連載小説
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時計塔の無いブレダ・ヒルズ
「(……えっと、これ、何?)」

隣街の衣装店に服を買いに行き、異世界で流行したとの噂がある服を即購入、着たまま帰路についていたそのサキュバス。だが、彼女は目の前で起きた不可解な現象にうまくリアクションを取れないでいた。
空を飛んでいた所、目の前の風景が部分的に揺らいだのだ。そしてそれは次第に大きくなり、軋むような音を立て、そして何かを吐き出して消えた。
それこそが、目の前でうごめく膨らんだ被膜袋の集合体のような「何か」。動いているところをみると生物なのかもしれないが、さすがにこんなのは見たことない。その得体のしれない何かが、空中から地面に墜落してバウンドした後今に至る。
何だろうこれは。近づきがたいが、無視してもいいのだろうか。硬直したまま考えた。

ブシューーーッ。

すると突然、膨らみが急速に縮みだす。
その袋だったものは小さく畳むように変化し、内部にいた中身の存在が姿を現した。
二手二足の、角も尻尾もない姿。畳まれた被膜袋はその分厚いコートの下へと収納される。
やがて、短い黒髪と鋭い目を持つその顔までもが明らかになった。

「っ、どこだ……?」

あ。

サキュバスはこの様子を見て、何が起きたかを瞬時に理解。
噂話で聞いたことはあるが、もしかしてこれがそうなのか。まさか自分の目の前で起こるとは。



異世界から、人間の男が落ちてきた。









知っている。サキュバス・フォーリーは自称情報通淫魔。
誰がどうやって出会ったとか、何がきっかけだったとかの話は、自分の将来の為に粛々と収集中。
だがその中でも、個人的にとても気になる話があった。
"異世界から男の人が現れて、共に過ごした末に恋仲になった"という戯曲劇のようなロマンスストーリー。まるで伝説のような話だが、間違いなく実在する。それも数十例もある。
そのような話を聞けば、やはり憧れを持ってしまう。しかし、本気で自分の身に起こるとは想定外の事だった。

「(……はっ!)」

ぼーっとしている場合じゃない。
人間がふらっと現れる事のないこの土地で、目の前に人間が現れたのだ。この機を逃すつもりはない、すぐにモノにしてしまわねば。

「(くっ、でもこんな突然なんて、今日私どんな下着だったっけ?)」

とりあえず現状確認、状況を整理しようと必死で頭を巡らせる。

「(あ、そうだ。私下着は何もはかない派だった……)」

こっそり確認しようとして、当たり前だったはずの事を思い出す。自分が取り乱してる事を自覚し、額に冷や汗が浮かぶのを感じた。


「ちょっといいか」
「ひゃいっ!?」


こっそり下着確認中に話かけられ、思わず変な声が出る。

「……何かしら。知りたいことがあるのなら、何でも教えてあげるわよ? でも貴方の事も気になるわ。色々教えてくれないかしら……?」

しかしその醜態は無かったことにして、すぐに余裕の態度を作る。
最初が肝心、出会いがどうだったかでその後の二人の関係が決まる。
これまでに聞いた数々の話でそれは知ってる。主導権を握るべく、フォーリーは相手へと近づいた。

「待て、それ以上近づくな」

男は一瞬様子見のような態度を取っていたが、素早い動きでフォーリーに何かの機械を向ける。

「言葉が通じるな? なら二歩離れてくれ」

その目つきは全力の警戒。しかしフォーリーとしてはどうしてもここで優位性を取りたいところ。
ここで引っ込んでは淫魔がすたる、このままごり押しでモノにして見せる。

「もっと肩の力抜きましょうよぉ。すぐ近くで話した方が色々伝わる事も多いと思わない?」
「最低限だけ聞ければいい、近づくと撃つ。非殺傷だが、当たると辛いぞ」
「あら、随分と優しい人なのね。でも、それで私を止められるのかしら?」

殺気は無い。これは好機だ。フォーリーはそう思った、しかし。

「平衡感覚を落とさせてもらう。直撃すれば嘔吐までする」
「え、嘔……はぅあ!!?」

瞬間、機械が発光。フォーリーが慌てて飛び退いた横を、何かの振動の塊のような何かが通り過ぎた。

「わっわわわわっ分かったわ。この距離ならいいわよね?」

余裕終了。あと一歩で淫魔のイメージ的な部分に致命傷を負うところだった。
昼食に大盛の海鮮丼を食べてきたばかりのフォーリーにとっては、何よりも恐ろしい武器である。

「……じゃあ、聞くぞ」
「え、ええ」

初動に失敗したフォーリーに、男は内心の読めない表情で口を開く。
それでも立ち去ろうとしないだけ好都合だ。だからフォーリーは、できる限り素直に答える方針。
しかし何かがおかしい。これまでに聞いたような、落ちてきた異世界人と根本的に違う。
そうだ、とそこですぐに気づく。この人、落ち着きすぎてるんだ。聞いた話では、皆異世界人はまず混乱してるものなのに。

もしかしたら、異世界人の中でもさらに訳ありなのかもしれない。フォーリーは、男を見ながら考えた。


「魔物か?」
「見ての通りのサキュバスよ」
「ここはどこだ?」
「魔物国家のバリステイル」
「最寄りの町は?」
「ブレダ・ヒルズね。ここから1キロくらい先」
「……赤い時計塔のある町か?」
「え、住んでるけど見たことないわよ?」


「……はぁ」

一通り質問を終えると、男は残念そうに溜息をつく。

「う、ぇ、何? 私何か駄目だったの? もっと詳しく話した方が良かった?」
「いや、そういうわけじゃない。つまり……、ちょっと説明が面倒だから省略するが、話が悪かったわけじゃない」

焦って早口になるフォーリーに対し、男は落ち着いた様子で答える。
その言葉を聞いてほっとしたが、しかし。

「俺は町に向かう。じゃあな」

背を向けて上着のフードを目深に被ると、すたすたと歩き出してしまった。

「…………」

何が何だか分からない。
頭の中が謎でいっぱいで、自分が今何を知りたいのかもまとまらない。
だから、当然出るはずの次の言葉を口にするにも、いくらかの間が開いてしまった。

「ちょ、ちょっと! 待ってよ!」

この人間、見逃したりなんかしたら後で絶対後悔する。本能で理解し、慌ててその背中を追う。
普段あまり当てにはならないと思っていた自分の直感だったが、この時ばかりは確信していた。
これは何かの巡り合わせ。でなければ、偶然自分の目の前に落ちてきたりなんかするはずがない。
だから絶対に、この男にとっての「異世界で最初に頼る相手」ポジションは自分が貰う。

「待ってったら!」

こっちを振り返ろうともせずにスタスタと歩く男を追いかけ、その肩に手をかける。すると何かボタンを押したような感覚と共にカチリと音がして、無機質な声が服の内側から発せられた。

『緊急脱出プロセスを開始します』
「えっ」
「あっ……」

すると突然、男の分厚いコートの下からガシャンガシャンと金属製の何かが飛び出し、それが何かを確認する暇もなく衝撃と轟音を残して真上へと吹き飛んだ。
フォーリーが呆気に取られていると、しばらくの間をおいて被膜袋形態になった男がその場に再落下。
砂煙が晴れ、やがて表れた男の顔は苦々しそうにフォーリーを睨んでいた。

「いいか、言いたいことが二つある。まず一つ目、俺に触るな」
「分かったわ……」
「それから二つ目。俺に触るな」
「(でも今のは予想できないでしょ……)」

なんだこの人、とも思いつつ。
最初膨らんでたのは落下の衝撃に備えるための装置だったのか――
どうでもいい事を発見し、フォーリーは勝手に納得する。

手を差し出して起き上がる助けをしようと思ったが、たった今触るなと釘を刺されてしまったところだ。
本人もそんな必要もないとばかりに素早く立ち上がり、再び踵を返して進みだす。


「ねぇ、ねぇ?」
「何だ?」
「貴方の事も聞いていい?」
「全てに答える保証はしない」

早足で歩き続ける男に並走し、覗き込むようにして声をかけてみる。
一応返事をしてくれるあたり、まだ嫌われたわけではないのだろうか。それとも単に律儀なだけか。

「貴方、異世界から来たのよね?」
「そうだ。あまりうまくはいかなかったが」
「……ってあれ、自分の意志で来たって事?」
「ああ。偶然巻き込まれたわけじゃない」

それを聞き、いくつかの疑問点が解消する。
現れてすぐ、全く混乱せずに行動を始めたのもそういう事なのだろう。男が着込んでいるよくわからない機能が盛り沢山の服は、元の世界から準備してきた装備といったところだろう。

「時空穴に触れなくて良かったな。逆にお前が俺の元居た世界に転送されてたぞ」
「あぁ、あの風景が歪んでたアレかしら」

異世界間を移動する原理はよく分からない。だが、元の世界という言葉には興味がある。
そういえば今日買った服が異世界で流行ったものであるという触れ込みを思い出し、その事を試しに尋ねてみる。

「ねえ。藪から棒だけど。この服どう思う?」
「…………、……上半身だけの厚着とは、寒いのか暑いのか分からん」
「えぇ……。異世界で流行った服って聞いて買ったんだけど」
「少なくとも俺は知らん。俺のとは違う世界か、そもそもデマのどっちかだろう」

買った衣服の効果が無く、フォーリーは少し項垂れた。
そんなに異世界というのは多いのだろうか、フォーリーはその辺の知識には疎かった。



「貴方の世界ってどんなところだったの?」
「……こことあまり変わらん。太陽は一つで月も一つだ。魔物は女性型だし、バリステイルという国もある」
「あれ、そうなの? 異世界ってもっと、全然違う雰囲気かと思ってたんだけど」
「うまくいかなかったのはその部分だ。こっちに出てきた瞬間、俺は悪いニュースともっと悪いニュースを知った」
「(なんでこの人ちょくちょく映画っぽい言い回しするの……?)」

男が言うには、大量にある並行世界の中でも遠くの、全く異なる世界に旅に行くのが目的だったらしい。だが出力不足で元いた世界とあまり変わらないこの世界に出てきてしまったという事だ。おまけに、転移設備を備えた車両ごと別世界にいくはずが自分の身一つだけで転移してしまったため、この世界で転移設備を作り直ししなければならないらしい。

「ねえ、そんなに事を急がなくても、この世界に定住とかどう?」
「俺のこれまでの努力を否定する気か?」
「そ、そうじゃないわよ。それじゃ、その旅に連れを作る気とかは無いかしら?」
「いらない。素人を連れて行くなんてただ面倒ごとを増やすだけだ」

むう、とフォーリーは考え込む。異世界から、さらに異世界へと行きたがる旅人。正直興味津々だ。
しかし根の性格がそうなのか、この男は随分と他人に対して淡白だ。親密になるには時間がかかる――ならば。

「すぐに転移設備を作り直し、さっさと次の世界に行くつもりだ。あるいは元の世界に戻るかだ」

そうはさせない。少なくとも、その旅に私を加える事を考えてくれる時までは。
フォーリーは心の中で、男の目的の妨害を決めた。


「あ、そうだ。大事なことを聞き忘れてた。あなた名前は?」

そんな内心を欠片も表さず、フォーリーは無垢な笑顔を作って見せる。

「……グライフ。グライフ・ネオステッド」
「私はフォーリー・エンフィールド。私もブレダ・ヒルズに戻るところだし、一緒に行かない?」
「俺は自分の好きなようにする。お前も好きにしろ」

ある種突き放すような言い方をされたが、それならそれで好都合。
好きにすればいいというなら、好きなだけついて行ってしまおう。









「ブレダ・ヒルズか……」

歩くこと40分程の末。二人はその街に到着した。フォーリーからすれば、帰ってきたというのが正しいが。
魔物の街としてはやや商業活動の類が活発で、物流が盛んである事が特徴として挙げられる。
それをグライフに説明すると、それは有難い、という感想が返ってきた。
転移設備を作り直す手間が短くて済むという話だが、それはフォーリーとしては残念だ。

「で、貴方はこれからどうするの?」

そう尋ねるとグライフは少し黙考し、フォーリーはじっとその様子を窺う。

「拠点、資金、資材の確保が急務になる。後の二つについては考えがあるが、時間も時間だ、とりあえずは今日の寝床を探す」
「じゃ、じゃあ私の所に来ない? 無駄に広くて、部屋が余分に空いちゃってるの」

とりあえずここまで作戦通り。だが、当のグライフが怪訝そうな顔をしているのはどうしたものか。

「……だって貴方、一人で行動したら絶対他のコに纏わりつかれるわよ? そうしたら貴方さっきのやつ撃つでしょ? そうなるとこの街揉め事だらけになっちゃうのよ。私はそうなったら面倒だなって思ってるの」

自分も同じく下心満載である事は言わない。
ここまでの感じ、グライフは貸し借りの嫌いな理屈っぽいタイプと見た。もっともらしい建前で説得を試みる。

「それに、貴方のやろうとしてる事が気になるし。それ見せてくれるなら、一部屋自由に使っていいから」

グライフは再び黙考。おそらく、フォーリーが信用できるのか、一人での行動にリスクはあるか、部屋を借りるとどれだけ費用が掛かるかなど、損得勘定しているのだろう。

「……俺のやる事を見るのは構わない。だが、他には何も出さないぞ」
「い、いいのね!? じゃあ行きましょう!」

やった!と内心喜びながら、フォーリーは落ち着いた外面を取り繕う。
異世界から来た人間と一つ屋根の下で仲を深める、これぞ今まで聞いた逸話そのもの。
このポジションさえ維持していれば、最後にどんな関係に至るかは誰だって分かり切っている。
これこそチャンス。最大級のチャンス。自宅に引き込んでしまえばどうにでもなる。

フォーリーは意気揚々とグライフの腕を掴み、自宅の方へ向かおうとしたが。
その前に素早く退かれ、身をかわされてしまった。

「触るな。そこにも緊急脱出のスイッチがある」

重ねて警告。

「そのスイッチいくつあるの……?」

まだ距離を縮めるのは難しそうだが、それでも自分が一番有利。
俄かに興奮しつつある自分の感情を抑えるのが、今のフォーリーには精いっぱいだった。



グライフを連れ、自宅までの道を一気に横切る。
今までブレダ・ヒルズで暮らしてきたが、他の魔物にここまで注目されたのは初めてかもしれない。

そりゃそうだ。未婚の男がそこにいるのだ。自分が逆の立場だったらガン見する。
でも今は私が隣のポジションを確保済み。誰にもそう話しかけはしない。
まだグライフがその気になってない以上、他の魔物に絡まれるのは避けたい状態。
だがフォーリーのその願いが届いたのか、無事に到着することができた。


「悪いな、邪魔するぞ」
「ん、好きに使っていいから」

ブレダ・ヒルズ北七番地区。そこがフォーリーの自宅がある。
後々のことまで考えて四つほどの部屋があるが、現状の一人暮らしでは明らかに持て余している状態だ。
普段は割ととっ散らかっていることも多いが、昨日掃除したばかりだという事が何よりの幸運。
改めて見るとシンプルすぎる気もするが、自室としては恥ずかしくはないだろう。

「……普通の家なんだな?」
「何だと思ったの?」
「平気で人ひとり呼ぼうとするあたり、宿でも経営しているのかと」
「あー。でも気にしないでいいわよ。自分の部屋だと思ってくれていいから」

気にしないでいいとは言ったものの、フォーリーも心中穏やかではない。
まさか今日突然、男を自分の家に泊めることになるとは思っていなかった。
可能なら同じ部屋で寝るぐらいのシチュエーションを狙いたかったが、グライフは多分断るだろう。
だからとりあえず、ここに居ついてもらう。そこまで進めばあとはどうにでもなる。

「一通りの物はあるつもりだけど、他に必要なものがあったら何でも言ってね♪」
「……そこまで世話焼かなくてもいいだろう?」
「いいじゃない。これでも私世話好きなの」
「全く。あいつの事を思い出すな」

ベッドに座ったグライフが、目を逸らしながらそうつぶやく。

「あいつ?」

何気ない言葉だったが、ちょっと気になる単語だ。親密な誰かがいたのだろうか。

「誰か世話を焼いてる人がいたの?」
「今はもう関係のない話だ、喋る意味もないだろう」
「いいじゃない。無理強いするわけじゃないけど、私がその話気になるの」
「……前の世界で、一人助手を雇ってた。募集したらすぐに名乗り出てきた。無口で何を考えているか分からない奴だったが、妙に気が利くからありがたくはあった」
「へぇ……?」

グライフの話では、元の世界にも魔物は女性型という事だった。性質もほぼ同じだろう。
なら、もしかして既にグライフは他の魔物にロックオンされていたのでは――? とフォーリーは訝しむ。
しかし、改めて観察してもグライフに他の女の匂いは無い。なら本当に、ただそういう助手がいたというだけの話だろう。

「じゃ、今日から私が助手ね」
「なんでだ」
「私も異世界どうこうって話興味あるし、立場的にはそういうことでしょ?」
「……好きにしろ」

本日二度目の"好きにしろ"。返事としては了承と見ても構わない言葉だ。
ふふん、是非そのスタンスでいて欲しい、と思う。そう思っている間はどんどん距離を寄せられるから。
この短時間で、他人から同居人へ、さらに助手まで食い込んだ。
転移装置が完成するまでに、お嫁さんにまでなってやる。

「今後の計画を練りたい。悪いが一人にしてくれるか」
「はいはい、んじゃ、私は夕食用意するから」

フォーリーは立ち上がり、笑顔で敷居をまたいで扉を閉める。
本当はもっとグライフの姿を見ていたかったが、じろじろ眺め続けるのは嫌がるだろう。
今重要なのは、傍にいて不快な存在にならない事。彼の旅立ちは遅らせたいが、彼に邪魔と思われてはいけない。
計画を練るのはこっちも同じ、さて、これからどう動こうか。

まずは夕食、腕の見せ所だ。グライフは、どんな料理が好みだろう?
17/02/22 23:00更新 / akitaka
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■作者メッセージ
あっすいません エロは最終話なんですよ

できたら連日更新したいけどたまに空くかもしれないです
文は全部書き上げているので。後で矛盾見つけたら直すかもしれませんが。

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