砂の壱
「銀辺……銀辺ぇ……どこ行っちゃったんだよぉ……」
「ケンパイ……どうして……どうしてこんなことに……」
五月某日。
日の暮れかかった鳥取砂丘に、泣き崩れる男が二人。
その二人、株式会社ナニガシ企画の社員『斑田(まだらた)ハンタロウ』とその後輩『魚住(うおずみ)カゲトラ』は、まさに失意のどん底にあった。
そもそもの発端は今からちょうど25時間前、前日の夕方のこと。
ナニガシ企画社内で仕事をこなしていた三人の社員に、上司である藻仁田(もにた)ニイヒトから信じがたい命令が下った。
『明日は鳥取砂丘の草取りをしてもらう! 拒否権はない!』
なんだそれは。
社員たちが面食らったのも無理はない。
自分たちはサラリーマン、それも机上での書類仕事などを主にこなすデスクワーカーだ。
砂丘の草取りが定期的に行われていることは知っていても、それを自分たちが仕事でやるなど意味が分からない。
しかも指定された範囲は時間に対して不釣り合いなほど広大だ。常識的に考えて、普段オフィスから外に出ることのない人間にこなせるような量ではない。
だがそこは悲しいかな社会人、上司の命令は如何に理不尽であっても服従せねばならなかった。
満足に説明もされなかろうと、それが命令である以上こなすのみ。
俗に社畜などと呼ばれるであろう彼らの在り様は、家畜を通り越して工作機械に近かった。
そして当日。五月とは思えぬ真夏のような炎天下の砂丘に集った三人は、早速草取りを開始した。
斑田が途中で駄々を捏ねたり、それを銀辺が諭したり、尻馬に乗る形で魚住が煽ったりとトラブルは絶えなかったが、三人はそれでも何とか作業を終えることができた。
疲労困憊、冗談抜きに過労死寸前。然しやれと言われたことはやりきった。さあ帰ろうかというその時、事件は起きた。
三人組の一人、銀辺ケンスケの失踪である。
それは残された斑田ハンタロウと魚住カゲトラにとって、まさに予想外の事態であった。
敬意からケンスケを″ケンパイ″と呼び崇めるように慕うカゲトラはパニックに陥り、
彼とは学生時代からの腐れ縁であるハンタロウもまた平静を装いながらも内心不安で仕方がなかった。
「斑田さぁん! どうしましょうっ、ケンパイが……ケンパイがぁぁ!」
「お、落ち着きなよ魚住君っ。銀辺はきっと無事だよ。た、多分どこか、僕らの目につかない所で休んでるのさっ!」
「そう言ってもうかれこれ二時間近く捜し回ってもケンパイ本人どころか持ち物の一つも見つからないじゃないですかぁ!
っていうか疲れたからって砂丘のどこかで一休みなんて普通しますかそんなことっ!? しないでしょーがっ!」
「だ、だったら先に帰ってるかも。ほら、銀辺って結構エグいことしたりするじゃない? 『そんな価値はないって理由で藻仁田課長に一度も敬語使ったことないし」
「ケンパイに限ってそんなことあり得ないですよ!
自分がどれだけミスしても、斑田さんにどれだけ仕事押し付けられても、藻仁田課長から何されても結局受け流して仕事こなすような、そんな真面目で忍耐強いケンパイがですよ!?
仕事終わったからって、誰に報告もせず自分だけ先に帰るなんてすると思いますか!?」
「か、課長から呼び出されたとか」
「それこそ誰にも言わず勝手に行くわけないでしょう! いい加減ケンパイの身に何かあったって認めて下さいよ!」
「……そうだね。うん、ごめんね魚住君……けどさ、だとしてこれからどうすればいいと思う……?
砂丘には銀辺の手がかりなんて何も残ってないし、警察や消防もまともに取り合ってくれないしさ……」
「……」
悲壮と絶望の滲み出るハンタロウの言葉に、カゲトラは何も言い返せなかった。
その後暫く沈黙が続き、結局二人は失意のまま帰宅することとなった。
(参ったな……)
湿った空気に満ちた薄暗い闇の中、彼は記憶を整理する。
(熱中症でぶっ倒れ、延々仕事に追われる夢にうなされたかと思えばここにいた……しかも全裸でだ)
彼は最初、自分はどこかの洞窟にいるのではないかと思った。
何故そうなったのか説明することはできなかったが、強引にでもそう考えておきたかった。全裸であるという事実はもう考えないことにした。
自分はただ、どこかの適当な洞窟に迷いこんでしまっただけだと、そう思わなければ不安と恐怖で押し潰されそうだったから。
だが、時が経つにつれ彼はそこが洞窟とはかけ離れた空間であることを嫌でも思い知らされた。
洞窟にしては狭く幅は土管か地下水路程度、内壁は異様に色鮮やかなピンク色でやけに柔らかく、生きているかのように脈打ちうねる。まるで肉、それも内臓のように。
こんな洞窟があってたまるか。ともかく脱出しなければ。
(……あと人目についてなくてもやっぱり全裸はキツい)
奪われた服はどこにあるだろうか。廃棄されていなければいいが、最悪外で身を隠すものを確保しなければいけないだろう。
(ろくでもない人生だったが、だからこそこんなわけのわからない所で死ねないからな。外に残した二人にしても一応、心配は心配だし)
そうして彼が脱出を決意した、まさにその時。
「あ、起きたのですね。よかったぁ」
どこからか声がしたかと思えば、薄暗い虚空から声の主と思しき女が現れた。
(な、なんだこいつはっ!? 足音どころか気配もしなかったぞ! それに何より……)
彼は目を凝らし、女を注視する。
身長は自分より頭一つ分低い程度、ストレートの長髪は腰まで伸びている。
顔立ちは間違いなく美人の域で、スタイルもいい。豊満な乳房は推定Iカップ、数値にして約1メートル前後。
(……でかいっ)
若くしてそこまで性欲の強くない、寧ろ枯れているとすら自負する彼が思わず見とれてしまう程に、その女は魅力的であった。
そして女に見とれる余り、彼は幾らか重要なことを失念していた。
まず、女の全身は肉の如き不気味な壁と同じピンク色であり、即ち女はヒトならざるものであったということ。
次に、女の見事な裸体に掻き立てられた劣情に、彼の男根は雄々しくも淫靡にそそり立っていたということ。
そして、女の熱い視線が彼の股座へ注がれていたということ。
「助けた時はどうなるかと心配でした。すごい熱で、衰弱しきっていましたから」
「――え? あ? 何、だって? ……俺は、あんたに助けられたのか? それは有り難いが――」
ふと正気に戻った彼は、目の前の女が存外良心的な人物だと考え交渉を試みる。
もう動けるから服と持ち物を返してくれ。そしてここから出して欲しい。
そう告げるつもりだった。
だが直後に彼は、どうにも女の様子がおかしいことに気付く。
「でも、そこがそうなっているくらいなら……もう大丈夫、ですよね?」
逃げなければ。よくわからないがこの場は逃げるべきだろう。彼は本能的にそう思った。
だが何故なのか、体調そのものは良好な筈が手足に力が入らず姿勢を変えることすらできない。
ならば最早、言葉で抗う他ないわけであるが――
「いや、待て、話を聞いてくれ。まずはお互いに話し合おう。俺はっ――」
「大丈夫ですよ、苦しめたりなんかしません……一緒にいいことシて、気持ちよくなりましょう?」
馬耳東風とはこの事か。
恐らく彼女が魔物だとして、どう見てもケンタウロスではなさそうだが、ともかくこの女は全裸で座り込んだまま動けない彼へゆっくり四つん這いで近寄っていく。
わざとそうしているのか、女の巨大な乳房は腕の間で不規則に揺れ、彼の視線を釘付けにする。
(……哀れなもんだな。こんな危機的状況下で、目先の色欲に囚われるなんて……)
否、寧ろ"だからこそか"とも彼は思う。
(生命体ってのは危機的状況に陥るほど、次代に血を残さなければという本能が働き性欲が強まるという……この俺も結局、単なる人間でしかないってことか……)
とは言うものの、彼自身何かしらの特別な存在を自負したことなど一度もありはしなかった。
(これも運命か……ろくでもない人生だったが、まあブラック企業で過労死するよりはマシかもな。変な洞窟で化け物じみた女に殺された……精々地獄で自慢してやるとしよう……)
そうして彼は、死を覚悟した。
この女が何をするつもりか知らないが、どうせろくなことではないだろうと、諦めていた。
のでは、あるが――
「ケンパイ……どうして……どうしてこんなことに……」
五月某日。
日の暮れかかった鳥取砂丘に、泣き崩れる男が二人。
その二人、株式会社ナニガシ企画の社員『斑田(まだらた)ハンタロウ』とその後輩『魚住(うおずみ)カゲトラ』は、まさに失意のどん底にあった。
そもそもの発端は今からちょうど25時間前、前日の夕方のこと。
ナニガシ企画社内で仕事をこなしていた三人の社員に、上司である藻仁田(もにた)ニイヒトから信じがたい命令が下った。
『明日は鳥取砂丘の草取りをしてもらう! 拒否権はない!』
なんだそれは。
社員たちが面食らったのも無理はない。
自分たちはサラリーマン、それも机上での書類仕事などを主にこなすデスクワーカーだ。
砂丘の草取りが定期的に行われていることは知っていても、それを自分たちが仕事でやるなど意味が分からない。
しかも指定された範囲は時間に対して不釣り合いなほど広大だ。常識的に考えて、普段オフィスから外に出ることのない人間にこなせるような量ではない。
だがそこは悲しいかな社会人、上司の命令は如何に理不尽であっても服従せねばならなかった。
満足に説明もされなかろうと、それが命令である以上こなすのみ。
俗に社畜などと呼ばれるであろう彼らの在り様は、家畜を通り越して工作機械に近かった。
そして当日。五月とは思えぬ真夏のような炎天下の砂丘に集った三人は、早速草取りを開始した。
斑田が途中で駄々を捏ねたり、それを銀辺が諭したり、尻馬に乗る形で魚住が煽ったりとトラブルは絶えなかったが、三人はそれでも何とか作業を終えることができた。
疲労困憊、冗談抜きに過労死寸前。然しやれと言われたことはやりきった。さあ帰ろうかというその時、事件は起きた。
三人組の一人、銀辺ケンスケの失踪である。
それは残された斑田ハンタロウと魚住カゲトラにとって、まさに予想外の事態であった。
敬意からケンスケを″ケンパイ″と呼び崇めるように慕うカゲトラはパニックに陥り、
彼とは学生時代からの腐れ縁であるハンタロウもまた平静を装いながらも内心不安で仕方がなかった。
「斑田さぁん! どうしましょうっ、ケンパイが……ケンパイがぁぁ!」
「お、落ち着きなよ魚住君っ。銀辺はきっと無事だよ。た、多分どこか、僕らの目につかない所で休んでるのさっ!」
「そう言ってもうかれこれ二時間近く捜し回ってもケンパイ本人どころか持ち物の一つも見つからないじゃないですかぁ!
っていうか疲れたからって砂丘のどこかで一休みなんて普通しますかそんなことっ!? しないでしょーがっ!」
「だ、だったら先に帰ってるかも。ほら、銀辺って結構エグいことしたりするじゃない? 『そんな価値はないって理由で藻仁田課長に一度も敬語使ったことないし」
「ケンパイに限ってそんなことあり得ないですよ!
自分がどれだけミスしても、斑田さんにどれだけ仕事押し付けられても、藻仁田課長から何されても結局受け流して仕事こなすような、そんな真面目で忍耐強いケンパイがですよ!?
仕事終わったからって、誰に報告もせず自分だけ先に帰るなんてすると思いますか!?」
「か、課長から呼び出されたとか」
「それこそ誰にも言わず勝手に行くわけないでしょう! いい加減ケンパイの身に何かあったって認めて下さいよ!」
「……そうだね。うん、ごめんね魚住君……けどさ、だとしてこれからどうすればいいと思う……?
砂丘には銀辺の手がかりなんて何も残ってないし、警察や消防もまともに取り合ってくれないしさ……」
「……」
悲壮と絶望の滲み出るハンタロウの言葉に、カゲトラは何も言い返せなかった。
その後暫く沈黙が続き、結局二人は失意のまま帰宅することとなった。
(参ったな……)
湿った空気に満ちた薄暗い闇の中、彼は記憶を整理する。
(熱中症でぶっ倒れ、延々仕事に追われる夢にうなされたかと思えばここにいた……しかも全裸でだ)
彼は最初、自分はどこかの洞窟にいるのではないかと思った。
何故そうなったのか説明することはできなかったが、強引にでもそう考えておきたかった。全裸であるという事実はもう考えないことにした。
自分はただ、どこかの適当な洞窟に迷いこんでしまっただけだと、そう思わなければ不安と恐怖で押し潰されそうだったから。
だが、時が経つにつれ彼はそこが洞窟とはかけ離れた空間であることを嫌でも思い知らされた。
洞窟にしては狭く幅は土管か地下水路程度、内壁は異様に色鮮やかなピンク色でやけに柔らかく、生きているかのように脈打ちうねる。まるで肉、それも内臓のように。
こんな洞窟があってたまるか。ともかく脱出しなければ。
(……あと人目についてなくてもやっぱり全裸はキツい)
奪われた服はどこにあるだろうか。廃棄されていなければいいが、最悪外で身を隠すものを確保しなければいけないだろう。
(ろくでもない人生だったが、だからこそこんなわけのわからない所で死ねないからな。外に残した二人にしても一応、心配は心配だし)
そうして彼が脱出を決意した、まさにその時。
「あ、起きたのですね。よかったぁ」
どこからか声がしたかと思えば、薄暗い虚空から声の主と思しき女が現れた。
(な、なんだこいつはっ!? 足音どころか気配もしなかったぞ! それに何より……)
彼は目を凝らし、女を注視する。
身長は自分より頭一つ分低い程度、ストレートの長髪は腰まで伸びている。
顔立ちは間違いなく美人の域で、スタイルもいい。豊満な乳房は推定Iカップ、数値にして約1メートル前後。
(……でかいっ)
若くしてそこまで性欲の強くない、寧ろ枯れているとすら自負する彼が思わず見とれてしまう程に、その女は魅力的であった。
そして女に見とれる余り、彼は幾らか重要なことを失念していた。
まず、女の全身は肉の如き不気味な壁と同じピンク色であり、即ち女はヒトならざるものであったということ。
次に、女の見事な裸体に掻き立てられた劣情に、彼の男根は雄々しくも淫靡にそそり立っていたということ。
そして、女の熱い視線が彼の股座へ注がれていたということ。
「助けた時はどうなるかと心配でした。すごい熱で、衰弱しきっていましたから」
「――え? あ? 何、だって? ……俺は、あんたに助けられたのか? それは有り難いが――」
ふと正気に戻った彼は、目の前の女が存外良心的な人物だと考え交渉を試みる。
もう動けるから服と持ち物を返してくれ。そしてここから出して欲しい。
そう告げるつもりだった。
だが直後に彼は、どうにも女の様子がおかしいことに気付く。
「でも、そこがそうなっているくらいなら……もう大丈夫、ですよね?」
逃げなければ。よくわからないがこの場は逃げるべきだろう。彼は本能的にそう思った。
だが何故なのか、体調そのものは良好な筈が手足に力が入らず姿勢を変えることすらできない。
ならば最早、言葉で抗う他ないわけであるが――
「いや、待て、話を聞いてくれ。まずはお互いに話し合おう。俺はっ――」
「大丈夫ですよ、苦しめたりなんかしません……一緒にいいことシて、気持ちよくなりましょう?」
馬耳東風とはこの事か。
恐らく彼女が魔物だとして、どう見てもケンタウロスではなさそうだが、ともかくこの女は全裸で座り込んだまま動けない彼へゆっくり四つん這いで近寄っていく。
わざとそうしているのか、女の巨大な乳房は腕の間で不規則に揺れ、彼の視線を釘付けにする。
(……哀れなもんだな。こんな危機的状況下で、目先の色欲に囚われるなんて……)
否、寧ろ"だからこそか"とも彼は思う。
(生命体ってのは危機的状況に陥るほど、次代に血を残さなければという本能が働き性欲が強まるという……この俺も結局、単なる人間でしかないってことか……)
とは言うものの、彼自身何かしらの特別な存在を自負したことなど一度もありはしなかった。
(これも運命か……ろくでもない人生だったが、まあブラック企業で過労死するよりはマシかもな。変な洞窟で化け物じみた女に殺された……精々地獄で自慢してやるとしよう……)
そうして彼は、死を覚悟した。
この女が何をするつもりか知らないが、どうせろくなことではないだろうと、諦めていた。
のでは、あるが――
20/02/09 20:41更新 / 蠱毒成長中
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