読切小説
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ミノタウロスと閉ざされた世界
 アンティパトロスは庭園を見ていた。色とりどりの花が咲いている。迷宮の中の小さな楽園だ。
 アンティパトロスは、迷宮の中にある館に住んでいる。彼を幽閉するための迷宮だ。その迷宮も孤島に建てられている。閉ざされた小世界の中で、小さな庭園はアンティパトロスを楽しませる数少ない物だ。
 庭園のすぐ後に石の壁がある。彼の倍以上の高さの壁だ。壁の外には石造りの迷宮がある。ごく一部のものしか迷宮を出る方法を知らない。俺を閉じ込めるために、わざわざこんなものを造るとはご苦労な事だ。アンティパトロスは笑うほか無かった。

 アンティパトロスの生活は、単調なものだ。閉ざされた迷宮の中で生活していれば、単調な日々を送るしかない。そんな生活に変化が起こった。
 七日前に、アンティパトロスの世話をしている従者が一つの事を伝えた。アンティパトロスに女が捧げられる。その女を好きにしていいとの事だ。その女が、今日来るそうだ。
 アンティパトロスは笑った。わざわざ幽閉している者に女をあてがうとは、お優しい事だ。父上に感謝せねばな。自分を幽閉し、女をあてがう父王を、アンティパトロスは嗤った。まあ、せいぜい楽しんでやろう。
 アンティトパロスは、水盤に移った自分の顔を見た。金色の髪が映っている。この国の生まれの者で金髪の者は少ない。大抵の者が黒髪か茶色の髪だ。アンティパトロスは自分の肌を見た。純白と言っていいような白い肌だ。この国の者は、薄い褐色の肌をしている。
 母上もつくづく愚かだな。男遊びをするのならば、同じ国の者にすればいいものを。そうすれば、子が生まれても夫の子だと言い張れるのに。アンティパトロスは、馬鹿な母を嗤った。
 俺は、これから女遊びをする。あてがわれるのは奴隷だろう。これで母上の味わった楽しみを味わう事ができるわけだ。父上も、たぶん隠れて女遊びをしているのだろう。あの二人の子にふさわしい遊びだ。
 館の入り口辺りが騒がしくなった。女が到着したのだろう。アンティパトロスは、寝椅子に横たわったまま葡萄酒の入った杯を傾けた。さて、どんな女が来るのやら。アンティパトロスは、庭園の花を眺めながら葡萄酒をすすった。
 大きく激しい足音が近づいてきた。従者が、何か大声で言っている声も聞こえてくる。何事だ?アンティパトロスは、怪訝そうに足音が聞こえて来る方を見た。
 一人の大柄な女が現れた。並の大きさではなかった。アンティパトロスを監視する兵士は、皆大柄だ。その兵士ですら、目の前に現れた女の肩の高さまでしかない。女は、背が高いだけではなく肩幅が広く、胸板も厚かった。全身に盛り上がった筋肉が付いており、褐色の肌と共にたくましさを強調していた。頭には二本の角が生え、尻からは尾が生えていた。頑丈そうな足は獣毛に覆われていた。人間の体に牛の特長が付け加わったような女だ。
 アンティパトロスは、呆れながら女を見ていた。どんな女をあてがうかと思えば、魔物の女か。父上はふざけているのか?アンティパトロスは、女をまじまじと見た。以前読んだ書物に、目の前の魔物娘と同じ特徴を備えている者について書いてあった。ミノタウロスか、これは大した女をあてがってくれたものだな。アンティパトロスは苦笑した。
 「あんたが王子様か?」
 ミノタウロスは大声で言った。巨体にふさわしい大声だ。従者は、ミノタウロスに対して非礼をとがめるような視線を向けた。それから、王子に対して申し訳なさそうな顔を向けた。
 「いかにも。俺は、島々を収める暗愚王の息子、アンティパトロスだ」
 アンティパトロスは鷹揚に答えた。アンティパトロスの答えに、従者は仕方がないといった調子で首を横に振った。アンティパトロスの父は、影で暗愚王と呼ばれていた。海神を騙そうとした為、愚か者呼ばわりされていた。
 「あたしはエルピスイオス。見ての通りミノタウロスだ。あんたとやりに来た」
 エルピスイオスと名乗ったミノタウロスの女は、満面に笑顔を浮かべて言った。「やりに来た」と恥ずかしげも無く言った。
 こいつは面白い奴かもしれないな。アンティパトロスは、エルピスイオスを気に入り始めた。よく見ると、エルピスイオスの精悍な顔は整っていた。筋肉のついた褐色の肌は、欲情を煽るものだった。エルピスイオスは、胸と下腹部に皮のベルト状のものをまとった露出度の高い格好をしていた。大きな胸を、革のベルトが強調していた。思った以上に楽しむ事が出来る女かもしれない。アンティパトロスは笑みを浮かべた。
 「やりに来たと言ったな。では今日から楽しませてもらうぞ」
 アンティパトロスの言葉に、エルピスイオスはニヤニヤ笑い始めた。
 「ああ、いくらでもやらせてやるよ。腰が抜けるくらいやりまくるぞ。ただ、その前に」
 腹をさすりながら朗らかに言った。
 「飯を食わせてくれ。腹が減った」

 アンティパトロスは、目の前の魔物娘の食欲に呆れた。既に四人分は平らげている。まだ食い足りないようだ。葡萄酒の酒壷も、三つ空にしている。エルピスイオスは骨付きの鶏肉料理を手づかみで食い、葡萄酒の入った杯を音を出して飲み干した。口の回りは、肉汁と葡萄酒で汚れている。
 あたしは何でも食うぞ、牛肉以外はどんな肉でも食うぞと、エルピスイオスは羊の肉料理を口に放り込みながら言った。心底楽しそうに食い、かつ飲んだ。
 アンティパトロスは、ミノタウロス女の下品な食べ方を不快には感じなかった。呆れはしたが、見ていて楽しかった。アンティパトロスは、ミノタウロス女の食いっぷりを眺めながら葡萄酒を楽しんだ。
 皿と酒壷を大量に散乱させると、エルピスイオスは息をついた。
 「さすが王子だけあっていい物を食ってるな。まだ食いたいけど、満腹になると眠くなるからな。やるのに差し支える」
 エルピスイオスは立ち上がり、アンティパトロスへ大股に歩いて行った。やるぞと言って、アンティパトロスに抱きついた。
 「ここでやるつもりなのか?」
 さすがにアンティパトロスは慌てた。
 「何かまずいことでもあるのか?」
 エルピスイオスは不思議そうに言った。
 「寝所でやろう。やる前に身を清めねばならない」
 アンティパトロスは苦笑しながら言った。
 「じゃあ、寝所に案内してくれ。すぐにやりたい」
 エルピスイオスは、アンティパトロスの手をつかんで歩き出した。
 「まあ、待て。案内してやるから、身を清めろ。俺も体を洗う」
 エルピスイオスは、アンティパトロスの答えを笑い飛ばした。
 「分かってねえな。お互いの臭いをかぎ、味を感じるのが楽しいんじゃねえか。体なんか洗うんじゃねえよ。ほら、さっさと寝所に案内しな」
 エルピスイオスは、手を引いて急かした。
 従者は、アンティパトロスの表情を窺がった。兵に命じてこの無礼な魔物女を取り押さえるべきか、王子の指図を待った。
 アンティパトロスは、手を振って従者を止めた。自分からエルピスイオスの手をつかんで言った。
 「よかろう。身を清めずに交わるとしよう。寝所はこちらだ」
 アンティパトロスは、エルピスイオスの手を引いて寝所に案内した。エルピスイオスは、楽しげに鼻歌を歌いながら手を引かれている。寝所に付くと、エルピスイオスは即座に身につけていた革のベルトを外した。褐色の胸と、茶色の獣毛に覆われた股を露にした。アンティパトロスも、服をすばやく脱いだ。白い肌の裸体が露となった。
 エルピスイオスは、鼻息荒くアンティパトロスに迫った。アンティパトロスの体を荒々しく抱きしめると、むさぼる様に口を吸った。アンティパトロスは、エルピスイオスの臭いに包まれた。汗の混じった肉の臭いだ。エルピスイオスの感触と臭いは、アンティパトロスをたぎらせた。ペニスは反り返り、獣毛の生えた足を強く押した。
 エルピスイオスはひざまずき、アンティパトロスのペニスを手で包んだ。ニヤリと笑うと、ペニスの先端に舌を這わせた。そのままくびれ、棹と舌を這わせて行った。唾液をたっぷりとペニスに塗りこんだ。
 「あんた、汗をかいただろ?汗の臭いがするし、しょっぱいぞ」
 エルピスイオスは、笑いながら舌をペニスに這わせた。唾液で濡れたペニスは、窓から漏れる日の光を浴びてぬめり光った。エルピスイオスは、いたずらっぽい表情で頬や鼻をペニスに強く押し付けた。エルピスイオスは見せ付けるように口を大きく開けると、陰嚢を口に含んだ。顔をペニスにこすり付けながら、玉を口の中で転がした。唾液を大量に口の中に溜めながら舐め転がすため、陰嚢が湯に浸かっている様だ。ペニスの先端からは透明な液が絶え間なくあふれ、ペニスに押し付けられた褐色の顔を濡らし、光らせた。
 エルピスイオスは、陰嚢を口から吐き出した。袋状の物が、ぬめり光ながら零れ落ちた。エルピスイオスはペニスから顔を離し、自分の胸をつかんだ。笑いながら、豊かな胸をペニスに押し付けた。赤く充血したペニスは、褐色の巨乳に挟まれた。エルピスイオスは、激しく胸を動かしながらペニスをしごいた。柔らかい胸がペニスを翻弄した。硬い乳首が容赦なく、くびれや棹を刺激した。エルピスイオスは、胸でしごきながらペニスを舐めしゃぶった。唾液を大量に垂らして、ペニスと胸を濡らした。胸の谷間からは、汗と唾液と先走り汁とペニスの臭いが混じった物が立ち上ってきた。エルピスイオスは欲情に染まりきった顔で、鼻を鳴らしながら臭いをかいだ。
 アンティパトロスは、激しい息遣いをしながら興奮した。エルピスイオスの胸と口で与えられる快楽に加え、目の前の光景に興奮した。肉感的な顔をした美女が、顔を自分の先走り汁でぬめり光らせている。弾けそうな胸と怒張したペニスは、汗と唾液と先走り汁で鈍く光っている。自分の前にひざまずいた美女は、発情しきった顔をさらしながらペニスに鼻を付けて臭いをかいでいる。もはやアンティパトロスはこらえる事ができなかった。
 「出していいか?」
 アンティパトロスは、喘ぎながら言った。
 「いつでも出していいぞ。顔でも口でも胸でも、好きな所にたっぷりと出しな」
 エルピスイオスは、楽しげに笑いながら言った。
 アンティパトロスは、声を上げながら精液をぶちまけた。エルピスイオスの褐色の顔に、濃厚な白濁液が叩きつけられた。額とまぶたと頬に飛び散り、鼻と口とあごを覆った。白い汚液は、くり返し顔にぶちまけられた。やっと勢いを減じた精液は、胸にかけられ白い模様を描いた。辺りに鼻を突き刺すような臭いが漂った。
 エルピスイオスは、口を覆った精液をさもおいしそうに舐め取った。濃くて重い精液が、ゆっくりと顔から胸に垂れ落ちて来た。白く汚れた顔に笑みを浮かべると、痙攣し続けるペニスを胸でゆっくりと揉み解した。顔を胸に近づけて、胸とペニスにへばりついている白濁液を舐め取った。先端を口に含むと、中に残っている精液を吸い出した。精液のみならず、体の中身が吸い出されそうな吸引だ。激しい刺激に、アンティパトロスは声を抑えられなかった。
 エルピスイオスは顔を上げると、顔についた白濁液を指で拭い取った。指を口に運び、精液を音を立てて舐めしゃぶった。精液をぬぐって舐め取る動作を繰り返した。顔の精液がなくなると、再びペニスを胸で揉み解し舐めまわした。
 アンティパトロスのペニスが回復すると、エルピスイオスは立ち上がった。ヴァギナをアンティパトロスにさらした。ヴァギナを覆う豊かな毛は濡れそぼって光り、濃厚な臭気を放っていた。
 「見ての通り、あたしはもう入れて大丈夫だ。このままやるのもいいけれど、あたしのものを舐め回してみないか?」
 エルピスイオスは、ニヤニヤ笑いながら言った。
 「坊やには、ちょっときついかな?」
 アンティパトロスは、しゃがみこんでエルピスイオスの腰をつかんだ。
 「つまらない挑発だな」
 アンティパトロスはそうはき捨て、エルピスイオスの股に顔をうずめた。股からはきつい臭いが漂っていた。汗と尿の臭い、そしてチーズのような臭いが混ざっていた。濡れた毛を舌で掻き分けると、しょっぱい味が口の中に広がった。突起を舌で探り当てると、強く舐め回した。
 「もっとゆっくり舐め回せよ。そこは敏感なんだからさ」
 エルピスイオスは、苦笑しながら注意した。アンティパトロスは、指示通りゆっくりと舐め回した。突起を舌でほぐし、時々軽く弾いた。突起を中心に、舐め回す範囲を広げた。エルピスイオスはくぐもった笑い声を上げながら、アンティパトロスの頭を撫で回した。
 「もういいぞ。あたしの中に思いっきりぶち込んでくれ」
 エルピスイオスは寝台に横たわり、股を大きく開いた。アンティパトロスはエルピスイオスにのしかかり、ペニスをヴァギナに押し当てた。ペニスはヴァギナの上をすべり、うまく入らなかった。エルピスイオスは、ペニスを手で包んでヴァギナの中へと誘導した。
 ヴァギナの中は、熱くきつかった。濡れた肉がペニスを締め付け、奥へと引き込もうとした。アンティパトロスは、腰に力を入れて奥へ突き進めた。奥に入れては引き、奥に入れては引いた。エルピスイオスは、アンティパトロスに合わせて腰を動かした。渦巻く肉が、ペニスを奥へと引きずり込んだ。硬い感触がペニスの先端を襲った。アンティパトロスは、くり返し付いて硬い感触を味わった。限界が訪れようとした。
 「出そうだ。外に出そうか?」
 喘ぎながら言うアンティパトロスに、笑いながらエルピスイオスは答えた。
 「中で出せよ。そのほうが気持ちいいぞ」
 その答えが引き金となった。ペニスが弾け、精液を射出した。弾けたペニスが液体となってヴァギナの中にぶちまけられている様な射精だ。アンティパトロスは、腰を震わせながら声を上げ続けた。エルピスイオスも、下半身を痙攣させながら嬌声を上げ続けた。二人は合唱するように、声を上げ続けた。
 アンティパトロスは、エルピスイオスの体に倒れこんだ。顔を胸にうずめた。濡れた胸は、汗と唾液と精液の混ざり合った濃厚な臭いがした。臭いの染み込んだ胸の中で、アンティパトロスは荒い呼吸を繰り返した。エルピスイオスはアンティパトロスの頭を抱きしめ、なだめるように撫で回した。
 エルピスイオスは、アンティパトロスの頭をゆっくりと持ち上げた。顔を近づけて、額や鼻、頬を舐め回した。
 「まだまだ出来るだろ?時間をかけてたっぷりと楽しもう。これから毎日やるぞ」
 エルピスイオスは、顔をやさしく舐め回しながら言った。

 アンティパトロスの日常に、刺激が与えられた。アンティパトロスの期待通り、エルピスイオスは楽しめる女だった。肉感的な体を駆使し、様々な性技を用いてアンティパトロスを楽しませた。
 交わりだけではなく、エルピスイオスの話もアンティパトロスを楽しませた。エルピスイオスは、経験豊富な女だった。魔王軍の兵士として、各地を転戦した。魔王軍を除隊すると、隊商の護衛になったり運び屋になったりして各地を回った。魔王領内はもちろんの事、様々な親魔物国や中立国を回った。
 ミノタウロスは、怠惰な種族と見なされている。食欲と性欲を満たしたら寝むり呆けると言われていた。エルピスイオスは、そんなミノタウロスたちとは違っていた。様々の土地を歩き、見聞を広げていった。ミノタウロスとしては例外的なほど、好奇心旺盛で活動的な女だ。話の種も多く、アンティパトロスに惜しみなく話して聞かせた。
 神秘の泉を隠し持つ鬱蒼とした森、いくつもの尖塔の立ち上る聖堂を中心にして広がる石造りの町、砂漠の中に屹立する石造りの巨大遺跡。エルピスイオスは、自分の見て来た様々な物について話した。様々な人間や魔物についても話した。開拓地を切り開く逞しい農民達、新しい技術の開発のため試行錯誤する職人達、活発な取引を繰り返す商人達。それらの力の満ち溢れた人々について話した。その中には、アンティパトロスが本で読んで知っている事もあった。だが、エルピスイオスの話には実際に見た者の持つ臨場感があり、アンティパトロスを引き付けた。
 もっともエルピスイオスには、いかにもミノタウロスらしいところも多かった。エルピスイオスは、飯を喰らいアンティパトロスと交わると、いびきをかきながら眠り呆けた。一日の半分を寝てすごす日も多かった。ここに来た理由は、食って、やって、寝る事ができるからだそうだ。裸体に食べ物と精液をこびりつかせて、股を開きながらいびきをかくエルピスイオスを見ていると、とても旅を続けて来た者には見えなかった。
 アンティパトロスは、エルピスイオスを大した女ではないと見る事もあった。ある日、その見方が甘かったと思い知らされた。
 その日は、アンティパトロスは木刀を使って素振りをしていた。剣術は、従者から教わっていた。狭い迷宮の中で体を動かすには、素振りなどの個人で出来る訓練に限られていた。
 エルピスイオスは、アンティパトロスの素振りをじっと見ていた。素振りがひと段落すると、話しかけてきた。
 「結構鍛えているな。ただ、実戦向きではないな」
 アンティパトロスは苦笑した。自分に実戦経験はない。実戦を経験した者からすれば、おかしな所もあるのだろう。もっとも、怠け者の実戦経験者に言われたくはないが。
 「どうだ、あたしと手合わせしてみないか?」
 エルピスイオスは、微笑みながら言った。エルピスイオスの逞しい体を見て、アンティパトロスはためらった。相手が悪いのではないかと思った。ためらいながらも、エルピスイオスの申し出を受けた。アンティパトロスは、自分にどの程度の力があるのか知りたかった。
 二人は木刀を構えて向き合った。アンティパトロスは、内心ほくそ笑んだ。エルピスイオスは、力はあふれているが構えは大した事がなかった。
 アンティパトロスは、先手を打った。慎重に間合いを詰めて切りかかった。その瞬間に、エルピスイオスの足が地を蹴った。土ぼこりがアンティパトロスの顔を襲った。視界を奪われてすぐに、木刀は叩き落された。
 アンティパトロスは頭を腋に挟まれて、エルピスイオスに引きずられて行った。顔に水をかけられた。エルピスイオスは水盤の水を手ですくってかけ、アンティパトロスの目と顔の土ぼこりを落とした。
 「実戦では今みたいな事をする奴がいる。覚えときな」
 エルピスイオスは、カラカラと笑いながら言った。

 エルピスイオスとの最大の楽しみは、やはり性の交わりだ。エルピスイオスは肉感的な美女であり、アンティパトロスの欲情を掻き立てた。加えてエルピスイオスは、アンティパトロスの知らない様々な性技を習得していた。二人は、毎日濃厚な交わりを行った。
 「なあ、チンポを腋に挟んでやろうか?」
 エルピスイオスは、汗で濡れ光った腋を見せつけながら言った。
 「口や胸でやるのもいいけど、腋でやるのもなかなかいいものだぞ。王子様も腋が好きだろ?あたしの腋をうれしそうに舐めていたからな」
 確かにアンティパトロスは、エルピスイオスの腋に欲情することが多かった。腋にペニスを挟むやり方は初めて聞いたが、面白いかもしれないと思った。アンティパトロスは、しゃがみこんだエルピスイオスの左腋の前にペニスを突き出して催促をした。エルピスイオスは笑いながら後を向き、左腕を上げて腋をペニスにこすりつけた。
 腋の前部と後部にある硬い出っ張りが、アンティパトロスのペニスを刺激した。腋に強くペニスを押し付けると、出っ張りの間にあるくぼみに擦り付ける事ができた。くぼみは張りがあり、剃り残しの腋毛で少し硬い感触がした。腋全体は汗で濡れており、ペニスをこする際の潤滑油となった。ペニスの先端からは先走り汁が出ており、ペニスを動かして汗で濡れた腋の上に塗り重ねた。
 「腋の臭いとチンポの臭いが混ざっているぞ。すげえいやらしい臭いだ」
 エルピスイオスはそう言うと、腋に顔を寄せて鼻を鳴らして臭いをかいだ。アンティパトロスは、エルピスイオスの腋の臭いを思い出した。少しきついが、情欲を掻き立てる臭いだった。ペニスを強く擦り付けるアンティパトロスに対して、くすぐったそうな顔をしながらエルピスイオスは腋を押し付けた。腋とペニスの臭いが混じったものが、アンティパトロスの所まで立ち上ってきた。アンティパトロスは、臭いに興奮していっそう強くペニスを擦り付けた。
 エルピスイオスは、左腕を下ろして腋でペニスを挟んだ。アンティパトロスのペニスの右側からは、胸の柔らかい感触が襲った。左側からは、筋肉の付いた腕の張りのある感触が刺激した。胸も腕も汗で濡れており、ペニスの滑りをよくした。アンティパトロスは激しく腰を前後させて、ペニスを腋に出し入れした。腋からは汗が、ペニスからは先走り液が飛び散った。アンティパトロスに限界が訪れようとした。
 「腋に出すぞ」
 アンティパトロスは、うめきながら言った。
 「たっぷりと出せよ。腋に精の臭いを染み込ませろ」
 エルピスイオスの言葉によって決壊し、アンティパトロスは精液をぶちまけた。腋のくぼみにペニスの先端を当てて、白濁液を射出した。腋の隙間から白い液が飛び散った。射精は長く続き、左腋と左胸、左の二の腕を白く染めた。
 エルピスイオスは、白い汚液で染まった腋に顔を寄せた。
 「きつい臭いがするぞ。これは腋に臭いが染み込んだな。汗をかくたびに王子様の臭いがしそうだ。そのたびにやりたくなるじゃないか」
 エルピスイオスは、笑いながら鼻を鳴らして臭いをかいだ。ペニスの痙攣が治まると、腕を上げて腋からペニスを解放した。エルピスイオスはペニスに顔を近づけ、白い精に塗れたそれを舐め回した。精を舐め取ると、中に残っている精を吸い出した。
 エルピスイオスは立ち上がり、少し腰を落とした。唾液に塗れたペニスを自分の腹に当てた。腹を動かしてペニスを刺激した。
 「腹でやるのもいいだろ。柔らかい腹でやるのもいいが、割れた腹筋でやるのも気持ちいいぞ」
 エルピスイオスの褐色の腹筋は、汗で濡れて光っていた。アンティパトロスのペニスは、汗と唾液と先走り汁に助けられて逞しい腹を堪能した。アンティパトロスは、エルピスイオスの動きに合わせてペニスをこすり付けた。
 エルピスイオスは自分の尾を手に取り、アンティパトロスのペニスをくすぐった。棹や陰嚢を嬲るようにくすぐった。アンティパトロスはうめいた。くすぐったさと共に快楽が絶え間なく襲った。
 エルピスイオスは腹からペニスを引き離し、アンティパトロスを寝台に横たえた。
 「このまま腹で出すのもいいけど、あたしはそろそろ中で飲みたいんでね」
 エルピスイオスはアンティパトロスにまたがり、ペニスをヴァギナに飲み込んだ。ヴァギナは既に濡れきっており、ペニスを苦も無く中へ引き込んだ。エルピスイオスは、激しく腰を振りながら踊った。左腋と左胸、左の二の腕は精液で濡れ光っていた。顔や右胸、右腕や腹は、汗で濡れ輝いていた。精液と汗の粒を飛び散らしながら、エルピスイオスはアンティパトロスの上で踊った。
 エルピスイオスは、アンティパトロスに覆いかぶさった。アンティパトロスの顔に、右の腋を押し付けた。酸っぱい臭いがアンティパトロスの顔を覆った。
 「ほら、王子様の好きな腋だ。臭いと味をたっぷりと堪能しなよ」
 アンティパトロスは、腋に舌を這わせた。しょっぱい味の中にほろ苦い味があった。腋の臭いと味に興奮し、下半身に力がわきあがった。ペニスと腰を激しく突き上げた。熱く柔らかい肉を掻き分け、突き上げた。エルピスイオスは、吠える様に笑った。その笑いは、獣の笑いだった。

 迷宮の中の生活は快適だった。まず、衣食住において恵まれていた。アンティパトロスに与えられている服は、王族にしては質素だが庶民からすれば十分立派なものだ。食事も、貴族並の物を食べる事ができた。住居も、孤島の中の迷宮の奥にあるということを差し引けば、快適に住む事ができる館だ。
 衣食住が満たされているだけでは、人間は幸福とはいえない。アンティパトロスは、衣食住以外のものも与えられていた。アンティパトロスは、従者から武術と学問を教わっていた。従者は、元は父王の側近だった貴族だ。重大な失態を犯したために、王子の従者として迷宮の中に左遷された。この男は、どういう意図があるのか分からないが、王子に惜しみなく知識と技術を与えた。アンティパトロスは、自分の体を意のままに動かす快楽を知った。様々な知識を吸収し、自分の世界を広げた。知識欲旺盛なアンティパトロスのために、従者は外から大量の本を取り寄せた。アンティパトロスは、貪る様に本を読んだ。
 迷宮には、アンティパトロスの目を楽しませる庭園もあった。迷宮とは言っても、空は開放されていた。土と水と日の光はそろっていた。監視の兵士の中に、父親が庭師の者がいた。父から手ほどきを受けたその兵士は、館の前に小さな庭園をこしらえた。鮮やかな色の花々が咲き誇った。迷宮の中の小さな楽園だった。
 アンティパトロスは、快適な幽閉生活を楽しんでいた。その中で悩みだったのは、性欲を満たせない事だった。エルピスイオスが来た事で、性欲の問題は解消した。エルピスイオスを相手にする事で、毎日濃密な性の快楽を味わう事ができた。アンティパトロスほど恵まれた幽閉生活をする者は珍しいだろう。アンティパトロスは、この閉ざされた世界の幸福を味わっていた。
 アンティパトロスにも、外の世界への憧れはあった。この狭い世界から出たいと思うこともあった。自分が本を読む事で知った物事を、自分の目で見て触ってみたい、経験したいと考える事もあった。
 外の世界へ出ることが不可能なことは分かっていた。自分は迷宮を出る術を知らない。孤島を出る術も知らない。それだけではない。外の世界へ出たとして、そこで生きていく方法が分からない。本を読む事を通して、外の世界がしばしば過酷な事を知った。自分に、過酷な外の世界で生きる能力があるとは思えなかった。
 この閉ざされた小さな世界で快適に生きて行く事が、自分にとって幸福な事なのだろう。アンティパトロスは、諦念と共に自分を納得させていた。納得させながら、生活を楽しもうとしていた。
 アンティパトロスは気づいていなかった。この閉ざされた世界の安定は揺らぎつつある事を。アンティパトロスが気づいたのは、エルピスイオスが来てから半年経た時だ。

 「王子様は、迷宮の外に出たいとは思わないのか?」
 エルピスイオスは、眠たげな声で言った。
 二人は寝台の上で横たわっていた。いつものように性の交わりを楽しんだ後だ。激しい快楽の後のけだるい雰囲気が漂っていた。
 「考えるだけ無駄さ」
 アンティパトロスも、眠たげな声で答えた。今は、快楽の後の漂うような感覚を楽しんでいるのだ。くだらない事を考えたくは無かった。
 「無駄じゃないさ。方法があるから言ってるのさ」
 エルピスイオスは笑いながら言った。
 アンティパトロスは、何も答えずに目を閉じた。体に残る快楽の名残を楽しみながら眠ろうとした。エルピスイオスは、アンティパトロスの股間を愛撫した。いたずらっぽく陰嚢をいじった。アンティパトロスは、ため息を吐きながら目を開けた。
 「どうやって迷宮を出るというのだ?出てからどうすると言うのだ?」
 馬鹿馬鹿しいと思いながら、アンティパトロスは尋ねた。
 「迷宮を脱出する道は知っている。仕掛けも分かっている。船も用意できる。島から出たら魔王領へ行くのさ」
 エルピスイオスは軽い調子で言った。だが、眠たげな声は消えていた。
 アンティパトロスは、エルピスイオスを見た。笑みを浮かべていたが、真剣さのある表情だ。
 「どういうつもりだ?」
 アンティパトロスは、低く抑えた声で言った。
 「あんたを引き取りたいって言う人がいるんだよ。魔王領にね」
 エルピスイオスは、静かで明瞭な話し方で言った。
 「幽閉された事すら世間に忘れられた者を引き取るとは、物好きな奴だ」
 アンティパトロスは、馬鹿にしたようにはき捨てた。
 「王子様は、自分が思っている以上に重要な人物なのさ」
 エルピスイオスは、なだめるように穏やかに話した。
 「まあ、俺の存在は政治がらみの醜聞にはなるさ」
 アンティパトロスは、うんざりしたように言った。
 「政治がらみなのは確かだね。だけど、王子様にとっては外に出る機会なんだよ。出た後も、ちゃんと面倒を見る用意がある。あたしの話を考えてみてくれ」
 そう答えると、エルピスイオスは目を閉じた。少しすると、いびきをかき始めた。
 アンティパトロスは、いびきを聞きながら今の話についてぼんやりと考えた。

 アンティパトロスは、寝椅子に横たわりながら庭園を眺めていた。日の光を浴びて、花々が明るい競演を繰り広げている。赤、白、黄色、紫の花々が彩りを競い合っていた。花の香りは、アンティパトロスの所まで漂ってきた。
 アンティパトロスは、エルピスイオスの話について考えていた。あの後、エルピスイオスを問いただした。その結果、脱出方法以外の事は大して知らないことが分かった。エルピスイオスから分かった事は、魔王領に自分を引き取ろうとしている者がいる事、エルピスイオスはその者の命令で動いている工作員だと言う事ぐらいだ。なぜアンティパトロスを引き取ろうとしているのか、エルピスイオスは知らないらしい。
 エルピスイオスが隠している可能性はある。だが、アンティパトロスは本当に知らないと推測した。工作員は、自分の活動に関わる事以外は知らされていない事が多い。工作員が捕まった時に、情報が漏れることを最小限に食い止めるためだ。エルピスイオスは、アンティパトロスを脱出させるための工作員だ。脱出以外の事を知らなくて当然なのかもしれない。半年間体でたらし込めば、大して事情を話さなくても付いて来ると踏んでいるのかもしれない。
 いずれにせよ、アンティパトロスは迷宮から出る気は無かった。脱出したら、魔物達の政治謀略の道具になる事になる。常に緊張を強いられる生活だろう。幽閉以上に屈辱的な目に遭うかもしれない。自分に、策謀家の魔物達と渡り合う能力があるとは思えなかった。
 自分には能力が無い、その事をアンティパトロスは自覚していた。幽閉されていたために、並外れて世間知らずだ。武術と学問はある程度習得しているが、それはどれほど役に立つのだろうか?一兵卒程度の武術か?学問で飯は食えるのか?アンティパトロスに外の世界で生きていく能力があるとは、自分でも信じられなかった。
 それにこの閉ざされた世界は、アンティパトロスにとって快適だった。働きもせずに衣食住が与えられている。楽しみとして武術と学問をやる事ができる。花々を見ながら酒が飲める。女と戯れる事もできる。
 その女が問題となった。女は、外の世界からの介入者だった。この小世界で生きる事を選べば、女との快楽は失われる。惜しくともあきらめなくてはならない。
 アンティパトロスは、花の香りの中で小さくため息を吐いた。
 後ろから大きな足音が聞こえてきた。こんな足音を立てるものは一人しかいない。
 「よう、あたしにも花見酒を飲ませろ」
 エルピスイオスは、アンティパトロスの答えを待たずに杯に葡萄酒をついだ。音を立てて飲み干し、大きく息を吐いた。
 「うめえ、昼間から飲む酒はうめえ」
 そう声を上げると、アンティパトロスの寝椅子の横に座り込んだ。そのまま何も言わず、酒を飲みながら花を見ていた。アンティパトロスも何も言わずに花を見ていた。沈黙を破るのは、鳥の声と酒を飲む音だけだった。
 「ここで暮らし続けるのも悪くはねえな」
 酒をあおった後、エルピスイオスは呟くように言った。
 「この館はきちんと雨風を防げる。暖かい服もある。食って、やって、寝る生活が出来る」
 エルピスイオスは杯を揺らした。
 「酒を飲みながら花を見ることが出来る」
 杯に葡萄酒を継ぎ足すと、エルピスイオスはうまそうに飲んだ。
 「無理にここから出る必要はねえ。あたしもここで居続けていい。王子様と交わる毎日を過ごすのも悪くねえ」
 アンティパトロスは、何も言わずに花を見続けた。
 「ただ、王子様にここから出る話しをしたことは良かったと思っている。王子様がここに居るのは、王子様の意思で居るわけじゃない。他人に強いられた事だ。あたしが話すことで、王子様には選択肢が出来た。外に出るか、ここで暮らすかの選択肢だ」
 エルピスイオスは、話を中断して酒を飲み干した。うまそうに息を吐くと話を再開した。
 「王子様は選ぶ事ができる。ここで暮らす事にしたとしても、それは王子様が選んだ事になるんだ。他人に強いられたわけじゃない」
 エルピスイオスは、アンティパトロスの足を撫でた。
 「まあ、じっくりと考えてくれ。あたしたち魔物娘は気が長いんでな」
 エルピスイオスは立ち上がった。杯を台の上に置くと、アンティパトロスの尻を撫でた。
 「そろそろやりたくなってきた。寝所で待っている」
 エルピスイオスは背を向けた。歩き始めようとしたところ、思い出したように言った。
 「あとさ、出るにしろ残るにしろ、あたしは王子様のそばに居るよ。王子様はあたしの男なんだからさ」
 エルピスイオスは、足音高く歩き去った。
 アンティパトロスは、花を見続けた。

 月が庭園を照らしていた。花々は日の光の元で映えるが、月の光の元でも輝いていた。月の光の中に、濃密な花の香りが漂っていた。
 アンティパトロスは、花の香りを嗅いでいた。先ほどまでいた寝所の生々しい臭いとは別の濃密さがあった。交わりの後のけだるい体を、花の香りがねっとりと包んだ。
 アンティパトロスは、自分の生まれについて思念を巡らせていた。アンティパトロスは不義の子だ。王妃である母は、王である夫がいる身にも関わらず、北から来た異国人と遊び戯れた。その結果、アンティパトロスは生まれた。
 アンティパトロスは、銀色にさえ見える金の髪を生やしていた。純白と言っていい色の肌を持っていた。この国の者とは明らかに違う容姿だ。王の子ではないことは明らかだ。
 王は、意外にもアンティパトロスを自分の子とした。王子の称号を名乗らせた。本来ならば、王子の称号を名乗らせる事はありえない。それどころか殺される可能性が高い。王の行為は、あまりにも常識外だった。もっとも、王はアンティパトロスに愛情を持っていたわけではない。臣下の者に養育させ、自分は冷ややかに眺めていた。
 冷たかったとは言え、王はアンティパトロスを育てさせた。それに対し、母はアンティパトロスを見ようともしなかった。アンティパトロスが母と会ったのは一度だけだ。母は、離宮に移されていた。アンティパトロスのいる王宮に来る事は、ほとんどなかった。アンティパトロスが七歳の時、所用のため王宮に来た事があった。その時、アンティパトロスと母は偶然会った。
 母はアンティパトロスを見た瞬間に、恐怖と嫌悪で表情を歪めた。激しくかぶりを振ると、背を向けて足早に立ち去った。明確な拒絶だった。アンティパトロスは、無表情に母の背を眺めていた。
 アンティパトロスが長ずるにつれ、国内に噂がささやかれた。王は、海神に呪われている。海神をだまして金を手に入れようとしたために、金の髪を持つ子が生まれた。そのような噂が、悪意をこめてささやかれた。
 王は、アンティパトロスを幽閉した。孤島に迷宮を作り、その中に造った館に押し込めた。王位を継ぐ者は、既に王の養子となっていた。アンティパトロスを、次王にする必要はなかった。アンティパトロスは、世間から隠された存在となった。
 父である王は、優しい人なのかもしれない。アンティパトロスは、苦笑しながら思った。本来、自分は殺されるはずの者だった。それなのに子として遇し、王子の称号を名乗らせた。幽閉してからは、快適な生活を送れるように取り計らった。父上は、自分をこの迷宮に封印して始末したつもりなのかもしれない。ご大層なほどの建築物で、俺を閉じ込めた。だが、幽閉した後に虐待したり殺したりはしなかった。俺を毒殺した後に病死した事にすれば手っ取り早いのに、そうしなかった。アンティパトロスは笑った。父上は、優しい偽善者だ。
 迷宮で成り立っているこの小世界は、優しさと偽善で造られたのだ。安寧と快適さを与えてくれる小世界だ。俺は、優しさと偽善で生かされているのだ。
 ここで安楽に暮らし、安寧と共に死んでいくのは良い事なのかも知れない。偽善だとしても、自分を包みながら育ててくれた事は確かだ。優しさを拒否し、偽善を憎むことは、所詮楽な生活をしている世間知らずの愚行かも知れない。自分が楽な生活をしているくせに、苦労して生きていると勘違いしている愚か者のやる事かもしれない。俺は、飼いならされた動物のようなものだ。野生の生き方をしようとすれば、野垂れ死ぬだろう。優しさと偽善を受け入れる事が、物の分かった態度なのかもしれない。
 だが、俺は試してみたい。俺はこの閉ざされた世界でしか生きられぬのか、外の世界では生きられぬのか試してみたい。俺が本で読んだ事、エルピスイオス達から聞いた事は本当はどうなのか確かめてみたい。俺のやる事は、愚かな事だろう。そうだとしても、俺は自分の身で試してみたい。自分の愚かしさを自覚しながら、野垂れ死んでやろう。
 アンティパトロスは、庭園を見つめた。月光によって輝き、甘い香りを漂わせていた。アンティパトロスは、庭園を記憶に刻み込んだ。
 アンティパトロスは背を向けた。自分を外の世界へと導くミノタウロスの元へと向かった。

 アンティパトロスとエルピスイオスは、壁の前にいた。辺りは夜の闇の中に沈んでいる。
 脱出は、アンティパトロスがエルピスイオスに迷宮から出る意思を告げた二日後の夜に決行した。段取りは既に組まれていた。アンティパトロスが決意すれば、いつでも実行に移せる状態だった。
 従者や兵士が出入りする入り口は、使わなかった。そこは常に兵士が見張っていた。別のところに通用口があった。秘密裏に造られたもので、アンティパトロスは知らなかった。その通用口をエルピスイオスは知っていた。エルピスイオスが壁の一部をいじると、人が一人通れる空間が出来た。二人は、そこから迷宮の中に入った。エルピスイオスは巨体ゆえに苦労したが、何とか通る事ができた。
 出てすぐのところに一人の女がいた。外見は普通の女だが、蜘蛛の魔物娘であるアラクネだ。人化の術を使っていた。女は、二人を脱出させるための工作員だ。
 アラクネは、糸を手繰りながら二人を導いた。入り口から糸を引いているとの事だ。三人は、迷宮の中を右へ左へと進んだ。途中で壁に突き当たった。アラクネは、しゃがみこんで壁の下部をいじった。壁が開いて、人が通れる空間が出来た。出た所にまた糸があった。三人はそのまま進んだ。
 三人は、迷宮の出口へとたどり着いた。一人の男が佇んでいた。アンティパトロスの従者だ。アンティパトロス達と従者は、無言で対峙した。
 「俺を連れ戻そうと言うのか?」
 アンティパトロスは低く言った。
 従者は、アンティパトロスをじっと見つめた。ゆっくりと首を横に振った。
 「いえ、お引止めいたしません。お見送りに参上したのです」
 アンティパトロス達は、従者の横を通り過ぎた。アンティパトロスは振り返った。
 「アレクシオス、今までよく俺に仕えてくれた。ごくろうだった」
 アンティパトロスの言葉に、従者は一礼した。
 「ありがたきお言葉にございます、アンティパトロス様」
 アンティパトロスは従者に背を向け、早足に歩き出した。アレクシオスは、アンティパトロスに無償の奉仕をしてくれた男だ。その男を捨てて、迷宮から出ようとしていた。
 迷宮から出てしばらく行くと、海岸に出た。一隻の船が停泊していた。アラクネに誘導されて、アンティパトロスとエルピスイオスは船に乗り込んだ。船の中には女達がいた。人化の術を施した魔物娘達だった。アンティパトロス達を乗せると、船はすぐに動き出した。
 船は、早足で沖へと進んだ。アンティパトロスは後を振り返った。島が遠ざかりつつあった。朧な月が、孤島と迷宮を照らしていた。アンティパトロスのいた小世界が浮かび上がっていた。優しさと偽善で造られた世界だ。
 閉ざされた小世界は、アンティパトロスという中心を失い存在する意味を失った。一つの世界が、終焉を迎えようとしていた。アンティパトロスは、自分の中に消え行くものを刻み込んだ。
 アンティパトロスは背を向けた。船の舳先を見た。船は波を掻き分けて、前へと進んでいた。エルピスイオスはアンティパトロスに寄り添い、背に手を回して強く撫で回した。アンティパトロスも、エルピスイオスの背に手を回した。
 船は、月の光に輝く波を蹴立てて進んだ。

 こうして、一つの閉ざされた世界が終焉を迎えた。アンティパトロスは、新しい世界へと進んだ。エルピスイオスと共に。
14/04/23 19:12更新 / 鬼畜軍曹

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