連載小説
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カヌクイ_番外編2
【カヌクイ 番外編2】


 小さい頃、どうしても理解できなかった事がある。
『○○ちゃんどうして一人でなんでもするの?』
そう言われた事がある。確か、幼稚園児だった頃。
 芋掘り、何かの遠足だった。
 人より運動神経がよく、頭の回転もよかった。早熟だっただけだが。そのくせ、人の話を聞かないし、協調性がまったくない。
 籠を背に、自分一人で芋を掘って収穫していく。祖父の手伝いで農作業を経験した事もあり、班を組んでいた子が三人がかりで蔓を引っ張っている横で、割り当てられた一枚の畑のうち、半分近くを一人で掘ってしまった。
 そこで、最初に述べた『○○ちゃんどうして一人でなんでもするの?』となるわけである。
『なんのころ?」
『○○ちゃんばっかりずるい』
『べつにじゃましてないよ』
『○○ちゃん、いっしょにやろうよ』
『いいよ』
こんな具合である。別に嫌っているわけではないが、協調するわけでもない。思考の系統そのものが違うので、まったく噛み合わない。
 独立独歩とは違う。
 行動パターンや思考ルーチンが自分一人で完結しているのが普通で、知らないこと、解らないことは、聞いたり観察して得れば終わりなのだ。共有もしない。
 祖父との時間が長い代わりに、父親や母親との時間が皆無だった自分の成長は歪だったのだろう。ペアを組みなさいと言われるとすぐに困ってしまった。
 結局、おゆうぎや運動を先生と一緒にやるのだが、その時も別の事を考えている。お昼のご飯、さっき聞いたお話の続き。
『○○ちゃんどうして先生の話を聞いてくれないの?』
『なんのこと?」
『ほら、聞いてない』
こんな事の繰り返しである。今にして思えば自分も極端過ぎたのだと思うが、どこか薄気味悪く思われていたようにも思う。
 絵を描いて、本を読んで、一人で遊ぶ。それを寂しいと思う感性が存在しなかった。いない人はいない。ないものはない。
 どこかで諦めていたのだろう。人とは違う事を認識するには十分な年齢だったし、欲しがったりくずったりしない子だっという。
 祖父がいなければ犬のナナカマドとべったりである。よみきかせてあげる、と、絵本片手に黒い毛皮に抱きつきながら。
 寂しくはない。だが、どこか楽しくもなかったのだろう。
『もうあるけない!』
遠足の時、そう言って座り込んだ女の子。名前は定かでないが、灰色がかった髪の色を覚えている。
『じゃあ、せおってあげようか?』
 何故、そう言ったのだろうか。
 理由は解らない。気まぐれとしか言いようのない行動だった。
 そしてその子に手を貸した。おぶって帰ったのだ。
 全身汗だくになって最後まで運んだ彼女から言われた言葉が、今となって思えば、自分の目的意識を感じた瞬間だろう。
『ありがとう』
 たったのそれだけ。
 だが、そこで気付いたのだ。自分の甘えに。
 それが一人っきりの孤独ごっこを辞めた日だった。
 親如きは関係ない。生き方は決められるわけでもなければ与えられるものでもない。
 そして自分は選んだのだ。祖父の背中を追って。 
 言い遅れたが、俺の名前は枝節 布由彦(えだふし ふゆひこ)。
 時に魔物という異世界の存在を相手にもする少々荒唐無稽な生業、カヌクイを引き継いだ英雄の末裔である。


 カヌクイ。端的に言えば、異世界と現世界と繋ぐ道を守護し、異邦人を迎え入れ、次元を管理し、そのついでに危険な物品の管理もする。
 言うなれば、交渉役兼守護者兼倉庫番といった何でも屋の印象が一番近いだろう。そういった多彩な役割を担う過程で、それぞれ専門の一族も生まれた。
 笹門、百倉、恵比寿の御三家と呼ばれる直系筋である。役割は名前の通り、守護、倉庫番、交渉役、そういった役回りである。
 そして自分の家名、枝節であるが。
 その仔細がどうにも不鮮明である。
 元々は大陸………正確には異世界からの異邦人と、当時の庄屋が結婚して生まれた分家筋の一つであるとの記述がある。
 しかし、そこで食い違っている。きちんと考えれば年代と役職があっていない。
 庄屋は江戸時代、村役人である地方三役(村方三役とも言う)のひとつ、あるいは町役人のひとつである。
 江戸の頃より昔という記述がある時点で噛み合っていない。恐らく、近年、江戸時代以降に聞きなれた単語で書き直されたのだろう。
 では、その『庄屋』という単語の前には、なんと言い伝えられていたのだろう。
 支配の末端機関、村の窓口が庄屋を指すのだが、家系図を辿っても、おそらく恵比寿筋か笹門筋だろう、くらいにしか解らない。
 無論、双方の宗家に管理されている家系図の大本を見せてもらえれば、解決するかもしれない。
 だが、そんな事を頼めるはずもない分家の分家である。
 結局はそういった立ち位置、組織で言えば末端に過ぎないのだ。
 そういったしがらみの為に電車で揺られる最中が今。
 背負った合成樹脂製のショルダーバックが煩わしい。
 要約。
 自分はまた、長広舌を疲労、いや披露する事になった。この間の顛末を。
 相手が恵比寿、もしくは百倉であれば良かったのだが、暴れた場所が悪かった。あの料亭、笹門の縄張りであった。
 もう溜め息しか出ない。笹門という相手の事を慮った結果、ここ最近に使っていた巨体武者鎧、陸参厳と比較して、おそらく数十体分の役割を果たすような完全武装で今日は御出掛けである。
 傍目には多少黒尽くめの旅行者に見える程度だろう。
 しかし、もし職務質問に加え身体検査をされた場合には、高確率で逮捕の憂き目に合う。罪状は思い付くだけでも3つか4つ出てくる。
 ジャケットの下、白いシャツに黒いスラックス、灰色の靴。洒落者の格好にも見えるだろうが、服の下は危険物がフリーマーケットを開ける数。
 憂鬱だ。
 多少の行き違いから、いや、多少の暴論から、いや、多少の好戦的な態度から難癖を吹っ掛けられた場合、生きて帰れるだろうか。
 そう想うと、非常に憂鬱で仕方なかった。


 自分を数値で表すなら、10点満点中4点が精々である。この評価点であるが、戦闘における常人の点数を、1から2点と評価する類の計算である場合、だが。
 自分の場合、多少の武術と第六感的な感応感覚がある程度である。そのたった4という数値に際し、加算減算乗算、状況や武装でカバーする事で命を永らえてきた。
 正直、枝節の蔵にある道具を使わなければ、そのうちに死んでいただろう。
 そういった事が生業であると改めて認識すると同時、これから相対する相手が、10点満点中8、もしくは9であると解っている今、山門の前に立つ自分の足が震えていた。
 正直、あの肉塊を相手にしていた時の方が気分が楽であった感も否めない。
 山門を潜る時、思い出したのはこの一文に他ならない。
『この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ』
重たげな山門が、人の手により開かれる。
 ロダンよ、もし問えるものなら一言聞きたい。
 貴方は地獄の門を潜る際、洩らさずに済む自信はあるだろうか? と。


 長い石段を登り、元は密教徒の仏殿であったという古く、そして巨大な元寺院を見上げる。
 今は笹門の総本山である為、古くも人の臭いのする巨大な御殿へと変貌している。増築、改築、補修を行う宮大工などは、それこそ先祖代々、この建物を支えている人間もいるという。
 たまに魔物の血が混じる為、年齢のスパンも通常の一族と違う。姉妹ですかと問えば曽祖母と曾孫です返ってくることさえ珍しくないのだ。曽祖母が純血の魔物であったりすると、曾孫の方が年上になる場合もある。 
 本来なら境内と呼ぶべき前庭を歩く。身体が強張って仕方ないのだが、数度の呼吸で筋肉の弛緩を促す。肉体を巧く使うには、緊張と緩和、それが重要である事は今までの鍛練で痛いほどに知っている。もっと簡単に言えば、緊張してばかりいるとこむら返りで痛い思いをする。
 明鏡止水の境地など望むべくもないが、かといって取り乱すのも男らしくない。
 散り際であるなら大輪。
 その点は祖父の生き様のようになりたい。あれほどの大往生でないにしろ、孫の顔くらい見ることのできる人生で。
 そういった儚い希望は、靴を脱ぎ、屋敷の奥へ上がり込むうちに凋んでいく。無言で一礼され、案内人に導かれる奥からは、重く、圧倒的な存在感が、空気を冷え冷えと感じさせる。
 帰りたい。
 そうは思ったものの、ナナカマドへ見栄を張り、一人で行くと嘯いた以上ここで引き返すわけにもいかない。
 あの時、外聞を取り繕ろうとした自分を闇打ちしたい。こんな形で『はじめてのおつかい 〜in 煉獄 〜』などは勘弁して欲しかった。
 重たげな観音開きの扉の前に座らされる。本来であるならお仏堂があるべき、仏殿の本尊が飾られるべき場所には、どのような相手がいるのか。
 内側から開かれた扉の前に、足を揃えて立つ。さりげなく重心を膝から下へ落としているのは、祖父や勇登さんによる情報からの警戒。
『笹門に手ぇ出すな。骨までしゃぶられるけんの』
『笹門の女は怖いぞ。下手したらどうなるか解ったもんじゃない』
どんな悪鬼羅刹の巣窟であるのか。
 仏殿に足を踏み入れる。
 瞬間、内側から流れ出す冷気に肝を冷やした。
 荘厳。煌々たる光はなく、ただ重たい沈黙に支配された寂寞とした空間に腰が引けた。
 仏殿の左右には女官、もしくは神官に近い装束とベールで容姿の仔細を隠した女性達が並び、薄暗い祭壇に坐すのは一人の女。
 御三家はその異能を維持し、強大に育てる為に魔物との婚姻を続けてきた。その影響から女系の一族として血脈がより魔物に近しく変異した経緯がある。
 枝節などの分家筋の方が、むしろ英雄の血筋が残っているとも言える。
 事実、祖父の嫁も分家筋であったし、父もまた。
 いや、この話もさしたる意味はないのだが。少なくとも、短い現実逃避によって、決意を決めるまでの時間稼ぎはできた。
 靴下の裏を擦るように踏み込む。途端に明かりが倍に増えた。女官の一人が部屋のガス灯の輝度を上げている。
 緊張と緩和。
 本殿の中央、女の姿が消えた。
 その女の格好は白拍子だ。古くも格式のある礼装として誂えたものを、妙齢の女が着ていた。
 その姿を確認できたのは単純な理由である。ほんの一歩、たったの一歩で、距離を詰め、目の前に立っていた。
 視覚野と違う情報に反応する。唯一自分が恃むべき能力である『固有振動数識域化能力』は、振動、物体の運動を捉える。
 固有の揺れ幅、環境の変動、そういった要素を感覚が捉える。その感覚は眼であり、耳であり、肌であり、鼻であり、第六感である。
 掌が振り下ろされた瞬間、咄嗟に距離をとる。半歩、それが可能な限りの最善だった。
 風圧と筋繊維の反応。ショルダーバックを外し、前蹴りをフェイントに跳び蹴りを放つ。先手を打たれた足払いを跳び蹴りの予備動作で避け、そのまましゃがみこんだ女の側頭を狙う。
 頭が下がった。足が跳ね上がる。
 ブレイクダンスに近い低い姿勢からの旋回と回し蹴り。打撃の瞬間に化勁、中国拳法における受け流しによって蹴りの威力を抑えて体勢を入れ替える。
 上と下、前回り受け身と這うような前転。それぞれが体勢を立て直し、次の行動へ動く。
 構え、動きを止める。
 前葉構えという両掌を前に向けたものに似た構えで半身。
 対して自分は両腕を垂らし前屈した奇妙な構えをとる。
 そのまま何をしようかと一瞬考え、身体から力を抜いた。
「何故、喧嘩を?」
「合格」
脈絡のない言葉と共に、白拍子の格好をした女、銀髪の眩しい笹門の当主は笑みを浮かべた。


 あの女、人に迷惑をかけねば気が済まぬのだろうか?
 押しつけられた話に心底面倒な気分になった。
『それだけの装備であれば問題ない』
現笹門家当主、笹門 一二巳(ささかど ひふみ)がそう口にした台詞と共にヘリで輸送である。信じられない。笹門に来る時点で武装しているであろう事を見越していただけでなく、適当な相手だと判断した途端に厄介事を押しつけられた。
 夜都子どころではない。名前すら名乗らなかった笹門の当主は悪魔だった。
『料亭の弁償と明王の駆除、どちらがいい?』
まことに悪魔だ。金と命、どちらがいいかと聞いてきた。
 金がなければ命を賭けるしかない。どこの悪徳金融かと怒鳴りたくなる相手だった。
 次は爆薬でも用意して建物ごと駆逐するか真剣に検討したほどである。
 しかも、聞かされた話だと、山中を行軍して『明王』とやらを倒しに行けと。
「最悪だ………」
 一言、それだけを呟き覚悟を決める。
 ヘリから降下。縄に振り回される格好になるが、手袋の焦げ痕だけで着地には成功。
 まだ雪の残る山林の梢はぶら下げた氷柱を鳴らし、鈴のような音は反響を伴って木々の間に響く。
 このまま山道を歩けというのだから心底嫌になった。
 試しに震脚、足裏を地面に打ち付ける事による狭い範囲での衝撃波を放つ。身体操作による打撃によって衝撃が奔り、その衝撃を足裏から拾うことによって周囲を探る。 
 遠く、反響のひずんだ場所がある。目的地はそこだろう。 
「………それで、案内をしてくれるのではないのか?」
木陰に隠れた相手に尋ねる。先に到着していた案内役は、ただ距離をとって近寄ろうともしない。
「ふふ。知ったこっちゃありません。勝手に行って死ねばいいと思ってますが」
丁寧な言葉には毒が混じる。フリル一つないエプロンドレスに黒いロングスカート姿の彼女は、咥え煙草で嘯く。
 長い黒髪も可憐な女性であるというのに、その笑みからは一つとして好意的な感情を読み取る事ができなかった。。
「・・・多少、攻撃力を行使すべきか」」
「ふふ。殺し合う?殺し合う?死なないけど」
言葉から察するにゾンビという種族。死したる人間、魔物の生を得た死体。どういった経緯でこの場に居るのかも定かでないが、案内役である彼女の態度に辟易した。
 眼を凝らす。振動を視る。生理現象が存在しない所為で、相手がどんな感情で居るのかも定かでない。感情が読めない。
 溜め息。どうしたものかと考えたが、彼女が適当にやったからと言って、自分には不都合がなかった。
 じゃあ彼女は何故?
「あ」
「あ?」
不審げな彼女の問いに答えるより先、背中で何か動いた。合成樹脂製の鞄を慌てて下ろすと、ロックを外して中身を解放する。
「きつい。きつい」
顔を出した3.5等身をした機械人形。ビターが顔を出す。大きな二つのカメラアイを動かし、周囲を興味深そうに見回す様は、子供のそれに近いかもしれない。
 ショルダーバッグに入るはずもない大きさなのだが、鞄の内側に刻まれていた魔方陣からのそのそと身体を引っ張り出す。
『何かあるのか?一体持っていけ』
その十分後。空を飛んできたのが知人Aの持つ使役機械、ビターシリーズの一機。
 恥と知りつつ白状するが、この人形を借りる時に、少しばかり浮かれた事も事実だ。
 なんというか、男なら憧れを抱くであろうロボットなのだ。やはり、格好がいいと思う。
 そして妙に、愛らしい。
 丸い頭を撫でると、かたかたと機械の揺れる音がした。
「私はversion2.05ですます。言語系を除き、駆動系、戦闘能力、家事育児に至るまでOKです」
「そうか。よろしく」
「よろしくよろしく」
軍用ヘルメットは幾らかスマートに、丸い一対のカメラアイは広角仕様に、伸縮性のあるアームは外見上の変化なし。握手した指先は硬く四角く大きいが、不思議と温かい。
 異能において、創造性と多様性においてあれほど間口の広い力はないだろう。そんな友人Aから遣わされた相棒の首へ青いマフラーを巻くと、出てくる際にくっついた雪を払い落す。
「それでは、行こうか。状況は?」
「理解してますです。私は貴方の相棒なのですのですよ」
「そうか」
そのまま女を無視し、歩き出す。寒さに震えるよりそちらの方がいくらかまともな行為だろう。
「ふぅん」
女は何も言わずに後を歩く。履いたブーツの踵が土を蹴り、軽やかに進む。
「あたしは七鞍 孰子(ななくら いずこ)。よろしく」
「そうか」
息が冷たい。ジャケットの前を閉じ、足を速める。
 無理難題に厄介事。まったく何時も通りだ。


 ジェヴォーダンの獣という話がある。
 18世紀のフランス・ジェヴォーダン地方(現在はロゼール県の一部)に出現した、オオカミに似た生物。似た、というのも、定かでない。多くのイメージはその時に残されたイラストによる後付けとも言われている。
 1764年から1767年にかけマルジェリド山地周辺に現れ、60人から100人の人間を襲った。獣が何であったかは、現在も議論されている。おそらくタイムマシンでも発明されない限りその正体は解らないだろうが。
『同族だな。近くて遠い、この世界での』
そう呟いたのが黒い巨大な痩せ犬、我が家のナナカマドである。それは魔物を指して述べたのか、同じ境遇に対して同情してか、未だに聞けずにいる。そして、彼女の年齢が幾つなのかも不明なまま。
 この『明王』もまた、似たようなものかもしれない。はぐれてしまった生き物。自分は彼女を救う存在となるのか。それとも。
 考える途中、山岳地帯の行軍という行為にも疲れ、一休みする。風の匂いが徐々に変化しつつある今、目標は近いだろう。
 この寒い季節だというのに、風からは土の臭いがした。この寒い季節にどこからか。
 明王という肩書きから能力を予測もしてはいたものの、シャツの下に着た最悪の衣裳を使わずに済めばいいのにと祈る。
 無言のまま用意を始める。ペットボトル一本分の水を飲み干し、上着を脱ぐ。そのまま両手には手袋を嵌めると、手首の留め具を固定した。
 肌を露出させない格好。首まで覆うアンダーウェアに、顔と頭部を覆う金属製のフェイスガード。金具を留めると、遮光バイザーからは表情すら見えない。
「おぉ、かっこいいー!かっこいいー!」
「そうか?マル号」
version2.05、ニーマルゴからマル号の識別名称を与えたところ、彼はとても喜んだ。
「ヒーロー!朝の!朝の!」
個性的であると同時、あまりに人間臭い反応である。それは好ましいものでもあったが。
 両拳を包むグローブを確かめる。首を鳴らすと、ゆっくりと全身に力を入れる。
 拳法において内功とも呼ばれる不随意筋や深層部位筋による活動の鍛練と操作技法を行うと共に、全身を一つの水脈として意識する。筋肉というポンプと、体内に流れる大量の水。
 拳に勝る武器を持ち得ない自分は、拳を十全に発揮できる状況を用意できるよう努める。
 殴れるならば。
 神どころか天であれ地であれ殴り壊すつもりで。
 自分は踏み込んでいた。

 
 炎を身に纏った姿。精霊とも言われる魔物、イグニス。全身を赤い炎で包んだ美女の両手には炎が燃え上がっている。まさに戦闘態勢といった様相である。
 明王の名から炎の眷属を想像していたのだが、間違いはなかったようだ。加えて、正気を失っているようにも見える。
 瞳孔の定まらない瞳がこちらを捉えたと思った瞬間、猛烈な勢いで空中を駆けていた。
 耐火ポンチョ装備のマル号が懐からMK3A2手榴弾の類似品、缶に取っ手が付いたような代物を取り出す。
「消し飛ばすぜー。消し飛ばすすぜ―」
「援護は一度でいい。あとは緊急時まで警戒体勢で」
「了解。了解。lock-on」
サイドスローによる両手からの投擲。咄嗟に炎を放射しようとしたイグニスに対し、既にピンを抜かれていた缶が破裂した。
 白煙。否、それは消火剤だ。燃焼反応を抑制する各種薬品、、界面活性剤に多糖類やリン酸塩などを配合した『リン酸塩系』の特製による急速な鎮火に対し、吠え猛ろうとしていた精霊が虚をつかれた。
「水系、土系にも対応装備は用意していたが」
白煙を突き抜け、相手へ肉薄する。追撃に放たれた炎弾を緑に発光したグローブで叩き落とし、拳打の間合い、両手を紐やロープのイメージによって御し、瞬時に手首を掴む。
 力を持つ、は、力を御す、とは同じ意味ではない。
「炎系であれば、虚さえつけば制圧は容易」
手首を捻り上げると同時に身体の軸を回転、地面へ叩きつけた。
 俗に小手投げとも言われる投げ技で、関節を極め、自由を奪ってから体勢を崩して落とす。
 地面へ叩きつける寸前、全体重を肘と肩へ与え、受け身を封じた。
 衝突。
 ともすれば自動車が木へ衝突する音に似た轟音と共に、一瞬にしてイグニスの動きは封じられていた。
 尚も追撃を加える。額へ打ち付けた拳槌が即座に相手の思考力さえ奪い、昏倒させると同時、震動を通した相手の額へ掌を置く。
 反応が残っていたので更に脾臓、側頭、鳩尾へ続け様に拳が打ち込む。
 少々加減が鈍ったが、生きたまま倒す事には成功。
「ぼうりょくはんたーい」
「ハムラビ法典に従ったのみ。よし、終了。帰るか」
耐火繊維の服で縛りつける。一連の作業終了までは登山した時間の1%にも満たない時間であった。
「マル号、頼む」
「いえっさーですいえっさー」
矮躯がイグニスを抱きかかえる。移動するマル号は、運んでいる彼女の重さすら感じさせぬ足取りのまま、重心の安定する格好、俗にお姫さま抱っこと呼ばれる格好で安定した。
「迎えは電話すればいいのだったか」
携帯電話を取り出す。幸いにも圏外ではなかった。おそらく、近隣の山に基地局があるのだろう。
 電話口へ渡された電話番号のメモを確認しつつ入力。
 一仕事がこうも容易く終わったのは喜ばしい事である。
「の、はずなんだが」
溜め息。側頭に銃口が押しつけられる。
 その持ち主である孰子は、さも楽しそうににこにこと笑っている。
「ふふ。まさか、こんな子供が数秒で明王を捕縛するとは」
「………経験則だと、これも、予測できる範疇だったが」
腕を振るより相手が引き金を振る方が速い。しかし、突きつけるなら首にすべきだったのではないかと溜め息。
 頭に被った防具の表面を擦るよう、銃口を頭突きで弾く。次の行動は無力化の為の打撃。
 しかし、相手の反応は機敏だった。事前にこちらの動きを見せてしまった事も失敗だっただろう。
 流れるような動きで距離を離し、別の武器、ロングスカートに隠していた小太刀を二刀流に構え、自分と、更にはマル号を牽制する。
「マル号、その女を運んで退避」
「了解、りょーかい」
即座に反応したマル号を一瞥、だが、こちらの踏み込み速度を計算してか、警戒をこちらに向けたまま動かなかった。
「どういった事情で?」
「うふふふ。その明王、トモダチなの。本家で裁かれるのもなんだし、ほとぼりが冷めるまで逃がそうかと」
「………そんな相手が案内役とは」
おそらく、知ってそのまま放置されたのだろう。あの当主、やはり腹黒い。
 個別に対処すれば大事になる前に収束もできたであろうに、問題が起きそうな人間を一か所に集めるとは。
 まことに腹立たしい。だが、立場が弱ければ何も言えない。
 何か、権力というものがとても嫌いになりつつあった。
「通常弾なら、この格好では通用しないが」
「そぉねぇ。着る前にやっちゃおうかと思ったけど、意外といいガタイだったから魅入っちゃって」
ぞわりと背筋を警戒による信号が駆け抜ける。何か、部品を失う気がした。
 踏み込みと同時、銃を捨て、二刀を握っていた相手に距離を詰める。途端に手首から先が霞む速度で放たれていた。
 脊髄反射が絡みつくような軌道を迎撃。左右へ強く弾くと同時、発剄によって相手の腕を麻痺させ、二刀を瞬時に払い落す。
 しかし、流れるような足払いによる反応に、意識が間に合わず足首から下が刈り払われる。しかし、咄嗟に足裏を地面から離していた事で、打撃の威力を軽減すると同時、払いの速度のまま身体を回転させ、空中で肘打ちの体勢へ移行。
 肘は届かない。距離をとろうとバックステップする相手に対し、着地する隙が追撃を遅らせる。
 しかし。
「カン、チョー!」
「はうん!?」
戻ってきたらしいマル号が、とても口にできない攻撃を相手の臀部へ、まぁ、その、叩きこんでいた。
 もんどりうって倒れる孰子に対し、何割かの憐憫を含めつつも、自分も掌を振り下ろした。
「・・・御免」
両手を叩きつける。スタンガンの直撃に似た痙攣と共に、孰子も呆気なく沈黙した。妙に手応えはなかったものの、衝撃は伝わったので問題ないだろう。
 おわり。
 ともいかず。
「・・・畜っ生」
「布由彦、頑張れ、頑張れ」
気絶した二人をそれぞれ一人ずつ運ぶ事になってしまった。


 ヘリの感動も薄くなり、とにかく疲れた。フル装備のまま一人一人担いで縄梯子を登ると、全身の疲労に辟易する。
 大体、この『明王』の発生理由は何だったというのか。
「あぁ、ところで」
拾った拳銃を構える。安全装置は既に外してあり、薬室にも装弾してある。
「このヘリを奪って逃走、は諦めて欲しい。出来れば宗家の敷地に入ってからで頼む」
「こんな強い子、わざわざ届けるなんて」
溜め息混じりの彼女。両手足をバンドで縛られていながら、何をやろうとしていたのか。
「ねぇ」
「何か?」
ヘリの壁に背中を預け、ストレッチャーに拘束されたイグニスを見る孰子に対し、拳銃のスライドを元へ戻した。
「魔物って何だと思う?」
「あまり考えた事もない」
正直に答える。到着までに時間もあり、問答に付き合う程度の余裕もあった。。
「魔物、嫌い?」
「は?」
質問の意図が解らず、思わず問い返していた。
「どういった意味で?」
「人と違うオンナノコって嫌い?」
やはり意味が解らなかった。
「違うって、何が?」
「なにもかもでしょ?だから彼女もあんな暴走もした」
「ふむ」
力がなければ暴走しなかった。魔物でなければあんな事には。という話だろうか。
「そういえば、あの山で暴れていた理由は?」
「…怒らない?」
「理由による」
無言での睨み合い。折れたのは孰子が先だった。
「男に振られたんだって」
「ほう………」
若干の怒りが込み上げてきたものの、終わってしまえばどうでもいい。
「ほんのちょっと怒っただけで、あの様」
「女のヒステリーは、どこだって怖いって話でした。ちゃんちゃん」
「しめるな。マル号」
重たい装備を脱ぐと、そうか、これが魔物というものなのかとも納得する。
 こんな格好でなければ向き合えない相手。
 それはそれはベッドで難儀しそうなことだ。
 どちらが悪いのかは定かでないが、あんな女であれば苦労していたのだろう。
「人的被害は出ていないのだから、多少の温情は期待できるだろう。大人しくしておいて欲しい」
「いえ、その男の方が大火傷。建物にも延焼があったのよ」
「・・・だからって、逃がされても困るのだが」
その時には遅かった。
 両手両足を拘束していた手錠が外れ、粘液質なゲル状に変化した手足から滑り落ちる。相手の種族を見極めきれていなかったのは大きな失敗だ。ゾンビというミスリードをそのまま信じてしまっていた。
「ぬれおんな!?」
「正解」
ぬれおんな。東方、いうなれば日本原住の魔物であるが、スライム属の中では非常に高い知能を持つ。文献によると、雨の日に声をかけた男の後を追い、その男の家に定住するという。
 結果、ぬれおんなの影響で湿気やカビが発生し、男が衰弱死するとの話もある中、伴侶とした男性の妻としてその生涯を終える者も多かったという。元々多湿は日本の特徴である。付き合い方というのはどうとでもなったのだろう。
 特筆すべきはスライム独特の思考パターンでなかった事だろう。会話している中でも、一切気付く事はなかった。
「拘束、させてもらいますね」
にこやなか笑みはある意味で悪辣である。ヘリの後部という閉所では、スライムの奔流を捉える事はできない。
「ぐっ!?」
手足から放出された粘液質な流体に動きを阻害される。固有の形を持たない相手は自分の最も苦手とする対象だ。
 しかも、ヘルメットを嵌めていない為に口の中にまで潜り込んでくる。喉の奥まで圧迫されれば簡単に呼吸困難で気絶だっただろう。
 更に、服の内側にまで侵入を始めた液体であったが、こちらは何か危険なものに触れたような動作と共に戻っていく。表皮の上に装備したものに対しての反応だろう。
 人皮の服。死んだ人間の皮膚を剥し、薬草などで燻した 
徐々に顔全体を覆っい始めたスライムによる窮地を救ったのは、やはりマル号だった。
 両手から放出された火炎放射がこちらに直撃した瞬間、孰子が急速に離れた事によって何を逃れた。
「た、たす、助かった」
「いえいえー」
延焼しないよう噴霧消火まで行うマル号。さすがversion2.05である。
 相手の反応より先に両手のグローブが緑光を立ち昇らせる。煙のよう、流動する光の影響でヘリの内部が緑色に照らされる。
「女性には、優しくしたいものだが」
 毎度毎度、どうしてこううまくいかないのか。
 秘密兵器その1。両手のサイコグローブ、精神波を操作し、物理的な衝撃波にまで変化する道具へ意識を集中する。
 緑の光が強まる。
 踏み込みと同時に相手へ掌を突き出すと、収束した衝撃波が常と同じに相手の内部に波動が反響した。
「はぶっ!?」
形が人の形へ戻る。衝撃波に変体のプロセスを維持できなかったのだろう。
 それにしても、どうして御三家の関係者はこう喧嘩腰なのかとしみじみ辟易する。
「あ、やば、これって」
「え、何か問題でも」
思わず焦る。秘密兵器であった為に加減を間違えたかと。
「気持ちイイ………」
もっと殴ったらもっと喜んだ。何かやるせない気分になった。


 夜も更けた頃に到着し、二人は笹門家へ引き渡された。捕まえた人間が二人だったというのに搬送に僅かな停滞もない。何を考えてあんな真似をしたのだか。
 マル号を鞄へ隠しているうち、案内の女官が現れる。
 その後、出発と同じく本殿の中に通されたのだが。
「変態め」
「はいぃ?」
失礼極まりない暴言を吐かれた。思わず奇妙な言葉で応答してしまうくらいに。何を考えているのか皆目見当もつかない。いっそ殴ってしまえばすっきりするのだろうか。
 周囲には女官もおらず、当主への脅威とはならないと判断された可能性もあるが、それにしても随分と砕けた表現をされるものだ。
「女を殴って喜ばせていたそうだが」
「………誤解だ」
確かに、武装解除の為に身体も触ったが、下心は一切無かったと主張したい。
「彼女達の処遇は?」
「そちらが口を出す事ではない。これは笹門の問題だ」
遮断。拒絶。敵意すら感じる。彼女達がそれほどに悪い事をしたというのか。
「………多少の怪我人は出たようだが、小火騒ぎが精々だろう?初犯という事もある。寛大な処置をすべきだとは思うのだが」
「あの女達に情でも?」
「関わった以上、少しは」
挙動不審な様子と共に「だから男は………けど、変わらない………」などと、何かを呟いている。
「捕縛者の意見は重視しよう。他に話は?」
「あぁ、一つだけ」
一瞬考え、短く問う。
「五十鈴村から、引っ越したのは何時頃だ?」
「何の話を………?」
帰りは送ってくれないものかと思いつつ、当主の質問に端的に答えた。
「覚えてないだろうが、幼稚園の時、遠足で同じ年の子におぶわれた事があるだろう」
「なっ!?気付いていたのか!?」
真っ赤な顔で狼狽する彼女が不思議だったものの、灰色の髪が輝かんばかりの銀髪になろうと、見間違えるはずもない。
 第一、こちらの能力は。
 知っていたはず、という言葉を途中で押しとめた。きちんと説明すべきか。
 自分の持つ『固有振動数識域化能力』は、物の変化を細密に読み取る力であり、それこそ足踏み一つで地質から空間の把握までと、観測、察知に関しては幅広いものにだ。
 それを応用して格闘技術と併用するなどし、本来的に何の役にも立たない能力を活用しているのだが、人間、または魔物を見るにしても、顔形だけで判断しているわけではない。
「前はもっとくすんだ髪の色だったが、随分と綺麗になったな」
「な、な、な、綺麗、綺麗って!無礼な!」
無礼ときた。その上、暴れ出した。真っ赤な顔で。
 多少の軽口でこの反応とは。たまには恩義の一つでも感じてくれればいいのだが。
 まったく。
 この女、人に迷惑をかけねば気が済まぬのだろうか?


 フツタチ奉刀。無銘大太刀。独鈷杵。十字槍。?。瑠璃念珠。簾剣。千輪。スタンHG。MK3A2手榴弾。M84スタングレネード。ベレッタ90-Two。H&K USP。二十六年式拳銃。D2鋼製サバイバルナイフ………列挙するだけで何を考えてかと思う武器を片付ける。背負った鞄の中に放り込んでいく。他にも持ち得るだけの道具で相対した結果、暴れていた当主は沈静化した。
 ほとんど枝節の歴史対現笹門当主といった構図に近かった。その結果、本堂は全壊に近い。能力のおかげもあり加減こそ出来るが、まさか背負ってきた道具の八割方を使うような状況になろうとは。
 昏倒した彼女を抱え、女官の一人に引き渡す。疲れきってその場を後にする時に持たされたのは笹門お抱えの鍛冶師と菓子折り、それに報酬だった。
 出来ることなら二度と関わりたくない場所だと、つくづく思った。
 あの女、何が愉しくてこんな分家を呼びつけたのか皆目見当つかなかった。
「なにを、相手にするつもりだったのだ・・・?」
昏倒したはずの相手からの言葉に、短く黙考する。
 生憎と、何の用意もなしにどんな相手とも戦えると思うほど、自分は楽観できる人間はない。準備し、用意し、計画を練り、必死で考える。そうやって模索して今までやってきたのだ。
 例えるなら。
 今、この場で始まった物語などではない。たまたま今が語られている物語であるだけなのだ。
 研鑽し、精進し、学び、悲しみ、そして誰かを救いたいと何時も歩いてきた。
 それは場合によっては。
「仏であれ斬る覚悟で」
言って後悔する。仏と敵対するほどの悪行をやるようなら、まず腹を切らねばならん。
「違った。そうだ、悪を斬る為だ」
なにやら、途端に嘘くさくなったのは仕方ない気がした。
 足早に立ち去る背後で「素敵。やべ、惚れたかも」とか聞こえたのは空耳だと思う。
 空耳だと思う!
  
 望み通り、帰り道は送迎があった。というより、五十鈴村では夜11時以降に電車はない。助かった。
 疲れから車のシートでひと眠りしているうち、家へ続く坂道の下へ到着し、マル号の手によって起こされる。
「ふゆひこ、ふゆひこ」
「…ん、すまない」
さすがにこんな車で家の前に着けられても困る。
 酷く疲れる休日だった。女官の一人が持たせてくれた菓子折りの紙袋を手に車を降りると、同じように助手席から誰か降りた。
「うふふふふふふ。案外に寒い土地ね」
「どっから湧いて出た貴様」
突如出現した孰子。この車の助手席に最初から居たのだろうか。
「えぇ。ちょっと液状化して便乗」
なんて面倒な相手だ。しかも、殴っても喜ぶという最悪の特徴を兼ね備えている。
「いいじゃない。お茶くらい出るでしょ」
「………若干、雑巾も用意したくなったが」
どう使うかは企業秘密として、こんな女同伴で帰宅する事になるとは。
 鍵を開け、暗い中に入る。途端に玄関から部屋まで電気が点いた。
「おかえり」
「ただいま。ナナカマド」
「犬? 狼? が、喋ってる?」
「これは?」
「塩を用意しておけ」
「成程」
「お客の扱いじゃないような」
「客のつもりもない」
溜め息。疲れた。
 望んでなった生業と望まず訪れる厄介事。こればっかりはどうしようもない因果というものだろうか。
 居間で適当に茶だけ出し、自分は縁側で茶を傾ける。空には満ち始めた月。
 そうか。
 あれから、すぐに一か月か。
 長かったようで短い邂逅と別れ。
 庭の桜も今では青葉を茂らせ春の日差しの中で梢を揺らすようになる。
「立派な桜」
「ありがとう。だが、いい加減に帰れ」
 花の艶やかさが随分と昔に感じていると、突如、蔵の火鉢風鈴が鳴った。
 開く扉、跳び出す人影。そのまま路面を転がったかと思うと、視界の外、玄関の前の辺りで火柱が上がった。
「え?」
「あっつ!?なんか熱っい!?」
吹き荒れる熱波に孰子が慌ててこちらの背中に隠れる。液体の比率が人体よりよほど多いであろう皮膚は乾いていた。
「か、え、れと、言っている!」
褐色の肌、一見すると穏やかな外見に爆薬を抱えたような情をした身内と。
「い、や!」
背が高く女性的な胸元の目立つ美女の元同居人が戦っていた。
 土石流の召還や高次元領域のブレスによる死闘によって、周辺を守る結界が鳴動している。
 歩み寄ると同時、側頭と腹へ一撃入れ、即座に黙らせた。
「うるさい」
人が疲れているところに何故こんなはしゃぎ方をしているのか。小一時間問い詰めてやろうか。
 次第に自分のタガが外れかかっている事を感じ取り、深く深呼吸をする。焦げ臭い臭いが鼻腔を占拠した。
「茶ぐらい、出すから、とりあえず、上がれ。夜都子も」
「…待て。先に決着を」
「基本的に傍迷惑なんだ。これ以上続けるなら親やら姉やらを呼ぶが」
取り出した携帯を手に睨む。途端に何か怖気でも感じたように二人が首を上下に振ったので、仕方なく勘弁した。
「…今日は、ろくな人間が来ないな」
「私、魔物」
「私も魔物」
「私はハーフだけど、ほぼ魔物の血」
「そこだけ真面目に返されても困る」
ぬれおんな、ドラゴン、その他の反応に、本気で追い返すかを思案した。


 コタツに代わり、模様替えされた居間の中央を占拠する卓袱台に湯飲みが4つ。
 アマトリ、夜都子、加えて孰子。面倒くさいものだと一人溜め息を吐き、ナナカマドを抱き寄せた。
 手触りが極上の黒い毛皮を撫で、心の平穏を保つ。
「ブラッシングしても?」
「客は?」
「身内か客じゃない相手だ。気にしなくとも」
「…内訳は?」
夜都子の問いに即座に答える。
「ドラゴンは身内、日焼けも身内、ぬれおんなはそのうち塩撒く」
「うふふふふ。ひどいわね」
困った様子すらなく嫣然と笑う孰子。ふと思ったのだが、彼女が訪れた理由を聞いていなかった。
「それで、ここに来た理由は?」
「ちょっと書面にサインしてもらう事を忘れていて」
「提出書類か」
何を忘れていたのかと書類を受け取る。途端、貌から表情が消えた事が自分でも解った。
「これは、もしや」
「はい」
「・・・婚姻届?」
その場の空気が絶対零度へ急転直下した。
「貴方が好きです」
「いや、告白されても困るが」
正直、この女の図太さに関しては評価に値するが、かといって、結婚するのも。
「未成年」
湯飲みを置いたアマトリからの指摘に、今更にその事実を思い出した。
「あぁ、そうだった」
「・・・普通、忘れる?」
「正直疲れているんだ。そっちの二人はどうする?泊っていくか?晩飯は用意できないが」
「あぁ、頼む」
「うん」
こうも人数が多いと、母屋ではなく離れの客間を開けるべきか。
 思い悩んでいる途中、壁の時計が低く音を鳴らす。時刻はついに正午である。
「はぁ、確かに嫁なり家族なりが居れば、多少は楽なのかもしれんが」
その呟きに、周囲から謎の威圧感。
 何だ?一体?
 客間に案内した三人の奇行に背筋を冷やしながらも、何かまずい事でも言ったのだろうかと不安を覚えた。
 夜も深い。さっさと眠りたい。
 とかく。
 生活とはこんなものであり、何も変わらないのだと思った途端に何故か笑えた。
 明日もまた、鳴り響く電話を手にすれば始まってしまうのだ。
 他人と多少の違いはあれど、自分なりの日常の続きが。
 

       ― 終 ―

 
11/07/20 00:40更新 / ザイトウ
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■作者メッセージ
おまけです。
ザイトウです。
終わってしまったら始まるものもあるというだけの話。
また長々と続きそうなのでここらでまとめ。
余談:ハーレム路線に進んだらこの主人公死なす。
とか思ったりもしつつ了。

※一部、更新時にバグってたのか、修正しました。失礼。

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