連載小説
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9.ナイフ、あるいは勇気の火
ここはどこだろう。
木漏れ日が僕の顔を濡らしている。
目に入ってくるのは緑、ここは森の中みたい。手のひらに触れるのは草、草で編んだベッドに寝かされているみたいだ。

僕はどうして。
そうか、ヴィヴィアンにお酒を勧められて。それを飲んだら体が熱くなって、アンちゃんが吹き飛んで。
アンちゃんは大丈夫だろうか。みんな心配してるんじゃないだろうか。

僕は体を起こそうとするけれど、頭も痛いし体もだるくてうまく力が入らない。
もう勧められてもお酒を飲むのはやめておこう。

僕が後悔していると、誰かが木にもたれながら僕を見ていることに気がついた。

「誰、もしかしてあなたが僕を助けてくれたの?」

その人は頷いて答えてくれた。
マントで体を覆って顔も頭巾で隠しているから、男の人か、女の人かもわからない。
はっきり言って怪しい人だ。でも、不思議と怖さは感じなかった。

「ありがとうございます」
僕がお礼を言っても、その人は頷いてくれるだけで喋ってはくれなかった。
無口な人なのかな。

僕は立ち上がろうとするけれども、やっぱり立ち上がれない。
僕のそんな様子を見て、その人は何かを投げてきた。
それはちょうど僕の口に入って、思わず飲み込んでしまう。
僕は突然のことに驚いたけれど、体が軽くなってきたことでさらに驚いた。

「あ、動ける」
頭の痛さも体のだるさも消えて、僕は立ち上がれるようになった。
すごい。さっき飲み込んだものは薬だったのかな。

「ありがとうございます」
僕はもう一度お礼を言う。

僕が立ち上がれるようになったからだろう。
その人は僕に背を向けて立ち去ろうとした。

「待ってください。僕、ここがどこだかわからないんです。助けていただいたのに、さらに図々しいとは思うのですが、バーダンの街がどっちにあるのかを教えてもらえないでしょうか」
その人は僕を横目で見て、ため息をついたようだったけど、手を振って付いて来いと言っているようだった。

僕はその人の後ろ姿を急いで追いかけた。


その人は森の中をまるで自分の庭のように何事もなく歩いていく。
僕は何度も草や蔦に足を取られて、つまずいたり転んだりしてしまった。でも、その人は止まってくれなくて、どんどん先に進んでいってしまう。
僕は置いて行かれないように何度も走って、走って、泣く暇さえなかった。

その人は僕を案内してくれるような優しい人だったけれど、待ってはくれない厳しい人。
だけど、僕が泣き言も言わずに、一生懸命頑張れば付いていけるような速度で歩いてくれる。
かなり離されてしまっても、その背中はずっと見えていて、あたりが薄暗くなっていても、迷わずに進んでいけた。
その人の背中を追いかけているだけで僕は安心していた。


「なんだ、ここ」
木で編まれた祭壇のようなものの前でその人は立ち止まっていた。決して僕を待っていてくれたわけではないのだろう。
祭壇は大きな木に向かって作られていて、上から垂れ下がっている枝が祭壇に編み込まれていた。
編み込まれている枝は、木の枝のはずなのにとても柔らかそうで折れることはないように見えた。
周りを見渡すと、変わった形の石像が幾つもあった。そのどれもがひび割れて、すり減って、蔦が表面を覆っていた。
その石像は鹿の角が生えた人のような形をしていたけれど、足には蹄があった。
石像の顔はなんとなく男の人のように見えた。もしかしたら旧魔王時代の魔物の像か、主神様じゃない神様の像かもしれない。

その人は祭壇に手を入れて中から、大きさも形もクルミみたいなものを投げてよこしてきた。
何かの種みたいだ。
その隙間から、ちらちらと輝くものが見えた。
種の中で小さな火が燃えていた。

”それを割れ”

その人が初めて喋ってくれた。
だけど、声からでもその人の性別は分からなかった。
とても、低くて掠れた声。
歌いすぎて声が枯れてしまったことがあるけれど、それを何度も何度も続けたような声。
ずっと何かを叫び続けていたような声だった。

「わかりました」
僕は言われた通りにそれを割ろうとする。
だけど、割れない。隙間に指を引っ掛けてこじ開けようとしても、叩いて割ろうとしても傷一つつくことはない。
そのうちに、中の火がだんだんと小さくなっていく。
僕はそのことをその人に伝えた。

”その火が消えるまでがタイムリミットだ。その火が消えた時、お前が死ぬ”

その人の言葉に僕は息が詰まった。
種の中の火が消えると、僕が死ぬだなんて全然わけが分からない。
でも、出会ってからあまり時間は経っていないけど、この人が嘘を言うとは思えなかった。
僕はなんとか種を割ろうとする。だけど、割れない。

しばらく僕が頑張っていると、変化があった。
種にじゃない。周りに。
祭壇の周りにいた石像が動き出していた。

石像は立ち上がると角を振りかざして僕に向かってきた。
なんとか避けたけれど、石像がぶつかった木は根元から折れていた。
次々と動き出す石像。あるものは手を振り上げて、あるものは角を振りかざして僕に向かってきた。
なんとか避けていくけれども、次々と襲いかかってくる大きな石の塊はとてつもなく怖い。
掠っただけでも僕の骨は折れるだろう。まともにぶつかったらそれだけで死んでしまうかもしれない。
僕は全身にびっしょりと冷たい汗をかいていた。
石像のせいで、種を割る暇もない。

もう何回避けたのだろう。たいした時間は経っていないかもしれない。
僕は息が上がってしまって、このまま続けたらそのうち捕まって殺されてしまうだろう。
怖い、怖い、怖い。
僕の心を恐怖が支配していく。
恐怖で体が強ばる、震えて歯がぶつかる感触が分かる。
背中を伝う汗の感触が生々しくて冷たくて、死神に触れられているような錯覚さえ覚えてしまう。

降ってくる石像の手を避けた時に、こわばり過ぎた体で転んでしまった。
次の石像が向かってくる。僕の視界いっぱいに足の裏が映る。
まるでスローモーションのようなその光景に、僕はこれで死ぬのだと確信した。
思わず瞼を閉じる。生きることを諦めたように。
手に握った種だけがまだ温かい。

この温かさは何かに似ていた。何だっけ。
そうだ、ヴィヴィアンの手だ。カーラお姉ちゃんの手、ヴェル姉さんの手、白衣さんとアンちゃんも体温はないはずなのに触れば温かかった。

彼女たちのことを思い出して、僕は死ねないと思った。
僕が死ぬと、彼女たちが悲しむ。だから、僕は死ねない。
だから、僕は、生きる。

僕はそう思って、目を開く。
まだ、まだだ。まだ相手の足は届いていない。立てないならば、転がればいい。
とっさに転がって僕は石像の攻撃を避ける。避ける。避ける。

たとえ手足がちぎれようとも、体が動く限りは避ける、避ける、生き足掻いてやる。
何百回、何千回だってかまわない。彼女たちのもとに帰るまで、僕は諦めない。

死に物狂いで避け続ける僕の目が人影を捉えた。
僕をここまで案内してくれた人。
その人は祭壇の上に立っていた。
石像は祭壇に近づこうとしていたけれども、何かに弾かれるようにその人に触れられなかった。

そうだ。そこまで行けば助かるかもしれない。
僕は石像の攻撃を避けながら、少しずつ祭壇に近づく。
どんなに無様だっていい。生きて帰れるのならばなんだって良い。

じりじりと祭壇に近づいていく。
走れば数秒でたどり着ける距離なのに、転がりながら進んでいく。
もう少し、もう少しだ。
祭壇に手を伸ばした僕をひときわ大きな石像が行く手を塞ぐ。
退けよ。退いてくれ。
そこまで行けば、僕は助かるんだから。
声にならない叫びを上げながら、僕はそいつを睨む。
そいつは丸太みたいな石の腕を振り上げて僕に向かって振り下ろしてくる。

もうダメかもしれない。諦めろ。
そんな言葉が聞こえる。
確かにもうダメかもしれない。ここで僕は潰されてしまうのかもしれない。
だけど、まだ、だ。
まだ僕はダメになっていない、潰されてはいない。
立てなくったって、体は動く。

僕は拳を握りしめて、そいつの石の拳に向かって思いっきり振った。種を握りしめたまま。
右手に嫌な感触が伝わる。肌が裂けて、肉が潰れる。骨が砕ける。
痛みもあるけれど、あまりに痛すぎてよくわからない。

そのままそいつの拳は僕の体に届いて、僕の頭も心臓も潰すだろう。
そんなの許さない。僕を殺すこいつを許せない。
僕が死んだら彼女たちが泣いてしまう。
だから、僕は彼女たちを泣かせる僕を一番許せない。
僕は彼女たちのところに帰るんだ。

そう思った時、石像が燃えた。その石の拳が僕の頭に届く前に燃えて崩れ落ちた。
まるで紙切れが燃えたように、軽い灰になって崩れ落ちた。

驚く僕の右手が温かい。無くなったはずの僕の右手はちゃんと付いていて、握った拳から炎が溢れ出していた。
何だ、これ。傷ついていたはずの体にも、傷一つ付いていない。

”よくやった。及第点といったところだな。しかし、私にこんなことをさせないで欲しい。子守りなんて、私の柄じゃない”

石像が崩れ落ちると、その向こうからあの人が近寄ってきていた。

”後は私が片付けておく。君は祭壇でくつろいでろ”

その人は残りの石像に走っていく。
持っているのはナイフ一本。大きな石像の攻撃をギリギリで避けては、攻撃を加えていく。
石の腕がマントを擦り、ボロボロだったマントはさらにボロボロになっていく。
ナイフ一本で石像に勝てるわけがない。それなのに何度も何度も切りつけていく。
その人は何度繰り返したのだろうか、石像がその人に避けられて地面を殴った時、大きな音を立てて石の腕が落ちた。

後から知ったことだけど、石には傷をつけると割れやすくなる場所があるらしい。
同じ場所を何度も何度も切って、必要な箇所ごとに必要な分だけ衝撃を加えていたということみたい。
あんな台風みたいな石の暴力が吹き荒れる中で、微塵の恐怖も見せずに必要なことを必要なだけ行っていく。
それが出来るだけの力があるからやっているんじゃない。あの人は必死だ。
あの人は自分にはそれしか石像を倒す方法がないから、必死で自分にできることをやっているのだろう。
勘だけど、あの人はきっと魔法なんて使えないだろうし、勇者でもないだろう。
あの人の武器は勇気だ。恐怖を必死で押さえつけて、出来ることを必死で考えて、やらなくてはいけないことを必死で行う。
僕は勇者なのに、その人の姿をただ呆然と見ているしかなかった。

切るときに切り、避ける時に避け、同士討ちさせる時には同士討ちをさせる。
その人は着実に石像を削って、削って、削って。とうとう全ての石像を削りきって倒した。
そこには英雄物語にあるような華々しさなんてなくて、なんとも泥臭い戦い方だったけれども、誰も笑える人なんていないだろう。
私が片付けるだなんて、格好良く言っていたけれども、とてもボロボロで擦り傷もいっぱい付けて戻ってきた。
でも、ちゃんと戻ってきてくれたんだ。

僕は思わずその人に笑いかけてしまった。
その人の顔は相変わらず頭巾に覆われていて見えなかったけれど、細めた目が見えた。

”それは勇気の火だ”

その人は僕に言う。

”その火を絶やさなければ、君の前に道は開ける”

それから、その人は僕にその火を祭壇にかけろと言った。
僕が祭壇に火を付けると、祭壇が燃えて枝を伝って大木が燃えた。
僕は心配になってあの人を見たけれども、あの人はいなくなっていた。
慌てふためく僕の目の前で燃え上がる大木。すると、燃える大木の幹に穴が空いた。
穴は光り輝いていて、僕はその中に入った。

ぐるぐると穴の中を登っているのか降りているのかわからない感覚。
握った右手が燃えているかのように熱い。






僕は目を覚ました。
目に入ってきたのは泣きそうなヴィヴィアンの顔。ひたすら謝っていたけれど、大丈夫だよ、僕は帰ってこれた。
ヴィヴィアンを安心させようとして抱きしめると、最初は驚いたようだったけれど、力を抜いてヴィヴィアンも僕を抱きしめてくれた。
16/05/27 23:10更新 / ルピナス
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■作者メッセージ
BUMPのナイフを聞きつつ読んでいただけたらと思います。
今回ははっきり言ってポエムです。
でも、この書き方の方が自分は書きやすいと再確認。

BUMPは一番好きなバンドです。最近のものは聞き込んではいませんが、昔のものはほぼひたすらに聞いていたので、影響はかなり受けています。使おうと意識していなくても、いつの間にかイメージの上で使用していることがあります。
今回書き終えてから、ナイフを聞きなおしてみて自分でも驚きました。

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