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カヌクイ 第五話 男の甲斐性と女の事件性 【前篇】
 白い尖塔の名は『東方聖アンサモン教会』。現在も布教と人々への慈悲に働く者達の仮住まい、その一つである。
 草原と大陸の東端を繋ぐ交易路の傍にその居を構え、人々への恩恵と共に、人々の寄進によって相互の平穏を守っている。
 その内部、カンテラを手にした一人の男は歩いていた。
 宗教とは人々にとって傘である。誰もが幸せであれるよう摂理を教え、人の安寧を考え、人を愛す事の大切さ、秩序と破壊の在り方を教える。そこに本来存在して然るべき感情は、慈愛と思慮と言えよう。しかし、人は多ければ、雨から逃れる傘が違う。傘と傘があれば時にぶつかるのだ。どちらも、同じように雨から逃れているだけだとしても。
 そしてぶつかるものは傘の中といえ存在する。、どれだけ大きな傘であれども、互いに柄を握った二人の肩は、時に痛みを伴いぶつかるのだ。
 誰もが求めるのは安寧と平和、そして倖せであろうとも。
 所詮、人の造り出したものは『道具』という名を常に併せ持つ。
「東方司教長、私は納得しかねます」
巨躯に発達した顎、その頑迷にすら思える強い眼差しは、相手がどれだけ神へ近かろうと逸らされる事はない。それが彼の信仰である為に。
「東の『カテドラル』再建などと・・・本気なのですか?」
白く汚れのない僧服を押し上げる筋肉も堅い男の名はホーマン・バーナルド。その肩には『聖クレザンスの使徒』の聖なる御名を預けられている。
「何がだね?クレザンスの名を預けられた者よ」
夜の帳に周囲を支配された司教の私室の中、部屋の隅に佇む男がホーマンの隣へ並んだ。長身痩躯。触れば指が斬り落とされそうな凛とした佇まいは時に修道女すら惑わすと噂される美男。
「某も同じ問いをお許しいただきたい。まさか『羽蟻の連隊』を使うおつもりか?」
字名を『ファナティックの十字架』と呼ばれる教団の異端審問会随伴兵団副長ラダ・ファン。腰に下げた長剣は、楕円を描く程に反った片刃。
「質問の多い事だ。しかし知識欲は時に身を滅ぼすものだよ。人の始祖と同じくな」
祭壇の前に立つ司祭服、長い儀仗を携えた壮年の男。
 痩せた顔には生気が乏しいが、威風堂々たる威厳を備え、その背に大きな気配を感じる。
 長い灰色の髪も、口元から垂れた髭も、どこか浮世離れをしていながら、飢えた鷹を思わす獰猛さを備えていた。
「パーシバル司教。お答えいだたきたい」
ホーマンの言葉に眼差しを挙げるパーシバル・アロンダイト司教。生国では伯爵の地位を持ち、教団においても司祭位に名を連ねる者である。
「さて、それでは何処から説明すべきか」
思慮に沈むパーシバル。暫しの時間と共に、司教は口を開いた。
「さて、それでは此度の東方遠征、本来の発案者であるアレイ司教傘下の者達が独断にて一部地域への不法な占拠、鉱山資源の略奪を目的に行われていた事は聞き及んでいるか?」
「初耳です」
ホーマンの顔に嫌悪が浮かぶ。一方、能面のように眉一つ動かさないラダは、聞き役に徹すよう黙り込んだ。
「以前から問題視されていたアレイ司教は現在審問中。我々はその事後処理の役を請け負い、この場に来た。だが、その始末の際、アレイ司教の残した資料が見つかった」
薄暗い部屋の壁、気付いたのは偶然であったのか、それとも、追われたアレイ司祭の甘さか。
 発見された羊皮紙の束を読み解いたパーシバルは、驚きと共に考えた。
「ドラゴンを追い詰めた古代兵器、それさえあれば、聖人の再来を演出する事も難しくはない」
それに。
 教会組織全てにとって『禁忌とされた真実』の記された羊皮紙の存在。
 カードは揃った。あとは賭けの場と相手を選べばいい。
「・・・貴方は、今の教団に理念は失われたと?」
「有り体にいえば、そうなる。信仰は人を集め、権力が生まれる。そして信仰の徒もまた、時に権力に屈する」
「アレイ司教の件もあります。私とてそれを否定するつもりはありません。ですが」
「結果は神に委ねる」
断ち切るような、パーシバルの宣言。携えた儀仗の石突を床へ打ち付け、自身の決意のほどを示しているかのようであった。
「運命は神へ委ねる。だが、天命を待つは、己が全霊をもって事を成した後だ」
口を閉じるホーマン。主教への叛逆については肯定すべきこととは到底思えない。
 だが、信仰は神にあるからこそ教義とは集う人、語るべき言葉次第である。
「我らが教団もまた、大河から別たれた支流に過ぎない。だが、大望は今、支流を大河すら呑みこむ海としよう」
野心。
 しかし、そのなんと純然たるものか。
 ホーマンは瞑目し。
 その膝を、床へ折った。
「御随意がままに。司教」
「同じく」
ラダもまた膝を折る。その伏せた顔の表情は読めない。
「この地での対応が整い次第、全てを始めよう」
パーシバルの顔には、熱く滾る決意が、獰猛な笑顔と共に浮かんだ。


 放課後。未だに肌寒い山間の空気に震えながらの帰宅。抱きつこうとしたナナカマドには逃げられ、しぶしぶとコタツに入ろうとしていた時の事。
 家の中に鳴り響く呼び出し音に、舌打ちしたい気分で廊下を走った。
 黒電話。ダイヤルを回した秒数で番号をダイヤルする構造は現在では知る人間も随分と減ってしまった一種の骨董品。
 しかし枝節家では現在も現役である。
『もしもし、布由彦か?』
「あぁ、どうしましたか?勇登さん」
知己、身内とも言える相手に口調が砕ける。
『今度の土曜日、空いているか?』
「土曜日?その日は特売日が・・・」
『飯なら奢ってやる。単刀直入にいくぞ』
「何です?」
『お前、見合いしろ』
「は?見合い?」
聞こえていたらしいナナカマドが廊下で滑り、居間から顔を出していたアマトリが前につんのめる。
 実世界というのは実に奇妙な事で。まるで天秤のように現実と非日常が揺れ動く。
 いきなり、トラブルが発生した。


 即新規アドレスから携帯電話。
 つい先日に交換したばかりの相手へ泣きついた。
『あぁ、いや、そうか』
「手を貸して欲しい。何か、拙い話になりそうだ」
『それはいいんだが』
「どうした?」
『カンジナバルが別れると叫んで出ていった』
「・・・よし、とりあえず協力しよう。こっちも」
『恩に着る。こちらも困っていたんだ』
どこでもここでも女であれ男であれ。
 一体どうなっている?


 裏と表。善き事と悪しき事は悲しいかな世界の構成要素に過ぎない。
 魔物の女性化、または知性化。彼等が人の世に齎した影響は、男女比の偏り、戦争の規模縮小、人間の版図の拡大。
 戦争が無くなれば人が増える。増えた人は森を切り開く。森を切り開けば人と遭遇する。 
 そして。
 魔物は魔物であっても時に弱い。全てが敵ではない。
 狂騒と錯綜。人の世に、魔族との戦争という楔が消えようと、争いは絶えない。
「だーかーらー、魔物のオンナっすよ。ほら、この間のカイゴーで言ってたヤツ」
気味の悪い笑みを浮かべた男は、気崩したスーツの胸元から取り出したペンダントを引き出し、楽しげに喉を鳴らす。
「なんつーの、こっちで術者っつったら、やっぱオレら『棗浦(ナツメウラ)』っしょ。伊達に青春の浪費してたわけじゃネェしぃ」
和同開珎を腕輪のように連ねて嵌め、スーツの裏地には経文。捉えた魔物を長い数珠で縛る男は、女の顔を覗き込み、げたげたと笑った。
「あ?なんの話と思う?ウリとかどー思う?いや好きなんしょ?アンタらってヤラシーよなぁ!」
海、そして水の眷属、ネレイスの姿を晒した女性は、青い肌の下に幾筋もの傷を抱えながら、悲鳴一つ洩らさない。
 自分がモノと見られる気持ちの悪さ。
 これはヒトでさえない。心が無ければ人にもあたわず、獣ですらない。
 魔物より暗い魔。
 それと、どこが違うという?
「だいじょーぶだから。そのうちキモチよくなって、しばらくすりゃヤミツキだって。いやぁ最近は変態も多いし、オイシー仕事なんだから!なぁ!」
男は笑う。心無い顔で。長い髪を引かれ、半ば吊るされた格好のネレイスは唇を引き締め、ただ無言で彼を睨む。
 これはヒトでさえない、男と認識もできない。抱かれたくもない。
 本能に起因する性欲すら起きない。異世界だからというだけではない、こんな相手は死んでも嫌だった。
「おい」
「あ?何?」
「ここは何処だ?」
男。小柄、むしろ矮躯と言ってもいい男は、着物を思わす黒い民族衣装に包み、薄汚れた外套姿で金属製の棒を携えていた。
「んだよ、アキバはこんなんばっかだから嫌なんだよなぁ。オタクはあっちいけよきめぇー。キャラはブッサイクなメイドにヨロこんでもらえっつーの」
「・・・言っている事は解らないが、その手は離せ。術者まがい」
黒い髪の下、額を覆う黒い額当ての下から覗く瞳。秘められた戦意を前に、男は生まれて最初の畏怖を知る。
「な、誰だテメェ!!!」
和同開珎を鳴らし、呪詛を唱えようとした刹那、重たい打撃音。
 気付けば腕が曲がった。関節とは別の場所で。
「あ!あ!あぁぁぁ!?」
「寝ていろ」
動きに無駄がない。打った動きも捉えられない。
 既に振り上げられていた金属の棒、得物である棍を振り抜いた瞬間、彼の頭蓋は砕けていた。
 糸の切れた様子で男が倒れる。鼻血は黒く、痙攣する身体を邪魔そうに男は退ける。
「死にはしない」
その眼は冷たい。敵意を込めて男を一瞥すると、ネレイスの身体を拘束する数珠を、棍の一振りで引き裂く。
「・・・あの、貴方は?」
「名か?」
全身を包む気配が薄れる。雑踏の中に踏み出した瞬間には気配が消えていた。
「シェロウ」
一人、姿を消した男は、そのまま何処へともなく歩み去る。
 秋葉原、異世界との自由通行も行われている場に紛れた彼の異貌。
 それを見たのは、彼女一人だけであった。
「・・・こ・ろす」
倒れ伏し、今にも命の灯を消されんばかりの男を除けば。
 


 枝節 布由彦(エダフシ フユヒコ)。カヌクイという家業を継いだ高校二年生。特技は『固有振動数識域化能力』。物体の振動を独自の感覚で認識。能力を応用した格闘術は発剄による一撃必殺を可能とする。認識能力は視界範囲であればほぼ全域、自身から発した振動の減衰量などを指針に建物内部を走査する事なども可能。振動とはいうものの、物体の動き全般をマクロ的に把握しているらしく、原子、分子レベルで反応している様子も。探知や走査能力は群を抜いて高いものの、戦闘特化型の力ではない。
 杵島 法一(キシマ ホウイチ)。特異な事件によって禁忌(ギャザ)と呼ばれる能力を手にした高校一年生。異能は『使役能力』。黒い皮膜から取り込んだ物体から能力を引き出し、使役化できる。接着剤を触手に、金槌を衝撃発生型ガントレットに変化させ、使い魔であるビターを構築、創造した事からも解る通り、発想次第で無限の変化を秘めるものの、流体、気体、生物などの使役化はできず、使役可能数、使役可能範囲には明確な限界が存在する。多様性に特化した能力である反面、事前の準備を必要とする。
 そういった二人だが、妙に思い悩んでいた。
「どうすればいいというのか」
「どうすればいいと思う?」
法一のアパート。同時、彼の研究室。
 能力入手から約1年。自身の能力の実験と検証を行ってきた法一。向かい合って座る布由彦から荷物を受け取ると、困ったように瞑目する。
「おちゃどーぞ」
「あぁ、ありがとう」
一体だけし現れていたビターがお盆からお茶。受け取った布由彦は、湯呑みの温かさに僅かに頬を緩めた。
「そういえば、ビターが基点となって能力範囲が拡大できる理由は?」
「あぁ、それは俺の一部を組み込んでいるからだ」
血液。
 魔力の媒体ともされ、人体の中では比較的に代替の利くものである。それに、液状のそれは非常に応用が利く。
 そして、乾いた血の色は、皮膜と同じ黒である。
「ビター達の中に流れる血によって、彼らと魔術式は相互に干渉を行っている。だからこちらの使役しているガントレットをビター達も使えるし、ビター達によって術式の効果範囲と威力が相乗される」
構築された理論は後に立証されたものである。
 元々は広範囲の捜索の為に多くの人手を求めて人形を制作した事が始まりであり、ビターによる使役能力の強化は偶然に等しい。
「で?作戦とは」
「このビター達に手伝ってもらいたい」
「へぇ」
「恋人の替え玉をしたてて、どうにか縁談を・・・」
そこで言葉を止めた布由彦は、難しい顔をして法一へ尋ねる。
「それより、アマトリの姉の方は心配じゃないのか?」
「彼女の知り合いにも頼んである。そちらに電話でもあればすぐに解る」
「そ、そうか。だが、それでいいのか?」
「今回は、こちらも怒っている」
深く溜め息を吐く法一。歳で言えば布由彦の方が一つ上のはずだが、むしろ自分の方が未熟と感じるほどの泰然たる風格から憤怒を醸している。
「げ、原因は何だ?」
「端的に言えば、俺が女を泊めたのだが、それを勘違いしたあの女が」
「ちょっと待て、何の話だ」
「だから、女を泊めてだな、匿った」
「ちょっと待て!何の話だ!?」
見合い、カンジナバル家出、秋葉原暴行事件、教団の分裂。
 収集のできない事態は、次第に混迷を深めていきそうだった。



                   − つづく −


  
11/02/27 13:00更新 / ザイトウ
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■作者メッセージ
えー、前後篇です。初の。正確には序章、みたいな。
とりあえず見ての通りですが、教団側は前フリレベルなので今回は特に活躍なし。今後どんなルートに行くかは不明。脳筋気味な二人&ハグレ異世界人が後篇に関わっていく予定です。
ま、ちょい長くなりそうなんで、更新は少し先かも。
ご意見ご感想誤字脱字指摘お待ちしております。
今までご指摘してくださった方々もあざーす。

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