連載小説
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開かれていない堅牢街
三日目、朝。


早起きしたフォーリーは、グライフの寝顔を覗き込むようにして眺めていた。
少しくらい口づけしてもバレないだろうか。いやいや、そんなことをしたら起きてしまうか。
ずっとその議論を脳内で続けているうちに、グライフの瞼に力が籠った。
そしてゆっくり意識が覚醒。直後、二人の視線が合致する。

「おはよう♪」
「…………」

混乱の表情。それはすぐに何か考え込むような風になり、そして怪訝そうな顔になる。

「いつからそうしてた?」
「ほんの数十秒だけ」
「だけ、というには長すぎる。……人の顔をじろじろ見るな」

ふう、とため息をついてグライフは視線をずらす。
その先は昨夜作業に没頭していた時の机であった。

「だって貴方、深夜まで明かりが点いてるから何かと思えば、机に突っ伏して寝てたのよ? ちゃんと寝れたか確認したくもなるってものじゃない」
「ああ……、運んでくれたのか、悪かったな」
「もう朝食は作ってあるから。いっぱい作ったのよ?貴方が金塊なんて渡すから」
「余分だったら手間賃にしておいてくれ」

朝から不毛な論戦になりそうだったので、フォーリーはこれを流して退出。
本当は30分近くグライフの寝顔を眺めていたのだが、全く気付かれなかったらしい。
普段の態度が態度なだけに、その無防備な表情は格別だった。

それからしばらくの後、グライフも部屋から出てくる。起きたばかりのはずなのに、もう目覚め切った顔になっている。
テーブル上に並んだ皿の数に少し戸惑っていたようだが、先に受けた説明を思い出して再納得したのだろう。
着席して一言礼を口にし、ゆっくりとミルクを飲み始めた。

「……堅牢街?」

ふと、余った椅子の上に置いていた新聞を見てグライフが驚いたような声を出す。
既にそれを読んでいたフォーリーは、その内容を思い出す。
それはずっと対外関係を遮断している人間国家の名前だが、それがどうかしたのだろうか。

「視力良いのね。ええ、今日のニュースよ。堅牢街の統領が代替わり、でも徹底閉鎖の方針を維持って。気になるの?」
「ああ。こっちの世界の堅牢街は既に開国されているが、こっちじゃまだか。ただ、そうなると少し面倒だ」
「え、貴方のやっている事に堅牢街が何か関係するの?」
「俺は元の世界で転移装置の製作の為に、堅牢街が開国して不要になった火薬を譲り受けたんだ。安く大量に調達する手段を別に考えないと……」

元の世界でどうやって堅牢街が開国したの? とか、堅牢街に大量の火薬が? とか、気になる部分はあったがそこは本題では無いらしい。
フォーリーも朝食に手を付けながら、先の話に耳を傾ける。

「転移装置を作るのに火薬が必要なの?」
「ああ。何度か失敗することを考えると、インチェスター火薬が8トンは欲しい」

「そん
なに」

予想外の規模に、思わず喉を詰まらせる。

「転移装置の核になるテッセラクトカタパルトを製作するためには、それだけの撃力が必要だ。密閉された空間内で素材に対し、全方位から均等に巨大な撃力を加える事で行き場を失った応力が異なる軸に転換される」
「(まずい……さっぱり分からない……)」
「その際に形成された正八胞体構造が……、……やめようかこの話は」
「うぅ」

真剣に説明を始めたグライフだったが、その反応を察して早々に切り上げる。
フォーリーはもっと学術的な本とか真面目に読んでおけば良かった、と今更ながら少し後悔。

「元いた世界では貴方に助手がいたって話だけど、その人もそういう知識はあったのよね?」
「まあ、な。この手の事に詳しい奴なんてそうそういないはずだが、あいつは十分学んでいた」
「じゃあ私もそこ勉強するわ。今の貴方の助手は私だもん」
「……そんな無理しなくていい」

ぐだぐだと喋っているうちに、いつの間にか二人とも大量にあった朝食を食べ終えてしまっていた。
少しだけ休んでいたが、やがてグライフが立ち上がる。昨日の観測の続きに取り掛かりたい、との事だった。
フォーリーは昨夜の様子を思い出し、無理はしないようにとだけ忠告。
グライフはああ、と頷くとすぐに部屋へと戻っていった。

さて、と。
今日は何をしていようか?

グライフの部屋の扉を眺めながら、改めて今日の作戦を練る。
今の調子なら、今夜あたり多少強引な手に出ても良さそうだ。
結局のところ、最初に感じた警戒心ももうほとんど薄れている。
最初は長い道のりになるかと思ったが、思っていたより順調だ。そろそろクライマックスの時だろう。

フォーリーは待ち遠しいほどの期待を胸に、日が暮れるのを待った。

しかし、グライフの様子がおかしくなったのはこの時からの事だった。



午前中、結局グライフは部屋にこもり切り、観測の作業を続けていた。
昼食の時も考え事をしている様子で、どうにもその顔は浮かない様子。
どうしたのかと聞いても、返事は「上手くいかない」という一言のみ。
午後からその作業を部屋で後ろから見ていたが、何が観測できたのかは分からなかった。
何度聞いても「上手くいかない」と、沈んだ声で応えられる。
フォーリーはその後リビングで、悩んでいる相手を元気づける方法を雑誌を読みながら考えた。

もし自分にグライフと同じ転移に関する技術知識があれば、手伝うこともできるのだろうか。
何かほんの少しの見落としのせいで失敗している所を、直してあげる事ができるだろうか。
新しい助手として名乗り出てみたは良いものの、結局手伝える事が無い。
そうだ、せめて心が休まるように暖かい飲み物でも持っていこう。

フォーリーが立ち上がり、紅茶とコーヒーのどちらを淹れようか迷った時、唐突にグライフの部屋の扉が開く。
やっと成功したのかな、とも思ったが表情は依然暗いままで、むしろ焦りのような色も混じっている。

「どうしたの?」
「朝の新聞、あるか?」

そう聞くが早いか、朝と同じ場所に置きっぱなしになっていた新聞を手にしたグライフは、食い入るようにそれを読む。
どうしたんだろう、と思い背中から覗くと、それは堅牢街の記事だった。
何度読んでも同じのはずだ。堅牢街九代目統領が就任、それだけのニュースである。
なのに、じっと視線をその部分へと向けている。

「ねえ――」

グライフの手に力が籠り、少し肩を震わせた後。ゆっくりと、新聞をテーブルの上に戻す。
そして無言のまま外へと出て行く。一瞬見えた表情は、何か思い詰めていたように見えた。

「待って、どうしたの!?」

慌ててフォーリーはそれを追う。
外は既に暗くなりつつあった。





「――ねえ、待ってったら!」

街はずれさえも通り過ぎ、ブレダ・ヒルズの隅まで出てしまう。
周囲の宵闇に混じるのは、まばらに葉を付けた樹木と古い物置小屋くらいのものだ。
何の用もないはずのこの場所で、グライフは背を向けたまま立ち止まる。
フォーリーは少し息切れしながらも、元気づけようと呼びかけた。

「うまくいかなかったにしても、何度でも挑戦すればいいじゃない。私がずっと支えるから!」
「……そうじゃない。観測の問題じゃないんだ」
「じゃあ、大量の火薬が必要って問題? 大丈夫よ。力を合わせれば何だってできるわよ!」
「何だってできる、か」

グライフは冷たい空気を吸い、少し溜めてから吐き出す。
そして振り返り、フォーリーの目を正面から見据えた。

「何だってできる……そういう、"全能の力を持つ存在"はこの世にあり得ると思うか?」
「え……?」

妙な質問に、返す言葉を途切らせる。
正しい答えはどちらかと考える間もなく、グライフは話を再開する。

「それはあり得ないんだ。全能の存在がいたとして、それは『永久に誰も持ち上げられない岩を作れるか?』 これを考えると、必ずどちらかで矛盾する。有名なパラドックスだ」

極めて理屈っぽく、先の励ましが否定される。

「違うの、私が言いたいことはそうじゃなくて――」
「重要なのはここからだ。聞いてくれ」

思わず語調を強めてしまうが、グライフは表情一つ変えずにそれを制止。
どんな壁があったとしても、二人でなら乗り越えられる。
それを伝えたくて仕方がないのだが、言いたいことがあるのは同じらしい。
湧き上がる言葉をどうにか飲み込み、フォーリーは聞く態勢を作る。

「俺は昨日から元の世界と今の世界について、並行世界座標の位置差を観測し続けた。だがどんなに繰り返しても、元いた座標と変わらない……同じ位置という結果になった。転移は不完全ながら成功し、元と異なる世界に来たにも関わらずだ」

説明しつつ、ハハ、と小さく笑いを見せた。
全てを諦めて手放した時のような、全てを失った笑い方。

「だが観測結果が正しいとするなら、これはどういう状態だ? どういう方向の転移だったなら、こんな事が起きるのか?」

グライフは俯き、足元の落ち葉を踏みにじる。


「ここは俺にとって並行異世界じゃない。およそ100年近く過去に遡った、元と同一の世界というわけだ」








「俺が堅牢街から火薬を調達した時、その統領は二十八代目。なのに九代目が就任のニュースだ。それに載っていた上空写真も、資料で見た復興前の堅牢街そのものだった。並行世界の差異としてあり得る事でもあるが、並行世界座標の観測が正しいとするなら。俺は時系列方向に移動してしまったと考えるのが妥当になる」

フォーリーはグライフの話を受けて頭の中でそれを整理。
できる限り理解し、話についていこうと試みる。

「えっと……それはつまり、貴方は異世界人じゃなくて未来人だったって事?」
「ああ、多分な。最初から間違えていたわけだ」
「……でも、貴方の目的はもっと遠い並行世界に行くことなんでしょう? なら、これからやる事も変わりないし、状態は似たようなものなんじゃないの?」
「違う。ある一点において、話が大きく違ってくる」

暗い中でも、グライフの表情が苦渋に満ちるのがはっきり見えた。

「俺がこの時代に対して未来に関わる影響を及ぼせば、歴史の中に矛盾が起きる。すると当然、辻褄合わせの修正が起きる」

――聞いたことがある。
これを何と呼ぶかは、フォーリーもどこかで聞いて知っている。

「おそらく、俺の存在が修正される」

タイムパラドックス。
これは、誰も手を出してはならない領域だ。

グライフは語る。これは先の全能のパラドックスと並ぶ、もう一つの"存在不可能な論理矛盾"。
過去の世界での行動は、全てが地雷と同効果。水を飲んだ。リンゴを食べた。そういった程度の事であれば歴史の修正もほぼ発生しない。だが、もし後の歴史の中で重要な意味を持つ物、例えばそれが落ちるのを見て誰かが重要な発見をするはずだったリンゴ。そういうものを口にしてしまえば、後の歴史が激変し得る。時空の辻褄が合わなくなる。
その場合どうなるか。諸説はあるが、有力なのはその者が過去に来たという事実の消失。
未来から来た者なんていなかった。全ての事実がそう修正される。そして矛盾は解決する。

その説明を、フォーリーは呆然としながら聞いていた。

「つまりその場合、俺は……そもそも並行世界への転移が完全に成功していたか、あるいはどこへも転移できやしなかったか。そういう歴史に修正されることになるだろう。俺はこの時代に来なかったことになる」
「ねえ、でもそれって……」

グライフが淡々と語る一方で、フォーリーの顔色が青ざめる。
ゆっくりと話を嚙み砕いて理解しつつ、嫌な想像に思い至る。

「"今ここにいる貴方"はどこに行くの?」
「存在しなかったことになる」
「駄目よそんなの!」

思わず大声を上げたが、それで解決する類のものではない事は分かっている。
しかし、それだけは許せなかった。この出会いを無かった事にはしたくなかった。

「ねえ、何か、何か方法があるんでしょう?」

震える声でフォーリーは尋ねる。
グライフなら知っているはずだ。そうであって欲しいと頼み縋る。

「方法、か。魔力やら何やらでどうにかなる話ではないが……」

下唇を噛むようにして少し考え、グライフが唸るように答える。

「誰とも接触の無い閉鎖隔離地で一生を終えるか、元の時代に再転移するかだ」
「じゃあ……」
「だが後者は無理だ。転移施設の再建築には膨大なエネルギーが必要と言ったろう、そんな目立つ行動を起こせばほぼ確実に修正を招く」

垂らされた希望の糸も、無慈悲に断たれる幻だった。
グライフは徹底した論理主義。霧を掴むような儚い手段に頼りはしない。

「むしろ、俺がこの三日間存在できた事が奇跡に近いぐらいだろう。どんなに大人しく暮らそうと、俺はいずれ地雷を踏む。時間の法則からはみ出した奴は、存在することができないんだ」
「…………」

聞きたくない。グライフがいなくなってしまう話なんて、欠片も理解したくない。
フォーリーは耳を塞ぐように頭を抱え、足りないと分かり切っている知識の中で必死に思考を巡らせる。
何かあるはずだ。この時代で出会ったグライフという存在を、繋ぎ留めておく方法が。
今まで大丈夫だったのだ。ならこれからも、実際大丈夫かもしれない。その可能性だってあるはずだ。

しかしその瞬間、不思議な風を感じて顔を上げる。まるでそれは、誰かが狙ったようなタイミングだった。

「――ああ。そうか」

それは目の錯覚などとは明らかに違う。
まるで蜃気楼が発生したかのように、周囲の風景が膨張している。
グライフを中心に、空間が歪み始めていたのだ。一昨日、何もない場所から現れたあの時のように。

「嘘でしょう……?」

急すぎる出来事。あまりの光景。絞り出した声は震えていた。
これが何かは察しが付く。止めないと。目の前で始まったこの現象を、どうにかして解かないと。
さもないとこの人がどこかに行ってしまう。二度と手の届かない場所に消えてしまう。
熱が抜け落ち、棒のように感じられる自分の足に力を込めてフォーリーは前へと歩みだす。

だが、次の瞬間小さな発光と共にフォーリーの視界がぐらつき、気づいた時には地に伏せていた。

「来るな。近づくと巻き込まれるぞ」

いつの間にかグライフが懐から取り出したのは、一度向けられたことのある非殺傷の攻撃装置。
そこから発射された何かがフォーリーの身体を突き抜け、平衡感覚が麻痺させられたのだ。

「待って!」

フォーリーを見下ろすグライフの目からは、感情を読み取る事が出来なかった。
無感情ではなく、あまりに様々な色が混じり過ぎているが故に。

「行かないで!」

すぐには立ち上がれない。力が抜け、這ってにじり寄る事もできそうにない。
もはやフォーリーには、叫ぶことしかできなかった。
その間にも空間の揺れが強くなり、次第に収縮し始めてゆく気配も感じられる。
審判の時まであと十秒か、二十秒か。いずれにせよ、覚悟を決めるには短すぎた。



グライフはフォーリーに向けていた装置を下ろし、別れを告げるように背を向ける。



「少しの間だったが、俺の目的を尊重し協力してくれた。お前はいい女だった」

違う。本当は私は、あなたの目的を邪魔しようとして――。

「願わくば。この先の歴史で本来結ばれるべき相手と結ばれて、そして幸せになってくれ」

そんな残酷な事を言わないで。私が好きなのは、この時代に来た貴方だけ。

「残念だが、失敗したと割り切ろう。修正されれば、その失敗自体も無くなるだろう」

割り切れるはずがない。貴方がここからいなくなってしまうなんて、とても耐えられそうにない。
跡形もなく消え去ってしまうなんて、受け入れられる事ではない。

――貴方だって、装置を持つ手が震えてるじゃない!!



だが、言葉は何一つとして伝わらなかった。


「感謝する。」


最後の言葉を残し、歪みが際立ち、そして閉じる。
もうそこには誰もいなかった。
初めから何も存在しなかったかのように。全てが幻だったかの如く。

グライフ・ネオステッドは消えてしまった。
フォーリーは立ち上がる事も出来ず、ただただ茫然とその跡を見る。
そして、思い出の残滓と共に泣き続けた。











――違う。

湧き上がる悲しみの中、頭のどこかで疑問が浮かぶ。


もしグライフの言う通り、彼がこの時代に来なかったものとして歴史が修正されたなら。
何故私はこんなに悲しいのだろう。何故、彼との思い出がまだ記憶の中にあるのだろう?
そういう風に歴史が改変されたなら、私はこの数日間。いつも通りの生活をしていたことになっているはずだ。

その気付きは一気に広がり、悲しみの感情を外へと追い出す。
フォーリーの中で、何かが繋がり始めていた。

この矛盾は何だろう。奇跡とか、幸運とかで済む話とは全く違う。
もっとこの問題は、論理的に考えるべきだ。彼はいつも物事を論理的に捉えていた。
何かの前提が間違っていたとして、この状況の真実は何だろう?

フォーリーは唾を飲み込み、涙を拭いて立ち上がる。

まだ、「この時代に来たグライフ」と再会する可能性は残されている。
それがどれだけ遠い道のりになるのかは分からない。
でも、私が行くべきはその道だ。


あのはみ出し者を追いかけよう。
どんな手段を使ってでも、あの人を取り戻そう。

フォーリーは月を見上げて、今の時刻を頭に刻んだ。
17/02/24 23:00更新 / akitaka
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■作者メッセージ
並行世界と過去遡行の話は各フィクション作品によって違うけどここではこういうこれ

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