読切小説
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図鑑世界童話全集「美女と仔竜」
 昔々あるところに、お金持ちの商人がいて、彼には3人の息子がおりました。長男は音楽とダンスが得意で、次男はすこぶる剣の腕が立つので社交界でも若いご婦人方の人気者でしたが、末の息子は家の中で本を読むのが好きな若者で、兄達のような人付き合いも殆どありませんでした。
 ある時、この商人が持っていた船団がまとめて大きな嵐に遭い、まったく行方が分からなくなりました。商人は財産をほとんど失って立派なお屋敷も手放すことになりました。上の兄達は沈みゆく船からネズミが逃げるようにさっさとお金持ちのご婦人との縁談をまとめて相手の家に転がり込んでしまいます。末の息子にも彼の勤勉さを聞きつけたある学者が自分の養子に迎えたいという話を持ち掛けてきましたが、今は一番大変な思いをしている父を支える事の方が大事だと言って丁重にお断りし、父親と2人で田舎の小さな家に引っ越しました。

 慣れない農具を手に持ち、決して広いとは言えない畑を耕したりしながら1年の間慎ましく暮らしていた父と息子でしたが、そんな父親の元に行方不明になっていた船の1隻が港にたどり着いたという報せが届きました。父親はこれで多少なりとも商売を再開できると喜びます。
「せがれよ。これから港に行ってくるが、何か欲しいお土産はないか。おまえにはここ1年の間ずっと苦労をかけたからな。どんなに高価な物でも遠慮なく言ってくれ」
 商人はそう言いましたが、息子はたくさんあった船のうちのたった1隻が見つかったところでそこまでの品物は手に入らないかもしれないと考えました。
「それじゃあ、きれいな花を1輪持って帰ってきてもらえませんか。押し花にして本のしおりにしたいのです」

 馬に乗って意気揚々と港へ向かった商人でしたが、港から出てくるときにはその表情は暗いものになっていました。戻ってきた船の船員達から聞いた話によると、彼らが乗った船団が大きな嵐に遭い、海の中に住むマーメイド等の魔物娘達が助けてくれたそうですが、余りに激しい嵐に彼女達も人間を助けるのが手いっぱいで、積み荷や船は殆どが流されたり壊れて使い物にならなくなってしまったとの事です。商人は魔物娘達に礼を言い、なけなしのお金から船員達の賃金を払いましたが、回収できた積み荷を全部売ってしまったとしても差し引きゼロかむしろ赤字なくらいでした。

 商人はこれからどうすべきか悩みながら暗い森の中を進んでいましたが、突然激しい吹雪が彼を襲いました。どっちに進めば家に帰れるのか、あるいは一旦港に引き返せるのか全く分からなくなり、戸惑っている間にも冷たい風が容赦なく馬と商人から体温を奪っていきます。このまま行き倒れになるかと思ったその時、遠くに明かりのようなものが見えました。
 慌てて馬を走らせると、そこには商人が予想していたよりも何倍も大きな城壁がありました。馬を城門の前に止まらせると、門が物々しい音を立てながら開いていきます。その向こうには真っ黒なドレスに身を包んだ貴婦人が立っており、同じく真っ黒なヴェールで顔をすっぽりと覆い隠していました。
「貴方の事情は既に承知しております。吹雪が止むまでお泊めいたしましょう。どうぞお入りください」
 貴婦人はそれだけ言うと、商人をお屋敷の入口へ案内し、馬の手綱を受け取ります。
「おいで。おいしい干し草を食べさせてあげる」
 彼女がそう言って馬を厩舎へ連れて行くのを見届けた商人はお屋敷の中へ入っていくと、食堂の暖炉で体を乾かし、テーブルに用意してあった豪華な食事を口にしました。彼は屋敷に入ってから、その持ち主であろうさっきの貴婦人はおろか、他の住人や使用人も誰1人見かけない事を不思議に思いましたが、身も心も疲れ切っていたので2階にある客室を探し出すと服を脱ぎ捨ててふかふかのベッドに身を投げ出し、ぐっすりと眠ってしまいました。

 翌朝、商人が目を覚ますとベッドのそばに昨日脱ぎ捨てた物より立派な服が置かれており、それを着て食堂に向かうと昨日と同じようにおいしそうな朝食が用意してありました。
「船の積み荷を当てにできなくなった時にはこれからどうしようかと思っていたが、考えてみれば小さいなりに家と畑はまだ残っているのだし助けてくれる息子もいる。悲観するのはまだ早いかもしれないぞ」
 ゆっくりと眠り、お腹を満たした商人は気持ちまで軽くなってきます。彼が屋敷から出てみると、昨日は吹雪で全く見えませんでしたが外には透き通った綺麗な川が流れ、真っ赤な薔薇が美しく咲き誇る見事な庭園がありました。商人はその光景に圧倒されます。
「なんてすばらしい。息子達にもこの景色を見せてやりたいな」
 そう呟いた彼はふと、末の息子から花を頼まれていたことを思い出し、そこにある薔薇を1輪折り取りました。

 その時です。どこからか大気を揺るがすようなうなり声が聞こえてきたかと思うと、緑色のドラゴンが大地を震わせるような足音を立てて走ってきました。人間の女性と変わらない大きさになった現代の姿ではなく、人間をぺろりと飲み込みそうなほどの大きさを誇る先代の魔王様の時代の姿です。ドラゴンは人間の言葉で商人に怒鳴りました。
「恩知らずめ!」
 その声は昨日彼を城門の中に迎え入れてくれた貴婦人と全く同じ声でした
「私は永い間この土地を守ってきた者だ。お前のような欲深い人間からな。本当なら人間に見つからないように結界を張ってこの土地を隠すのが私の役目だったが、吹雪の中で凍えそうになるおまえを不憫に思い、結界を弱めてお前が入れるようにしてやっていたのだ。それなのに、この地が育んだ大事な子供である薔薇をお前は奪っていこうというのか!」
「申し訳ありません。そのような事だとは全く存じておりませんでした」
 商人は震えながら言いました。
「ここの景色があまりにも美しかったもので、一部でもいいからせがれにも見せてやりたくなったのです。それに、せがれから花を1輪お土産に持って帰るよう頼まれていたのを思い出しまして」
 それを聞いたドラゴンはこう答えました。
「そうか。だったら罰としておまえかその息子かのどちらかが、ここに住んで薔薇を世話するんだな。私が許すまでずっとだ。どちらがここに残るか息子と話し合う時間も要るだろう。お前の馬に跨ればお前の家に、その次に跨れば再びここへと走ってくるようにと馬に教えておいた。1週間以内に戻って来い。そうしないとお前がどこにいようと浚いに行くからな」
 がくがくと震えながら厩舎へと歩いていこうとする商人に、ドラゴンは付け加えました。
「それからもう1つ。屋敷の廊下に木箱を置いといてやる。屋敷の中にある物ならなんでもその木箱に入れて土産として持って帰ることを許可しよう。ただし、箱に入る物だけだぞ」
 屋敷の中に戻ってみると、金銀や宝石で出来た美術品が所狭しと飾ってある部屋の前に、小さな木箱が1つ置いてありました。物にもよりますが、部屋の中にある美術品なら多くても2、3個でいっぱいになりそうです。
「これは俺にとって、商人としての腕を見せる最後の機会になるかもしれん」
 そう呟くと、商人は美術品を次々に吟味し、どれが持ち帰った時に最も高く売れるのかを考えました。ドラゴンからは自分と息子のどちらがここに住むか話し合って決めるようにと言われていましたが、彼の心の中ではもう答えは決まっています。年老いた自分が助かるために息子を犠牲にするわけにはいかないと。だからこそ末の息子のために、せめてこれからの資金としてできるだけ多くのお金を残してやろうと考えたのです。
 こうして金の杯と色とりどりの宝石を使った首飾りを箱に入れた商人は、馬に跨って家路へと付きました。




 家に付いた頃には、辺りはすっかり暗くなっています。商人は、早速末の息子に今までの顛末を話しました。
「俺が次に戻ってこれるのがいつになるかは解らない。この箱に入っている美術品をお金にして、前にお前を養子にすると言ってくださった学者の先生の所に行きなさい」
 すると、息子は即座にこう答えました。
「父さん。僕が代わりにドラゴンの所に行きます」
「それはだめだ。薔薇の花を勝手に摘み取ったのは俺だ。そのためにお前を身代わりにするわけにはいかない」
「父さんが薔薇を摘んだのは、僕が花をお土産に頼んだからでしょう。お母さんに続いてお父さんまでも、僕の為に犠牲にするわけにはいきません」
 息子の言葉に、父親は大きく目を見開きました。
「お前……それはどういう意味だ」
「父さんはずっと隠そうとしていたようですけど、僕だってもう子供じゃないんですからお母さんが亡くなった時期を考えれば解ります。お母さんは、僕を産んだために亡くなった事に」
「違う。あの年の冬はいつもより寒かったせいで母さんは身体を壊したんだ。お前のせいじゃない」
「僕の誕生日は秋の終わりごろだ。お母さんがそうなったのは、僕を産んで身体が弱っていたせいでもあるんじゃないですか」
「そんな事言うな!」
 父親は声を張り上げました。
「怒鳴ってすまん。でも、母さんだって自分がお前を産んだせいで死んだとか、お前を産んだのは間違いだったとか決して思っていなかったはずだ。お前がその事で気に病む姿を見せる方が、お母さんもあの世で悲しむんじゃないか」
 それだけ言うと、父親は寝室に下がりました。そして父親が朝早くに起きだして出発しようと家の外に出てみると、馬も息子もどこにも姿が見えなくなっていました。



 青年を乗せた馬が再びドラゴンの城へ戻ってきて、薔薇の咲き誇る庭園へと入っていくと、父親が見たのと同じように巨大な姿をしたドラゴンが走ってきました。
「1週間の猶予を与えた割には早くやってきたが、お前は自分の意思で来たのか?」
「はい」
 青年が答えると、ドラゴンは言いました。
「それはありがとう。今日はゆっくりと休むといい。屋敷の中はいくらでも好きなところに歩き回ってもらって結構だし、中の物もいくらでも触って構わないからな」
 ドラゴンが薔薇の茂みの向こうへと歩いていくのを見届けた青年は、厩舎を見つけて馬をそこに入れると、早速屋敷の中に入っていこうとしました。すると、不思議な事に屋敷の入り口にある表札には青年の名前が書かれていました。
 青年が屋敷の中を見て回ると書斎には青年がそれまで読んだことも無いような面白い本が数えきれないほどに収められており、大広間では誰の姿も見えないのに食事の時間になるといつの間にか豪華な料理が用意してありました。
 そして夜になって青年がディナーを食べようとしたとき、真っ黒な衣装に身を包み、真っ黒なヴェールで顔を隠した貴婦人が大広間に入ってきました。父親から話を聞いていた青年は、この貴婦人が朝に見かけたドラゴンだとすぐに察しました。
「私もご一緒させてもらってもよろしいかな?」
 青年は答えます。
「わざわざお尋ねにならなくても、貴女がこの屋敷の主人でしょう?」
「いいえ。それは違う。今日からはお前がこの屋敷の主だ。外にある薔薇の庭園こそが、私の住まうべき場所なのだ」
 青年は困ったような顔をしました。
「なぜそこまでしてくださるのです? わざわざ大きな価値のある方を僕に譲ってくださるなんて」
 すると、貴婦人はヴェールの向こうからフン、と鼻を鳴らすような音をさせました。
「金や宝石が花より価値があるというのは、元はと言えば人間が勝手に決めた事だ。私はドラゴンの中でも古い考えをしていてね。私に言わせれば、土から離れても輝きを失わない金や宝石より、土から離されたら死んでしまう花の方が大事に守るべき宝なのだよ」
 そして青年が食事を終えた後、貴婦人は彼におやすみを言うと、静かに大広間から立ち去っていきました。

 それから数ヶ月の間、青年は書斎にある本で薔薇の栽培や管理について学び、その知識を使って庭園を丁寧に管理しました。ドラゴンは日が出ているときには青年の前に全く姿を見せず、ディナーの時にだけ大広間に姿を現していました。
 そんなある日、貴婦人はディナーの席で青年に話を切り出しました。
「今日はお前に見てもらいたいものがある」
 そう言うと、貴婦人はずっと顔を覆い隠していたヴェールを脱ぎ去ります。その下から出てきた顔を見た青年は思わず息をのみました。首から下は人間の女性の姿でしたが、首から上には庭園の中で見たのと同じようなトカゲを巨大にしたような頭が載っていたからです。
「魔王が代替わりしてから魔物達は以前より人間の女性に近い姿になったし、私も例外ではなかった。しかし、それより前からずっと結界の中に閉じこもっていたせいか、新しい魔王の魔力がうまく私の身体に馴染まなかったようでな。こんな中途半端な姿になってしまったんだ。これではお前達人間の男を誘惑するどころか、下手したら以前の姿よりもお前達を怖がらせることになるだろうというのは解っていた」
 そして、ドラゴンは蜥蜴が獲物を捕らえる時のような目で青年をじっと見据えて続けます。
「しかし、それでも私の言葉を汲んでずっと熱心に薔薇を世話してくれたお前に頼みたい。どうか私の伴侶になってくれないか」
「それは……できません」
 青年は予想もしなかった姿に震えながらも、どうにか言葉を絞り出しました。
「そうか」
 ドラゴンはそれだけ言うと、屋敷じゅうが揺れるかと思うほどのため息を吐き出し、大広間から歩き去っていきました。




 青年がドラゴンに求婚されてから、さらに数日が経ちました。あの時は恐ろしさのあまり即答で断ってしまった青年も、さすがにかわいそうな事をしてしまったのではないかと思うようになり、せめてあのドラゴンについて少しでも知る手がかりはないかと、屋敷の中で今まで足を踏み入れていなかった部屋を探索していました。
 すると、彼は屋敷の隅の方にある小さな部屋に、2枚の絵画がかけられているのを見つけました。1枚には先代の魔王様の時代の姿をしたドラゴンに2頭の仔竜が寄り添っている姿が、もう1枚には人間の美しい女性が描かれています。その時、突然青年の背後から声が聞こえてきました。
「お前はこの2枚の絵を見て、どう思う?」
 振り向くと、そこには以前のようにヴェールで顔を隠した貴婦人の姿をしたドラゴンがいました。彼は再び絵画の方を振り向いて言います。
「この絵は……どちらも貴女に似ていると思います」
「……ほう。どこを見てそう思う?」
「ドラゴンの方は簡単だ。この緑色の鱗は貴女のそれと色合いがそっくりです。そしてもう1つの美女の方。真っ白な肌と青空のような透き通った瞳がこの前ヴェールを取った時の貴女の姿に似ている」
「なるほど。怖がってはいても目をそらしていたわけではないのだな」
 そう言うと、ドラゴンは青年の前に足を進め、ドラゴンの絵を見上げました。
「この絵と同じように、私は双子だった。だが、私の翼は妹のそれと比べるととても小さくてね、妹や母のようにうまく空を飛ぶ事ができなかった」
 青年は庭園でドラゴンの姿を初めて見た時、彼女が空を飛ぶのではなく地面を走ってきたのを思い出しました。
「今でこそドラゴンはつがいの相手や我が子を宝と同じように考えるが、当時のドラゴンの考え方は獣に近かった。複数の子供のうち生き残るのが難しそうな子がいれば見捨ててでも残った子を守るのが定めだった」
「それって……」
 ドラゴンは首を縦に振ります。
「私の母は妹だけを世話し、私を野に置き去りにした。父に至っては物心ついてから1度も姿を目にしたことはない。そうして野垂れ死にしそうになった時、私はこの土地にたどり着き、この地に住まう精霊達に助けられた。この地の澄んだ水を飲み、その水が育んだ草木や、その草木が育んだ動物達を食べて生きながらえる事ができたのだ。だから私は誓った。この楽園そのものを宝として守り抜くとな」
 ――私に言わせれば、土から離れても輝きを失わない金や宝石より、土から離されたら死んでしまう花の方が大事に守るべき宝なのだよ。
 青年の脳裏にドラゴンから言われた言葉が蘇りました。あれはもしかすると、薔薇をかつての自分と重ねた言葉だったのではないかと。
「そして、魔王が代替わりし、すべての魔物が淫魔となった。それから私がどうなったかは、この前お前に見せた通りだ。私は人間の男を襲ったりする代わりに、人間に近い姿になった体で絵筆を取り、ここにある2枚の絵を描いたんだ」
 彼は2つの絵画を再び見比べ、ようやくそこに込められた意味を悟りました。1枚は竜として、もう1枚は淫魔としてもし完全な能力を持っていたら得られたかもしれないと、彼女が思い描く姿なのだろうと。
「お前やお前の父から話を聞いた時、正直私はお前達をうらやましいと思ったよ。私は並みのドラゴンと比べればともかく、お前達と比べればとても強い力を確かに持っている。だが、それでもお前達は互いに私がずっと欲しくても得られなかったものをしっかりと持っているのだからな」
 それを聞いた青年の脳裏に、けんか別れするような形で家を飛び出した時の事が浮かびました。
「ドラゴンさん、1つお願いを聞いてもらってもいいですか」
「どうした」
「僕はここに来る時に父に今思えば酷い言葉をかけ、そのまま別れも告げずにここにやってきました。1度家に戻って、父にその事を謝らせてもらえないでしょうか」
「お前は私が許すまで、ここで薔薇の世話を続ける約束だったな」
 棘のある言い方に、彼はごくりと唾をのみました。すると、ドラゴンはもう少し柔らかい口調で続けました。
「今日までお前はきちんと約束を守り、熱心に薔薇を世話してくれた。今日限りでお前の父がやらかした事を許してやろう」
「本当ですか?」
「ああ。ここに来た馬に連れて帰ってもらうといい」
 それから、ドラゴンは小さな金色の指輪を青年に手渡しました。
「この指輪には転移魔法がかけられている。もしこの屋敷に再び来たくなったらこの指輪をはめなさい」




 青年が家に戻ってみると、彼の父親は病に伏せっていました。父親は自分の身代わりとして強引に出て行った息子を心配するあまり、ドラゴンの城が結界で隠されていて普通の人間には見えなくなっている事を知りながら雪の降る森の中を来る日も来る日も探し回り、とうとう身体を壊してしまったのです。
 青年は父親の元に駆け寄りました。
「お父さん。しっかりしてください」
「ああ、ずっと探していたせがれの幻が見える。とうとう俺も母さんの元に行く時が来たか」
「幻ではありません。僕はあのドラゴンに許しを貰って、こうして帰ってきたのです」
 それから青年は懸命に父親を世話し、その甲斐もあって父親の病状はどんどん良くなっていきました。同じように父親を心配した兄達も帰ってきて、4人は再会を喜びます。しかし、1番上のお兄さんは弟と父からこれまでの顛末を聞くと、末の弟に気づかれないようにこっそりと馬を反魔物領まで走らせました。
 実は、青年の2人のお兄さん達は、それぞれ結婚した奥さん達の影響で主神教団の熱心な信者になっていたのです。
 上のお兄さんは自分が聞いた話を教団の神父にそのまま話し、それを聞いた神父が教団の偉い人と掛け合ってさっそくドラゴンを討伐する兵隊が送られる事になりました。
 下のお兄さんは弟がそれに巻き込まれないようにするためにこう言い含めます。
「今は父さんも身体の調子が良くなっているようだが、お前がいなくなったらまた無茶をしないか心配だ。しばらく家にいて父さんの面倒を見てやってくれないか」
 弟は兄に言われた通り父親の世話を続けていましたが、青年がドラゴンの城を去ってから10日目の夜、彼はドラゴンが薔薇の咲く庭園に横たわって悲しそうなうなり声を上げている夢を見ました。翌朝目を覚ました青年はドラゴンの事が心配になり、父親に再び彼女の元へ戻りたいと頼みました。
「お前は自分の意思でまたあの城に行くんだな?」
「はい」
 青年が答えると、父親は言いました。
「そこまではっきり言うのを聞いて安心したよ。お前の行きたい場所に行きなさい。それに俺の事も心配しなくていい。もうお前を探して無茶をするような事はしないし、ドラゴンに貰ったお宝を売ってその金でまた商人として再出発することにするよ。あの時は恐ろしい姿に怯えていたが、今思えばあのドラゴンも雪の中で凍え死にそうになる俺を気遣い、俺が薔薇を盗んだ後も俺かお前か残された方の事を考えて美術品まで譲ってくれるほどの心優しい女性だった。俺からも息子をよろしくお願いしますと彼女に伝えておいてくれ」
 彼は父親に礼を言うと、さっそくポケットから指輪を取り出し、左手の薬指に嵌めました。すると瞬く間に眩い光が辺りを包み込み、気が付くと青年は屋敷の大広間に立っていました。

 青年は大声でドラゴンを呼びながら探し回ります。すると、ドラゴンは貴婦人の姿で庭園の中に座っていました。ヴェールはすっかり脱ぎ去られています。
「君か」
 青年の足音を聞きつけたドラゴンは言いました。
「我ながら随分と馬鹿な事をしでかしてしまった。寂しさのあまりお前が見つけてくれるのではないかと思い、ここを隠す結界を弱めてしまったんだ。どうやらそのせいでもっとよろしくない連中に見つかってしまったようだ」
 その時、庭園を囲む城壁の向こうから、何かが激しくぶつかる音が聞こえてきました。教団の派遣した兵士達が周囲を取り囲んで攻撃してきているのです。
「私の力なら外にいる連中を蹴散らすのは難しくないだろうが、いつまでもこの場所を守りながらというのはさすがに無理だ。私は精霊達と話し合った。私についてきてくれる事になった精霊と一緒に、集められるだけの薔薇の苗を持ってここを発つことにしたよ。残念ながらお前とはここでお別れだ」
「いいえ。僕も貴女と一緒に連れて行ってください」
 ドラゴンは驚きに満ちた言葉で言いました。
「お前、自分が何を言っているのか解っているのか。私に付いてきた所で、今までのように面白い本を読むことも、贅沢な料理を食べる事もできなくなるんだぞ。それどころか、再びお前の父に会いに行けるという保証もない」
「解っています。それでも僕は、貴女に付いていきたいのです」
「やめろ。私に虚しい希望を持たせないでくれ。私は強い竜にも美しい淫魔にもなりきれない、中途半端な醜いトカゲだぞ」
「そんな事言うな!」
 青年はそう叫ぶと、首から下は貴婦人の姿をしたドラゴンを抱きしめました。彼の目から涙が溢れてきます。
「お願いします。そんな事言わないでください。貴女の事を悪く言われるのはつらい。たとえそれが貴女自身の言葉でも」
 ドラゴンの目にも、太陽の光を受けて涙がきらりと光りました。

 同じ頃、教団の兵士達はとうとう頑丈な城壁を突き破り、その内側へとなだれ込んできました。その時、庭園の真ん中で色とりどりの激しい光がほとばしり、兵士達が驚いて見上げる中、その光はフラフラと揺れながら空へと舞い上がっていきます。それは、先代の魔王様の時代の姿になったドラゴンが精霊達の助けを借り、薔薇の苗が入った大きな籠と夫を抱えて飛び立つ姿でした。それから兵士達は庭園を踏み荒らし、城に火をかけました。青年が読んでいた書物もドラゴンが描いた美女と仔竜の2枚の絵画も灰に変わっていきます。その時、さっきまで澄んでいた川の水が突然どろりと濁りだし、風が勢いよく辺りに吹き付け、城に燃え盛る炎が一層激しくなりました。この土地に残る事を選んだ精霊達が長年にわたって染みついたドラゴンの魔力の影響で次々に魔物娘として姿を現し始めたのです。慌てふためく兵士達にイグニスやシルフが次々と飛び掛かり、逃げようとした者は庭園の土から伸びてきたノームやドロームの手に足を掴まれ、川からも次々とウンディーネが出てきました。
 ドラゴンの結界が消えた事で魔力の汚染は瞬く間に周囲の反魔物領にも広がり、青年のお兄さん達も魔物娘に変わってしまった奥さんに襲われました。そして、彼らの父親が商人の仕事を再開してようやく軌道に乗り始めた頃、この商人の元に1人のスケルトンが帰ってきたそうです。




・編者あとがき
 ドラゴニアは人々に伝説や童話を語る吟遊詩人の活動が特に盛んな国の1つであり、この話のように竜の魔物にまつわる民話が数多く語られています。

 先代の魔王様の時代から生きてきたドラゴンの中には、人間の男性を同種のオスとして交わろうとする新しい魔物の在り方に適応できず、肉体が寿命を迎えて独身のままドラゴンゾンビへと変わってしまう者も少なくありません。
 このお話に出てくるドラゴンの変わった設定は、そんなドラゴン達の心境を反映した物だと言われています。
 また、このお話に出てくるドラゴンは絵画などでは翼が極端に小さい、ドラゴンというよりワームに近い姿で描かれているものも多く存在します。これは竜の魔物の中でも雨を操る力を持ち、ドラゴニアでも荒野になった土地に水の恵みをもたらした龍という種族のイメージも含まれているという説が有力視されています。
 この種族は、翼を持たないにも関わらずドラゴンやワイバーンと同じように自由に空を飛ぶ力を持っているのです。
17/12/14 23:07更新 / bean

■作者メッセージ
 今回はタイトルから解る通りフランスの「美女と野獣」をメインにして、デンマーク等の民話である「リンドヴルム王子」もイメージしてみました。
 ドラゴンの過去や翼が小さくてうまく飛べなかったという設定はリンドヴルムを元にしています。

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