連載小説
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黒い和服とニヤニヤ笑う猫の話
 おかしい。
 さっきまで、俺は確かに自宅にいたはずだった。正確には、夕飯の材料を買いに、家の外に出ようと足を踏み出したはずだ。

 が、しかし。

「ここは……森か?」
 ふと気づけば、歩いていたのは見知らぬ森。
 妙にくねくねとした木が並んでいる。葉の形からして、俺の住んでいる所では見たこともない木のようだ。どうやら俺は、森の中の獣道のようなところに居るらしい。前後に、草の生えていない細い道が続いている。
さて、状況を整理したところで、一刻も早くここから抜けるには前に進むべきか、後ろに進むべきか。食料も何もない、しかも夕飯前で腹を空かせていたところだ。このままいけば飢え死にである。
 せめて看板でもあれば良いんだが……こんな細い道にそんなものは期待できんな。
「どうしたものだろうな……」
 俺は神隠しにでもあったのだろうかのか?だとすると、俺は二度と町には帰ることができないということか。
 いや、そもそも、ここはジパングじゃないのか?
 とりあえず人だ。誰でもいい、人に会えれば――

 むにゅり

 突然、背中に柔らかい感触。同時に、後ろから誰かに抱きしめられた。

「こんにちは、お兄さん」

「っ!」
 耳元で、ぞくっとするような艶めかしい声がささやかれる。
 咄嗟に腕を払い、後ろを向くと、
「……む?」
 誰もいなかった。
 しかし、さっきの感触、声。確かに何かが居たはずだ。

「こっち、こっちだよ」

 再びすぐそばで声がする。しかし振り向いても誰もいない。
 ……狐狸の類か?俺は化かされているのだろうか。しかし、生き物が居るということは確かなようだ。声も感触も確かにあった。

「だから、こっち「そこだっ!」

 三度目に声がしたその瞬間、俺は「誰か」に掴みかかる。おそらく胸倉のあたりであろう場所に手を伸ばし――

むにゅ

手を伸ばした先には、いつの間にか一人の女性が立っていた。
 紫と黒が混じった髪。
 猫のような手と耳、そして尾。
 全体的に紫色の、露出の多い服。
 奇妙な格好をした、しかし、どこか妖しい美しさを持った女性である。思わず見惚れて立ち尽くす。

 ……いや、いかん。そんなことよりも。

「……むにゅ?」 

声が女性のものであって時点で気が付くべきだった。いや、背中にあたった感触で気が付くべきだった。
女性の胸倉をつかむように手を伸ばした、それはつまり。
「いやぁ、出会いがしらに女の子の胸を鷲掴みするなんて」
 目の前の女性は俺に胸を掴まれたまま、ニヤニヤとした笑顔で、言った。
「……変態さんだねぇ♥」



「さて、初対面の女性の胸を平気で揉みしだく変態さん」
「いや、だからあれは事故だと、」
「初対面の女性の胸を平気で揉みしだく変態さん」
「…………」
 どうやら彼女の中で、俺は「初対面の女性の胸を平気で揉みしだく変態」になってしまったらしい。多分、この評価が覆ることはないのだろう。悲しいことに。
「さあ変態さん、ようこそ、不思議の国へ。私は案内人のチェシャ猫、イルマっていうの。よろしくね」
「あ、ああ。俺の名前は烙(ラク)という。よろしく」
 この女性はイルマ、というらしい。
 チェシャ猫、というのは何だろうか。この人の妙な格好と関係があるのだろうか?
「えっと、あなたは服装からして、ジパング出身かな?和服ってやつよね、その黒い服」
「ああ、そうだ。俺はジパング、ついでに言うとエドという所に住んでいる」
(……ここは、ジパングではないのか)
 多少は覚悟していたが、俺は別の場所にいるらしい。ということはやはり神隠しなのだろうか。疑問が尽きない。
「えっと、一個ずつあなたが感じている疑問を解決していこうか。まず、想像どおり、ここはあなたの故郷の国、ジパングじゃない――どころか、あなたのいた世界でもない。しかも、この世界から出ることは、まず不可能」
 自分のいた世界には戻れない。そんな現実を突き付けられたにも関わらず、自分の中に負の感情がないことに驚く。どちらかというと、「ああ、やっぱりな」という納得した感情。
「次に、ここは不思議の国。魔物と人間が楽しく淫らに暮らす場所なの」
 これにも納得した。目の前の女性――イルマが魔物、つまり妖怪ならば、この妙な格好も納得ができる。
 そして、魔物と人間が共存する国。
友人の家に付喪神がいたり、叔父が鬼と結婚したりと、何かと魔物に縁があった俺である。個人的には、西洋の国よりも好感が持てる。
 素晴らしいことだ、魔物と人間が楽しく淫らに暮らし――淫らに?
「ちょっと待て、淫らにってのはどういうことだ?」
「それは見た方が早いだろうね。ジパングのことわざで言うと、『百聞は一見にしかず』だったかな?」
 そう言うと、イルマは俺の手を握り、ニヤリ、と笑った。
「一名様、不思議の国にご案内―――」



 気が付くと、俺は街の中に居た。どうやって連れてこられたのかは定かではないが、どうやらイルマが連れてきてくれたらしいということはわかる。
「ここは不思議の国の中心部だよ」
 レンガ造りの建物(奇妙な形のものが多数ある)が並び、人も(というかほとんどが魔物だが)たくさんいる。イルマの言葉のとおり、ここは国の中心部なのだろう。
「さて、あちらをごらんくださーい」
 イルマが手で示す方を見ると、メイド服(というらしい。後でイルマに教えてもらった)を着た魔物と男性が、その、なんていうか……「交わって」いた。
 と、瞬きをした瞬間、二人の姿が消えてしまった。
「あれはキキーモラとその夫かな。あの場所で交わると大通りへとワープできるの」
「わーぷ?」
「一瞬で移動できるってこと。この国にはそういうシステム――仕組みがたくさんあるんだよ」
 つまり、あの二人は大通りに行くために、その、交わっていたということか。
「そのほかにも、口づけ、手を繋ぐ、胸を揉む、お尻を触る、抱擁をかわすなんてのもあるよ」
「……不思議な『しすてむ』だな」
「不思議の国だからね」
 次へ行こうか、と言って、イルマは俺の手を掴んだ。そしてそのまま数歩進むと、くるりと回って俺とむかいあって立つ。
「もうちょっと前に進んで――もっと前――そう、そこ。目をつぶってじっとしててね」
 言われるままに進み、目を閉じる。その瞬間、グイッと頭が抱き寄せられ、やわらかい何かへと押し付けられる。目を開くと、綺麗な肌色。先ほど俺が鷲掴みしてしまった胸に埋まっていると気が付くのに数秒。
「うわぁ!」
 驚いて飛び退くと、そこは先ほどとは違う場所。どうやら部屋の中らしい。
「ワープ条件『胸に顔を埋める』」
「心臓に悪い条件だな……」



 さて、ワープしてきた場所はどんなところだと辺りを見回すと、西洋風のベッドや家具が置いてある、普通の部屋だった。色はほとんどが薄紫や薄いピンクである。
「ここは私の部屋だよ。あれは帰宅するための場所なんだ」
 イルマはそう言った。
 ……さっきまでイルマの雰囲気と微妙に違う気がする。
 妖艶な微笑みを浮かべ、頬は薄く染まっている。心なしかソワソワしている気がする。


「ねえ、烙」


 突然の呼びかけ。思い返せば、こちらの世界に来て名前を呼ばれたのは初めてではないだろうか?
 ともかく、その呼びかけに、俺はドキリとした。それほどまでに、妖艶な声。

「ホントはね、まだまだ案内するところ、あるんだけどさ。さっきの気持ちよさそうな二人、見てたら、ね」

 そう言って、イルマは俺に近づく。なぜだろう、動けない――動いてはいけない気がした。

「ねえ、さっきの二人みたいにさ。ううん、さっきの二人よりも、気持ちよくなりたいと思わない?」

 体が熱い。頬が火照っている。目の前のイルマにとびかかりたい衝動に襲われる。
 だがそういうわけにもいかない、必死で衝動を抑えつける。

「まて……そういうのは、愛し合っている者同士がやることだろう?」
「……それもそうだねぇ」

 わかってくれたみたいで良かった、と安心したのが間違いだった。
 ほっとした瞬間、すかさず唇を押し付けられ、口の中に舌をねじ込まれる。
 そのまましばらくして、ようやく唇が離された。同時に、自分も舌を絡めていたことに気づく。

「じゃあ、これでいい?」
「いやまて、そういうことじゃ、」
「じゃあどういうこと?愛し合うってキスするだけじゃダメ?もっと長い時間をかけなきゃダメ?安心と信頼を積み重ねていかなきゃダメ?少なくとも私は違うと思うよ」

 イルマの目が妖しく光る。

「私たち魔物は、『愛』を求めるの。愛する夫を探しているの。そのための手段が、交わること」

 なるほど、ここはジパングではない。文化は違って当然だ。
 郷に入りては郷に従え。この世界の、魔物の文化も受け入れるべきなのだろう。

「私は、烙を愛したい」
「俺もだ、イルマ」

 そうだ、抵抗なんて元々ないじゃないか。
 初めてイルマに出会った時、俺はもう惚れていたのだから。




「ふうむ、そなたが我が国の、新しい住人か」
 あの後、俺はイルマと愛し合った。具体的に内容を話すのは避ける。というか話したら悶え死ぬ。
 この国では、というか魔物の場合は、愛を確かめ合ったものと「夫婦」になるのが習わし。ということで、イルマと俺は夫婦になったわけだ。夫婦になったら、ハートの女王に報告に行かねばならない――らしい。
 ということで、ハートの女王に謁見している次第である。
「まあ住人が増えるのは嬉しいことだ、お前を国の住人として認めよう。
イルマ、他のチェシャ猫は今忙しいらしい、お前は引き続き北の森の案内人を頼む。そいつと一緒で構わん」
それだけ言うと、ハートの女王は退屈そうに奥へと引っ込んでしまった。
謁見時間、わずか15分。

まあ、そんなわけで。
今日も元気に、不思議な国の来訪者を案内する仕事をしながら、イルマと愛し合う日々だ。
おっと、新しい来訪者が来たみたいだ。
俺とイルマは口をそろえて、来訪者に挨拶をする。

「「ようこそ、不思議の国へ」」
14/11/09 12:05更新 / 斑猫
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■作者メッセージ
黒い和服→ブラック→烙(ラク)
笑う→スマイル→イルマ

名前はこんな感じです。エロなしです。

(追記)ちなみに烙はちょんまげではないです。短髪です。

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