第四話「アルテア」
ベッドにサキュバスを押し倒したまま、緯度は窓の外に目を向ける。
「仲間はいないようだな?」
ふう、とため息をつくと、緯度はようやくサキュバスを解放し、窓を閉めた。
「・・・この私をここまで追い込むなんて、あなた、ただ者じゃない、わね?」
「さあ、どうかな?」
緯度は学習机の椅子に座ると、軽く肩をすくめて見せた。
「それで、なんの御用かな?」
「あなたにお礼がしたくてここまで来たの、あなたは私の命を救ってくれたのだし」
自然公園で確かに緯度は満身創痍のサキュバスを、怪しい戦闘員から救ったが、そこまで感謝されることをしたつもりはない。
「別に礼など不用だ、私は人間として当たり前のことをしたまでだ」
「あなたはそうで良くても、私はあなたにお礼がしたいの、それに・・・」
じっ、と何やら熱っぽくサキュバスは緯度を見つめた。
「このサキュバスのアルテア、あなたほどの人間、初めて見たの、魔物娘として、あなたとお近づきになりたいものね」
「はあ、左様で、してお礼とは、何をするつもりだ?」
緯度の質問に、サキュバスのアルテアは待ってましたと言わんばかりに、唇を舐めた。
「うふふ、サキュバスとしてあなたに身体でお礼をしたい、と言いたいところだけど、今はそれどころじゃないの」
アルテアはベッドから立ち上がると、窓を開いて桟に足をかけた。
「けれどあなたに楽しいお礼をするつもりだから、楽しみにしていてね?」
そのまま桟を蹴り、アルテアは夜の空に消えていった。
「・・・何をするつもりだ?」
アルテアを助けねば『サキュバス的エロゲ』の物語はそこで終わっていたかもしれないが、まさか選択肢を間違えてしまったか?
とにかくどうするかは明日考えよう、緯度は再びベッドに潜り込んだ。
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朝、緯度はまたしても窓から差し込む朝日に照らされ、目を覚ました。
「・・・ふう、もう、朝か」
ゆっくりと身体を起こすと、妹喜が何やら机の上から、窓の外を眺めていた。
方角的にあちらは幼馴染の夢宮明日奈の家があるのだが、何かあったのだろうか?
「おはよう妹喜、良い朝だな」
びくりと妹喜は九つの尻尾を逆立てながら、素早く後ろを振り向いた。
「お、おお、おはよう緯度、なんじゃ、もう起きておったのか」
ふわりと机から降りて、妹喜は緯度の肩に飛び乗る。
「さ、今日も頑張ろう」
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茶の間はまだ理梨も来ていないようで、誰もいなかった。
軽く肩を竦めると、緯度は部屋の隅にあるテレビのスイッチを入れ、トーストにパンをセットした。
「緯度よ、理梨も帰り、さらにはアルテアがこの世界にいる以上は、物語も本格始動したと考えるべきじゃな」
「『サキュバス的エロゲ』の物語ね、しかし私はこの話しがどんな結末を迎えるのかを知らない」
こんなことならばしっかりと魔物娘に関する情報を集めておくべきであったかもしれないが。
「なに、不安に思うことなぞ一つもありはしない、このクロビネガの常連たる妾、妹喜がおるのじゃからな」
かっかっか、と上機嫌で笑う妹喜、それに対して緯度はどんよりとしている。
「とにかく、『士魂』の一員としてやれることはやるつもりだ」
パタパタと外で足音がして、鍵を開けていた玄関から誰かが入ってきた。
「おっはよう、緯度くん」
「おはよう明日奈、今日も良い朝だな」
にこりと笑いながら明日奈は茶の間に入り、緯度の前に座った。
「ね、ね、昨日理梨ちゃん、帰ってきたんでしょ?」
「ああ、まあ、あまり話しは出来ていないがな」
ふと時計を見ると、もう朝の七時だ、そろそろ起きねば遅刻するのではないだろうか?
「ふむ、理梨の奴を起こしてやるか」
階段を登り、緯度は理梨の私室に行くと、扉をノックした。
「理梨?、朝だぞ?」
返事がないため、今度は先ほどよりもやや強くノックしてみる。
「理梨?、入るぞ?」
がちゃりと扉を開けて中に入ると、ベッドでまだスヤスヤと眠る理梨に目がいった。
「やれやれ、理梨?、ほら朝だぞ?」
「むにゃ、お兄ちゃん・・・」
ゆすろうとすると、突然緯度は右手を掴まれ、そのままベッドに引き込まれてしまった。
「あ、こらっ!、理梨っ!」
「んふふ、お兄ちゃんの匂い・・・」
なんとか抜け出そうとするが、どうやら変な角度で固定されてしまったようで、なかなか腕が動かない。
「理梨っ!、起きろっ!」
耳もとで声を上げると、ぴくりと理梨は微かに震え、ぼんやりと瞳を開いた。
「ふわあ、お兄ちゃんだ・・・」
「・・・おはよう理梨」
目をこする理梨だが、しばらく視線を上下させ、今度は左右に動かし、最終的に目の前にいる緯度に戻した。
「え?、あれ?、ど、どうして、お兄が、私の・・・」
「理梨、出来れば腕を離してくれないか?」
あわわと何やら慌てている理梨から腕を離してもらうと、緯度はゆっくりと立ち上がる。
「・・・低血圧か?」
「っ!、お兄の馬鹿っ!」
瞬間、凄まじいまでの速度で理梨の手が振り下ろされた。
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「・・・まだヒリヒリするな」
学園までの道、右ほほに見事な紅葉を作り、緯度は先へと進んでいく。
「・・・ふんっ!」
この紅葉を作りだした張本人、すなわち理梨は機嫌悪そうに緯度の数歩前を歩いている。
「緯度くん、大丈夫?」
明日奈は理梨の隣にいるが、心配そうに緯度に視線を向けている。
「ねえ理梨ちゃん、お兄さんに謝ったら?、すごく痛そうだよ?」
「ふんっ!、私の部屋に勝手に入る馬鹿お兄が悪いんだからっ!」
プンプンと怒りながらツインテールを揺らす理梨。
「くくっ、朝からツンデレ妹に張り手とは、ギャルゲーにありがちな展開だな」
「うるさいぞ妹喜、黙っていろ」
肩の上から勝手なことばかり言う妹喜、緯度は右ほほを掻こうとしたが、まだ熱を持っているためにやめた。
しかし、『つんでれ』とはなんであろうか?
「おっはー、緯度っ」
後ろからまた抱きつかれ、緯度は危うく倒れそうになった。
「・・・おはよう慧、今日も朝から元気だな」
ゆっくりと慧を引き剥がし、緯度はふう、と息を吐く。
「まったく、何故毎朝私に突撃するのだ?」
「そりゃ、一日に一回は緯度に突っ込むってボクの中で決まってるからだよ」
よくわからないが、そんなわけのわからない決まりがいつの間にか出来ていたらしい。
「元気なのが君の取り柄だな、羨ましいかぎりだ・・・」
「お?、なになに、それじゃ緯度も走る?」
陸上部のエースに勝てるとは思えないが、肩に乗っている妹喜を見ると、微かに頷いている。
「良かろう、胸を借りるとしようか」
とんとんと、簡単に準備運動すると、緯度は慧の隣に立つ。
「よーい、どんっ!」
凄まじい速度で加速する慧、なるほど、伊達に陸上部のエースはしていないといったところだろうか?
だが、緯度も『士魂』の一員になるために訓練を積んだ身、勝てないまでも追いすがることくらいは出来る。
「わふっ!、つ、ついてきてるっ!?」
さすがに運動不足と思っていた相手が此れ程までに早いとは思わなかったのか、慧は焦りつつもペースを上げる。
「むっ、慧め、本気を出したな」
こうなれば勝ち目はない、どんどん距離をつけられ、結局緯度が校門に辿り着けたのは慧が入った二分後だった。
「わふっ!、ほ、ほら、う、運動不足、なんじゃ、ない?」
息を整えながら、そんなことを慧は言う、対する緯度も、久しぶりに全力ではしり抜いたため、息が荒い。
「そ、そうかもしれないな・・・、ふう」
「あ、夜麻里、君?」
緯度と慧の少し前に見知ったクラスメイトがいた。
「えっと、誰だっ・・・」
「おはよう逢間、早いな」
失礼なことを言いそうになっていた慧の発言を無理やり打ち消し、緯度は影の薄いクラスメイトに一礼した。
「なんだ佐久耶、友人か?」
佐久耶の隣にいた、凛とした表情の美人がこちらを振り向いた。
しっかりと伸びた背筋に、鋭いながらも優しさを含んだ瞳、足捌きは熟達した武芸者のように隙がない。
「あ、射裟御先輩」
「射裟御縁という、佐久耶とはご近所さんでな、いつも仲良くさせてもらっている」
近くでみると、射裟御縁は、かなりの長身であることがわかった。
「私は夜麻里緯度、逢間の友人です、こっちは級友の戌井慧です」
「わふっ!」
一礼してみせる緯度、ふと縁の視線が鋭くなり、緯度の一挙一動を眺めた。
「失礼だが、君は何かの武道の経験があるのか?、未経験というにはあまりに動作に無駄がないが・・・」
「・・・いえ、私は何かやっていたことはありません」
実際には槍を始め、一刀に二刀の剣術、さらには銃術を妹喜から伝授されていたのだが、さすがは縁動作一つで、見抜いてきたか。
「ふむ、そうか?、すまなかったな、足を止めさせてしまって」
微かに首をかしげ、縁は立ち去っていった。
「夜麻里君、すごい、かも、縁先輩に、あそこまで・・・」
「・・・そうなのか?」
校舎への道を歩きながら、そんなことを佐久耶は言う。
「射裟御先輩は剣道部の主将、とんでもなく強いらしい」
なるほど、慧の言うことが確かならば当然武道の動きにも習熟しているはず、ゆえに緯度の動きを見切ってきたのか。
「慧はまず級友の名前を覚えぬとな」
「あー、馬鹿にしたなっ!」
ぎゃーぎゃーと騒ぎ始める慧を押さえ込みながら、緯度は教室へと入っていった。
16/10/27 19:43更新 / 水無月花鏡
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