連載小説
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ご挨拶
 あちらこちらの名所を回り、お昼にはおいしいものを食べ、そしてムラムラしたらちょっとした物陰でスッキリする――――
そんな楽しいアル・マール観光の延長時間もそろそろ終わりに近づいてきた。
 時刻はすでに夕方5時近くになり、夏の太陽もそろそろ水平線を赤く染めようかとしている。

「楽しい時間って、本当にあっという間よね…………おすすめの観光名所だけでも、まだ10分の1も回り切れてないんですもの」
「だけど…………そろそろ一区切りの時間ね」
「うん、僕も……もっとたくさん遊びたかったな」

 楽しい時間の余韻に浸りつつも、どことなく物足りなそうなフリッツ。
 まさか家に帰るのがもったいないと思う日が来るとは、彼自身全く予想していなかったのだろう。

「はい、ゆっくり立ってね。落ちないように気を付けて」
「うん……よいしょっ、ああ……また陸に戻ってきたんだ。揺れるのに慣れちゃって、ちょっと落ち着かないね」
「うふふ、すっかりアル・マールの生活に馴染んでくれて嬉しいわ。私たちアル・マールもちょっと変わってるって言われるけれど、
ほかの島に行けばそもそも陸に上がると酔っちゃう娘や、水の中じゃないと嫌なんて娘もいるんだから♪」

 あちらこちらの水路をゆったりと進み、エレオノーラ姉妹とフリッツの体を心地よく揺らしていたゴンドラが、出発したときと同じ桟橋に到着する。
 今までもずっと暮らしてきたはずなのに、マノンに手を引かれて揺れない地面に立った瞬間フリッツは若干違和感を覚えた。
 それだけフリッツが、船の上で過ごすのに慣れた証拠だろう。

 そして、本来であれば…………アル・マールの観光案内は、ゴンドラを降りて別れの挨拶をしておしまい。
 実際、団体ツアーや夫婦で訪れたときなどは、そのまま解散してしまうことが多い。
 だが、観光案内が終わるということは、すなわち案内人の彼女たちの「仕事の時間」も終わりということになる。つまり、仕事の時間の後に何をしようと、それは個人の自由ということで――――

「さ、それじゃあ…………お義父様とお義母様にご挨拶に行きましょうか♥」
「そう、だね……なんだか僕も緊張してきた」
「私たちだってとても緊張しているわ……。遠隔通話の巻貝で話してる声を少し聴いたから、優しい方だと思ってるけど、
それでも初めて会う人だからね…………だからフリッツ君、手をつないでいいかしら?」
「あ、私も私も! ふふふっ、まさに両手に花、ね♥」

 セシリアとマノンは、それぞれフリッツの手をしっかりと握って歩き出した。
 一見余裕そうに見える二人だが、挨拶をする前に息子を(性的に)食べてしまったのがやや後ろめたいのか、緊張して握る力が少し硬かった。
 なんだかんだ言って、案内役を務めるだけあって、結構誠実な性格の二人だった。


 フリッツの両親は、あらかじめ案内所の人と打ち合わせをしていたおかげで、桟橋近くの観光センター前ですぐに会うことができた。
 フリッツの父親はフリッツと同じく栗色の髪の毛に、それなりにがっちりした体つきの男で、ややぼんやりした印象ながら、頼りになりそうな雰囲気があった。
 一方で母親は黒髪で丸眼鏡をかけており、こちらは後ろ髪を三つ編みにしているところがフリッツそっくりだった。

「お帰り、フリッツ! どうだった、楽しかったかい?」
「おかえりなさい、フリッツ。ふふっ、なんだか出かける前よりもずいぶん立派になったわね」
「ただいま、父さん、母さん! あの、えっと……それとね…………」
「まあまあ、もしかしてお二人が!」

「はい、初めまして…………アル・マールの姉妹歌娘、姉のセシリアと申します」
「同じくマノンです…………こんなに長くフリッツ君……じゃなくて、息子さんをお連れして恐縮ですわ」
「あっはっは! こちらこそ、甘えっこなフリッツと色々と思い出を作ってくれて感謝するよ!」
「あのっ、それとお義父とお義母と、お話がありましてっ!」
「私たちは、フリッツ君と……!」
「まあまあ、セシリアさんとマノンさんのお気持ちはわかりますが、この場では何ですので、新しいおうちに行きましょう♪ 
今日のお夕飯は私がご馳走しますから、その時にゆっくりしっかり、お話を聞かせてくださいね♥」

 緊張からか、いきなり思い挨拶から入ろうとしたセシリアとマノンだったが、フリッツの両親はそんな二人の気持ちを十分理解しているからか、
ここではなく家に帰ってからということになった。
 二人は思わず赤面してもじもじしていたのが、フリッツにとってかわいく、新鮮に思えた。なんだかんだで、セシリアもマノンも、この前まで生娘だったわけで、結婚して何年もたつフリッツの両親が慌てる二人を何とか宥めたのだった。

「あのっ、それでしたらお夕飯のおかずを一緒に買いに行きませんか?」
「私たちは市場の食材についてとっても詳しくて、お役立ちですわ!」
「あら、それは助かるわ! せっかくだから、美味しいお料理の作り方も教えてもらえないかしら♪」

「ははは、よかったなフリッツ! 二人ともさっそく母さんと仲良くなれそうだぞ!」
「うん……なんだかすごくほっとした」

 紆余曲折あったものの、初顔合わせはおおむね成功だった。
 フリッツ達5人は、メインストリートにある大きな市場へと向かっていった。

 噴水街水路の水上屋台の集まりもすごかったが、陸地に何もないかと言えばそんなことはなく、夕方の大通りでは新鮮な食材を扱う大小さまざまな店が所狭しと軒を連ねていた。
 やはり海辺の町なのもあって、店先に並ぶのは海産物が多いが、野菜も肉も豊富に取り揃えられており、愛する夫や妻、それに育ち盛りの子供たちにおいしいご飯を作ってあげようと張り切る人々の熱気であふれかえっていた。

「お魚の新鮮さを見分けるコツは、簡単なようで結構難しいんですの。なぜなら……ここのお店の品物は全部この上なく新鮮ですから!」
「ここはあえて、一目見ておいしそうだと思った食材を選ぶのがコツなんです♪」
「へぇ……元居た町では考えられなかったわ。前に住んでいたところは海からちょっと遠かったから、お魚は基本的に塩漬けか干物だったのよ」

 コートアルフ近海で育つ魚介類は、どれもこれもたっぷりと栄養を蓄えた新鮮なものばかりであり、人間だけの世界で流通しているような傷んだものや粗悪品は滅多にない。魔法による保存技術が発達しているのも大きい。
 そして、いいものばっかりだとかえって見分けがつかなくなるので、アル・マールで育った人たちは、基本的に品物を直観で選んでいる。

「フリッツ君は何か食べたいものある?」
「お姉さんたちに遠慮なく言ってごらん♪」
「えっと、僕はなんかあっちから漂ってくるピリってする香りがちょっと気になるかも…………」
「本当だ……今までかいだことがない匂いだ」
「あらあら、フリッツ君はカレーの匂いが気になるのね♪」
「か、かれー? カレイみたいなの?」
「そういえば人間界ではまだほとんど広まってないんだったわね。じゃあ今日はシーフードカレーにしよっか♥ お義母さんにも作り方を伝授しますね♪」
「カレーねぇ……どんなものなのか、楽しみだわ」

 フリッツが気になったのは、市場の中にある食堂から漂ってきた香辛料のような香り――――カレーライスの香りだった。
 魔界では当たり前のように食卓に出てくる、子供に大人気の料理カレーライスも、人間界では食材がまず手に入らないため滅多に広まらなかった。

 なのでエレオノーラ姉妹はフリッツとその家族に、人生初めての美味しいカレーを振る舞うべく、買い物を進めていった。
 そして、副菜になるものや、父親が飲むお酒とおつまみもそろえ、ほくほく顔で新居に向かうのだった。

 フリッツの両親が選んだ住居は、市場から大勢の人が乗れる水上バスで少し移動した先にある神殿の近くにあった。
 陸路からもいけないことはないが、水上都市なので船で移動する方が圧倒的に早く、しかもこの国の公共交通のためか、運賃はタダだった。

「わあぁぁ、ここが新しいおうち! ちゃんと一階がお店になってるんだ!」
「まだ何を売るかは決めてないんだけどな! ま、どんな店にするかは、これからゆっくりと考えるし、お店にしなくても使い道は色々ある」
「私たちが住むところは二階と三階ね。奮発して大きな建物を買っちゃったから、まだいろいろと空いてる部屋があるけど、そのうち使う日が来るわ」

 新しい店舗兼住宅は、フリッツがもと住んでいた家よりも広くて大きかった。
 当然、これだけ立派な建物を買うのはそれなりの資金が必要だったが、やはり建物の規模を考えればなかなかお買い得だった。
 どうやらこのあたりの住宅は、新しい神殿ができてから陸地を造成して建てた新興住宅街らしく、住んでる人も店もまだ少ない状況らしい。
 逆に言えば、これから周りが発展する余地は非常に大きく、この場所を先行投資として大胆に抑える商売勘は流石だなと、セシリアもマノンも感じたのだった。

「さーて、それじゃあお料理始めましょうかっ♪ セシリアさんもマノンさんも、家に来てすぐに手伝ってくれてなんだか申し訳ないわね」
「お義母様、それはお互い様、ということで♪」
「むしろ、私たちにも腕を振るわせてくれて、ありがとうございます」

 出会う前は若干緊張していたセシリアとマノンだったが、1時間もしないうちにすっかりフリッツの母親と意気投合した。
 二人が日ごろから観光案内をしてコミュニケーション能力が高いのもあったが、それ以上に恋人としてフリッツを愛する二人は、母親としてフリッツを愛する彼女と通ずるものがあるのかもしれない。

「ふふっ、よかった…………セシリアお姉さんとマノンお姉さん、お母さんとあんなに仲良くなって」
「そうだな! ここまで来たら男としてもう後には引けないな、フリッツ!」
「え?」

 すっかり打ち解けた女性たちを見て、よかったと安堵するフリッツの肩を、父親が意味深に叩いた。
 外堀も内堀もものすごい速さでに埋められている――――そのことに気が付くには、フリッツはまだ幼過ぎたのだった。
21/06/13 22:35更新 / ヘルミナ
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■作者メッセージ
更新が大幅に遅れてごめんなさい!
部隊が舞台だけに、寒い間は物語の構成が思い浮かびませんでしたっ!

っていうか、別のネタを幾つか思いついていて、連載中なのに別の物語を進めるのはどうかって、迷いました。


まあ、それはそれとして〜返信コーナー〜

望遠鏡様

>更新ありがとうございます!急かして申し訳ございません、僕も閲覧に来られる機会は少ないので焦らず貴方のペースで執筆していって大丈夫ですから無理だけはなさらないで下さい!
>アル・マール名物恋の懸け橋、男性に運命の相手見つかったのはいいことですがまさかあんなジンクスがあるとはwセシリアさんもマノンさんも愛が超でかいwこれは超ビックリですねw
>今回もありがとうございました!

前回も遅れたのに、今回もこんなに遅れて本当にごめんなさい!
原作の名所紹介の所、書いてないことを書くのはアリなのかなと思いつつも、名所ならではの隠れた伝説があるのも面白そうだと妄想してました。
そして、その妄想がこの物語を書く原動力になったわけです。
これからもよろしくね!

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