連載小説
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変化のお話
「で、結局今のは……」
「そ、そうだよ! 私はノフィの事が好きだよ! もちろん男女の仲としてね! 私の番になってほしいと思ってるよ! 悪い? 文句ある!?」
「えっも、文句はねえけど……」

それは、勢い任せに告白し、ノフィと恋人の関係になった日。

「いやその……俺も……」
「何?」
「俺も……実を言うとリムの事が好きだ。もちろん女としてな……だからその……うわっ!?」

この日の事は今思い出しても恥ずかしく、毎度悶えてしまうが、同時に一生忘れられない思い出だ。

「ちょっ何を……んんっ!?」

勢い任せに強引に与えた、私のファーストキス。
あれから何度も、私達はキスをしてきては、時々からかわれたりもした。

「ぷは……今日はキスだけで勘弁してあげる! とっとと元気になって今度はデートに連れてってよね!」
「あ、ああ……」
「それじゃあ家族の人達呼んでくるから! 恋人になった事もその時に言ってもらうからね!!」
「え、ああ、うん……」

約束通り、次の休みの日には一緒にデートをした。
いつもの山だったけど、そこにあった花を束にしてプレゼントしてくれた。私は嬉しくてまたキスをした。
その後も何度もデートをした。いろんなところへ、時には遠くまで一緒にお出掛けした。



ただ、その先へは未だに踏み込んではいなかった……



====================



「いやったあっ!!」
「よっと! まだまだ余裕に避けられるよ!」
「むっ……ならこれはどうだ!」

いつも通りの朝、診療所が開くよりも前の、太陽が昇り始めたぐらいの時間。

「はああっ!!」
「うわっ! ちょっと掠った……」
「まだまだ!」
「おっと! ならこっちも!」

私は現在、休暇で村に帰ってきていたアルモちゃんの稽古に付き合い、村の中にある空き地で手合わせをしていた。
実践訓練という事で、私はアルモちゃんが振う木刀をワーウルフの運動能力をフルに使って紙一重でかわしていたが、調子が良くなってきたのかだんだんと掠めるようになってきた。
このままだと直撃する可能性もある……という事で、私は自分の手足を使い剣を弾き、反撃を試みる。

「えいっとおっ!」
「くっ、一発一発が重い……!」
「ほらほら、もっと腰を入れないとふっ飛ばされちゃうよ! 私なんてワーウルフの中でもまだそこまで力が無いほうなんだから!」
「ぐっ、このおっ!」

フェイントを混ぜつつ、アルモちゃんに反撃の隙を与えないよう果敢に攻めていく。
教団の騎士になるという事は、魔物を相手する事もあるだろう。私自身が魔物なので魔物が人間を殺すことはまずない事はよくわかっているが、それでも人間を同じ魔物にしようと襲う事はあると断言できる。
その時、アルモちゃん自身がそれを防ぐ事ができるように、私が実践に近い形で襲ってみている。戦った事など無いのでほとんど本能に合わせて身体を動かしているだけだが、わりといい訓練にはなっているらしい。

「はああっ!!」
「よっと。それっ!」
「うわっ!」

苦し紛れに大きく振りかぶったアルモちゃんの隙をついて、私は足払いをして転ばせる。
不意を突かれたアルモちゃんはそのまま仰向けに倒れたので、私はその上に乗っかり爪を顔に押し当てる。

「はい、これでアルモちゃんはワーウルフになっちゃいました。ちょっと追い詰められたら力んで大ぶりになっちゃうのは良くないよ。隙だらけで簡単にひっくり返せるもん」
「むぅ……教官にも言われるからわかってるけど、癖になってて中々直らないのよね……」
「他にもあるよ。2,3か所を素早く狙われると慌てちゃって対応が追いつかなくなってるとかね。フェイントには強くても、慌てたら普通の攻撃にも対応できなくなっちゃうんじゃ意味無いよ」
「あぐぅ……返す言葉もない……」

私の爪は相変わらず鑢で丸めてあるので問題無いが、これがもし他のワーウルフならアルモちゃんはめでたく私の仲間入りだ。まあ本気でそうするつもりはないし、もしするのであればこの体勢から噛めば一発だ。

「よいしょっと。でも動きは結構様になってきたんじゃないかな? まだ身体能力が高い獣人型やヴァルキリーとか戦士タイプの魔物には敵わないだろうけど、ただの悪い人には負けないと思うよ」
「負かされた相手に言われても虚しいだけだよ……まだまだ課題が多い事もわかったし、訓練に付き合ってくれてありがとうねリムちゃん」
「どういたしまして。私でよければいつでも付き合うよ。もちろん開業時間までだけどね」

一通り気になったところを告げ、私はアルモちゃんの上から飛び降りる。
この訓練は太陽がまだなく、うっすらと明るくなった時間から始めていたが、今や5分の4は丸い太陽が山から出てきていた。
開業時間まではまだ時間があるが、朝ご飯の時間はもうすぐだ。お腹も空いてきたので、訓練を終わらせて家に帰ろうとした。

「お、リムとアルモじゃないか。二人ともこんな時間からどうしたんだ?」
「あっノフィ!!」
「おっと!」
「おはようノフィ君。リムちゃんには私の早朝訓練手伝ってもらっていたのよ」

そうしようとしたところで、農作業中だったのか麦わら帽子を被って鋏を持っていたノフィが道の向こうから現れた。
身体を動かしてちょっと興奮状態だった私は、思わずノフィに跳び付いた。

「ノフィ汗くさーい」
「そりゃあさっきまで畑で作業していたからな。ちょっと今年は不作で、枯れてとかはないんだがなんだか奇形な物が多くてな。うちの肥料にするにも限界があったからちと山奥まで捨てに行ってたんだよ」
「なるほどね。この時期こんな時間に現れるなんて珍しいから、てっきりリムちゃんに会いに来たのかと思ったよ」
「ただの偶然だよ。ここにリムとアルモが居るとは思ってなかったし……というかくっつき過ぎだリム!」
「やーん。もっとノフィを感じたいのー!」

ノフィに抱きついていたら、照れくさいのか汗臭いのを気にしているのか、私を引き剥がそうとしてくるノフィ。
私はイヤイヤと抵抗して抱きしめる。恋人同士なんだから遠慮はいらない。

「まったく……相変わらずアツアツなんだから……見せつけないでよね!」
「お、俺は何もやってねえ! いいから離れろリム! また後でいっぱい抱きしめてやるから!」
「本当? じゃあ仕方ないか」

しかし、また後でいっぱい抱きしめてやるからと言われたので、仕方なくノフィから離れた。
どちらにせよ、アルモちゃんが羨ましそうな、それでいてつまらなそうな顔でこちらを見ていたのでやめた方が良いだろう。

「はぁ……やっぱこういうのを見ると魔物は人を殺し喰らう凶悪な化け物っていうのが教団の嘘っていう事がよくわかるね」
「やっぱりそうやって教えてもらってるの?」
「まあね。実際そっちのほうが迷いは少ないからね。肉欲まみれだなんて言われても、それだけの相手を斬れる気はしないよ。それに、その真実を知った人が魔物に手篭めにされているんだろうし、一概にそう教えている事は悪いとは言えないよ。とはいえ、魔物は人を殺し喰らうなんて教えてる事自体、私としては馬鹿らしいと思ってるけどね」
「それでもお前は魔物を倒す騎士を目指すんだな」
「まあね。私もリーパ様のように魔物は全員悪だとは思ってないけど、それでも全く害がないわけじゃないからね。魔物化もそうだし、リムちゃんだって発情期の時は暴れ回るそうじゃない」
「んーまあ……少なくとも人には喋らないほうが良い事はしてるし、相当淫らな妄想はしているよ」
「という事。魔物とか人間とか関係無しに私は迷惑を掛ける者を成敗したいだけ。その為に力を付けているだけよ。わかった?」
「おう。そういう事ならいいや」

そのまま3人で雑談を続ける。
アルモちゃんも色々と苦労をしているようだ。私の事は口に出していないみたいだが、それでもたまに魔物を庇うような発言をしてしまい、ちょっと周りからは疎まれていると愚痴っていた事もある。
それでも持ち前の性格や、劣等生というわけではない事から孤立はしていないそうだ。養成学校の方の友達の話もよく聞く。

「それにしてもあんた達本当に仲が良いよね。お母さんから聞いたけど、よくあちこちにデートしてるそうじゃない」
「まあ俺は農家だが、診療所が休みの日は気を遣ってくれてるのか弟達が任せろって言って俺のやる事がほとんどなくなるからな。それに収穫期が過ぎたら少しは暇になるし、いうて四六時中畑に居るわけじゃないからな。しようと思えばいつでもデートできるってもんだ」
「いっぱいいろんな場所にデートしたよ。人化の術をマスターしてから反魔物領でも行けるようになったからね。山とか隣の街とか、あとお得意様の御好意で海にも行ったよ!」
「あっそう……あー羨ましいな。海もそうだけど、想い人と結ばれててイチャイチャできるって言うのはやっぱり羨ましいよ」

たしかに、最近は週1回ノフィと二人でどこかに出掛けている。
あまり周りに何かあるわけではないので大体はハイキングになるが、一回だけパンさんの御好意で海まで連れて行ってもらえた事がある。
砂浜を駆け回ったり砂のお城を建てたり、ノフィが泳げないから水を掛け合ったりして楽しかったが、一番覚えているのは綺麗に輝く夕日を背景に、ちょっと塩辛い接吻をした事だろう。
あまりにもいい雰囲気だったので、途中でメロウが覗いている事に気付かなければそのまま押し倒していた可能性もある。皆の前じゃないのでシてもすぐにはバレないだろうけど、ハマりそうで怖いので、今のところは例え二人きりでもキスで止まっている。

「そうは言っても、結局私達は普通に子供を作る事を許されてないもん……そこは寂しいかな」
「それは……まあ、村の人間として言わせてもらうと、インキュバスが増えるのも、もう一人ワーウルフが増えるのも、主神様を崇める身としては勘弁してほしいってところかな。リムちゃんはわかってるからいいけど、小さな子供が人間をワーウルフにしちゃダメだって注意しても、我慢できない可能性は否定できないからね」
「わふぅ……」
「……」

それもこれも、この村が反魔物領だからである。
反魔物領で魔物が増える事はよろしくないのはわかるが、それでも私は全然納得できないものだ。
かと言ってノフィを無理に押し倒しても、それはそれでお婆ちゃんを始めいろんな人に迷惑になる。だから今は大人しくしている。
でもきっと、いつか我慢ができなくなる日が来るだろう。私が魔物である限り、恋人の精の匂いは我慢し続けられる代物ではないのだから。

「まあ俺達の事はここまでにして、アルモはどうなんだよ?」
「どうって何が?」
「そりゃあもちろん恋のお話だよ。ガネンの事好きなんでしょ?」
「……はえっ!? なんで二人とも知ってるの!?」

これ以上ノフィとの子作りの事を考えていると、我慢できなくなるといけないから話を変える。
私達の話をしたのだから、今度はアルモちゃんの話だ。
同じ街の学術機関に通っているガネンの事が好きだという情報を入手してあったので確かめてみたところ、どうやら本当の事らしい。

「私がガネン君の事が好きなのを知っているのは4人だけ……さては!」
「大体わかってると思いますがわたしが言いました」
「あ、ネムちゃん」
「やっぱりネムか! 他の人には内緒だって言ったでしょ!」
「別にリムちゃんとノフィ君には良いかと。それにわたしもガネン君が好きだって事も言ってあるので不公平ではありませんし」
「むぅ……ならいいけど……」
「いいのかよ」

慌てているアルモちゃん。そこへ、この情報の源であるネムちゃんがやってきてカミングアウトした。
二人ともガネンという一人の男の子の事が好きになってしまった。数年前からお互いやけに冷たいなと思っていたが、それは恋のライバルだったからみたいだ。

「つーか好きならどっちも告白しちまえよ。どうせ今のガネンに恋愛なんて考えてる余裕もないから好きな人もいないだろうし。あいつの事だから即決はできないだろうけどな」
「もちろんできたらしています。でもわたしは聖職者。うかつに恋愛なんてして良い立場じゃありません。これは本来ならば持ち合わせるべきではない感情です。親しい友人であるからこそ、私は貴方達にだけこうしてお話したのです」
「私は抜け駆けなんてしたくないからね。ネムがこんな感じなら、私から告白する事もない」
「面倒だなぁ……ネムちゃんもそんな事気にしなければいいのに。恋愛しなきゃ子供もできないし、恋愛してない人間が愛を唱えたってちゃんちゃらおかしいよ」
「そういう魔物的な短絡思考だけで考えないで下さい。平等でなければいけない立場で誰かを特別視する恋愛はご法度です。身も純潔でなければなりませんしね」

私はそんな事気にしなくても良いのにと思うが、ネムちゃんはシスターだからガネンに告白できないようだ。
そして、アルモちゃんも騎士を目指しているからか抜け駆けは良くないと告白する気はないらしい。
好きならばすぐにでも告白してしまえばいいのに。二人は人間でガネンも人間なんだから子作りしても何も問題無いんだし、悩む事もないのだから。最悪二人で仲良く押し倒してしまえば良い。
まあ……この考えがネムちゃんが言うところの魔物的な短絡思考なのだろう。でも、正直二人とも、特にネムちゃんは難しく考え過ぎだと私は思う。

「それなのにリーパ様達ときたら……」
「ん? リーパ様達がどうかしたのか?」
「いえちょっとですね……」

ただ、そんなネムちゃんは今現在別の悩みを抱えているようだ。

「何やら最近リーパ様と神父様の様子がおかしいのですよ。やけに二人見つめ合っている時間が多いなと思っていたら、最近はリーパ様の部屋に籠って二人こっそりと何かしている様子ですし……どうも嫌な予感がします」
「あれ? もしかしてデキちゃってる感じ?」
「それに二人して部屋に籠っているとか……きっと性行為だろうな。羨ましいなぁ……」
「楽しそうだったり羨ましそうだったりしないでください。一介の神父様が天使様と恋愛など、ましてや如何わしい事をするなど言語道断です!」

どうやらリーパさんと神父さんが何やら怪しい関係らしい。二人はお似合いだなと思っていたし、とうとう相思相愛にでもなったのだろう。
部屋でこっそりと何かしているというのも、おそらく性行為だろう。私はこっそりとヤるのも難しいのにシているなんてズルい。
まあ……冷静に考えたら全部私の想像でしかないが。ネムちゃんには言えないまた別の何かをやっているだけかもしれないので、あまり羨ましがるのは良くないだろう。

「今日も朝から二人とも御祈りもせずにこっそり何かしていますし……神に謝罪したら全く気にしない、むしろ喜ばしい事だとお許しになられたから良いものの、しっかりとしてもらいたいものです」
「ん? 神様の声聞けるようになったの?」
「ええ。数年前からおぼろげながらには聞こえていましたが、つい先日からはハッキリと。私の祈りがようやく成果を上げたようです」
「へぇ……じゃあネムはシスターとして大きく成長してるんだな……」
「何よその眼は……私だって騎士として絶賛成長中なんだからね!」

神の声が聞こえるネムちゃん……だったら私の集落を滅ぼすように人間に命令した事を責めておいてって言いたくなったけど、止めておく。そんな事言わせたらきっと神はネムちゃんを見捨てる。そんな気がしたからだ。
神は魔物に冷たいので、どうせ私が考えている事も鼻で笑っているのだろう。リーパ様達は神が全てを滅ぼせだなんて言うはずがないとは言うが、魔物嫌いの神である事や、まかりなりにも集落を滅ぼした連中は神の名の下にと言ったので、私は神を好きにはなれない。

「あれ? そういえばなんでネムがここにいるんだ?」
「神はお許しになると言いましても、なんだか怪しいお二人の事を考えていると頭が痛くなりましたからね……気分を入れ替える為に散歩をしていたのですよ。そうしたら3人がここにいたので来たのです」
「なるほどね。こうして約束もせずにここまで集まるなんて珍しいよね」
「だな。ここまで集まったのならガネンも現れたりしてな!」

たしかに、普段教会で神に仕えているネムちゃんが朝早いとはいえ、村の空き地にいるなんておかしな話だ。
という事で訳を聞いてみたところ、どうやら気分転換のお散歩だったらしい。私もたまに無性にお散歩がしたくなる時があるので、それなら何もおかしくはない。
しかし、こうして偶然にもいつもの5人のうち4人が集まったのだ。ノフィの言う通り、なんだかガネンも現れそうだ。

「ん? 誰か僕を呼んだかい?」
「うわっ!? 本当に現れやがった!」
「あ、ガネン! こんな朝早くどうしたの?」
「なんだか目が覚めちゃってね。勉強してても良かったけど、長期休暇中でもたまには身体を動かした方が良いかなと思って朝食前にランニングしてたんだ。そしたら何故か皆が居たから来たんだよ」

なんて思っていたら、朝早く目が覚めてしまいランニングをしていたらしいガネンが現れた。
会う約束もしていなかったのに5人揃うなんて珍しい。というか、そもそも5人がこうして集まったのも随分と久しぶりだった。

「や、やあガネン君。おはよう」
「おはようございますガネン君。ご機嫌いかがですか?」
「おはよう……って、二人ともなんで顔を背けてるの?」

突然好きな人が現れたからか、アルモちゃんとネムちゃんは少し顔を赤らめ、ガネンを直視できないでいた。

「それは二人ともガネンの事ぐみゅっ!?」
「な、なんでもないなんでもない。ねえネム!」
「そ、そうです。なんでもありませんよ。ねえアルモ!」
「そう? なんでもないなら別にいいけど、リムが苦しそうだよ」
「むー!!」
「「あっ」」

顔を背けたのは二人ともガネンの事が好きだからだよって言おうとしたら、その二人にギュッと口を塞がれた。
言うなという事はわかったが、鼻ごと抑えられているので息が苦しいから離してほしい。

「ごめんリムちゃん」
「ぷはぁ……一瞬死んだお父さんが手招きしているのが見えた……」
「何アホな事やってんだよお前ら……」
「あははっ! まあでも、こうして大人になっても馬鹿な事をやり合える仲ってのも良い事じゃない? 最近勉強のせいでちょっと溜まってたストレスが抜けた気がするよ」
「それは良かったですね」

ようやく手を離してくれたので、私はめいっぱい呼吸をした。
尻尾でぺちぺちと叩いても気付かれなかったので、ガネンが指摘しなければどうなっていた事やら。
その様子が面白かったのか、ガネンが笑った。少しムッときたが、そのおかげでストレスが解消できたのならば良しとしよう。

「最近あっちの街で見掛けてもなんかイライラしてる事多かったもんね。ちゃんと息抜きはしないと」
「そうだよガネン。ストレスが溜まり過ぎて倒れたり、最悪脳の血管がぷっつんしちゃうことだってあるんだからさ。そこまで行くとユニコーンの魔術ですら治せるかわからないし、ストレスは溜めちゃダメだよ」
「そうそう。という事でさ、久々にあの山の頂上まで競争しようぜ!」
『どうしてそうなる!!』
「ちょ、全員で否定かよぉ……リム〜お前はわかってくれるよな?」
「わからない。だってご飯前でお腹空いてるし。空腹時の激しい運動もダメだよ」
「そんな〜」
「……ぷっあはははっ! 自分の恋人にすら否定されてちゃ世話ないよ!」
「なんだとコラ! じゃあガネン、リム相手に地獄のランニングでも始めるか? 追いつかれたら意外と硬くて痛い肉球でぶん殴られる地獄のランニングを!」
「そ、それだけは勘弁を……」
「あははははは!」

私達は大人になって、それぞれ子供の頃から少なからず変わっていった。
子供の頃から中身がほとんど変わっていないノフィだって、私の恋人になったし、身体だって随分大きくなった。
他の皆だって外見はもちろんの事、中身も大きく変わった。それは私だってそうだった。
それでも、こうして仲良くずっと変わらずに笑い合える。それは、幸せな事なのかもしれないと思ったのであった。



……………………



「んしょ……よいしょ……できた!」
「ん〜……うん。きちんとできてるね。薬作りも随分上手くなったね」
「へへ……スノア兄ちゃんの教え方が上手いからだよ」

皆と別れ、朝ご飯を食べて開業時間になった。
今私はスノア兄ちゃんと一緒に患者さん用の薬を作成している。
お婆ちゃんの診察結果から必要な物を処方する。言葉で言うのは簡単だが、少しでも薬品の量を間違えると全く別の薬になってしまう可能性もあるため、かなりの集中力を要する。

「それじゃあこれ渡してくるね!」
「うん。頼んだよ」

私はワーウルフにしては集中力はある方とはいえ、やはり薬を作る時はミスしないかと緊張する。
それに、刺激の強い薬草を使う場合は鼻がもげそうで困りものだ。かと言って全く使わないのは無理があるし、少しずつ慣れるようにはしているのだが……中々難しい。
それでも昔よりはかなり扱えるようになってきた。やっぱり慣れは大事である。

「お薬お持ちしました! 一日2回、朝夕飯前に飲んでくださいね!」
「はい。ありがとうリムちゃん。やっぱりスノアみたいなおっさんよりもリムちゃんみたいな可愛い子に渡された方が元気出るよ」
「えへへ、そうですか? でもスノア兄ちゃんはまだまだ若いと思いますよ?」
「そんな事ないさ。あいつだって俺と同い年なんだから立派におっさんだよ。もう30代後半だしな」
「まあ……年齢ならば確かに壮年、そして中年になってくる頃ですが……」
「でしょー?」

完成した薬を患者さんに渡す。ちょっと調合をミスしただけでとんでもない事になってしまう事もあるのが薬というものなので、渡すときは少し怖い。
それでも、長年薬を作っているスノア兄ちゃんにきちんとできていると言われたので、自信を持って堂々と笑顔で渡すのだ。

「医者だからかルネ先生はかなり長生きしてるけど、それでもそう長くない。まだまだ死なないにしても、引退ぐらいはしちゃうだろうし……そうするとこの診療所もおっさんのスノアだけになっちゃうんだよなぁ……」
「んー……でもお婆ちゃんまだまだ元気ですからね。引退も考えてないと思いますよ。それに私が居るじゃないですか!」
「そうだけど……リムちゃんってもう少ししたらこの村から一時的とはいえ数年居なくなっちゃうんでしょ? そうすると診療所に行く気力が半減しちゃうというか……」
「もう……ちょっと嬉しいですけど、きちんと怪我や病気になったら来て下さいね!」
「うん。その笑顔を見にいつでも行くよ」
「もー。上手い事言っても私はノフィの彼女から変わらないですからね!」

言われてみればお婆ちゃんはもうかなりの歳のはずだ。詳しい年齢は教えてくれないので知らないが、孫のスノア兄ちゃんがあと数年で40歳になる事を考えたらもうかなりの年齢だろう。
人間の寿命を考えたら、確かにお婆ちゃんはもう先が短い。
そう考えると、なんだか急に寂しくなってきた。

「お大事にー!」
「おや、今日は患者さん少ないのぉ」
「あ、お婆ちゃん。うん、さっきの人で最後だよ」

寂しくなったタイミングで、人がいなくなったからか診察室から出てきたお婆ちゃん。

「お婆ちゃん……」
「おっとっと。どうかしたのかいリムちゃん?」

寂しさを紛らわす為に、なんとなくお婆ちゃんに抱きついた。

「お婆ちゃんは……いつまで医者を続けられるの?」
「そうじゃのう……リムちゃんと一緒に医者として働きたいからまだまだ続けるつもりじゃよ」
「そっか……えへへ……」

さっきの話を聞いて、少しだけ不安に思った。お婆ちゃんももうすぐ死んじゃうんじゃないかって。
でも、私の頭を優しく撫でてくれるお婆ちゃんの手は力強い。
だからそんな不安は、すぐに拭い去られた。

「それにしてもお婆ちゃん、なんだか小さくなったね」
「そんな事はありゃあせん。リムちゃんが大きくなったんじゃよ」
「うん。だから、私から見たお婆ちゃんが小さくなったなって。ここに来たばかりの頃は、抱きついてもお婆ちゃんの腰当たりだったのに、今となってはほとんど耳の分ぐらいだけど私のほうが高いもんね」
「そうじゃのう。大きくなったなぁ……」

いつの間にか、私の顔の目の前にはお婆ちゃんの顔が来るようになっていた。
私はおそらくワーウルフの中でも小柄のほうだ。それに、実際アルモちゃんやネムちゃんよりも背が低いし胸もない……のは余計か。
それでも、同じくそこまで背が高くないお婆ちゃんとは肩が並ぶようになった。その分、お婆ちゃんが今までよりも小さくなったように感じる。

「さて、気を抜かずに頑張るかのぉ……」
「そうだね。頑張ろう!」

寂しさもどこかへ行ったので業務再開だ。
たとえ患者さんが居ないとはいえ、それは気を抜いて良いという事ではない。
何時ぞやのノフィのように急患が来る場合だってある。それに備えて準備をしようと動き始めた。

「ん? わあっ!」
「え……お婆ちゃん!?」

その瞬間、急にお婆ちゃんが奇声を発したと思ったら……ドスンと床に倒れた。

「どうしたのお婆ちゃん!?」
「いたた……大丈夫じゃよリムちゃん。ちょっと足が縺れて転んだだけじゃよ」
「そ、そうなの……?」

さっきまで不安に思っていた事もあって、お婆ちゃんが倒れた一瞬、心臓が止まったのではと思うぐらい身体に寒気が走った。
足が縺れてただ転んだだけだと言うが……私が知る限り、今までそんな事は一度もなかったので、どうにも不安が拭えない。
やはり年齢からくる身体能力の衰えが出ているのでは……そんな気がして、心配になる。

「なんか今ドスンって聞こえたけど……ってお婆ちゃん!?」
「あ、スノア兄ちゃん」
「心配せんでええよスノちゃん。ただ転んだだけじゃよ」

お婆ちゃんが倒れた音が聞こえていたようで、スノア兄ちゃんが慌てた様子で薬品庫から顔を出した。

「転んだ、ね……まあでも、一応大丈夫か見せてもらうよ」
「おわあっ!? ちょっとスノちゃん!」
「暴れないでお婆ちゃん」
「お婆ちゃん……」
「そんなに心配しなくても大丈夫だよリム。僕は奥でお婆ちゃんの検査をするから、リムは患者さんが来ないか見ていてね」
「あ、うん……」

状況を確認した後、そう言いながらお婆ちゃんを抱きかかえて診察室へと入っていったスノア兄ちゃん。
抱えられたお婆ちゃんも恥ずかしいのか顔を真っ赤にしながら暴れているので多分大丈夫だとは思うが、それでも少し心配だ。

「大丈夫、だよね……」

だが、患者さんが来ないか見ていてくれと言われたので、そっちはスノア兄ちゃんに任せる事にした。
とりあえず私は、診療所の前で患者さんが来るかどうかを見張る事にしたのであった。

「ん〜……ノフィ……とマック君かな?」

ちょっと離れた場所から鼻に掠めたノフィの匂い……と同時に、ノフィに近いけど違う者……おそらくちょっと歳の離れたノフィの弟の臭いを感じた。

「さっき言ったように私を抱きしめに来た……わけじゃなさそうだなぁ……」

遠くの方に二人の姿が見え始めたが、弟のマック君の様子がちょっとおかしい。
力無くノフィにもたれかかっている様子を見た感じ、風邪っぽい気がする。

「おーい、どうしたのー?」

お婆ちゃんに対しての不安が消えたわけではないが、今はマック君の診察及び看病が優先だ。
とりあえずどういった用件かを確認するために、向かってきているノフィの下に駆けて行ったのだった。



====================



「スノちゃん! 下ろして! 下ろしなさい!」
「はいはい。下ろしますよっと」

腕の中で暴れ続けるお婆ちゃんを、診察室のベッドの上に下ろす。
落としてしまって身体がぐちゃぐちゃになったらそれこそ大変なのでできれば大人しくしてもらいたかったのだが……まあ無事に運べたので良しとしよう。

「それじゃあちょっと足を見せてもらうね」
「むぅ……じゃから問題無いと言っておろうに……」
「だから念のためだって。お婆ちゃんに何かあったら、僕だけじゃなくてリムだって心配するんだからさ」
「……わかった……」

あまり自分の身体を見せたがらないお婆ちゃん。理由もわかっているし、それが僕の為である事も知っている。
だが、こっちももう立派な大人、それどころかおじさんだ。頭の中の整理なんて余裕でできるし、そんな事でお婆ちゃんに幻滅しない。

「んー……一応どこもおかしくはなってないみたいだね」
「だから言っておるじゃろ?」
「でもまあ念のためね。足伸ばすよ〜」

子供の頃から全く変わらない、お婆ちゃんの綺麗な足を診察する。
パッと見たところでは特におかしな様子はない。折れたりもしていないようだ。
見た目は特に問題なさそうなので、とりあえず足首や膝を伸ばしたり曲げてみたりと、屈伸させてみた。

「ん〜? お婆ちゃん……」
「気のせいじゃ。気のせいじゃのう……」
「まだ何も言ってないんだけど……」

足首も、そして膝もだが、やけに動きがぎこちない。というか硬い。
身体自体は不思議と柔らかいが、関節部分が曲げようとすると少し引っ掛かるような感じがするのだ。

「もう……いくらなんでもこれじゃ転ぶよ。膝や足首が上手く曲がらないならきちんと言ってよね」
「こ、これぐらい問題無いから……」
「大アリだから。もし今から大怪我を負った人が来て手術中に転んだらどうするの?」
「むぐ……」

関節が上手く曲がらないのであれば転んだっておかしくない。
人の命を受け持つ医者として、少しの不養生も見過ごしてはならないので、口を酸っぱくしてお婆ちゃんを叱る。
だが……

「仕方ないじゃろ……もうそろそろ30年にもなるんじゃ。流石に所々調子もおかしくなるのぉ……」
「お婆ちゃん……」

お婆ちゃんの言う事もわかる。身体の調子がおかしくなっている原因だってもちろんわかっている。
たしかにそろそろ僕は40歳だ。今のお婆ちゃんと家を出たのは10歳に満たない頃だったから、そろそろ30年になる。
そんなの、限界が近いに決まっている。

「だから僕がお婆ちゃんと……」
「何度も言わせるでない! スノちゃんは私にとって、お婆ちゃんにとって可愛い孫なんじゃ。そんな事しとうない……」
「……」

それでも、現状を良くする方法を提案しようとすると、お婆ちゃんは頑なに拒み続ける。
きっと本心はそうじゃない。本人はひたすら隠しているが、普段の行動からもそれはわかっている。
でも、この拒みは僕を想ってのものだ。
心配だからと無理矢理するのは、お婆ちゃんの想いを踏みにじる事になるので、やりたくない。

「じゃあせめてパンさんがくれた薬は飲んでおいてね。いつものじゃなくて栄養剤みたいなほうね」
「まあそうするしかないかのぅ……あれ、失敗して黒焦げになった料理よりも不味いからあまり飲みたくないんだがの……」
「じゃあこっちがいい?」
「それはもちろん……って、からかうんでない!」

代替品は一応あるので、それを飲んでおくように言っておく。
でも、それはパンさん曰く騙し騙しのものでしかないとの事。やっぱり、愛する人のものが一番なのだと。お婆ちゃんの場合、こっそりやっている事からしてもおそらく僕になるのだろう。
もちろん、自分だって抵抗はある。お婆ちゃんとそんな事をするなんて、僕でなくても抵抗を覚える人間が大半だろう。
でも、いざという時は……覚悟を決めるしかないだろう。

「スノア兄ちゃーん、お婆ちゃーん、患者さん来たー。マック君が風邪引いたみたいだってー!」
「おっと。どうやら患者さんが来たみたいだよ。早く飲んで業務を再開しよう」
「そうじゃのぉ」

リムの声が外から響いてきた。どうやらノフィ君の弟が風を引いてしまったらしい。
詳しい薬の調合はお婆ちゃんの診察待ちだが、風邪ならばある程度使う薬草は決まっているので、それの準備をする為に診察室を出る。
お婆ちゃんもリムの声を聞いて医者モードになったようだ。
きっちりと白衣を着直して、診察の用意をし始めたのであった。



====================



「うーん……」
「ノフィお兄ちゃんが頭抱えるなんて珍しいね。何か悩み事?」
「まあな……って、珍しいは余計だマック! 俺だって悩み事の一つや二つぐらい常にあるわ!」

マックが突然風邪を引いてから数日。
リム先生達の診察や薬のおかげで元気になったようで、自室で頭を抱えていた俺の下にニコニコしながらやってきた。

「僕でよければ聞いてあげるよ!」
「んー……まあ、じゃあちょっとだけ聞いてもらおうかな」
「いいよー!」

確かに大きな悩み事をいくつも抱えているし、誰かに相談したいと思っているところもある。
とはいえ、まだ7歳のマックにして良いような相談じゃないものもある。というか、他の3人の弟達やマックより下の妹、それどころか両親にだってしづらいものばかりだ。
なので断ろうと思ったが……折角弟がこうして相談に乗ってあげると言ってきたのだ。少しだけ、問題なさそうな物を聞いてもらう事にした。

「畑の事? それともリムお姉ちゃんの事?」
「どっちも……だけど、主にリムの事だな……」

悩みと言ってもいくつかある。その中でも大きいのは、もちろんリムの事である。

「リムお姉ちゃんがお医者さんになるために村をちょっと離れちゃう事?」
「ああ、まさにそれだ。やっぱり寂しいからな……」

それだけではないが、話せる中では一番の悩みは、リムがこの村を出て行く事についての悩みだ。

「ノフィお兄ちゃん、リムお姉ちゃんと仲が良いもんね。寂しくなるね」
「ああうん。そうなんだけどさ……」

リムが村から出て行くのは、自分の夢の為だ。
家の畑仕事を普通に継いだだけの俺とは違い、ルネ先生達と一緒に働くために、医者という凄い職に就くための勉強をしに行くのだ。
なので永遠に出て行くという事ではないが、聞いたところ少なくとも6年は遠くの街で生活する事になるらしい。
パンさんという、ルネ先生の所のお得意さんで転移魔術に長けた人のところで世話になるので、休暇中は帰ってこられるみたいだが……それでも、今は居て当たり前のリムが居ない期間は、流石に恋しく感じるだろう。
リムだって口には出していない……というか、あまり話題にしていないだけだが、おそらく俺と離れるのは寂しいと思っているだろう。普段からやたらべったりしてくるし、あながち俺の独りよがりな考えではないはずだ。
だから俺は……

「実は……リムと一緒に行くって考えもあるんだよ」
「えっそうなの?」

リムが村を出る時……リムと一緒に行くという考えも持っていた。
実際、この前パンさんに会った時、同じ部屋になるけどそれでもいいなら構わないとは言われた。照れくさいが、それなら離れ離れにならずに済む。

「じゃあお兄ちゃんも村を出て行くの?」
「そこなんだよなぁ……畑の事もあるし、それにマック達家族の顔を見れなくなるのも寂しいからなぁ……」

だが、それは俺自身もこの村から出て行くという事になる。
リムと一緒に行くという事は、いずれかは戻ってくるという事。だから、村を離れる事自体にはそこまで抵抗はない。
家族と毎日会えなくなるのも寂しいが……リムとあまり会えなくなる事を考えると、どっちとも言えなくなる。
だが、家の畑仕事を放棄する事になってしまうと話は別だ。
今家計を支えている畑仕事は俺が主に行っている。両親、特に親父はもう身体が弱ってきている歳だからそう無理はできない。一番歳の近い弟でもまだそこまでこなせる程力も知識も経験もない。
そんな中で主戦力である俺が抜けるのは……些か不安である。
それ以前に俺は長男だ。そう軽々と女に付いて行くなんて事はできない。あまりそういう事を気にしない家庭だとしても、だ。

「ん〜……僕としてはお兄ちゃんが居ないのはちょっと寂しいかな」
「だよな……まあ、リムが遠くに行くまでまだ半年はあるんだ。それまでには結論を出すさ」

どちらにせよ、しっかりと考えて答えを出すべきだろう。
今すぐ出て行くわけじゃないし、この問題はまだ考える時間もある。
焦って結論を出さず、いろんな人と相談しながら決めて行こうと思う。

「ん〜、やっぱ人に話すとちょっとすっきりするな。ありがとうなマック」
「へへーどういたしまして……って、どこか行くの?」
「ああ。他にも悩みはあるし、それにちょっと夜風に当たりたいから散歩してくる。マックも行くか?」
「ん〜……眠いからもう寝る。おやすみお兄ちゃん!」
「そうか。おやすみ」

この件についてはそれで良いが、まだまだ悩みは多い。
その中の一つなんて、場合によっては今すぐ決めないといけないようなものだ。
ただ、こればかりはこの村にいる人間に相談していいものでもない。ましてや幼い弟になんて口が裂けてもできない。
だから俺は、気分転換も兼ねて、身体を動かしながらのほうが色々と考えが纏まりそうだからと、既に日が落ちて真っ暗になった夜道を散歩しながら考える事にした。

「さーて、どうしたものかな……っと、なんか明るいな……」

外に出ると、もうかなり夜遅いのに思った以上に明るかった。
なんでだろうと空を見上げたら、そこには眩しく輝く大きな月が浮かんでいた。

「月か……」

朝早くから畑作業をするので、基本月が昇る頃には夢の世界へと行っている事が多いので、こうまじまじと星空や月を見るのは久しぶりだったりする。
基本が狼の魔物だからか、リムはよく月を眺めては綺麗だと思っているとは聞くが、なるほどたしかに綺麗だと思う。それでいて幻想的だ。

「……」

ゆっくりと、民家がある方角とは別方向へと歩き始めた俺。
こっちの方向には教会があるが……悩んでいる事からして、教会への相談はもちろん、近付く事も止めた方が良い気はする。
それでも、やはり悩み事をしながら散歩をするのなら、人が少ないほうへ歩いたほうが良いと思い、そのまま歩き続ける。

「性行為、か……」

悩み事の内容は、リムとの身体の関係についてだった。
倫理的な観点からしたら悩む必要もなく、子作りを明確にしていない交わりなど、ましてや魔物との性行為など言語道断だ。それは、この村で育ったから言われなくともわかる。
だが、リムは魔物である以前に、俺の恋人だ。恋人と命を育んで何が悪いのか、という気持ちもある。

「聞いた話だと、魔物は性交を積極的に行おうとするみたいなんだよなぁ……」

今までだって何度かしたいという話を本人から聞いている。この村でずっと暮らしていたいし、俺の事も大切だからしないと決意しているという事も併せてだが。
それに、パンさん曰く、魔物は人間の男性と交わるために襲いかかる本能を持っているらしい。ただ単純に愛を確かめるのもあるが、それ以上に子孫を残す為、今の魔物には人間の男性が不可欠だからとの事だ。
もちろんそれはリム自身もだろう。実際、発情期の時は俺を襲わないようにと絶対に近付かないようにしているし、近付くなとも言われているのだから。
特にワーウルフは人間の男性を見つけると強姦するような凶暴な気性を持つ魔物の一種らしいし、リムとはいえ理性が利かない発情期なんかに近付いたら即襲われ性交する事になるだろう。

「どうすっかな……」

そして俺は、リムとそういった行為に及ぶべきか悩んでいるわけだ。
いけない事だってのは充分わかっている。でも……寂しそうなリムの表情を見る度に、このままではいられないと思ってしまう。
子供というのは、その夫婦による愛の結晶だ。他の誰かを好きになる気はないし、俺だって将来はリムの恋人から夫になるだろう。それなのにその愛の結晶を結べないというのは、あまりにも酷い話だ。

「難しいよなぁ……」

とはいえ、やはり魔物とそういった事をするのはあまり喜ばれるものではない。そもそも魔物が恋人という事自体、相手がリムだからこそこの村では許されているようなものだ。
リムは既に村中が受け入れているから、俺達は恋人として過ごせているだけなのだ。
小さい頃、リムと絡み始めたばかりの頃こそ周りの大人に気をつけろとか危なくなったらすぐ逃げろとか、遠回しにリムは危険だと言われた事もあった。でも、リムがこの村に来てから10年以上経った今、誰もそんな事は言わないし、リムを邪険に扱ったりはしない。
そう、リムの事を危ないとか怖いと思っている人はいない。だが、魔物自体は恐ろしく、凶悪な者と思っている人が大半だ。
俺はリムと一緒に親魔物領へとデートに行った事があるから、魔物はそこまで怖い存在じゃないというのを目の当たりにしている。少し欲に素直なだけで、その性格はほぼ人間と同じだ。
まあ、鋭い爪や角が生えていただけならともかくやたら人を勘定するようなじっとりとした目で見てきたりとか「まだ身体を重ねてないの?」って瞳孔を細くして強く迫られたりするなど、ある意味では怖かったが。
だが、そうでない人には怖い存在には変わりない。魔物が増えるなんて堪ったものではないだろう。
それはわかるが……やはり、納得できるものではない。

「うーむ……」
「あれノフィ君。こんな時間にお散歩とは珍しいですね」
「ん? ああネム……か?」

頭を傾げながら道を歩いていると、ふと人影が足下に現れた。
顔をあげてみたら、そこにはネムが居た。教会も近いし、御祈りの時間でもないので外に居てもそこまでおかしくはない。
そう、居るだけならおかしくはないのだが……

「ネムか? って、わたしはわたしですよ?」
「あ、ああ……いや、なんか雰囲気がいつもと違うように見えたからさ……」
「気のせいですよ。ほら、今夜は月が大きくて夜にしては眩しいからじゃないですか?」
「い、いや……月のせい……なのかな?」
「そういう事ですよ……うふふ」

なんというか……この前の朝に見た時と違い、なんだか妖しい雰囲気を醸し出していた。
妙に明るい月のせいだとは言うが、普段そこまで月を見ないのでそう言われてもピンとこない。どう考えても、ネム自身がちょっと不思議な感じだった。
だが、何がおかしいかはハッキリとわからないので、とりあえずは気のせいだと思う事にした。

「そちらこそこんな夜に出歩くなんて珍しいじゃないですか。リムちゃんのところにでも行くのですか?」
「いや、そういうわけじゃねえよ。ちょっと悩み事があってな……考えが纏まるかなと思ってとりあえず気分転換も兼ねて散歩してたんだよ」
「なるほど、悩み事ですか。ならば教会で相談を受けましょうか?」
「いややめとく。リムとの事についてだしな」
「なるほど。でしたらシスターネムとしてではなく、長年の友人ネムとして、ここで立ち話として聞きましょうか」
「ああ、まあそれならいいか……いやな、最低6年も離れ離れってのはやっぱ寂しいけど、かといって付いて行くのもなぁと……畑仕事もあるしさ」
「そうですか……」

とりあえずネムに感じた違和感は置いておき、聞かれた事に正直に答える。
とはいえ、流石に性交云々の事は相談できないので、先程マックにもした、一緒に行くかどうかの考え事をしているという事を伝えた。

「悩んでいるのでしたら、一緒に行けばいいのではないでしょうか」
「いや、そんな簡単に言うなよ」

そうしたら、一緒に行けと即答されてしまった。

「簡単なお話ですよ。だって、ここ最近ずっと二人とも互いと離れ離れになるのは嫌だって顔をしていますもの」
「え? いやいやそんな事はないかと」
「まあ、自分達は気付いていないでしょう。ですが、リムちゃんが勉強をしに村を離れるという話題が出る度に、二人ともそんな顔を浮かべていますよ」
「……」

どうやら、リムだけではなく俺もそんな顔をしていたようだ。
たしかに、寂しいと思うところはある。自分ではそんなつもりはなかったのだが……他の3人の中では一番会うネムが言うのだから嘘ではないのだろう。

「愛し合う者同士が離れ離れになってしまうなど言語道断です。ずっと一緒に居てあげましょう」
「ああ……でも、畑仕事が……」
「弟達に任せれば良いじゃないですか。わたしの意見ではありますが、彼らだってノフィ君が考えているよりはしっかりしていますよ」
「そう……か?」
「ええそうです。それに、まだまだご両親だって元気じゃないですか。畑仕事のほうは大丈夫ですって」
「そう……なのか?」

だからか知らないが、やたらと一緒について行く事を勧めてくるネム。
畑仕事の方も心配だと言っても、大丈夫だ心配するなの一点張りだ。

「やっぱりお前ちょっとおかしくないか? そんな奴だったっけ?」
「どっちがいいかなんてわかり切っているのにいつまでもうじうじしているからこうしてハッキリと言ってあげているのです」
「あ、そう……」

やたら積極的に付いて行けと言うネムにやはり疑問を覚えつつも、そう言われてしまった俺。
そこまでうじうじとしていた気はないのだが……近くにいる奴に言われたのでそうだったのかもしれない。

「まあ畑仕事の不安が主力が居なくなるからという点は問題がないですよ。どうせもうすぐ不安も解消されると思いますしね」
「あん? どういう事だ?」
「気にしなくても良いですよ。いずれわかる事です。ところで、他に悩みは無いのですか?」
「えっ、ま、まあ……な、ないぞ」

そして、この悩みは解決した体で次の質問がないか聞いてきたネム。
パッと思い付いたのがよりにもよって性交するかどうかだったので、どうにか誤魔化そうとした。

「ノフィ君って嘘つくの下手ですよね」
「うっ……」
「それで、誤魔化すという事は言いにくい悩み事ですか?」
「ま、まあ……」

だがしかし、俺が嘘を付くのが苦手なせいか、一瞬で見破られてしまった。

「それで、どんな悩みなのですか?」
「えーっとそれは……」
「ではわたしから当ててみましょうか? ズバリ、リムちゃんとセックスするかどうかですね?」
「お、お前そんな真っ直ぐに言うなよ!」
「こういうのはわかりやすく申した方が良ろしいかなと。で、どうですか?」
「そ、そうだよ……」

それどころか、どんな悩みなのかも見抜かれていたようだ。

「ネムはなんでもお見通しなんだな」
「ええ、わかってますよ。リムちゃんだってわたしを聖職者と知ってか知らずかよくその事を愚痴ってますからね。リムちゃんにはとことん優しいノフィ君の事だから、きっとその事で悩んでいるだろうなと思ったのです」
「そっか。まあ、そういう事さ……そりゃあ魔物と身体を重ねるなんて良くないだろうさ。でも……リムは俺の恋人なんだ。そういう事を考えるのもわかってくれよ」

もちろん、シスターとしてネムは断固反対するだろう。そう思った俺は、先にわかってくれと自分の意見を言ったのだが……

「別にわからない事はありませんよ。その悩みは、愛する人の事を大事に思っているという事ですからね」
「え……ああ、まあな……」

まさかのわかりますという回答が得られ、こっちが戸惑ってしまった。

「頭ごなしに否定してくると思った……」
「しませんよ。たしかに、現在のこの村で魔物と身体を重ねる事は難しいと思います。ですが、恋人とより深い愛情を確かめるため、身体を重ねたいと思うのはごく普通の事ですからね」
「そうか普通か……ん?」

愛を確かめる為にそう考えるのはおかしくない……なるほど確かにそうかもしれない。そうでなければ子供などできないのだから。
だが……それがネムの口から出た事にもの凄い違和感を感じた。

「こう言うのも悪いが……お前、本当にネムか?」
「……何故そう思うのですか?」
「だって……ちょっと前まではそう言ったら「淫らな考えを持つなんて神への冒涜です!」とか言って怒ってたじゃねえか。今日はやたらリムとはいえ魔物と一緒になる事を勧めてくるし……なんかおかしいと思うさ」
「……そうですか……ふふふふ……」
「!?」

いつもと発言が違うだけでハッキリとした根拠はないが……目の前にいるネムが、ネムじゃないように感じた。
だからこそおかしい点を指摘してみたら……何故か、一気にネムの雰囲気が変わった。
急に顔に影が落ち……不気味な笑みを浮かべている。

「お前……いったい何者だ!」
「何者って……嫌ですわ。昔からノフィ君とずっと一緒にいたネムですよ。ただ、ここ数日の間にちょっと考え方が変わっただけですよ」
「考え方……?」
「ええ。リーパ様や神様のお話を聞いて、いかに自分が愛を知らない子供だったのかを思い知らされただけです。そうして生まれ変わる前のわたししか知らないので、おかしいと感じただけですよ」
「……」
「あまり信じてくれないみたいですね。ならば小さい頃のお話でもしましょうか? 肝試しの時大人達の前では強がっていたけど本当はおもらしした話とか、ノフィ君がリムちゃんとお話したいと思って毎日診療所まで行ってはその前でうろちょろするだけで結局中に入らず家に帰っては毎度ガネンやアルモやわたしや弟達に八つ当たりしていたお話とか……」
「わかったお前は正真正銘ネムだ認めるからもうやめろ」

そう、俺の恥ずかしい過去を知っているという事は、目の前のネムは間違いなく俺の知るネムなのだろう。
だが……やはり違和感は拭えない……
何かはわからないが、妙に引っ掛かる物があるのだ。

「そうそう、もう悩みがなければ今度はわたしの話を聞いてほしいのですが」
「ん? まあ……いいや。特に重要なのはその二つだしな」
「そうですか。では……」

引っ掛かるものを感じながらも、その正体が掴めないまま、今度はネムの話を聞く事になった。

「話って……何か悩みか? 神父様とリーパ様がこそこそと何かやっているっていう……」
「いえ、悩みではありません。それに、その悩みはもう解決しましたから」
「ふ〜ん……結局何だったんだ?」
「まあ、違う形で神への御祈りを捧げていただけでした。お二人だけの、大事な御祈りを……」
「へぇ〜……」

話というのは、どうやら悩み事の類ではないらしい。
少し前に言っていた神父様とリーパ様の事かと思っていたが、それはもう問題がないらしい。
まあ、正直あまりそこら辺の事情はわからないので相談されても困ったが。

「じゃあなんだよ」
「いえ、実はノフィ君に用事がありましてね。もう寝ているでしょうし明日にしようと考えていたのですが、こうして会ったのでぜひ聞いてもらおうかと」
「俺に用事? なんだ?」
「まあ、正確にはわたしではなく、更に言うとノフィ君に直接用事があるわけではないですけどね。夕方頃村にいらっしゃったお客様がリムちゃんに渡したいものがあるという事で来たのですが……」
「ですが……なんだ?」
「いえ、物も物ですし、それに直接行ったらあの方々はルネ先生に怒られてしまうかもと仰られていましたので、ノフィ君の手で渡した方がよろしいかと思いましてね」
「ふ〜ん……」

ではなんだと思ったら、どうやら俺伝いにリムへ渡したいものがある人がいるという事らしい。

「誰なんだよそいつ……、いや、あの方々って事は複数か?」
「ええ、お二方です。ノフィ君も知っている人物ですよ」
「俺も知る人物……?」

リムに渡したいものがあるなんて、いったい誰なんだろうか。
ちょっと考えてみたが、そもそもルネ先生に怒られるような人物がパッと思い付かない。

「まあいいや。会えばわかると思うし、今から会うよ。教会に居るのか?」
「ええそうです。それではお願いします」

まあ、知り合いなら会えばわかるだろうし、用があるなら行った方が良いだろう。
そう思った俺は、ネムと一緒に教会まで向かったのであった……





……この時は結局、最後までネムに感じていた違和感は何なのかは気付かなかった。





太股や胸がやたら露出している事も、耳が少し尖っていた事も気付かなかったのだった……



====================



「やっぱりさー、リムちゃんとノフィ君はこっちでずっと暮らしてもらった方がいいと思うんだよ! こっちならセックスするなとか面倒な事考える必要ないんだし、絶対そうするべきだと思わない!?」
「それだとお婆ちゃん達が困っちゃうよ。本人だってお婆ちゃんの所で働くって言ってるんだしさ。あとパンさまお酒くさーい見た目台無しー」
「うっさいわねえ! わたしこう見えてもとうの昔にお酒が飲める年齢よ? たまには飲みたくもなるわよ!」
「似合わないのにー」
「イミー、黙れ」
「あうーつねらないでパンさまー!!」

街中にある行きつけのバーで、部下のファミリア、イミーに酔った勢いで愚痴るわたし。
その内容は、ルネちゃんの所にいる医者志望のワーウルフ、リムちゃんについてだ。

「大体魔物なのにセックスなしとか辛すぎるでしょ!」
「うん辛い!」
「でっしょー?」
「でもそれはお兄ちゃんが居ないパンさまもいっしょいてててててっ!」
「イミー、あんたはいつも一言余計なのよ!」

リムちゃんが同じ村に住む男の子、ノフィ君と恋仲になった事は、以前性臭を消す為の道具を持っていった時に聞き、その後も何度か二人きりになれるシチュエーションを用意してあげた事がある。
ちょっかい掛けるのも野暮なので基本的には放置していたのだが、そんな状況にもかかわらずリムちゃんが押し倒す事もなければノフィ君が抱く事もなかったので、最近はちょっとイライラしている。

「う〜痛い……でもパンさま、リムちゃん達は反魔物領に住んでるからそう軽々しく身体を重ねちゃダメなんじゃないの?」
「そんな事ぐらいわかってるわよ! リムちゃんもルネちゃんも基本イイ娘だからそういう事気にするのはよーくわかってるわ……」
「わかってるならカリカリしちゃダメだよパンさま。そんなんじゃお兄ちゃんなんて一生できなあでっ!?」
「シャーラップ! それ以上言うなら拳骨1発じゃ済まさないけど?」
「ぼーりょくはんたーい……」

もちろん、彼女達がそんな気楽に交わって良い立場じゃない事はわかっている。
目の前で涙を浮かべながらぶつくさ言う部下に言われなくたって、そんな事ぐらいはわかってはいるが……

「ふんっ! それに、わかっててもイラッとする事には変わりないよ。反魔物領だから何よ? 魔物を増やしちゃいけないからってどうして好きな人と交わっちゃいけない事になるのよ?」
「それは私も思うけど、それやっちゃったらリムちゃんもお婆ちゃんも幸せになれないよ」
「そうなのよねぇ……いっそあの村を魔界に堕としちゃおうかしら? まあわたしの魔力を持ってしてもすぐには難しいけどね……準備も掛かるし、天使もいるし……」
「勝手に魔界にしちゃうのも問題あると思うけどなぁ……むぎゅっ」
「いちいち否定するな……って言いたいところだけど、イミーの言う通りなのよねぇ……」
「言う通りならほっぺた握らないでよ〜」

わかっていても、イライラする事には変わりはない。
お節介だって事はわかっているが、折角恋仲になっているのに反魔物領に居るからってだけで性行為をしないというのは悲しいと思うので、どうにかしてしても大丈夫なようにしたいところだ。
一番簡単なのはあの村を親魔物派に変える……どころか、魔界に変えてしまえば手っ取り早い。
わたし一人の力では難しくても、部下総出で諸々の問題をなんとかすれば一晩で魔界にすることも可能だろう。
そうすればほぼ全ての問題は解決するし、わたし個人としても堂々と村を訪ねる事ができるので大助かりなのだが……無理矢理やるのは好きではないし、そもそも当の本人達がたぶん良い顔しないだろう。

「はぁ……でもなんとかしてあげたいのよね〜」
「だね〜」

それでも、この現状をどうにかしたいところだ。
魔界化以外で良い方法……全然思い付かないが、何か良い手は……

「じゃあ、私がしてあげましょうか?」
「ほえ?」

頭を抱えて悩んでいたら、後ろから大人の女性が声を掛けてきた。

「してあげるって……なんとかなるんだったらとっくにしてるっての! バカ言ってんじゃないわよあんた!」
「ちょっとパンさま……」

なんとかなるのであれば、とっくにわたし自身でそうしている。
事情も知らずに気軽になんとかできるという後ろの女性に、わたしはムカついて顔も見ずに怒鳴りつけた。

「あんたはなんとかできるっての?」
「ええ。なんとかできるというか、あの村にならもうしてるわよ?」
「はあ?」

そのままの勢いで会話を続けてみた。
なんとかできるわけがないと、いったいどんな案があるのかと聞いてみたら、帰ってきた返答はもうしている。

「もうしているって、何しているっての?」
「そりゃあもちろん魔界化の準備よ」
「魔界化の準備って……たった一人で?」
「そりゃあね。賛同してくれる子は居ても、普段から一緒には居ないからね」
「……あんたふざけてる? できるわけないでしょ!? 村とはいえあそこはそこそこ規模がでかいし、そこまでたいした事ないとはいえエンジェルだっているのよ。ただの魔物如きで魔界化なんて簡単にできっこないわよ!」
「ぱ、パンさま……」

ふざけた回答だ。わたしですら簡単に魔界化できるなんて思っていないのに、後ろにいる女性は既にたった一人で魔界化の準備をしていると易々と言ってのけたのだ。
ただでさえ不機嫌で、酒のせいでイライラが最高潮だったところにそんな馬鹿な話をされては、手に持ったグラスを机に叩きつけたくもなる。

「それにさ、勝手に一つの村を魔界にして良いと思っているわけ?」
「あら、皆魔物になった方が幸せでしょ? だったら魔界にした方が良いと思わない?」
「な……そうかあんた過激派なのね……」
「だったらどうかしたの?」
「別にどうもしない……わたしはそういった過激な考えが嫌い、ただそれだけの話よ」

しかも、身勝手に一つの村を魔界に変えるなんて……そう思っていたが、帰ってきた返事からしてどうやら彼女は過激派の魔物らしい。
わたしは同族の友人が経営している孤児院で暮らす人間の子供達との交流もちょっとはある。もちろん、その子供達が成長した人間の大人とも。
その子達を魔物に無理矢理変えようだなんて思わない。彼ら彼女らは人間であってもとても良い子だし、幸せに暮らしている。魔物にする必要はないと考えている。だからわたしは皆魔物になってしまえという過激な考えが好きではない。
もちろん、わたしだって頼んできた女性を魔物にした事はある。それに、遅かれ早かれ最終的には女性は皆魔物になるのだろう。でも、その時じゃないし、そのつもりでもないのに魔物にするのは嫌だった。

「じゃああなたは私を止める?」
「……いや、いい。わたしじゃあなたにはあらゆる面で勝てそうにないしね」

そう言って、わたしの肩に手をポンと置いた女性。
止めてやると言おうとしたが……その触れられた手から、一瞬にしてその女性が敵わない相手だという事がわかってしまった。

「あら? 一度もこちらを見ていないのに私が誰かわかっているのね」
「ふんっ。こっちもこいつみたいに雑魚じゃないわよ」
「わたしも雑魚じゃないよパンさまー!」
「あんたから感じる魔力……どう考えても魔王の血縁者のものだわ」
「ふふ……正体がわかっても態度を変えないところは好きよ」
「そりゃどうも」

わたしが今後ろにいる女性……魔物の王女にやめろと言ったところで止める気はないだろう。
それに、同じく過激派であるかの四女よりは未熟とはいえ、わたしよりはよっぽど強い。物理的な実力行使だって無理だ。

「じゃあ、私が好きなようにしても良いのね?」
「……ふん。あんたの言い分からしてもう止められないところまで進んでいるのでしょ?」
「その通り。少なくとも貴女がやたら気にしている問題は解決済みよ。おそらく3週間後には完遂するわ」

長いものに巻かれるわけではないが、わたしだってリムちゃん達をなんとかしたいと思っているし、魔界化も一つの手段ではあると考えている。
それに、リリムの手にかかれば、神に近い存在が何人いようが小さな村一つ魔界に変える事は容易いはずだ。もうしていると言ったのだから、既に止められないような段階まで進んでいるのだろう。
だったら、勝手に進めてリムちゃん達には申し訳ないが、あの村を魔界に変えるしかないだろう。

「ま、そういう事だから、もしあの村の中で人間のままでいさせたい人がいるなら今のうちに他の場所へ移動させることね。それじゃあね〜」

あまりわたしには関係のない忠告をした後、ひらひらと手を振りながら店を出て行ったリリム。

「はぁ……イミー、わたしが次にルネちゃん達に会いに行くのはいつだったっけ?」
「えっと……2週間と2日後だったと思う」
「じゃあわたしのほうがギリギリ先かな……ちゃんと伝えないとなぁ……すみませーん、ウイスキーのロックってやつ下さい!」
「ええーまだ飲むの〜?」
「飲むわよ! あいつのせいで良い気分を台無しにされたんだから、またいい気分になるまで飲む!」
「面倒だなぁ……帰っていい?」
「駄目に決まってるじゃない。あんたもミルクでもなんでもいいから飲みなさい!」
「はーい……」

ちょっと文句言われそうだし、あまり乗り気にはなれないが、とりあえずルネちゃん達には魔界化の件を伝えておくだけ伝えておかないと……
そう思いながらわたしは、醒めた酔いを取り戻す為にまたお酒を飲むのであった。
15/03/10 21:52更新 / マイクロミー
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■作者メッセージ
最近月間マイクロミー状態でしたがなんとか11月中にもう1本投稿出来ました。
という事で今回は変化しているものと変化していないもののお話。時は進み、物語は一気に最終章へと入りました。
本当は今回と次回は同じ話の予定でしたが、いつもの如く書いているうちに長く(相変わらずの連載なのに2万字越えに)なってしまったので分割、全6話予定でしたが全7話になりそうです。

そんな次回は、とある人達に会ったノフィは、ついにとある決断します。そして、いよいよその時が……の予定。

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