連載小説
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異界の部屋
「ここは……」
転送魔法の光が収まったのち、視界に現れた光景を見て羽倉は思わず声を漏らした。
羽倉の立っている場所は、すでに廃墟と化した町の中心にある枯れ果てた噴水の前であり、その光景には見覚えがある。
それもそのはず、つい昨夜、教団の男を送り届けた場所と現在立っている場所は目と鼻の先にあり、ここからでも目視できるほどの距離だった。
内心では厳戒態勢のひかれた秘密溢れる研究施設にでも飛べるのかと期待していただけに肩透かしを食らった形だ。

だが、
(それにしては腑に落ちんな)
この座標は魔物化の能力によって発生する魔力に触れた者のみが知れるようメモに記されていた。知ることができる人数が限定されるほど、その場所と情報の秘匿性は高いものとみていいが、その座標が示す場所が廃墟とは言え誰が訪れてもおかしくない町の中央にあるというのでは全く矛盾している。

さらには座標の数値にも不可解な点があった。
「こちら」と「現代」とでは座標の表示こそ違うものの、ある二つの位置が近ければ近いほど、数値自体も似通ったものになる。
しかし今回の場合、教団の男が帰還に使った場所と現在地はさして離れていないにもかかわらず、両者の座標の数値はまるで違っていた。
数値だけを見れば本来かけ離れた地点に到着するはずだ。

「ふむ」

ひとしきり思案した後、羽倉は実証に移ることとした。
とりあえず、現在の噴水前から、男を送り届けた町の入り口付近まで徒歩で移動してみる。
「……?」
地面の感触や周囲の気配などに注意を払いながら歩き、町の入り口まで近づいたところで違和感を覚えた。覚えるとほぼ同時に、思考能力の高いリッチの頭脳はすぐに違和感の正体に気付く。
町の入り口には手作り感のある門と、すでに風化して消えてしまっているが町名が書いてあっただろう看板が掲げられている。
その門より外にある草木が風に揺れているのが見えるが、羽倉の肌にはなんの感触もなかった。
知的好奇心にそそられたか、物は試しと門の外へと手を伸ばしかけたところで

(万が一、腕が吹き飛んだら接続が面倒か)

思い直して白衣の内ポケットに差してあったペンを門をくぐるように投げつけてみる。
するとペンは見えない壁に阻まれ地面に落ちた。ペンが当たった場所からは水面に石を投じた時のような緩やかな波紋が生じて景色が揺れてく。何らかの結界を使用し、現在この町の内と外とはまるで隔絶された別空間になっているようだ。
その影響で転送魔法に用いる座標も全く別の数値を示しているのだろう。
(豪儀なものだな)
町ひとつを丸ごと別空間に仕立て上げるなど、技術はともかく相当な魔力を必要としただろう。
(高位の術師、数十人が集いようやく構成できるか否か……それほどの価値がこの場にあるのか?)
地面に落ちたペンを拾い上げながら羽倉の思考は続き、一つの仮説にいきついた。
以前手に入れたこちらの世界の勢力図では、この町は教団側と魔物側、両勢力の境目に位置していた。もし、魔物側に傾いていたら今頃は仲睦まじい魔物と伴侶とが街を賑やかせていただろうが、現状は廃墟となっている。
この結果は、教団側は町全体を徴収し前線基地として利用したのではないだろうか。
もしそれが正解なら、住民が暮らしていた段階から町の様子と魔物側の動向を監視するための観測所が設置されたはずだ。
住人に違和感を与えず、魔物にも気取られずに監視を行える施設。
「……」
羽倉の視点は、町全体を見下ろすように建てられた教会に向けられていた。
廃墟らしく汚れてはいるものの、簡素なつくりの家が多い中で群を抜いて立派な建築物。不釣り合いにも見えるが教団の勢力下にある町などそんなものかも知れない。
近づいて見れば入り口だけでも大した作りをしている。
扉を軽く押してみると錆び付いた音と共に扉が開き、中からくぐもった空気が流れ出してきた。
(なんだ、この臭いは?)
廃墟らしい埃臭さの中に、わずかながら妙な臭いが混ざっている。
本当に微かではあるが、生臭い、とでもいうのだろうか、発生源がなんにせよ教会という場所に相応しいものではない。
埃の溜まった床に足跡を残しながら歩き、シンメトリに配置された長椅子の間を抜けて壇上にある教卓の前に立つ。
その間、少しずつ臭いが増してきていた。
臭気の濃さからして発生源に最も近いのはこのあたりなのだろうが、しかし、教卓の周りを覗き込みながら歩いてみても背後にある主神を祀る像(宗派によるだろうがここは女神)を見上げても、違和感を覚えるものは見当たらない。
最終的に教卓の上に手を置いて、まるで自らが教えを伝えるかのごとく誰も座らなくなった長椅子の列を眺めてみる。
かくして聖なる教会の最も尊い位置に、白衣姿の魔物が立って思案に耽るという奇妙な構図が出来上がった。
しばらく前方を眺めていた羽倉の視線が突然、書物を読むかのように下を向いた。
当然ながら、そこに聖書など置かれてはいない。
(もし、私が何かを隠すなら……)
卓においた手を滑らせ、持ち上げた手をすり合わせてみる。
積もった埃が他の場所よりも若干ながら薄いように感じた。
(安心できる場所は……)
ガンッ!
突如、打撃音と同時に教卓が宙を跳んだ。
羽倉の姿勢や視線はそのままだが、教卓に隠れていた右足だけが前方に向かって突き出されている。
蹴りあげられた教卓が長椅子の間をきれいに縫って軽々と舞う様は、ある種見事な光景だったが、
バガッ!
教会の扉に衝突した教卓は破壊音を上げてひび割れ、見るも無残に地面に転がった。
教団関係者が見れば怒りを通り越して嘆くような光景だったが、蹴り飛ばした張本人は気にした様子もなく視線を足元に落としたままだ。
「やはりな」
その上、得意げに笑みを浮かべていたりする。
視線の先には、地下に続くであろう金属製の扉が現れていた。
金属表面の埃が薄いという事はやはり最近まで誰かが動かしていたという証左だ。
廃墟になる前であったとしても特定の者しか近づくことが許されない場所となれば、秘密を隠すには打ってつけだろう。
予想が的中し上機嫌となった羽倉は、鉄製の取っ手を掴み重厚なそれを軽々と開け放つ。
地下に降りる階段が見えると同時に、先ほどの臭いを多分に含んだ空気が立ち上ってきた。
(ひどい臭いだ)
先ほどより数段濃くなった臭気に耐えかね、羽倉は自身の顔の周囲に簡易的な結界を張り、臭いの侵入を軽減した。
地下へ続く階段を降りきると暗く真っ直ぐな通路に出た。幅は三メートル程で、左右には先ほどの入り口よりも遥かに頑丈そうな扉が等間隔で並んでいる。魔力を消費して発光する魔宝石が天井に埋め込まれているが、すでに魔力の供給は絶たれ光を失っていた。
羽倉はそのうちの一つに指先を向けると魔力を球体にして放つ。
すると再び動力を得た魔宝石が白い光を放ち、廊下全体を明るく照らし出す。
距離としてはそれほど長くもなく部屋の面積を確保している分、教会の面積よりも短くなっているようだ。
とりあえず左右に並んだ扉には触れず廊下の突き当りまで歩を進めると、突き当りには今まで目にしたものよりも華奢な雰囲気の扉があった。
金属製の冷たいドアノブを掴むと扉は訳もなく開き、やすやすと羽倉の侵入を許す。
廊下からの明かりに照らし出された室内をひとしきり眺めた羽倉は、その光景に眉根を寄せ
「……まさか」
訝し気に呟きを漏らした。
もしやと思い、入り口近くの壁を手探りしてみると慣れた感触があった。
指先に触れたスイッチを押してみると、間隔を置かず室内の天井に設置された蛍光灯が点き、部屋の様子を一層明らかにした。おそらくは廊下の魔宝石と動力を共有しているのだろう。
だが、問題はそこではない。
スイッチであり、蛍光灯、だ。
現代世界に親しい羽倉にとっては見慣れたものだが、どちらも本来なら異世界であるはずの<こちら>には存在しないはずのものだ。
しかもそれだけではない。決して広くない室内には複数のモニターやマイク、それを制御するための操作盤らしき機器類が所狭しと設置されている。
扉ひとつ隔てたこの空間は、明らかに現代社会で開発されたであろう機材に埋め尽くされていた。
「どこでも○アでもくぐった気分だな」
魔物になって初めて転送魔法を行使した時の妙な気分を思い出し、その時と同じ感想まで口を突いて出てきた。
無論、二十二世紀の発明も転送魔法も使用しておらず、背後には先ほどと同じ無機質な廊下が広がっている。
(なんでこんな面倒な真似を……?)
わざわざ現代機器を改良し、魔力を動力にできるように調整するような手の込んだことをせずとも、この世界にはより使い勝手の良い道具はあるはずだ。
自らと異なるものを嫌う傾向のある教団の施設内なら尚更説明がつかない。
その上、
(何か事故があったらしいな)
部屋の右手にある壁には扉一つ分の穴が開いていて、何らかの力で破壊された跡があった。
穴から覗けば、部屋があっただろう空間はすり鉢状に抉られ土がむき出しになっている。天井に至っては影も形もなく、外の景色がそのまま見えてしまっていた。
現代の技術を持ち込んだことが原因かは解らないが、ここで行われていた研究に不確定な要素が多かったことは確かなようだ。
目線を室内に戻し、ひとしきりモニターや操作盤を眺めた後、手元にある適当なスイッチを押してみる。
操作盤の一部が開き、そこからも見慣れた装置が現れた。
(DVDプレイヤーか?)
それと見て操作盤下の引き出しを開けてみると、透明なケースに入れられた大量のDVDが整然と収められている。その脇にあるファイルを見ればご丁寧にも目録まで作成していたようだ。
SA−121、RS−34、AC−23、MB−241、WA−56……
目録を見てみるがしかし、閉じられている用紙には暗号らしきものが記載されているだけで、よってファイル自体は薄く情報も少ない。それでも目の前の記号と数字の羅列には見覚えがある。おそらくは捕らえられた魔物娘達に付けられた番号だろう。
ファイルを開いた状態で操作盤に置き、引き出し内のディスクと照らし合わせると順番と番号が一致していた。
どうやら内容を知りたければデータを閲覧するしかないようだ。
(全てを回収して確認するには骨が折れるな……ん?)
また徹夜かと愚痴を漏らしつケースを眺めていた羽倉は引き出しの奥に少数、色の違うケースがある事に気付く。赤いケースのそれを取り出して表面に記載された番号を目にした途端、その表情が見る間に険しくなった。
計3枚のディスク、うち一枚をケースから取り出し、先ほど開いたプレイヤーに嵌め込む。そのディスクの記載はRP−410、史郎が保護し、今は日常に戻っているローパーに刻まれていた記号だ。
機器自体は慣れたもののため、苦労なく操作ができた。
ほどなくしてモニタの一つに映像が映し出される。再生されたのは現代の街並みと喧騒の音声。その中央にはやはり、ローパーの女性の背後が映し出されている。映像の視点、その高さから見て成人男性か、長身の女性の胸元付近から撮影されていることがわかる。
ストーカーの盗撮映像もどきがしばらく続いた後、女性が突如、人気が無い空き地らしき場所に出て困惑している様子を映し出した。何らかの方法で作為的に誘導したらしい。その足元に魔法陣が浮かび上がり、
バチンッ
発光と同時に電撃を放つ。無防備な状態で電撃を受けた女性は一瞬で意識を失い、倒れ込んだ。女性の傍に撮影者自身が近づいていき、新たな術式を組み始めたところで一旦映像は途切れる。
次いで映し出された映像を見て、羽倉は思わず顔をしかめた。
女性は攫われた状態のまま手足を鎖で拘束され、先ほどと違い、血を薄めたような気味悪い光を放つ魔法陣のなかでもがき苦しんでいる。全身から体液が吹き出し、含まれる魔力を天井に埋め込まれた魔宝石が吸収しているようだ。
映像と、絶え間ない水音、悲鳴に耐えかねたように羽倉は映像を停止させた。
再び光を失った暗い画面に自身のしかめ面が映し出されている。
(魔物達を捕らえて動力源の代わりに……)
町全体を覆うほどの結界を構成できたことも頷けるというものだが、発案者はまともな神経の持ち主とは到底思えない。
いくら知識欲の強いリッチといえど、こんな非道な映像を眺める趣味は持ち合わせていない。いないが、被害にあった魔物娘の保護のためには内容の確認は欠かせないだろう。
手元にある複数のディスクに目を落とすと、思わず重いため息が吐いて出た。
気を取り直して機器を操作しモニター全ての電源を入れてみると、僅かなノイズの後に似たような部屋が映し出された。
どのモニターにも、金属製の扉と石壁で構成された部屋が蛍光灯に照らされている様子が映っている。奥の壁には何かを拘束するための鎖が備え付けられているが、縛るべき者を持たないそれらは力なく垂れ下がったままだ。
映し出されている部屋の数は八つ。ここまでくる廊下にあった扉の数も八つ。
羽倉はおもむろに右手を持ち上げ、入ってきた扉近くの壁に向けた。
広げた手の平に冷気を集中させ鋭く尖った氷の槍を生み出すと、魔力を火薬代わりにして砲弾よろしく撃ち放つ。
バガンッ
衝撃音と共に壁に激突した氷は頑強な石壁を容易く打ち砕いた。
それと同時にモニター内の映像も揺れ、二つの部屋の中を何かが凄まじい速度で通り過ぎ、三つ目の部屋の壁に猛烈なヒビが入った。ヒビの中心に突き刺さっているのは言わずもがな、羽倉が放った氷の塊だ。
手前の二部屋などは氷が通過した衝撃波で蛍光灯が破裂して薄暗くなってしまっている。
「この部屋は差し詰め、警備、観察室といったところか」
モニターに映し出されているのは間違いなく現在の映像だと証明されたが、半分以上はストレス解消だった。
派手に打ち砕かれた壁を見れば、魔物娘達に非道を働かれた事に対する鬱憤が少しは晴れた気がする。
施設を再起不能なまでに蹂躙してやろうかとも思ったが、すでに放棄された施設相手ではそれこそ独りよがりの気晴らしでしかない。
今は新たな情報を分析して魔物娘達を保護することが優先だ。その後、本拠地を突き止めた暁には徹底的に粉砕してやればいい。
「さて……」
決意を胸に羽倉は部屋(すでに個室ではなくなっている)を出て、来た道を戻り始める。
映像媒体を回収しようにも量が量だけに、まずは転送経路を再構築して直接施設内との行き来を可能としなければならない上、
(こんな臭いの中で作業するのは遠慮したい)
生臭さを伴った臭気は、魔物娘達から体液と魔力を奪い取った際に染み付いただろう事実を知って更に耐えがたいものになっていた。
臭気を取り除くための消毒液や分析のための機材など、必要な物品を頭の中に思い浮かべながら地下から教会内に昇り、転がったままの教卓の脇を通って教会から外へと出る。
外気に触れた途端、足元を見続けていた羽倉がふいに視線を上げ

「だろうな」
表情を変えず頷いた。
視線の先にあるのは、
教会の周りを囲うように張られた強力な結界と、待ち構えるように立つ鎧を纏った騎士が一人。

「現代に詳しい者が作った施設、わざわざ色違いのケースに入れられたディスク、動力源を失っているにも関わらず張られ続けていた町を覆う結界、これだけ揃ってて<おでむかえ>がない方がどうかしている……だろう?」
白衣のポケットに手を入れたまま薄い笑みを浮かべて語り掛けた羽倉の問いに、騎士の返答はない。
答えの変わりか、緩慢にも思える動作で腰の剣を抜き中段に構えると磨き上げられた剣先が陽に照らされて鈍く光った。
面頬に阻まれて騎士自身の表情は窺えない。
一方の羽倉は面倒くさそうな表情を隠そうともせずにポケットから手を出し
「また、見舞いの先を越されてしまうじゃないか」
すかっり定番となってしまった台詞を呟いた。
17/08/13 10:29更新 / 水底
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