連載小説
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致死量
 「篠山君。篠山君!施錠の時間ですよ!」
 「……う、ぅん………あっ」
 学年主任の声で目を覚ます。一瞬であの搾精地獄が脳裏に蘇ってきて、和樹は慌てて体を起こした。
 「いてっ」
 膝を机に強かに打ち付け、鈍い痛みですっかり目が覚めた。きょろきょろと辺りを見渡す。西日も陰り、薄暗くなった教室。時計は午後6時を示している。焔子の姿は見えない。今の教室には和樹と主任の男二人だけだ。
 「すみません、すぐ…帰ります」
 机に突っ伏して寝ていたようだった。参考書にぽつりと垂れていたよだれをあわてて拭き取り、いそいそとスクールバックにしまい込む。気取られぬよう自分の股間を見ると、チャックもボタンもベルトもきっちりと締められている。夏服のワイシャツもスラックスの中に綺麗にしまい込まれていて、まるで先刻のあれが夢であったかのよう。
 (本当に夢だったのかも?)
 そう思いつつ何の気なしにスマホを見ると、通知が一件。焔子からだった。

 『先に帰る 毒は一日じゃ抜けない 明日からも毎日抜いてやるよ 楽しみにしてろ』

 どくんと心臓が大きく打った。
 「篠山君が焦るのもわかりますが…受験まではまだ時間があります、根詰めすぎは体に毒で──」
 主任の人の良さそうな声に気の抜けた返事を返して、ふらふらと歩き始める。
 毒、毒。棘だけじゃない。舌が、搾精孔が、彼女自身が毒だ。表面的な解毒が済んだとしてきっとその頃には…焔子に、侵されてしまっているのかもしれない。









 その日は二限目が体育の時間だった。内容はバスケットボール。運動全般がすこぶる苦手な和樹にとっては肩身の狭い時間だ。個人競技なら適当にノルマだけこなして後は体育館の隅でぐだぐだしていれば良いが、団体競技だとそうもいかない。運動部の連中の白い目と体育教師の監視の目との板挟みになりながら、怒られず悪目立ちもしない丁度良い動きをしなければならないのだ。何せ和樹はドリブルもパスもろくにできないし…同級生もそのことをよくわかっている。最早和樹がやっているのは味方がパスを投げたくならない場所を走りながら探し当てるという、バスケとは別の何かだ。そんなものは肉体的にも精神的にも苦痛でしかない。
 結局、なんとか今日も無事に生き延びることができた。同級生からの怒号は飛ばなかった──バックパスがわからず呆れた目で見られてはいた──し、体育教師に説教を食らうことも無かった。汗だか冷や汗だかわからないもので湿った体育着で額を拭う。半ば投げつけるように押しつけられたボールを片付けて倉庫を出ようとした、その時だった。
 「…ぐ、むぐっ…!?」
 背後、倉庫の暗がりから大きな獣の手が二つ伸び、和樹の口元と腹をそれぞれがっしりと押さえ込む。後ろへ引っ張られる力は余りにも強く、手足をばたつかせる余裕も無い。倉庫を後にしようとしていた和樹の体は、まるで魔法で消し去られたかのように再び倉庫の中に吸い込まれていった。



 「朝飯食ってなくてさ。腹減ったんだよなあ」
 暗がりの中、すぐ後ろから最早聞き慣れた声が聞こえた。見るまでもなく焔子だ。つい先ほどまで和樹の口元を押さえつけていた彼女の右手は顎の下をくぐって左側頭部に移動しており、獲物の頭が動かないようにがっちりと固定していた。まるで和樹の頭が野球ボールのようなサイズ感だ。
 「アタシは腹を満たせるし…お前は毒を抜いてもらえる。一石二鳥だな」
 耳元で囁かれると生温かい吐息が耳介をくすぐり、体から力が抜けた。一方で愚息は…いうまでもない。焔子の左手の親指が体育着のパンツのゴムに掛かり、下着ごとゆっくりとずり下ろしていく。獣の手の毛並みはふわふわで、それが竿の甲に触れただけでも和樹はうわずった声を出してしまう。
 「うぅ……ま、待って…!次の授業が…」
 必死に制止する和樹に、焔子はいつものようにきひひと笑う。にゅるり。耳介の縁を舌が這った。
 「1分で終わる」
 倉庫の薄暗闇に放り出された半勃ちの陰茎は、あっという間にぬるりと尻尾に飲み込まれてしまった。

 「…〜っ!」
 完全な勃起を待たずに、昨日と同じ吸い付きが始まる。無機質で絶え間ない、機械的な動き。ポンプのような吸い付きだ。昨日耐えられなかった刺激に一日で耐えられるようになるわけもなく。
 「…あ、もう…っ」
 襞になぶられる快感をかみしめる間もなく、射精の律動が始まってしまった。搾精、或いは毒抜き──もとい、食事。何らの愛情や劣情も感じられない、ただ精液を搾り取るためだけの処理だった。

 「ふう、ごちそうさん」
 じゅぽ、という音と共に陰茎が尻尾から引き抜かれる。尿道からは一滴の精液も溢れていない。一回の射精で出せる分全てを吸い出されてしまったのだろう。あっさりと和樹を解放した焔子は尻尾を悠然と揺らしながら、半開きだった扉をがらりと開け放って出て行った。和樹は射精の余韻に浸る間もなく慌てて下着とパンツをずり上げる。トランクスの布地がぬるぬるの竿に張り付いて気持ち悪い。
 言われたとおり、一分にも満たないあっという間の出来事だった。おやつかつまみ食いのように容易く精液を搾り取られて、惨めで悔しいはずなのに──またしてほしい、和樹はそう思ってしまっていた。




 その日から和樹は至る場所、至るタイミングで焔子に襲われるようになった。朝礼が始まる前。授業と授業の間、トイレに行こうとしたとき。昼休憩に入った瞬間。昼食を取った後。もちろん放課後も。数日すると和樹は驚くこともなくなってしまった。鼻や耳が焔子の事を覚えてしまったようで、彼女の接近に気づいてしまうのだ。煙草の臭いや棘の音はもちろんのこと、焔子自身の体臭や悠然とした歩き方の足音まで。それらをかぎ分け、聞き分けることができるようになっていた。それだけならまだいい。情けないことに彼女が近くにいる、そう気づいただけで今や和樹は勃起してしまうのだ。無理もない、彼女との遭遇は例外なく無慈悲な搾精を…そしてそれに伴う強烈な快感を示している。
 来い。焔子はたまたま通りかかっただけでも和樹と出会えばそう言い放ち物陰に連れ込んで、必ず精液を搾り取っていくのだった。
 これではまるで犬である。主人の帰宅に気づいて玄関まで駆け、尻尾を振って出迎える犬だ。これが、恐れていた事態とどう違うだろうか。
 確かに学校で嫌と言うほど搾られているせいか自宅で自慰をすることはほとんどなくなった。寝付きも良い…朝は少々辛いが。しかし寝ても覚めても考えるのは焔子のこと。後ろから抱きすくめられながら、前からは尻尾に貪りつかれる快感。背中には焔子の柔らかい乳房が押しつけられて、耳元には絶えず嗜虐的な囁きを浴びせられて。白旗を揚げるように搾精孔の中に精液をぶちまける。何度も、何度も。授業中も家に帰ってからも、そのことばかり考えている。次はいつ搾り取ってもらえるのだろうかと。
 僕はかつて恐れていたこの事態を今、恐れられているのだろうか?









 気づけば嘘の告白をされてからもう9日が経っていた。今日を含めてあと2日間でこの爛れた生活が終わる。終わってしまう。果たしてその後自分は正気で居られるのだろうか、和樹には自信がない。
 焔子が近づいてくる度に愚息は期待に身を膨らませ、しかしもう二度と尻尾で搾り取ってもらえることはない。きっと毎日毎日その繰り返しだ。焔子はにやにやと笑って、和樹の横を悠々と素通りするだろう。自身にどうしようもない劣情が向けられていることを知りながら、もう関係ないとでも言うかのように知らぬ振りを決め込むのだろう。
 ともすれば…ふらふらと自分から近づいてしまいはしないだろうか?誘蛾灯に焼かれる蛾のように。あの焔子の美貌とスタイルだ、如何に傲慢で嗜虐的な不良とは言え一時の恋人には困らないだろう。臆面もなくまた搾ってほしいなどと頼み込んだら、彼女は鼻でふんと笑って一言。アタシ、今彼氏いんだよね。そんな風に、奈落に叩き落とされてしまわない保証はどこにもない。
 ずきりと胸が痛んだ。嫌だ、絶対に嫌だ。焔子に恋人ができるなんて、想像もしたくない。あのなまめかしい舌が自分以外の誰かに愛を──ごっこ遊びなどではない本当の愛を囁くのも。誰かの手を、耳の上を愛おしげに這うのも。あの尻尾が自分以外の誰かのものを咥え込むのも、受け入れたくなかった。
 もう毒抜きなどどうでもよかった。今日もまた、どくどくと精液を搾り取って欲しい。あの狂おしい快感を味わいたい。今日も明日も、明後日だって。その一心でふらふらと焔子の居る教室へ脚を動かす。放課後二人きりの、西日の差すあの爛れた空間へ。


 いつものように焔子は居た。一番後ろの席に座って、片手にスマホを握っている。だが今日は昨日までとは少し違った。
 おう、来たか。いつもは投げかけられるはずのその二言がなかった。
 「……焔子、さん?」

 大きいはずの焔子の体が今日は小さい。それもそのはず、彼女は机に突っ伏して…すやすやと寝息を立てていたのだった。
20/09/01 16:55更新 / キルシュ
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■作者メッセージ
毒々しくって、

眩々するだろ?

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