連載小説
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前編

「もう!!信じられない!!」

ありきたりな台詞を吐いて、スーツを着たいかにもOLといった女はバーから飛び出していった。
俺は、それをぼんやりと眺めながら、溜息を一つ吐く。
さっきまであの女と俺は一緒に飲んでいたわけだが、別にこの溜息は、また振られちまったか……などという悲しみを表すものではない。
どちらかと言えば、面倒くせぇなあの女、という嘆息であり、だからこそ俺はドラマなんかでよくあるシチュエーションの、去る女を走って追いかける、なんて馬鹿げた真似を実行しようとはせずにグラスにまだ残っていた酒を一人あおるだけであった。

「相変わらずだなお前は……また女性に振られたのか?」
「はっ。あんな女こっちから願い下げだっつーの」

そんな俺にかけられた声に、振り向くことなく答える。
声の主はやれやれ……と小さく漏らしながらも俺の隣に座った。
わざわざそれが誰であるかなど、確認するまでもない。

「俺が今まで何人も女抱いたことあるって知った瞬間ぎゃあぎゃあ騒ぎ立てやがったんだぞ。今時そんなの気にするとかいい年こいて夢見る乙女かよ、女なんて抱きたいから近寄るに決まってんだろうが」
「おいおい、その辺にしとけ。いくら光(ひかる)とは長い付き合いだと言っても、それ以上女性を侮辱すると流石に俺だって許せないぞ。あ、マスターいつもの」

振り向いて表情を見ると、腐れ縁のこいつ、加登 健人(かとう たけと)は許せない、と言った割に憎らしいほど爽やかな笑みを浮かべてマスターに注文をする。

「はいはい、わかったわかったわかりましたよー。さすが優等生の健人君はおっしゃることが違いますねぇ」
「全く……お前は女遊びの癖さえなきゃ良い奴なんだけどなぁ……女の方もどうしてこんな奴に寄ってくるんだか……」

両手を小さくあげて適当な降参のポーズを作ってやると、健人はやれやれ……と首を横に振った。

「そりゃあお前、日頃の行いがいいからだろ?」
「よく言うよ……」

俺がにやりと笑って返すと、健人は最早呆れて言葉も出ないという風にマスターからのグラスに手を伸ばしていた。
こいつがそんな風に言うのもまぁ、無理がないことだとは思う。

健人との付き合いは高校の時からに遡るわけだが、第一声は『彼女を泣かせたのはお前か?』という怒り混じりで、俺が二股かけていることにショックを受けて泣きながら俺と別れた女子というオプションを後ろにつけての登場だった。
クラスでは女遊びが趣味ということを隠して比較的人気者の部類に入っていた俺は、何のことだかわからない、と適当にあしらっていたのだが、クラスメイトというだけの女子の為にこいつはしつこく食い下がってきた。
廊下ですれ違う度に何か言われるのならまだしも、下校時間にわざわざ校門で待ち伏せしてきた時には流石に引いた。だが、クラスで築きあげてきたイメージを崩されるのも嫌だったので、笑って誤魔化し続けた。
それでも、そんな生活が一週間も続けば、誰でもブチギレてしまうだろう。

『いい加減キモいんだよ優等生気取りが!!暇さえあればべたべたしやがってホモかお前は!!』

帰り道の途中、誰もクラスメイトが周りにいないのを確認してから、思いっきり怒鳴ってやった。
最初は俺が突然暴言を吐いたことに驚いていたようだが、その後に思いっきり吹き出した。

『なんだよ、それがお前の素か?あぁ、やっと気持ち悪い笑顔を見ないで済んだ』
『あぁ!?わざわざあんなブスの為に一週間近く俺をストーキングしてた奴に言われたかねぇ!!』

……それから先は、俺や健人が何を言ったのかは、思うがままに罵詈雑言を吐き続けたせいかよく覚えていない。
ただわかるのは、付き合った女以外で産まれて初めて俺の素の感情を見せつけてやったのがこいつだということで、これまた産まれて初めてだった男との大喧嘩の後、俺の地の部分を見せてやったにも関わらず、親交がある唯一の男となった。

そんな男と俺が何の因果が同じ大学に進学し、卒業した今となってもお互いにすっかり馴染みとなったバーで一緒になって酒を飲むというのは、腐れ縁という奴だろう。

「……どうした?何をボーッとしている」
「……別に、ちょっと昔を思い出してただけだ。それよかお前、次出発するのはいつだ?」
「そうだな……明日の昼にはもう、空港を出ているだろうな」

質問に質問で返してやると、健人の返答は素っ気なかった。俺としても、こいつのスケジュールはいつも急だということはわかりきっているから今更動揺したりはしないのだが、それを普通の事のように言うこいつは大物だと思う。

「今日帰ってきたばっかだっつーのにそれかよ。相変わらず登山家ってやつは忙しそうだな」
「まぁ、急なスケジュールなのは認めるけどな。半分趣味みたいな仕事だし、辛くはないよ」
「誰も心配なんかしてねぇよ」

俺の憎まれ口に対しても健人は、あぁそうだなお前はそういう奴だな、と笑うだけだった。

昔から登山が趣味で高校の時から登山部に入っていたこいつは、大学卒業後そのまま登山家への道へと歩んだ。
詳しいことはわからないが本人曰く、登山家とは言ってもまだスポンサーが付くような、山を登るだけで金が入ってくるようなものではなく、主に初心者へ向けた登山のガイドを務めているということらしい。
それだけにしたって勿論、趣味をそのまま仕事にするなんてことは、口で言う程簡単なことではないだろう。俺の知らない所で、並々ならぬ努力をしたに違いない。

だが、こいつから登山に関係する活動だけで食うに困らない金を稼げて嬉しい、と聞かされた時にそれほど驚いたりはしなかった。

自慢するわけではないのだが、俺はこれでもそう頭の悪い部類ではない。
こいつと高校に通っていた時だって、少なくとも下から数えるのが馬鹿馬鹿しくなる程度の成績ではあった。
だが、こいつはそんな俺よりもはるかに優秀だった。
学年では常に首位を獲得し、既に登山部に入っているにも関わらず能力を見込まれて運動部からは日々助っ人要請が絶えず。おまけに、クラスメイトの為なら一週間だろうと俺に張り込めるような、人の為に尽くせるような性格だ。
もし登山一筋でなかったら、高校、大学と告白してきた数多くの女子の中からとっくに一人選んで華の人生を謳歌していたに違いない。

そんな男の隣で酒をあおっているのは、まぁ……少なくとも、嫌ではない。

「つうかよ、そんならあんまり夜更かしするのもまずいんじゃねぇか?」
「それもそうなんだけどな。俺にとっちゃ数少ない付き合いの長い友達との飲む機会なんだし、これぐらいなんでもないよ」
「……あんまりくさい台詞吐くんじゃねぇよ」

だが、健人の言うことは事実でもある。仕事で日本各地、偶に海外さえ飛び回っているこいつとまた酒を飲む機会が訪れるのは、早くて一ヶ月というところであろう。
その上、こいつは帰る時に連絡の一つも寄越さないものだから予定を合わせにくく、帰ってきた日に俺は残業で行く余裕なんかないことだって何度かあった。
とゆうより、こいつの言うところの友達との飲む機会を削っているのは連絡不精のこいつではないだろうか。
それにしても友達……ね。なんで俺の素を知っておきながら仲良くしてくれるのか、今でもこいつはわからない。

「まぁ、偶にはそのアドバイスを素直に受け取っておくのも悪くはないか。おーいマスター、お勘定!!」
「あら、もう帰るの?加登さん偶にしかこれないんだし、もうちょっとゆっくりしていかなくていいの?」
「えぇ、ちょっと疲れも溜まってますし、今日はこれで」

そうやって健人は空になったグラスとお勘定を、俺の分まで含めた額を差し出していた。

「……おい、何のつもりだ」
「ん?別にこれぐらいはいいだろ?」
「いらねぇよ。てめぇにおごってもらわなきゃならねぇほど金になんか困ってねえし」
「まぁそう言うなって。お前とは偶にしか会えないんだ、せっかくの機会なんだしこれぐらいは俺にさせてくれよ」

そう言って、憎らしい程爽やかに健人は俺に向かって微笑んだ。
こんな歯の浮くような台詞だろうとこいつは素で言っちまうんだよな……くそ。聞いている方が恥ずかしい。

「あーら、いい男ねぇ加登さんって。光、こういう時の好意っていうのはね、素直に受け取りゃいいのよ」

それに続いて、マスターまでもがこいつの味方をしやがった。
2対1では、流石に負が悪いので、渋々言うことを聞くことにして、マスターへと金を突き出す。

「……ほらよ。マスター、これでいいんだろ」
「あんたって、本当に加登さんとは大違いの性格ねぇ……ちょっとは加登さん見習えば?」
「余計なお世話だ」

余談だが、マスターも俺の素の性格を知っている一人である。
最も、健人や他の女共と違い、こいつの場合は俺が初めてこの店を訪れて早々に俺の本性を看破してきたのだが。

「じゃあ、マスター。今夜もありがとうございました」
「はいは〜い。また来てね加登さん、とついでに光」

俺のことをついで扱いしやがったか、あの女。酒が旨くなけりゃ、こんな店こっちからお断りだ。
だが、言ったところでマスターにあしらわれるか、そうでなきゃ空気が悪くなるのは目に見えていたので、口には出さずに黙って店を健人と一緒に出た。

「どうした、不機嫌そうだな」
「別に。お前の気のせいだろ、そんなの。くだらないこと言ってねぇでさっさと帰るぞ」

俺の言葉を額面通りに受け取ったのではないだろうが、健人はそれ以上追求しようとはせずにあっさりと話題を変えた。

「そうだな、疲れたし早く帰ろうか。俺達の家に」











俺と健人は一つの家に共同で生活している、簡単に言えばルームメイト同士である。
お互いに就職先が決まった矢先、偶々時間が合ったことで二人一緒に不動産屋を訪れたら、紹介されたのが今俺達の住んでいるこの物件だった。
一人で暮らすのに比べて家賃が安かったというのは勿論のことだが、家を空けることが多い健人は防犯に不安が残ったからというのが決め手だった。
他の奴だったら断っていたのだが、相手は滅多に家へと戻ってこない健人。
それなら、女を家に連れ込んだとしても何の問題もない為に断る理由もなく、俺もその申し出を受け入れた。
こうして、書類上は一緒に住んでいる間柄ではあるのだが、そんな生活を二年以上も続けた今となっても、こいつと一緒に住んでいるという実感は湧かない。

「ただいまー……光、風呂湧いてるか?」
「店来る前に湧かしといた。先に入るか?」
「おう、そうしとく。気、利いてるじゃないか」
「いつ帰って来るかもわかんねぇ奴の為に風呂湧かす馬鹿なんかいねぇよ。自分で入る用だ」
「ははっ、それもそうだ。じゃ、先入るからな」

健人は玄関のドアを開けるなり俺に確認を取ると、自室へと入って寝間着代わりの普段着を取ってくる。そして、さっさと洗面所へと入っていった。

健人はいつもこんな感じで、家に着いたらすぐに準備を整えて寝てしまうのだ。
登山以外に趣味らしい趣味もないこいつにとって、家というものは寝床以外の役割を果たしていないんじゃないかと思う。
だから、必然的に家の仕事は全て俺へと回ってくるわけで。

「はぁ……さて、と」

健人を見送ってからキッチンへと向かう。流しの中の、水に漬けておいた一人分の皿や食器を洗ってから、乾燥機の中へと放り込む。

明日早起きするのも面倒くせぇし、このまま適当に朝食になりそうなものでも作っておくか……

冷蔵庫を開けて、中の物だけで何か作れないかと漁る。
ほぼ一人暮らしのような生活が長かったおかげで、これでも簡単な料理なら作れるのだ。
……柄じゃねぇのは自覚してるけどな。





作る料理に目星をつけて、食材の下ごしらえが大体完了した頃、時計を見ると帰ってから三十分ほど経っていた。

そろそろ……か。

一旦調理をする手を止めて、洗面所の方に顔を出す。

「おーい。健人、起きてるかー?」

風呂場に電気はついているのだが、中からは返事がなかった。

……やっぱりな。

戸を開けて中を覗くと、案の定健人は浴槽に腕と頭を預けて、寝息をたてていた。
こいつは疲れがよっぽど溜まっているのか、いつも風呂に入っている途中で寝てしまうのだ。
それも、十分や二十分どころか一時間、二時間が当たり前。
同居人に風邪をひかれてはたまらないし、何より俺がその間入れないのはいい迷惑なので、いつの間にか風呂で寝たこいつを起こすのが俺の役割になっていた。

「おい、起きろ」
「ん、あ……光?俺、また寝てたのか……」

袖を捲ってから肩を揺すると一応健人は目を開いたのだが、まだ目が完全に覚めたわけではないらしく、どこか声に力が入っていない。

「そんなに眠いならお前はもう風呂上がれ。寝るなら自分の部屋で寝ろ」
「そー、だなー……」

生返事をする健人は、またうとうととし始めてちっとも風呂から出る気配がない。

ったく。手のかかる奴だ。

放置しておくわけにもいかないので、腕を掴んでその身体を引っ張りあげる。
健人は全身から力が抜けていたので、その身体を支えるのは非常に容易だった。

「おら、いいからとっとと上がれ。俺が入れないだろうが」
「んぁぁ……わかった、わかったから……」

あくびをしながら渋々言うことを聞く健人からは、非の打ち所がない優等生の雰囲気は微塵も感じられなかった。
どちらかと言えば、朝に布団から出るのを嫌がる小学生もいいところだ。

立ち上がらせてやると、ゆったりと風呂場から出てくる。
しかし、それにしても相変わらず逞しい体つきだなこいつ。
そんな趣味はないので眺め回すようなことは流石にしないが、登山で鍛えたおかげか程よく筋肉のついた手や足に、引き締まった腹回りは嫌でも目に付く。
その上に、爽やかな笑顔が俺でさえ素直に似合うと思ってしまうようなルックスとくれば、俺のようにわざわざ誘わなくても、女などホイホイついてくるであろう。

つくづく、勿体ない奴だ。

ここまでしてやれば後は身体を拭いて着替える作業だけ(健人はドライヤーを使うことを面倒くさがるのだ)なので、腕から手を離して俺は風呂場と洗面所から一旦出る。
そのままキッチンに戻って、料理を再開することができたら非常に楽でいいのだが、そうはいかないのが健人の本当に面倒くさいところだ。

少し時間をおいてから、洗面所に戻る。
洗面所の床に、寝間着に着替えたばかりの健人が倒れていた。
……勿論、ぐーすか寝息をたてて。着替え終わったところで、睡魔が限界にきたのであろう。

本日二度目となるが、腕を掴んで引っ張りあげる。
その腕を肩に回して、健人に肩を貸す姿勢にしてから、部屋へとこいつを運ぶ。
身長は俺とこいつではそうそう変わらないので、それほど苦しい作業ではなかった。手慣れた作業だから、というのもあるのだが。

そのドアを開けると、殺風景な部屋が目に映る。
なんせ、その部屋にある家具といったらベッドに小さなテーブル、それと数冊しか本が入っていない本棚ぐらいのものなのだ。生活感も何もあったものではない。
ここは健人の部屋なのだが、たまに掃除をするために入る、俺の方がこの部屋を使ってるんじゃないか、とさえも思ってしまう。

……まるで、俺はこいつの世話役みたいだな。

そう考えると無性に苛ついたので、健人の身体を投げやりに引き剥がしてベッドに寝かせてやる。

ったく、人の気も知らないで幸せそうな寝顔しやがって。

でも……ここまで無防備なこいつの顔を知ってる奴は、健人の家族以外では俺しかいないんだろうな。

一瞬、そんな馬鹿馬鹿しい考えが頭に浮かんだのだが、すぐに頭を振って追い払った。

「さて……明日の朝飯、作っておかねぇとな」

キッチンへと向かい、作る量が二人分であることを注意しながら、俺は朝飯の支度を再会する。

風呂入りてぇし、さっさと片付けるか…




翌朝、せっかくの休日なのでいつもより遅く起きると、枕元に書き置きがあった。

光へ
昨日はまた風呂で寝てしまってすまなかった。お前がいるとつい、安心して気が緩むんだ。
それに、朝飯も美味しかった。何回も言っていることだけど、いつもありがとうな。
次に帰ってくるまでには、早くても一ヶ月以上はかかると思う。
それじゃ、行ってくる。
健人


……そして、それから二週間。

「あー……くそ……」

真夜中の街を、飲み過ぎたせいで思考が曖昧になってしまった頭で、俺は一人ふらふらと歩いていた。
こんなになるまで飲むつもりはなかった。今日だって、その辺にいた女を捕まえて一杯やっていたのだが、その席で飲む酒は何故か美味く感じられず、適当なことを言って別れてきたところだ。
それは今に始まったことではない。最近は、どんな高価な酒を飲もうと同じで、何かが足りないような、そんなぽっかりとした空虚な感覚を味わうのだ。
最初はマスター(ここで言うのはムカつくあの女の方だ)の酒をそれだけ気に入ったのかと思ったが、あの店で飲んだところでその感覚は変わらなかった。

それこそ、最後に健人とあの店で飲んだ時の酒が一番美味かったぐらいで……いや、待て待て。

それじゃまるで、あいつと飲む酒を一番気に入っているみたいじゃねぇか。

「あほらし……酒、どんだけ回ったらそんな風に思えるんだよ……」

どうやら酒が回っているだけでなく、疲れているらしい。
これ以上飲む気が起きなくなったので、定まっていなかった行き先を自宅へと変更する。

歩いていると酔いは多少マシになったが、代わりに頭痛がやってくる。
それを堪えながら路地を歩いて、そろそろ家が見えてくる場所まで来た時だった。
ふと、『それ』に目を奪われた。

電柱の下で、腕時計を見ながら何かを待つようにしてその女は佇んでいた。
すぐにそいつの前を通り過ぎなかったのは、女が余りに美女だったから。
路上ですれ違った女で気に入った奴をナンパしたことはあるのだが、女はその中でも、いや、今までの俺の人生で見た女の中でも一番の美貌ではないだろうか。
そう思える程に、その女は美しい、という表現が当てはまった。

体調が万全だったら、誘っていたんだがな……

それだけに、飲み過ぎたことが非常に悔やまれた。こんな体調では、流石にこれから一杯というわけにはいかないし、気の利いた口説き文句も思いつきやしない。

諦めて視線を外そうとすると、女が顔を上げた。
目が合うと、何故か女は、俺の顔を見ながら笑う。

「こんばんは。待ってたわ、あなたのこと」

……は?こんな会ったら二度と忘れなさそうな美人、俺の記憶にねぇぞ?

「……あの、俺達どこかで会ったことありましたか?すいません、よく思い出せないんですが……」

失礼の無いようになるべく丁寧に聞いてみるが、女は首を横に振る。

「そういうわけじゃないの。ただ、あなたみたいな男の人を探してたから」
「はぁ……?」
「ねぇ、あたしと今晩一緒に過ごさない?お金なんかは取らないわよ」

なんだ、ただの逆ナンか。実際にされるのは初めてだ。

ふーん……見た目に反してかなり軽いんだな、この女。
悪くない申し出だが俺としては、女はもうちょっと慎みがある方が好みだ。
いくらなんでも会ってすぐにヤるような趣味はねぇし、ここは断って……

「えぇ、いいですよ。ちょうど、俺の家ってここから近いんです。案内しますよ」

……!?
何だ!?何で、笑顔で頷いてんだ俺!?
目の前の女から……目を、離せない……!!

「へぇ、家近いんだ。それはまた『偶然』ねぇ。それじゃあ、ご厚意に甘えちゃおうかしら」

女はもうすっかりその気になっているらしい。
まずい、このままだと押し切られる……!!いや、今ならまだ……!!

口を開こうとしたその時、女の目が輝く。黒かったその眼の色は、いつの間にか妖しい赤色に変わっていた。

「怖がらなくていいのよ。あたしに全て委ねて……あなたはただ、あたしに溺れていればいいの……」

……まぁ、いいか。こんな美人抱けるんだし、見逃すには余りに惜しいチャンスじゃないか。断ろうだなんて、何を考えていたんだ俺は。

「……はい」
「ふふ、素直な男は好きよ。それじゃあ、あなたの家に行きましょうか」

この時の俺は、まさに虜というやつだったのだろう。彼女を抱くことしか考えられなくなり、彼女の言う通りのままに従って全て行動して、気づいた頃にはもう家の玄関を開けていた。


……もしもこの時、しっかりとした意志を持ってその誘いを断っていたとしたら。
あんな目に遭うことは、絶対になかったのだろう。





「はぁ……はぁ……!!」

何だよ……何でこんなことになってんだよ……!!
俺が今まで、何人の女を抱いてきたと思ってんだ!?そいつらは、みんな俺のテクで骨抜きにされてたんだぞ!!俺にベッドの上で勝てる女なんか、いるわけがない!!

なのに……なのに!!

「ふふ……♥また、いっぱい出た……♥」

俺の愚息は女の膣内で、これで何度目になるかもわからない、精をぶちまける。

身体の上にまたがって腰を振る女に、俺は為す術がなく搾り取られていた。

「あなたって、経験が一度や二度じゃないみたいねぇ。随分、自分に自信があったみたいだけど……あたしには、そんなの通じないわよ」

俺の耳元に顔を近づけて、そっと女は囁く。その言葉は俺の全てを見透かすように鋭く、俺は会って間もない女に背筋が寒くなるのを感じた。

「何なんだよ……お前、一体何なんだよ!!」

思わず素の自分の言葉が口をついて飛び出すが、女はむしろそれを待っていたかのようにニヤリと笑った。

「あたし?そうねぇ……簡単に言うなら、こういう事かしら」

そして、俺が目にした『それ』は、今度こそ俺の常識の外にあるものだった。

バサリ、と。女の背中から、コウモリの翼のような物が生えた。
それだけでも充分ありえないのだが、変化はそれだけでは終わらない。
頭からは山羊のようにねじれた角が、尻の辺りからは先端がハートの形をした紐のような…尻尾、か?が姿を現す。

「な……」
「淫魔……サキュバスと言った方が分かりやすいかしら?あたしは人間を外れた、魔物なの。あなたが知らないだけで、この世の中にはそういったものが沢山いるのよ?」

女の言葉は、既に俺の理解の範疇を越えていた。
サキュバス……だと?何を、言ってんだ……?

「まぁ、そんなことどうでもいいでしょ?さ、続きをしましょうか。心配しなくても、あなたを殺したりはしないわよ。だってそんなことしたら、あなたを味わい尽くせないじゃない……♥」

そして、女は再び腰を動かし始める。
女にいいようにされる屈辱と、それ以上に与えられる快楽が、俺に思考するだけの力を奪わせる。
女が悪魔のような見た目をしていることは、腰を打ち付ける内にどうでもよくなっていった。

「ぐっ……うぁっ……!!」
「あ……来た……♥」

そして、再び吐き出すのも、そう時間はかからなかった。

「はぁ……はぁ……」

反動で脱力感に襲われ、恍惚の表情を浮かべる女をぼんやりと見上げる。

「はぁ……っ!?」

身体に異変が起きたのは、その時だった。
今の今までやっていた運動とは全く関係無しに、全身に燃えるような熱が回り始めた。

「あっ……ぐぁ……!?」

その熱は、まるで俺という存在を溶かしていくかのようだった。
女の膣内に包まれる感覚は段々と失せていき、腕に生えた薄い毛がはらりはらりと抜け落ちていく。

何だ、これ……!?何が、起きてるんだよ……!?

身体に力は入らず、俺は目の前で自分の身体に起きる異変を眺めることしかできなかった。
最も、動かせたところで出来たことなどなかったのだろうが。

「え……!?これは、まさか……アルプ化!?そんな、どうして……!?」

女は初めて、俺を驚きの表情で見下ろしていた。だが、女の言っていることは相変わらず俺には理解することはできなかった。その間にも、全身に回る熱は収まらない。
毛が完全に抜け落ちた腕が、今度はすらっと細くなっていくように見えた。
手も腕の変化に合わせて、細く、柔らかみを持った形へと変わっていく。

「……そっか、そういうことね。あなたみたいな人、結構タイプだったんだけどね。惚れた人がいるんだったら、しょうがないわよねー……」

女は一人で勝手に何かを納得すると、ベッドから降りる。

「おい、待て……!!これは、お前の仕業、なのか……!?」
「わざわざあたしが説明してやるほどのことじゃないわ。強いて言うことがあるとするなら、そうねぇ……自分の気持ちに正直になりなさい。後は、あなたの体が全部教えてくれるから」
「何、言って……」
「じゃあね、さようなら。あたしの分までちゃんと、好きな人と幸せになりなさいよ」

最後にそう言いながら女は微笑んで、俺の部屋の窓から飛び降りた。

「お、おい……!!」

すっかり綺麗になった手を伸ばし、それを呼び止める自分の声は、裏返ったわけでもないのにやたらと高かった。

何を言っていた、あの女……?
俺の気持ち?好きな人?ちっとも、意味がわかんねぇぞ……

熱が、少しずつ俺の意識を奪っていく。目の前が、ぼやけて見えなくなっていく。

そして、自分の身体がどうなってしまったのか、知る由も無いまま……俺の意識は、そこでぶっつりと途切れた。


12/07/26 09:01更新 / たんがん
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■作者メッセージ

どうも、アルプ大好きたんがんです。
アルプという魔物が投稿されてからかなりの時間が経ち、様々な作家様がアルプのSSを投稿されましたが、面白いことに作家によって個性が全く異なっているんですよね、アルプって。
そして、特徴は違ってもみんな可愛いアルプをたくさん見ている内に、また自分で書きたくなってしまいました。

前編は設定回になってしまいましたが、後編はいちゃエロの予定です。

それでは、ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

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