読切小説
[TOP]
自由なアタシと、揺れる心
白く綿のような雲が街の建物へ流れ、そよぐ風に皆心地よさそうに笑みを浮かべて道を歩く。日の光が気持ちよく、市場から響く笑い声が楽しそうに聞こえてきた。翼を羽ばたかせて空を行く魔物がいれば街の片隅で男性とともに仲睦まじく寄り添ってるのもいる。
ここは摩訶不思議な空の街。とても高い場所にあり、空に近い街として有名な場所。あまりの高度に雲が街にかかることもしばしばあるほど。それでも寒くないし、空気が薄いわけじゃない。それはここに住んでるアタシたち、シルフがいるから。ただ空に近いからか住むには不住ないけれどここに居るのは皆ハーピーやワイバーンなど空が飛べる魔物か、その夫や家族がほとんどだ。
太陽の温かさ、風の心地よさ、空の景色を感じられるアタシの一番大好きな街。浮かんだ雲を蹴散らし、吹き付ける風を感じながらアタシは街中の市場を走り抜けた。

「へっへーんだっ!」

店の下を駆け、足元をくぐり、誰かのスカートをまくりあげて人ごみの中を突き抜ける。その際突風が巻き起こり果物や荷物を吹き上げた。石畳の地面に落ちては転がって、それを踏ん付け転ぶ姿がどうしようもないくらいに面白い。

「あははは!変なの!」
「またか!このじゃじゃ馬娘!」

アタシの声に反応して先ほど駆け抜けた店の男性が大声を張り上げた。顔を真っ赤にして怒鳴り散らす姿がまた滑稽。その様に笑い転げながらもアタシはさらに走り続けると目の前にいきなり老夫婦が現れた。買い物にでも出かけていたのか大きな袋を持っていてアタシに気づいてない。

「危ないっ!」

一瞬ぶつかりそうになりながらもアタシは二人の間を抜けた。あとから追いつくように突風が吹き付けて袋に入っていたパンが空高く舞い上がる。

「とっとっと、あー危なか―うわっ!?」

突然走っていたアタシの体は一人の男性に抱きとめられる。突風のような勢いがついていたのにそれをものともせず、むしろその勢いに逆らうことなく彼は回転しだした。
ぐるん、ぐるん、とまるで独楽のように回っては徐々にスピードが落ちていく。アタシの勢いをその場で抑え、いなしているようだった。
回転が止まった時にはアタシの目が回っていた。景色が回り、頭が揺れて視界が安定しない。それだというのに同じように回っていた男性はちょうど空から落ちてきたパンをキャッチしてアタシを睨みつけた。

「…何やってんだよ」

はぁっと疲れたようにため息をつく彼。ようやく定まってきた視界に映ったのは黒色だった。
特徴的な黒髪に、闇みたいに深い黒目。どちらもこの街には見られない珍しい姿。それだけじゃなくて同じくらいに目立つのは身に纏っている黒い上下の服。固めの布地と金色のボタンはまるで貴族の纏っている服のようだった。
黒崎ユウタ。それがこの男性の名前。

「な、何するの…ユウタ」
「そりゃこっちのセリフなんだよ、このバカ娘」
「ば、バカじゃないもん!」

困ったようにこちらを見ては冷たく刺さる視線が痛い。あまり表情に現れてないけどこの様子は…いけない、怒ってるみたい。そんな風に感じて今すぐ逃げ出そうにも彼の腕はアタシを捉えて離さなかった。

「イタズラで人様に迷惑かけんなって何回言わせたらわかるんだ、バカ」
「またバカって言った!」
「ああ、何度でも言ってやるよ。バカバカバカバカバカバカ」
「ムキー!!」

ジタバタ暴れて逃げ出そうとするもユウタの腕は緩む気配がない。アタシの脇や肘に腕を通して拘束してるみたいだ。
どうもすいませんでした、そう言い頭を下げながら吹き飛ばしたパンを老夫婦に渡す。そして人行き交う市場の中心で膝をついてしゃがむとアタシの体を抱え上げ、膝の上に乗せた。周りから見てお尻を突き出すようなこの格好。あまりにも自然な流れで気づかなかったけどどうなってるかを認識した途端一瞬で顔が羞恥で赤く染まっていくのがわかる。

「ちょっとユウタ!何するの!?」
「何?そんなの今までしてきたことに対するお仕置きに決まってるだろ」
「お仕置きって…っ!?」
「たかだか一回ぐらいならオレだってしようとは思わなかったさ。だけどお前、今月はいてこれで何回目だ?被害はどれくらい出た?覚えてんのか?」
「…」

ユウタはため息をついて胸ポケットから特徴的な手帳を取り出した。表紙には鳥を象ったマークが付けられてる革製の手帳は彼の働く職の証。それをペラペラめくりあるページを開いた。何が書かれてるのか気になって覗き込んでみるけどそこにあるのはよく分からない文字。それを彼は見慣れているようにスラスラ読み上げていく。

「ダメにした店先の果物、32個。人の購入品、それも主に食べ物をダメにした個数、18個。軽傷ながらも怪我させた人の数、8人。まくりあげたスカートの数なんて二桁いってるし…この前なんて店先に落書きしたみたいだな」
「ちょっと、そんな正確にわかるわけないじゃない!」
「それがわかるんだよ。オレの先輩に神通力使える烏天狗いるからな」

ぱたりと手帳を閉じて胸ポケットにしまってこちらを見据えてくる。呆れた表情は隠そうともせず空いている手で今度はズボンのポケットを叩いた。

「どっからその被害手当が出てるか知ってるか?オレの財布だぞ?このままやったらラファーのご飯にも響くからな」
「うっ」
「今日の夕食、デザートのプリンはなしにしてもいいんだぞ?それだけじゃなくて明日から三食全部硬くて噛めない安物黒パンでいいのか?」
「それは…やだ」
「そうだろ?」

ユウタの言葉にアタシは頷いた。ユウタはうんうん頷くも掴んだ手の力は緩めようとしない。たぶん、今ここで謝っても離してくれないだろう。
でもここでこんな格好をさせられるのはあまりにも恥ずかしい。ここは街中の道だし、周りは市場。当然ながら人は沢山いるし、皆こちらを見つめてる。なぜだか羨ましそうに見てくるハーピーが気になるけど、アタシはこんなことされて喜べない。

「さて、お仕置きといこうか」
「待ってよ!こんなとこでやるつもりなの!?」
「何言ってんだ。公衆の面前でスカートまくり上げまくったくせに」
「それはそうだけど…でもそんなことをしたらユウタだってただじゃ済まないんだから!きっと今に自警団の人が来て捕まっちゃうんだから!」
「オレが自警団の人だ」
「あ、そうだった…」
「それじゃあ―」
「―待って待って!こんな可愛らしい女の子にお仕置きなんてひどいんじゃないの!?」
「可愛らしい?そりゃおかしいな。誰の目からしてもお前はいたずら小娘にしか見えないんだよ」

その言葉にうんうんと頷く周りの人たち。むぅ〜!アタシはいたずら小娘じゃないもんっ!

「オレもこんな小さな女の子に手を上げるのは気が引けるな。だけど、罪には罰が必要だ。口を酸っぱくして言ってやっても何も守れないおバカさんには自警団の者として見せしめも兼ねたつらーいつらーいお仕置きといこうか」
「え?え?本気!?本当にするの!?そ、そんなことしてユウタがどうなっても知らないんだから!」
「そうだな。流石に周りから変な目で見られるかもしれない。それでもやっちゃいけないことをした相手を罰するのはオレ達自警団の仕事だし、間違ってることを正してやるのが年上の仕事なんだよ。というわけで一発目」
「え?」

次の瞬間ユウタの手がアタシのお尻を叩いた。街中に乾いた音が響き渡る。

「きゃんっ!」
「はい、二発目」
「やぁっ!」
「さ、ん」
「やだ、ぁっ!」
「よーん」
「ひんっ!」
「ご、ぉ」
「痛っ!」
「ろーく」
「わぁぁぁぁああああん!」










「ほんとにもう、ラファーが迷惑かけました。ほら、謝れ」
「ひっく…ごべんなざい…っ」

ユウタに言われるままにアタシは頭を下げた。ポタポタと目から涙がこぼれ落ちる。そんなアタシを見て先ほどの店の主は大声で笑い、老夫婦はあらあらと口元に手を当てて笑みを浮かべた。

「がはははは!じゃじゃ馬娘で有名なラファーもお前さんにゃかなわねぇな」
「あんまりやりすぎるでないぞ」
「はい。本当にすいませんでした」

アタシの代わりに何度もペコペコと頭を下げるユウタ。そのさまは見ているアタシが恥ずかしくなっているぐらいだ。時折アタシの頭をペシペシ叩くのがなんとも鬱陶しい。
未だ頭を下げ続けるユウタの肩を店主は叩いては大声で笑う。頭を上げさせて彼はユウタに言った。

「なぁ、お前さん。確かラファーと契約してるわけじゃねぇんだろ?どうだ、うちの娘なんてよ」
「…え?」

彼の言うとおりアタシとユウタは契約関係ではない。使役されることも縛られることも、深く繋がることさえも何もない。同じ家に住んでいても体を交えたことだけではなく、キスだってしたことはない。
この街の人はそれを皆知っていた。

「親ばかを差し引いてもうちの娘はか・な・り・美人だぞ。嫁にそっくりで」
「は、はぁ…でもなんでオレなんかに」
「どこぞの馬の骨を攫ってくるよりも知ってる相手の方がいいに決まってるだろ?器量があってしっかり者で、じゃじゃ馬娘のラファーの世話もできてんだ。お前さんなら安心してうちの娘を任せられるってもんよ」
「いや、でも」
「何だぁ?うちの娘じゃ嫁にできねぇっていうのか?」
「嫁って…オレの歳じゃまだ早いんじゃ…」
「安心しろ。俺なんて嫁にさらわれたのは十四の時だからな」
「早っ!」

隣で続けられる会話をアタシは黙って聞き続ける。店主は笑い、ユウタは苦笑し、アタシは一人むくれていた。
気に食わない。確かにアタシとユウタは契約関係ではないけれど、それでも隣で結婚の話を持ちかけられてるのを喜んで見ていられるワケじゃない。胸の奥はモヤモヤするし、なんだかとってもイライラする。

「…えいっ!!」

アタシは無言でユウタの脛を蹴った。風の力を上乗せして思いっきり蹴った。

「…………すいません、ラファーが除け者にされるのが気に食わなかったみたいです」

痛みに耐えるように体を震わせ足を抱えて丸まった姿でユウタは言った。その姿に少しだけ胸がスカっとする。

「…お前さんも苦労が絶えないな。おいラファー、あんまり無茶してやるなよ。ユウタはまだまだ人間なんだからよ」
「いーっだ!」

店主に向かってそう言うと頭をペしりと叩かれる。お尻に続くその一撃は地味に痛い。
振り返ると疲れた顔をするユウタが立っていた。何も言わないけど呆れているのがよくわかる表情だった。

「失礼なことするなって言ってるだろ」
「うぅ〜!ユウタのバカ!」
「なんとでも言ってろ。自業自得だろうが」
「うぅぅぅ!!」

唸るアタシを前にユウタは鼻で笑うだけ。どうやっても崩せない、大人の余裕がとても腹立たしい。何とかしてその余裕を崩したいけどちょっとやそっとじゃ彼は動じないだろう。
…そういえばさっき店先の人に娘をどうかって聞かれてすごく困ってたってけ。
アタシは指先で渦を描くとそこに小さな旋風が吹き始めた。それを真上に向けて胸いっぱいに息を吸い込んだ。

「ここに!未婚で妻を欲しがってるジパング人がいまぁあーす!!」

吐き出した声は風に乗って街中を響き渡る。旋風のおかげで遠くまではっきりしっかりと、誰にでも聞こえるように音が飛ばされる。
街の端から端まで届き、一瞬静寂に包まれる。そんな中で先程まで余裕の笑みを浮かべていたユウタの顔が徐々に青ざめていった。ガタガタと震え、アタシを指差す指の先も定まらないほどに。

「お、お前…何やって…」

さっきまでアタシを叱りつけてお尻まで叩いていた彼が見せる余裕の欠片もない顔。今の発言が何を起こすのか、ユウタは身を持って経験したことがあるからこそ何が起きるかわかってる。恐怖にひきつった顔は店の男性の怒り狂った顔や顔を真っ赤にして恥ずかしがる女性の顔とは比べ物にならないくらいに面白おかしい。自然、アタシの顔には笑みが浮かんでいく。
人間も住んでるけど主に魔物、翼を持つ彼女たちがいるこの街でアタシの発言は絶大な効果をもたらす。独身の男性なんてここではいない。いたとしてもせいぜい外からやってくる旅人くらいだ。そんな中でユウタの存在はどれほど貴重なのか。
 
この街に全く存在しないジパング人の男性がどれほど目立つものなのか。
 
それをユウタは知らないわけじゃない。
遠くの方で何かが羽ばたく音が響いてきた。それだけじゃなく風を切り裂く音さえも聞こえる。何かが近づいてきていることは明らかだ。
アタシはその場から飛び上がり、ユウタに向かって舌を出した。

「べぇーだっ!」
「ラファアアアアア!!帰ったら覚えてろぉ!!」

ユウタが言い切った瞬間、真上から様々な魔物が降り注いだ。大きな翼を広げるハーピーや黒い翼を持ったブラックハーピー。薄くも自頑丈そうな翼で横からかっさらうように飛来するワイバーンの集団。その中に…あれ?なんだかワイバーンとは似てるけどなんだか違う姿が混じってるのは…もしかしてドラゴン?
集団の中から突き出した腕が助けを求めるように動いてる。時折中から「いや、やっぱり互いを知ってからの方がいいですよね!?あ!ちょっと待った!ズボンは待った!」などと聞こえてきた。とても面白い姿のはずなのに、先程と同じで胸の奥がモヤモヤする。余裕のなくなった先ほどの顔は面白かったのに目前で様々な魔物に取り合われる姿は…やっぱり面白くない。

「…ふんっ」

アタシはそれを見ないようにすぐにその場所から飛び立った。










家に帰ったアタシは一人ソファに寝転がって天井を眺めていた。視線の先にはまだ新しい修理の跡がある。あれはユウタが落ちてきた跡。屋根を突き破って逆さまに刺さっていた証拠だ。
思えばあの時ほど面白いものはなかったっけ。誰も使われていなかったこの小屋の屋根に人間が空から落とされたかのように屋根に突き刺さって足だけ出した姿はとても滑稽だった。空を飛び、風を纏って雲を突き抜けて飛び回っていた時に目に入ってきた光景。それは面白かったけどそれ以上に興味深かったのがそれがジパング人だったということ。
ジパング人。この街にはまずいない存在。ジパングだってここからかなりの国を隔てて海を渡らないとたどり着けない場所にあるはず。どうやってここにやってきたのか、どうして屋根に突き刺さっていたのか気になることばかり。
最初はそんなユウタが面白そうだったから一緒に住み始めた。話してみてよくわかったけどユウタはアタシのような精霊や魔物のことを全く知らない。それだけじゃなくてこの街のことも全然知らないようだった。一体どこから来たのかわからない。教えてもらおうにもユウタはそれを話してくれない。
それでもよかった。ユウタと一緒にいるといつも楽しいんだし。…時々お仕置きを受けることになっちゃうけど。

「…ただいま」

ドアを開け、両手にはいっぱいに食材の入った袋を抱えて現れたのは疲れた様子のユウタだった。ジパング人特有の綺麗な黒髪がボサボサのままでげんなりと頬がやつれている。たった数時間しか見ていなかったのに数年は年をとったように見えた。

「お帰り」
「…はぁ」

袋をテーブルに置くとそのまま倒れるようにソファへ、アタシの隣へ座り込んだ。背もたれに体重をかけて天井を仰ぎ見て、また大きくため息をつく。アタシに向けて覚えてろなんて叫んでたのに何もする様子はない。

「…何もしないの?」
「…疲れてそれどころじゃないんだよ。して欲しいって言うんならやってやるけど」

その言葉にアタシはブンブン頭を振った。ユウタはそれを見てクスリと笑い、再びソファにもたれかかる。ぐでっとしているユウタは外で見るときと全く違う姿。それを見れるのはアタシだけという事実がちょっと嬉しい。

「…」

アタシはそっとユウタの膝の上に座った。彼はそれに対して特に何も言うことなくそのままの状態だ。相当疲れているのだろうか。
思えばよくこうなってる。この街には独身の男性なんてそういないし、ジパング人の特徴をもつ男性はここではユウタだけだから嫌でも目立つ。さらには自警団として街の巡回をよくするからか魔物に追われることは日常茶飯事の事らしい。追ってくるのは皆翼を持ち、空から襲来するのにいつも逃げ切れているのは奇跡としか言いようがない。
見つめ続けていると首筋にできた痣みたいなものを見つけた。小さいものだけど赤くなってるその跡はまるで吸われてできたみたい。
…これってまさか。

「ユウタ、首筋に痣みたいなの出来てるよ」
「うん?」
「…これってキスマーク?」

アタシに言われてユウタは首筋を撫でる。そんなことをしてもわからないと思うのに。彼は指先でその部分を撫でてあ、と声をあげた。

「…そういやあの時吸われてたかもな」
「吸われてたって…誰に?」
「わからないって。あんな人混み…じゃなくて魔物混みか、そんな中で誰が誰だかなんて見分けつかないんだよ。危うく下着まで取られるところだったし」
「…」

キスマークを見つめてると胸がまたモヤモヤする。やっぱりあんなこと、言わなければ良かったかも。
首を撫でていた手がそのまま落ちて力なく垂れ下がる。やっぱり相当疲れているらしい。そんなユウタにアタシは一つの提案をする。

「…いっつもそんな風になるんならアタシと契約すればいいのに。もう襲われなくなるよ」
「パス」

それでもいつもどおりに拒絶の言葉を返された。それどころかこちらを見向きもせずにひらひらと手を振られる始末。
…アタシがここまで頑張ってるのに何がいけないっていうの。

「精霊と契約するってんだから何か特別な素質とか必要なんだろ?」
「そんなの必要ないもん。簡単ですぐにできるもん」
「それでもパス。契約っていうんなら一回やったらもう二度と消せないんだろ?まだまだ子供のお前がそうちゃっちゃと相手決めるなって言うんだよ」
「子供じゃないもんっ!」
「はいはい」

いつもこれだ。これが、ユウタだ。
そんなのだから未だにいろんな魔物から襲われ続けてるっていうのに。首筋にキスマークなんてもらってくることになってるのにどうしてわからないの。

「…はむっ!」

アタシは付けられたキスマークを上書きするようにその場所に噛み付いた。

「…噛むな」
「べろっ」
「…舐めるな」
「んちゅーっ!」
「…吸うな」

ペシペシと頭を叩かれて仕方なくアタシは首から離れた。舐めたり吸ったりしたせいかその部分は先ほどよりも赤みが増している。
上書きする形になったけど紛れもないアタシのつけた跡。そう思うとちょっぴり嬉しい。
ユウタは、はぁっと疲れたようにまたため息をついてはアタシの体を持ち上げて隣に置く。そのまま立ち上がってはテーブルに置かれた荷物の中からいくつか食材を取り出し、そのままキッチンへと歩いていく。途中壁にかけられたエプロンを流れるように着込んではいつの間にか手に包丁を持っていた。

「今日は…肉じゃがにでもするか」

そう呟いてはちゃっちゃと用意をしていく。これならすぐに夕飯はできるだろうけど…見てるアタシにとっては暇な時間だ。アタシではなく料理にばっか構ってこちらを相手してくれない。ユウタの料理は美味しいけど、それでもこの時間は嫌だ。
アタシは駆け出して彼の後ろから抱きついた。

「…料理中に抱きつくなっていつも言ってるだろ」
「だって…暇なんだもん」
「ならテレビでも見て…っと、ないんだったな」
「?」
「そーだな…」

ちらりとソファの方を見てアタシに視線が移る。そこで何を思いついたのかよしっと頷いた。

「紙持って来てくれ」
「紙?」
「そ、できれば薄いやつ。あ、オレの仕事の報告書持ってくるなよ」





「…ほらよ」
「…なにこれ?」

テーブルの上には一枚の紙で折られた奇妙な形をした何かがいくつも置かれていた。長いものや短いもの、翼のように広げられたそれは何なんだろう。

「紙飛行機」
「かみひこーき?」
「…そっか。飛行機もないんだったな。簡単に言えば凧みたいなもんだ」
「…たこって…海にいるあのたこ?」
「……それもないか」

一つとっては静かに投げる。そうするとかみひこーきは空中で一回転をしてみせた。

「わぁ…!」
「…っと」

戻ってきたかみひこーきをキャッチしてユウタはアタシに笑みを浮かべて手渡した。

「ほら、ラファーなら紙飛行機みたいに飛ばすやつと相性いいだろ。風の精霊だもんな。とりあえず飯ができるまでこれで遊んでてくれよ」

ぽんと頭を撫でてそのままユウタは料理に戻ってしまう。手渡されたかみひこーきは確かにすごかったけど、一人で遊ぶのはつまらない。それをユウタはわかってない…。

「…」

アタシはかみひこーきを見つめ、背中を向けて夕食のユウタを見た。毎日やっているようにて慣れた手つきでどんどん野菜を切り刻んでいく。この調子なら待っていればすぐにできるだろうけど、それでもやっぱり暇だ。

「…」

見つめ続けたかみひこーきの先端を目標に向ける。そのまま静かに投げながらもアタシはふぅっと息を吹きかけた。
風の精霊なのだからそよ風だったり突風だったりわずかな息でも自由自在に風を巻き起こせる。それに乗ったかみひこーきは真っ直ぐ飛んでいって、そして。

「…えい」
「だっ!」

ユウタの頭に突き刺さった。







「…ん?」
「!」

家の中に硬いものを叩く、乾いた音が響いた。反応してユウタは鍋の蓋を持ったまま振り返る。ちなみに頭にはまだかみひこーきが刺さったまま。

「誰か来たか?」
「んーそうみたい」
「んじゃ、出ないとな」
「…そのままで?」
「…」

ユウタはそのまま無言でかみひこーきを抜き取るとテーブルに向かって投げ、エプロンを脱ぐことなく玄関へと歩いていく。そしてそのままドアの鍵を開けてゆっくりと開いた。

「はいはーい?」
「あ、夜分遅くすいません」
「あれ?コルン、さん?」

ドアの向こうにいたのは一人の女性。ユウタと同じくらいの背丈であり、整った顔立ちで両手で鍋らしきものを持っている。いや、それを手というのは語弊があるかもしれない。
手ではなくそれは羽。両腕から生え揃う青く鮮やかな鳥の羽。人間には絶対に生えることのないそれは魔物の証。
彼女はユウタの知り合いで、他の魔物同様に独身であるハーピーのコルンだ。

「実は料理を作りすぎちゃって、それでおすそわけでもと思いまして」
「これはこれは、ありがとうございます」

彼女は笑ってるけど裏で何を考えてるのかわからない。料理の入った鍋から香る甘い香りはなんだか独特で…虜の果実や媚薬の類でもはいってそうだ。食べようものならどうなるか、それをユウタが知ってるとは思えない。そして、食べたあとにどうなるのかユウタは絶対に想像できないはずだ。
親しい関係で信頼してるコルンだけど、いくら信じていても彼女は魔物。アタシと同じ、皆と同じ男性を求めて止まない女性。そんな彼女がただの料理を作りすぎたなんて理由でこんなとこまで持ってくるはずがない。

「えいっ!」
「きゃっ」

アタシはコルンにわざとぶつかった。そのせいで手に持っていた鍋が転がり落ち、床に中身が広がる。

「あ…」
「…ふん」

先程までにこやかだった表情が一気に悲しみに染まる。それを見て少し胸が痛くなったけど、そんなのは関係ない。
アタシはそのままコルンの隣を抜けて外にでも出ていこうかと駆け出すと誰かに腕を引かれる。

「―っわ!?」

―次の瞬間、乾いた音が耳に響いた。

「―…え?」
「…」

遅れて感じられる衝撃と痛み。アタシの頬が張られたんだと気づくのにだいぶ時間がかかった。
それでも、気づいたところでわからなかった。なんでアタシは頬を張られたのか、どうしていきなりされたのかわからない。

ユウタが冷たい目でアタシを見る理由もわからない。

今まで困りながらも、呆れながらも向けた視線は温かかった。二人でいるとき、この家で食事をしたり、話をしたりするときは優しかった。仕方ないと言いつつも結局のところ甘やかしてくれる、それがユウタだった。
なのに、どうしてそんな顔をしてるの?
なんで、そんな目でアタシを見つめてるの?

「―ふざけんな」

彼の口から発せられた声は今まで聞いたことのないほど低く、冷たい声だった。

「何やってんだよ、ラファー」
「え…え?」

あまりの冷たさに、普段との違いに戸惑いを隠せない。視線もまとった雰囲気も、まるで一瞬で別人になってしまったかと思えるほどの変わり方。
これは、今まで優しかったユウタなのか。
これが、いつも笑ってたユウタだったか。
 
「今までは大目に見てきたけど…これは流石に許せることじゃないんだよ」

淡々と言葉を紡いでいくもその裏にはハッキリと怒気が含まれてる。今まで叱られたことはあっても比べ物にならないくらいの感情がアタシに向けられてる。

―自然と涙が出てきた。

怒ったユウタが恐ろしくて、だけどそれ以上に悲しくて。
コルンを庇ったことが寂しくて、アタシが責め立てられて苦しくて。
何を言えばいいのか分からずに俯いたらぽたりと雫がこぼれ落ちた。それに続くように感情が口から言葉となってこぼれ落ちる。

「何、言ってるの…」
「…」
「許せることじゃないって……そんなの…ただユウタは……アタシよりもコルンの方がいいだけでしょ…」
「あ?」
「だから、そうやってコルンの前でいいカッコするだけでしょ…」
「…何言ってんだよ。そんなことより―」
「―ユウタのバカっ!!!」

伸ばされたユウタの手からすり抜けるようにアタシは駆け出した。そのまま玄関に立っていたコルンの横を通って空へと飛び出す。翼を持たない人の手が絶対に届かない距離で立ち止まり一度振り返ると追うように飛び出してきたユウタと目があった。

「ラファー!」
「べーっだっ!!!」

なんとか追ってこようとするユウタを脇目にアタシはさらに空高くへ、街の上へと走り出した。










夜の風は冷たい。空に近いこの街ならなおさら夜は寒くなる。髪の毛をなびかせそよぐ冷たい風を感じながらもアタシは路地裏で一人佇んでいた。

「…」

つま先をじっと見つめ、ただ時間だけが過ぎていく。夜空には月に雲がかかり、あたりは真っ暗になってしまう。何も見えない中で浮かび上がってくるのは先ほど冷たい視線を向けてきたユウタの姿。

「…っ」

あの時の言葉を思い返すとまた涙が出そうになった。
頬を張られる感覚を思い出すと泣き出しそうになった。
わかってる。自分がどれほど勝手なことをやったのか。どれほど失礼でいけないことをしてしまったのか。ユウタが怒ったのは当然のこと。今までに見たことないくらいだったのも当たり前。アタシがやってしまった我儘はそう簡単に許せるものじゃない。
あの場で謝ることができたならすぐに終わっていた。それともあんなことをしなければよかった。だけど、今更後悔したところで遅い。
帰りたいけど…帰れない。
壁に寄りかかってアタシは小さくうずくまった。

「―…っ」

アタシ以外誰もいない路地裏に聞こえるわずかな声。どこから聞こえてるのか注意深く聞いてるとすぐ後ろの建物からだった。
窓ガラス越しに中の様子を伺うと部屋の明かりに照らされる三人の影。一人は男性で二人は魔物。アタシよりも小さな姿からして彼女はきっと二人の子供なのかもしれない。
一家団欒する姿。仲睦まじく、楽しそうに笑う三人。

「…」

その三人をアタシはただ見つめる。視線を外そうと思ってもその光景から目が離せない。

「…」

アタシにあのような家族はいない。楽しく笑ってくれる父親や優しく包んでくれる母親はいない。
それは当然のこと。もともと純精霊で自然の元素が集まって出来たアタシに、親のように接してくれる人なんているわけがない。

―ユウタを除いて。

ユウタを見つけて一緒に住み始めたのだって本当は寂しかったからだ。旅をしている風貌じゃなくて、魔物も精霊も知らないからじゃなくて、同じ一人に見えたから。それならきっと一緒にいられるって思ったから。

「…ひっく…ぅぁ……」

ポタポタと涙が流れ落ちる。拭っても止まることなく、落ち続ける。
大声で泣きたかった。泣きわめけばユウタが飛んできてくれる。抱きしめて慰めてくれる。
だけど喧嘩しちゃった。冷たい視線と暗い瞳、静かだけど恐ろしい声色。今までに見たことがないくらいにユウタは怒ってた。あんなのじゃいくら泣いても絶対に来てくれないし、抱きしめてもくれない。

―謝ればよかったのに…。

いいことをしたら褒めてくれる。頭を撫でて笑みを浮かべて、優しくしてくれる。でも悪いことをしたら叱られる。時々度がすぎればお尻を叩かれることもある。
それでもよかった。褒められて、叱られて、それでもユウタと一緒だと温かくて、楽しくて、嬉しくて…。

―帰りたい…。

そう思ったところで帰れるわけがない。ユウタはまだ怒ってるかもしれないし、コルンがまだいるかもしれない。帰ったところで気まずいし、また怒られたくない。

―でも…。

こんな路地裏で丸くなってるなんて。

―やだよ…。

誰も来ない場所で寂しくいるなんて。

―帰りたいよ…。

「…ユウタぁ……」

壁に寄りかかって座ったアタシは足を抱きしめて顔を埋める。時折流れてくるそよ風がやたら冷たく感じられる。きっとこの街だからとか、夜だからなんて理由じゃないだろう。落ちる涙をそのままにアタシはただただ泣き続けるだけだった。

―だけど、突然頭に何かがぶつかった。

小突かれたような衝撃を伝え、それはかさりと音をたててアタシの隣に落ちる。顔をあげて拾ってみるとそれは軽くて、夜に目立ちにくい黒いものだった。後ろの窓から漏れる光に照らすと見たことのある形。

「…っ」

それはアタシが先ほど、ユウタにもらったものと同じ形だった。
かみひこーき。間違いなくユウタが作ったもの。それがどうしてここにあるのか不思議に眺めていると何かがアタシの前に立ちはだかった。

「…」
「……ユウ、タ」

路地裏の暗がりより、夜の闇よりもさらに濃くてずっと暗い黒色を纏ったユウタ。どうしてここに来れたのかわからないけどユウタは疲れたような顔で一つため息をついた。

「どうやって来たって顔してるな。知ってたか?ラファーが走ると、お前が風の精霊だからか後ろに風がしばらく吹くんだ。あとはそこに紙飛行機を投げてやれば飛んでくからそれを追ってきたんだよ」
「…」
「…オレが怒った理由、わかるな?」
「…」

アタシは無言で頷いた。それを見てユウタは小さくため息をついて自分の後ろを指で示す。

「なら、今すぐ謝ってこい」
「っ…」
「って言いたいとこなんだけど、そんなことしてたらせっかく作った夕飯が冷める。レンジのないこっちじゃ温めなおすのも一苦労なんだよ」
「…」
「さっさと帰るぞ。説教も謝りに行くのも全部夕飯済ませてからだ」

そっとユウタに手を引かれる。アタシよりも大きくて包み込んでくれる手は無理やり引っ張るようなことはせずに繋がれた。手のひらからの優しい体温が冷えたアタシの手を温めてくれる。アタシは無意識にもう片方の手を添えてユウタの体温を感じていた。

「…はぁ」

再び疲れたように吐かれるため息。見上げてみると困ったような、呆れたような表情を浮かべていた。

「…まったく、仕方ないな」

いつもアタシの我侭に付き合ってくれる時に呟く言葉。口癖のように繰り返し言ったユウタは繋いだ手を離すとそのままアタシの背にまわしてきた。それだけではなく背中を撫でながらユウタは抱き上げた。とんとんと叩いたり、頭を撫でたりとやることがまるで赤子に対するものなのだが、それでもすごく心地よくて、とても気持ちがいい。
包み込んでくれる、ユウタの匂い。抱きしめてくれる、ユウタの腕。受け止めてくれる、ユウタの胸。アタシは縋り付くようにユウタに抱きついていた。

「…ごめん、なさい」
「謝るのはオレじゃないだろ。コルンさんにちゃんと言ってこいよ?」
「…でも」
「…一人が嫌なら一緒に謝りにいってやるよ。ほら、さっさと帰るぞ」
「……うん」










あれから家に帰っても、夕食を食べてる間も、アタシは何も喋らなかった。ユウタも同じように何も言わなかった。静かな家の中は物音しかしない。寂しくて何かを言いおうと思っても何を喋ればいいのかわからない。
結局気づいたら部屋の明かりは消え、アタシは自分の部屋のベッドの上に座っていた。窓から入ってくる月の光は空に近いからとても明るくアタシを照らし出した。

「…」

ベッドの外に投げ出した両足を揺らし、天井を見つめる。そのまま瞼を閉じればいつものように眠りにつけるのに今日はそうはいかなかった。
光のない闇の中に浮かぶ、夕食前の光景。ユウタに笑いかける、あのハーピーの姿。

「…」

誰ともそういう関係のないユウタにとって襲われるのはいつものこと。そんなことを繰り返していてはいつの日か誰かに襲われるに決まってる。人間のユウタと魔物とでは力に差がありすぎる。
誰かがユウタの隣に立つこともないとは言い切れない。

「…やだ」

アタシ以外の誰かが立つなんて。
ユウタの傍にアタシ以外がいるなんて。

「…そんなの、やだ」

傍にあった枕を抱きしめて呟いてみても虚しく部屋に響くだけ。アタシのワガママは誰にも届かない。

「………」

むくりと起き上がり、枕を抱きしめたままベッドから降りる。そのままアタシは静かにドアを開けて部屋を出ていった。





月明かりしかない家の中。薄暗くもなんとか足元を確かめて進んだ先には一つのドアがあった。隙間から淡いオレンジ色の光が漏れている。それはきっとランプの光。部屋の中の人がまだ起きて仕事をしてるからだろう。
アタシはその部屋のドアを静かに開けた。

「…ノックくらいしろって」

動かしていた手を止めるがこちらを見ることなく静かに言う。机の上でぼんやりと照らし出す小さな灯りは部屋を照らしきれず彼の姿だけを浮かび上がらせていた。

「…ユウタ」
「ん…」

名前を呼ぶと小さく返事をしてアタシの方を向く。髪の毛と、瞳と同じ色をした寝巻きを着込んだユウタは仕事疲れのなのか少し眠そうだった。

「どうした?」
「…」
「…トイレに一人で行けないっていうわけじゃないよな」
「…違う、もん」
「じゃ、どうした?」
「…」
「…」

 はぁ…と小さくため息を吐いたユウタはランプの明かりを消して、机の隣にあったベッドに移動した。胡座をかいてアタシへ手招きをする。

「ほら、来いよ」
「…」

アタシは無言でユウタに突っ込んだ。少し後ろに倒れかけるもなんとか持ち直し、そのまま手がアタシの頭に添えられる。
ゆっくりと優しい手つきでアタシを撫でてくれる。路地裏でもしてくれたのと同じように抱きとめてくれる感覚が、伝わってくる体温がとても心地よかった。ただこれだけでも胸が満たされて、心が温かくなる。このまま目を閉じてしまえば安らかに眠れてしまいそうなほどに。
でも今は眠りにきたわけじゃない。ただ撫でられたくてここにきたわけじゃない。

「…ねぇ、ユウタ」
「ん…?」
「ユウタは、さ…コルンが好きなの?」
「…またそれか」
「真面目に聞いてるの。ユウタは…コルンが好きなの?」
「ん〜…」

顎に手を当ててユウタは小さく唸った。今まで聞かれたことのない質問だったからか、それともアタシに対して気をつかってるのか。言いにくいというよりもただ言葉を選んでいるみたい。

「まぁ…好きっちゃ好きなんかな」
「え…っ!?」
「知り合いの中で、だな。異性としての好きっていうよりか人として好意が持てるっていうか…って人じゃないか」
「じゃあ…じゃあ、アタシは?」
「ん?」
「ユウタはアタシのこと好き?知り合いとしてじゃなくて、異性として好き?」

いつの間にかアタシの手はユウタの寝巻きを強く掴んでいた。震えながらも必死に力を込めた手はユウタが逃げないように掴んでいるのではなく、アタシ自身が逃げ出さないようにするためのものに思えた。

「…そうだな、どっちかって言うとそりゃ―」
「―どっちかなんて、誤魔化さないでよ」
「…」

何かを言おうとしたまま固まったユウタはアタシを見つめ、ため息を付く。

「好き?」
「あー…えー?」
「アタシはユウタのことが好きだよ」
「…」

その言葉に唸る声を止め、アタシを真っ直ぐに見つめてきた。夜の暗さよりもずっと深くて濃い闇色の瞳がアタシを映し出す。そしてユウタはにぃっと笑った。

「オレもだよ」
「じゃ、キスして」
「……お前ってやつは」
「ん」

唇を突き出してユウタにキスを求める。そんなアタシの姿にユウタは頭が痛そうに顔をしかめ、いつものように大きくため息をついた。

「んー」
「…」
「むぅー」
「…ったく、仕方ないな」
「ん…♪」

優しく重なる唇。硬い体とは反対に想像できないくらいの柔らかさとユウタが作ってくれるお菓子よりもずっと強い甘さがアタシの胸を満たしていく。
だけどただのキスじゃ終わらない。ゆっくりだけど深くアタシと重なり、啜り、舐めては吸い付いた。わずかでも離したくない、そう思って何度も何度もキスをする。ユウタの頭に腕をまわしてアタシはもっと深くまで口づけた。

「ん…ふっ…む…ちゅ♪」
「ん…これでいいだろ?」

唇を離し、優しい瞳でアタシを見つめる愛しい男性。アタシはキスの感触にうっとりしつつも寝巻きを握り締める手にさらに力を込めた。

「…やだ」
「…は?」
「キスだけじゃ嫌なの。もっと、もっとして欲しい…」
「はぁ?」
「だって…」

首筋に残る赤い跡を見つめる。今日外でつけてきたものの上にさらに上書きするようにつけた、キスマーク。それを見ているとキスだけじゃ足りない気分になる。
一人の女の子として、そして精霊としても求めてる。キスよりもさらに先の行為を。もっと深くまで繋がり合える行為を。

「…ほら」
「わっ」

とんっと、アタシはユウタに倒された。ベッドに体が沈み込み、上から覆いかぶさるようにこちらへ倒れかかってくる。
あとほんの少し、あとちょっと近づくだけでまたキスできる距離でユウタはそっと囁いた。

「オレだって男なんだよ…行くとこまで行けば止まらないからな?」
「うんっ…!」

アタシは彼の言葉に強く頷いた。
求めているのはこれよりもずっと先にある関係だから。
欲しかったのは今よりもずっと密な繋がりだから。
精霊と、契約者。
女と、男。
たった一つで最も深い絆が欲しい。





ユウタの手がアタシの体を優しく撫でてくれる。温めるように、そして滑らかに肌を流れていく。
感じるたびにもっと欲しくなる。触れられるたびに胸が熱くなり、体の奥が蕩けていく。集中してみるとアタシの大切な部分が湿っていることに気がついた。
これからどうするのかわかってる。それを体は求めて止まず、疼くような熱が下腹部から広がってくる。もどかしい。触って欲しいけど、もっと深いところに触れて欲しい。

「ユウタぁ…♪」
「…ああ」

アタシを撫でていた手を止め、ユウタは服を脱ぎ捨てた。月明かりに照らされたのは細くてもしっかりと筋肉のついた四肢と逞しい身体。普段着込んでいる様子からは予想ができないほどしっかりていて男らしい姿。
そして、天をさす男性の象徴。我慢するようにびくびくと震えて先端からは透明な汁が漏れている。それをユウタは掴み、そっとアタシにあてがってきた。

「んっ…♪」
「痛かったら言えよ?すぐ止めるからな」
「や…止めないで…大丈夫だから、ね…♪」

くっついた熱くて硬い塊が徐々にアタシの中に入ってくる。入口で何かが避けた感覚があった。息が詰まりそうな圧迫感と火花が散りそうなほど壮絶な気持ちよさとともにユウタが入ってくるのがわかる。それはすぐさまアタシの中を埋め尽くし、一番奥まで届いてしまった。

「…っぁあ…♪」
「入った、ぞ…」

ユウタの言葉に下半身を見ると言ったとおりアタシの中にユウタが全て入っていた。よく集中してみればわずかな痛みとじわじわと頭を真っ白に染める快楽と、力強く脈打つ熱いものを感じられる。

「痛むか?」

心配そうにアタシの顔を覗き込んでくるユウタ。優しい瞳が、柔らかな声色が、全てアタシに向けられてる。それだけじゃなくてアタシ達は今繋がってる。誰よりも深く、そして密に。
精霊と契約者としてではなく、女と男として。
その事実が言葉にできないくらいに嬉しい。

「だい、じょうぶ…♪アタシは、ぜんぜん…平気だよ♪だから、いっぱい…動いて♪」
「…」

小さく頷いたユウタはアタシの額に口づけを落とす。優しく気遣ってくれる彼にまた胸の奥が温かくなった。
ゆっくりと腰を動かして狭いアタシの中をえぐるようにグラインドさせた。呼吸が止まりそうになるほどの快感が体を駆け巡る。我慢しようと思って強く閉じた唇の隙間から喘ぎ声が漏れだした。

「あっ♪や、ん♪」
「辛かったら言えよ?」

そう言ったユウタはアタシの体に口づけた。額に、頬に、首筋に、肩に、胸に。愛するように唇が撫でる度にアタシの体はすくみあがった。膣内がうねり蠢いてユウタに張り付く。
あくまでアタシに無理させないようにゆっくりと腰を動かしてほぐすように抜き差しを始めた。卑猥な音を響かせながら何度も何度もアタシの中を往復する。

「ん、ぁ♪や♪ふぁぁあああ♪」

徐々に激しくなっていく動きに悲鳴のような喘ぎ声が漏れる。抑えようにもあまりの気持ちよさに力がまったく入らない。
意識が、理性が、ユウタの熱に沈み溺れ、何もかもがわからないくらいにユウタの色に染まっていく。もっと沈みたい、もっと染まりたい、全てをユウタのものにして欲しい。精霊として、一人の女の子としてそう思った。
一番奥を突かれると体がびくりと震えた。それだけではなくて目の前で火花が散るような感覚に襲われ、膣壁が一気に収縮する。

「…っ大丈夫か?」
「うん…うんっ♪ユウタのが、すごく気持ちいいよっ♪ユウタの入ってるとこ全部、いいよぉ♪」

中を何度も引っ掻かれ痺れるような感覚が下腹部から沸き起こる。目の前がクラクラして何がなんだかわからなくなるほどだった。
絡みついた肉壁をゆっくり引き剥がすように腰が動かされ、抜けるギリギリまで引いたら一気に奥まで突き刺される。何度も何度も奥を叩かれるたびに走る感覚は今まで感じたことがないくらい凄絶で、筆舌し難いものだった。

「あぁっ♪んひゅっ♪やっ、はげし、んんっ♪」

アタシの中はユウタから精を、契約者の証を絞り出そうとうねる。体が動き、射精を促すように自然と動く姿は他の魔物同様に好色で、淫らで自分の姿とは思えない。
それでもこの気持ち良さは嘘じゃない。大切な部分を繋げて得られる快楽は確かなもの。契約というのがこれほどの快感を生むなんて今まで知るわけがなかったし、夫を持つ魔物が好色になるのも頷ける。
これでお腹の中に出されたら…どれくらい気持ちがいいのかな。
快楽への期待と純粋な興味と、好きな男性の証を欲しいと求める感情からアタシの中はまたきゅっと締め付けた。

「くっ…!」

小さなうめき声がユウタの唇から漏れ出した。それと同時に膣内でびくりと跳ねてアタシを刺激する。その動きが彼の限界が近いということを示すのを体は理解していた。
理解して、アタシはユウタに抱きついた。絶対に離さないように手を、足を、膣までも使ってぎゅっとしがみつく。

「お、おい…っ!」
「や、ぁ…離しちゃ、やだぁ…っ♪」

快楽に背筋が反り返りながらも四肢を使って彼の体を捕まえて離さない。中を擦られるたびに瞼の裏で火花が散り、脱力してしまいそうになりながらも必死に体を寄せた。互いの肌に滲んだ汗が、粘膜が交じり合った濃厚な匂いがさらに興奮を掻き立てる。

「いっぱい…いっぱい中に出してよぉ♪せーえき、だ、して…♪」
「…ああもうっ!」

中でユウタの先端が大きく膨れ上がった。それだけではなく信じられないくらいに硬度が増していく。辛そうな、それでも苦しんでるわけじゃない表情を浮かべつつも腰の動きはさらに加速していった。
アタシはユウタを抱きしめて、ユウタはアタシを抱き寄せて、互いに体を痙攣させ絶頂に押し上げられる。漏れ出す証を一滴も逃さないようにきつくきつく抱きしめると沸騰したような体液がぶちまけられた。

「ふぁぁあああああああああっ♪……お腹、あったかいのがいっぱい…♪」

そっと撫でるだけでもわかる、体の内側に流れ込んだユウタの精液はじんわりと体全体へと広がっては染み渡っていく。激しかったのに優しくて、熱かったのに甘くって、アタシの全てを満たしてくれる。
行為の余韻を示すように体の痙攣が収まらない。快楽の波は先ほどよりも小さいものだけどそれでもアタシは射精の感覚に何度も何度も果てていた。たった一度肌を重ねただけだというのになんて淫らになってしまったのだろう。それでも後悔はしなかった。むしろやっと繋がりあえたことが嬉しかった。

「…大丈夫だったか?」
「んん♪へいき、だよぉ♪」
「そっか」

乱れた髪の毛を整えるようにそっとアタシの頭を撫でていく。大きくても柔らかく、だけど力強いユウタの手。撫でられる感触は先ほどのとは比べ物にならないくらい弱いもの。だけどやっぱりこうして優しく撫でられるのもアタシは大好きだ。
ユウタに比べると小さく儚い両手を伸ばし、彼の後頭部へとまわす。そしてそのままアタシはキスをした。

「ちゅっ♪」
「んむっ」

一瞬驚きながらも受け入れるように口づけを交わしてくれる。甘い甘いお菓子みたいな味とぞくぞく背筋をのぼる快感を楽しむ。音を立てて吸い付いては唾液を交換するように舌を絡め、小さな舌を精一杯伸ばして彼の舌と擦り合わせる。にちゃにちゃといやらしい音が今度は口から響いた。

「ん、む…ちゅ♪……えへへ、ユウタぁ♪」
「ん?どうした?」
「もっと、しよ♪いっぱいいっぱい…せーえきでお腹がいっぱいになるくらいして♪」
「…まったく」

いつものように苦笑を浮かべため息混じりにそう言ったユウタはアタシの額に口づけを落とし、未だに硬さを保ったままのものを再び動かし始めた。















「…ユウ、タ…」
「ん?」

窓から差し込む月明かりのみに照らされた部屋の中。小さく呼ばれた声に脱ぎ捨てた寝巻きに手をかけたまま振り返る。視線の先にはオレのベッドで眠る小さくて幼い一人の少女の姿があった。
一糸まとわぬ姿で晒された鮮やかな緑色の肌で整った顔立ちに妖精のように尖った耳が特徴的。体に浮き出た唐草のような模様。華奢な四肢は年相応で細くてどこか儚さも感じさせる。オレよりも年下で、そして美少女という言葉があう女の子。だけどそれは誰がどう見ても人間ではない姿。
彼女は今現在オレとともにこの家に住んでいる風の精霊ラファー。
オレは寝巻きを手にしたまま音を立てずに彼女の傍に忍び寄る。顔を寄せて様子を伺ってみるが起きている様子はない。

「…寝ぼけてんのか」

ベッドに腰掛けてラファーの顔を覗き込んだ。安らかな寝顔を浮かべる姿からして相当深い眠りについているのだろう。しばらく起きる気配はない。もっとも、あんなことをした後なのだから疲れてしまっているんだろうけど。
そっとラファーの頬を指で押す。柔らかく瑞々しい肌の感触が指先から伝わってきた。

「…ふ、みゅ」

少しつついてやるもやはり起きそうにない。鬱陶しそうに眉をひそめるラファーを見てオレは笑みを浮かべながら今度は優しく撫でてやる。

「…ん」

すると今度は寝ながらも嬉しそうに笑みを浮かべる。そのまま撫で続けながらオレはラファーを見つめた。
キスぐらいで留めておくハズだったのに気づけば体まで重ねる始末。自分自身の不甲斐なさとラファーの積極さに頭が痛い。
最近の女の子というのは皆こうなのか。いや、精霊だからこそここまで積極的なのか。それとも魔物と呼ばれるあの女性達皆がそうなのか。未だにオレにはよくわからない。

「…と」

オレが寝るはずのベッドでラファーが眠ってしまった以上、オレは別のところで寝ないといけない。一人用のベッドは彼女くらいの背丈ならなんとか二人並べるだろうが寝返りをうつにはやはり狭い。ならリビングのソファにでも寝転がるか。
部屋を出ていこうとベッドから立ち上がろうとしたその時。

「ん…」
「…?」

寝巻きの裾を引かれた。見てみれば引いているのは細い、緑色の肌をした手。

「…ラファー?」

寝巻きを引っ張る彼女の名を呼んでみるも反応はない。起きているわけじゃないなら無意識に手が出てしまったということか。だけど眠っているのだから当然力は入っておらず振りほどこうとすれば楽にできる。
でも。

「…まったく」

まるで甘えるような仕草にオレは小さくため息をついた。無意識にでもこんなことされたら離れられるわけがない。無理やりやろうものなら壊してしまいそうな、そんな儚さが感じられる。

「…仕方ないな」

頬を掻いてオレは静かにラファーの隣に寝転がった。幼く、そして安らかな寝顔が間近に見える。

「…」

自由奔放のじゃじゃ馬娘。それだけど寂しがり屋で甘えん坊。そんな風の精霊の肩を撫でると一度寒そうに震えてオレに擦り寄ってきた。また彼女の名を呼ぶもやはり起きている気配はない。

「…おやすみ、ラファー」

寒くないようにシーツを引き上げ、オレもラファーと同じように眠りについた。



―HAPPY END―
13/01/27 20:53更新 / ノワール・B・シュヴァルツ

■作者メッセージ
ということで今回はシルフ編でした
自由奔放でじゃじゃ馬で、それでも甘えん坊な風の精霊ラファー
そして今回はお兄さん的な姿の彼でした
街中でお仕置きも厭わない、悪い子には容赦なしの姿は恐ろしいですねw

ここまで読んで下さった皆様、ありがとうございます!
それではまた次回、よろしくお願いします!

TOP | 感想 | RSS | メール登録

まろやか投稿小説ぐれーと Ver2.33