連載小説
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その2

 エリーさんが言うには、市役所は街に誰が何処に住んでいるのか、既婚か未婚か、既婚の場合は子供が何人居るのか? そういった情報を管理をする施設の事らしい。また、結婚する際に市役所に報告すると街からの支援を受ける事も出来るというメリットもあるのだとか。
 それにこの街の噂を聞きつけて移住してくる魔物娘や人間も多く、だから市役所という施設を建てたそうだ。
 フェリーチェの噂。それはどんな魔物娘も人間も分け隔てなく受け入れ、衣食住の安定の為の支援をする、という眉唾なもの。
 そしてどうやらその噂は本当らしく、ワタシのような魔界で生まれた魔物娘、果ては本で読んだ事のある、遠い東の国ジパングのキモノを着た魔物娘とその夫までが移住の手続きをしにやってきていたのだ。もしかするとこの街は世界の魔物娘の縮図となってしまうのかもしれない。
 手続きを待っている間、市役所に居る魔物娘達を見てワタシはそう思った。

 「31番でお待ちのラセナさん」
 「ぁ……は、はい」

 急に呼ばれると緊張して、声が裏返りそうになった。
 呼ばれた席に行くと、若い男性でさらに緊張してきた。目線なんて、合わせられない……。

 「ダークスライムのラセナさん、ですね。本日は移住手続きとの事ですが」
 「は……はい」
 「市民登録は既に終えていますので、この街でどんなお仕事をしたいか、どんな生活をしたいかを簡単でいいのでお聞かせください」
 「え、あの……、えっ?」
 「?」

 市民登録が終わっている……? さっき、書類に名前と種族と年齢を書いただけよね。それだけでいい、の?

 「登録が終わっているって、あの」
 「あぁ、その事ですか。よく言われます」

 担当の職員さんは小さく笑って、

 「これはフェリーチェの領主であるクリスティーナ様が決められた事なのです」
 「領主……」
 「過去に何をしていようが、フェリーチェは歓迎する。教会の者であろうと例外はない、と」
 「教会、って、あの教会……ですよね」

 人間しか居ない国で、人間以外の全てを憎んでいて、特に魔物を怨んでいる……教会の人間。
 そんな危険な人達さえも歓迎するなんて、街の魔物や人達は…………。

 「ご安心ください。この街にはとても沢山の種族が集まっているのです。教会の者もおいそれと手出しは出来ません。それに、この街にはドラゴンが三人居ますから」
 「ドラゴン……が、三人?」
 「ええ。この街が出来るきっかけになったのが――――」

 職員さんからこの街が出来るきっかけを聞くと、どうしてこの街がしあわせの街だと呼ばれているのかを再確認できた。
 ドラゴンとホブゴブリンの偶然の出会いから始まり、そして今がある。
 自分の事のように楽しく語る職員さんを見ていると、この仕事が好きだって事とこの街が本当に好きだって事が伝わった。

 「……と、説明が長くなりましたね。申し訳ありません」
 「いえ、あの……、この街に来たばかりですけど、より好きになれた気が、します」
 「ありがとうございます。僕もこの街が大好きなので、そのお言葉が嬉しいです」

 この街を好きだといってくれるのが嬉しい。
 エリーさんも職員さんと同じ事を言っていた。街に移住してくる魔物娘や人間が多いのは、街に住んでいる人達がフェリーチェを本当に好きでいるからというのも理由の一つにあるのかもしれない。

 「それでは、どのような仕事、生活がしたいかを簡単に教えていただけませんか?」
 「…………そうですね」

 ただ漠然と『この街で生活してみたい』と思っても、勝手に食事が出てくる訳もなく、お金を支払って食べ物を買う。そのお金は何処から来るのか? それは労働。
 労働をしなければお給金はもらえない。以前のように森を歩いて木の実を探すだけじゃダメなんだ。これからのワタシは変わっていかなきゃ……!
 でも実際に働くとなるとどんな仕事をすればいいんだろう? お父さんは森で狩りをしたり、果物を取ったりしていて、お母さんは家事をしていたし……。うーん、でも力仕事は出来ないかもしれない。ワタシはダークスライムで動きもちょっと遅い。どちらかと言えば静かな場所であまり身体を使わない仕事の方がいい、かな。

 「静かな場所で、あまり力仕事がないような、職場……と、か……」

 ここまで言っておいて、なんて贅沢な事を言っているんだろうと凄く後悔した。
 そんな都合のいい簡単な仕事なんてあるのだろうか? どうしよう、ワタシ、凄く馬鹿な事を――――。

 「ふむ、了解しました。となると、事務の仕事が主になるようなお仕事など如何でしょうか?」
 「事務のお仕事……」
 「それと、失礼ながら貴女は魔法を使えると思うのですが」
 「はい……ある程度のものなら……」

 職員さんは小さく頷いてから、一枚の紙をワタシに見せた。

 『図書館の司書見習い募集。魔法を扱える方優遇。移住者も歓迎。職員の寮を用意している。三ヶ月の試験雇用の後、正式に司書として雇用。休暇相談は気軽に』

 と、ぶっきらぼうというか必要な事だけを書いた募集の紙だった。
 それよりも、図書館の司書……かぁ。力仕事があまりなさそうなイメージがある。それに静かな職場だからワタシにぴったりな職場かも。
 ……でも、魔法を使える方優遇という点が少し気になる。そこは直接聞かないとわからない、かな。
 それにせっかく職員さんが進めてくれた職場だもの。結果がどうなってもワタシの為にもなるはず。頑張らなきゃっ。

 「え、えと……、面接……してみたい、です」

 そう言うと職員さんは嬉しそうに笑って、「では早速手続きをしますね」と言い残して席を立った。
 職員さんを待っている間、人間と魔物娘の職員さんが仕事をしている所を眺めたり、ワタシと同じく移住手続きをしに来た人たちを見たり。そして応募した図書館での仕事を想像してみたりもした。本棚の場所を覚えるのは絶対だろうし、頑張って覚えなきゃいけないなぁ。それに、先輩や上司とも上手くやっていかなくちゃ……。うぅ、大丈夫かな。まだ面接すらしていないのに不安になってきた。
 落ち着こう……。

 「お待たせしました。連絡を取ってみたのですが、すぐにでも面接をしたいと仰っていまして……。ご都合はいかがでしょうか?」
 「ふぇっ!?」

 こ、これから……、すぐに?
 ど、どどどどどうしよう。まさかこんなに早くなんて、心の準備が……。
 受けるかどうか考えていると、職員さんが助け舟を出してくれた。

 「連絡に行ったハーピーから、図書館の館長は貴女にとても関心を抱いていていたそうです。面接はもちろんですが、個人的な話もしてみたい、と」
 「そうなん……ですか」
 「それに図書館の館長はとても物静かで優しい女性ですから」

 ここで日を改めて面接をしたいと言っても、今のワタシには家がない。移住者用の格安で借りられる宿があるらしいけれど、お金すら持っていない。言えばツケてくれるそうだけど、怖くてそんな事言えないし、セージさんの事でワタシは十分に懲りた。
 図書館の館長さんがワタシに関心を持ってくれている今、このチャンスを逃す訳には……いかない。
 職員さんも応援してくれているし、頑張れ、ワタシ!

 「わかり、ました。受けてみようと思います」
 「よかった。それでは早速ですが、連絡担当のハーピーと一緒に向かってください」
 「は、はい」

 職員さんが担当のハーピーさんを呼びに行って、すぐに戻ってきた。職員さんよりも背が低くて、もしかしたらワタシよりも、かもしれない可愛いハーピーさんだった。
 元気な笑顔で手、というか羽を振った。

 「あなたがラセナさんですね! あたしはハーピーのジュリですっ♪」
 「あ、あの……よろしくお願いします。えと、お世話になりました」
 「はい。頑張ってくださいね!」
 「そうだ。アインさん」
 「ん?」

 ジュリさんが職員のアインさんにウィンクを一つ。

 「奥さんのアヌビスさんと会ったんですけど、その時に伝言を承りましたよ」

 さっきまで爽やかな印象だった職員さんが打って変わってにや、と含みのある笑みになった。

 「ワンちゃんから?」
 「今日もしっかり定時に帰ってくるように、寄り道はするな。ですって」
 「そうかぁ。どうしようかなぁー」
 「ちゃんと伝えましたからね? この間みたいにまたあたしが怒られるのは嫌ですよ?」
 「ん、善処するよ〜」

 手をひらひらさせて職員さんは奥へと戻った。

 「本当に善処してくれるのかなぁ」
 「え、と、今のは」

 ワタシが質問するとジュリさんは苦笑しながら説明してくれた。

 「アインさんの奥さんはアヌビスなんですけど、アヌビスの言いつけをわざと破って意地悪するのが好きな人なんですよ」
 「アヌビスの言いつけを破る、って……」

 どれだけ肝が据わっている人なんだろう……。それともアヌビスの奥さんの弱味を握っているとか?

 「後ろからシてあげたらウチのワンちゃんは可愛くなるんだよって言ってました」
 「後ろ……から……」
 「そうそう、両手首を掴んで乱暴にぱんぱんって。頼んでないのにその時の腰の再現までしちゃうし。セクハラですよねこれ」
 「あはは……」

 ワタシのお母さんとお父さんの場合、いつもお母さんがお父さんの上に乗るか、座って抱き合うぐらいだったから、両手首を掴まれて後ろから……というのは多分、出来ない。身体の粘液の量を調整すれば(水分を少しだけ控えるとか)掴めるかも知れないけど。
 でもワタシは先に男性を探さなきゃいけないし、さらにその前に仕事を探さなきゃいけない。お母さんのように魔界でバッタリ会ってそのままえっち、というのも出来ないし……。さっきの職員さんだって、魔物娘の匂いはしていたけど目を見る事が全然出来なかったから。
 女性ならまだ、大丈夫。特にジュリさんのような明るい女性は一緒に居て楽しい。サキュバスのシルヴィアちゃんも、彼女のように明るくてワタシも楽しかった。昨日の両親はこんなえっちをしていた、何回お父さんが出していたか。実際に見ていなくても声が聞こえちゃうから丸わかりだった。ふふっ、懐かしいなぁ。シルヴィアちゃんは今も元気にしてるのかな? 素敵な男性を見つけて幸せに暮らしているのかな? また色々なおしゃべりがしたい。

 「それでは行きましょうか♪」
 「はい、お願いします」

 歩いている間、ジュリさんに図書館について聞くと、それは街の中心部に位置するとても大きな図書館らしい。この街で発行されている書物はもちろん、他の街や国から発行された書物もジャンルを問わずに集めていて、それをいつでも読めるという。貸し出しもしているが借りられるのは書物の一部分だけで、殆どは貸し出しが禁止されているとか。

 「でも、一部分とは言っても相当な量なんですよ。んー、何冊だったかな? 二千冊以上、だったかな?」
 「二千冊……!?」
 「それが一部だっていうから凄いですよねぇ。全部の本を数えたらどれだけになるのやら」

 私は本を読むと眠くなっちゃうから苦手なんですよねー、と照れ笑いするジュリさん。
 逆にワタシは本を読むのが大好きで、家にあった本を何度も繰り返し読んで過ごしていた。……そのせいで臆病になってしまったのは否めないけれど。

 「この道を真っ直ぐ進めば図書館です。街の中心部だから凄く活気があって、お店もこの辺が一番多いんですよ」
 「すごい……」

 食器などの日用品を取り扱うお店、おしゃれで可愛い服が外からでも見えるように工夫している服屋さん、それに果実を売っているお店も(あ、あのお店虜の果実が売ってある)あった。他にもゴブリンが大きな声で野菜の値段の安さを宣伝している八百屋さん、酒場にレストラン。中にはサイクロプスがスプーンやフォークなどを売っている出店もあって、凄く綺麗だった。
 
 「…………え?」

 ワタシの目に入ってきた光景に、思考が急停止した。
 とても見慣れないもの、というか初めて見たお店を見つけてしまって、思わずその場で止まった。
 他のお店よりも一段と目立っていて、凄く装飾が多い。そしてなによりも、お店から感じる雰囲気が全く違うのだ。大げさかもしれないけど、そこだけが異世界のように見えた。そのお店の看板にはこう書かれていた。
 いもうと系喫茶アンライプフルーツ。
 なに、ここ。

 「あ、やっぱり止まっちゃいましたね」

 ジュリさんは苦笑して同じようにいもうと系喫茶アンライプフルーツを見た。
 やっぱり、という事はこのお店を初めて見た人はワタシのような反応をするのだろう。派手な外装と外からでもわかる異様な雰囲気で、道行く人たちの注意を引くというところでは成功していると思う。でもそこに入る勇気はない。

 「一年くらい前にバフォメットたちサバトが街に来て、喫茶店を経営しているんです」
 「喫茶店……?」
 「名目上はそうです。役所に提出した資料にはそう書かれていたそうですよ?」

 どう見ても、喫茶店と言うよりも怪しいお店にしか見えないのだけれど……。

 「来客にはお客様ではなくって、男性ならお兄ちゃんで女性ならお姉ちゃんと呼んで接客しているとか」
 「そうなんですか……」
 「えぇ、ウチの職員でここの熱烈なファンが居まして、その人が聞いていないのに教えてくれるんですよ」
 「あはは、お店にとってはいいお客……お兄ちゃん? ですね」

 サバトが経営している喫茶店の熱烈なファンという事は、その人はどう考えてもロリコンだろう。ワタシとしてはロリコンな人は気にしないし、そういう人が居てもいいと思う。好きな人がロリコンだったら……うん、望まれたならなってもいい……かな。
 幼化の術でどんな魔物娘でも幼女になれるらしいけど、ワタシたちのようなスライム種が幼女の身体になった場合、身体の容量が制限されてすぐに赤ちゃんが出来ちゃいそう……。ダークスライムの大家族……かぁ。ふふ、お父さんの取り合いになっちゃうかも。

 「ジュリちゃんもどうよ!? って言われた時は思わず逃げちゃいましたよ。せっかくここまでおっぱいが大きくなったのにー」

 確かに、見ればジュリさんの胸は一言で言えば巨乳だ。歩くたびにその胸が揺れて通りがかる男性たちがちら、ちら、と盗み見ていたくらい。
 やっぱり胸は女の重要なステータスだと思う。服を着ていても大きさはわかるし、小さくても大きくても需要は必ずある。いわば胸は女の武器なのだ。

 「あっ、ごめんなさい。こんなところで油売ってる場合じゃなかったですね。早く向かいましょうっ」
 「は、はい……ワタシもごめんなさい……ああいうの、初めてだから……」

 今度、入ってみようかな……。外からじゃお店の中はどうなっているのかわからないし、一度魔物娘最高位の魔術使いである魔獣、バフォメットに会ってみたい。



 辿り着いた図書館は、ジュリさんから聞いたとおりの外見だった。
 他のお店よりも遥かに大きくて、鉄の柵に囲まれた大豪邸のような佇まい。本当は図書館ではなくて大金持ちが住んでいる家なのではないかと思ってしまった。

 「ここがフェリーチェの誇る“知識の大図書館”です」
 「すごい……」

 ただただ、圧巻された。思わず入るのを躊躇ってしまうほどの厳かな雰囲気。こんな場所を管理している館長とは一体どんな人なのだろうか。厳しくて、睨まれただけで身体が硬直してしまうほどの眼光を持っている、とか? うぅ、そんな人とこれから面接するの……?
 ……どうしよう、さっきまでは大丈夫だったのに、凄く緊張してきちゃった。それに、まるで全速力で走ったように息が上がっている。
 図書館を見れば見るほど呼吸が乱れて、頭の中が白く塗りつぶされていく。視界が定まらなくなり、くらくらする。
 ワタシ、本当にここで働いていけるの? まだ面接もしていないのにこんな事になって……。やっぱりワタシは弱い女だ。自分を励ましてなんとかここまで来れたのに。
 ジュリさんが心配そうな顔で見ている。何か言わなきゃ。ここまで付き合わせておいて立ち止まるなんて、失礼にも程があるよ。職員のアインさんだって優しくしてくれた。それに、セージさんは見ず知らずのワタシにご飯をご馳走してくれた。ワタシ、されてばかり。お世話になってばかり。このままずっと、誰かのお世話になるつもりでいるの? それが楽だから?
 …………そんなの、だめ。
 まだ、始まってすらいない。これからやっとスタートラインに立てるんだから。
 ここはワタシの生まれ育った魔界じゃない。この街の事もあまりわからない。
 けど、ここから始まるんだから。ワタシはもう、魔界のダンジョンで一人寂しく生きていくラセナじゃない…………。
 落ち着いて。ワタシはいける。頑張れる。ふらふらしていてもいい、それでも前に進まなきゃいけないんだ。
 だから、こんな所で負けちゃだめだ。ラセナ!

 「……行きましょう」

 ワタシの言葉で、見守っていたジュリさんは笑顔になって頷いた。
 図書館の中に入ると、受付のアヌビスさんがワタシを待っていた。きりっとした顔で、他人に厳しく自分にも厳しいと見ただけでわかる。

 「お待ちしておりました。館長は既に応接室で待機していただいています」
 「は、はい……」

 切れ長の目で見られると、そんなはずはないのに睨まれている気がして怖い。
 けど、目を離しちゃいけない。

 「あ、エルダさん。伝言、アインさんにしておきましたからー」

 ジュリさんの言葉でエルダさんのピンと立っていた耳がぴくっと動いた。

 「何と言っていた?」
 「善処するって」
 「善処……だと? あいつはまたそうやって曖昧な返事をして…………こほん」

 少しだけ愚痴を漏らしたところでワタシと目が合って、咳払いを一つ。この女性があの職員さんの奥さんなんだ……。って事は……………………やめておこう。初対面で失礼だもの。

 「ありがとう、ジュリ。ここまでの案内ご苦労だった」
 「いえいえー。それじゃあ、ラセナさん。頑張ってくださいねっ」
 「はい……っ、ありがとうございました」

 ウィンクしてからジュリさんは元気よく飛んで行った。

 「では、案内します。着いてきてください」
 「は、はいっ」

 ワタシの返事にエルダさんが優しく微笑んでから、また先ほどのきりっとした表情になった。
 そういえば、アヌビスを見るのは初めてだなぁ。髪の色と同じ尻尾が目の前で揺れていて、きりっとしているエルダさんとのギャップがなんだか可愛いかも。それに髪がつやつやで、綺麗なお人だ。
 腰もくびれてて、褐色肌だから凄く締まっているように見える。触ってみたら、どんな感触がするんだろう。
 それは、ワタシがえっちな目でエルダさんの肌を見ているのではなく、単純な知的好奇心。ワタシはダークスライムだから、手触りはぷるぷるとした感触。そして少し力を入れれば、簡単に手が中に入ってしまうような柔らかさ。
 いつだったか、友達だったシルヴィアちゃんの肌に触らせてもらった事があったけれど、すべすべしていて柔らかかったなぁ。身体の隅から隅まで武器にして、男性を誘惑するようなサキュバスだから、そんな感じに作られているのだと思う。じゃあ、種族が違うアヌビスのエルダさんはどうなのだろうか?
 いきなり触ったりなんかしたら、絶対に怒られるよね。それにとても失礼だし、いつか夫のアインさんに聞いてみようかなぁ。
 男性の肌はどうなんだろう? 女性とは違って筋肉質だから、きっと逞しくてごつごつとしていると思う。……いつか、ワタシと付き合ってくれる男性はどんな感触だろうか? 指先で確かめるのもいいし、全身を包み込んで楽しむのもいいかも。そして、そのまま――――。

 「ここが応接室になります」
 「あっ、はい……っ」
 「?」

 いけない、今は面接に集中しなくちゃ。エルダさんの後姿を見ていたら、さっきまでの緊張は何処かへ行ってしまったようだ。
 エルダさんはノックを三回して、

 「館長。面接希望のラセナ様をお連れしました」
 「ん、ご苦労様。入ってくれ」
 「失礼致します」
 「失礼……します」

 エルダさんの後に続いて応接室に入ると、そこには……。

 「君が司書見習いに志願してくれたラセナ君だね」

 黒髪で綺麗なエルダさんとは対照的な、美しいさらさらな銀髪と眼鏡の奥にある切れ長の目。そして蒼い鱗と大きな翼。

 「初めまして。我(わたし)がこの図書館の館長、ドラゴンのシャルロッテだ」

 図書館の館長と言うのだから、てっきりワタシはヴァンパイアやエルダさんと同じくアヌビスだと思っていた。
 ワタシの中のドラゴンと言えば、大きな鉤爪で岩を砕いて炎のブレスであらゆるものを消し炭にする地上の王者だ。それが何故図書館の館長という立場に居るのだろうか?

 「ふふっ。初対面の時のエルダと同じ顔をしているぞ?」
 「なっ、館長!」

 エルダさんのきりっとした表情が一変して、照れているような困っているような表情になった。
 その表情を見た館長のシャルロッテさんは、見たいものが見られたと満足したような笑み。

 「冗談はこのくらいにして、早速面接を始めよう。エルダは持ち場に戻ってくれ」
 「もう……。それでは、これで」

 応接室からエルダさんが出ていき、これで残ったのはワタシとシャルロッテさんだけになった。
 ドラゴンと同じ部屋に居るというだけで、忘れていた緊張がより強くなって戻ってくる。

 「……? どうかしたかな?」
 「っ!? いえ、その……あの……なんでも、ありません」
 「そう。ではそのソファに掛けてくれ」
 「は、はい」

 地上の王者、ドラゴンと面と向かって喋る日が来るなんて思いもしなかった。眼鏡の奥にある縦に伸びた瞳孔が、はっきりとワタシを見ていて、まるで睨まれているのではないかと錯覚して怖い。

 「くす。怯えなくてもいい。君が知っているドラゴンとは少々違う、変わったドラゴンだからね」
 「ひぅっ、そんな、ことは……」
 「無理に我の目を見なくていい。少々眼力があるのは自覚しているし、そのおかげで未だに怯えている職員も居るから」
 「そ、そうですか……」

 じっとシャルロッテさんを見るのは勇気が必要だけれど、ワタシは逸らさないし逸らしたくない。何としてもワタシはここで職場を決めなければならないのだから。

 「ふふ、ありがとう」
 「え?」
 「いや、こちらの話だ。ところで面接だが、堅苦しい事はしたくない」
 「…………」
 「まずは君がダークスライムという事で、一つテストをしよう」

 そう言ってシャルロッテさんはテーブルの上に置いてあった二冊の本を手に取った。表紙には『フェリーチェ周辺に生息する魔物娘たち』。それと同じものがもう一冊。

 「こっちの本に保護魔法をかけることは可能かな?」
 「保護魔法、ですか……」

 保護魔法とはその名の通り、詠唱した者が指定した者に対して身体強化や魔法に対する抵抗力を高めるもの。だがそれは人物に対するものであり、書物に保護の魔法をかける理由がわからない。

 「書物はどうしても年月が経てば痛んでしまい、最終的には読む事はおろか手に取るだけでボロボロになってしまう。だが、書物に書かれた情報を塵にしてしまうのはとても勿体無く、惜しい」
 「そうですね……」
 「そこで書物にも保存の為に保護魔法を使用できないか模索したところ、この呪文を生み出した」

 一枚の紙に書かれたそれは、シャルロッテさんの言う書物にかける為の保護魔法の呪文だった。ワタシはそれに見た瞬間、魔法の呪文ではなく辞書の一ページを切り取った物ではないのかと錯覚した。
 呪文と言うのは、長ければ長いほど効果を発揮する。人に対して一時的な強化を行うなら、大体三から四程度の言葉を挟んで詠唱するものだ。だが、対象が書物となると勝手が違うのか、とてつもなく長い詠唱なのだ。

 「これ……本当に詠唱文なのですか」
 「本当だ。そしてこっちの本は実際にその保護魔法をかけたものだ。おかげで水を零してしまっても、染み込む事無く流れる。だがこちらの方は水を零してしまえばインクが滲み、読めなくなる」

 募集の紙に書かれていた『魔法を扱える方優遇』の意味がわかった。書物を一冊でも多く保護魔法で保存する為だったのだ。

 「どうかな?」
 「長いですけれど、きっと詠唱できると思います……」
 「そうか。なら採用だ」
 「…………え?」

 採用? えっ? こんなにもあっさりと……決めて……?

 「採用だ。保護の魔法を使えるのなら、みすみす逃すなどしないさ」
 「いえ、そうではなくって」

 ワタシが言いたいのは、もっと時間をかけるとか……その……。
 それを言おうとしたけれど、先にシャルロッテさんがずれた眼鏡の位置を戻してから答えた。

 「ラセナ君の言いたい事はわかる。書物にかける保護魔法が使えるのかどうかを聞き、出来ると返事されただけで採用した。こんなにあっさりとした面接でいいのか? と」
 「は、はい……」
 「これでも我はドラゴンだ。人間だろうが魔物娘だろうが、洞察力ぐらいは持ち合わせている」
 「…………」

 ワタシとは、全く正反対の人なのだとその時知った。種族の違いもあるけれど、今まで生きてきた経験が違いすぎるのだ。自分自身の事を理解して、自信を持って生きていく。魔界で虜の果実を探して食べては寝てばかりだったワタシなんかじゃ、割に合わない。

 「それに……」

 ニヤリ、ととても意地悪な笑顔で言った。

 「我は、ここの図書館の主だからな。我がラセナ君を雇うと決めたのだから、誰にも文句は言わせない」

 ………………すご、い。これが、ドラゴン……。シャルロッテというドラゴンなんだ。

 「納得していただけたかな?」
 「あの……えと…………はい」
 「では、これからよろしく頼む」

 す、と伸ばされた手は大きくて、鉤爪が鋭くって……。でも、しっかりとその手を握った。
 とても、温かかった。

 「ほう、ダークスライムだから粘液が多いと思っていたのだが、そうでもないのだな」
 「一応、制御は出来ますから……」
 「なるほど。他のスライムよりも魔力があるからか……。勉強になった」

 うんうん、とシャルロッテさんは頷いてから、紅茶を一口。

 「ではここからは交流を深めるとしよう。まずは我からの自己紹介から」
 「は、はい」
 「ここの図書館の主である事はもう既に承知していると思うが、ここ、フェリーチェという街が出来る前から我は居るんだ」
 「そうなの、ですか……」
 「少々長くなるが、いいかな?」
 「はい、聞かせてください」

 ふふ、ありがとう。そう言ってシャルロッテさんはワタシに語ってくれた。

 「まだここが名もなき村で住民はほぼ老人で、一人の若者とホブゴブリンの夫婦しか居なかった話は聞いたかな?」
 「はい、市役所の職員さんに……」
 「それなら話は早い。その夫婦と知り合ったドラゴンが、我なのだ」
 「は、はい……それも」
 「では何故我がフェリーチェの王とならずに、この知識の図書館と呼ばれる施設の館長になっているのかを話そう。
  元々我は書物を読むのが好きで、当時の住処にはたくさんの書物があったのだ。おかげで我の視力は悪くなり、眼鏡をかけなければ遠くのものはぼやけて見える。まぁ、真の姿というか、ドラゴンらしい巨大な姿になれば千里先も見渡せるのだが。
  とにかく、我は書物を可能な限り集めた。勿論略奪などしていないぞ? 一冊しかない貴重な本があれば、頼んで写本にしてもらった。そしてそれを読めばその知識が我のものとなる。それがなんとも言えぬ快感で、やめられなかったのだ。今も暇さえあれば未読の書物に目を通している本の虫……もとい本の竜だな。当時はそれだけでも十分だと思っていたんだ。今では笑ってしまうのだが、現在ここに保管されている書物の十分の一を読んだだけで満ち足りてしまっていたんだよ。あの頃は若かったのだろうな。
  そして我は知りたいと強く願った。まだ我の知らない知識を己のものにしたかったのだ。一応、フェリーチェの王として十年ほどやっていたのだが、ある日三人の娘に呼び出されて、長女のクリスティーナが我の代わりに王として街を治めたいと志願された時はとても感動したよ。それと同時に娘たちに悟られるほど我は知識を欲していたようで、恥ずかしかった。夫のヴェルからの後押しもあって、政は娘に任せて、こうして現在は図書館で館長に就任し日々増えていく書物に目を通す日々を送っている。
  我は、とても幸せ者だ」

 またシャルロッテさんは紅茶を一口飲んだ。なるほど、だから今のフェリーチェの王がクリスティーナさんなのか。職員さんから聞いた話に出てきた、人間とホブゴブリンの夫婦と知り合ったドラゴンの名前と王の名前が違うのはそういう事だったのだ。
 と、ここで三回のノックの後、一人の男性の声が聞こえた。

 「シャル。まだ面接はやっているか?」
 「遅かったね。既に面接は終わっているよ。それよりヴェルも部屋に入りたまえ」
 「あぁ。失礼する」

 入ってきたのは二十代後半か、三十代の男性だった。シャルロッテさんの事をシャルと呼び、先ほどの話に出た夫の名前がヴェルだったので、おそらく彼がシャルロッテさんの夫なのだろう。
 …………という事は、彼は本当は五十代!? 全くそんな風には見えない。

 「で、シャルの事だから採用なんだろ?」
 「あぁ。それに彼女は今日移住してきたから宿がない。職員の寮の手続きを頼みたい」
 「既に済ませているよ。……シャルの事だからな」
 「ふふっ。愛しているよヴェル」
 「俺も愛しているよ」
 「………………」

 な、なんて甘い空間。地上の王者であり知識の図書館の館長であるシャルロッテさんが、夫のヴェルさんが現れた瞬間に、その表情が恋する乙女になった。
 魔物娘の中でも特にあらゆる意味で最強に近いドラゴンも、恋をすればこんなに甘い空間を作り出すんだ……。思わずワタシは声も出さずに見とれてしまったのだった。
12/07/18 01:10更新 / みやび
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■作者メッセージ
お待たせいたしました、三ヶ月ぶりです、みやびでございます。

そして、久しぶりに登場しました。ドラゴンのシャルロッテと夫のヴェル。
もう結婚してから30年になりますが、未だにラブラブです。魔物娘なのだから当たり前と言うか当然と言うか。
三人の娘に恵まれて、現在は知識の図書館の館長として過ごしています。毎日本を読んではヴェルとえっち。とても簡単に言えばそんな日々ですね。
さて、作品の中にもありましたがシャルの娘についてちょっとした補足を。
長女のクリスティーナがフェリーチェの王。
次女のリリィがフェリーチェの警備、または増築の監督など様々な役割をこなしています。
そして最後に三女のイルミナ。彼女は現在とある理由でフェリーチェには居ません。前作のメロウさんのお話にちょびっと出てました(本人は登場していませんが)。
なので、フェリーチェには現在三人のドラゴンが居ます。いずれはイルミナも出したいですけど、出るのかな……。っていうかクリスティーナも出るかどうか……。

さて、その2にして56KBに達しているこの事実。
未だにラセナの恋は始まってすらいませんが、次回からやっと恋が始まると思い……ます。きっと。多分。
それでは、次回をまったりとお待ちくださいませ。

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