ないと嘯きながら、よろよろと壁をつたって歩く。思うだけでは、思い付くだけでは耳から入ってくるシアの声を否定しきれない。
目で見た事実を宿望した。
拒絶を振り切ってでも彼は歩いた。逃避が逃避にならない為に。
しかし、寝室にたどり着いた彼を待っていたのは絶望だった。
月明かりに蒼く照らされたベッドの上で男に跨って腰を動かしている女は見間違えることは無い。翼と角が生えてはいるが、確かにシアだ。
アランは受け止められないほど大きな絶望に叩きつけられて立ち尽くした。

「……シア…」

涙が頬を伝う。

「……どうして…」

雫が零れる。
常闇がアランに纏わる。

「あっ…アラン!んっ」

シアが亡霊のように佇むアランに気付いて顔を向ける。
とろけきった牝の表情。残酷な顔だった。

「わ、わたし、襲われてからぁ!か、からだ熱くて熱く…ぁんっ!た、たまらないのぉぉお!」

嬌声、接合音、荒い息遣い。もう、愛する女性を見ることが出来なくなっていた。

「お願いっ!あ、アランもきてっ!ぁっ!お、お願いっ!早くっ!」

現実に耐えかねてフェードアウトしかけたアランの意識が釣り上げられた。
アランの中で一気に怒りの炎が渦となって暴れ回る。
脳が鮮明になり許せなくなった。見知らぬ男と交じり、もっと快感が欲しいからと自分も求めてくるシアを。
欲求に溺れて婚約した自分でさえ道具として見る卑しく醜い欲求。
愛はどこに?
どこにも見えない。

「ゥアァァァアアァァア!」

怒りが身体を電撃となって突き抜けた。アランは腰に下げた剣を高々と抜き、絶叫しながらシアに斬り掛かった。
怒りで振った斬撃はシアの頭蓋を砕いて脳を撒き散らせ、二度目で首を刎ね血が吹き上がり、胴体に無数の線と穴が刻まれ、腕がもげ、足がちぎれ、羽が墜ち、美しかった彼女は直ぐに肉塊へと変貌した。
交ぐわっていた男が情けない悲鳴をあげて、身体をばたつかせて逃げようとする。
まず足が落とされた。次に腕。男を芋虫のようにして床に転がし、踏みつけて骨を砕く、内蔵を握り潰す。
頭を鷲掴みにして、ギリギリで生きている男を壁に叩き付ける。
何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も
そして潰した。液状になった臓器が壁と床に広がる。
むせ返るような死臭に酔ったアランは肉塊に抱きついて涙を流しながら笑った。心底おかしそうに。心底悲しそうに。狂ったように。叫ぶように
10/04/17 14:45更新 / コトワリ
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