連載小説
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魔に見初められた少年
 心頭に発する怒りの炎が、カッと身を熱くする。
 憎しみが狂暴な力を生み、剣を振るう力になる。
 赤髪の女騎士――ルーナサウラ・チェグィーは、ここで死んでもいいと思った。その代わり、眼前の敵は神に誓って皆殺しにするつもりだった。

 彼女が仕える主君のために。

 背に庇う、年下の少年のために。

 馬車を背後にしているのだ、三方を警戒すればいい。加えて、敵の士気は低い。練度はそれなりだが、動きは精彩に欠く。
 正面から突き込まれた剣を逸らし、こちらから素早く突き返す。
 ガッという鈍い衝突音のあと、ギィィィンという乾いた硬質音が続く。
「くッ?」
 辛くも受けたは良いが、剣の勢いを殺しきれず、たたらを踏んで後退る襲撃者。
 ルーナサウラが剣を引き戻したところへ、右手の男が斬り込んでくる。が、これも受け流し、お返しと突き込んでやる。
「どうしたっ、全く連携ができていないぞ! 普段の訓練より手際が悪いではないか!」
 女騎士の言葉に、襲撃者達に動揺が走る。
 前衛が三人、後衛に七人が散開し、計十名。銘々、剣や短槍を手に取り、皮鎧や鎖帷子に身を包んでいる。不揃いな身ごしらえの中にあって、顔を覆う頭巾だけは統一されている。

 思えば、あまりに手際の良い襲撃だった。

 人気のない林道とは言え、正規の騎士が警備する馬車を、それも、王家の家紋が刻まれたお召し御車の襲撃など、荒くれで売る盗賊団でも狂気の沙汰と尻込みするだろう。
 しかし実際は、警護の騎士達は一合も剣を斬り結ぶことなく、鮮やかに撤退したのだ。警護対象を置き去りにして。

 はめられたのだ……信じ難いことではあったが。

 加えて、襲撃者達の動きは、正規の訓練を受けた者特有の合理性があり、剣筋も教本に適ったものだった。
「どうした叛徒どもっ、臆したか!? それとも、いまさら不明を恥じたか! 騎士の誇りが残っているならば剣を引け。恥じも誓いも捨てた畜生ならば、掛かってくるがいいっ、地獄に叩き落としてやる!!」
 勇ましき女騎士の掲げた手の先で、白刃が陽光に煌めく。
 赤い髪と青い瞳は、それぞれ炎の色を思わせる。女性にしては長身で、大の男と比べても遜色はない。同期の騎士達よりは随分と細い体だが、剣の稽古は人一倍やった。
 だが。
 下級といえども貴族の娘。来年には嫁ぐ身だ。ルーナサウラは、花も恥じらう十五の娘だった。更に言えば、その背に庇うは齢十二の少年で――そして彼は、生まれつき盲いていた。
 ミリシュフィーン・シェーペール。それが少年の名であり、彼はこの国――シェーペール王国の第一王子であり、王太子であった……つい先月までは。

「みなさん、待って下さい」

 張り詰めた空気の中、フルートの音が響いた。そう錯覚させる、高く、柔らかな声だった。
 これまで身を硬くして沈黙を守っていた王子が口を開いたのだ。同年代より小柄で華奢な体つきも、金の髪や白い肌も、少女と見紛う相貌も、その全てが美しく、そのどれもが王座を担う風格からは遠かった。
「殿下、お下がり下さい!」
 杖で足下を探りながら一歩前へ出ようとする主君を、忠義の騎士は押しとどめる。
「サーラ、話しをさせて?」
 愛称で呼ばれた少女は、しばし逡巡したのち、
「仰せのままに」
 主命に従うことにした。
「どこのどなたかは存じませんが、僕はただ静かに暮らしたいだけなのです。ご覧の通り、盲いた身。〈タウ=ガスール〉は義弟に譲渡され、僕には何の力も無く、ついてきてくれる者もルーナサウラしかいません。いったいこの身に何ができるでしょうか? 哀れと思うならば、見逃してはいただけませんか?」
 ギリッと、少女の奥歯が鳴った。
 ミリシュフィーンの言う通り、王太子の称号である〈タウ=ガスール〉は剥奪され、代わりに、後妻が産んだ第二王子へと移された。生まれてまだ一年も経たないというのに。それ以来、『廃太子』と陰口をたたく輩がいることに、彼女は腸が煮えくりかえる日々を耐えてきた。
 生まれつき人並みのものすら持っていなかった少年から、あらいざらい奪い取り、ついにはこうして命まで取ろうというのか。
 許せなかった。
 許していいことではなかった。
 だが王子は『どこのどなたかは存じませんが』と前置きした。それはつまり、不忠の賊徒を許すということだ。ならば、彼の騎士であるルーナサウラは従うまで。
 だがそれも、襲撃者達が大人しく退くならば、だが。
 そして。
「……禍根は断たねばならぬ。王統を乱せば、国が乱れる。内からも、外からも、付け入る隙を与えてはならん。騎士とは、護国こそ使命。汚名を被ろうとも、ただ使命に殉ずるのみ。お覚悟を!」
 後衛の中心にいた、年嵩らしき男が声を挙げると、襲撃者――騎士達の雰囲気がガラリと変わった。今までどこか茶番じみていた空気に、殺気が混じる。
「僕の存在が国のためにならないというのであれば、もう戻りません。このまま山にでも入り、野垂れ死にましょう。けれど、ルーナサウラにだけは寛恕を頂きたい。彼女には未来があるのだから」
「殿下っ、なにを!?」
 主君の言葉に、女騎士は目を剥いた。
 そして、譲歩を持ちかけられた男は、
「できません」
 首を振った。
「どうしてっ?」
 それは、少年が発したとは思えないほどの大声だった。
「その者が、まこと忠義の騎士だからです。我らの言葉など……例え、至尊の君であろうとも、この者の信を変えることは叶いますまい」
「よく解っている。さあ、とっとと掛かって来い!」
「サーラっ、だめ!」
 王子の悲痛な叫びも虚しく、前衛の三騎士が剣を繰り出す。統制のとれた身のこなしで、受けに回れば死しかない。十全に動ける、有利な場を作る必要があった。
 ルーナサウラは、敢えて自分から、しかも真ん中の敵へと突っ込んだ。その踏み込みは俊敏で、まるで一陣の風だ。
 振り下ろされつつあった剣に体当たり気味に向かい、自らの剣を合わせる。敵の剣は脇にズレ、彼女の剣だけが真っ直ぐ斬り込まれ。
「ぐッ?」

 くぐもった悲鳴は、敵のもの。

 鎖帷子を裂き、鎖骨を断ち割ったところで、斬り込みの勢いは止まった。だが、彼女自身の動きは止まらない。
 身を屈めながら前足を軸に半回転し、右手の剣を突き出す。すると、中央の敵は背後で倒れ、右手側の敵は、左手の甲を剣で貫かれていた。
 更に回転は止まらず、左手の敵へと、低い位置から剣を振り出す。左の騎士は、脛を斬られて地に転がった。

 一息に、四分の三回転。

 独楽のようにクルリと回れば、三人が無力化されている。驚異的な剣技だった。
 純粋な騎士剣術ではない。
 〈霧の大陸〉と呼ばれる遠い異国の地で発達した、珍しい武術がある。その術理が、彼女の剣術には混じっているのだ。
 ルーナサウラが子供の頃、一時期家に逗留した食客がいた。その者が霧の大陸出身者で、師事した際に習ったものだ。

 だが、そこまでだった。

 いつの間にか、後衛が詰めてきていた。
 当初と同じく、ルーナサウラは三名に半包囲され。彼女が前に出た分、王子の守りは空いた訳で。
「殿下ッ!!」
 先の攻防は瞬く間の出来事だった。少しも手間取りなどせず、技の完成度は理想的で、少女の繰り出せる最高の出来映えだった。予定では、三名を倒してすぐに後退し、王子の側に身を置くはずだった。
 必死に駆ける。
 大した距離ではない。彼女の足をもってすれば。
 実際に、こうして間に合ったのだから。
 ミリシュフィーンの右手側から迫る騎士と剣を結び、相手にせずに蹴り飛ばす。
 蹴った反動で反対側から迫る騎士へと間合いを詰め、剣を弾き――彼女自身へと肉薄する凶刃は勘定に入れていなかった。
 背中から突き込まれた剣が、背骨と肩胛骨の間を貫き、肺を穿ち――血に濡れた剣先が、少女の胸から姿を現す。敏捷性に重きを置くあまり、皮鎧の中でもことさら軽装を選んだ結果だ。
 ごほっ、と咳き込んだ口から血を吐いて、なお、ルーナサウラは倒れない。
 我が身に剣が届くということは、こちらの剣もまた届くということ。肩の柔軟性を活かし、振り返る手間も惜しんで背後へ剣を振る。反撃を受けた騎士は、少女の生命力と意思力に度肝を抜かれながら尻餅をついた。幸運にも、その無様が彼の命運を左右し、頭を割られずに済んだ。
「サーラ! サーラっ、ねえ!」
 見えないなりに、視覚以外の五感は人より鋭い。異変を感じ取った少年が叫ぶが、ただ、叫ぶことしかできない。
「リー……ごほっ、ごほっ、フィ……」
 リーフィ。
 少女がまだ幼く、身分差など理解していなかった頃、ミリシュフィーンにつけた愛称だ。その名を呼んで、ルーナサウラは地に倒れた。
「サーラ!」
 音のした方へと、少年が駆け寄る。だがそんなことをすれば当然、躓いて転ぶ羽目になる。
 地に倒れた王子は、四つん這いで少女を探した。
 哀れを誘う姿だった。
 見るに忍びない。
 襲撃者達の思いは、みな同じだった。顔を背ける者もいる。
 襲撃部隊を率いる隊長は、部下達の間を縫って進み、女騎士へとすがりつく少年の頭上へ、剣を振りかぶった。
「殿下、お恨みなさるなら、どうか私を。神よ、御照覧ならば私に神罰を!」
 剣が振り下ろされ――――――血花は咲かなかった。

「――人間は、よくよく命を奪うという行為を好むようだ」

 神変、という言葉がある。
 人知の及ばない、霊妙不可思議なる現象を名付けたものだ。今まさに、それが起こっていた。
 場を支配する、圧倒的な威圧感。
 五感を、意識を、全ての感覚を自らに向けさせる存在感。
 あまりにも整いすぎて、なおかつどこかが狂っている。絵画にも彫刻にも言葉にも表せないであろう、魔性の美貌。
 衣に包まれてなお、男の情欲をかき立てずにはおれない、匂い立つような肢体。
 そして、人と異形を切り分ける、判りやすいシンボル。つまり、頭部に生えた一対の角であり、尖った耳であり、背の翼であり、腰の尾だ。
 天使ではなかった。ましてや神などではない。
「ま、まもの……」
 誰かが呻くように声を漏らす。が、それだけだ。誰も動けない。
「いかにも。我が名はアストライア――魔王の娘さ」
 魔王の娘。
 たったそれだけの言葉が、場に絶望をもたらす。
 同時に、神経を直接愛撫するような甘美な声が、鼓膜を、心を振るわせる。覆面に遮られて判らないが、彼らの顔は総じて蒼白であり、全身に脂汗をかいている。それでいて、股間の陰茎は痛いほどに張り詰めていた。
「という訳で、おやすみ、諸君」
 その声が最後の一押しだった。心身を鍛え上げた騎士達が、皆、ありったけの精を漏らし、狂おしいまでの快楽の中、意識を手放し、地にくずおれた。
「さて、と」
 アストライアは、血に染まった少女と、彼女にすがりつく少年のもとへと歩み寄る。
 ただ歩くというだけの動作が、こうまで淫靡で、それでいて洗練され尽くした高貴を表すものかと、見物人がいたなら思ったことだろう。無論、すぐさま騎士達の二の舞になるだろうが。
 月影を紡いだ如き白の髪をなびかせ、葡萄酒の赤をたたえた瞳は、眼前の主従を興味深げに観察する。
「少しいいかな?」
「……ぅ……ぁ、あの?」
 ミリシュフィーンは、さっきまで動けないでいた。だが今は、声をかけられた途端に、体に自由が戻っていることに気付く。
 少年が身を起こし、アストライアは寄り添うように膝をつく。黒衣から覗く白魚の手が伸び、ルーナサウラの背へ、剣の刺さった根元に触れた。
 すると、どうだろう。
 アストライアの指が触れた瞬間、剣はうねって鋼の蛇へと姿を変え、たおやかな腕へ巻き付きながら袖の奥へと消えていった。
 そして、少女の体に刻まれた、確かに致命傷であった傷は、跡形もなく消え失せていた。
 奇跡の御業だった。その奇跡を起こしたのが神ではなく魔物だった、ただそれだけのことで。
 とうの魔物は、血に濡れた手を口許へと運び、ペロリと舐める。
「これが美味いのか。ヴァンパイアはよく解らないな……。ああ、君?」
「え? は、はい」
「勇敢なる騎士殿の傷は、とりあえず塞いだよ」
「え……? ほ、本当ですか!?」
「ああ、本当だとも。私は滅多に嘘を吐かないんだ」
「サーラっ、サーラ!」
「こらこら、揺するんじゃない」
 少女の肩の辺りを掴んで、一生懸命揺さぶり始めた少年を、アストライアは制止する。
「傷口は塞いだ。肺に溜まった血も抜いた。だが、それだけだ。失血死を回避できるというだけで、失った体力が戻る訳ではないよ? 放っておけば、いずれは死ぬ」
「そんなっ……。通りすがりの方、どうか彼女を助けて下さい! 僕に出来ることなら、何でもしますから!」
「ほう? 何でも?」
「はい」
 アストライアの赤い唇が、下弦の月を象って淫らな弧を描く。
「私の口上を聞いていたかな? 私は魔王の娘、所謂リリムだよ? 恐ろしい魔物さ。聞いたこと、あるかな?」
「は、はい」
 世間に疎いミリシュフィーンでも、リリムほどの大物なら聞き覚えがあった。
 曰く、『魔王の娘』『魔界の大公』『魔軍の指揮官』『神の敵』
 それから、『ひと睨みで生者を石に変える』『毒の息で命を奪う』『触れる者を、意思なき奴隷に堕とす』『この世に地獄を造る』……云々。
 目の見えない少年には、想像では補いきれない部分も多かったのだが、とにかく『恐ろしい存在』だということだけは知っていた。
「角と、翼と、尻尾が生えた化け物なんだよ? 醜く、恐ろしい、ひととは全く違う生き物さ。そんな私の言うことを『何でも』聞いてしまって良いのかなぁ〜?」
 耳元で囁かれ、ゾクゾクと身を蝕む未知の感覚に、少年の華奢な体が震える。
 それでも、
「約束は、違えません」
 か細い声だったが、キッパリと言い切った。
「では、助けてあげよう。条件だがね、『君の最も大切なもの』を、私に差し出しなさい」
 この言葉に、ミリシュフィーンの身が固まった。
「どうしたね? ミリシュフィーン・タウ=ガスール・シェーペール」
「……僕はもう、タウ=ガスールではありません。いいえ、きっとシェーペールでもない。ただのミリシュフィーンです」
「そうかね。ではミリシュフィーン、返答やいかに?」
「……一番大切なものは、あげられません」
 少年の返答は、アストライアを失望させた。
 だがそれで、すぐさまこの場を去るつもりも、ましてやこの少年少女達を害するつもりもなかった。ただ、興が乗ったので問うただけのことで。
(物語のような展開が、そうそう現実に転がっているものではない、ということか。いや、この主従の物語は充分に見応えがあった。それで良しとしようじゃないか)
 では、この女騎士に活力をみなぎらせる薬でも飲ませ、それから二人の身柄をどこか遠くへ送ってやろう。さて、どこが良いか? などと考えていると、盲目の王子が口を開いた。
「僕にとっての一番大切は、ここにいますルーナサウラ・チェグィーです。ですから公主様、彼女を犠牲にする選択は、僕には選べません」
 少年の言葉に、白い眉が片方、ピクリと上がる。
「そして、僕が差し出せる物は、この身と命くらいしかありません。もしも……もしも、僕の命にほんの少しでも価値を見いだして下さるなら、どんなことでもします、全てをあなたに捧げます、どうか彼女を助けて下さい」
 この国で最も高貴な血筋の少年は、玲瓏なる声のする辺りへと頭を垂れた。金の髪がサラリと流れ落ち、地の土と交わる。

 いっぽう、アストライアは微動だにせず、眼前でぬかずく少年を凝視していた。だがその内面は、未だかつてないほどの『何か』が、激しく荒れ狂っている。
(この子は)
 赤眼を、金の髪から逸らせない。
(自分が言った言葉の意味を、理解しているのか)
 つい、と手を伸ばす。
 無防備な頭に触れ、撫でるように、梳くように、白い指が金の流れを滑り落ち。
(誰に向かって言ったのか。言ってしまったのかを)
 ふっくらした輪郭をなぞり、少女じみて華奢なおとがいを、そっと持ち上げる。
「聞き届けよう、ミリシュフィーン」
 知らず、声に熱が籠もるのが解る。
「ありがとうございますっ、公主様」
 あどけない相貌が、安堵と喜色にやわらぐ。
「公主も様もいらない。ただアストライアと呼びなさい」
「はい……アストライア」
「今日の私は気分が良い。他に願いは? 特別に叶えてあげよう、私のミリシュフィーン」
「では恐れながら。この場の怪我人を、全て癒やしては頂けませんでしょうか?」
「なに?」
 赤い目が、周囲で無様に倒れ伏す襲撃者達を睥睨する。
「この謀反人達のことを言っているのかい?」
「はい」
「君は、馬鹿なのかな?」
 瞼に閉ざされたその奥を、真意を覗き込みでもするように、赤い炯眼が射貫く。
「承知しております。ですが彼らは僕とは違い、国家の安寧と民の平穏を望む、まことの騎士です。失えば我が国の……いえ、この国の損失です」
「そうか。私はなんて愚かな子を拾ってしまったんだろうね」
 言葉とは裏腹に、アストライアの表情は愉悦に染まっている。
「もうしわ――っ?」
 謝罪の言葉は、唇に宛がわれた白い手に、やんわりと押しとどめられる。
「気安く謝ってはいけない。次は罰を与えるよ?」
「……はい」
 触れられた唇に、奇妙な熱が灯るのを感じながら、少年は答える。
「宜しい。では、願いを叶えよう」
 膨大な魔力が、場を満たす。
 昼の陽光に晒されて、なお輝きを損なわない銀の光点が無数に舞う。蛍に似て非なるそれらは、地に伏す騎士達の体を一撫でし、役目は終えたと滲んで消えた。
 唯一つ残された光は、フワリフワリと空へ昇り、王都の方角へ飛び去る。
「治したよ、いずれ目覚める。それから、王と后に報せを送った。『第一王子はリリムが一人、アストライアが貰い受けた。兵を差し向ければ、王子の命はない』とね。これで、この騎士達が罰されることもないだろうさ」
 口実は作ってやった。表面上は嘆き悲しむ素振りを見せながら、腹の中では還らぬ王子に安堵することだろう。
「ありがとうございます。これで、思い残すことはありません」
 儚く笑む少年を見て、これからこの子の身に起こる惨事を思い、魔性の美姫は唇を舐めた。そして、彼のとある一点に目を向けながら言った。
「君は、精通はまだのようだね」
 いっぽう、問われた言葉の意味が分からず、ミリシュフィーンは戸惑う。
「せいつう?」
 『小首をかしげる』というジェスチャーを知っていたならば、この少年もそうしていたことだろう。
「いや、こちらの話しさ。では、我が城へ帰るとしよう。魔の領域へ。人並みの暮らしはできぬものと、心するがいい」
「はい」
 魔物がその返答に満足げに頷くと、リリムと、王子と、女騎士の体から一切の色が失われ、続いて輪郭が滲み……三人の姿は、林道から消え失せたのだった――。
16/04/22 20:19更新 / 赤いツバメと、緑の淑女。
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