「ちょっと待ちなさい」
「はい」
和室を出た所で、お父さんの声に呼び止められた。
「こっちに来なさい」
「……はい」
房江さんの時とは違う緊張を感じながらリビングに入ると、テーブルを囲んでソファーに座る善治の父と母。
「座んなさい」
「はい」
（避けて通れない事だ）
自分の年齢では早すぎる覚悟だが、男であるからには腹を決めねばなるまい。
そう思いながら、菊池は父の向かいに座った。
柔らかいソファーだったが、これ以上ない居心地の悪さを感じた。
「名前は？」
眼鏡を掛けたお父さんは、普段は優しい雰囲気を纏っているのだろう。
しかし今その顔には何の表情も浮かんでいない。
「菊池雅史です」
「うん……」
お父さんはテーブルに視線を落としたまま黙り込む、菊池も黙ってその沈黙に耐える。
「今ね、君の顔を直視できない、殴りたくなってしまうからね」
「……」
背中に嫌な汗が垂れて来る。
大人にそんな事を言われたのは初めてだ。
「あなた」
お母さんから諫めるような響きの言葉が掛けられ、お父さんはまた黙り込む。
菊池は喉がカラカラになっていくのを感じる。
一つ、お父さんはため息をつくと席を立って台所に歩いて行った。
菊池は石像のように座ったまま動かない、お母さんはそんな菊池を穏やかな目で見ている。
台所から戻ってきたお父さんの手には瓶ビールとコップが握られている。
ペシッと栓を開け、とくとくとコップに注ぎ始める。
菊池は自分が酌をするべきかと一瞬迷ったが、そんな場面でもないと思いとどまった。
お父さんはぐい、と一息にコップを空けるとうーん、と唸った。
何となく普段はあまり飲まない方なんじゃないかと思った。
（飲まなきゃやってられないって言うのかこういうの……）
「私はね、幽霊だとか何だとかは信じちゃいなかったんだ」
おもむろに、話し始めた。
「しかしね、房江のかあちゃんのやる事成すこと見てるとな……否定しきれなくなってくる」
もう一杯、注ぐ。
「この世の中にはなぁ……信じられない力持ってる人がいて、それでも人の力の及ばない事があるんだってなぁ……」
飲む。
「その房江のかあちゃんがな……君なら問題ないって言うんだよ……で、かあちゃんの言う事は外れたためしがないのよ、これが」
少し口調が変わり始めている。
「しかしなぁ……高校生なんだぞまだ……俺の高校の頃っつったら……うーん……」
眼鏡を外し、がりがりと頭を掻く。
「あの子もあの年にしちゃ大人びていて……いや、大人び過ぎててなぁ……だからといって、こうも早いこたぁないだろうよ……」
飲む。
「急に学校に行けなくなっちまって、それが厄介な何とかのせいだって……で、あの子が幸せになるにはこれしかないって……そんな話があるかってんだ……」
眉が寄り、目が潤み出した。
「君なぁ……君、真剣になってくれよ、真面目になってくれよ、全身全霊あの子に掛けてくれよ……いい子なんだ、君にゃぁもったいない子だよ」
「頑張ります」
カラカラになった喉を振り絞って、菊池はそれだけ言った。
「軽々しく頑張るなんてよぅ……子供のくせに、あぁ、ちきしょう、納得いかねぇやっぱり……」
眉間を指で押さえて首を振る。
「納得いかねぇ、納得いかねぇよ……」
俯いて、ぶつぶつと言う。
「…………」
「…………」
そして、沈黙。
「……ぐーっ……」
「……え？」
唐突に、お父さんが唸った。
「ずー……ぐー……んぐっ……ぐー……」
いびきだった。
「あらあらもう……」
俯いてゆらゆら舟をこぎはじめるお父さんを、お母さんがソファーに横たえ、傍にあった毛布を掛ける。
「菊池くん」
「あ、はい」
お父さんの靴下を脱がせてやりながら、お母さんが菊池の方を向く。
「お母さんから聞いてるの、元々は娘が首を突っ込んだ事が原因でこうなったって……まだ若いのに、こんな事になってごめんなさい」
「そんな事、ぜん、娘さん、は……俺を助けてくれようとして……」
「それがいけないの、自分でどうにかしようとせずおばあちゃんに頼るべきだったのよ、だけどあの子……」
お母さんは朗らかに笑う、房江さんに似た笑顔だと思った。
「菊池くんにかっこいいところ、見せたかったのね」
「……え？俺に？何で？」
「あら、鈍いのね」
本当に似てる。
「あの子、今二階の部屋にいるの……最低限の用事以外では極力近寄っちゃ駄目っておばあちゃんに言われてるんだけど」
確かに家に入った時、あの匂いは二階に上がる階段の方から漂って来ていた。
「菊池くんだけはいいの、会ってあげて？おばあちゃんにもそう言われたんでしょ？」
「……はい……会ってきます」
ソファーから立ち上がり、一礼した。
お母さんはにっこり笑って見送り、お父さんは「んが、ぐあ」などと呻いていた。

・

・

・

　二階への階段を上っていくと、やはりあの匂いが濃くなってくる。
一階には善治の両親もあの房江さんもいるというのに、階段を境に異空間に入り込んでいくような感覚を覚える。
しかし、それと同時に鼓動が畏怖とは別の理由で早くなる。
考えないようにしてもずっと頭から離れなかった。
経緯を考えるなら、もう一生会えないかもしれないと思っていた。
善治に会える。
たった数か月なのに物凄く長かった……。
「……っっ！」
階段を上りきった所で、息を呑んだ。
廊下の先に人影が立っている。
背が高く、髪が長い。
善治ではない。
（タネコヒさま……）
何か、何だろう、雰囲気が以前と違って見える。
（……笑ってる……？）
「お隠し」に隠れて相変わらずその表情は見えないが、何かその布の下に笑みが見えるような気がするのだ。

　シュルッ

　白装束と黒髪をたなびかせ、廊下の左にある部屋に消えて行った。
ごくり、と喉を鳴らしてその後を追う。
と、足を止める。
タネコヒさまが入っていったはずだが、部屋のドアは閉まっている。
このドアを通り抜けて入っていったという事だ。
（……そう言えば幽霊……？なんだよな）
余りに強い存在感を放っているので、実体の無い存在である事が頭から抜けていた。
ドアにはドアプレートが掛かっており、「よりえ」と女の子らしい可愛い文体で書かれている。
手を伸ばしかけて、深呼吸をする。
深呼吸をした拍子に部屋から漂う甘い香りを吸い込んでしまい、ちょっとクラクラする。

　コンコン

　とりあえずノックをするが、返事は無い。
（……俺が来るって事は知らされてないのかな）

　ガチャ

　もう一度ノックしようとした瞬間、ドアが中から開いた。

「……」
「……」

　善治だった。
髪は少し伸び、乱れた髪型になっている。服装は水色の薄手の寝間着を。
いつも地味ながら身なりはきちんとしていた彼女のそんな姿に心臓が跳ねる。
タネコヒさまは依然彼女に憑いている、という事からやつれた姿を想像していた。
しかし久々に見る彼女は一見すると健康そうに見える。
いや、むしろその姿は薄化粧でもしているかのように艶めいて……。
それに……何か、服に違和感がある。
「ここに来るって事、どういう事か理解してる？」
と、菊池が何を言おうかと迷っているうちに善治が言った。
じっと、その大きな瞳を見開いて菊池を見ながら。
「どういう事かって……」
「タネコヒさまに全部捧げるって事」
禁句にしていたその名前を善治はあっさりと口にする。
「うん」
菊池は迷わず答える。
「本当に？」
「本当に」
「じゃ、これだけ覚えておいて」
善治はその小さな手を伸ばし、菊池の肩をそろりと撫でた。
ただ触れられただけなのに、半身にさざ波のような快感が走った。
「菊池くんはタネコヒさまのもの」
今度は反対側の肩をさらりと撫でる、じっと、目を見つめながら。
身震いがするような快感がまた走る。
「菊池くんはわたしのもの」
菊池の両手首を掴み、小さな手できゅ、と握りしめる。
「わたしのもの」
しっとりと、囁くように言う。
その声は以前と変わらない。
しかし、常に清涼な雰囲気を醸していた以前の声とは何か、決定的に違う。
「入って」
手首を離すと、善治は菊池を部屋に迎え入れた。
「お邪魔します……」
そう言って部屋に入ると、匂いの質が変わった。
甘い匂いは薄まり、部屋に漂う女の子の匂い……善治の匂いと混ざる。
カーテンが閉め切られて薄暗い部屋にあるのはベッド、勉強机、本棚、小さなちゃぶ台、棚の上に置かれたぬいぐるみ達……。
一見すると普通の女の子らしい部屋に見える……女の子の部屋に招かれたのは初めてなのでただのイメージだが。
しかし、本棚にある難しい古文書めいた本などは普通の女子高生の部屋にはないだろう。
カチャ
菊池が入った後、善治がドアを閉めるとより部屋の明度が落ちる。
「座って」
そう言われて、部屋の中央にあるちゃぶ台の傍に座布団を二つ置いた。
言われた通りにその座布団の一つに腰を下ろすと、善治も向かいに座る。
「……久しぶり」
「久しぶり」
本当は先程の善治の奇妙な動きについて触れたかったが、当たり障りのない挨拶から入った。
「思ったよりその……元気そうでよかった」
「タネコヒさまはもう人に害を成す存在じゃなくなったからね、今はもう守護霊みたいな感じ」
「そ、その名前で呼んでいいの？」
「もう大丈夫、ね？」
そう言って横のベッドに呼びかけるように言うので、菊池もそちらを見ると白い足が見えた。
「うぉっ！？」
思わずのけぞった。
ベッドの上にタネコヒさまが普通に座っているのだ。
相変わらずお隠しで表情は見えないが、いつものような異様な空気や存在感を纏っていない。
普通の人間のように大人しく座っている。
呆気に取られて見ていると、菊池の方を見て「何？」というように少し首を傾げる。
その風体の異様さは相変わらずだが、今までと大きく印象が違う。
何と言うか、今までのタネコヒさまにはまともな人格を感じなかった。
寂しさや、悲しみの感情が人の形を成した存在、そんな印象があった。
しかし今、目の前に座っているタネコヒさまは……一人の女性、のように見える。
「あ、お茶あるんだった、出すね」
そんなタネコヒさまの存在を慣れたもののように気にする事なく、善治は立って勉強机に向かう。
その寝間着のお尻を見て菊池は思う。
（……太った……？いや、何か……すごく……）
太っている訳ではない、小柄な彼女の足首や肩幅は相変わらず華奢だ。
しかしその臀部がどうも……服の上からわかるくらいにむっちりと肉付きがよくなっている。
（エロい……）
思わず不躾な思考が働いてしまう。
何やら視線を感じて見るとタネコヒさまがじっとこっちを見ていた、何となく気まずくなって視線を逸らす。
机からコップとペットボトルのお茶を持ってきた善治が座りなおす。

　ぽゆん

　揺れた。
最初に感じた違和感の正体がその時わかった。
服の前が突っ張りすぎだ、腰つきよりもさらに顕著だ。
絶対に以前はそんなになかった。
「気になる？」
とくとくとコップにお茶を注ぎながら善治が言う。
「な、何が？」
必死に誤魔化す。
「これ」
手の甲でふに、と服の上からそれを持ち上げて見せる。
正直エロい。
「それはその……た、タネコヒさまの影響……？」
「毎晩毎晩ね」
コップを菊池の前に置く、上体を伸ばした拍子に谷間が覗く。
（で、デカ……）
失礼だと思っても視線が吸い寄せられる。
小柄なのにそこだけ大きいから余計目立つ。
「身体を弄り回されるんだ……タネコヒさまに」
一瞬で豊満な着物姿のタネコヒさまと小柄なパジャマ姿の善治がベッドの上で絡み合う場面を想像してしまい、かあっと顔が赤くなる。
「お陰でさ、家に着れるサイズの下着がなくて大変、カップ数なんて全く違うから……」
さりげなく下着を付けてない情報を開示されてしまう。
「ストップ！善治ストップ！」
「どうしたの急に」
バタバタと手を振り回しながら言い出す菊池に善治が冷静に言う。
「俺は思春期だ善治」
「私もだよ」
「刺激が強すぎる」
「刺激してるからね」
「お前、その、性格変わった？」
「取り繕わなくなったって意味では変わったかもね」
くぴ、とお茶を飲みながら善治は言う。
「菊池君こんなのでおろおろしてちゃ駄目だよ、私達、これからはもっとスゴい事しなくちゃいけないんだから」
スゴい事、と聞いて頭がクラクラしてくる。
「だけど、善治……！」
猛烈な攻勢にたじたじになりながら、菊池は最も気になっていた事を聞く。
「善治はいいのか……？俺がその……相手で」
「……はい？」
何言ってんの、という態度で善治は首を傾げる。
「いや、だって、これはタネコヒ……さまが望んだ事で、善治が望んだ事じゃ……」
相変わらずベッドの上でじっとしているタネコヒさまの方をちらちら見ながら菊池が言う。
「鈍いね菊池君」
「らしいな」
本日三回目だ、これだけ言われるからには自分は鈍いのだろうと考えざるを得ない。
「今ここで私が前から好きでした、って伝えてもどうせ信じないでしょ？」
「いやそれは……」
確かに、この状況に自分が罪悪感を感じないよう気を使われているのでは？と疑いを覚えてしまうだろう。
本当だったら天にも昇る心地だが。
「だから実力行使でわからせてあげようかなって」
攻勢が止まない。
そしてそれに抗う術を菊池は持たない。
ただ、伝えなくてはいけない事がある。
「善治……」
「なに？」
「好きです」
善治はきょとん、とした顔になる。
「結婚を前提に付き合って下さい」
「……」
「タネコヒさまの事でこうする以外ないってわかってる、だけど、そうじゃなくても俺は善治とこうなりたいって思ってたんだ」
顔から火が出るとはこの事か、多分、相手には自分の気持ちなんて筒抜けなのかもしれない。
だからただの事実確認でしかないような宣言だが、それでも素直に好意を伝えるというのはこんなにも勇気がいる。
「だから、善治は俺に悪いなんて思わなくていい、俺はラッキーだって思ってる、俺は」

　がばっ

　言い終わる前に善治が急に立ち上がり、ちゃぶ台の向こうから回り込んで菊池の傍にぷるぷると胸を揺らしながら駆け寄った。
「ぜ、善治？」
「触って」
切羽詰まった表情の善治に急に言われて菊池は混乱する。
「な、何を？」
「おっぱい触って」
「だ、だめだよ」
「どうして？触りたくない？」
「滅茶苦茶触りたいけどだめだって」
「何で？」
「なんっ……お、お父さんもお母さんも……おばあちゃんだって下に……」
「関係ない」
濁流の如く押し寄せる若い欲望に、階下で見たお父さんの様子を思い出して必死に抗う。
「けっ……結婚、結婚するまでは」
「やだ」
子供みたいに断言されてしまう。
「我慢できない、どうしても今日我慢できない、今日する、今する」
言いながら服の裾に指を掛ける。
止める間もなく、それが捲り上げられてしまう。

　ぼゆんっ

　家にサイズが無いので下着を付けていない、というのは本当だったようだ。
何にも遮られない、善治の生の乳房が目の前に放り出されてしまう。
不条理な身体だった。
元々は清楚で控え目な身体つきをしていた事が、あばらが浮きそうに細いその腹回りから伺える。
だが、タネコヒさまの手によってそれは歪められてしまっていた。
数か月足らずの期間で菊池だけを誘惑するために強制的に発育させられた乳房は、不釣り合いにその小柄な身体から飛び出している。
その真っ白な房の成長に追いつけなかったかのように乳輪はサクランボのように小さい。
乳首はさらに発育が追い付かなかったのか、その小さな乳輪の中に半ば埋まってしまっている。
それが、たまらなく卑猥に見える。
「……」
菊池は理解する、こういう場面で男の理性や自制心の何と脆く儚い事か。
見えない糸に引かれるように手が伸び、その乳房をふっくらと握りしめる。
「ふぅぅん……」
善治が息を漏らす。
菊池は何とも言えない充実感を得る。
この感覚をどう表現したものか。
単純に柔らかい、というではない、吸い付くようで弾くようで、重い……。
そしてこの感動はただ大きな乳房を触っただけの感想ではない事もわかる。
いつも自分を助けてくれて、小柄なのに大人で、重い運命を背負っても凛として、それでもやっぱり女の子な善治。
そんな善治が雌の象徴を自分に委ねてくれている。
その事実がとてつもない多幸感を菊池にもたらす。
それと同時にふか、と柔らかな感触が背中にもたらされる。
「……っっ！」
誰か、と思ったらタネコヒさまだ。
微笑んでいるような雰囲気をさせながら胸を押し付けて来る。
なおかつもっと触れ、とでも言うように菊池の両手にひんやりと冷たい手を添えて、善治の乳房をこね回させる。
「ふぅぅ、ふんっ、ふぅん」
息を漏らして、善治は菊池の成すがままになる。
「うぅ……」
しかし、我慢できなくなったように抱き着いて来た。
二人（？）の身体にサンドされる形になってしまう、四つの柔らかな感触に包まれて気が遠くなる。
「下さい……」
ぐいぐいと胸を押し付けながら、善治が囁く。
「くす……くすくす……くす……」
タネコヒさまが笑う。
「菊池君の、たね……赤ちゃんの、たね、下さい……」

　すりっ　すりっ

　熱い感触が、腕に擦り付けられる。
善治の腰だ。
まるで動物の求愛の如く、人としての理性も尊厳もかなぐり捨てた懇願。
拙くて、はしたなくて、恥ずかしい、必死の懇願。
元々切れていた理性の糸が、纏めて弾け飛ぶのを感じた。
（そうか……）

　タネコヒさま　タネゴイさま　たねごいさま　種乞いさま

　種を、乞う者

　そういう意味か。

　菊池は立ち上がり、離れるのを嫌がる善治を引っ張ってベッドに押し倒した。