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二話

 とある岩山のとある戦場。太陽が沈みかけ、空が真赤に燃え上がる頃。此処で争う二つの軍勢は、雌雄を決し終えたばかりだった。
 燃え上がる兵糧を背後に、敗残兵達は各々岩山を敗走していた。
 
「くそぅ! 彼奴等、追って来やがるっ」
 ある纏まった敗走集団の中で、一人の傭兵風の男が叫ぶと、足を引き摺り体を支えあいながら進む彼等は次々と悲鳴を上げ始める。
「勘弁してくれよっ。もう俺達の負けでこの国はお終いなんだから、俺らにトドメを刺す意味ねぇじゃねぇかよぉ」
「くそぉ! 折角開戦前、彼女の写真にこの戦争が終わったら結婚しようって誓ったのに……っ。果たせぬ誓いなんて、しなければ良かったっ」
「なんか知らんが、負けた原因はお前一人にあると思えてきたぜ!」
 だがそんな中でも彼等の背後からは、勝利の確信に酔い痴れ、嬉々として残党狩りを行う敵軍の兵士が迫ってくる。足を負傷した者も引き連れている所為で、追い付かれるのは必至だった。
 誰もが絶望し掛けた、そんな時、一人の敗残兵が前方に何かの姿を見付けて目を細める。そしてその表情は見る見るうちに青褪めていくのだった。
「あ、あれは   っ!」
 指差して叫ぶ。他の兵士もそれに釣られて重たい顔を上げる。彼等の行く末には、一人の剣士が悠然と歩んで来ているのだった。
「あ、あれは……け、けけけ……っ」
 足を負傷している一人の男が声を振るわせ始める。肩を貸す男が、訝しげにこう尋ねる。
「なんだ!? あの野郎を知っているのか!?」
 次の瞬間、男の声が岩山に木霊する。

   剣帝っ!!?」
 その言葉に場は色めき立つ。   剣帝。此処最近急激に名を上げたある傭兵の仇名だ。
 彼は敗残兵達に絶望を与えた。彼が立ち塞がる道を、無事に通り抜けられる者など此処にはいない。皆一様に、死神が自分達を迎えに来た、といった心境に陥った。
 そして不幸な事に、この山道は片方が絶壁であり、もう片方は深い崖。進むか戻るかしか選択肢を与えられていない状態で、敗走経路は剣帝の立ち塞がる道のみ。かといって彼を避けて下がろうものならば、敵軍の残党狩りに搗ち合ってしまう。
 前門の虎、後門の狼であった。すっかり士気が落ち、槍を握る気力も無い傭兵達は愕然としながら足を折る。
「もう駄目だ…もう戦えねぇぇ……!」
「しっかりしろっ!」

   え?」
 その時、思わず声を挙げる者が居た。塞がれていた筈の道が、何時の間にか空いているのだ。そして自分達の横を、悠然と死神が通り抜ける。
 思わず振り返って、兵士はもう一度驚く。一人かと思っていた剣帝の背後には、まだあどけなさを残す少女がぽてぽてと付いて行っていたのだった。
「あ、主殿〜。大丈夫でありまするか? 相手は圧倒的な兵力を有しておりまするぞ」
「それがどうした」
「どうしたって……あうぅ」
「俺達の仕事は、兵士達を一人でも多く逃がす事だぞ。相手を全滅させる訳じゃない」
「そうでありまするが、怪我とか大丈夫なのでありまするか……っ? な、何かあったら、是非とも遠慮なしにエリスに言って下され……っ!?」
 そう言って、心配そうに縋り付く少女に、剣帝は微笑みかける。その和やか雰囲気に目を丸くしている兵士達を尻目に、下山していく二人。
 その先には一つの吊り橋がある。


――――――――――


 ガチャガチャガチャッ
 鎧の合唱が響く。戦場の勝利者である兵団が、残党狩りの為に岩山を登って来たのだ。見る限りではこの戦で負けた兵士達とは比べ物にならないほど体格の良い者が揃っている。その一番先頭には、一際大きな姿があった。
「やれやれ。大人しく投降すれば命だけは助けてやるものを。馬鹿な奴らめ。お陰で私がこんな役をやらされる羽目に……
 騎乗用ドラゴンに跨る壮年の男がぼやく。見るだけで俗物っぽさの漂う男だった。
 そんな時、ドラゴンの瞳が鋭くなる。男の目に、実に不可思議な光景が映った。
 吊り橋に差し掛かると、其処には一つの影が立っていた。……まるで、その場所を守っているかのように。

   止まれっ」
 そう指示が飛ぶ。足を止める一団を背に、先頭の男は目を凝らす。……確かに、吊り橋の前で一人の剣士を仁王立ちしている。
「貴様、何のつもりだ?」
 一団から前に歩み出し、男が尋ねる。すると、その剣士はこう返す。 
「見て判らないのか」
 剣士の目が男を捉える。男は不快そうに顔を顰める。
「判らんなぁ。死にたいという事なら、察してやれるが」
「生憎、死ぬ気など更々ない」
 だからと言って命乞いをするつもりもない、と言いたげに鋭い眼光を飛ばす剣士。当初、男は彼を敗残兵の一人と踏んでいたが、此処で傭兵だと察する。
……若造。お遊びも大概にしろ。圧倒的な兵力差を前に、この国の農民兵共は束になっても勝てなかった。此処にいるのはその一部だが、皆精鋭揃いだ。貴様一人如きで、殿が務まるとでも粋がったかっ!!」
 そう怒号を散らす男は、時間が惜しいとでも言うようにドラゴンの手綱を引き上げる。ドラゴンがけたたましく嘶き、胴体を振り上げた。剣士は怖じない。男は額に微かな青筋を立てる。
「ほほう、成程っ。矢張り死にたいらしい! ならば、望みどおりに八つ裂きにしてくれるっ。……やれっ」
 剣が鞘から抜かれ、振り降ろされる。その合図に、完全武装した兵士達が数人武器を構えて前に出てくる。
 狭い地形では余り大人数で対峙する事はできない。だからこそ、少数ずつで対処する必要性が出てくる。それに、たった一人で自分達を止められると思われたことに対してきっちりと認識を改めてもらう為には、それほど大人数を必要とはしない事を示しておく必要もある。
 だが相手のこの驕りに剣士はほくそ笑んだ。彼には、驕った相手に負ける道理などなかったのだ。
「でやぁ   っ」
 一対多数での勝ち目は、相手に囲まれない事である。そしてその中でもほんの一瞬だけ訪れる“一対一の瞬間”の中で、相手に一撃を見舞う。剣士はそれを弁え、襲い来る兵士達を切り伏せる。それを幾許か、休む暇もなく続けた後、部隊を率いる男は存分に思い知る事となる。



(馬鹿な……っ。たった一人で、我が精鋭部隊がっ)
 やがて男の目の前には部下達の切り伏せられた姿が山となって積まれていた。何時の間にか、背後に控える兵士達の士気も見るからに下がっていた。
 それに対して目の前に居る剣士は息一つ切らさずに、血糊で切れなくなった自分の剣を捨て、足元に転がる兵士の剣を手に持つ。
   流石、北の剣だ。鉄の洗練から何までしっかりしている」
………
 男は悟った。例え此方が状況的に不利だったとしても、この数を相手にしてかすり傷一つも無いというのは、この男の化け物染みた腕前によるものに他ならない。武器を構えようとした兵士を剣で制止すると、途端に穏やかな表情になって剣士に語りかける。
「貴様、名は?」
……知って、どうする」
 剣士は何処か上の空だった。まるで退屈しているように、剣も構えない。だが男はそんな彼の様子を少しも気に留めずに提案し始める。
「貴様の腕、只者ではないと判る。どうだろう、我が陛下の下に勤めないか? 傭兵なんぞのままで居るのは、貴様だって不本意だろう。貴様の実力なら、私の口入で直ぐに相応の地位が与えられる筈だぞっ」
 剣士から見た男の顔には、必死な形相が浮かんでいた。
 其れもその筈。残党狩りに赴いた「程度」の事で、此れだけの兵を失ったのだ。しかもその原因が、たった一人の剣士にけちょんけちょんにされたというもの。まともに口にすれば信用が失墜するどころか首が飛ぶ。この機会にこの剛の者を取り込めば一応は顔が立つし、何よりその剣の腕は野心を持つ男にとって魅力的に見えたのだった。
 その所を察した訳ではないだろうが、剣士は即答する。
「無理」
「なっ、なんだと!? き、貴様の腕次第では、地位も金も女も欲しい儘だっ。今からでも遅くない、仕官先を求めているのだろう!? 私の下に……じゃない、我が陛下の下に参じられよ!」
 男は焦った。頷いてもらわねば、自分の首が飛ぶ。冷や汗が吹き出し、顎を伝う。剣士は吊り橋の向こうをふと見ながら、こう語った。
「俺には弟子が居る。師と仰がれている以上、寄り添う者の事を顧みずに自分の人生を歩むのは、騎士の道に反する」
 それを訊いた男は冷や汗の量を増やし、病に罹ったかのように顔を青くする。暫く竜の上で歯を食いしばっていると、その表情が笑みに変わった。
……そうか、残念だ」
 ピシィンッ 
 そういうと、手綱を激しく竜の脇に叩き付ける。竜が嘶くと、一心不乱に剣士に突進して来る。そしてそれに跨ったまま、男は剣を振り上げた。
「死ね   っ」
  

――――――――――


 あの夜に見た主殿の剣は見事の一言に尽きた。私の集落でも、剣で相手の攻撃をあれほど滑らかに受け流せる方はいなかった。あれほどに洗練されたパリングは見たことがなかった。
 今もそう。吊り橋の向こうで主殿の安否を心配するこの私を嘲笑うかのように、主殿は無難に、且つ凄まじい勢いで敵を切り伏せていっていらっしゃる。主殿は自分の剣をよく見せる為に、私を此処に置いて下さっているのだけど
    ああ、凄すぎて、剣の動きが全く見えない。
「主殿ぅ〜。もう少し、ゆっくり振って下されぇ……
 聞こえないであろう小さな声で呟く。生きるか死ぬかの世界で、そんなこと、通用しないのは判っている。だけど…… 

   他の誰でもない、貴方様のお側で、貴方様の剣を見たいのでありまする!』

 あんな事言っておいて、全く主殿の剣が見えていない自分が腹立たしくなってくる。才能とは、こういう時にも求められるのですねっ!?
 そう悟ったけれど、なんだかエリスにとっては凄く悲しい事実の気がする。うぅ、主殿みたいに化け物レベル(褒め言葉)に才能に恵まれていたら、今頃エリスはどんなエリスになっていたのだろう……

 ふと、剣戟の音が収まったように感じ、改めて吊り橋の向こうを見てみる。どうやら敵の指揮官らしい男と主殿が話している最中なのが見えた。

「貴様の腕、只者ではないと判る。どうだろう、私と共に我が陛下の下に   

 確かに主殿程の腕前なら、何処の国でも喉から手が出るでありましょう。もう、当然でありまする。今猶世に出でんとする剣士である主殿が、こんな所で燻ぶっている事自体がおかしい。私は当然、主殿がその話を御請けになられるものだと思っていた。
 ……のだけど。

「無理」

   え」
 主殿の返答には度肝を抜かれてしまった。主殿はいいのだろうか。こんな傭兵生活のままで。生きるか死ぬか判らない世界で、その日暮にも困る生活のままで。
 だがそれはあの敵の指揮官も驚いたらしく、眉が跳ね上がっていた。

「なっ、なんだと!? 貴様の腕次第では、地位も金も女も保証されるのだぞ!?    
「俺には弟子が居る。師と仰がれている以上、寄り添う者の事を顧みずに自分の人生を歩むのは、騎士の道に反する   

 主殿の言葉。それを訊いた瞬間、胸がとくんとした。才能が毛ほども無いエリスなどの事を、主殿が本当に弟子と思って下さっている。   こんな光栄な事は、他にはないでありまする。

 思わず、感動して泣きそうになりながら見ていると、敵の指揮官が不意に笑みを零した。
……そうか、残念だ」
 ピシィンッ 
 強く手綱が引かれる。その瞬間、あの騎乗竜が主殿に向かって突進して来たのだ。だが其処は主殿、反応素早くその一撃を躱し、続けて指揮官の剣を受け止める。しかし、続いてその竜が、長い足を振り回して主殿を蹴り飛ばしたのだ。
 鋭い爪が主殿の腹を捉える。エリスは息を呑んだ。主殿は腹を抑えて立ち上がりながらも、すぐさま繰り出された第二弾の突撃は躱す。
 戦場の雰囲気に慣れていなかったエリスに、叫び声を挙げる余裕は無い。精々、心の中で応援する事しかできなかったのである。
 あの主殿が押されている。あの指揮官は相当の手練か、と思い始めた頃。第三の突撃。だがこの時主殿は竜の猛突進に全く避ける素振りを見せないのだった。
 敵の顔に明確な殺意が浮かんだ瞬間、主殿は急に体を伏せる。そして剣を翻し   一閃。
 その途端、竜の角がパタンと離れる。主殿は剣を鞘に納め、颯爽とその横を通り抜ける。竜は切られた角に驚き、啼きながら大きく身体を揺さぶる。
「こ、こらっ。暴れるな……! あっ」
 敵の司令官の身体が大きく浮き上がる。竜が暴れた所為で、放り出されたのだ。
 そして、その先には、崖。
   っ」
 呆気なく、奈落の底に落ちていく。何かを叫んでいるようだったが、底も見えない絶望的な崖を転げ落ち、終いにエリスの視界からも姿を消した。
 主殿は司令官を失った兵士達を一睨みする。兵士達は皆、主殿の気迫に怯え、先程の敗残兵と同じように逃げ出し始めたのだった。
 
………
 主殿は一息吐いてから、吊り橋を帰ってくる。エリスの下に戻ってきた主殿に、エリスは駆け寄る。
「主殿っ。……!? お、お怪我を」
 見れば、主殿の手の甲に赤い線が引かれてある。
「ん? ああ……この程度、掠り傷にも入らないさ。そんなことよりもエリス……
「そんなことではありませぬっ! 主殿のお怪我は、エリスの一大事でありまするっ!!」
 逸る気持ちを抑えるつもりもなく、御手を拝借する。支度してあった包帯などを巻いて手当てする。普通こういうのは魔法か何かで治すべきだろうけれど、才無しのエリスに当然そんなスキルは無く。このような形でしかお役に立てないことを恨めしく思う毎日。なんだか、此処に来てエリスの存在が本当に惨めに思えてきたでありまする。
   ふ」
 すると主殿が、まるで私の考えている事を見透かしているような笑みを見せたのに気付いた。
「今笑ったでありまするか?」
「さぁな」
「? しかし、相手も手練でありましたなぁ」
 主殿は苦笑いを返す。
「あ、いや。奴自体はそれほどでも。どっちかといえば、あの竜だな」
「竜……騎竜、でありますか?」
「ああ。騎竜とはあまり経験がなかったんだ。それで手間取っただけだな」
「そうでありまするかー……
 そう話をして、暫くの間沈黙が流れる。
   あ、主殿」
「ん?」
 エリスは意を決して、こう尋ねてみた。
「何故、主殿は仕官先を求められぬのですか?」
「えぇ?」
「だって、主殿程の剣豪ならば、何処の国にだって仕官先はおありでしょう? ううん、傭兵団を率いていてもおかしくないっ。なのに主殿は、師である以上自分の人生を歩かないと仰る……
 驚いたような、困ったような顔をする主殿だったが、直ぐにエリスにこう答えるのだった。
「ああ、あれは別に、今は自分の人生を生きていないって訳ではないぞ。 俺は好きでエリスの師匠をやっているんだしな。……というか、今の所、俺の剣に出来る事といえば、此れだけだという話なんだが」
 最後にそう呟く主殿の表情が不思議に映ったが、その時はそれを気に止める事はなかった。それよりも、エリスはその主殿の言葉でますます惨めな思いが募ってしまう。
「しかし、エリスが居る所為で主殿の道が塞がれていると思うと……それは   辛い、のでありまする」
……
 すると主殿は今まで見せたことのない程に朗らかな表情で笑いかけてくれた。今まで傍に置いてもらって、この方の剣技には何時も驚かされてきた。だけれども、正直な事を言えば、何処か淡々としていて感情が薄い人なのか、とも感じていた。
 しかしこの時ばかりは、このお方の別の一面に驚かされるのであった。
 
「エリス」
「は、はいっ? 何でありまするか?」
 急に名前を呼ばれて驚くエリスに、主殿は手当てをした手で、私の頭を撫でる。
 温かい手でありました。父上のように、大きくはないけれど。それでも身近にある主殿の手は、とても心が落ち着く。
「俺は、剣を揮う理由を、他の誰でもない、エリスに見出したんだ。あの夜エリスに出会わなければ、俺は今頃、何処かでのたれ死んでいただろう」
 主殿の手が私の髪をサラサラと撫でる。……今この瞬間、このお方の手を独り占めしていると思うと、なんだかとっても幸せな気分になってくる。
 へらへらとだらしない笑みを零しているであろうエリスに、主殿は呆れたように溜息を漏らす。
「勘違いするなよ、エリス。俺はエリスと出会えて良かったと思っているし、感謝もしている。これからも一緒に居たいと思っている。これからもお前は、俺の傍で、俺の剣を見続けてくれればいい。……そうじゃないと、俺が剣を握る意味がなくなる   
 そう語る主殿の顔を見上げる。其処には酷く悲しそうで、頼りなく救いを求める瞳があったのだった。
……有難き幸せでありまする。エリスはこれからも、主殿の下で剣を磨きたいと存じまする」
 それを聞いて主殿は安心したのか、安堵しきった様子で、もう一度微笑んだ。


――――――――――


 エリスを弟子にしてからすぐ、俺は剣客として新しい生活を始めた。
 剣客は、謂わば武力に関する何でも屋。例えば、傭兵稼業もその一端だし、賞金稼ぎ染みたこともすれば用心棒も勤める。
 危険極まりない職業だが、名と信用が通れば比較的安全な仕事も回されてくる。例えば兵士の訓練指導に当たることもあったし、ある国の警邏を手伝ったりもしている。その分、妙な期待を持たれて、ヤバイ仕事で無茶もやらされるようになったが。

 今はこの白煉瓦の町を一望出来るレストランの軒先で、一仕事を終えた疲れをのんびりと癒していた。今回の仕事では敗残兵の救出で手の甲を切っただけだったが、その一つ前では野盗狩りで逆襲に遭い、死に掛けた。その分の疲れも溜まっているらしい。今もうすでに足に感覚がなくなっている。
 敢えてこんな商売に足を突っ込んだのは、他でも無い。目の前で何故か幸せそうな顔をしている、おかしな弟子の為である。
 いち早く名を挙げる為に忙しなく剣を揮っていた一時期とは違い、今では片手間にエリスを指導出来る身なのだが……相変わらず、からっきし弱いままである。成長の兆しすら全く見せない。この前六歳の男の子とチャンバラごっこをしていて、一本取られていた。逆の意味での奇跡的逸材である。
 
「っ?」
 そんな風に思っていると、何が楽しいのかニコニコしているエリスが俺の様子に気付き、更に顔を綻ばせる。
……主殿ぉ。そんなに見詰められては、照れてしまいますぞ……
 知っているか。今お前のこと、けなしていたのだぞ。
 顔を赤くしてくねくねしている此奴は何時の間にか俺の事を主と呼び始めていた。
 普通、師匠と呼ぶものを、何故か「主殿」なのだ。何か、妙な意味合いが含まれていそうで今改めて怖くなってきた。

「なんで、お前は弱いのだろうな?」
 そう尋ねて頭をわしゃわしゃと撫でてやる。赤毛が乱れながらも、エリスは満更でも無さそうな顔をする。
「酷いでありまするっ。エリスは、一生懸命やっているのでありまする」
「ほう。それは俺の教え方が悪いと言いたいのか?」
 冗談で顔を顰めてやると、エリスは慌てて弁解を始める。
「い、いえっ! 主殿の教え方は懇切丁寧で、非常に実りあるものと存じますでするっ」
 判りやすい反応だ。教えを請うものに対して、誠実な対応を心得ている。
 だが、俺も判っているのだ。エリスは頑張っている。彼女の手は、出会った頃にはなかった血豆が、いくつも潰れて、酷く腫れている。俺の目が届かないところで素振りでもしているのだろう事は伺える。
 だからこそ、エリスが弱い理由が判らない。矢張り生まれ出でた瞬間からの才能の有無が、運命を左右する……というのか。俺はその自然律ぶる事象に苛立ちを憶える。
……なんでお前は弱いんだ」
 目の前に居る弟子に問いかける。
「そ、其処等辺は主殿が……見極めるべきでありまする」
「なんという他力本願。己を見直す力も、少なからず必要なんだぞ?」
 まさかの丸投げ。呆れて、目の前に置かれるジュースに口を付ける。この辺りでは良く取れるジューシーなフルーツのものらしく、味はさわやかで口の中をツプツプと刺激する。だが如何せん、臭いが気になる。独特の臭みがあって、先程から飲み干せないでいるのだった。
 そんな折、何気なくエリスが体を傾ける。その背に負う白柄の剣が視界に入ってきた。
「そういえば、エリス」
 また飲みきれなかったジュースのカップをテーブルに置く。エリスは潮風に髪を靡かせながら、白煉瓦で統一された町並みを見下ろしていた――。

   なんでありまするか? 主殿」
 名を呼ばれてふと我に戻る。彼女の先程までの横顔に、この前まで子供と思っていたリザードマンとは違った印象を受けたのだ。……いや、何を戸惑っているのだ、俺は。
……い、いや。その背中に負う剣だけど」
 エリスは両親の形見だといって何時も身長に不釣合いな剣を肌身離さず背負っている。彼女の言う通り、その剣は抜くことが出来ない。勿論、俺もチャレンジしてみたが、抜けなかった。彼女曰く、崇高な魂を持つ本当の強者しか抜けないというのは、取り敢えず本当らしい。お世辞にも、理不尽の前に簡単に信仰を捨てたような野郎が適う訳がないからな。
「重くないのか? 今更だが」
「え、と。重いでありまするが、これも鍛錬だと思えば、なんともありませぬ」
 そんなことを真顔で答えてくれる。だが戦士としての志がある以上、この先ずっと抜けない剣を持たせておくのは忍びない。それに、頼むから自分の身は自分で守れるくらいには成長もしてもらいたい。
 そもそも、彼女に適応する武器はなんだ? 俺は今更そんな所に考えを行き着かせるのだった。自分は剣が一番得意だから、自信を持って教えられるのは剣のみだった訳であるが、そもそもから彼女に合わない武器だったかもしれないのだ。
 思い立ったが吉日。彼女にこう切り出す。
「エリス」
「はい」
「そろそろ、自分の獲物を持ってみないか?」
   !!」
 ガタンッ
 切り出すと、エリスはテーブルに激しく手を着いて身を乗り出した。まん丸な目には驚きと、溢れ出る喜びが太陽に照らされて輝いていた。
「本当でありまするかっ!? やっと……やっと、免許皆伝でありまするか!?」
「んなわけないだろうが。お前を免許皆伝なんかしたら、この前お前に一本取ったあの子供は、もう既にどんだけ達人になるんだよっ。後、何がやっとだ。まだまともに指導し始めて一ヶ月だろう」
「むぅ……。あ、あれは……相手が子供だと思って、油断しただけでありまするっ」
「嘘付け。『戦士たるもの、相手が如何様な者でも、全力でお相手を勤めるのが礼儀でありまするっ!!』 とか、全力で叫んでいただろうがっ」
「あ、あれは場を盛り上げようと思っただけでありまする……
「お前は何時から場を盛り上げようとか考える娘になったんだ?」
「そ、それに……年上の者が年下の者を打ち負かすのは、見栄えが良くありませぬっ。エリスは主殿みたいに大人げのない戦士ではありませぬから」
……何気に俺を批判したな、今。忘れてないか? 俺、お前の師匠なんだが!?」
「むむぅ」
 何がむむぅ、だ。俺は難しい顔をするエリスの前でジュースを気合で一気飲みし、席を立つ。
「おし。まぁ、金も溜まったし、それなりの物を買っておこうか。俺も序でに装備も換えたいしな」
「了解でありまするっ」
 そう言ってエリスも席を立つ。するとそんな折、耳に聞こえの良いハープの音が響いてきたのだった。

…………〜♪

 誘われるまま視線を向けてみると、店の外の大通りに目深の帽子を被った吟遊詩人が佇んでいた。その手には竪琴。その弦にしなやかな指先をなぞらえて、見事な旋律を奏でている。
……あ」
 そのとき、吟遊詩人の姿を確認したらしいエリスが口をポカンと開ける。
「ん? どうした?」
「あの人、どっかで会った気がするでありまする」
 そう指差すが、俺には覚えがない。遠目から見てみるが、一目見て吟遊詩人と判るようなオーラを纏った人間など、忘れない筈だ。
「気の所為だろう? 俺は知らんぞ」
 そう口にしてから、なんだか丁度エリスと出会って剣客を始めたばかりの頃の初仕事で張り切りながら入った森の中の切り株に座って休憩しているところであんな人を見かけた気がする。意外に鮮明に思い出してしまうが、結局今は全く関係のない人だ。あの時とは違って彼の横には、胡坐をかいて大欠伸をする小柄なミノタウロスの姿と、それに比べて体の凹凸が激しくフェロモン全開のミノタウロスが男漁りをするような目で辺りを見回す姿があった。
 あ、フェロモン全開の方と目が合った。
 すると彼女はうっとりしたような瞳で舌舐めずりをし、それだけで何かを感じさせるような視線を飛ばしてきた。それを察したらしいエリスは、何故か俺の前に立ってそのミノタウロスを一睨みする。
……さぁっ、早くエリスの武器を買いに行くのでありますっ!!」
「え? あ、ああ……
 エリスは何だか不機嫌な態度のまま、俺の腕を引っ張ってさっさとその場を離れようとする。俺はエリスが何に腹を立てたのか判らないまま、大人しく引っ張られるのだった。



 太陽の日差しが照り返す白の町を歩きながら、人混みの中を進む。此処は魔物に対して友好的ではないが、リザードマンなど、昔から人間と親交のある魔物に対しては認識が違うようだ。人々はエリスを目で追いはするが、蔑みや悪意は微塵もない。歓迎の念もないが、何処かの国よりは余程マシである。
「そういえば、主殿」
 色気のないウィンドウショッピングを楽しみながら、エリスが不意に声を掛けてくる。
「ん?」
「主殿は、剣以外にも心得がお有りなのでするか?」
「ああ。元々、自分に一番合う武器はなんなのか見定めていた時期もあった。結局、騎士になれば武器は剣に統一されたケドな」
「ほえー。それで、腕前の方は?」
「うーん。まぁ、負けた事はないな」
 相手といえば、盗賊やらの不義の輩である。腕試しに捕まえるなんて事を日課にしていた時期もあったな。……それもこれも、神だとかいう欺瞞の為に。
……主殿には敵が居ないのでするか?」
 疑い、納得いかない瞳が俺を射抜く。俺は苦笑いを返すしかなかった。
「さぁ? 世の中は広いし、それは判らないぞ」
………
 エリスは俺の返答に興味が逸れたようで、一転して視線は陳列された武器に向く。そしてエリスは立てかけられた一つの武器を指差す。
「主殿! 槍なんてどうでするか?」
「エリスほどの身長じゃ、槍を振り回すどころか、振り回されそうだな。」
 そう笑ってやる。エリスは眉を吊り上げ、その手に次の品をヒョイと持ち上げる。
「むぅ。では、斧なんてどうでするか?」
「反応の鈍いお前じゃ、振りの遅い武器はどうだろうか」
 そう言うと、大人しく斧を戻して別の武器に視線を向けるエリス。なんだかんだ言って、俺の言葉をキチンと聞いてくれているのだ。
……弓は? これなら反応はあんまり問わないでありまする!」
「まともに薪割りすら出来たことのないお前が、狙うという事に秀でているとは思わないが」
 打ち下ろしの練習にやらせた薪割りのバイト。一本もまともに割れなかったエリスを見た時、これは悪い冗談だと思ったものだ。
「うぅ……鞭!」
「それをまともに取り扱えるようになるには、暫く体に生傷を作り続ける羽目になるぞ」
「そ、それは嫌でありまする! では、鎌!」
「戦場で使われた時期が短いことに関して、どう思う?」
「実用性に乏しいという事だと思うでありまする! では、フレイル!」
「本当にそれでいいのか?」
「なんか、嫌でありまする!」
 全世界のフレイル使いに謝れ。

「では、これなんてどうでありまするか?」
 エリスがそう言って持ってきたのは、殴打用の武器、メイスだった。俺はそれをみて頷く。
……まぁ、いいんじゃないか」
「本当でありまするかっ!? では暫くはこれを使って行きたいと思うでありまする」
 そういってワクワクした様子を笑顔一杯に表すエリス。なんだか、此方も教え甲斐がありそうに思えてくる。実際は全く成長しないのだろうケド。
「主殿っ。これはどういった武器なのでするか?」
 積極的に学ぼうとする姿勢、何時もながら真似できないと思う一途さだ。俺は内心この子を尊敬しながら教鞭を揮う。
「これは見ての通り殴打用の棍棒だな。相手が鎧を着てようと、内部に衝撃を伝わらせて攻撃出来る武器だ。まぁ、エリスなら言わなくても判るな?」
「そうでありまするなっ。ところで、此れはどういった歴史がある武器なのでするか?」
 武器を持つに当たって普通は気にしない所でも、エリスは興味津々に尋ねてくる。それに精一杯誠実に答えようと、俺は必死に口を紡ぐのだが。
「ああ、それは元々聖職者が異端者と戦う際に用いられたものだ」
……え?」
「聖職者、主に教会に属する人間は死者や血に触れることを禁忌とする場合が多い。特に相手が異端ともなれば、それは顕著だ。其処で斬る武器ではなく、こういった殴打系の武器を用いる事が多いんだが、それでも権力を象徴する杖から派生したこのメイスが一番好んで使われる。ボンメル(柄頭)に魔力を高められる聖物を入れておけるしな。だが、こんなもので殴られては血も出るだろうし、理由としては後者だろうな」
 
何気なく、本当に何気なく、だ。エリスの勉強になるだろうと思って語った事実。だが其処には、無意識になんたる皮肉が込められていたのだろう。俺は愚かにも失念していた。今の話に出てきたシチュエーション。それは、エリスの集落を連想させて……   

 

 語り終わった後、俺は冷や汗が噴出してきた。調子に乗って衒学した末路だ。そうだ、メイスで殴って血が出るなんて、目にも明らかだ。あの時見た、リザードマンの少女の、なんという惨い撲殺死体。あの、赤の量。血が出ない、そんな訳ない。
 いや、そんなことを拙く思っているんじゃないんだ! そう、今の語りは、エリスに対する皮肉でしかないことが、拙いのだ。無意識でも、例えそうでも、エリスに対して不義を働いた。これは、本人に許されても、決して許されることじゃない。
 謝らなければならない。けれど、どうやって。俺がそう口に出したんだ。謝るとすれば、誠意を伝えなければならないだろう。それとも、こうして店先で突っ立っているよりか場所を変えて謝るべきか? それとも、敢えて謝らないでおこう? いや、それは駄目だろう! 謝るべきだ。

 頭の中が混乱して固まってしまっていると、エリスは不意に俯いていた顔を上げる。
   やっぱりまだ、エリスは自分の武器を持つには早すぎるのでありまする」
「あ……
 カチャッ
「まだまだなのでありまする。エリスは、まだまだ……主殿の下で修練を積まねば」
 先程まであれほど溢れそうだったワクワクは、その笑顔にもうなかった。エリスは、俺と目を合わせず、俯くだけ。俺は謝ろう、謝ろうと思いながらも、エリスのその苦しそうな笑顔が目に付いて……尻込みしてしまったのだ。
 
……エリス」
そうやって、やっと声を掛けようとしたが。
「あの、主殿」
「え? あ、ああ、なんだ」
「ちょっと、一人で見て回りたいものがありまするので、お小遣いを……
 そういえば、エリスのお小遣いは俺が預かっているのだった。初め、なけなしの給金から渡したお小遣いを早速落として、泣き喚きながら全面的に俺の所為にされたのを思い出す。俺は言われるままに懐から溜まった小遣いを纏めて渡す。ジャラっという、貨幣が擦れる音が響く。といっても、全て銀貨と銅貨であるが。
「あ、こんなには要らないでありまする。落としたら、いけないので……
 エリスは渡したお小遣いから銀貨を数枚だけ取り出してから残りを返す。俺は戸惑いながらそれを受け取ると、もう目の前のエリスは走り出していた。
「あ……
 何も言わずに駆け出したエリス。背に負う剣がガチャガチャと音を立てながら、人混みを縫っていく。その背中を見詰めながら、俺は切ない気持ちで胸が潰れそうになっていた。



 タッタッタッ……
 そんなスヴェンの姿を見てから、走り去っていくリザードマンの背に目を遣る男。
   
 その男の胸には、南洋正教会の高位司祭を現す刻印が太陽の光を照り返していたのだった……



  

 主殿は悪気があって言ったのではない。それは判っている。そんなお方じゃないということは。
 主殿は私の痛みを判ってくださっている。エリスの仇討ちに同調して、態々弟子にして下さったのがその証拠。だから、エリスの前で面白可笑しく、教会の話なんてしない。主殿だって申し訳なさそうな顔をしていた。きっと、エリスに悪い事をしたと主殿も判っている筈。
 でも、だったら……あれ?

 主殿は、何故   、エリスの集落を襲ったのが、“教会”だと知っていたのだろう。

 公ではあの事件は、錯乱した一人の騎士による凶行とされている。なのに、主殿は教会がエリス達の集落を襲ったという事を、知っている。
 エリスは、話した覚えがない。エリスがこっそりと外を覗いて見えたのは、ごうごうと燃え上がる故郷の中にひっそりと佇む、あの教会の魔術師達の姿。南洋正教会、真犯人。

 ……どうして? 浮かんだ疑念の先に見えたのは、主殿が嘗て自分を指した言葉。

……俺は君が言う、剣帝じゃない。只の騎士……いや、元騎士だ。いまじゃ、見ての通り、野良犬にも劣る男。そんな俺が、君に教える事なんてないんだよ   ?』

    “元騎士”?

 頭の中がこんがらがる。今までは、別に主殿の過去を気にした事は無い。けれど、なんだろう、この引っ掛かりというか、変な感じは。主殿の言葉全ての意味が、今になって気になって仕方が無くなって来た。
 そんな時、だった。

「<狼の腸にてその身を縛し、蛇の毒にて裁かれよ>」
 そんな重く伸し掛かる呟きが、後ろから聞こえる。エリスは背筋を走る悪寒に驚き、振り向いた。

 其処には、何時しか燃え上がる集落の中で見た、あの教会の魔術師の姿   



 夢……でありますか?

 魔術師の腕が、エリスに向かって伸びている。

 其処から、蛇がにょろにょろとエリスに飛んで来て……

 ブシュゥッ
「あぅ   

 …………殿――っ


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【メモ-その他】
“南洋正教会”

中央教会の別派。独自の経典をつくるなどして中央教会との差別化を図る宗教団体だが、今ではすっかりそれも形骸化している。騎士団を保有し、ここ最近では武力的な動きが目立っていた。

暫くした後に幹部が一新され、中央教会の傘下に入る事になる。


09/12/25 23:55 Vutur

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