第十六話「教皇との会見」
「イドさん」
イドが待ち合わせ場所に行くと、もうすでにスピリカは待っており、じっと古びた教会を見つめていた。
「待たせてすまない、教皇の様子はどうだ?」
ちらっと教会宿舎の前を見るが、何人かの見張りしかおらず、灯りも教皇が泊まっているであろう部屋しか点いていない。
「すでに時刻は夜半課の時間、教皇聖下は今祈りを捧げる最中でしょう」
何やらスピリカが呟くと、その身体がふわりと空中に浮かび上がった。
「では始めます、まずは宿舎に忍び込むところからです」
宿舎の二階の一番奥の部屋、教皇はそこにいる、スピリカはそこまで行き、侵入するつもりだ。
「私はどうすれば良い?」
「はい、イドさんは私が失敗したときに備えて別ルートから侵入して下さい」
侵入ルートはもう一つ、廊下にあるダストシュートを逆に登り、教皇のいる部屋の前に行くというルートだ。
「わかった、無茶はするなよ?」
「はい、お互いに頑張りましょう」
互いに挨拶を交わすと、それぞれ侵入すべきルートの入り口へと向かった。
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教皇リノス二世は、不思議と風が強まったことに気付き、顔を上げた。
現在彼は祈りを終え、『聖務日課』を読んでいたところだったが、何やら不思議な気配に手を止めた。
「・・・誰か、いるのか?」
机に置かれていた教皇の冠をかぶり、その顔を隠すと、がたがたと揺れている窓に近づき外を眺めた。
「・・・むっ!」
外には空中を浮遊し、こちらに近づく少女がおり、カーテンを広げた拍子に彼女と目があった。
唖然とする少女、集中が途切れたためか、彼女は一瞬遅れて下に落ちた。
「なっ!、誰かっ!」
教皇の声に、廊下で寝ずの番をしていた護衛騎士が部屋にかけこんできた。
「失礼しますっ!、教皇聖下、どうかなさいましたか?」
「誰かは知らぬが、今浮遊していた人物が下に落ちた、怪我をしているかもしれん、すぐに手当てを・・・」
「はっ!」
短く応じると騎士は部屋から出て、下にかけおりていった。
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「しまった・・・」
地面の上で尻餅をつき、スピリカは空を見上げた。
先ほどまで灯りがなかった宿舎も、いまやあちこち光で満ち、窓越しに騎士が忙しそうに走る姿が見える。
とにかく今はこの場から逃げださなくては、そう思い立ち上がろうとして、足に激痛が走った。
「っ!」
どうやら落ちた拍子に足を捻挫してしまったらしい、これでは動くことができそうにない。
「スピリカっ!」
だが、そんな彼女のもとに駆け寄る青年がいた。
「イドさんっ!、どうしてここに・・・」
「貴女が落ちたのが見えて助けに来た、さあ、私の背中に・・・」
イドは素早くスピリカを背負うと、ゆっくり立ち上がる。
「いたぞっ!」
だが、どうやら護衛騎士に見つかったらしい、ばらばらと二人がいる場所に人が集まり始める。
このままでは確実に捕まってしまうだろう、とにかくここから逃げて再起を図らねば。
「・・・(いや、だめだ)」
教皇がここにいるのは行幸のため、もし期限が今日までならもう次の目的地へ旅立ってしまう。
となれば、これがスピリカが教皇に謁見するラストチャンスとなる。
やるしかない、イドは覚悟を決めると、スピリカを背負ったまま、宿舎めがけて走り出した。
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「何やら、騒がしいな・・・」
椅子に腰掛け、『聖務日課』を開いていた教皇だが、あまりに廊下が騒がしいため、またしても顔を上げた。
「き、教皇聖下っ!」
瞬間、部屋の扉が開き、何人もの護衛騎士にまとわりつかれた青年が部屋に入ってきた。
「・・・君は?」
「教皇聖下に、申し上げたき儀がございますっ!」
絞り出すように呟くイドだが、教皇の姿を見て気が緩んだのか、複数の護衛騎士に取り押さえられた。
「うぐうっ・・・」
「・・・ふむ」
教皇は冠の奥からしばらくイドと、その背中にいるスピリカを見つめていたが、やがて『聖務日課』を閉じると、口元を緩めた。
「手を離してやりなさい、彼らは私の友人だ、何か大切な話しがあるのだろう?」
諭すように護衛騎士に語る教皇、騎士らもそう言われては仕方ない。
おとなしく一礼すると、ぞろぞろと部屋から出て行った。
「・・・さて、危険を冒してまでここまで来たのだ、何か話しがあるのだろう?」
教皇に促され、スピリカは一つ頷くと、自分の心の内を語り始めた。
「・・・聖下は、ポローヴェという国をご存知でしょうか?」
「うむ、私がまだ若い頃、そなたの祖父母か、あるいは曽祖父母か、その前か、とにかく昔行った記憶がある」
冠をかぶり、顔を見ることが出来ないため、この教皇の素顔を窺い知ることは出来ない。
だが落ち着いた威厳のある口調に、無数の悲劇を見据えてきたらしい落ち着いた瞳は、十年二十年で形作られるものではない。
「(教皇、一体何歳なんだ?)」
『(わからぬ、じゃがこの御仁、明らかに神の教えを正義に魔物娘を攻撃する連中と同じ教義の者には見えぬ・・・)』
ヒソヒソと妹喜と会話するイド、教皇、何者かは知らないが、よくいる俗物じみた主神教団の聖職者とは一線を画すようだ。
「はい、そんなポローヴェですが、今まさに、貧困の極みにあります」
「・・・ふむ、詳しく話しを聞かせてくれぬかな?」
しばらくスピリカは教皇に、自身の生まれ故郷の現状を説いた。
土壌が貧しく、思うように作物が育たず、国全体が飢えていること。
そんな環境であるため、とても人も集まらず、商売すら出来ぬこと。
さらには貧しい環境で人心は荒廃し、幼い子供すら犯罪に手を染めていること、などを教皇に語った。
スピリカが話しをしている間、ずっと教皇はじっと耳を傾け、時折頷いては何かを考えるように顎に手を載せていた。
「・・・そのようなことが、ポローヴェで・・・」
スピリカの話しが終わると、微かに教皇の目に光るものが見えた。
「教皇聖下、なにとぞ、なにとぞポローヴェに援助を・・・」
スピリカが頭を下げる間、イドも頭を下げていたが、この間の静寂はあまりに長く、永遠にすら感じられた。
「スピリカ女史、頭を上げて欲しい、君の話しはよくわかった」
教皇は唇を一文字に結んでいたが、やがて決心したのか、口を開いた。
「・・・すまない、教団が今からポローヴェに資金援助をするには、手遅れになる」
「っ!」
何を言っているのか、手遅れになる?、なんのことだ?
「教団から資金援助をするにはまず末端組織に議題を出し、そこから教会本部に嘆願を出す流れになる、今回は私が直接評議会に起草出来るが・・・」
問題はそれから、と教皇は続けた。
「資金管理をしている評議会の連中は私も手を焼くような石頭ばかり、あの十二人が侃々諤々の討議をしている間に、ポローヴェは滅びてしまうだろう」
あまりに時間がかかり過ぎてしまう、そう教皇は告げた。
「そ、そんな、教皇聖下の権限でなんとか出来ないのですか?」
スピリカの悲痛な声に、教皇は静かに首を振った。
「残念だが出来ない、恐らく私の起草ならば評議会も無下には出来ず、結果的に決議は通るだろう、だが時間がかかる、無情なほどに・・・」
しばらくスピリカは黙っていた、無理もない、最後の希望が今、残酷な形で潰えたのだから。
「・・・だが、この私が・・・」
とんっ、と教皇は自分の胸に手を置いた。
「もし望むならば、このリノス二世が、一ウィザードとしてある程度にまでなら回復させることが出来るかもしれない」
たとえ教団が資金援助出来なくても、教皇自身が、ただの一個人としてポローヴェの復興に力を貸す、そう告げていた。
「・・・わかりました、お時間をいただき、ありがとうございました」
微かに目を伏せると、スピリカは一礼して、教皇の前から退出した。
16/12/20 22:33更新 / 水無月花鏡
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