連載小説
[TOP][目次]
貴方が存在しない世界
グライフの消失は、フォーリー以外誰も知ることのない事件。
だから世間はいつも通り回り続け、グライフの事も一人の旅人が来て去ったものだと扱われ、忘れ去られる。
春が来て、夏を迎え、秋を経てそして冬に至る。そしてそれが過ぎれば、再び春がやってくる。
窓を通してみるブレダ・ヒルズの人々は、皆思い思いの生き方を楽しんでいた。

フォーリーは、以前のように遊びのための外出をいうものをしなくなった。
手元には、グライフに貸していた部屋に残されていた研究ノートといくつかの器具。
そして別の国から取り寄せた、並行世界に関する理論をまとめた論文書籍。
もともとフォーリーは、頭を使う事は苦手であった。だが、それでも机に向かって学び続けた。

グライフの研究ノートの一ページ目、基本項目を記した部分でさえ、理解するのに半年かけた。
それは専門用語の羅列であり、文献で意味を調べるとそこにも知らない単語が並ぶ。
まるで巨大なパズルの塊を解くように、少しずつ紐解いてゆく。グライフは天才だったのだと、改めて思い知らされる。

気付けば、机に突っ伏して寝ていた日もあった。
もしグライフがいたなら、彼は私をベッドに運んでくれただろうか?
そんな妄想を、数えきれないほど繰り返す。
時にはそのまま夢にも見てしまい、目が覚めてから起きてしまった事を後悔した。



単調な生活を繰り返し、3年、4年と時が過ぎる。
その中で、わずかばかりに学習が進む。少しずつ知識が追いつき始める。
時には遠くの学のある魔物の元に赴き、理解の及ばない部分に助力を求めた。
その時、何故あなたはこの勉強に必死になっているのと聞かれたが、答えるわけにはいかなかった。


気付けば20年、30年という歳月になっていた。
どうやら、変わり者のサキュバスがいるという話がブレダ・ヒルズに広まっているらしい。
遊びもせず、花嫁修業もせず、何かの勉強に没頭している。なるほど、確かに変わり者だろう。いや、はみ出し者と言うべきか。
でも、そんな噂なんてどうでもよかった。
次第にボロボロになってきたグライフの研究ノート。理解できた範囲は、およそ3割程度に広がった。


グライフが現れ、そしていなくなってから72年後。
ブレダ・ヒルズの中央に、赤い時計塔が建設されたという事を新聞で知った。
そうだ、グライフと最初に会ってブレダ・ヒルズの話をした時。
彼は、そこに赤い時計塔のある街かと尋ねてきたはずだ。
なるほど、これがその時計塔。彼の時代にあって、私の時代にはなかったもの。
彼の時代が近づいている。


106年後。
魔物国家バリステイルに、大きなニュースが轟いた。
長年にわたって鎖国を続けていた反魔物人間国家・堅牢街が、一人のリリムの交渉に応じて親魔条約を締結したのだ。
大量の自爆設備を持っているが故に強硬な侵攻ができなかった堅牢街が、交渉のみで開かれた。
驚きと喜びに多くの魔物は騒いでいたが、フォーリーにとってはとうの昔に知っていた話。
重要なのはここからだ。その不要になった自爆設備を目当てに、一人の人間が現れるはずだ。



ふと、不安に思う事がある。
記憶の中にあるグライフが、本当にあの時のままの姿を保っているのだろうかという事だ。
もしかして気づかぬうちに、美化や風化が起こってしまっているかもしれない。
一緒に過ごした時間に対して、待ち続けている時間はあまりに長い。
それでも、あの数日間の思い出は何にも代え難く大切だった。

既にグライフのノートは補修を繰り返してツギハギだらけ。
それでも、この内容だけが今確認できるグライフの残像。

そう思い、再びページをめくり続けた。




そして110年後。

長すぎる空白の時間の末に、ついに彼は現れた。



『異邦の人間が機械の車と共に現る。堅牢街から不要な爆薬を購入、何かの実験用か?』

新聞に、そんな見出しが載ったのだ。
主文には、その男が金属でできた魔導複合車両に乗っている事、学術が盛んな北の人間国家から来たのではないかという考察、堅牢街の統領とはそれが人を傷つける目的ではない事を証明の上で商談を結んだ事、そして記者が何度も追いかけてインタビューを試みたところ、最後には何かの道具から発射された音波のようなもので前後不覚にさせられてしまった事などが書いてあった。

フォーリーがすぐに外に出てその男を探そうとすると、広場の掲示板に人だかりを発見。
なんでも、数時間前に人間の男がここに来て一つの広告を残したようだ。
群がっている他の魔物をかき分けて、貼り付けられた真新しい紙片を見つける。


『研究助手一名募集  日当報酬:金貨2枚・銀貨50枚 能力により金貨5枚まで検討
 ブレダ・ヒルズ西1000m地点に常駐している車両まで(上記の印入りの旗を目印に掲げる)

 募集・相談は来月より始めるが、並行次元転移に関する知識を持つ者は今月中でも可』


なるほど、募集はするが条件で優遇する、という内容だった。
周囲の魔物は、最後の一文に戸惑っているらしい。
それもそのはず、そんな知識を持つ者なんてそうそういない。
それに広告を張りに来た男に質問した魔物の話では、一切融通が利かないらしい。
だから皆、来月、つまり三日後になったらすぐ応募するつもりだということだ。

だがフォーリーは、百年以上前のグライフの言葉を今でもよく覚えている。
助手は、募集したらすぐに応募してきたと。

フォーリーは人化の術の応用で姿形を変化させると、指定の地点へと向かいだす。




遠くから見ても、旗を掲げたそれは目立っていた。
高さは身長の三倍、長さは七倍はありそうな、個人で所有するには度を越した巨大車両。
上部には排熱機関、下部には大型の車輪、そして強固な装甲はどれも初めて見る物だった。
フォーリーは、後部の扉が開いているのを見つけ、そこから中を覗いてみる。

その車両の中身は、手狭ながら研究所としての体を成していた。
本の積みあがったデスク、足元に配管の並ぶ円筒型の反転炉、壁の書板には次元転移の概論図が書かれている。
中央にある操作盤は、車両の運転と転移設備の稼働を制御するためのものだろうか。


そして、その反転炉の陰から出てきた姿を見た途端、鼓動が早まり号泣してしまいそうになった。

「来月より、という文言が分からなかったか? それとも……この分野に詳しい逸材がこんなところで燻ってたのか?」

百十年ぶり、そして初めまして。

短い黒髪と鋭い目、着ている仕掛けだらけの厚手のコートは、間違いなくグライフだった。






「……驚いたな、逸材の方だったか」

助手志願として、いくらかその前知識を測られる。
超八胞体構造、0/1反転炉、転移魔術連結理論、並行世界概念論。
試すような質問に対し、フォーリーは百年積み上げた知識で応える。
グライフは驚き、誰に教わったのかとも問われたが、独学で学んだと嘘をついた。
過去と未来の因果に、矛盾を作るわけにはいかないから。

「よし、日当金貨7枚出そう。研究補助を頼みたい」
「分かりました。これからよろしくお願いします」
「そういえば名前を聞いてなかったな。それに人間か、それとも魔物か?」
「…………」
「ワケありか。それならそれでいい。助手として動いてくれるのであれば」

本当は、自分の名前も、ここに来た経緯も明かしてしまいたい。
でもそれはできない。それをしたら、私の存在も修正されることになるだろう。
だからフォーリーは正体を隠し、口調まで変えて別人になり切る。
湧き上がる衝動と、心に空いた穴をおさえながら。

「それからもう一つ聞く。俺の最終目的は先に言った通り、並行世界への転移だ。それは危険が伴う行為だ。だがその段階に至った時、お前は一緒に行きたいと思うか?」
「……行きたい、です」
「成程。その理由は?」
「それは――」

グライフの顔を見ると、彼はじっとフォーリーを見ていた。
自然と目が合う。お互いが心中を見通そうとしているように錯覚する。

「ただの好奇心、です。世界の多様性を見たいから」

借りた言葉のつもりは無い。
百年間、グライフの残した研究ノートと向き合ううちに、自分もそう思うようになっていた。
世界の外側には何かがある。自分の知らない領域がある。
調べれば調べるほど、そこに興味が湧きだした。

「気が合うな、俺も全く同じ理由だ」

グライフが笑う。
そうだろう、貴方が私に話してくれたことでもあるのだから。

その後しばらくは、堅牢街から手に入れた火薬を用いて、テッセラクトカタパルトを形成する作業が続いた。
密閉状態の合金炉の内部でグライフの指揮の下、慎重に作業を進めてゆく。



大きな音と衝撃が伴う工程は、街から離れた人気のない場所で実施する。
一度失敗。しかし、二度目においてその形成は成功した。

だが、フォーリーは分かっていた。それは完全に成功してなどいない。
こっそり調べてみると、やはり内部の軸方向に一部異常がある。しかし、それを言い出すことはできなかった。


そしてその後、転移魔術連結などを経て転移の準備が整う。
次元方向の返還と転移魔術を併用し、この空間と行先の空間を入れ替える。
また、特設架台により、車両は高度70mの位置まで移動。行先で地形に埋もれないための配慮である。
出会った時何故グライフは空中から落ちてきたのか。フォーリーは初めてそれを知り、思い返して納得した。

理論上、この車両ごと向こうの世界にたどり着けるはずだった。
助手としてグライフに雇われてから、半年が過ぎた頃である。




決行直前、グライフは炭酸水の入ったグラスを傾けていた。

「最初に行く世界は、どんな世界だと思う?」
「……私には何とも」

助手になってから、どれだけの嘘をついただろう。
その事を考えるフォーリーが気を落としている一方で、グライフは機嫌が良さそうだ。

「食料も水も十分、燃料も余裕があるから場合によってはすぐ戻る事も可能なはずだ。できれば、着いた先の座標を計測するぐらいはしておきたいが」
「…………」
「お前の個人的な準備は済んでいるのか?」
「ええ。問題ありません」

時刻が正午を指し示す。
もともと秘密の旅立ちだ、見送りに来る者など誰もいない。

「じゃあ、始めるぞ」

魔導回路が輝きだし、テッセラクトカタパルトを内包した動力機関が連動する。
振動が少しずつ強くなり、各部作動状態を示す計器の針が一斉に触れる。

瞬間、景色が揺れ動いた。グライフを中心に、想定よりもはるかに小さな大きさで。
車両ごと飛ぶには明らかに不足。これで飛ぶのは、人間一人分がせいぜいだ。

「――――」

グライフは異常に気付き、咄嗟に操作盤に触れて緊急停止を試みた。
だがその寸前で軋むような音と共に空間が歪んでグライフが消失。
その瞬間、何を言おうとしていたのかは分からない。
だが、どこに行ったのかは分かっている。行先はもう見てきたのだから。

転移を見届け、フォーリーは半年ぶりに自身の姿の変化を解く。
一人になってしまった車両の中、ゆっくりと操作盤に近づき手を触れる。


さあ、ここからが勝負どころだ。

気合いを入れよう、大丈夫。きっと歴史が味方する。
17/02/25 23:00更新 / akitaka
戻る 次へ

■作者メッセージ
ちょっと前のブームだけどこのタートルネックはすきです

TOP | 感想 | RSS | メール登録

まろやか投稿小説ぐれーと Ver2.33