連載小説
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邂逅編
「はー、危なかった」
駅でちょっと迷ってしまい、新幹線に乗るタイミングがぎりぎりになってしまった。
何とか遅れずに乗り込んだ桃はハンカチで汗を拭いながらペットボトルのお茶を流し込む。
滅多に来ない大きな駅から乗り継ぐ必要があったため、スマホと掲示板とを交互に睨めっこしながらここまで来た。
途中、キャッチセールスやナンパの類らしきものに引っ掛かったのも大変だった。
(やっぱり、一人でうろつくもんじゃないなあ)
綺麗、と言われる事は多い。
現に外を歩くだけで桃は相当に周囲から視線を集める。
かと言ってモテるかというとそうでもない。
今まで告白を受けた事もない。
綺麗と同じくらいに「怖い」と言われる事も多いからだと思っている。
友人から冗談交じりに言われる事ではあるが、思い当る節はある。
告白された事は無いが、されそうになった事はあるかもしれない。
だが、自分が黙ってじっと見つめると相手は何故だか気圧されたようにすごすごと退散してしまう。
それは先程のキャッチやナンパの時も同じだ。
ある意味ではありがたい事と言えるかもしれないが……。
(「怖い」か)
ひょっとすると……ひょっとするとそれは、自分が今こうしている事と関係がある事かもしれない。
△△村。
自分と縁もゆかりもないこの場所に、何故か自分は惹かれている。
行ってどうしようという目的もないのに。
人に話せばおかしな話だと思われるだろう。だけどそうせずにいられない。
少しずつ、都会から山の中へと移り変わっていく外の景色を見ながら、桃は物思いに耽った。







  ミーン ミーン ミーン
 ジーワ ジーワ ジーワ
 ジジジジジジジジ……

「っつー……」
バスの走り去る音を背に、桃は陽炎揺らめくバス停に立っていた。
容赦のないアスファルトの照り返しに、頭から降り注ぐ蝉の鳴き声。
そして見渡す限りの山と田んぼ。
(もう……日焼け止め流れちゃう……)
桃が目指すのは山中の廃村だ。なので交通機関を利用できるのはここまで。
車を運転できない桃はここから自分の足で行くしかない。
とは言え、バス停からでも結構距離があるし何よりこの気温だ。
どこかしらで休憩を挟むか、もしかすると宿泊先を探さなくてはいけないかもしれない。
(失敗したなぁ……)
一人で行先もルートも考えたのは初めてだ。
着けば何とかなるだろう、なんて考えていた自分の無計画さを呪う。
とはいえ、突っ立っているだけで倒れそうになる今はとにかく目的地に向けて歩くしかない。

 ミーン ミーン ミーン
 ジーワ ジーワ ジーワ
 ジジジジジジジジ……

 (どこでもいいから涼みたい……)
ふらふらになりながら周囲を見回す。
まばらに民家が見えるだけで、とても入れるお店がある雰囲気ではない。
喫茶店なんて贅沢は言わない、図書館とか市役所とか、空調の効いている施設があれば……。
ワンワンワンワン!
「っとぉ……」
民家の一つの玄関から、犬が顔を出して吠え掛かって来た。
桃は驚いてそっちを見る。
……きゅーん、きゅーん、きゅーん……
見た途端、犬は情けない声を上げて犬小屋に引っ込んでしまった。
桃は苦笑する。
彼女の事を怖がるのは人間だけではない、動物でさえもだ。
いや、動物の方がより顕著と言える。
桃自身は動物が好きなのだが、何故だか怖がられる。
昔修学旅行で動物園に行った時など、彼女の班が行った時だけ動物達が引っ込んでろくに楽しめなかった思い出がある。
(そんなに怖い顔してるつもりないんだけどな……)
「ん?」
ふと、通り過ぎた道を振り返った。
看板がある。
一見するとお屋敷に見えるが、確かに入口に古ぼけた看板がある。

 「△△郷土資料館」

 (何でもいいや、とにかく空調効いてたら……)
桃はその屋敷に入った。
「いらっしゃい」
冷たい空気と共に、受付のおばさんが迎えた。
会釈しながら桃は兎にも角にも暑さから逃れられた事に安堵する。
「ご入館ですか?」
「えーっと……」
涼みに来ただけです、とは言いづらい。
「いくらですか?」
「ご入館料は二百円になります……昔は無料だったんですけどねえ」
人懐こそうなおばさんはそう言った。
「あ、じゃあ、高校生一人で……」
この受付前でずっと休んでいるのも気まずいし、二百円くらいならいいか、と思った。
あまり規模の大きくない館内に生活様式を再現したセットや周辺地形のジオラマ、出土品などの展示物が並んでいる。
それらを何となく眺めながら、桃はまた考える。
(ここが来たかった場所……?)
展示に並ぶものを見ても、特に感じる事はない。
ここではない、この展示場が来たかった場所ではない……。
桃は少し笑った。
来たかった場所ではない、などと何を基準に思うのか。
そもそも目的地の△△村だって行きたい理由なんて無いはずなのだ。
(さて、と)
十分に涼を取り、水分補給も出来たのでお暇する事にした。
と、入口に戻る途中、展示物の奥にあるドアに気付いた。
「資料閲覧室」
と書かれているが、ドアの小窓から見える室内には段ボールが積み上げられているようだ。
閲覧室として機能しているようには見えない。
「昔はねえ、もっと古い記録が見れたんですけどねえ」
その様子を見ていた受付のおばさんが話しかけた、お喋り好きらしい。
あるいはこんな所に訪れる若い人が珍しいのかもしれない。
「利用する人も全然いないもんだから、一般公開ももうやってなくてねえ……もしかして閲覧希望でした?」
「あ、いえ、ちょっと見てただけです……あ、その……」
「はい?」
「このあたりに泊まれる所ってありますか?」







 (ある意味、無計画な旅の醍醐味……と言えるかな?)
その晩、桃はとある民宿の一室にいた。
あのまま資料館を出た後に村を目指して歩いても、着くのは夜中になってしまうと考えた。
民宿なんて初めてだったので入る時にちょっと緊張したがいざ泊まってみると中々快適だし、食事も美味しかった。
後は寝るばかりだ。
(それにしても……)
何故かわからないが、桃はこの宿に……というより、この部屋に見覚えがある気がするのだ。
デジャヴというやつだろうか。
(と、それよりも)
桃は敷かれた布団に寝転がり、両親に対しての「工作」を始める。

 こちらも宿泊先に無事着きました。
楽しく過ごしています。

 その一文に観光地の写真を何枚か添付する。
無論、ネットで拾った写真だ。
ちょっと調べられたらバレるかもしれないが、まずそこまで疑われる事もないだろう。
そこまで考えてまた少し罪悪感で胸が重くなる。
「……」
送ったメッセージに、既読が付かない。
(あっ……)
理由に思い当る。
(……お父さんとお母さん、今頃……)
久々の夫婦水入らずの旅行、そしてこの時間帯。
多分、携帯を見る暇も無いのだろう。
両親は仲がいい、本当にいい。
自分を産んで育てているというのに、夫婦というより未だに恋人のようですらある。
何より母が若々しい。
いや、若々しいという言葉で片付けられない程に若い。
身長が低いからというのもあるが、明らかに容姿は年齢と不釣り合いだ。
自分と並んで歩いていて親子であると見抜かれた事は一度もない。
大抵は姉妹に……しかも、桃の方が姉に見られる。
そんな魔法のように若い母は、見た目だけでなく身体も若いらしい。
無論娘に対して大っぴらにしている訳ではないが、両親が未だにかなりの頻度で営んでいるという事は知っている。
じき、自分に妹か弟が出来るのではないかと桃は思っている。
「……」
そう、桃はよく知っている、二人の営みがどんな物か、どれだけ激しいか、どれだけ淫らか。
そっと、桃は一つのアプリを立ち上げ、その中に収まっている動画を開く。
携帯の中はプライバシーなので人に見られたくない物があるのは普通だろう。
桃も見られたくない物はある。
だが、その内容は普通の人よりもより異常だという自覚はある。
異様に多い父の写真と、それ以上に危険なのがこの動画達。
動画に映し出されるのは薄暗い寝室、そこに入って来る両親。
二人はベッドに横になり、若くは見られても決して子供には見られない母の身体と、逞しい父の身体が露わになり……。
と、階下から響く人の声と物音に桃は我に返った。
そして慌てて動画を閉じる。
いくら何でもここで一人致す訳にはいかない。
そう、桃は普段から両親の寝室にカメラを仕掛け、それを「おかず」にしている。
親の情事など見たくも知りたくもない、というのが普通の感覚なのだろう。
だが、桃はそれにどうしようもない興奮を覚えた。
いや、興奮だけではない。
薄暗い嫉妬すら感じていた。
誰にかというと、他でもない母にだ。
その動画を見ながら「自分だったらこうする、ああする」といつも想像している。
父を気持ちよくする想像をいつもしている。
ぼすん、と桃は枕に顔を埋めた。
異常だ。
わかっている。
でも気持ちは止められない。
お父さんのお嫁さんになる、なんて小さな頃なら言う子もいるだろう。
だが、この歳になって性欲まで向けるのは異常という他ない。
それでも、止められないのだ。
今こうしている間にも、久々に二人きりになった両親が絡み合っている所を想像すると。
お母さんがお父さんの上で腰を振っている所を想像すると。
下腹部がぐらぐらと煮え立つような感覚を覚える。
「……ふぅ……」
少し乱れた髪を手で直しながら、桃は枕から顔を上げる。
落ち着かなくては。
顔を赤くしながら部屋のテーブルに置いてあるお茶を飲む。
(ん……あれって……?)
一息ついた所でふと、部屋の隅の棚の上に置いてあるノートの存在に気付いた。
手に取ってみると「旅の思い出」とタイトルが書いてある。
ぱらぱら捲って見ると、どうやらここに宿泊した人が記念に一言残したりするノートらしい。

 ○○年〇月〇日
 ごはんおいしかったです、また来ます
                 中野 
 ○○年〇月〇日
 旅行が終わって明日からまた仕事、あー憂鬱
                 村田
 ○○年〇月〇日
 まさひろ参上!
                 まさひろ
 ○○年〇月〇日
 お風呂気持ちよかった〜
                 ゆっこ
 ○○年〇月〇日
 部屋にティッシュ箱を設置してもらえたら嬉しいです
                 田中
 
 「ふふ……」
旅の思い出、部屋への要望、下らない落書き。
思い思いに書かれた記録を見て桃は微笑ましい気持ちになる。

 ○○年〇月〇日
 ツーリング全国ツアー途中に寄りました、がんばるぞ〜
                 本尾
 ○○年〇月〇日
 のどかな場所ですね、何もないとも言う
                 タツミヤ
 ○○年〇月〇日
 明日、どうかうまくいきますように
                 善治
 ○○年〇月〇日
 旅先の酒ほど沁みるものはない
                 吉田

 ぴたりと、ページを捲る手が止まった。
並んでいる文字列の中の一文に目が釘付けになる。

 ○○年〇月〇日
 明日、どうかうまくいきますように
                 善治

 善治?
善治……どこかで聞いた名前のような気がする。
誰だっけ?
それにこの字……筆跡……。
誰よりも綺麗で、どこかで習ったの?と聞いたら真面目に勉強しただけ、と答えられた。
お母さん。
桃の脳裏に閃光が走った。
お母さん、そうだ、お母さんの文字だ。
お母さんの前の名前……旧姓が……そう「善治」
「えっ?」
思わず声が出る。
だが、一致しているのは筆跡と名前だけだ。
たまたま同じだけという可能性も……。
しかし、正直母以上に字が綺麗な人を桃は知らない。
そして「善治」という苗字はありふれたものではない。
珍しい筆跡と、珍しい名前。
この二つがたまたま同じである確率はどれ程のものだろう。
ふと思い立ち、その記録の月日から逆算してみる。
母の年齢からすると……高校生くらいの年代。
高校生だとすると、丁度夏休みの時期……。
桃はごしごしと二の腕をさすった。
鳥肌が止まらない。
もし、母が昔にここを訪れた事があるとしたら。
娘の自分が同じくここに来る確率なんてどれくらいだろう。
いや、偶然でないとしたら?
そうなる道理があるとしたら?

 明日、どうかうまくいきますように

 何が?この次の日に何が?
こんな辺鄙な場所で、うまくいきますようにと祈るような事って何だろう?
それをするために母はここに来たという事だろうか。
こんな所に何を。

 △△村

 桃の脳に浮かんだその地名。
そうなのだろうか、いや、そうとしか思えない。
何故だか桃は確信が持てた。
母はあの村を訪れる為にこの宿に来たのだ。
自分が「行かなくてはいけない」と感じているあの場所に。
「偶然じゃない……」
無意識に、桃の口から言葉が漏れた。
「絶対そうだ……」
自分は何か、大きな流れに導かれてここに居るのだ。
導かれてあの村へ辿り着くのだ。
だとしたら……。
(この感じも……?)
桃はノートから顔を上げて部屋を見回す。
以前、ここに来た事があるような感覚。
これもただのデジャヴではないという事だろうか……?
いや、それはおかしい。
自分は生まれてからここに来た事はない、それは断言できる。
生まれる前に母が訪れたこの場所に、自分は来た事は無い。

 本当に?

 本当に?

 わからない、考えれば考えるほど見覚えがある気がしてくる。
だってそうだ、この布団が敷かれている光景。
いや、違う……。
(あの時はそうじゃなくて……)
(「あの時」?)
自分の思考に違和感を感じる。
あの時、とはどの時の事だ?
頭の中の靄の中から、少しずつ何かが浮かび上がってくる。

二組だ。

布団は二組敷かれていたはず。
そして……。

桃は布団にくるまって丸くなった。
わからない、何もわからない。
何か怖い、自分の中で何かが目を覚ましそうな感覚がする。
その感覚に蓋をして桃は目を閉じた。
疲れているんだ、自分は……。

 いつか分かる時がくる

 寝苦しい夢に落ちる直前、母から聞いたいつかの言葉が蘇った。

20/09/27 22:02更新 / 雑兵
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