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第八十八話・紅龍、若天使を喰らう
馬を走らせ、僕は異国の戦士の下へ行く。
出来ることなら語らいを…。
異国の彼は如何なる文化を知り、如何なる歴史を持つ国なのかを聞いてみたい。
未だ知り得ない異国の風を感じてみたい。
しかし現実は、そうではない。
紅龍雅はセラエノ軍の将軍で、リトル=アロンダイトは連合軍の武将なのだ…。
それが例え、仮初めの宿木であるとしても…。
「お初にお目にかかります。あなたとの一騎討ちを仰せつかったリトル=アロンダイトと申します。勝手な申し出だというのに、受けていただきありがとうございました。」
「これはこれはご丁寧に。お若いのに大したものだ…っと。確かこちらに投げ入れられた果し状には、ファラ……、そうだ。わぬしと同じアロンダイト姓の者だったはずだが…?」
「ファラは僕の父です。父は負傷してしまったために、代わりに息子の僕がお受け致します。」
義父上は負傷などしていない。
しかし、僕らの夢のために義父上を敢えて危険に晒す訳にはいかないんだ。
もしもの時が起こったら……。
もしも僕が討ち取られてしまっても、義父上は生き残らねばならない…。
ネヴィア義母さんが生きていて、運良く義父上と巡り合えたなら、きっと義母さんを愛せるのは、義父上だけなんだと思うから。
だから、義父上にもしもが起こってはならない。
まぁ、適当に戦ったら逃げるつもりだけどね。
「負傷…か…。それでは仕方がなかろうな。」
ふふ、と紅将軍は口元を歪めて笑った。
彼はおそらくわかっている。
義父上が負傷などしていないことを…。
それが彼の勘なのか…。
それともハインケルが両軍に渡って策を弄しているのか。
どうも今一つ判断が付かないのだけれど…。
「わぬしの父上は並ぶ者なき勇者であると聞いていて楽しみではあったのだが、それではいた仕方ないな。わぬしとは、このままくっちゃべるのも楽しいやもしれぬが、さすがにお互いにそういう立場では御座らぬし……。」
ブンッ、力強く鋭い音を出して、紅将軍が長大な湾刀を一振りする。
背筋に、冷たい汗が流れる。
「始めようか。」
切っ先を僕に向け、紅将軍はニヤリと笑った。
僕は……、適当に戦ったら、危なくなる前に逃げるつもりだ。
だと言うのに、手に握るメイスに力が入る。
あまり力の入っていない身体に、まるで一本の太い芯が背中に入れられたように姿勢を正し、鐙(あぶみ)を踏み締める脚が、鞍(くら)を挟み込む股が力を込めて、僕の意思を無視して、正面から一騎討ちを受けてくれた紅将軍の心意気に応えようとしている。
「お………、応ッ!!!!」
弾かれるように、馬の腹を蹴る。
地響きを上げて、土煙を巻き上げて、馬の蹄は紅将軍へ向けて、大地を駆ける。
馬の加速を十分に付け、僕はメイスを振り上げた。
「オオオオオオオオッ…、いざぁ!!!!」
紅将軍は一歩も動かず、馬上で長大な湾刀を大きく構える。
「尋常に……。」

「「勝負っ!!!」」


―――――――――――――――――――――――


神聖ルオゥム帝国軍・学園都市セラエノ同盟軍の精鋭たちの先頭、皇帝・ノエル=ルオゥムと軍師・バフォメットのイチゴが、一騎討ちの口上を述べている龍雅とリトルを見守っていた。
「………イチゴ。そなた、どう見る。」
どう見る、とはどちらが勝つかということ。
イチゴは軍師らしく、諸葛亮が持つような羽扇をクルクルと指で弄ぶと面倒臭そうに答えた。
「9対1でたっちゃんじゃな。あの若造には悪いが、場数と修羅場を踏んだ数が違うわい。」
「そうか?余はあの少年ももう少し食い下がれると思うのだが。」
バフォメットは首を振ると、羽扇を扇いで自身に風を送る。
「まぁ、世の中絶対はないのじゃ。オヌシにしてもそうじゃな。絶対攻めて来ぬと思っておった王国と教主国が攻めて来るし、同盟国は傍観を決め込んで助けには来てくれぬ。挙句の果てには、ワシら魔物が反魔物の旗を掲げるオヌシらを助けに来て、オヌシは『ワシ』の町と同盟を結んだのう。」
「イチゴ、セラエノはそなたの町ではないはずだが?」
「細かいことは気にするでない。まぁ、たっちゃんに危機が迫れば……、手筈通りに兵を動かす。たっちゃんが死ねば……、ワシは有能な将を2人も失うことになるのじゃからな…。」
もしものことがあれば、イチゴは一騎討ちを無視して兵を動かすつもりであった。
事実、後に明らかになるのだが、この一騎討ちの前夜にイチゴは帝国諸将やサイガ、リン・レンの双子将軍に命じてヴァルハリア・旧フウム王国連合軍の側面、それも本陣を急襲出来る位置に、数百の兵を伏せていたのである。
もしリトルがイチゴの予想を覆し、龍雅を追い詰める程の武を発揮したのであれば、伏せた数百の兵が連合軍本陣を急襲し、ユリアス大司教やフィリップ王を討ち取る手筈になっていた。
だが、この時イチゴは自分の思惑よりも龍雅の誇りを優先したために、後世、その策を龍雅が勝っても負けても実行していれば歴史は濁流の如く大きく変わり、劇的に世界は変わっていたのにとイチゴは死後に歴史家から非難されてしまう。
そしてイチゴの視線の先に、栗色の馬に跨る褐色肌のリザードマンがいる。
もしも龍雅に万が一のことが起これば、アルフォンスは自ら命を絶つかもしれない。
二人の繋がりを知っているだけに、イチゴは策を張り巡らせていたのであった。
「………ま、ワシはわかっておるのじゃがな。オヌシがたっちゃんに期待するのは、あやつの武力だけではないのじゃろう?」
「え、あ、そ、その………、そんなことは…、な、ない…!」
色恋沙汰に免疫のないノエル帝は真っ赤になって否定する。
「わかっておるぞぉ。色々理由を付けて、もっともらしいことを言ってセラエノと同盟を結んだその実、オヌシはたっちゃんが欲しいのじゃ。武将として、なんて堅苦しい話ではなく、三十路前の遅い初恋の相手を手元に置きたいのじゃろう♪ケッケッケ…、言わずとも良いのじゃ。何ならワシ自ら、男を骨抜きにする技をオヌシに伝授してやろうか。『処女でもわかる ぐっちょん♪性行為講座』をワシの兵法のおまけに教えてやるぞぅ♪」
いやらしい手付きでイチゴはワキワキと指を動かす。
その指の動きから、その場にないモノをハッキリと想像してしまったノエル帝は俯いて、いらない、と弱々しい声で呟くことしか出来なかった。
「べ、紅将軍は……、アルフォンス殿がいるじゃないか…。」
「うむ、確かにのう。たっちゃんもアルフォンスの嬢ちゃんもゾッコンラブじゃからな。じゃが、安心されよ。ウチの爺様……、まぁぶっちゃけロウガのことなんじゃが、御年推定50過ぎのクセに妻は二人おるのじゃ!!」
「な、何と!?」
「しかも一人は戦場にまで連れて来て……、今頃は暇を持て余して、朝な夕なと兵士たちの目を盗んで、棒の出し入れをして穴という穴から溢れ出す程、子作りに励んでおるんじゃなかろうかのぅ。」
指で丸を作り、その中に人差し指を出し入れしてイチゴは言う。
普段からサバトなどで慣れているせいか、性的なものへの免疫がない者への配慮が今一つ欠けているイチゴから目を逸らしつつ、真っ赤になったノエル帝はその話から自分と龍雅がそういう行為に及んでいる光景を想像してしまって、高鳴る鼓動を抑えようと胸に手を当てて深呼吸をした。
「……ま、まるで紅将軍のような方だな。」
「うむ、その通りじゃ。ところで、オヌシ。どうしてたっちゃんとアルフォンスの嬢ちゃんの情事をご存知なのかな。あやつらの情事は確かに激しいが、一応迷惑は掛けたくない言って、いつも声を押し殺しておるから、オヌシの幕舎まで聞こえるはずはないんじゃがの〜。そこんとこをもっと詳しく教えて欲しいものじゃな〜♪」
「……………………ハッ!?」
まるで三流探偵小説の犯人の如く、ノエル帝は知らずに白状していた。
自分が龍雅の幕舎を訪ねようとしたのは、前夜だけではなく、一度や二度ではなかったことを。
「………む、こんな話をしている場合ではなさそうじゃな。」
「こんな話をし出したのはそなたではないか!!」
「まあまあ、とりあえず始まりそうじゃ…。」
「え…!?」
ノエル帝が視線を移すと、リトルが馬の腹を蹴る瞬間だった。
腹を蹴られた馬は、力強く走り始める。
さっきの馬鹿話から一転し、ノエル帝もイチゴも真剣な面持ちに変わる。
ただ、その心は一つ。
龍雅の無事を、彼の恋人と同じ願いを祈っていた。


―――――――――――――――――――――――


両雄が激突する。

一合目、リトルのメイスが馬の加速と重量を武器に振り下ろされた。
その場から動かない龍雅はただ大きく振り被ったまま。
狙いを付けるのは非常に簡単で、リトルはまるで訓練の時のように伸び伸びとした自然体でメイスを振り下ろしたのだが、龍雅は身体に近い場所まで引き込むと、大太刀の鍔元で難なくリトルのメイスの威力を殺して防いでしまった。
二合目、ほとんど密着状態になったリトルと龍雅。
ならばリーチの短い武器を持つ自分が有利だと言わんばかりに、リトルはメイスを左右上下から自由に振り回すのだが、やはりすべて龍雅に見切られてしまい、鍔元で制されて龍雅の鎧を掠ることすらなかった。
何故だ、攻めているのは自分なのに…。
若いリトルが、そう感じるのは当然のこと。
セラエノ軍による東方武術が普及していく前の時代、攻め続けている方が強いのだという、大陸独特の力の信仰が根強かったこの当時は、後の歴史において義父の名に恥じない功績を挙げていくリトル=アロンダイトもまた例外ではなく、その若さと持ち前の武術が通じない龍雅に、精神的な疲労を僅か数合で感じてしまっていたのである。
そして記録通りであったなら十四合目。
「ク、クソォッ!!」
ある程度戦ったら逃げる算段をしていたリトルであったが、自らの武が通じない相手、そして熱くなりすぎた心が焦りと苛付きを呼び、普段の彼ならばこういう局面で絶対やらないであろう大振りで龍雅に襲い掛かった。
龍雅は、それを見逃さなかった。
メイスの重量、そして力一杯振り下ろしたことにより生まれた慣性を利用し、これまでの鍔元で受け止めるという防御ではなく、完全に力を受け流し、リトルのバランスを崩す。
「う、うわぁっ!?」
攻撃の体勢だけでなく、馬に跨るバランスまで崩したリトル。
必死に手綱を握り締め、右の鐙に体重をかけて踏み止まろうとするリトルに、容赦なく龍雅の大太刀が振り下ろされた。
必死に身体を逸らしたリトルは、大太刀の刃が愛馬の首を、斬、と斬り落とす音を耳で聞いた。


バシャッ……

ガシャッ……

落馬。
気が付けば、僕の身体は宙に浮き、馬の背から放り出されるように投げ出されて、僕は何度も地面に身体を激しく叩き付けられていた。
その上、首をなくした馬の身体が身体の上に倒れてきて、僕は危うく下敷きになるところだった。
必死に避けて事なきを得たが、愛馬の返り血を浴びた僕はドロドロ。
身体中ズキズキと痛むし、どこか怪我をしたのかもしれない。
呼吸をしようにもうまく空気を吸い込めなくて、吸っては咳き込み、吸えずに咳き込んで、身体は言うことを聞かず、ろくに動けそうにない。
でも、状況はそんなことを考えている場合ではない。
紅将軍が湾刀をまた振り上げている。
「せめてもの情けはかけてやろう…。」
武器は……、あんなところに落ちている…!?
遠い。
手持ちの武器はナイフしかないが、ナイフを抜く暇もない…。
ナイフの柄に手を掛けた瞬間、真っ二つだ。
完全な手詰まり。
まさにチェックメイト…。
「さらば…!」
湾刀が、僕の脳天を狙って下りて来る。
やっぱり……、逃げておけば良かった…!
覚悟を決めて、目を閉じた。
その時だった。


ギィンッ


「ぬ…?」
「…………………………!」


ギィンッ……、ギャリッ……


「おお、これは愉快なり。」
「…………………………ならば…!」


ギャリッ………、ギギギギギギギギ…


風が僕の横を擦り抜けた。
頭上で何かがカタカタという音を出して擦れ合っている。
「…………………間に…………合った……か…!」
その声に、僕は目を見開いた。
漆黒の馬に跨る将が、紅将軍の湾刀を剣で受け止めていた。
「義父上っ!?」
「……ほう、おことがこの者の父御(ててご)か。」
もう一度、剣と剣がぶつかったかと思うと、紅将軍は義父上を弾き飛ばして距離を開けた。
義父上の力を以ってしても、完全に抑え切れないなんて…!?
紅龍雅とは、何という人外の武力を持っているんだ。
どうして…、これ程の者がこれまで名を知られずにいたのか不思議でならない。
「…………………参る。」
義父上もそれを感じ取ったらしく、愛用のバスターソードを構える。
幾多の戦場を義父上と共に駆け抜けたバスターソード。
何度も敵将を鎧ごと叩き割った膂力に支えられた義父上の剣技を以ってすれば…。
だが、予想に反して紅将軍は大太刀を肩に担いで戦闘態勢を解いた。
「……何の、………つもり……だ…。」
「怪我人斬ったって自慢にもならん。それに、俺にはまだ遊び相手がお待ちかねなんでね。おことに構っておる暇はありゃしないんだよ。俺も少々熱くなりすぎた。おかげで危うく金剛石の原石を血泥の中に捨ててしまうところであった。父御殿には礼を言う。良くぞ、止めてくれた。まぁ、よく頑張った少年にはご褒美をやろう。努力賞だ。」
汚さない方が良いぜ、と言って紅将軍は鎧の腰に付けた下げ袋から何かを取り出すと、未だ警戒を解かない義父上に向かってそれを放り投げた。
「………………?」
義父上は片手でバスターソードを構えたまま、空いた手でそれを空中で掴んだ。
それは小さな箱。
上等なビロードの宝石箱のような小さな箱。
「開けてみなよ。それはあんたのために贈られたものらしいんだからな。」
「………。」
片手で箱を開く。
鍵も特別な力もいらない小さな箱を義父上は開けた。
義父上は馬に跨ったままだから、中に何が入っているのかわからない。
それでも、義父上の顔は見る見るうちに驚きの表情に変わった。
箱を握る手に力が入っている。
いつの間にか剣を構えていた手も、その箱を大事そうに手で掴んでいた。
そして、義父上の頬に涙が伝う。
物心付く頃、僕が義父上を義父と呼ぶようになった頃には、どんなことがあっても泣いた義父の姿を見たことがなかった。
どんなに辛くても。
義母が消えたその日も…。
そんな義父の姿が僕の理想のように焼き付いていた。
強くて、やさしくて、それでいて切なくて…。
同じ女性に心を寄せていただけに、僕らは同じ思いを共有していた。
義父は純粋な忠誠と愛の象徴として。
僕は幼い頃の初恋と、きっと知ることが出来たかもしれない母の温もりを求めて。
そんな義父上が泣いていた。
小さな箱を両手でやさしく包み込み、義父上は強く目を閉じる。
やがて声を殺して涙を流して、震える手で愛しそうに箱の中身に額を付けて呟いたのだった。


「……………ネ………ネヴィ……ア……!」




11/04/17 02:27更新 / 宿利京祐
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■作者メッセージ
88話目にして、やっと…。
やっとアロンダイト親子とネヴィアの繋がりに持って行けました!
え、ロウガの息子命名権争奪野球大会はどうしたって?
書きますよ…。
ええ、書きますとも!!
最後まで書かないと消化不良を起こすのは作者も読者も一緒だと思ってます!
でも……………、ちょっとだけ予告。
ルオゥム戦役編がある程度進んだら、外伝書きます!
『ルオゥム戦役外伝〜LOTUS』という仮タイトルで現在企画進行中。
あ、興味がなかったら忘れてても構いませんから(^^)。

では最後になりましたが、
本日もここまで読んでいただき、ありがとうございました。
また次回、お会いしましょう。
次回、次々回にてヒロ=ハイル、飛翔の刻。

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