連載小説
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隠した事実、優しい嘘
「…うぁ?」

徐々に明確になっていく意識。感じる鈍い痛みに体が軋む。瞼を開くと視界がぐらつき、ぼんやりとした薄暗い風景が歪んだ。硬く冷たい地面に触れる手が触れていることからどうやらオレは地面に倒れ込んでいるらしい。
さらには体の上になにやら温かく柔らかいものがある。少し重いが森のように深く爽やかな甘い香りがする。
体に走る痛みに顔をしかめ、体に覆いかぶさっている何かを見た。
暗がりながらもはっきりしてくる視界に映ったのはまるで人間ではないような、妖精のように美しい一人の女の顔。
エルフのフォーリアだ。

「…?」

ああ…そうだった。
そういえばオレと彼女は落っこちたんだっけか。
うん、オレと……。

「…はっ!」

改めて今の状態を確認するととんでもない体勢になっていたことに気づいた。
フォーリアに覆いかぶさられているオレ。女性の体の柔らかさが押し付けられ、ちゃっかり手は彼女の胸に沈んでいた。

「わっ!?」

慌てて手を離し、体も同じように離そうとする。だがどうしてだか力を込めてもフォーリアの体は離せない。
そこで気づいた。
あ…マント一緒に着てるんだった。そりゃ体も離せないわけだ。
ゆっくりと体を起こしてマントから抜け出る。たった一枚の布から出ただけなのに真冬のような寒さが肌に突き刺さった。

「…寒いな、ほんとに」

身震いをしつつもオレと同じように倒れているフォーリアを見た。先ほどよりも月が出ているのか淡い光に照らさている彼女の顔に異常はない。
だがフォーリアの反応もない。
規則正しい呼吸を繰り返す彼女はただそれだけで起き上がろうともしない。
…まさか変なところ打ったりしてないよな?
見たところ出血らしきものはない。マントを捲って体の方を見てみるも月明かりではよくわからないが擦り傷が少々あるだけで大きな傷は見当たらない。
それはオレも同じ。
こうやって自由に動けるし、動いたところで嫌な痛みはない。谷を落ちたのだから骨折の一つくらいしていてもおかしくないのだがどうしてだろう。

「…落ちた高さがなかったか?」

呟いて上を見上げるとあるのはそびえ立つ絶壁。
夜空に届きそうにも見える頂点にはぼんやりとした光が漏れている。あれはきっと先ほど見た光る花たちだろう。
そして、一緒に見えたのは絶壁から生えだした大きな木があった。どうやらあれがクッションになってくれたらしい。まさに奇跡と言うべきか。
視線を移して今度は辺りを見回した。
そこにあるのは木、木、木。どうやらここも森の一部らしい。

「…どうするか」

あんな絶壁から落ちて無事だったことは幸いだがこんな知らない場所に来て村へどうやって戻ればいいのだろう。この絶壁を昇るにも寒さでかじかんだ手では少々きつい。この森を熟知しているフォーリアならばきっと帰る道もわかるだろうが、彼女は今意識がないし。
…起そうか。
フォーリアの肩に手を伸ばしたその時。

「―ん?」

暗闇を照らすはっきりとした五つの光が見えた。揺らめくあれは……炎だろうか?それが集ってこちらへと近づいてくる。
五つの光。
つまり、最低でも五人ランプやら松明をもっているということ。

「…」

嫌な予感がする。
この森で、あの数で、あの炎。思い当たるものがひとつだけある。思い出したくもない、あれ。できることなら違っていて欲しい。
そして、予感は的中する。
木を避け、茂みを抜けて、炎を持った者が姿を現した。

「…音がしたから来てみれば…へへへ、まさかまた会うことになるとは思ってなかったぜ」
「っ!」

服らしき形をした布を纏った人間。袖から伸びる腕は筋肉質で腰に差した剣が嫌に目立つ。オレがここへ来て、すぐに見たあの男。マレッサを攫っていたあの男だった。次いで出てくるのは下っ端らしき男たち。細い者や筋肉質な者、皆見覚えのある奴らだ。皆が皆腰に剣をさすその姿はあの時と変わらない。

「よぉ、あの時のジパング人。よくもおれ達の獲物を奪い取ってくれたじゃねぇか」

リーダー格の男はニヤニヤと笑みを浮かべて歩み寄ってくる。片手は早くも剣の柄に触れており、いつでも斬りかかって来る気満々だ。
奴にとってはオレが憎くて憎くてたまらないのだろう。攫っていたマレッサを奪われてそのまま逃してしまったんだから今すぐ殺しに来ても不思議ではない。
オレはすぐさまフォーリアを抱き上げて後ろへ下がる。絶壁がすぐ後ろにあるので囲まれることのないように端に向かいながら。
だが。

「おい、逃げるなよ」

その一声ですぐに囲まれてしまう。男五人、どうやらあの時見た人数以上いるわけではないらしい。
たった五人、剣を持っているがそれでもオレの空手の師匠のように、友人の剣道家のように並外れた実力持ちらしき者は一人も見当たらない。姿勢も足運びも素人同然だ。
これなら負けはしない。

オレ一人ならば。

でもフォーリアがいる。意識を失ったままのエルフがオレの腕の中にいる。
マレッサを抱えて逃げていたあの時と同じ状況だ。まともに戦える状態じゃない。

「…そいつは、エルフか?」

抱き上げたフォーリアを遠目で確認すると笑みがさらに深くなった。

「とんでもねぇ上玉だな…なんでてめぇと共にいるのかわからねぇが…その様子だと随分執心らしいな」
「…」
「へっへっへ。売れば相当な値がつきそうだぜ」

オレは目の前の男を睨みつける。それでも男は怯むことなく足を進める。たった一人、それも自分よりも下のガキ相手に遅れを取ることはない、そう余裕ぶっているのがありありとわかる態度だ。
しかしそれは確かで、今の状況ではそのとおり。ここから逃げることも存分に戦うこともできない。
どうすればいい。なにかいい手を思いつかないと…。
せめて…少しだけでもいいから時間稼ぎになるようなことを言わないと。

「なんで…エルフを攫おうとしてるんだよ」

咄嗟に思いついたことを口にする。
答えなんて好んで聞きたいものじゃないと予想つくが今はわずかでも時間が欲しい。
男はオレの考えなんて知ってか知らずかただ笑う。

「そんなもの決まってるじゃねぇかエルフは全員女で美人揃いだ。さらに長寿で長持ちする。売ればとんでもねぇ金額で売れやがるそれに―」

そこで男は言葉を区切り、生理的に受け付けない汚い笑みを浮かべた。
見る者全てが嫌に思う、下品な笑みを。

「―『楽しむ』には持ってこいじゃねぇか」

「…っ」

その言葉に心が冷え切っていくのがわかる。
その意味に気持ちが黒くなっていくのがわかる。
なんと下劣な男なんだろうか。
なんと馬鹿な人間なんだろうか。
同じ存在として、どうしてここまで愚かなのだろうか。
世界が変わろうと、エルフが存在しようと、科学のない場所だろうと、人間やることはたいして変わらない。
こんな奴らがいるんだからフォーリアが人間に対して警戒心を持つのも当然だ。それだけではなく、こいつらに至ってはマレッサを一度攫っている。嫌悪するのが普通だ。
男は松明を捨てた。代わりにとうとう剣を抜いた。
闇夜を照らす火の光を反射して鋭くきらめく刃。大きく厚いその剣を男は見せつけるように凪いでからこちらへ向けられる。
その行為にオレは守るようにフォーリアをより強く抱きしめる。

「…最低だな」
「へっへっへ、強がっても怖くないぜ?多勢に無勢、てめぇはどうやってもおれ達に勝てやしねぇ。そのエルフをおとなしく渡して、エルフの里の位置を教えてくれりゃ無事で返してやるよ」

フォーリアだけでなく皆までを狙うなんて、なんて強欲なんだろうか。
今すぐにあの男の顔を殴りたくなった。それだけじゃ止まらない、大の大人でも恥ずかしがるくらいに泣き喚くまで殴りたいと思った。やめてくれと懇願しても、顔の形が変わっても、抵抗する気力さえなくなろうとも…。
だがそんなことはできない。
今はフォーリアを守ることの方が先決だ。あの男どもに捕まったら何をされるかわかったもんじゃない。
五人対一人、しかも意識を失っているエルフを抱えて。
無理だ。流石にオレもそこまで戦える人間じゃない。マレッサを抱えて逃げていたとき同様に、誰かを腕の中に抱いたまま普段のようには動けない。
誰か一人でも倒せば牽制になるだろうか、そう思ったその時地面に落ちていたものが目に入った。

「―…っ」

鋭くてそれなりに丈夫な、ランプの欠片。
どうやらオレとフォーリアが落ちた時に衝撃で割れてしまったらしい。そのおかげで散弾しやすい大きさに割れていて投げて使うにはちょうど良さそうだった。共に砂を投げてやればいい目くらましになる。

「…胸糞悪いんだよ―」

オレは地面に手を置き、散らばっている小石や砂を握りこんだ。当然ランプの欠片もこっそり握りこんでおく。

「クズが」

その一言とともに囲っていた男どもへ向けてばらまいた。

「うぉっ!?」

尖った破片に硬い小石が男どもに直撃する。
その一瞬の隙を見てオレはフォーリアを抱きかかえたまま走り出した。
だがやはり―

「―…っ!」

いくら足腰鍛えていようと今までずっと一人の体で戦ってきたんだ、女性とは言え大人一人分の体重を抱えて走り出すことはできずとも一瞬動作を鈍らせるには十分だった。

「待てこらっ!!」

その一瞬、男達の一人が剣を凪いだ。
避けることなど容易だったろう。こんな男たち、師匠や友人の剣道家に比べればそこらのチンピラと何一つ変わらない。
普段なら…―

―背中に痛みが走った。

「がっ!?」

今まで感じたことのない肌が切り裂かれる感覚。
骨折のような鈍い痛みと違う、鋭い痛みが体中を駆け巡る。学ランを、ワイシャツを切り裂いた傷は経験にない出血を伴った。
痛い。痛い。とんでもないくらいに痛い。
だけど、それでも―

「―ぁあっ!!」

止まってなんかいられない。躓いてなんかいられない。
痛みに怯むことなく力強く一歩を踏み出し、一気に駆け出す。
止まるな、逃げろ。
戦うな、離れろ。
自分に言い聞かせて足を動かしその場から一気に離れる。この暗闇の森の中ならあの男たちもそう追ってこられないはずだ。
冷たい空気が肌にささろうと、背中から痛みが体中に伝わろうと、それでもオレは止まることなく走り続けた。









「ふぅ、はぁ……はぁ…」

荒くなった呼吸を直し、どこか隠れることのできる場所を探す。森の中ならそんなのいくらでもあるはずだ。木の虚や地面の窪み、葉が落ちて山になっているならそこもでもいい。
とりあえずフォーリアを隠せる場所を探さないと。そう思って辺りを見回すと人一人が十分に入れる木の虚があった。
助かった。一安心して体の緊張が溶ける。

「…はぁ」

ため息をついて後ろの木に寄りかかった。肌に刺さるような冷たい夜風に白い息が溶けていく。
…何やってんだろう、オレは。
こんなエルフのいる世界でやろうとしていることは現代でやったことと同じ。守るなんてカッコつけたところで力任せで暴力的なことに変わりない。
フォーリアに知られたら一体どうなってしまうのだろうか。

「…」

やっと心を開いてくれた。里に残らないかとまで言ってくれた。
それでも、ここで暴力を振る姿を見せたらどう思うのだろうか。
野蛮と思われるかもしれない。
残酷と感じるかもしれない。
手のひらを返してオレを嫌うことに…なってしまうかもしれない。

…だけど。

今まで世話になったのだから、せめてこれくらいは。
こんな時ぐらいにしか役にたてないけど、だからこそ今は…。
オレは彼女の体を木のウロに押し込んだ。この暗闇の中ならライトでもない限りこんなところに隠れていることなんてわからないだろう。
彼女はまだまだ起きる気配がない。これならば多少騒がしくなっても目覚めることはなさそうだ。
好都合。人間同士の争いなんて醜くて、残酷で、愚弄なもの。エルフのフォーリアにはあまりにも刺激が強すぎる。
ようやく彼女が優しさを見せてくれたのに。
やっと彼女が親しくしてくれたのに。
その気持ちを一瞬で砕いてしまうようなものを見せるわけにはいかない。
オレは彼女の頬をそっと撫でた。暗闇でも目立つ綺麗な白い肌。柔らかな感触と温かさが指先に伝わってくる。

「…行ってくる」

返事は当然帰ってこない。それでもいい。
オレはそこから立ち上がり、守るように立ちふさがった。目を凝らすと暗闇の中から明かりが五つ、揺らめいている。どうやらオレの背中から滴った血を見つけて歩いてきたらしい。
相手は五人。
皆、男。
手には剣。
奴らは真っ直ぐにこちらへ近づいてきた。

「へっへっへ…その木の後ろにご執心なエルフがいるってわけか」

リーダー格の男が手に持った剣で肩を叩きながら嫌悪感を催す笑みを見せる。周りにいる手下らしき男たちもまた同様だ。
そいつらを見てああ、と思った。
なんと、バカバカしいことか。
なんと、汚らわしいことか。
どこへ行こうとどんな世界になろうと人間やってることに変わりはない。
誰かを助ける人間がいれば、誰かを貶める人間もいる。
目の前の男どものように。

「…ふん」

オレは腰を沈めて拳を構え、男たちを見据えていつでも放てるように力を込める。
迎撃のための構え。
そして、容赦なく拳を叩き込む構え。

「テメェらなんかにエルフの里の位置は教えるわけないだろ。エルフの一人だって渡さすつもりもないんだよ」
「はっはっは!!ただ逃げ回ることしか能のねぇガキが何を抜かしてやがる!」

男は高笑いして切っ先をこちらへ向けた。よく切れそうな鋭い刃が松明の光を反射する。

「そうだなぁ…その度胸に免じてそのエルフに手を出すのはてめぇの後にしといてやるよ。動けなくなったてめぇの前で楽しむのも面白そうだしなぁ!」
「…」

そのまま駆け出して一人でこちらへ迫ってくる。周りの仲間は一歩も動かず、どうやらこのリーダーだけで事が済むと思っているらしい。

「うぉらぁ!!」

男は剣を振り上げた。上から下へ、一直線にオレを叩き切ろうと力任せに振るう。
だけどその一撃は。
あの友人に比べればなんと鈍い剣先で。
あの師匠に比べればなんとあっけない気迫で。
あの暴君に比べれば、なんと幼稚な存在で。
こんな軽い一撃、避けるには値しなかった。
ここまで遅い剣撃、受けるには足りなかった。

―だが、反撃するには十分だった。

降りてくる剣よりも先に腕を掴み、勢いの止まらない腕へ向かってオレは拳を撃つ。
剣のように鋭い一撃を。
岩のように硬い拳撃を。

―殺意のように鋭い攻撃を。

次の瞬間剣先が突き刺さった。
男の顔に浮かぶは愉悦に染まった残酷な笑み。次いで響くのは下品な笑い声。

「はははは!避けられずに死んじまったか!?見栄張ってた割にはあっけねぇな!」
「…」

だけど剣先はオレの体を貫いていない。切り伏せて真っ二つにしたわけでもない。
男の剣は途中で軌道を変えて空を切っていた。オレの届く前にあらぬ方へと飛んでいってしまった。
その原因を男は目にする。

「…ぁ?…な、あぁあああああ!?」

響き渡る驚愕した悲鳴。あらぬ方向へと曲げられた腕。正常に機能しない肘。例え剣をつかめても十分に力を込めて振るうことはできそうにない。
これでこの男の半分以上戦力を削げただろうが、たったこれだけで止めてしまえば治った時にまたエルフを、フォーリアを皆を襲いかねない。

潰すなら―容赦なく。

無力化なら―徹底的に。

やるのなら―後悔しないまでに。

「ふんっ!」

右足を全力で男の足の上へ踏み出した。地面にヒビを入れるつもりで込めた一撃に男の顔がさらに歪む。
だけど、止まらない。
足を踏みつけたことにより逃げられなくなった男へ、関節の壊れた腕とは別の腕に向かって指を突き出す。
振り子のように、大きな軌道を描いて。
剣のように、鋭く振り抜いて。
男の脇に指先が深く突き刺さした。
そのまま指を折り曲げ、肩の関節を擽るように抉る。たったそれだけで小気味いい音が指から伝わった。

「がっ!?」

男の顔が苦痛に歪む。
人間の関節なんて必要なものさえあれば誰でも容易に外せる。
知識と、覚悟と、それから多少の『経験』で。
関節を外されて悲鳴をあげそうになるリーダー。先程まで嫌悪感催す笑みを浮かべていた男と同一人物とは思えないほどの変貌ぶりだった。

「て、てめぇ…っ!」
「どうしたんだよ?オレの前で楽しむんだろ?せっかくオレが手伝ってんだから楽しめよ、ほら」

オレはさらに男の膝の上へ足を乗せる。ただそれだけでも何をされるのか予想がついたらしく表情がこわばった。
この足に力をこめれば容易く膝が壊れる。逃れるために前に進もうとするだけでも嫌な痛みが走り、逆に後ろに逃げようとすればそれよりも早く足を踏み抜くことができる。
リーダーは動かない。痛みに耐えるためか、恐怖しているのかわからない。
だけど、暴力をやめる気にはなれなかった。

「なんて顔してんだよ。楽しめって言っただろ?なぁ!」

―踏み抜いた。

外すのではなく、破壊される痛みに男が悶絶して転げまわる。

「…は」

たぶん、今オレは笑ってる。こいつらが見せたあの嫌な、生理的に嫌悪する顔をしている。
思いたくないが誰も根本的に人間は変わらないのかもしれない。

「…人間だいたい体には二百個近くの骨があるという」

オレは語りかけるように、諭すように言葉を紡いで足を進めた。
残った人数はちゃんと視界に収めている。オレを越してフォーリアの元へと行こうとするならばすぐさま殴り倒せるように。
男たちは動かない。いや、リーダー格の男がやられてしまった以上どうすればいいのかわからないのかもしれない。
それでもオレは足を進める。

「だけど、抱きかかえるには何本の骨がいる?」

もう二度と、エルフを攫えないように。

「走り去るにはいくつの骨がいる?」

もう二度と、逃げることなどできないように。

「剣を持つにはどれくらいの骨がいる?」

もう二度と、傷つけたいと思わぬように。

「今更ごめんなさいで終わると思うなよ」

マレッサを攫おうとしたこと、フォーリアに手を出そうとしたこと、里の皆を傷つけようとしたこと。許すにはあまりにもやりすぎだ。
オレはもう自由に動けないリーダーの前で足を垂直に振り上げた。振り下ろすための一撃で、全力を込めた踵はまともに喰らえば無事ではすまない。
もっとも、既に無事ではないのだけど。

「な、何だよっ!?てめぇ一体何者なんだよ!?」
「何者だって?」

そんな答え、わかりきってるだろうに。

「オレは―」

正直そうだと思いたくなくても事実は変わらない。
いくらエルフのため、フォーリアのためと理由をつけたところでオレのやっていることは綺麗事じゃない。どんなに理由をつけても暴力を振るったところで結局のところは。
目を覆いたくなるほど凄惨で。
耳を塞ぎたくなるほど残忍で。

「―アンタと同じ人間だ」

こいつらと同じ残酷であることに変わりない。















「…ん、ぁあ」

抱きかかえていたフォーリアが身を捩り、うめき声に似たものをあげた。歩くのをやめて立ち止まるとゆっくりと瞼が開き、瞳がオレを捉える。

「ユウタ…か?」
「ああ」
「…ここは?」
「あの光る花の場所から落ちて、壁沿いに歩いてるとこ。上に行ける道を探してるんだ」

力なくも真っ直ぐにオレを見つめてくる様子からどうやら怪我はなかったらしい。
それに何があったかもわかってない。先程まで行われていたことは気づいていない。
よかった。とりあえず一安心だ。
ぼんやり出ていた月が既に隠れてしまってあたりは暗闇に包まれている。それでも手で落ちてきた絶壁の感触を確かめながらオレは歩いていた。
フォーリアをお姫様だっこしたまま。

「……!!」

いきなり腕の中にいる彼女の体が跳ねた。どうやら今の状態を飲み込めたらしい。

「お、下ろせ!自分で歩く」
「平気?谷底に落ちたんだよ?」
「人間のユウタが無事でエルフの私が無事なわけがあるまいっ!は、早く下ろせっ!」

どうやらフォーリアにとって人間に抱き上げられていることは恥ずかしいらしい。先程までは隣で歩いていたのだがやはりこれは別か。まぁこっちがやられても同じ反応をするだろうから仕方ない。
オレは彼女に言われるままに地面へとおろしてやる。その際絶対に背中を向けないように注意しながら。

「…ぁ」

地面に足がついて手を離した瞬間フォーリアの口から名残惜しげな声が漏れた。だが今はそれすらも気にする余裕がない。
彼女を地面に下ろして、体が軽くなった途端に倒れそうになる。

「…っ」

なんとか踏みとどまり、何事もないようにオレは小さく息を吐いた。
それでも、何事もないわけじゃない。
今も目の前が揺れてるし、徐々に暗くなっている気がする。それだけではなくて体が重くなっている気さえする。疲れたからなんて簡単な理由じゃないことは明白だ。
フォーリアはそんなオレを見て一瞬不審に思いながらも空を見上げた。
隣に見えるように沿って歩いてきた絶壁。その上にはオレたちが落ちた光る花達があった幻想的な空間がある場所だ。
それを見てフォーリアは感心したように息を吐いた。

「…あの下の谷か。落ちたというのに私たちはよく無事だったな」
「途中木が生えてたんだ。それがクッションになって怪我も少なく済んだんだと思うよ」
「だが、助かったはいいがここから戻るにはしばらくかかるぞ?少なくとも谷底のここから一夜で村まで帰る道はあるがたどり着くには難しい」

流石エルフ、ここらの地理には詳しい。これなら変なことさえしなければ迷うことはなさそうだ。
だがその言葉からするに今の状況はそれほど良くない。夜の森は昼間と違って目印となるものも見にくくなり、いくらフォーリアがいても下手に動けば迷ってしまうだろう。

「んじゃ、どうする?」
「仕方ないがここらで夜を明かそう」
「…この夜を外で明かすのはきついんじゃ?」
「食べられる果実ならすぐに見つかるし、風よけになる木もそこらに見つかる。ずっとというのは流石にキツイが一晩程度ならなんとかなるだろう」
「そっか」

一晩をここらで明かす。
あの男どものことはもう心配いらないから身の危険を感じる必要はない。ここらで寝たところでそれほどまで警戒しなくても良さそうだ。
だけど…。

「…それじゃ、どこら辺で休める?」

もうそろそろ立っていることも辛くなってきた。
いくら体が丈夫でも、どれほど力が強くても、人間は病気など勝てないものがある。出血もまた、その一つ。
どれほど血を失えば人間は生きていられないんだったっか。骨折ならいくらでも経験したから応急処置も、逆に折り方も熟知しているのだが経験していないものはわからない。
せめて止血ぐらいはしようと思ったが一刻も早くあの場所から離れたかったためにできていない。それにフォーリアが起きた今、やれば何をしてきたのかバレてしまう。
それだけは防ぎたい。

「そうだな」

フォーリアはそこらの木を拳で叩いてまわる。どうやら空洞になっている木を探しているようだった。そしてすぐに目当てのものを見つけ出す。

「これなら二人入っても平気そうだ」

こんこんと叩いたのは大きな木。幹は五人で手を繋いでも届かないであろう大きさでここらにある木の中で一番大きなモノだった。
風よけにしては最適。雨に降られても大丈夫そうだ。

「先に入っていろ。私は果物を取りに行く」
「…こんな時期に実ってるのって…ああ、あるのか」

先ほど光る花が生えてたように、ガラス細工のように美しい花が咲いてたようにこの時期に果物があってもおかしくないか。現代世界では冬場にリンゴなどが育つぐらいだからこっちに似たものがあっても普通だろうし。
でも、そんなことはさせられない。

「…果物は別に取りにいかなくてもいいよ」
「ん?」

この場から離れて欲しくない。
あの場所を、何があったかを悟られないためにも。
もし万が一、あれを見つけてしまったらフォーリアはどう思うか、わからないわけじゃない。

「…一食くらい抜いたところで私は平気だが、ユウタはそうじゃないだろう?ただでさえユウタは私たちの倍以上は食べてたんだ。それに食べないと体力も持たないぞ?」
「平気…そりゃ年頃だから食べ盛りだけど一回ぐらい食べなくても死なないって」
「…だが」
「頼む…」

オレはフォーリアの服の裾を掴む。既に力が入らなくなってきているのかとても弱々しいものとなってしまっていた。
そんなオレを見てフォーリアはため息をつく。

「…わかった」
「…悪い」










木の虚は意外と広いものだった。二人で並んで座るにはちょうどいい大きさでこれなら無理することなく休むことができる。入口がすぐ前にあり、風が入ってきて寒いが二人してマントにくるまっているおかげでそれほどでもない。
それでも背中の傷からは血が滴り落ちる。こんな間近で止血しようものなら気づかれるし、
ランプがない。光源となる月もまた雲に隠れたのか見えないから手元がわからない。
だが、そのおかげで顔色を伺われることも地面に滴り落ちた血の跡も見られることはなかった。

「マレッサに心配かけちゃったかな」
「大丈夫だろう。もう自分のことぐらい一人でやれる歳だ。それに帰ってこない私たちを心配して里の皆で探しに来るかもしれない」
「そっか。それなら安心だ」
「…なぁ、ユウタ。寒くないか?」

どうかと聞かれれば寒い。
先ほど動いたとは言え冬の外に長居すればすぐに体温を奪われるし、何より血が足りなくなってきている。
変に誤魔化しても肌に触れられればわかるだろう。仕方なくここは正直に言うことにした。

「…やっぱ、少し寒いかも」
「だから言っただろう、体力が持たないと。体温維持が難しくなっているんだ。今私が果物でも―」
「―平気。それは、全然平気だから…」

それだけはダメだ。
絶対に外には行かせられない。気づかれないためにもここに縛り付けておく必要がある。
いずれバレてしまうことかもしれない。
それでもせめて…今だけは。
今ここにいる時だけは、何も知らずにいて欲しい。

「…だが」

それでも変わらず外へ果物を取りに行こうとするフォーリア。それはオレを心配してくれる故の行動で嬉しかった。それでも今は、今だけは…。
仕方ない、そう心の中で呟いてオレはフォーリアに後ろから覆いかぶさった。

「!?お、おい!ユウタ!これは…っ!!」
「人間はさ、寒い時はこうやって体を温めるんだよ」

重くなった腕をまわして、まるで抱きしめているようにも見えるこの体勢。いつものオレなら絶対にしなかっただろうが今は状況が状況だ。
寒い冬の夜の外、背におってしまったのは出血のある傷。互いの体温を保つため、そしてバレないためにできることといえばこれくらいしか考えつかない。
人間普段は絶対にできないようなことでも窮地に陥ればなんでもできるらしい。意識が朦朧とする中でもそんな風に思えた。

「他にも肌と肌を重ねて体温を共有して温まったりとかね」
「なんだそれは!淫らにも程があるぞ!!」
「最悪の場合、だよ」

オレは普段よりも力なく笑って答える。
今にも倒れかかって意識を失いそうなのだがなんとか踏みとどまる。できるとこまで、行けるとこまで、せめて…言いたいことをいえるまで。

「…さっきから変な匂いがしないか?」
「うん…匂い?」
「ああ…鉄のような、嫌な臭いだ」
「…っ」

さすがエルフというところか。人間とは違って嗅覚も発達しているらしい。
思わず舌打ちしたくなったがそんなことをする気力さえ起きない。なにか、なにか誤魔化せるようなことを言わないと。

「ここら辺には獣はいないはずだぞ…」
「それ…たぶんオレかも」
「…?まさかユウタ、貴様血が出て―」
「―違うよ。人間は金属で出来たアクセサリーを身につけて飾るんだよ」

それは事実。
エルフにはない風習だろうと現代では男女問わずにやっていること。
だけど嘘。
オレはそんなものはつけてないし、金属のものといえばせいぜいベルトの金具ぐらいだろう。
こんなもので誤魔化せるとは思わない。嘘だと思われても仕方ない。それでも人間についてまだまだ知識のないフォーリアなら少し違和感を持っても納得するかもしれない。
今の状態が知られさえしなければ…どんな嘘でもついてやる。

「…アクセサリーか。随分と変わったことをするんだな」
「そうだよ。ブレスレットとかアンクレットとか、チェーンとか。それから指輪を薬指にしたり」
「薬指?」
「ああ」

左手の薬指を見せた。特に怪我をしているわけでもない普通の指だ。

「左手の薬指は心臓と繋がってるって言われてんだ」
「そうなのか…」
「迷信だけどさ」
「…おい、迷信じゃないか」
「でも、それくらい大切だって言われてるんだよ。だから薬指に指輪をはめる事は特別な意味が…っ」

一瞬体がぐらつく。意識がぶれそうになり、体が思わず倒れ掛かるのだがなんとか踏ん張った。下唇を噛んで耐えるのだが痛みらしきものが感じられない。
そんなオレを不審に思ったのだろう、フォーリアがこちらを向いた。

「…ユウタ?」

目と目があう。
暗闇でもわかるくらいに近い位置で、もう少し顔を寄せれば唇が触れてしまいそうな距離で。

「!」
「あ、いや…なんでもない」

一気に顔が赤くなるフォーリア。対してオレは笑みを浮かべて平気そうに言った。
やっとここまで運んで、あの場所から離れたんだ。
こんなところで感づかれてはいけない。
絶対に…。

「それで、薬指に指輪をはめるっていうのは特別なことで…人間的には婚約とか、結婚とかを意味するんだよ」
「こ、婚約…なるほど、命に繋がっている指ならば指輪をするのも重要な意味になるな」

そう言って何を思ったのかフォーリアはオレの薬指に触れた。滑らかに指が撫でていく。普段ならくすぐったく感じられたかもしれないが、意識の薄れる今はよくわからなかった。

「…おい、ユウタ。手が冷たくないか?」
「それは…」
「やはり寒いんじゃ…」

流石に体に現れることは隠し通せるわけがない。血を失えば体温低下も当然のこと。それにオレはもともと体を冷やしやすい体質だから…あ、そうか。

「あれだよ。人間は、冷え性っていう…両手足の先が冷たくなるんだよ」
「冷え性?」

物珍しそうにフォーリアは聞いてくる。どうやらエルフにはそんな症状を患うものはいないらしい。それとも単に冷え性なんて名称がないのかもしれない。

「冬とか、こういう寒い環境下だと、手足が温まらないで…冷えてる感覚が常にある状態、なんだよ…」
「随分とまた変わった状態だな。寒くないのか?」
「…慣れてる」

そうは言うものの冷えているのは手足だけではない。背中から力が抜けていくと同時に体温までが奪われているように感じる。実際体温だけではなくて命を繋ぐための血液が漏れ出しているのだからこうなるのは止めようがない。
冷たい手を擦り合わせようとも、体に力が入らなくなってくる。

「…っ」
「…ほら」

そんなオレの手をフォーリアは両手で握りこんだ。

「…フォーリア?」
「本当なら何か食べればましになったものを。変に意地を張るからだぞ」
「…はは」

やはりオレを心配してくれているらしい。
何とも、嬉しいことだ。
初めて会った時なんてマレッサを助けたというのに怒ったり蔑んだりしていたのに。随分と変わってきたものだ。
優しく包んでくれる手のひらから温かい体温が伝わってくる。あまりにも冷たくなりすぎて感覚は徐々に消えていくがそれでもじんわりとした温もりが心地よかった。
だけど、その手を握る力はもう入らない。

「…ぁ」

一瞬目の前が暗くなる。
次の瞬間がくんと、体が沈みこんだ。

「っ!」
「くぁ……悪い…」

体を支えるにも足にも力が入らない。止める腕も動かない。
オレは覆いかぶさるようにフォーリアの背中に倒れ込んだ。

「何だ、眠いのか?」
「ん、実は…そう、かも」
「たったこの程度、薬草を取りに行くために歩いただけなのにか?本当に人間というのは脆弱だな」
「はは、は……返す言葉もないよ…」
「……まったく」

怪我をしたことはまだ誤魔化せているみたいだ。本当なら彼女に助けを求めて傷の手当をしてもらえればいいのだが、出来てしまった原因が原因だけに言い出せない。

人間同士で争って出来た傷だと知れたならフォーリアはきっと人間を嫌う。

愚かな存在だと、野蛮な生物だと、また彼女は蔑むだろう。ようやく開いた心を閉じて、関わろうという考えを否定してしまう。
そんなことはさせられない。

「…眠いのなら寝ればいいだろう?」
「…ん?」
「少しぐらい寝れば体調もきっと良くなる。さっきからユウタは、どこか調子が悪そうだからな」
「…バレてたか」

ただ、眠ったら本当に起きれなくなりそうだけど。
それでも意識は闇へと引きずり込まれそうになる。瞼を閉じてしまえばもう二度と開けない、そんな恐怖さえ感じるくらいに重くなっていた。
それでも、もう…限界だ。

「…ごめん」

こんなに苦労をかけてしまって。
今までお世話になって。
なのに、何も返せなくて。

「…ごめん……」

なんと情けないことか。
なんと愚かなことか。
なんと酷いことなのか。
世話になってできたことといえば多少の家事手伝い。
恩を返そうと思って出来たのはただの争いごと。
守るなんてカッコつけたところでしてきたのは見せたくないほど醜い戦い。




―そして、やっと信頼してくれたフォーリへついてしまった嘘。




「本当に…ごめん…」
「…何をそんなに誤っているんだ?」
「いや……」

でも知らなくていい。これからまた知ればいい。
人間と関わろうとするのならまた壁にぶつかるだろうから。
だから、最低限理解してくれると嬉しい。
人間というのは野蛮で、愚かで。
それでも真っ直ぐで、粘り強くて。
強がって。
意地っ張りで。
嘘をついて。
そして―

「―…なんでもない」

フォーリアの耳元で呟いて体から力を抜く。
そのままそっと息を吐き出して自分から瞼を閉じた。
もう二度と開けられないかもしれなくとも、怖いとは思わなかった。
この感覚もすぐに消えるはずなのに、不思議と安心できた。

「…ありがとう」

意識は闇へと落ちる寸前に紡いだ言葉はフォーリアに届いただろうか…。
13/01/06 20:43更新 / ノワール・B・シュヴァルツ
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■作者メッセージ
あけましておめでとうございます!
正月からかなり間が空いてしまいましたが今年もよろしくお願いします!

そして今回は年をまたいでエルフ編のシリアス回でした
嫌われたくない、それでも守るために力を振るう主人公
そして悟られまいと嘘までつく始末でした
それが一時的にしか誤魔化せなくとも…

当然隠しきれるはずもありません
知られた時にフォーリアはいったい何をするのか
嘘をついた主人公に対して何をしてくれるのか
死にかけの彼を救うことができるのか!
次回、最終話
それでは次回もよろしくお願いします!

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