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三話

   趣味が悪いな」
 何処か遠くで、聞いた事のない男の人の声がする。エリスはぼんやりとした意識の中で、微かに耳に神経を集中させる。すると、傲慢が見え隠れする別の男の人の声が聞こえる。
「ふん。傭兵如きに言われる筋合いはないわ。精々、払った金分は働いてもらうからな」
 何故か此方の人の声は、耳障りに思った。
「へいへい、こっちも商売や。汚い金でも、貰えれば幾らでも働いてやんよ」
 蔑みを込めた変な喋り方の声に、疑わしく返される嫌な声。
「く、減らず口の多い犬だ。本当に貴様があの有名なヴァーチャーなのか?」
「何で有名かは知らんが、ヴァーチャーといえば、名乗るのは俺ぐらいやないかな?」
……どちらでもいい。奴に適わないとしたら、死ぬのはお前だからな」
「はっ。俺を殺せる奴がいるのかねぇ? 居たとしたら重畳、重畳」
 不気味な笑い声。其れを聞いて相手の人が舌打ちをするのが聞こえた。其処でやっと私は意識を完全に取り戻す。
「え……   
 目を開く。目の前には左右対称に並べられた長いす。中央には赤い絨毯が奥の扉まで伸びている。状況が飲み込めないままに頭を掻こうとするが、がたがたと音を立てただけで、一向に腕は動かない。頭を下げると、椅子に座らされ、挙句縄で縛られているエリスの身体が見えた。

「目覚めたようだな、トカゲが」
 頭の後ろからそんな声を聞く。首を後ろに曲げて声の主を確かめてみる。豪華な装飾品を身に付け、それを鼻にかけた態度の貴族っぽい男の人が其処には立っていた。そして、そのエリスを見る目は、エリスを矮小に見下す目だと直ぐに判った。
「ふふ……何か、言いたい事はあるか」
 そう問われたので、折角だから訊いて見る。
……此処は何処でするか。何故、エリスを縛っているのでする?」
 すると無視するようにそっぽを向くこの男の代わりに、その横に居る別の男の人が答える。
「此処は教会や。君には人質になってもらっている最中」
「! 余計な事を喋るなっ」
「いや、アンタが訊いたんやろうが」
「私は『言いたい事はあるか?』と言っただけだ。答えるとは言っていないぞ。って、そんなことはどうでもいいっ。貴様、傭兵の分際ででしゃばるなっ。出番が来た時だけ出て来い! 判ったな」
 怒号が、教会によく響く。頭がグワングワンになるエリス。
……吃驚するくらいつまらん揚げ足取りを……。わーかった、判ったよ。ゆっくりしときますよ〜」
 そうおどけた様子で低い段差を下りていく変な喋りの人。ふと何かを思い出したように振り返り、エリスに告げる。
「あ、あと君ぃ。……ゆっくりしていってね!」
 最後にそう言われたけど、ゆっくりも何もないもんだと思った。
 エリスの視界に入る長いすの一番手前に座った男の人を改めて見る。黒髪で鼻の低い、目の鋭い人だ。どうやら、異国の人らしい。
「エリスは何故人質にされているのでするか?」
 どちらかと言うと話してくれそうなのはあの異人さんなので、そう声を掛けてみる。けれど、その方はもう私と口を訊いてくれない様子。代わりに後ろに居る嫌な感じの男の人が答える。
「貴様を餌にすれば、グリューネヴァルト“も”手中に収める事が出来るからなぁ」
「? ぐりゅー、ね? ばる、と……?」
「スヴェン=グリューネヴァルト」
 その名前を告げられ、初めて主殿のフルネームを知った。
「嘗て南洋において、大量虐殺の罪で投獄された男の名だ。そう、貴様等の集落を襲った、な」
「!!」
「どうだ。今まで連れ添った男が、貴様の仇だった感想は」
 そう問われてもイマイチよく判らなかったけれど、この人はエリスが真犯人を知らないと思い込んでいるよう。だから、はっきりとこう言って返す。
「主殿はそのようなこと、していないでありまするっ。本当は、貴方達がエリス達を襲って、その罪を主殿に擦り付けたのでありますっ」
 するとこの男は白々しく眉を上げる。
「ほう。知っていたのか。それはつまらんな。てっきり、貴様が生き残ったのは真実を見ていないからだと思っていたのだが」
「な……っ!」
 エリスの反応を見て楽しもうとしていたのか。エリスは腸が煮えくり返る思いがしながらも、今の自分の状況を思い返して、情けなくなる。
 急に暴れるのを止めたエリスを変に思ったのか、敵は言う。
「どうした。言っておくが、あの男が元々教会の騎士だったのには変わりないのだぞ」
「!」
 元騎士。その意味が此処で繋がった。
 主殿が、元々南洋正教会の騎士……その事実には、少なからず衝撃を受けた。
 そんなエリスの様子を見て、後ろから笑いを押し殺す声が聞こえる。前に居る異人さんは後ろの人の様子を見て明らかに嫌な顔をしていた。……そんな時だった。



「のほぉっ」
 バァンッ
 悲鳴が聞こえたと思った瞬間、遠くの扉が勢いよく開いて、白いローブを着た人が背中から飛び込んでくる。そのローブは血に塗れボロボロで、教会の絨毯に倒れ込んで動かなくなった。
 そして、扉の向こうを見てみると其処には……剣を構える、主殿の姿があった。 
「あ、主殿っ」
「来たかっ。本命が!」
 後ろの人が興奮した声を上げる。長いすに座る異人さんは今まで眉一つ動かさなかったが、目線は横に動かす。
 ぜえはあと息を切らす主殿の視線が、縛りつけられたエリスの姿を見付ける。そしてエリスの後ろのに居る敵に目を向け   

 
 
   貴 様 ぁ ぁ ぁ ぁ っ
 
オォォォ……
 


 主殿の怒号。いつもの淡々とした表情とは違い真っ青な血筋を浮かべ、怒りに剣を打ち震わせる。そんな主殿を、エリスは一度だって見た事がなかった。
 だがそんな主殿を嘲笑い、背後の敵は身動きの取れないエリスの首に剣を宛がう。冷たい感触が首筋の血を冷やす。主殿は困惑した。
「!? エリス……っ」
「久しぶりですなぁ。グリューネヴァルト名誉騎士殿。御壮健でなによりでございます」
 エリスの顔の傍で慇懃無礼な口を利く男。どうやら主殿は敵と因縁の間柄の様。
 だけど主殿は、急に先程までの怒気を納め、刃を下すのだった。
……貴様」
「ん? どうした、さっきまでの威勢は。やはり大切な弟子を人質にとられては、流石の剣帝殿も、手も足も出んか? ふはは」
 主殿はこの男の笑い声にも動じず、顔を伏せていた。エリスはどうしたのだろうかと心配になるが、その途端、主殿は信じられない行動に出たのだった。

 ガチャッ ガシャンッ
   主殿っ!?」
 エリスは思わず声を上げる。主殿は剣を鞘に納め、あろうことかそれを捨てた。そしてそのまま膝を付き……額を教会の床に押し付けらのだ。
「っ!?」
 これには敵も驚いたらしい。けれどエリスは、それを見て、どうしようもなく悲しい気持ちになった。
「あ、主殿っ。そんな、頭を挙げて下され!」
 だけど、エリスの言葉は最早耳にも届かず。主殿は土下座したままこう叫ぶ。
……頼む。その娘だけは、どうか傷付けないでくれ……っ」
「あ、主殿ぉ……!」
「お願いだっ。これ以上、罪のない彼女たちを傷付けるなっ! いや、傷付けないで下さいっ! お願い、します……
 すると、敵は愉快に笑った。
……ふふ、ふははあっはっはっは! 見っとも無い姿ですなぁ、グリューネヴァルト名誉騎士殿! そんなにこのトカゲが大切ですかな???」
「(グイッ)!? あう   っ」
 エリスは突然、髪が千切れそうなほど思いっきり引かれ、喉元を突き出される。痛みと屈辱に涙腺が疼く。
 ……こんな事で泣いちゃ駄目だ。戦士たるもの、この程度の屈辱にも耐えられなくて、どうするのですか……っ。
 何より、主殿の為にも……今、エリスが泣く訳にはいかないのでありまする……
 
エリスは涙をぐっと堪える。だけど、主殿は尚も頭を上げてくれなかった。
「狙いは俺だけでしょう!? なら、今から教会に戻ってもいいっ。いや、なんだったら、貴方様の配下となり、一生を尽しても構わない! だから、エリスだけは、その子だけは解放してくれっ」
 そう叫び続ける主殿。決して、その最中にエリスに顔を上げる事はなかった。敵はその主殿の様子を一笑に伏した。
「ふむ。私の配下として勤める、か。それは中々魅力的な提案だ。だが残念ながら、私が求めているのは貴様の命と、このトカゲの持つ聖剣なのだ」
 聖剣。敵は確かにそう言った。
 そういえば、エリスの形見の剣が見当たらない。首を曲げてみれば、エリスの剣は敵が腰に差していたのだった。それをさも自分の宝とでもいうように撫でて言うには。
「全く、この剣を手に入れる為にどれだけの苦労があったか、貴様には判るまい。トカゲ共が隠し持っていると知ってから、国王に直訴し、教会に圧力を掛けさせ、それでもって私の部隊が出向くように仕掛け。……且つ、貴様という豪傑を犯人に仕立て上げるには、それはそれは苦労したのだ」
 立て板に水。さらさらと語られたその話に、エリスと主殿は一様に愕然とした。
「貴様……っ」
「ああ、言っておくが、貴様が懇々と語ってくれた推測を『合っている』と言った覚えはない。それほど間違ってもいなかったからな。黒幕を勘違いしていたのなら、それは貴様の所為だ。だが貴様の推測は聞いていて面白かった……名探偵の推理を聞いていたようだった。いや、実に良かったよ。ははは」

 そうやって主殿をまたもや嘲笑する。主殿の表情は、怨念に彩られ、修羅の様な顔をしていた。
「そもそも、だ。私も最初はあのトカゲ共には温和な姿勢を見せていたのだよ。だからこそ、奴等と長い間取引をしてきた。だが、中々これを渡さなくてね。イライラしていたのだ。ついでに、競技会で貴様に恥を掻かされてイライラしていたし、序だから両方とも始末してやろうと思った訳だ。だが、まさか貴様は脱獄して行方をくらませ、目当ての聖剣は見付からないとはな。終いには、こんなに時間が掛ってしまった。全く、少しは私の苦労を思い知ってくれたまえよ」

 そんな身勝手な理由を認める訳がない……。エリスも、そんな事で集落の皆が殺されたかと思うと、悔しくて……叫ばずにはいられなかった。
「そんな事の為に、集落の皆を……母上、父上を……
「うん?」
「お前だけは許さないでありまする……っ! お前だけは、神様が許しても、エリスがっ。エリスが必ずこの手でぇ   っ!」

 エリスの声が建物に響く。それでも主殿は頭を下げたままだった。その理由は他でも無い、エリスの喉元に突き付けられた刃。
「ふん。もう少し遊んでやろうと思ったが、私も暇ではない。今や教会にとって邪魔者となった“剣帝”の首を早々に持って帰って、名誉騎士の冠を頂きたいのでな。……おい、雇われ! 貴様も判っているなぁ?」
 ガタッ
 教会の中にそう声が響く。今までエリスと主殿の言葉を黙って聞いていた、あの異人さんが立ち上がる。そして跪く主殿の前に立ち塞がった。


――――――――――


「さてさて。剣帝という仇名が君に過ぎたる名であるか、見せてもらおうやないか?」
 頭を下げる俺の前に、一人の東洋人が立ち塞がる。妙な事に、剣を両腰に下げているその男は、途端に問答の様な事を始めるのだった。
「最初に聞くケド、君は何の為に剣を揮うんや? 金か? 名誉か? 女か? それとも……信仰?」
 俺はそんな問答に興味などなかったが、取り敢えず最後の選択肢を耳にして否定したい気持ちが募る。
……何故そんなことを訊く」
「いや、何。剣帝とまで呼ばれる男が剣に持たせている意味ってのが気になってね」
……少なくとも……神だとかいうものの、為じゃない」
 そう答えてやると、随分満足そうな笑みを浮かべる。
   素晴らしい」

 シャキィンッ
 東洋人はその一言の後、小気持ちよい音を放たせながら一本の剣を抜いく。そして間髪入れずに俺の額を割ろうとしてきた。
 咄嗟に俺は横に転がり、先程捨てた剣を手に取る。
 ガチャンッ

「人を殺す事を神の所為にしないのは、良い事や。殺し甲斐はありそうやな」
 相手は俺と切り結ぶ気らしい。
 横目でエリスの様子を見る。喉元にこれ見よがしに刃を突き付けられているが、奴だってこの東洋人の腕は信用していない様子。無闇にエリスを殺すことはないと思うが。

「あの子が気になるか?」
「っ!?」
    なんだ、此奴っ。何時の間に俺の懐に入ってきた? くそ、切り上げを避け切れない。顎を少し切った。
 暫くこの東洋人と切り結ぶ。確かに相当の実力者だが、動きがオーバーで隙が僅かに見受けられる。その隙を突けばいいのだが、エリスに何かあると思うと、俺は気が気でなかった。どうしても切り結ぶ際にエリスの様子を気にしてしまうし、隙を突こうとしたタイミングにまたエリスの顔が横切る。
 今だってまた……
「ほらぁっ!!」
「っ! ちぃっ」
 躊躇した瞬間に、先手を取られる。この男、他人の思考が読めるのかと思うくらい、俺の戸惑いを見透かして攻撃してくる。嫌な性格だ。
 だがその太刀筋は何度も見てもう憶えた。俺は息を整え、相手の刃を目で追う。

 カシャンッ カシャッ
 剣が触れ合う瞬間、刃を傾けて相手の刃を自然に往なす。そして下にお辞儀させ、相手に隙を生じさせた。
   主殿のパリング!)
 これで次の一手をしくじらなければ、俺の勝利……。いや、勝利?
 勝利すれば、エリスに危険が迫る。その時、俺は勝つという選択肢を持っていないことに気付いた。

 カシャン   
 一瞬の躊躇が招いた危機。東洋人の剣が俺の剣を絡み返し、上に持ち上げたのだ。片手を上にあげ、急所である脇ががら空きとなってしまう。
 パリング、し返されたのだ。
 
ドゲシッ
「ぐあっ」
「主殿ぉっ」
 東洋人は絡め上げた剣で俺を切り裂く事はせず、脇に強烈な蹴りを放った。切り裂かれるよりはマシだが、人間が繰り出した蹴りとは思えぬほど体が吹っ飛ぶ。そして俺の体は教会に並べられた長椅子に受け止められる。

「ぐ……ぁっ」
 背中に、脇に、痛みが走る。骨を折っているらしい。立ち上がろうとしても、途端に走る痛みがそうさせてくれない。
 東洋人は、淡々と俺の喉元に切っ先を突き付ける。
「弟子を救う為に躊躇なく頭を下げた気概、惚れ惚れする。やけど、それは強者が弱者の手段を行使したからこそそう見えるだけ。弱者が弱者の手段を行使する事に、どう思う事もない」
 薄気味悪い笑みを浮かべる東洋人の目に妙な気楽さが浮かぶ。
 此奴、全く本気を出してない。肩で息をする俺に対して、此奴は息一つ乱していなかったのだ。まるで準備運動の段階の様に、肌に良い血色が浮かんでくる程度。つくづく、神は身勝手なものだと思った。


――――――――――


「はっはぁ! いい様だな、スヴェン」
「主……殿……
 エリスの為に必死に頭を下げた主殿。その想いを前に、嬉しいような、悔しいような。主殿は、エリスの様な才無しの為に命を賭して此処までやって来たのだ。そして剣もプライドも捨てて、エリスのような下らぬ凡夫の為に、死の危険に瀕している。
 ……なんて、馬鹿なお方なのだろう。いや、馬鹿なのはエリスの方だ。主殿は、いつもエリスに真っ直ぐ接してくれていた。この手を取ってくれた。主殿の剣の腕ならば、エリスなどよりももっと素晴らしい物を手に取れた筈だ。
 エリスはうぬぼれた馬鹿だったのだ。主殿の事を一番に思っているつもりだった。主殿の身を案じているつもりだった。
 けれど、それならば……主殿が傷付けられる前に、エリスは潔く舌を噛んで

 死ねばよかったのに。

「うぅ…………っ」
 エリスは戦士として振舞っていたけれど、才能がなくても志だけはと思っていたけれど。……結局、生き恥を晒しただけでありました。そう思うと、堪えていたものが一気に噴き出す。涙が止まらぬまま、服を濡らす。
「主殿」
 遠くからでもエリスの声が届いたようで、主殿は呻き声を返す。
「エリス?」
 今からでも、遅くないですよね、主殿。
 変わらず頭を下げるままの主殿に、エリスは意を決する。
 


「ごめんなさい、でありました」
「!!」
 




 ガリッ

 
――――――――――


 口の中に血の味が広がる。けれども、何故か痛くない。妙に思って、瞑っていた目を開くと、其処には主殿を殺そうとしていた筈の異人さんが立っていたのだった。
 
……?」
 気付けば、エリスの口の中に異人さんの指が突き入れられていた。思い切り噛んだエリスの牙は、異人さんの指に深く食い込んでいる。エリスは驚いてしまう。
「!? っ! ん〜っ!?」
「知っているか。舌を噛んで自殺出来るっていうのは、全くの迷信や。舌は噛んだ瞬間に反射的に引っ込みはするかもしれないが、気道を塞ぐほど裏返りはしない。舌を噛み切って、それが気道に詰まるなら判るが、可能性は低い」
 そう蘊蓄めいた事を語ると、最後にこの人はエリスの頭を撫でてこう囁いた。
   せめて、事の顛末を見届けてから自決しろ。……いいね?」
 エリスは再び涙が込み上げてきた。
「うぅ……っ」
 悔し涙を流すエリスを尻目に、異人さんは噛まれた指に伝う血の筋を見て、ゆったりと笑むのだった。
 

――――――――――


……成程。本気は伝わったわ)
 血が伝う指を掌で包むと、東洋人はエリスの頭をぽんぽんと叩く。泣きじゃくるエリス。途端に俺の方に振り向くとこんな事を言い出すのだ。
   人質が気になって本気が出せない。それじゃあ確かにつまらんな」

 不意に東洋人が腕を振り上げた。それに気付いた瞬間。
「!? が…………っ?」

 何時の間にか、俺を嵌めたあの貴族の喉元に、柄までナイフが突き刺さっていた。
 喉を突き破られ、まともな叫び声も挙げられないまま、エリスに突きつけていた剣を落とす。そしてその手で、喉の異変を確かめるように撫ぜる。次第にその目は赤く充血していき、やがて地面に伏せた。
 
「え? え   ?」
 戸惑うエリスを他所に、東洋人は黙々とエリスの縄を切る。エリスは解放された事が信じられないという風にしながらも、俺に駆け寄ってきた。
「主殿! 大丈夫でするか……!?」
 心配そうな声を掛けて、俺の体を引き上げる。相変わらず痛みが体を走るが、エリスが無事と思えば、こんなことで呻いている暇は無い。痛みを我慢して立ち上がる。
「く……ど、どういうつもりだ?」
 東洋人は俺達の姿を見て笑っていた。剣客をやっている俺でも判る。奴のやった事は、常軌を逸脱している。依頼主をあれほどあっさりと殺すなんて。
 だが奴の笑みとその刃の傾きを見て判った。此奴は命というものを軽視している。現に俺達に向けるその瞳には、喜びすら伺える殺意が覗いていた。
「別に。君等二人の気概に報いて、人質の安全は保証しておくべきやと思っただけや。やけど、勘違いするなよ。君等を殺す目的なのに変わりは無いから」
 東洋人は改めて刃をちらつかせる。改めてみると、凄まじい闘志だ。背後に修羅を背負っているように見える。負傷している俺とエリスでは、勝てる見込みは無い。それこそ、本気を出されては。

 だがそんな時、エリスは俺の剣を握り締め、東洋人の前に立ち塞がったのだ。俺は突然剣を奪われた事もそうだが、エリスがそんな行動を起こす事に唖然とした。
「主殿っ! お逃げ下さいっ」
 そう叫ぶエリス。その手足はがたがたと震えている。
「エリスっ」
……ああ、どうせ逃げられんよ。もうこの教会に結界張っといたから、俺を倒さないと基本出られない」
 東洋人は溜息を吐きながら、懐からナイフを取り出す。俺達は思わず身構えた。

 スタンッ
「ほら、見ての通り」
 東洋人が注目させるように周囲にナイフを投げる。そのナイフは教会の窓、扉、壁に刺さることなく、一瞬チラついた紫の光の壁に悉く阻まれるのだった。エリスが確認するように、窓に走って剣を突き立てる。だが得体の知れない力によって、エリスの身体は弾き飛ばされた。
「そんな……
(逃げ場は……ないか)
 あの東洋人の魔力が如何なものかはさておいて、俺達の中に魔法の心得のある者は居ない。結界を破るなんて方法、微塵も思いつかないのだった。あっさりと退路を潰されていた事実を前に、エリスは戸惑いの剣を震わせる。

だが、この瞬間の隙にさえ、あの東洋人は付け入るのだ。一気にエリスに詰め寄り、その頭をがっしりと掴む。
「!」
   ていうか、君で、何秒稼ぐ気な訳?」
 そう囁いたと思った、次の瞬間……
 ドゴォォンッ
「! エリスッ」
 エリスの頭を掴んだこの男は、躊躇なくその腕を地面に叩き付けたのだ。床が突き抜ける音が教会に響いたとおり、その破壊力は周りの床が捲れ上がるほどだった。
「自分の力量が判っていないのか? 道端に転がる小石如きが、道を塞いでいる気になるな」
 そう吐き捨てた言葉に、俺は心底怒りが込み上げてくるのを感じる。確かに、エリスは弱いが、だからといって戦士じゃない訳じゃないのだ。彼奴の一生懸命さは、俺がよく知っている!

 助けないと。早く、医者に。そう気が急くが、それにはこの男を倒さなければならない。剣はエリスが持っていて、地面に叩きつけられたときにへし折れてしまっていた。
 その時目に映ったのは、倒れる元上司の腰元に下げられたエリスの形見の剣。   奴は聖剣と呼んでいたが。
 俺は荒い息使いの中、エリスと聖剣の間で視線を行き交わせる。倒れるエリスを介抱するのを先にするか、聖剣を手に取るのを先にするか。どちらにせよ、詰みに近い状況だ。

 だがそう絶望している俺の意に反して、エリスが呻き声を挙げて立ち上がる。
「エリス、大丈夫か?」
「くぅっ。エ、エリスは大丈夫でありまする……
 へし折られた剣を片手に、エリスは飽くまで刃を東洋人に向ける。その姿に、東洋人は目を丸くした。
……頑丈やな。殺す気で地面に叩き付けたつもりやねんけど。見たところ、何処かの誰かさんみたいに骨の一本も折れてないようやし、流石リザードマンといった所か」
 ちらりと俺を一瞥する。気付いているのか。つくづく嫌な性格をしている男だ。そして奴はニィッと笑った。
「寝たふりでもしていたらいいものを。非力な身でまだ突っ掛かってくるか。よくやるわ。そんなに苦しんで死にたいのか?」
 その言葉を聞いて、エリスは目付きを鋭く尖らせた。
……あ、主殿はっ、エリスの手を取ってくれたのでありまするっ。無敵の剣技をもつ主殿の手ならば、エリスみたいな才能のないリザードマンなんかより、もっと素晴らしいものを手に取れた筈なのでするっ。権力だって、名誉だって、お金だって、エリス以外の女の子だって、主殿に掛かれば簡単なのに……っ! なのに、エリスを選んでくれたんでするっ! エリスを……っ。だから、今此処でその恩義に報いるのでするっ」
 エリスの精一杯の覇気。それは俺やこの東洋人の間からすれば本当に小さなものだ。折れた剣を片手に立ち向かうその頼りない姿も。
 ……だが、確かに俺が剣を揮う理由が、神への奉仕以外に、此処にあるのだ。だから、彼女の手を取った。引いて歩いてきた。
   今度は、俺の手が引かれる番らしい。
 
 

 東洋人はエリスの微々たる覇気の前に、嘲笑を浮かべる。
「はっ、才能か。確かに才能があれば欲しいものは何でも手に入るやろうな。金、名誉、権力、地位、女……。それこそ、才能を持って生まれえぬ者の手ではどれ程望んでも手に入れられないものを、才能のある者はいとも簡単に手中に収める事が出来るやろう。我々の歴史の中では、才能を持たない者は何時だって持つ者の手に嫉妬してきた。やが、“才能”とはなんや?」
 そう問いかけると、男は手の中の空気を握り潰して見せる。
「才能と一口にいっても、色々ある。絵の才能、音楽の才能、剣の才能、物作りの才能。やが、才能とは人に勝る事を言うのではないんや。その本質は、どれだけその分野に打ち込んでいるか、と謂う事だけ」
 そう言って、秘密を明かしたかのように人差し指を唇に立てる。
「つまり、“才能”とは“愛”や。本質が“愛”だと説明してしまえば、人が才能に嫉妬し、狂うのも判る。“愛”は“狂気”の一種やから、さ」
 そう言うと彼は剣を振って空気を切り裂いてみせる。
「金、名誉、権力、地位、肉欲。そのどれもが、狂気の前ではゴミクズに等しくなる。才能のある人間は、本当に価値のあるもの……“愛”を求める」
「え、えっと……あの」
   君も才能に恵まれているやないか。自分で才能がないやなんて、悲しい事をいうものじゃない」
 東洋人はそう言って、最後にエリスに軽く笑いかける。エリスはきょとんとしながらも、大きく首を振って、剣を握り直す。
「だ、騙されないでありまする……! エリスに、才能なんて!」
「ならなんで俺に剣を向ける訳? 適わないって、判ってるやろ?」
「それは、主殿を守る為に!」
「ならそれは愛や。才能や」
 平然と、そんな言葉が吐かれる。
「それでいいやないか。適わない相手を目の前にすれば、普通逃げ出すのが自然の摂理。誰だって死にたくない。それが生物として普通。それに背く行動を狂気やといってしまえば、君には愛があると証明される訳やな」
「うう……この人、何言ってるか判んないでありまするぅ〜っ」
 エリスが困り切った表情を見せた、その時だった。東洋人は突然今までの温和な態度を改め、目筋を更に鋭く向ける。

「俺は、愛が嫌い」

 一言放たれた瞬間の、凄まじい踏み込み。東洋人は宙を舞い、その表情を歪ませて剣を振るう。先程の覇気とは違う明らかな狂気を前に、場数も踏んでいないエリスが身を竦ませない訳がない。
「ひぅ……!?」
 俺は思うより先に駆けた   

 カシャンッ カシャッ

 狂気の刃がエリスに届く前に、俺は鞘に納められたままの剣で奴の剣を絡め取り、下にお辞儀させる。胸に激痛が走るが、今はそんなことどうでもいい。只、エリスを守らなければならないと、その一心で此処に立ち、剣を握っていた。
 奴はパリングされたと気取るや否や、さっさと身を引いた。剣を捉えられているままでは隙だらけになるが、一歩後ろに下がればカウンターは届かない。狂ったかと思えば、随分と冷静な判断だ。
……時間を稼がせてしまったようやな。やけど、その剣、お前には抜けないやろう? あの男が探していた聖剣を扱えるのは確か、シビアな使用条件を満たす戦士のみの筈や」
 ゆらりと指摘されてドキッとしてしまった。確かに俺はこの剣を抜く事は出来なかったし、エリスも抜けなかったのだ。今抜ける保証なんて、無い。

「シャアァッ!」
 戸惑いの色を見せる俺達の隙を相変わらず見逃さない。奴は剣を地面に突き立て、一気に床を切り上げた。すると其処から突然、床の切り口が此方に向かってくるのだった。
「真空波でありまするっ」
 エリスの叫び声に反応して、俺は彼女を抱えて横に飛ぶ。見えない太刀は俺の横を通り過ぎて行き、長椅子を纏めて真っ二つにする。折れた骨が俺の体の中を引っ掻き回し、酷い痛みが走る。脂汗が額から溢れ、頬を伝った。
「主殿、大丈夫でありまするか!?」
「だ、大丈夫……だ」
 お互いの無事を確認しあったあと、俺は望みを託して剣に手を添える。

    カチャッ

 剣は何かに引っかかっているかのように鞘から抜けない。判ってはいたが、この時ばかりは絶望した。
「やはり駄目か……
「エリスは!?」
 そうやってエリスも聖剣を抜こうとするが、この剣は抜けなかった。やはり、何かに引っ掛かるのだ。
 そして、俺達の悪足掻きを見ていた東洋人は不敵にほくそ笑んだ。
「確か君は元騎士やったな。神へのご奉仕やらの為に剣を揮ってたりしてたのか?」
「昔の話だ。いまじゃ神よりも俺の剣を揮うに相応しいものがある」
「それが、その子って訳か。お互い惹かれあっているんやな」
 そうだ。何かの為にしか剣を揮えない俺にとって、大切な存在こそ、このエリスだ。エリスは顔を真っ赤にして頷いてくれた。
「当たり前でするっ! エリスが主殿以外を恋い慕うことなどある筈がありませぬっ!」
「俺もエリス以外を弟子とは思わない。まぁ、貴様には判らん感情だろうが」
……それが、判るんよなぁ。判って、踏み躙りたいと願う。全く、誰かどうにかしてくれ」
 そう呟いて苦笑する。妙に思ったが、続けて奴は俺達にアドバイスするようにこう言うのだった。
「惹かれ合う二人というのは、お互いに持っていないものをお互いに見出しているから。一人ずつでは足りないけど、二人なら足りる。人が、一人ではなければならないという法則はないように」
「!」
 その言葉の意味を理解出来た時、俺達は顔を見合わせて頷く。敵のアドバイスを聞くようで複雑な気分だが、今はそれに賭けるしかない。
 白柄に先ず、エリスが手を巻き付かせる。そして続いて俺の手を、エリスの小さな手の上に覆いかぶせた。掛け声と共に、俺達は剣から鞘を抜く。
「てやぁっ!!」
「えいっ!!」
 シュラァッ



 剣は実に軽く抜けた。派手に後光を放つ訳でもない。唯、元から抜けるようになっていたかのように、抜けた。白磁のような柄と同じように、その刀身も白く輝いていた。
すんなりと嘘みたいに軽く抜けた剣。唖然としている俺とエリスを目の前にして、東洋人も目を丸くしていたのだった。
……まさか、本当に抜けるとは思わなかった。悪いな」
 そう困ったように呟いてから急に切っ先を向けてくると、こう言い放つ。
「俺が余計な事を言ったばかりに、君等に無駄な希望を与える結果になってしまった。詫びに、直ぐに楽にしてやる」
「!」
 来る。そう感じた瞬間、俺とエリスの中で感覚が繋がった気がした。



    気付けば、俺達が共に握っている剣が東洋人の鋭い切っ先を受け止めていた。どうやら俺達の体が反射的に反応したらしい。鋭く、そして重い筈の一撃。だがそれを俺達は軽く感じたのだった。
……聖剣、ねぇ。成程、その由縁が判った気がする」
 攻撃を受け止められた東洋人は距離を置き、スパンと剣で空気を裂いてみせる。
 暫くして、東洋人の剣は粉々に砕け散った。
「あ〜あ、折角あのサイクロプスをくど……やない。親切に作ってもらったってのに」
「主殿。今、あの人、口説いてって言おうとしたでありまする」
………
   ごめんな、大切に使ってやれなくて」
 ぼそりと呟いた東洋人の言葉は聞こえなかったが、奴が腰に下げている剣はまだもう一振りある。奴は折れた剣を大事そうに仕舞い込み、気を取り直して別の剣を抜いた。

 なんだ、今のは。もしかして、偶々、奴の剣に寿命が来たのか? いや、奴が打ち込んだ瞬間に行った台詞から察するに、これは、聖剣の力   
「さて、これはこれで面白くなってきた訳やが   そろそろ、死のうか?」
 奴の目に攻撃の意思が浮かぶ。必死になって剣を向ける俺達。今気付けば、俺はエリスを抱き締める形で剣を握っていた。
 エリスの香りが近い。何故か、こうしているとひどく落ち着く。そう思っていると、エリスが俺を見上げて語る。
「主殿、妙に力が込み上げてくるでありまする。これが、この剣の力なのでするか?」
「そうかもな。俺の怪我も、いつの間にか治っているし」
「え?」
 もう俺の体を引っ掻き回す、骨の痛みは消えていた。呆気なく抜けた剣は、見た目ではなく、その働きで十分にその後光を差していたのだった。
 


……一つ、訊きたい」
 俺が問うと、東洋人は人懐っこく顔を傾ける。
「どうして其処まで俺達を殺そうとする。俺とお前は初対面の筈だ。やっぱり傭兵として、契約は順守ってところか?」
 言っておいて、それはないと思った。此奴は依頼主を殺したのだ。契約順守なんて義理を通す輩だというのは辻褄が合わない。思ったとおり、東洋人は苦笑いしながら首を振る。
「傭兵の流儀なんかに興味は無い。俺の本職は密偵や」
「密偵   スパイでするか!」
「う〜ん。まぁそうやけど、クールな感じではないよ。情報収集よりも、こういう武力的工作の方が多いかな」
……工作?」
「ああ。俺が君達の首を持って帰れば、南洋正教会に取り入ることが出来る。反魔物派組織の中でも、最近動きが物騒な部類でな。……そろそろお灸を据えようかと、ね」
「密偵がそんなに情報をべらべらと話していいものなのか?」
 余りに素直に答えた東洋人を不審に思い、そう問う。すると奴は人差し指を振ってみせる。
「其処等辺は大丈夫。俺の結界は音も漏らさんし、そもそも君等は今から死ぬ身なんやから、知ってようが関係ないやろう? そうやな、冥途の土産って奴か」
 その言葉の揺ぎない自信。そうだ、聖剣が抜けようが、俺達は気を緩める段階にまだ無いのだ。
 だがその時、胸に抱くエリスが不意に蠢いたのに気付く。すると、エリスはあの東洋人に向かって、ほんわりと微笑んで見せたのだ。

   殺す相手に、親切にも殺す言い訳を教えて下さるのでするな」
「エリス……?」
「先程だって、エリスが自決するのを止めて、あろうことかエリスを解放してくれた。貴方は……本当に、エリス達を殺したいのでするか?」
 俺はエリスの問いの真意が判らなかった。だが今言えるのは、エリスの顔は何処かの聖母のように目の前に立つ修羅を真直ぐ見詰めていたという事。それと、エリスの問いに東洋人が一瞬泣きそうな顔で一言、「助けて」と口を震わせたことだった。

 だが、途端に奴は恍惚とした表情を浮かべ、天を仰ぐ。そして、先程の表情は気の所為だったかと思うほど平然とした表情となる。
「言ったやろ。俺にはお前達を殺す目的があり、俺自身も乗り気や。躊躇する要素なんてないな。……所で、その状態で戦う気か?」
 そう指摘されたのは、俺達が抱き合って剣を持っていることだ。この二人羽織状態では、まともに剣を取り回せる訳がない。しかも、これ、さっきから手が柄にくっ付いていて取れなくなっているのだ。
「主殿っ。手が取れませぬ〜っ!」
「エリスもか!? ちょっとこれ、どうするんだ!?」
………
 必死に剣を放そうと振り回している俺達二人に、東洋人も呆れてしまっていた。

……これ以上大事な剣を折られたくはないからな。魔法で消し飛ばしてやろう」
「っ!」
 慌てて身構え、来る攻撃に備える。だがこの状態では足がエリスのと縺れて、まともな回避は期待できない。
 倉皇している間に、東洋人の剣に妙な気配が集まって行く……

「<その時人々は狩られた。贖罪の涙と嗚咽が幾許もこの世を満たす今、何れ来る禍の前兆よ、この場にてその片鱗を顕せ>っ!!」

    ゴォォォォ……

 東洋人の剣が掲げられる。その切っ先には真っ赤に燃え上がる、この教会ごと叩っ切ってしまう程の巨大な炎の刃が噴き上がった。
「あ、貴方の魔法など、エリス達の聖剣があれば怖くありませぬっ。……多分」
「多分、て……
「さぁ、主殿! 攻撃は出来ませぬが、奴の攻撃には答えてやりましょうぞっ」
 エリスは余裕を振舞う。俺は、聖剣の力の程もそうだが、あの東洋人が散々見せた狡猾な一面から、そう上手くいくとは思えなかった。
 そして、揺らめく炎の大剣を眺めていて、奴の思惑に気付く。
   拙いっ」
「? 何がでするか? この聖剣があれば、あんな魔法くらい弾き飛ばせそうでするぞっ?」
「違う。奴はあの魔法で   俺達を生き埋めにする気だっ」
……え?」
 ぽかんとするエリス。東洋人は機嫌よく笑った。
「おお、流石。察しがいい」

 ガスゥンッ ズガガガガ   

 東洋人は炎の刃を教会の天井に差し込む。天井を崩落させながらその刃を俺達に振り下ろしてきた。あの巨大さは、本当に教会ごとぶった切る為のものだったのだ。

 ガラガラッ ズガァンッ

「斬って駄目なら、埋めてみろってね。例え聖剣といえども、結界を張っている訳じゃない。   埋められちゃあどうしようもあるまい?」
「はわわぁっ!?」
 激しく困惑しながらも、ひとまず炎の刃は聖剣で受け止める事は成功した。顔に近付く熱で、頭が浮かされる。聖剣の力でなんとか踏ん張っているものの、このまま一歩でも動こうとすれば、俺達には耐えきれなくなる。
 俺達は何としてでも、炎の刃を受け止めなければならない。例え天井が崩落し、岩が傍に落ちて来ようが、刃が引かれない限りこの場から動けないのだ。だがそれは奴も同じの筈。奴も教会の崩落に巻き込まれて。
 と、思ったが、奴はすでに自分の周囲に十分なほどの結界を張って瓦礫を防いでいた。対して俺達は結界も何も無いまま、聖剣の腹だけを頼りにしていた。

 奴は自分の攻撃を、飽くまで俺達の足止めに使い、別の要素から俺達の息の根を止めようとしている。なんて性格の悪さだ。人を追い詰め、殺す。そのハイエナの様な執念。剣の腕だけではない、奴の恐ろしい強さには寒気がした。こんな相手とは戦った事などなかった。
「あ、主殿ぉ……

    ドスゥンッ

   ひゃうっ」
「く、堪えろっ。エリス!」
 周囲はすでに瓦礫の山。俺達は運よく瓦礫に押し潰されてはいない。だが、少なくともこの手を緩めれば炎の大剣が俺達を殺すのだ。教会が崩落しているのを見れば、退路を塞ぐ結界は解除されているのだろうが、俺達は動くこともできない。
 八方塞がり。
 
 ドスゥンッ ゴゴォ……

   主殿」
 お互いが意を決した頃、エリスが名を呼んでくれた。
「なんだ」
「主殿がエリスの師匠で、良かったと思うでする」
「そうか」
「はい。今まで……ありがとうございましたでする」
「ああ」
「そしてこれからも……ご指導ご鞭撻の程を、どうか宜しくお願い致しまするっ」
……ああっ」
 
 ドゴォンッ ガラガラガラ……

 お互い、死ぬ気など更々ない。こんな所で朽ちてやれない。だがそう思う反面、降り注ぐ瓦礫は容赦なく俺達の視界を遮る。周囲に塵が舞い、俺達の喉を塞いでいく。息苦しくなって、終いには意識が遠のいていく。腕に力が入らず、熱い炎が間近に迫って顔を炙り始めるのだった。
 
 

「<殯の宮を吹き抜ける風よ、死者の魂を運ぶその腕で大いなる者達の道を切り開け>」



 その瞬間、閉ざされた視界が一気に広がる。信じがたい事だが、俺達を囲んでいた瓦礫の山が、一陣の風に粉々に吹っ飛ばされたのだ。
 そして、俺達の前に現われたのは   藍色のローブを身に纏った魔術師だった。

   おぉ、懐かしい顔やなぁ」
 驚いた様子の東洋人が、その魔術師を見据える。魔術師は俺達を守るかのように、東洋人に立ち塞がっているのだった。
「久し振りだな、ヴァーチャー」
 カチリ、と丸眼鏡の位置を直す魔術師。華奢な体に反して、その体からは目に見えるほどの魔力が滲み出ていた。この男も、只者では無いようだ。
 彼等はお互い見知った顔のようで、妙な気配を漂わせながら話を始める。俺達の事は眼中にないかのように。

「はっは。“魔吼のゲーテ”が、俺の名前なんかを覚えていてくれるなんてな。光栄なことや」
「どうやら、俺達のことをもう忘れたらしい。お互いの本当の名前を、貴様はまだ覚えているか?」
「? 本当の名前、ねぇ?」

 どうやら、ピンと来ていない様子だ。ゲーテと呼ばれた魔術師は悲しそうに溜息を吐いた。
「もう、化け物に変わっていく貴様を見るに耐えん。此処で貴様との因縁を立たせてもらうっ。   ソニアッ」
 ゲーテが叫ぶ。東洋人の背後から、雪を思わせるほどに白い肌と衣を纏った少女が両手に光を纏わせて飛び掛る。どうやら光の魔法を手に纏わせて、直接叩き込もうという算段なのだろう。
 だが、東洋人はそれを一瞥もせずに紙一重で躱す。そして、前のめりに体勢を崩した少女の服を掴む。
 東洋人はそのまま軽く少女を振り回し、ゲーテに放り投げた。
 
「! 風よ   っ」
 トスン、と少女を受け止めるゲーテ。風の魔力で勢いを殺したのだ。
……申し訳ありません。マスター」
「構わん。それよりも、奴から目を離すな」
「心得ました」
 そっと、自分の足で立つ白の少女。その立ち居振る舞いや機械的な言動、そしてその華奢な首に見える岩の肌とルーン文字。……ゴーレムだという事実に、僅かながら驚いた。
「(今のは、気絶目的の魔法……?)不意打ちのつもりか? なんかよう判らんが、お前も野郎のケツなんて追わずに、其処の可愛い彼女と宜しくやってたらいいのに。趣味悪いぞ」
「好きでやっているのではない。それに、俺はずっと野郎のケツを追っているつもりはないし、ソニアの事も憶えていない様子の貴様に言われたくはない」
「ソニア。そうか、その娘はソニアというのか」
 僅かに動揺の色を見せる東洋人。ゲーテは不意に視線を落とし、握り締めていた拳を開く。
 其処には灰色の宝石が嵌めこんだ妙な指輪が輝いていた。
   っ!!」
 東洋人はその指輪を見て、今度は明らかに動揺の色を見せる。その様子に何かの手応えを感じた様子のゲーテは、何かに急かされるように話を始めた。
「どうやら、彼女の事は覚えているようだな。必死に貴様の事を想い続けている彼女が報われるというものだ。さぁ、彼女と話をしてやって」
「っ!! くっ、全く……ものの見事に興を殺いでくれるな、お前は!」
 ゲーテの言葉を遮り、慌ててそう言い放つ東洋人。そのままゲーテ達から背を向ける。ゲーテは引き止めて話を続けようとした。
「待てっ。せめて、せめて声を聞かせてやれ……!」
……どうせ、今は昼間。無駄やろう?」
「! くっ」
 ゲーテは恨めしそうに天を仰ぐ。天井を崩され、廃墟と化した教会は澄み渡った青空を切り取って飾っている。
 そして最後に、東洋人はゲーテに振り返る。だがその口から出たのは、先程までの青年の声とは全く違う、いうなればうら若い少女の声だった。

「貴方達はそろそろ潰しておかないと、私達の邪魔になるかもしれないね」
 
 それだけ言い残すと、東洋人は空からの陽の陰りに消えたのだった。



「ふう、行ってしまったか……
「ええ。マスターがヘタレだからです」
………
 消えてしまった東洋人に思いを馳せる様子のゲーテと、ゴーレムの少女。唖然としていた俺達は、一先ず彼らに声を掛けてみる。
「あ、あの。……貴方達は?」
「む?」
 二人は俺達の方に向きかえる。顔には出さないが、その目には後悔の念が宿っているのが伺えた。
「私はゲーテと名乗る……一応、学者だ。そして隣にいるこの真っ白オバケはソニアという」
……どうも、真っ白オバケです」
 主人の嫌味を上手く乗りこなしてみせるゴーレム。温和そうな青年の額に一瞬青筋が見えたのは気の所為では無いだろう。
「あの、助けて頂き、感謝の言葉もありませぬっ。ゲーテ殿、真っ白オバケ殿!」
………
 エリスに悪気は無い。あったこともない。それはこの、純粋無垢の瞳が証明している。
 


……ゴホンッ」
 気を取り直して。
「あ、貴方達は何者ですか? 何故、俺達を……
 一応に名乗られた学者という肩書だが、俺達を押し潰さんとしていた瓦礫を一掃した魔力を目の当たりにすれば鵜呑みにする訳にはいかない。下手すれば、教会の高位司祭よりも優れた魔術師のようにも見えた。
 すると、ゲーテは溜息を吐く
「別に、貴様等を助けたかった訳ではない。寧ろ、奴の方を助けたかったのだが」
「ど、どういうことでするか……?」
 エリスが身を乗り出して尋ねるが、ゲーテは煩わしそうに眼鏡を外し、胸に仕舞い込む。
……私達は奴を追っている身。此処で失礼する」
 そうやって背を向けるゲーテを見て、俺達は慌てた。
「! ちょ、ちょっと待ってくれ!」
 呼び止めると、こつんと靴音を立てて彼は立ち止る。振り返った彼の瞼の下がり具合から、俺達に興味はないという意思がひしひしと伝わる。
 だが今は、魔力に詳しそうな彼に聞いておかねばならない事が一つだけあった。

……まだ何か用か?」
「あの、これ……
「? ああ……

 ゲーテは何が言いたいのか判らないという様子で俺達を見詰めていたが、やがて気付く。俺達は一本の剣を握りしめたまま、二人羽織状態で離れられなくなっているという光景に。
 彼はゆっくりと、俺達の傍に転がる鞘を指差す。
「鞘に納めれば剣の力も抑えられるだろう」
「成程!」
 エリスがそう叫ぶ。ところが、俺はちょっと残念な気がしていた。
 弟子と師匠という、今までの関係では、こんなに二人が密着したことはなかった。だがこの一件で気付かされたことといえば、エリスの大切さだった。
 こうやって胸に抱くエリスの髪からは、いい香りが心を落ち着かせる。腕で抱き締め、剣の柄で手を重ね合わせる、この間に感じるエリスの温かさ。いつか、月を見て泣いていた頃のそれからは想像できない心強さだった。
 そんな風に俺が思っていることなど露知らず、エリスは笑う。
「けれど、変な剣でありまするなぁ、主殿。二人掛かりじゃないと抜けないなど」
「ふ……
 ゲーテが笑った。それを見逃さず、エリスはむっとする。
「な、なんでありまするかっ。恩人といえども、主殿を笑う者はエリスが容赦しないでありまする」
「いや、お前が笑われたんだと思うぞっ?」
「いや。失礼、失礼。その剣は確か、真の戦士にしか抜けないという代物だったか」
「それが?」
「二人掛かりでしか抜けないのならば、貴様等二人でやっと一人前……という計算なのかと思って、な」
「!」
 その言葉には納得した反面、反発したいものもあった。だがエリスはそれを聞いて、俺とは逆に妙に嬉しそうにするのだった。
 
「成程っ! 確かにそうでありまするなっ。……エリスは、主殿が一緒じゃないとダメでありまするから……っ」
 思わず顔が熱くなる。そんな俺に追い打ちをかけるように、エリスは俺の顔を見上げてこう言うのだ。
「主殿。エリスは、貴方様だけをお慕いしておりまする!」
   っ」
 思わず顔を背ける。この無垢な笑顔を直視していたら気がどうにかなってしまう。

「理由は人を真っ直ぐにする」
 ゲーテに視線を向ける。
「理由なんてものは、殆どが自分を納得させる為の自己満足でしかない。だが何者も理由がなければ、中途半端になってしまう。貴様一人では力不足であるように、人は一人では戦えぬ。守るものがあってこそ、人は戦士だ。貴様は“剣帝”なのだ」
 ゲーテはローブをはためかせ、まだ朽ち果てずに残っている教会の壁に飛び乗った。今度こそ、振り向くことはない。

   貴様のその強さ、何れ俺が求める事もあろう。その時まで、息災であれ。剣帝」

 バサァッ

 そして、壁の向こうに姿を消す。ゲーテが言い残した言葉を心に押し留めた、そんな時、エリスが顔を持ち上げて尋ねて来る。
……あ、主殿。そくさい、って何でありまするか?」
「え?」
 俺も聞いた事がない。だがエリスはチートなぐらい俺が何でも知っていると思い込んで止まないのだ。飽くまでも返答を期待している瞳で俺を射抜く。
「あー……えっと」
 聞いた事のない言葉の意味を知っている訳もない。俺が返答に困っていると、傍に何故かまだ居たゴーレムの少女が歩み寄って来て……
「マスターの言葉を意訳すると『そんな小さい娘に欲情とかテラワロスww精々息子を元気にしてろ、このロリコンw』というところです」

 バサァッ

 あ、戻ってきた。
……ソニア。今、いい感じで話が終わりそうだったのだぞ……!? 後、俺が何時そんな電波な台詞吐いた事があった!?」
「ぴー。えらーがはっせいしました。えらーが……
「誤魔化すなら、せめてもっと真面目に誤魔化さんかっ。いいから行くぞ!」
………
 結局なんだったんだろう、あの人達……
 
 
 

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【メモ-地名】
“南洋”

大陸南部の事。どちらかといえば、洗練された文化がある地域だと思う。小国が乱立してる気がする。個人的には、ぼんやり使っている言葉。


09/12/25 23:55 Vutur

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