連載小説
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武人の本懐とは

「やーやー、貴様が噂の虎娘だな!
 我こそはその剛腕に並ぶ者なしと言われる武人、拳豪公である!
 腕利きの武人を倒し、良い気になっているようだがそれも今日までだ!
 その高い鼻っ面を俺がへし折ってやろう!」
 
大男が、がさつな声を張り上げて高らかに叫んだ。
周囲の竹林が、ざわざわと揺れる。

もう、今日だけで二人目の挑戦者である。
武者修行の旅をする身としては、ありがたい話ではあるのだが、どうにもこのあたりの武芸者は柄が悪い。
力自慢の悪漢を絵に描いたような挑戦者の風貌を見ると、意図せず耳と尻尾が垂れさがるのを感じた。

「…光栄だよ。拳豪公殿。
 私は李星。旅の武芸者だ。
 しかし、私は見ての通り人間ではない。貴方の常識は通用しない。
 それでも、手合わせをするのか?」

私も武人の端くれである。相手の技量は見ただけでも大体分かる。
この大男は、確かに身体を鍛えてはいるようだが、有り体に言って、ただ大きいだけだ。
佇まいに無駄は多く、隙だらけである。
武人というよりは、喧嘩慣れしているといったところだろう。

「へっ!人間だろうが魔物だろうがアンタみてえな細っこい姉ちゃんに俺が負ける訳ねえだろうが!
 すぐに泣かせてやるから大人しくしてろやぁ!」

大男は下品に叫ぶと、丸太のような腕を振りかぶってこちらに突進してくる。
思わず、短く溜息を吐く。
想像以上に、どうしようもない男だったらしい。

のしのしと距離を詰めた大男が、太い拳を振り下ろす。
わかりやすい力任せの殴打。
流石に、これにやられる体たらくでは武人を名乗れない。
身を少しだけ翻して躱す。

見事に躱されたのが意外だったのか、大男は目を見開くが、すぐに怒気の孕んだ表情に変わる。
私の余裕の表情が気に食わなかったのだろう。
振り下ろした腕で、乱暴に裏拳を放った。
大ぶりなその攻撃を、大きな爪のついた片手で受け止める。
爪が当たって怪我をしないよう、慎重に。

「え…?」

今度こそ、大男の顔が驚愕で固まる。
予想外の事態に、時が止まったかのように彼の動きは静止した。

こうなってしまえば、如何な怪力の持ち主であろうと木偶同様だ。
やけに派手な衣装の襟と、太腕の手首を掴み、体を一気に沈み込ませる。
抗いようのない重力と自身の体重の慣性に従って、大男の身体が宙を舞った。

「ぐえぇっ!」

カエルのようなうめき声を上げて男が地面に叩きつけられる。
それほど勢いをつけて投げてはいないが、体重が重いうえに受け身も下手だ。それなりに痛いだろう。
短く息を吐き出して、倒れ伏した男から離れる。

「…勝負ありだ。
 武人を名乗るなら、相手の力量を測れるくらいの目は持っておくことだな。」

痛みで悶える大男を尻目に、あっけらかんと言い放つ。
手加減はした。怪我は残っていないだろう。

「ぐっ!クソっ!バケモンめ…っ!」

よろめきながら、何とか立ち上がった大男は、聞き飽きた捨て台詞を忌々しげに放って、逃げ帰っていく。
そのあまりの情けなさに、再び深いため息を吐く。
「バケモノ」呼ばわりにも、すでに慣れたものだ。
鍛錬中に、思わぬ邪魔が入ってしまった。
気を取り直して鍛錬に入ろうとした時、新しい声が私に投げかけられた。

「うむ、どうやら訪ねる時間を間違えたようだ。
 手合わせを挑もうと思っていたが、出直した方がいいだろうか。」
 
少しだけ申し訳なさそうな低い声。
声の方を向くと、長身の男が柳のように立っていた。
誰かが、私と大男の手合わせを見ているのは気付いていたが、あの試合を見て姿を現してくるとは思わなかった。

「私の名は袁参。近くの道場で師範を務めるものだ。
 李星殿と言ったな。噂に違わぬ凄まじい腕利きだ。惚れ惚れした。」

師範。なるほど、確かに佇まいには余裕が感じられて、強者然とした雰囲気がある。
細身に見えるが、しなやかな筋肉が体を覆っているのが分かる。
精悍な顔立ちも、これまでの鍛錬に裏付けされた自信があふれている。
先程の男とは、訳が違うのだろう。
身体の獣毛が、ピンと張るのを感じる。

「袁参殿とやら、今の大男との試合を見ていたのだろう。
 手合わせは構わんが、師範様だからと言って手加減はできんぞ?」

「私とて武人を名乗る身だ。手加減など無用。思う存分叩きのめしてくれて構わん。
 もちろん、あの大男ほど簡単に負けるつもりもないが。」

少し意地の悪い表情を浮かべて、袁参殿が拳を構えた。
余計な力の入っていない、自然体の構え。

どうやら、中途半端な気持ちで向かい合ってはいけない相手のようだ。
私も、正面に彼の姿を捉え、軽く構えを取る。

互いに、大きな動きはない。
じりじりと、間合いを測る。
下手に手を出せば、負ける。こんな緊張感はいつ以来か。

たっぷり3分ほどは睨み合っていたが、遂に袁参殿が踏み込んでくる。
重心の移動を駆使した、滑るように速い踏み込み。
一気に彼我の距離が詰まり、お互いの拳の圏内に入る。
踏み込んだ勢いの乗った鋭い拳が、私の頭部を狙って放たれた。
飾り気のない、シンプルな攻撃だが、とにかく速い。

獣毛に包まれた腕で、なんとか殴打の勢いを殺す。
先程の大男のように、拳を捕まえるという訳にはいかなそうだ。
拳が止められた瞬間に、すぐさま彼の腕が折り畳まれて、隙を見せてくれない。

やはり、強い。
内心、大声を上げて笑いそうなほどの高揚。
こんな相手を待っていたのだ!

負けじと、私も掌底を放つ。
既に、手加減などと言う考えは頭から抜け落ちている。
男の顎を狙い、虎の腕を真っ直ぐに伸ばす。
魔物娘が、本気で放った掌底を喰らえば、普通の人間はたまったものではないだろう。
しかし、目の前のこの男は、上手く捌くだろうという確信があった。

事実、私の拳は見事に空を切る。
最低限の動作で、頭を掌底の軌道から外していた。

伸びきった腕を、すぐに引こうとしたが、すかさず男の手が私の腕を掴む。
近距離で固定され、逃げ場を無くした私に、男の肘鉄が飛んできた。
素晴らしい速さと流れるような連携。
しかし、動きの速さは私の方が上だ。
空いた手で、肘鉄を受け止める。

「むぅっ…!」

袁参殿が、感嘆したような声を漏らす。
これは決まると思っていたのだろう。
彼の腕の根元を私が抑えたことで、形勢は逆転した。
彼の足を掬い上げるように、素早く脚を払う。
これは躱しようがない。少しだけ彼の体が浮きあがり、慣性に従って地面に落ちていく。

地面に叩きつけられ、無防備になった首元へ拳を落とし、体に当たる直前でピタリと止めた。

「…勝負ありだ、袁参殿。」

短く、高まった熱を吐き出すように言い放つ。
ここまで、熱くなれる試合は久しぶりだった。
それが終わってしまったことへの寂しさが募る。


そして、いつも通り、この男も、私をバケモノと揶揄して、逃げ帰っていくのだろう。


「…おぉ、参った。素晴らしい。こうも、手も足もでないとは…。」


私の予想と異なる反応に、思わず面食らう。
男の目に浮かぶのは、理不尽な強者への畏怖でも、負けたことへの憤慨でもない。
眼をキラキラと、少年のように輝かせている。

「あぁ、噂に違わぬ素晴らしい武人だ。君は強いな。」

未だに、反応の真意が汲み取れない私をよそに、土埃を払いながら袁参殿が立ち上がる。

「いや、実は門下の者から凄腕の旅の武人が居ると聞いてな。
 居てもたってもいられずに尋ねてきたのだ。
 いやはや、世界は広い。所詮私も井の中の蛙であったか!」

遂には、呵々と笑いだす始末。
今までに何人もの武人と手を合わせてきたが、負けた後にこうも豪快に笑う相手は初めてだ。
つい可笑しくなって、私もつられて笑ってしまう。

「ふふ、変わった御仁だな。
 大抵の男は、汚く罵りながら逃げていくというのに。」
 
「罵る?何をいうか。
 強い武人と出会って、喜びこそすれ、罵る必要はないだろう。」

心底理解出来ぬと言いたげに、さらりと言い切る。
いよいよ、込み上げる笑いが我慢できなくなってきた。
なんと可笑しく、気持ちの良い男だろうか。

「くくっ、はははっ!そうか、成程、袁参殿の言う通りだ!」

「む…?」

一人で大笑いする私を、袁参殿が怪訝に見ている。
楽しい。
挑戦者を打ち負かし、罵られながら逃げ帰られる事にすっかり慣れてしまっていた。
勝者を称え、敗者を敬う。武の道とは、かくあるべきなのだろう。

「ふふふっ、いや、すまない。つい、楽しくなってしまってな。
 改めて、武者修行中の身で、貴方のような方と手を合わせられた事を嬉しく思うよ。」

握手を求め、手を差し出すと、彼も応えてくれた。
黄金色の獣毛に包まれた私の手と、彼の鍛えられた固い手が組み合う。

「こちらの台詞だ。この上なく楽しい試合だった。
 …しかし、噂は本当だったのだな。」

「噂?」

「あぁ。曰く、旅の武人は人間ではない。まさしく彼奴は虎だった、と。
 腕前の素晴らしさを虎と称していたのかと思っていたが、成程、確かに虎だ。」

握手する私の腕を、彼がまじまじと見つめる。
彼の言う通り、私は人虎とよばれる魔物娘である。

「…すまないな。人間の強者であると思っていたのに、魔物娘が出てきては興ざめだっただろうか。」

つい、卑屈な言葉がついて出る。
私をバケモノと呼び逃げ帰っていった数々の男たちの顔が想起されてしまった。

「ん?何を言うか。強者に人間も魔物娘も関係ないだろう。
 それとも、魔物娘は皆、李星のように武芸が達者なのか!?」

またしても、少年のように目を輝かせ、興奮を抑えきれぬ様子で袁参殿が問いかける。

「い、いや。魔物娘は人間より膂力がある場合が多いだけで、全員が武芸に通じている訳ではないよ。」

「おぉ…そうか。うむ、ではやはり李星が素晴らしい武人である事に変わりはないではないか。
 初めて魔物娘と出会ったが、それが李星のような武人であった事に感謝せねばなるまい。」

一切の逡巡もなく、言い放たれた言葉に、胸に暖かな感覚が宿るのが分かる。
彼の言葉に、嘘や、世辞は全くない。

「しかし、こうも腕利きの武人が近くに居るとは、是非私の道場にも足を運んでもらいたいものだ。
 門下の者たちにもいい刺激になる。どうだ?」

「え?いや、しかし、魔物娘が人間の道場に参加するのは…」

世の中の人間が、彼のような寛大さを持ち合わせていないのを、私は良く知っている。
この辺りは、親魔よりの地域だが、道場となると話も変わってくるのではないだろうか。

「ふむ、李星の腕を見れば、文句を言う奴など居ないと思うが…。
 いや、急なお願いであった。三顧の礼とも言うしな。今すぐ返事をもらう必要もない。
 しばらくは、この辺りに滞在するのだろう?」

「あ、あぁ。すぐ近くの廃寺を寝床にしている。暫くは去るつもりもないが…。」

「そうか!では、また手合わせも出来るという事だな!
 ふふ、楽しみが増えた。今度からは手土産も持って訪ねる事にしよう。」

「え?また、来てくれるのか?」

「当然だ。君のような武人と手合わせするのに手間は惜しまん。
 それとも、迷惑だったか?」

思わず、拳をぎゅっと握りしめる。
嬉しい。
彼のような男と、また手合わせできるのも嬉しいが、それ以上に、彼がまた来てくれることが嬉しい。

「い、いや、迷惑などとんでもない。袁参殿が来てくれるなら、私の修業の上でこれ以上の事は無いよ。」

「そうか!うむ、では、今日はもう帰る事にしよう。
 次こそは負けんから、そのつもりでな。
 道場の件も、考えておいてくれ。」

踵を返し、早足で袁参殿が帰っていく。
私はなんとなく、その背中が竹林の向こうに見えなくなるまで動けずにいた。


結局、次の日から毎日のように袁参殿は私を訪ねてくることになる。
酒や、食料を持って訪れる彼を、心待ちするようになるのに、数日とかからなかった。
そして、10度目の来訪で、私は彼の道場に身を寄せる事になる。



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世界が勢いよく回る。

次いで、背中が強かに地面に叩きつけられて、目の前の女に投げ飛ばされたのだという事に気付いた。

「うむ、これで私の40勝目だ。そろそろ諦めてはどうだ袁参殿?」

「…この程度で諦めてたまるか。それと、まだ39勝だ。」

背中を打って乱れる呼吸を無理矢理正して、気概だけは負けぬように言い放つ。
しかし、女に組み伏せられているこの状況で、何を言ったところで格好はつかない。

「袁参殿…、私は魔物娘で、貴方は人間なのだ。元々の身体能力に差がありすぎる。
 これ以上続ければ、いつか大怪我をするぞ?」

困ったように話しながら、女は立ち上がる。
恐ろしいほどの美貌。引き締まった肢体。
まさに傾城の美女と呼ぶにふさわしい姿だ。
しかし、彼女の容姿で最も目を惹くのは、獣のような毛で覆われた手足と、その先端から伸びる大爪。
人ならざるものの証左と言える尻尾がゆらりと揺れる。

「何度でも言うが、武人である以上、李星が人であろうが魔物であろうが関係はない。
 強者に挑む心意気を忘れた時が武人としての終わりであろう。」
 
「…ふふふ、全く、救いようがないな、貴方は。」

李星は、やけに嬉しそうに私を罵る。
なにがそんなに楽しいのか、尻尾は喜色を示す様に揺れ、獣耳が跳ねた。

「随分と長い間、腕の研鑽のために旅を続けてきたが、袁参殿のような男は初めて見たよ。
 大抵の者は、一度負ければ種族の差を言い訳にして去って行ったというのに。」
 
李星は武芸者として各地で旅を続けてきたらしい。
そんな彼女が、私の道場の近くにやってきたと聞き、居てもたってもいられずに勝負を挑んだのが2か月前。
結果はと言えば、赤子の手を捻るように簡単に投げられてしまった。

私は道場の跡取りとして生を受け、武人としての才能も環境も恵まれていた。
若年ながら道場を継ぎ、既に周囲では私の腕に並ぶ者はいない。
自分の強さに自信を持っていた矢先に、突然現れた李星は、まさに青天の霹靂だったのである。
いかに自分が井の中の蛙だったか思い知らされた。

笑ってしまうほどの実力差に、悔しい思いは確かにあった。
しかし、それを遥かに上回る程の喜びを、彼女に投げられた時に感じたのだ。
強い武人と、戦える喜び。
李星の技は、どこまでも美しく、しなやかで、強かった。

「種族の差だけで、あの技の境地に至れるものか。
 李星が強いのは、魔物娘だからではない。君が弛まぬ鍛錬を積んできたから強いのだ。
 君の美しい技を見て、そのような事をのたまう者に武人を名乗る資格はない。」

服に着いた砂を払いながら立ち上がると、呆けた顔でこちらを見る李星と目があった。
拳を交わす時の引き締まった精悍な表情ではない、妙齢の女性相応の表情に、思わず目を奪われる。

「そ、その、そんな風に褒められたのは初めてだ。
 なんというか、照れるな…。うん、ありがとう、袁参殿。」

僅かに顔を赤らめる李星が、やけに愛らしく見えて、目を逸らす。

「…お、思った事を言っただけだ。礼を言われる筋合いはない。」

「ふふ、そうか…。」

私の内心の動揺を見透かすように、李星が笑う。
武人としての凛とした姿と、女性としての華のような雰囲気との差に戸惑うのはこれで何度目だろうか。

二か月前、初めて彼女に敗れてから、私は道場の客員として李星を招いた。
初めは断っていた李星だが、何度も頭を下げて頼み込み、今では道場で生活を共にしている。
門下生からは、未婚の魔物娘を連れ込むことに反対の声もあったが、彼女の腕前を見て閉口せざるを得なかったようだ。
もともと、一人で暮らすには広すぎる家だったので、彼女が住み込む事もなんら問題はなかった。

昼間は、李星とともに門下生の指導を行い、夕方からは彼女と拳を交わす。
私はこの生活に、久しく感じていなかった充足と新鮮味を感じている。

「なぁ、袁参殿。私も、貴方のような男と腕を競い合えるのが誇らしく思うよ。」

小さく呟く李星の言葉には、聞こえない振りを決めこんだ。
少しでも反応を返せば、緩んだこの顔を見られてしまいそうだ。


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簡素な夕食を済ませ、窓辺で盃を傾ける。
食後の晩酌は、私のささやかな楽しみの一つだ。
少し前までは一人で飲んでいたのだが、今は隣に李星が居る。

酒は静かに楽しみたい性質だが、美女の隣で飲む酒と言うのも悪くない。
二人での晩酌は、李星との手合わせと並び、私にとっての大事な時間になりつつある。

格子付きの丸窓からは月が覗き、淡い月明かりが二人を照らす。
酒で少し紅潮した李星の顔が、月明かりで照らされた様は、この上なく色気に満ちている。
黄金色の獣毛が、きらきらと光を反射して、彼女から光が発せられているような感覚に陥る。

「あぁ、良い月だな…」

月夜に溶け込むような、李星の呟く声。
満ちかけの月は、おぼろげに輝いて、確かに美しい。
しかし、その月よりも、遥かに美しい存在がすぐ隣に居ては、少々月の美しさも霞む。
当然、こんな気障な事を口走る勇気はないが。

「なぁ、少し、聞いてもいいだろうか?」

「ん?なんだ?」

空になった李星の盃に酌をしていると、ぽつりと彼女が口を開いた。

「袁参殿、何故、貴方は武人を志したのだ?」

月を眺めながら、李星が静かに問いかける。
口調は優しく、しかし真剣そのものだ。

「この道場の跡取りとして生まれ、育てられてきた。
 これ以外の生き方を私は知らないからな。武人を志すというよりは、武人として生きざるを得なかった。」
 
喉を過ぎる酒の熱を吐き出すように答える。
李星は、黙ったままだ。私に続きを話す様に促しているようにも思えた。

「だが、それを悔やんだことはない。
 この生き方は、実に私に合っている。血に馴染むとでも言うべきか。
 代々この道場を受け継いできた我々一族の血が、武人であることを求めているのだろう。」

「血か…。なるほど、貴方が強い訳だ。」

「…その私をいとも容易く捻る君が言っても、嫌味にしか聞こえんぞ?」

酔いに任せて、普段はまず話さないような事も話してしまった。
その照れ隠しに、茶化す意味合いも込めて、恨みがましく李星を見る。

「ははは、そう睨むな。私が強いと言っているのは腕前の事ではないよ。
 武人としての矜持の話だ。
 袁参殿は、私が見てきたどんな者よりも、武人らしい。
 全く、貴方には敵う気がしないよ。」
 
「李星も、紛れもなく武人らしい精神の持ち主だと思うが?」

手放しに褒めてくる李星に、言葉を返すと、彼女は少し顔を伏せる。

「買い被りすぎだよ、袁参殿。
 私には、武人の血は流れていない。
 私が武人らしく見えるというなら、それは私が被った仮面だよ。」
 
顔に影を落とし、淡々と語る李星。
普段の自信に満ちた彼女とは違う姿に戸惑う。
武人としての彼女が、仮面だと言うのなら、本来の李星は一体なんだと言うのか。

「…なぁ、袁参殿。貴方は、魔物娘について、どう思う?」

言葉の意味を捕らえかねて、押し黙る私に、唐突に李星が尋ねた。

「…どう、と言われてもな。私は李星以外の魔物娘を知らぬ。」

「…魔物娘は、人との愛に生きる。
 あらゆる劣情も、肉欲も肯定して、堕落も、耽溺も辞さない。
 それこそが、魔物娘の幸福。
 どうだ?貴方は、魔物娘が浅ましい存在だと思うか?」

こちらに顔を向けるでもなく、抑揚のない声で李星が尋ねる。

「…それが、魔物娘の在り方だというなら、浅ましいとは思わんな。
 大体、人間がどうこう言っても仕方がないことだろう。
 それが魔物娘の幸福だと言うなら、誰だって否定は出来ん。」

一体、この問答にどんな意図があるのかは私にはわからない。
しかし、真剣そのものの彼女の横顔を見て、適当に答える訳にはいかなかった。

「…私はな、そんな魔物娘が、浅ましく、俗物的な存在に思えて仕方がなかったんだよ。
 だから、私は、他の魔物娘とは違うと証明したかった。
 肉欲に溺れるでもなく、自分の身体を、武人として律し、磨くことに心血を注いだんだ。
 武人としての私なんてものは、獣のような本性を隠すための仮面なんだ。」

「……」

李星の独白を、静かに聞き続ける。
獣毛に包まれた手を月明かりにかざして、李星は自虐的に笑う。

「ははは…、まぁ、今になって思えば、我ながら浅ましい自尊心の塊だったと思うよ。
 私は逃げていた。臆病だった。
 私は、特別だと信じて、他の連中とは違うと信じて…。
 けど、結局は、誰とも変わらぬ普通の魔物娘だと思われることを恐れていただけだった。
 特別でありたかった。私は、他の娘達とは一線を画す生き方をしたかった。
 私の内に確かに存在する獣性から、目を逸らして生きてきたんだ。」
 
「…誰だって、特別な存在になりたいという欲望はあるものだろう。そんなに気に病むことではない。」

「…そうか。ありがとう。」

礼を言ったきり、李星は押し黙ってしまう。
私としてもどう声をかけたものか分からず、沈黙が場を支配する。
席を立ってしまおうかとも思ったのだが、李星の横顔が行かないでくれと語っているようで、動けずにいる。
沈黙に耐えかねたのか、ようやく言う勇気が湧いたのか、李星が再び口を開いた。

「…私、本当に、嬉しかったんだ。貴方に、私の努力を認めてもらえて。
 魔物も人間も関係なく、私を見てくれたのは袁参殿が初めてだった。
 だから、少し、気が昂ぶっていたのだろうな。こんな柄でもない事を話してしまった。すまない。」

「…謝らなくていい。」

「本当に、ありがとう。」

そう言うと、李星はようやくこちらに顔を向ける。
顔に浮かぶ、悲しげな微笑が、あまりにも美しくて、言葉を失ってしまう。
少し潤んだ瞳が、真っ直ぐにこちらを見つめている。

「袁参殿。もし、私が、仮面を捨てて獣のようになってしまったとしたら、貴方は、そんな私を受け入れてくれるか?」

「…どうなろうと、李星が私の尊敬する武人であることは変わらぬ。
 保障する。どんな君であろうと、私が拒絶する事など有り得ない。」
 
「あぁ…、本当に、大した男だよ、貴方は。
 後悔、するなよ?」

「無論だ。武人に二言は無い。」

さらりと言い切る。
断じて軽口などではない。
確かな自信があるからこその言葉である。
こちらを見つめる視線に、僅かに喜色が混ざった。

「もう遅い。私は寝るぞ。李星も早く寝るといい。」

「…あぁ、おやすみ。」

盃を洗い場に置いて、部屋を立ち去る。
眼の端に捉えた李星の背中は、泣いているようにも、喜びに震えているようにも見えた。




この後、私の家から彼女が黙って去って行った事に気付いたのは、翌朝の事だった。

枕元には、達筆な文字でしたためられた短い手紙が一通。

『満月の夜、初めて会った竹林で待つ。
 獣に相対する覚悟がなければ、探さないでほしい。
 貴方の中でだけは、気高い武人でありたいから。』



15/09/24 16:55更新 / 小屋
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■作者メッセージ
慣れない戦闘描写は本当に難しいですね。
上手く書ける方達に尊敬の念を抱いて止みません。

私のSSでは珍しいタグがついておりますが、基本的にはいつも通りのお話です。

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